目次
・イントロダクション
・アンバランス
・どうぶつさんたち
・メッセージ
・結論・まとめ
イントロダクション
「感情のピクセル」は、兵庫県西宮市生まれ、京都府宇治市出身のシンガーソングライター、岡崎体育の楽曲。2017年6月14日リリースの2ndアルバム『XXL』に収録されています。作詞作曲は岡崎体育。
『XXL』のリード・トラックとして、ミュージック・ビデオも制作されたこの曲。ミュージック・ビデオと歌詞の内容、サウンドとのアンバランスが話題を呼びました。
曲調とサウンドは、メロコアあるいはポスト・ハードコアを彷彿とさせる、基本的にはシリアスでハードなもの。しかし、そんな曲調とは不釣り合いに、歌詞がぶっ飛んでいるのです。
歌詞にはブタさんやウサギさんをはじめ、複数の動物が登場。それに準じて、ミュージック・ビデオにも、動物の着ぐるみが出てきます。
内容としては、動物たちが「みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん おなかぽんぽんぽんのやっほー」しているのですが、ワニさんだけが仲間に入れてもらえません。
なぜ、ワニさんだけ仲間ハズレなのか。そして、それが何をあらわすメッセージなのか。
一聴すると、ふざけているように思える「感情のピクセル」。先に結論を述べてしまうと、この曲はふざけているようでありながら、真面目なメッセージを有している、と僕は考えています。
では、上記2点に注目しながら、「感情のピクセル」の歌詞を意味を考察してみます。
アンバランス
まずは、楽曲全体の構造を確認しておきましょう。
サウンドと歌詞がアンバランスであることは、先ほど指摘しました。このアンバランスが、言ってみればボケであり、楽曲を聴いた人が、話のネタにするであろう部分でもあります。
サウンドはシリアスなメロコア風でありながら、歌詞では動物さんがわいわい。この部分がアンバランスであるのも、前述したとおりです。
さらに歌詞をよく見てみると、歌詞自体も2層構造になっていることが分かります。Aメロ・Bメロはサウンドに対応したメロコア風のものでありながら、サビに入ると一変して動物さんが大集合するのです。
つまり、サウンドと歌詞の不一致のみならず、歌詞のみに注目しても、振れ幅が大きくアンバランスであるということ。フリとオチの関係にあると言ってもいいでしょう。
実際に歌詞を確認してみましょう。1番のサビ前までの歌詞を、以下に引用します。
重ねた手のひら 風の色はもう見えなくなる
怯えて震える身体を焼き尽くしていく
もう何もかも信じたくはない
I don’t believe it anymore cause I feel sad
記憶を辿ったって何も変わらないよ
上記引用部には、何もおかしいところはありません。いかにも、メロコアやスクリーモの歌詞にありそうな内容とも言えます。
しかしながら、前述のとおりサビに入ると、歌詞の質が一変。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。
どうぶつさんたちだいしゅうごうだ わいわい
おいでよブタさん ウサギさん キツネさんにゾウさん
みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん
おなかぽんぽんぽんのやっほー
チーターさんはかけっこじゃまけないぞ
過去を消し去るように疾走れ Don’t give a fxxk with me
まず気がつくのは、大半がひらがなで記載されていること。内容も、子供向け番組の歌のように、動物さんたちが「うんぱっぱのぶんぶん」しています。
サビ前までの歌詞と比べるまでもなく、まったく質の異なる内容となっています。
まとめると、サビ前までのシリアスな通常パートと、サビでの動物パート。質の異なる2種類の歌詞が、交互に訪れる構造となっています。
そして、歌詞の内容と対応して、ミュージック・ビデオも通常パートと動物パートで質の異なる構成。
このようなコントラストのはっきりした構造は、フリとオチの関係になり、笑いの要素を引き立てる結果となっています。
どうぶつさんたち
次に、この曲に出てくる動物たちを確認しましょう。登場するのは以下の6種。
ブタさん、ウサギさん、キツネさん、ゾウさん、チーターさん、ワニさん
先ほど引用した、1番のサビに出てくるのは、最初の5種類。前述したとおり「みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん」しています。
それに対して、2番のサビに出てくるのはワニさんのみ。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。
どうぶつさんたちだいしゅうごうだ わいわい
おいでよ ワニさんもなかまにいれてあげて
みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん
おなかぽんぽんぽんのやっほー
ワニさんもなかまにいれてあげて
ワニさんもなかまにいれてあげて
1番では5種類の動物が登場し、みんなでわいわいしていたのに対して、2番では「ワニさんもなかまにいれてあげて」と、繰り返し記述されています。
ミュージック・ビデオの内容を整理すると、1番に出てくるのはワニさんを除いた5種。しかし、チーターさんは走り去っていくだけです。
2番に出てくるのは、今度はチーターさんを除いた5種。そして、ワニさん以外の4種は一緒にいるのですが、ワニさんはポツンと離れた場所にいます。
なぜ、ワニさんだけ仲間ハズレにされてしまうのか。チーターさんも2番には登場せず、ワニさんと同じく、他の4種とは扱いが違います。
そのため、最初は両者の共通点を探し、ワニさんとチーターさんは肉食のために、仲間ハズレなのではないか、という仮説を立てました。
しかし、歌詞の中にそれよりも確定的な情報が提示されており、考えを改めました。間奏後に挿入される、Cメロの歌詞を以下に引用します。
分かち合えない 生き物としてのカテゴライズの壁
乾いた果実も一度乾くともう戻れない
「生き物としてのカテゴライズの壁」とあるとおり、ワニさんと他の動物たちと違いは、生物学的な種類。すなわち、ワニさんが爬虫類であるのに対して、他の5種はみんな哺乳類なのです。
引用部2行目の「乾いた果実も一度乾くともう戻れない」も、ワニさんが爬虫類であることを、強調する一節だと考えられます。
ワニは水中生活に適応し、水場に生息する動物であり、水のない陸地では生活できません。つまり「果実」はワニを例え、彼らが陸では生きていけない生物だと、言っているのです。
また、先ほどはワニさんとチーターさんには肉食動物という共通点があるため、チーターさんも仲間ハズレなのではないか、という仮説を立てました。
しかし、チーターさんも哺乳類。仲間ハズレではありません。
ミュージック・ビデオにおいて、1番では走り去るだけ。2番には登場しないのですが、曲の最後は、チーターさんの走る姿で締めくくられています。
歌詞にも、チーターさんの仲間ハズレを示唆する部分はありませんし、おそらく「かけっこ」が好きなだけなのでしょう。
ミュージック・ビデオにはあまり出てこないものの、常にポツンといるワニさんとは、質が異なります。
メッセージ
最後に「感情のピクセル」が伝えるメッセージについて考察します。
ここまでの考察だと、どうぶつさんたちはわいわいし、ただワニさんが仲間ハズレになっただけ。表層ではそうなのですが、この曲の深層にはもっと別のメッセージが隠されていると考えます。
まず、タイトルの「感情のピクセル」について、検討しましょう。
ピクセル(pixel)とは画素とも言い、コンピュータで画像を扱うときの最小単位。つまり「感情のピクセル」とは、「感情の最小単位」を意味します。
この曲では、他の動物たちがワニさんを仲間ハズレにしています。その理由は、生き物としてのカテゴライズが違うため。カテゴライズが違うために排除するのは、差別的な行為とも言えます。
「感情のピクセル」とは、本人の意識にも上がらないぐらいの細かい感情。上記のような、無意識な差別意識などを指しているのではないでしょうか。
さらに最後を締める歌詞には、この曲のメッセージを集約したと思われる言葉が、並んでいます。ラスト3行の歌詞を、以下に引用します。
さすがに気の毒になってくる
思いやりという名の道徳的価値の再認識
ワニさんもなかまにいれてあげて
上記引用部には、カテゴリーが違うという理由だけで排除せず、ワニさんも仲間に入れてあげよう。他者を受け入れる、思いやりの心を持とう、という内容が記述されています。
「感情のピクセル」という言葉も示唆するとおり、「嬉しい」や「悲しい」のように認識されない、差別意識等をなくそう、というのが、この曲が放つメッセージなのではないか、と僕は思います。
結論・まとめ
以上、岡崎体育さんの「感情のピクセル」を、ワニさんがなぜ仲間に入れてもらえないのか、という点に注目し、読みといてきました。
僕の出した結論としては、表層では動物さんたちが集合する、おどけた歌詞でありながら、深層には思いやりの気持ちを大切にしよう、というシリアスなメッセージを隠し持った楽曲です。
派手な衣装と化粧をしたコメディアンを、「道化」あるいは「道化師」と呼びます。
彼らはバカなことを言い、笑いをとる存在なのですが、バカと思われているがために、常人なら発言できない、尖った風刺をおこなうことができる一面があります。
「感情のピクセル」に限らず、岡崎体育さんの楽曲を聴いて感じるのは、彼には道化的な一面があるなという点。
まわりにはバカなことをやっていると思わせておいて、実は社会常識や音楽ジャンルに切れ込んだ、鋭いメッセージを隠し持っているなと思います。
もちろん、その要素は「感情のピクセル」にも色濃く出ている、というのが僕の考えです。
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