DAOKO×米津玄師「打上花火」歌詞の意味考察 語り手の視線がつなぐ過去と現在


目次
イントロダクション
設定確認
語り手の視線
視線の向きはなにを示すか?
結論・まとめ

イントロダクション

 「打上花火」は、東京都出身のシンガーソングライター、DAOKOの2017年8月16日リリースの3rdシングル。

 作詞作曲は米津玄師。楽曲のプロュースとデュエットも米津玄師がつとめ、クレジットは「DAOKO×米津玄師」名義になっています。

 アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』主題歌。

 一言では言語化できない感情。そういう繊細な気持ちをあらわせるところが、音楽の魅力のひとつだと思うんですが、この「打上花火」もまさにそういった曲。

 淡い恋心が、刹那的な打上花火に照らし合わせ、語られています。

 言葉の使い方だけでなく、この曲の歌詞で巧妙なのは、視線の描き方。打上花火は基本的には上を見上げてみるものですけど、対比的に足元に視線を落とす描写も出てくるんです。

 というわけで、視線の行き先に注目しながら、この曲の歌詞を考察してみたいと思います。

設定確認

 まずは、登場人物や場所などの設定を確認しましょう。

 出てくるのは、語り手と「君」の2人。語り手が、過去に「君」といっしょに海で花火を見ていたときのことを、思い出しているのが歌詞の内容です。

 語り手は「僕」や「私」といった、代名詞を使いません。

 前述したとおり、この曲はDAOKOと米津玄師によるデュエット。そのため、途中で語り手が切り替わっているとも解釈できそうなのですが、ここでは語り手は固定のものとして、話をすすめます。

 語り手と「君」が、恋人関係なのか、あるいは片思いなのかはハッキリしませんが、「君」への思いが綴られていきます。

語り手の視線

 語り手がつづる「君」への思いが、歌詞の内容。

 淡い恋心らしきものが描写され、それ自体は歌のテーマとして、めずらしいものではありません。この曲で注目すべきか、語り手の視線。

 上を見るのか、下を見るのか、視線の動きがわかるように記述されているんです。

 例えば、歌い出しとなる1番のAメロ。ここでも早速、視線の向きをしめす言葉が綴られています。

 以下に引用します。

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿

 1行目では「見渡した渚」とあるので、海全体を見渡したのでしょう。レンジの広い視線と言えます。

 それに対して2行目では、より焦点が絞られています。

 「砂の上に刻んだ言葉」というのは、2人で砂浜になにか言葉を書きこんだのでしょう。視線は下を向いています。

 その後につづく「君の後ろ姿」。「君」の位置がわからないので確定はできませんが、砂浜を見るよりは、視線が上にあると考えられます。

 あるいは、言葉を刻んだ砂浜のそのさきに、「君」が立っているのかもしれません。

 いずれにしても、視線の動きが情報として盛り込まれています。

 そのあとのBメロでも、視線の動きを示唆する内容がつづきます。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く

 上記の引用部では、視線が足元に向かっているのかは分かりません。しかし、注意が足元の波に向かっているのは確かです。

 2行目に「夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く」とあるので、視線自体はぼんやりと目の前を見つめているのかもしれません。

 少なくとも、特定のなにかを凝視しているわけではないと考えられます。

 1番AメロとBメロの内容をまとめると、語り手は「君」といっしょに海にいたことを思い出しています。

 その際に、視線は渚、君の後ろ姿、日暮れへと移動。足元あるいは、その場全体を見渡していることが、分かりました。

 サビに入ると、タイトルにも入っている「花火」というワードが登場。

 1番サビの歌詞を、以下に引用します。

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

 語り手が見ているのは、打上花火。ということは、はっきりとは名言されませんが、視線は上を向いていると考えられます。

 あるいは海辺で花火を見ている状況なので、わざわざ意識的に視線を上に向けなくとも、自然に目に入るのかもしれません。

視線の向きはなにを示すか?

 さて、ここまで視線に注目しながら、歌詞を確認してきました。

 では、視線を描写することで、なにを意味しているのか。歌詞のなかで、、どう機能しているのか。検討してみましょう。

 「足元」や「花火」といった、視線の方向性を感じさせる言葉が、散りばめられていたのは事実。しかし、いずれの表現も、はっきりと焦点を合わせているのかは不明です。

 唯一、語り手が意識的に見ていると思われるのが「君の後ろ姿」。そもそも語り手は「君」のことを思い出しているわけで、これは当然とも言えるでしょう。

 この曲では、語り手が過去をふり返っています。そして、その過去の中心にいるのは「君」。

 過去をふり返ることを、写実的にあらわすため、視線の先にある情報が、断片的に示されている、というのが僕の考えです。

 あくまで、語り手が思い出しているのは「君」。そして、「君」といっしょにいた海、いっしょに見た花火を、順番にそのときの視点にそって、ふり返っているんです。

 「あの日見渡した渚」「砂の上に刻んだ言葉」など、視線の向きをあらわす描写が続くのはそのため。

 そのときに見た風景を、映像的に言葉にあらわしているのではないかと思います。

 2番に入ると、焦点はハッキリと「君」へと向けられます。2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音

 上記の引用部では、風景ではなく、「君」の言葉と、語り手の心情が語られています。

 1番では過去の風景を映像的にあらわし、2番に入ると本題である「君」への描写にうつる。歌詞は、そのような流れで構成されています。

 語り手の視線が、過去に「君」に抱いていた感情と、今でも「君」を思っている感情を、つないでいるとも言えます。

 感情を呼び起こすためのトリガーとして、当時の視線をとおして、過去の風景を写実的に語っているのだと、僕は解釈します。

結論・まとめ

 「目は口ほどに物を言う」という言葉がありますけど、この曲の歌詞では、語り手の視線の動きが、過去と感情をつなぐキーになっている、というのが僕の出した結論。

 歌詞の内容としては、語り手が「君」にまつわる感情を語っているのですが、写実的に描くことで、格段にリアリティを獲得しているのではないでしょうか。

 また、タイトルにもなっている「打上花火」。歌詞のなかで、2人はいっしょに花火を見ているわけですけど、夏の空に消えていく花火の刹那感が、過去の恋の切なさともリンクしていて、ますます表現が立体的になっています。

 具体的な風景を描きながら、抽象的な感情も、同時に描きだしている。この曲の歌詞の面白さは、そこにあると思います。

 ぜひ、映画を見るような気分で、イマジネーションを全開にしながら、この曲を聴いてみてください。

 




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