目次
・イントロダクション
・不協和音
・人間関係
・「僕は嫌だ」と叫ぶ理由
・なぜ「僕」は同調しない?
・結論・まとめ
イントロダクション
「不協和音」は、アイドルグループ欅坂46の4作目のシングル。2017年4月5日にリリース。作詞は秋元康。
2017年7月19日リリースの1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』にも、収録されています。
音楽用語としての「不協和音」は、ざっくり言えばキレイに響かない和音のこと。でも、この曲が不協和音を多用した実験的な曲であるかというと、そうではありません。
僕がこの曲を聴いて、最初に気になったのがそこです。なぜ音楽的には不協和音を使っているわけではないのに、「不協和音」というタイトルなんだろう。
さらに、歌詞には「僕は嫌だ!」と叫ぶパートがあります。僕自身もそうだったけど、おそらく多くの人の耳に引っかかる部分でしょう。歌詞のハイライトとも言えるパートです。
そこで本論では、この曲のタイトルがなぜ「不協和音」なのか。「僕は嫌だ」と叫ぶ理由はなにか、の2点に注目して、この曲の歌詞を読みといてみたいと思います。
不協和音
まず、タイトルの「不協和音」について。前述したとおり、音楽的な意味で使われているわけではありません。
じゃあ、なにをあらわしているのか。結論から言ってしまうと、人間関係における不協和をあらわすために、「不協和音」というワードが使われています。
和音というのは異なる音程の複数の音が、調和して響くこと。ギターでコードを弾いたときの「ジャーン」っていう、心地よい響きのことです。
異なる音がいくつか集まって、コードを構成するわけですけど、その中にひとつでも好ましくない音が入っていると、途端に気持ち悪い響きになってしまいます。これが不協和音。
では、これを人間関係に置き換えてみましょう。複数の人が集まって議論しているなかで、1人でも同調しない者がいると、その場全体が険悪な雰囲気になってしまう、ということ。
そして「不協和音」という楽曲は、このような不協和な人間関係を描いている、というのが僕の考えです。
人間関係
それでは、この曲には誰が出てきて、どのような人間関係が描かれるのか。確認していきましょう。
まず、登場人物は語り手である「僕」。他には「君」という代名詞も出てきますが、どうやら君以外にも複数の人がいて、議論をしている場面のようです。
そして、「僕」だけが他のメンバーと意見を違える存在。「僕」一人のせいで、不協和音的な状況となっています。
歌い出しとなる、1番のAメロの歌詞を見てみましょう。以下に引用します。
僕はYesと言わない
首を縦に振らない
まわりの誰もが頷いたとしても
僕はYesと言わない
絶対 沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける
具体的な状況はわからないものの、「僕」はかたくなに抵抗しています。
その後に続くBメロでは、「僕」の心情がより詳しく語られます。以下に引用します。
叫びを押し殺す (Oh!Oh!Oh!)
見えない壁ができてた (Oh!Oh!)
ここで同調しなきゃ裏切り者か
仲間からも撃たれると思わなかった
Oh!Oh!
4行目に「仲間から」とあるとおり、敵対する者同士の議論ではなく、あくまで同じグループ内での議論であることが分かります。
そんななかで、他のメンバーたちの意見に賛同できない「僕」。Aメロには「絶対 沈黙しない」とありましたが、Bメロ1行目には「叫びを押し殺す」とあります。
つまり、決して自分の意見は変えないけれども、ことを荒げるような発言も謹んでいるようです。
しかし、上記3行目と4行目にあるとおり、仲間たちから裏切り者あつかいされ、強い反対意見を受けているようです。
「撃たれる」という言葉は、銃で撃たれるとも取れますけど、信頼していたメンバーからも反論を受ける、ぐらいの意味でしょう。
「僕は嫌だ」と叫ぶ理由
グループ内で孤立していると思われる「僕」。サビに入る直前に、例の「僕は嫌だ」という叫びが入ります。
なぜ「僕は嫌だ」と叫んだのか。ここまでの歌詞の流れを見れば、その理由は明白です。
グループ内で異なった意見を持つ「僕」。ここまで、首を縦には振らないものの、叫びを押し殺してきました。
しかし、裏切り者あつかいされ、反論を受けるなかで、ついに自分の感情を抑えることができなくなったのでしょう。
決して自分の意見を変えない!という強い思いが、「僕は嫌だ」という叫びになって、表出したということです。
そのため、AメロとBメロでは抑え気味だった「僕」の言葉が、サビではよりストレートに記述されます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。
不協和音を
僕は恐れたりしない
嫌われたって
僕には僕の正義があるんだ
殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら
僕を倒してから行けよ!
AメロおよびBメロでは、「首を縦に振らない」「Yesと言わない」と記述されるだけで、「僕」の具体的な言葉が出てきませんでした。
しかし上記サビでは、「僕を倒してから行けよ!」とアグレッシヴな言葉が登場。サビ前の「僕は嫌だ」という叫びから、堰を切ったように「僕」の感情が、言葉として溢れ出ていることが分かります。
なぜ「僕」は同調しない?
さて、「僕」が強い意志をもった人であることは分かりました。でも、どうしてそこまでして自分の意見を変えたくないのか。
議論の内容は出てこないので、具体的にどういう意見の相違なのかは分かりません。
しかし、「僕」が意見を曖昧にしない理由が、2番のサビ以降に記述されます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。
不協和音で
既成概念を壊せ!
みんな揃って
同じ意見だけではおかしいだろう
意思を貫け!
ここで主張を曲げたら生きてる価値ない
欺(あざむ)きたいなら
僕を抹殺してから行け!
先述したとおり、この曲では人間関係が、音楽用語の不協和音に例えられ、描写されています。
仲間たちで議論しているなかで、意見が違うのは「僕」ただ一人。つまり「僕」さえいなければ、美しいハーモニーになるはずなのに、「僕」のせいでその場が不協和音になっているということです。
上記の引用部では、そもそも全員が「同じ意見だけ」の方がおかしく、むりやり主張を変えるぐらいだったら「生きてる価値ない」とまで言い切る、「僕」の強い言葉が綴られます。
「僕」は、主張を変えるぐらいだったら、不協和音のままでよい。むしろ、意見をぶつけ合うことで「既成概念を壊せ!」という思想を持っているということ。
2番のサビのあとに挿入されるCメロでは、「僕」の考え方がより詳細に語られます。以下に引用します。
ああ 調和だけじゃ危険だ
ああ まさか 自由はいけないことか
人はそれぞれバラバラだ
何か乱すことで気づく
もっと新しい世界
1行目の「調和だけじゃ危険だ」。これは「僕」の思想を、端的にあらわした一節と言えるでしょう。
なあなあで同じ意見だということにしておく方が危険であり、お互いの意見を戦わせて、新しい価値観を生み出すべきだ。「僕」はそう考え、そのために頑なに意見を曲げず、「僕は嫌だ」と叫ぶのです。
結論・まとめ
ここまでの考察と解釈を、まとめましょう。この曲は意見の不一致を、不協和音に例え、描写しています。
新しいことを生み出すためには、衝突はつきもの。そう考える「僕」は、むりやり他者の意見に合わせることはなく、不協和音もいといません。
そのため、どんなにまわりに抑えつけられようとも「僕は嫌だ!」と叫んで、拒絶します。
テーマとしては、意見をぶつけ合うことの重要性を扱っているんでしょう。面白いのはやはり、音楽用語の「不協和音」を、モチーフに使っているところですね。
「不協和音で既成概念を壊せ!」という歌詞が出てきますけど、確かに音楽も決まりきったハーモニーとコード進行だけでは、マンネリ化してつまらなくなります。
それに、協和か不協和かを決める基準は、慣れによるところも大きく、不協和音の基準は、時代や文化圏によって異なります。
もう少し、楽曲の実験性を濃くしていても、面白かったんじゃないかな。例えば「僕は嫌だ!」の前後で、本当に耳障りな不協和音を入れるだとか。
せっかく「不協和音」というタイトルなので、そんなことも個人的には妄想しています。
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