欅坂46「制服と太陽」歌詞の意味考察 「制服」と「太陽」が表象するもの


目次
イントロダクション
歌詞の場面設定
「制服」と「太陽」が意味するもの
「私」の心情の変化
「私」の決断
結論・まとめ

イントロダクション

 「制服と太陽」は、日本の女性アイドルグループ欅坂46の楽曲。作詞は秋元康。

 2016年11月30日発売のシングル『二人セゾン』、2017年7月19日発売のアルバム『真っ白なものは汚したくなる』に収録されています。

 「制服と太陽」と題されたこの曲。イソップ寓話のひとつに「北風と太陽」という話がありますし、この曲も「制服」と「太陽」が、対立する価値観をあらわすのだと、なんとなく想像して聴き始めました。結論から言うと、その予想の半分はアタリで、半分はハズレ。

 それぞれ異なる価値観をあらわしてはいるのですが、単純に「大人VS子供」「常識VS自由」という対立を歌っているかというと、違いました。そうした二項対立ではなく、若者らしいモヤモヤした感情にフォーカスされた楽曲だったんです。

 個人的に欅坂46には、デビューシングル「サイレントマジョリティー」における鮮烈な反抗のイメージを持っていて、「制服と太陽」も自由になるために大人と戦う曲、この支配からの卒業を歌った曲だと思っていたんですよね。しかし実際には、まわりの常識と自分の価値観の間で、揺れ動く気持ちが描写されています。

 価値観の対立はあるのですが、直接対決ではなく、しなやかにすり抜けていく様子が描かれています。ただ単に大人に反抗するのではなく、ゆるやかに疑問を呈しつつ、自分の感情に従う、というところが、なんとも現代的な語りの手法だと思うんですよね。

 そんなわけでこのページでは、「制服と太陽」の歌詞について、僕なりの解釈を記述していきます。

歌詞の場面設定

 まず、曲のタイトルになっていて、歌詞にも出てくる「制服」と「太陽」という言葉について。この二つの言葉が、それぞれ何を表象しているのか、確認しましょう。

 と、言いたいところですが、これらの言葉が出てくるのはサビに入ってから。歌詞に沿って、順番に話を進めた方がわかりやすいので、まずはAメロの歌詞から、場面設定と登場人物を確認します。

 歌い出し部分の歌詞を、以下に引用します。

いつもの教室に親と教師と私
重苦しい進路相談のその時間
大学へ行くか?
やりたいことはあるか?
今ここで決めなきゃいけないのかなあ

 引用部から、多くの具体的な情報が提供されました。まず、登場人物は「親」と「教師」と「私」の3人。進路相談のために、教室に三者が集まっています。いわゆる三者面談ですね。

 語りの視点は「私」。この曲は「私」の心の声を、綴ったものなのでしょう。「大学へ行くか?」「やりたいことはあるか?」と、クエスチョンマークがついて質問になっている言葉は、他の部分と口調が異なるため、それぞれ親と教師が発したものと解釈できます。

 他の部分が「私」の思ったことを記述しているのに対し、これらの質問文は、親と教師が発した言葉を、「私」が直接話法で記述した形になっています。そのことを強調するために、クエスチョンマークを付けたのでしょう。

 そして、引用部の最後の1行では、「私」自身の言葉に戻っています。また「大学へ行くか?」という言葉からは、「私」が高校生であることも明らかになります。

「制服」と「太陽」が意味するもの

 続くBメロでは、窓の外を鳥が飛んでいく様子が描写されています。三者面談の場で、窓の外を見つめながら、大人に未来を問い詰められ束縛される自分と、自由に空を飛んでいく鳥を、対比的に感じているのでしょう。

 その後、サビに入ると、タイトルになっている「制服」と「太陽」が出てきます。この曲は、サビのメロディーが2段階になっているので、「制服は太陽の匂いがする」から始まる部分をAサビ、「心の光」から始まる部分をBサビと、これ以降は表現させていただきます。

 では、Aサビの前半部分を以下に引用します。

制服は太陽の匂いがする
スカートは風に広がる
何十回 何百回 校庭を走り回り
自由な日々 過ごして来た

 さて、それでは「制服」と「太陽」は、それぞれ何をあらわしているのでしょうか。2番の歌詞に出てくるため後述しますが、「制服」は明らかに学校および校則を象徴するものです。大人側のルールと、言い換えても良いでしょう。

 一方の「太陽」は、Bメロで鳥を眺めていた時の心情とも繋がり、窓の外の世界、校則のない自由な世界を象徴しているように読めます。

 学校という閉じられた世界とルールを象徴する「制服」と、自由な外の世界を象徴する「太陽」。やはり、この二つの言葉は、コントラストをなす組み合わせだと、仮定しておきましょう。

 しかし、上記の意味を代入して歌詞を読み解くと、違和感が残ることに気づきます。「制服」から「太陽」の匂いがするとは、どういうことだろう? 「学校から自由の匂いがする」と解釈すると、これまでの歌詞と矛盾が生じますし、意味が分かりません。

 ひとまず解釈を保留し、歌詞の続きを見てみましょう。そこには「校庭を走り回り 自由な日々 過ごして来た」という言葉が続きます。

 「制服」が、社会のルールの象徴であるのは、おそらくその通り。入学当初は、制服を着ること、つまりルールに従うことに疑問を感じていなかったのに、学校生活を送る中で、ルールに疑問を持ち、自由を求める意識に目覚めた。そのような心情の変化を、「制服は太陽の匂いがする」という言葉で表現している、というのが僕の考えです。

 では、ここからは以上の仮定に基づいて、歌詞の続きを読んでいきます。

「私」の心情の変化

 今まではルールに従順だった「私」。しかし、進路を決める段階になって、初めて自分の意志を出し始めます。Aサビの最後の2行を引用します。

生き方なんて誰からも指導されなくたって
運命が選び始める

 進路を問いただす「親」と「教師」に対し、「私」は運命が決めてくれる、と考えています。ここで興味深いのは、直接的に反抗するのではなく、「こうしたい!」という強い希望を持っているわけでもなく、どちらかと言うと「なるようになるさ」という力の抜けた態度であること。

 さらにBサビでは、以下の歌詞が続きます。

心の光
感じるまま
自分で決める

 ここで初めて「私」の意思表示がなされています。前述したように、具体的に何がしたいという意思表示ではなく、自分の未来は自分で決めたい、という意思表示です。

 2番に入ると、1番で語られた内容が、さらに展開していきます。まず、2番のAメロの歌詞を引用しましょう。

就職をするか?
何もしないつもりか?
人生をみんなに問い詰められてる

 1番のAメロと同様、1行目と2行目は親と教師の言葉、そして3行目は「私」の心情、という構造になっています。また、2番でも引き続き、舞台は教室での進路相談であることが分かります。

 Bメロでは「何を言っても絶対 理解してはくれない」と「私」の心の声が記述され、サビに入ります。以下、Aサビの最初の2行を引用します。

制服を脱ぎ捨てて大人になる
校則のない世界へ

 引用部から、やはり「制服」は、校則やルールの象徴であると確認できました。さらに、この部分では「制服と太陽」という曲が、単純な対立関係を歌ってはいないことが、再び強調されます。

 「大人」が校則を作る側の仮想敵ではなく、校則のない世界へ身を置くことが「大人になる」ことだと表現されています。上記の引用部からは、大人への反抗と対立が、この曲のテーマではないということが分かるでしょう。

 続いて、2番のBサビ後半部を引用します。

傷つき挫(くじ)けながら
歩き方を覚えるもの
転ぶ前にそう初めから手を差し伸べられたら
いつまでも強くなれない

 この引用部では、親と教師のアドバイスが、決して反抗の対象というわけではなく、最初から助言どおりに道を決めていては、自分のためにならない、という心情が綴られています。

 三者面談の場で、親と教師の言葉に対して、違和感を覚えている「私」。しかし、決して彼らの言葉への単純な反発を表明するのではなく、なんとなく納得がいかないモヤモヤした感情から、徐々に自分の意志を決める「私」の変化が、この曲のテーマです。

「私」の決断

 では、最終的に「私」は、どのような決断を下したのか。最後のBサビ部分を引用します。

話の途中
席を立って
教室出よう

 「私」は三者面談の場で、ついに席を立って、教室を飛び出します。校則のある3年間を経て、自分で道を決定する重要さを学び、それを実行した瞬間。歌詞としては、ここがクライマックスだと言っていいでしょう。

 親と教師に対して、ハッキリと反論するのではなく、なんの説明もなしに、いきなり行動に移すところが、なんとも現代的ですね。

 ただ、何も考えていないわけではなく、自分なりに思考を重ねて達した結論であることが、歌詞では語られています。

結論・まとめ

 まとめると、タイトルに用いられている「制服」と「太陽」は、それぞれ校則と自由を象徴しています。しかし、ふたつの価値観を単純に対立させるのではなく、語り手である「私」の感情の動きに焦点を合わせている、というのが、この歌詞の特徴。

 サビの「制服は太陽の匂いがする」という一節も、深読みが可能で、おもしろい言いまわしですよね。洗濯物を日光があたる場所に干すと、太陽の匂いがつくことがありますけど、この曲でも校庭を走り回ることで、制服に太陽の匂いがついた、とも解釈できます。

 もちろん、これは一種の比喩表現で、校則のある学校という場で過ごしているうちに、校則を無条件に受け入れるのではなく、自分の意志で物事を決定することを学んだ、ということを表しているのでしょう。

 ピアノをフィーチャーしたアレンジと、ユニゾンによる合唱風のボーカルも、学校感を演出していて、なんとも青春を感じる楽曲です。

 好きか嫌いかは別にして、秋元康という人は、時代や世代を意識した歌詞を書く人ですね。現在、彼が手がけるアイドル・グループの楽曲は、現代の若者の価値観に迎合したものが多数を占めます。

 学校や大人を敵視するのではなく、なんか違うと感じつつ、最後には教室を飛び出しちゃうところとか、現代版の尾崎豊「卒業」だなぁ、と個人的には思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。

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