目次
・イントロダクション
・タイトルの意味
・登場人物と時間設定
・語りの視点
・話者の切り替え
・「君はセゾン」の意味
・結論・なぜ「セゾン」を使ったか?
イントロダクション
「二人セゾン」は、2016年11月30日に発売された欅坂46の3枚目のシングル表題曲。作詞は秋元康。アルバム『真っ白なものは汚したくなる』にも収録されています。
語感は良いけど、タイトルを聞いただけでは具体的なイメージがつかみにくいこの曲。実際に楽曲を聴いてみると、想像力をかきたてる優れた歌詞でしたので、この曲の歌詞を分析・考察したいと思います。
タイトルの意味
タイトルになっている「二人セゾン」という言葉は、歌詞にも何回も出てきます。セゾン (saison)は、「季節」を意味するフランス語で、英語でいうseason (シーズン)にあたる言葉。洋菓子で「タルト・セゾン」といえば、「季節のタルト」という意味です。
あえてタイトルを日本語にするなら「二人の季節」といったところでしょう。では、どうして意味の通じやすい「二人の季節」や「二人シーズン」ではなく、「二人セゾン」というタイトルを採用したのでしょうか。
そのあたりを手掛かりに、この曲を読み解いていきたいと思います。
登場人物と時間設定
まず、歌詞の登場人物と、時間設定を確認しましょう。
歌詞に出てくるのは「君」と「僕」の2人。「僕」が「君」と出会い、それがきっかけで、変わっていく心情が歌われています。
では、歌詞の時間設定についてはどうでしょうか。この曲はサビから始まりますが、最初の連で時間設定を確認できる言葉が早速出てきます。
二人セゾン
二人セゾン
春夏(はるなつ)で恋をして
二人セゾン
二人セゾン
秋冬(あきふゆ)で去って行く
こちらの引用部からは、この曲が現在から過去を振り返っている、ということが想定されます。すなわち、今現在は、二人が出会い、そして別れた後だということです。
また、曲のタイトルであり、引用部でも何度も繰り返される「二人セゾン」という言葉が、春や秋のような具体的な季節ではなく、二人が一緒にいた期間のことをあらわしている、ということも読み取れると思います。
語りの視点
では、次に語りの視点を確認しましょう。語り手は基本的には「僕」です。「僕」の視点から、「君」のことを語るというのが基本構造ですが、いくつか巧妙な仕掛けも存在します。
その仕掛けについては後ほど取り上げることにして、まずは歌詞の流れに沿って、解釈をしていきたいと思います。
道端咲いてる雑草にも
名前があるなんて忘れてた
引用したのは、Aメロの歌い出し部分です。「僕」の変化がこの歌詞のテーマと言えるのですが、こちらの引用部からわかるのは、「君」と出会う前の「僕」は、雑草のことなど気にもとめないぐらい、感受性を失っている状態だということ。
しかし、そんな「僕」が「君」と出会うことによって、徐々にいきいきとした感受性を取り戻していくのが、歌詞の流れです。Aメロ2連目の歌詞を引用します。
誰かと話すのが面倒で
目を伏せて聴こえない振りしてた
君は突然
僕のイアホン外した
こちらの引用部でも、最初の2行は「僕」が心を閉ざしている、あまり精神状態が良くないということが強調されます。そして、続く2行では「君」と「僕」の出会いの瞬間が描写されています。
話者の切り替え
さて、ここで前述した歌詞の仕掛けが出てきます。先ほど引用したAメロまでは、常に「僕」の視点から語られていました。しかし、これ以降は「君」の視点も導入されます。その切り替えのスイッチとなるのが、先ほど引用したAメロに続く歌詞です。以下に引用します。
What did you say now?
突如として、英語のフレーズが挟まれます。このフレーズは、AメロとBメロの間のブリッジ部というべき場所に入っているのですが、どういう効果を狙ったものなのか、考察したいと思います。
この英語のフレーズを境に、その後に続くBメロの4行は「君」の視点からと思われる言葉になっています。それでは、この英語のフレーズは誰の言葉でしょうか。
おそらく、このフレーズの発言者は「僕」です。しかし、語りの質が異なっていて、それまでは自分の感情を心の中で語っていましたが、この部分は実際に「君」に向かって声に出した内容ではないかと思います。
イヤホンを外されて戸惑った「僕」が、「君」の発言内容を確認して思わず口にしたのが、この英語のフレーズの部分です。もちろん、実際には日本語で「今、なんて言ったの?」と聞いたのでしょう。
しかし、他の部分との差異を際立たせるため、また話者を切り替えるスイッチの役目を与えるために、わざわざ英語にしてリスナーの注意を引きつけようとしたのではないか、というのが僕の仮説です。
その後に続く「太陽が戻ってくるまでに」から始まるBメロの4行は、「君」が「僕」に対して言った言葉だと考えられます。「今、なんて言ったの?」と聞く「僕」に対して、「君」が言葉を返した、ということです。
そして、曲はサビへと至ります。
「君はセゾン」の意味
冒頭のサビでは「二人セゾン」という言葉が繰り返し出てきましたが、今度は「君はセゾン」という言葉に置き換えられています。これはどういった意味でしょうか。
Aメロの歌詞で明らかになったのは、どうやら「僕」が心を閉ざしがちで、感受性も乏しくなっているということです。そのため、道端の雑草を思うことも、そうしたちょっとした自然から季節を感じることもできません。
しかし「君」と出会ったことで、「僕」は季節を感じる心を手にします。2番以降の歌詞では、徐々に「僕」が変わっていった様子が描写されていきます。
「君」と出会うまでは、季節を感じることができなかった「僕」。でも「君」との出会いがきっかけとなって、季節を感じられる心を得ます。そのため、季節を与えてくれた「君」のことを、セゾンと表現しているのではないかと思います。
言い換えれば「君」に出会うまでは、「僕」には季節は存在していなかったということです。この曲の最後の部分は「僕もセゾン」という言葉で結ばれています。これは「僕」も、季節を感じる繊細な感受性を持てるようになった、ということではないでしょうか。
結論・なぜ「セゾン」を使ったか?
最後に、なぜこの曲は「季節」や「シーズン」ではなく、わざわざフランス語の「セゾン」という言葉を使用したのか、その理由を考察したいと思います。
単純に語感がいい、英語よりも少し距離感のあるフランス語はロマンティックに響く、ということもあろうかと思います。仮に「二人の季節」、「二人シーズン」などというタイトルだったら、ここまで想像力をかきたてる楽曲にはならなかったのではないかと思います。
また「セゾン」という言葉は、セゾングループを連想させます。欅坂46には「渋谷からPARCOが消えた日」という楽曲もありますが、セゾングループとはパルコ等を展開した企業グループです。
セゾンという言葉は、パルコをはじめとした都市文化を象徴しており、「二人セゾン」は都市の中での孤独や、感受性の欠如を歌った曲なのではないか、とも思います。
この曲のなかの「僕」は、「誰かと話すのが面倒で」「見えないバリア張った別世界」という歌詞からも示唆されるように、人間関係に疲れているようにも思えます。
また「僕」は「君」との出会いによって、季節を感じるようになるのですが、この曲で描写されるのは「道端咲いてる雑草」「街を吹き抜ける風の中」など、あくまで都市の景観です。
かつては人間関係に疲れ、雑草や吹き抜ける風に何も感じることのなかった「僕」が、「君」と出会うことによって、雑草や風の変化にも敏感になり、「花のない桜を見上げて 満開の日を」想うようになります。
つまりこの曲は、都市生活のなかで季節を失った「僕」が、季節を取り戻す歌だということです。そして、季節を失った原因は人間関係にあるのですが、季節を取り戻してくれるのもまた人間です。
以上のように「二人セゾン」という曲は、都市文化のなか、特に人間関係における憂鬱と希望をともに描いている1曲と言えるのではないでしょうか。
ちょっと真面目に語ってきましたけど、この曲とにかく大好きです!
楽曲レビュー一覧へ移動