椎名林檎と宮本浩次「獣ゆく細道」歌詞の意味考察 人のなかにある獣


目次
イントロダクション
独白的な構造
この世は無情
タイトルの意味
あたまとからだ
本性は獣
はじめての道
正体は獣
曲のテーマ
結論・まとめ

イントロダクション

 「獣ゆく細道」は、シンガーソングライターの椎名林檎と、エレファントカシマシのボーカリスト宮本浩次による楽曲。2018年10月2日に、デジタル配信限定でリリース。作詞作曲は椎名林檎。

 椎名林檎さんと宮本浩次さん! 非常に個性的で、才能あふれるお二方のコラボレーションです。

 僕はファンクラブに入るぐらい、エレファントカシマシが好きなので、この一報を聞いたときには驚き、喜びました。

 作詞作曲を手がけるのは、椎名林檎さん。なのですが、エレカシの世界観とまったく同じというわけではないけど、宮本さんの音域、ボーカリストとしての表現力に、ぴったりと合った曲です。

 林檎さんも、宮本さんを想定して曲を作ったのだと思いますが、2人の才能の共鳴が感じられる、すばらしい楽曲となっています。

 今日とりあげたいのは、この曲の歌詞について。旧仮名遣いが使われ、「獣ゆく細道」というタイトルからも、クラシカルな雰囲気が漂いますが、歌詞の内容も文学的。

 「文学的」とだけ書くと、あまりにも曖昧ですけど、具体的には人間を「獣」に見立てて、その生き様を描いているんです。

 というわけで、今日は「獣ゆく細道」の歌詞を、考察してみたいと思います。

 歌詞は、ユニバーサルミュージックの特設サイトに掲載されているのですが、Aメロ、Bメロ、サビといったように、分けられるのでなく、流れるように記載されています。

 適宜、部分的に引用しながら、考察をすすめます。

独白的な構造

 ポップ・ミュージックの歌詞には、人間関係やストーリーを描いたものが少なくありません。

 しかし、この曲には「僕」や「私」といった代名詞は出てきません。具体的なストーリーも存在しません。

 その代わりに、語り手によって、独白的に言葉がはじき出されていきます。言うなれば、語り手の思想こそが内容のすべて。

 メッセージ性の強い歌詞とも言えます。前述したとおり、この曲が描き出すのは、人間の姿。

 では、順番に歌詞を確認していきましょう。

この世は無情

 まずはイントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

この世は無情 皆んな分つてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐる

 旧仮名遣いに、ちょっとひるんでしまいますが、一言目から結論が書かれ、力強い歌詞です。

 一言目の「この世は無情」。これが、この曲のテーマと仮定して、歌詞を読みすすめていきましょう。

 「無情」というのは、字面のとおり、情けが無い、厳しいということですね。つまり1行目をまとめると、この世界は無情だと、みんながわかっている、ということ。

 2行目以降は、その無情さがどのようなものであるのか、より詳しく記述されています。

 2行目と3行目をまとめると、流れゆく時間のなかで、人はみな右往左往している。つまり、人には止めることのできない、時間の無情さを記述しています。

タイトルの意味

 この曲のタイトルは「獣ゆく細道」。先述したとおり、「獣」はこの世に生きる人間をあらわしているのだと、考えています。

 では「細道」が意味するものはなにか。結論から言うと、人生そのものをあらわしている、というのが僕の仮説です。

 「人生は旅路」といった言い回しもありますが、しばしば人生は道に例えられます。この曲においても、長い人生を道に例えているということ。

 そのため、イントロ部分では、止めることのできない流れゆく時間を、まず「無情」だと宣言したのではないでしょうか。

 「細道」は、読んで字のごとく、幅の狭い道を意味します。なぜ「獣ゆく道」ではなく、「獣ゆく細道」としたのか。

 その理由もまた、人生の無情さを強調するためだと思います。人生は道であるけれども、そこは細く、選択肢も有限である。そのような意味を「細道」という言葉に込めたのではないでしょうか。

 ただ、この曲は人生の無情さを歌うだけでなく、そんな無情な世界を生きる人間の力強さも、描き出しています。人を「獣」に置き換えているのは、道を飼いならされて歩くのではなく、力強く進む姿をあらわしているのでしょう。

 それでは、ここで確認したことを踏まえて、歌詞のつづきを考察していきましょう。

あたまとからだ

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

いつも通り お決まりの道に潜むでゐるあきのよる
着膨れして生き乍ら死んぢやあゐまいかとふと訝る

 1行目に、タイトルにも含まれている「道」というワードが出てきました。しかし、ここでは人生をあらわしているわけでなはく、もっと狭い範囲の意味。いつも通りになんとなく過ごしている様子を「道」と言っているのでしょう。

 2行目の「着膨れして」とは、身分やステータスを重視することを、意味しているのだと考えます。性格や価値観よりも、表層的なステータスを重視する現代社会を、風刺しているのではないでしょうか。

 2行目全体をまとめると「うわべばかり気にして、死んでいるように生きていないかと、ふと疑ってみる」といった意味でしょう。

 つづいて、1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

飼馴らしてゐるやうで飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を あたまとからだ、丸で食ひ違ふ
人間たる前の単に率直な感度を頼つてゐたいと思ふ

 上記Bメロの歌詞は、Aメロの歌詞を、さらに発展させた内容と言えます。Aメロでは価値観について記述され、最後は「ふと訝る」と疑問で終わっていました。

 Bメロでは、その疑問にこたえるように、語り手は自分自身の現状へと、切り込んでいきます。

 1行目から2行目前半は、自分自身の才能を飼いならしているようで、実は飼い殺しているのではないか、と疑問を呈する内容。

 Aメロの内容を考慮にいれると、うわべの評価を気にしすぎるあまり、自分の本当の能力を消してしまっているのではないか、ということでしょう。

 2行目のその後につづく「あたまとからだ、丸で食ひ違ふ」は、社会がもとめる価値観を頭で理解してしても、自分の感情がもとめるものとはまったく食い違う、という意味。

 「あたまとからだ」とは、「理性と感情」と言い換えても良いかもしれません。

 1番AメロとBメロの歌詞では、語り手の価値観および感情と、社会がもとめる価値観との相違が、描写されています。

本性は獣

 サビに入ると、今度は人間の本性について語られます。1番サビの歌詞を、以下に引用します。

さう本性は獣 丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所 大自然としていざ行かう

 1行目の「さう本性は獣」は、メロディー的にはサビのはじまりと言うより、Bメロの最後に位置しています。

 「さう本性は獣」とは、人間の本性は獣のようなもの。意味を補って訳すと、人間は理性を持っているが、動物的な衝動もまた持っている、ということでしょう。

 その後につづく「丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ」とは、社会的な価値観の基準にとらわれず、自分の思うように突っ走ろう、ということ。

 2行目の「こと切れる」とは、息が絶える、亡くなるという意味。そのため2行目全体では「命が終わるときまで、感情のままに生きよう」といった感じの意味になります。

 ここまで1番の歌詞では、社会にはいろいろな制約もあるが、自分の確固たる価値観を無くさずに生きよう!という、力強いメッセージが綴られています。

はじめての道

 1番の歌詞では、主に社会と自分、自分のあたまとからだの対立が描かれていました。

 2番に入ると、今度はより内省的な視点へと変わります。2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

そつと立ち入るはじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて安心してゐた昨日に恥ぢ入る

 1行目の「はじめての道」は、なにか新しい挑戦をする、新しい状況に身を置く、ぐらいの意味でしょう。

 2行目は、新たな環境のなかで、目立たぬよう周囲に合わせていたが、それを恥じている、という内容。

 「昨日」とありますが、文字どおりの昨日というよりも、もうすこし広い意味で、まわりに合わせていた自分の過去を指しているのでしょう。

 その後につづく、2番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

気遣つてゐるやうで気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
自己犠牲の振りして 御為倒しか、とんだかまとゝ
謙遜する前の単に率直な態度を誇つてゐたいと思ふ

 1行目は、Aメロの歌詞を考慮にいれて解釈すると、まわりを気づかっているようで、その態度によって、逆にまわりに気をつかわせている、あるいは向こうも自ずと気遣っている、そんな状況はいやだということでしょう。

 2行目も、1行目と共通する内容。「御為倒し」とは、「表面はいかにも相手のためであるかのようにいつわって、実際は自分の利益をはかること」という意味。

 「かまとゝ」(かまとと)とは、「知っているくせに知らないふりをすること」という意味です。

 以上の言葉の意味を踏まえて、2行目をまとめると、他者のために行動するふりをして、本当は自分の利益を考えている、ということです。

 3行目は、謙遜する態度よりも、もっと感情に基づいた態度を大切にしたい、ということ。

 前述のとおり1番の歌詞では、自分と社会の価値観の対立を描いていました。しかし、2番に入ると、自分の行動を見つめていることが、ここまでの考察でわかると思います。

 打算的な考え方を否定していますし、より人間の深いところに、切れ込んでいるとも言えるでしょう。

正体は獣

 心の深いところを覗き込む2番の歌詞。では、サビではどう展開するのか。

 2番サビの歌詞を、以下に引用します。

さう正体は獣 悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て
孤独とは言ひ換えりやあ自由 黙つて遠くへ行かう

 1番サビと同じく、まず「さう正体は獣」と、人間にも動物的なところはあるという宣言から始まります。

 「悴む」(かじかむ)とは、手が凍えて動きにくくなること。つまり「悴むだ命」とは、いろいろな困難によって、不自由になった命、あるいは人生という意味でしょう。

 「悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て」を意訳すると、いくら人生が凍えるような困難だったとしても、成し遂げた結果だけが重要、ということです。

 2行目は、この曲の歌詞のなかでは、比較的わかりやすい内容。文字どおりに読んでいくだけで大丈夫です。

 「孤独とは言ひ換えりやあ自由」は、解釈は迷いようがありません。しかし、より深く意味をとるなら、孤独は自由なんだから気にするな、というポジティヴなメッセージも含まれていると、考えられるでしょう。

 その後につづく「黙つて遠くへ行かう」は、孤独を気にせず、あるいは孤独に負けずに、先へ向かおうという意味です。

 1番サビでは、社会に屈せず獣のように生きよう!という力強いメッセージが記述されていました。それに対して2番サビは、おなじ獣というワードを使いながらも、伝わるメッセージは大きく異なります。

 前述のとおり、1番では社会の価値観にときにはあがなう、激しい存在として「獣」が使われていました。しかし2番では、人間のような社会的な存在ではなく、ひとつの独立した存在として「獣」が使われています。

 「人間」というワードは、「人の間」と書くところからも示唆されるとおり、それ自体に社会的な存在という意味合いが含まれています。

 2番サビでは、そのような社会的な生き物としての人ではなく、独立した存在としての人にフォーカスするため、「獣」がキーワードとして象徴的に使われている、というのが僕の仮説です。

 社会で生きる存在ではなく、感情をともなった自由な存在。そのような、人の一面にフォーカスするため、まわりに合わせることや孤独について、2番では歌われてきたのではないでしょうか。

曲のテーマ

 それでは、この曲がもっとも訴えたいことは何なのか。のこりの歌詞を確認しながら、検討していきましょう。

 2番サビ後に挿入されるCメロの歌詞を、以下に引用します。

本物か贋物かなんて無意味 能書きはまう結構です
幸か不幸かさへも勝敗さへも当人だけに意味が有る

 こちらも、この曲の歌詞のなかでは、わかりやすい部分と言えるでしょう。本物かニセモノか、幸か不幸か、そうした基準はすべて自分自身で決めればいい、という内容。

 言い換えれば、他人や社会の基準は気にしなくていい、ということです。

 間奏を挟んだあと、曲のラスト部分となるサビの歌詞を、以下に引用します。

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ
かなしみが覆ひ被さらうと抱きかゝへて行くまでさ
借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ
さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ

 順番に、ざっと解釈していきましょう。

 1行目は「わずかひとつばかりの命、どうせなら使い果たしましょう」。

 2行目は「もし悲しみが訪れても、抱きかかえて行けばいいのさ」。

 3行目は「借り物の命だけれど、厚かましいほど使い込んで返そう」。

 4行目は「飽くことなく人生を追求し、笑い飛ばそう。誰も通れないような自分の道をいこう」。

 補足が必要なところを、いくつか説明します。

 3行目の「借りものゝ命」は、この曲のテーマとも繋がるキーワード。この一節からは、語り手が「命」は一時的なものだと捉えていることが分かります。

 今、生きている姿は一時的なもので、やがて亡くなると宇宙や永遠に還る、そしてまた生まれ変わる、という仏教的な死生観とも繋がります。

 4行目の「誰も通れぬ程狭き道をゆけ」を、さきほどは「誰も通れないような自分の道をいこう」と訳しました。

 もうすこし説明すると、「道」というのは生き方や、人生そのものをあらわす、広い意味で使われていると考えられます。

 だから「誰も通れぬ程狭き道」とは、ほかの誰とも違う自分だけの生き方という意味。4行目後半をさらにカジュアルに訳すと、誰も真似できないほどオリジナルな、自分だけの行き方を貫こう、ということです。

 以上、これで歌詞のすべてを確認しました。人生の生き方が、この曲のテーマだと、明確になったのではないかと思います。

結論・まとめ

 結論に入りましょう。

 「獣ゆく細道」というタイトルがしめすとおり、この曲では人間を「獣」、人生を「細道」に例え、自分らしく人生を生きることを歌っています。

 そのメッセージは力強く、同時に内省的。「獣」という言葉を使ったのは、獣のように荒々しく、常識にとらわれずに生きること。そして、社会的な存在ではなく、独立した存在としての自分を見つめ直すこと。このふたつの意味を込めるためです。

 あんまり安直にこういう言葉は使いたくないのですが、こういう曲こそ「文学的」であると、声を大にして言いたいです。

 冒頭にも書いたとおり、僕はエレファントカシマシが大好きで、宮本さんのことも定期的に好きで好きでしょうがない時期が訪れるほど大好き!

 そんな宮本さんが、椎名林檎さんと共演するということで、ものすごくハードルを上げて期待していたのですが、想定をはるかに超える完成度の1曲です。これは自信を持って言えます!

 歌詞は旧仮名遣いが多く、ちょっと難解だなと思う方もいらっしゃるかと思います。このページが、すこしでもこの楽曲を楽しむうえで役に立ったなら、これ以上に嬉しいことはありません。

 本当にすばらしい曲ですので、じっくりと世界観にひたりながら、聴いてみてください。

 




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