「泣き虫ファイター」は東京カランコロンの楽曲。2012年発売のミニアルバム『ゆらめき☆ロマンティック』、2013年発売のアルバム『We are 東京カランコロン』に収録されている。作詞は元チャットモンチーの高橋久美子。
チャットモンチー在籍時から、作詞家としてもドラマーとしても大好きだったクミコンこと高橋久美子さんの作詞。高橋さんの書く詞は、日常的な言葉を使いながら、状況を見事に描き出していて、いつも新鮮な驚きがあります。「泣き虫ファイター」の歌詞も、少ない言葉で人間関係を鮮やかに描き出しています。そして、東京カランコロンのメロディーと演奏も素晴らしい。では、ここからこの曲の詞の情景描写の巧みさと、それがメロディーにのったときの気持ちよさについて、ご説明させていただきます。
歌詞の登場人物
歌詞に出てくるのは「語り手」「あなた」「あの子」の3人。「語り手」が自身の心情を、語っていくのが歌詞の内容です。まずは歌い出しの歌詞。
ない ない ない ない 泣いた
ちっともなんだかくちゃくちゃ頭でごっそり根こそぎばっちりがっつり泣いた
語り手の情緒不安定な様子が伝わってきます。では、語り手がこんなにも泣いている理由はなにか、その答えは続く歌詞で明らかになります。
ない ない ない ない ナイター
想像するだけ目玉はらんらんあなたはお馬鹿なあの子と今夜もナイター
語り手の元恋人か、もしくは片想いの相手だった「あなた」が、今は「お馬鹿なあの子」と一緒にいる、つまり語り手は失恋したために、泣いているのだということがわかります。
「語り手」と「あなた」の関係性
サビでは「語り手」と「あなた」の関係性が、少ない言葉で、的確に表現されます。
夜中の校庭と月
真夏の向こう 私が投げたフォークボール
平気な顔で受け止めてくれたあの手
ここでは、真夏の夜に校庭でキャッチボールをしたことが描写されています。文字通りに言葉を受けとるとそれだけなのですが、この短い数行に、驚くほど多くの情報が圧縮されています。
「言葉のキャッチボール」という表現があるように、キャッチボールはしばしば会話に例えられます。引用した部分で「語り手」は、フォークボールを投げています。フォークボールは、打者の手前で急激に落ちる変化球で、空振りを狙う球種。そんな捕りにくいボールを、「あなた」は平気な顔で受け止めてくれた、とあります。
これを会話に置き換えると、いつも素直になれず変化球のような表現になってしまう「語り手」の言葉を、「あなた」はいつでも余裕を持って受けとめてくれた、ということ。このわずか2行の歌詞から、2人の関係性、2人の性格までもが、あざやかに浮かび上がってきます。
球種を使ったメタファー
このような言葉の置き換えは、比喩表現のなかで、特にメタファーと呼ばれます。球種で言葉使いを説明するメタファーは、歌詞の後半にも再び出てきます。
アイスクリーム溶けること気づかないほど
好きだったよ 今更投げこんだ直球
この引用部分からは「語り手」が「あなた」に、最後まで好きだと言えなかった、あるいは素直な言葉をかけられなかった、気持ちとは反対にトゲのある言葉を言ってしまった、という状況が推測できます。
状況説明をしているわけではないのに、「フォークボール」というたったひとつの言葉がヒントになって、「語り手」と「あなた」の性格、2人の関係性、恋のなりゆき、「語り手」の今の心情までが伝わってきます。1曲の歌詞に、ここまでのドラマと人間性を込められるなんて、見事と言うしかありません。
そして「フォークボーク」と対比させて「直球」、夜に2人で出かけるという意味で「ナイター」を使うことで、さらに情報を圧縮して伝えています。これで「フォークボール」の意味もますます活きますし、野球をモチーフにすることで歌詞にも確固たる世界観が生まれます。本当に、こんな手際よく言葉をあやつれる人は、なかなかいないでしょう。
Aメロとサビの対比
次にこの曲の音楽面での構造について。この曲はAメロとサビから成り立っており、BメロやCメロを挟まない、構造的にはシンプルな楽曲と言えます。しかし、この2種類のメロディーは、歌詞的にも音楽的にも綺麗な対比をなしており、構造のシンプルさが楽曲にメリハリをつけています。
まずAメロ部分は、音楽の面ではコードはGひとつだけ、歌詞の面では「語り手」が心情をとっちらかったままに吐き出していきます。先ほども引用した「ちっともなんだかくちゃくちゃ頭でごっそり根こそぎばっちりがっつり泣いた」という部分など、早口言葉のような譜割りで、「語り手」のテンパっている様子が伝わってくると言えるでしょう。
また、前述したように、このAメロ部分で使われるのはGのコードのみです。メロディーも音程の動きは少なく、使われている音はF(ファ)、G(ソ)、B(シ)のわずか3つ。ですが、コードが進行してないなぁ、という停滞感は感じず、切迫感や焦燥感が溢れています。その理由は、早口言葉のようなメロディーと譜割り、そして各楽器が回転するように動き回っているためでしょう。
サビになると、ワンコードで駆け抜けたAメロとは打って変わって、目まぐるしくコードが進行しています。それに準じてメロディーも、勢いのあったAメロと比べて、メロディアスで印象が一変します。
歌詞、メロディー、アレンジの一体感
ここで、また歌詞に戻って考えてみると、Aメロ部分では「語り手」が現在の感情をそのまま吐き出すような歌詞でした。それが、サビ部分では「ねえ、覚えてる?」という問いかけから始まり「あなた」と一緒にいた思い出を語る歌詞になっています。
Aメロ部分は、感情をそのまま吐き出すような歌詞で、メロディーと演奏も勢いを重視したもの。サビ部分は、思い出を振り返る歌詞で、歌ものらしいメロディーとアレンジ。歌詞と音楽の両面で、まるでAメロとサビで今と昔を行ったり来たりしているように、見事な対比をなしています。
このように音楽と歌詞が、分けられないぐらいに有機的にひとつになっていて、お互いを高め合っている曲に出会うと、音楽を好きでいてよかったなと思います。高橋さんの歌詞だけでもイマジネーションをかき立てられるのに、音楽がさらに彩りを加えて、見たことのない風景、自分が感じたのではない感情が、自分の経験のように感じられて…音楽には様々な機能と魅力がありますが、こういう経験ができるというのも魅力のひとつですよね。