目次
・イントロダクション
・テーマと登場人物
・セブンティーン
・アンドロイド
・「幽霊船」が意味するもの
・結論・まとめ
イントロダクション
「ゴーゴー幽霊船」は、徳島県出身のシンガーソングライター、米津玄師の楽曲。2012年5月16日リリースの1stアルバム『diorama』(ジオラマ)に収録されています。作詞作曲は米津玄師。
いかにも米津玄師さんらしく、イマジナティヴな言葉が並ぶ歌詞。サウンド面でも、絶妙にタイミングと音程をハズしたギターのチョーキングが、壊れたバネのように響き、ポップさと実験性を併せ持っています。
「ゴーゴー幽霊船」というタイトルがまず個性的ですけど、言葉にも音にもアヴァンギャルドな部分を持った楽曲と言えます。
今日、とり上げたいのは、この曲の歌詞について。一聴すると、出てくるワードの多彩さに目が眩むような感覚に陥るんですけど、まったく支離滅裂なことを歌っているかというと、そうではありません。
イメージを繋いでいくと、あざやかに世界観が浮かび上がってくる、とても想像力をかき立てる歌詞なんです。
そこで本論では、歌詞の意味を考察し、僕なりの解釈をご紹介したいと思います。
テーマと登場人物
僕は結論から述べるのが好きなので、まず結論を先に言ってしまいます。
この曲は現代社会と、そこに生きる人々を描写。具体的には、悩みが尽きない現代社会と、その中で疲弊する人を、イマジナティヴな言葉の数々を使って、描き出しているんだと考えています。
また、「幽霊船」や「太陽系」といったワードも出てきて、輪廻転生をモチーフにしているのかな、と感じる部分もあります。
最初に、歌詞に出てくる人物を確認しましょう。
登場するのは「セブンティーン」と「アンドロイド」。語り手はアンドロイドで、「僕」という一人称代名詞を使っています。
なぜ一般的な代名詞ではなく、「セブンティーン」と「アンドロイド」という、印象に残るワードを選んだのか。
まずはそこから考えてみましょう。
セブンティーン
1番Aメロの歌詞は、4行で1ブロック。合計4ブロックで構成されています。
そしてブロック毎に、「セブンティーン」と「アンドロイド」が交互に記述されていきます。歌い出しとなる1ブロック目は「セブンティーン」。
まずは、彼女がどんな人物なのか。なぜ「セブンティーン」という名が与えられたのか、考えてみます。
1番Aメロの1ブロック目の歌詞を、以下に引用します。
ちょっと病弱なセブンティーン
枯れたインクとペンで絵を描いて
継いで接いでまたマザーグース
夜は何度も泣いてまた明日
一見すると、とくに「セブンティーン」の人間性につながる情報は、無いと思われるかもしれません。でも、じっくり検討していくと、多くの情報が含まれています。
2行目の「インクとペンで絵を描いて」からは、絵を描くのが好きな、感受性に優れた人物であることが分かります。
3行目も同様。「マザーグース」とは英語の伝承童謡のことで、それを「継いで接いで」ということは、文学への興味がある感受性の豊かさをあらわしているのでしょう。
1行目の「病弱な」、2行目の「枯れた」、4行目の「何度も泣いて」からは、「セブンティーン」という人物が、精神的に疲れていることを示しています。
最初の問いに戻り、なぜ「セブンティーン」と名づけられのか、考えてみましょう。
17才といえば、ちょうど大人と子供のはざまであり、もっとも多感な年齢と言ってもいいでしょう。
そのような多感さ、傷つきやすさを象徴するため、「セブンティーン」という名前が与えられた。というのが僕の仮説です。
では、次に「セブンティーン」が出てくる3ブロック目では、どのような展開を見せるのか。
1番Aメロの3ブロック目の歌詞を、以下に引用します。
ずっと病欠のセブンティーン
曇らないまま今日を空き缶に
空の雷管とペーパーバッグ
馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた
上記3ブロック目も、「セブンティーン」の人間性を語っていると言えます。
2行目の「曇らないまま今日を空き缶に」とは、具体的にはハッキリしませんが、心をふさがずに今日をやり過ごす、といった意味ではないかと思います。
3行目の「雷管」とは、わずかな熱や衝撃でも発火する火薬を筒に込めたもの。それが「空(くう)」だということは、中身は中空であるということでしょう。
つまり、「セブンティーン」は爆発するような感情を持っていないということ。しかし、わざわざ「雷管」というワードを使っているので、元から持っていないわけではなく、今は失われた状態であるということです。
その後に続く「ペーパーバッグ」、「馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた」も、同じように「セブンティーン」の空虚さをあらわす表現でしょう。
「セブンティーン」は多感な人物で、そのために日々の生活で消耗し、「病欠」状態になっている、と僕は考えます。
アンドロイド
つづいて、もう一人の登場人物「アンドロイド」がどのようなキャラクターか、検討していきましょう。
「アンドロイド」というのは、人型のロボットのこと。ということは、感受性ゆたかな「セブンティーン」とは、真逆の存在として描かれているのでは、と仮説を立てられます。
では、その仮説に基づいて、歌詞を考察しましょう。前述のとおり1番Aメロは、ブロックごとに「セブンティーン」と「アンドロイド」が語られていきます。
1番Aメロの2ブロック目の歌詞を、以下に引用します。
回る発条のアンドロイド
僕の声と頭はがらんどう
いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい
「回る発条(ぜんまい)」「声と頭はがらんどう」と記述され、「セブンティーン」とは違い、感受性を失った状態であることが想像できます。
「いつも最低な気分」ということは、意識的にアンドロイドのように、心を消して生きているのだとも考えられます。
4行目の「君」とは誰か。他に登場人物はいないので、「セブンティーン」だと解釈するのが自然でしょう。
意識的に「声と頭はがらんどう」にして日々を生きる「アンドロイド」。でも内心は、「セブンティーン」のように傷つきながらも、感受性を持った人物に憧れているということです。
つづいて、1番Aメロの4ブロック目の歌詞を、以下に引用します。
あいも変わらずにアンドロイド
君を本当の嘘で騙すんだ
僕は幽霊だ 本当さ
君の目には見えないだろうけど
ここでは「アンドロイド」が、「僕は幽霊だ」と言い始めています。これはどういう意味なのか。
アンドロイドは人工物。それに対して、幽霊は科学的に証明できないもの。すなわち、両者は対極的なものと言えます。
アンドロイドが、感情を排除し、歯車のように役割を果たす存在だとすると、幽霊はその逆。つまり、感情を持った存在だということ。
そして、感情のみを強調するために、「幽霊」というワードを選んでのではないかと思います。
また「幽霊」は亡くなった人の霊を意味しますから、感情ばかりを優先すると、現代社会では生きられない。というメッセージまで内包されているとも考えられます。
まとめると、傷つきながらも感受性ゆたかな「セブンティーン」。機械のように感情を排した「アンドロイド」。
しかし、実際は「アンドロイド」も感情を持っており、「セブンティーン」のような感情をともなった生活に憧れ、「僕は幽霊だ」と言っているのです。
「幽霊船」が意味するもの
つづいて考察したいのは、曲のタイトルにも入っている「幽霊船」という言葉。
この言葉は歌詞にも出てくるのですが、いったい何を意味しているのか。「アンドロイド」のところで考察したとおり、「幽霊」とは人間の感情をあらわしたワードだと考えられます。
ということは、「幽霊船」は人間の思いを積んだ船。すなわち地球、あるいは肉体ではなく観念のみが存在するあの世を、あらわしていると仮定できます。
後者の意味を取るならば、文字どおりの「幽霊船」ということですね。
実際に歌詞を確認してみましょう。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。
そんなこんなで歌っては
行進する幽霊船だ
善いも悪いもいよいよ無い
閑静な街を行く
上記引用部も抽象的で、一聴しただけでは具体的な意味はわかりません。でも、先ほどの仮説を念頭におくと、イメージがつながっていきます。
3行目の「善いも悪いもいよいよ無い」からは、現世ではなく、あの世をあらわしているように思われます。なぜなら、あの世では、現代社会にあるルールや常識は無いと考えられるからです。
次に2番Bメロの歌詞を、以下に引用します。
そんなこんなで歌っては
目を剥く幽霊船だ
前も後ろもいよいよ無い
なら全部忘れて
ワアワアワアワア
3行目の「前も後ろもいよいよ無い」は、先ほどの「善いも悪いもいよいよ無い」と同様、あの世を示唆する表現だと思います。
前後が無いということは、時間が消失したということ。つまり、現世ではなく、時間の存在しない別の世界だということです。
また「幽霊船」というワード以外にも、永遠やあの世を思わせる言葉が、散りばめられています。例えば、2番サビの「太陽系の奥へ進め」、間奏後のサビの「三千年の恨み放て」「修羅に墜ちて」など。
「ゴーゴー幽霊船」というタイトルが示唆するとおり、永遠や輪廻天生もあつかった曲だと言えるでしょう。
結論・まとめ
では、結局のところ「ゴーゴー幽霊船」はなにを描き、なにを伝えようとしている曲なのか。
「セブンティーン」と「アンドロイド」両者のキャラクターが示すとおり、現代社会において、感情のおもむくままに生きることの困難を描いています。
「セブンティーン」のように感受性をオープンにして傷つくか、「アンドロイド」のように心を消して、機械のように生きるしかないのです。
もし、自分の感情を全開にするなら「幽霊」になるしかない。「ゴーゴー幽霊船」は、このような社会の生きにくさを描写した曲だと、僕は考えています。
こんなふうに書くとネガティヴなようですけど、人間の強さとか怒りも同時に描かれているところが、この楽曲の魅力。
あくまで僕の解釈ですが、難解な歌詞であるのは確かだと思いますので、少しでも参考になれば幸いです。
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