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サンボマスター「ラブソング」は最高のラブソング


目次
イントロダクション
ラブソングとは何か?
「僕」の心情
歌詞の文学性
「ラブソング」は最高のラブソング

イントロダクション

 「ラブソング」は、2009年11月18日に発売されたサンボマスター13枚目のシングル。2010年発売の5thアルバム『きみのためにつよくなりたい』にも収録されています。作詞作曲は山口隆。

 「ラブソング」というストレートとしか言えないタイトル。その名のとおり愛に溢れた曲です。愛をテーマにした歌という意味では、この曲は間違いなくラブソングと言えます。でも、一般的なラブソングの構造とは、少し変わった歌でもあると思います。

ラブソングとは何か?

 まずラブソングの定義とはなんでしょうか? 定義と言うと、堅苦しい感じになってしまいますが、基本的には「恋や愛をテーマにした歌」ということでしょう。

 特に、家族愛や友人間の愛情ではなく、恋愛関係のことを歌っている、というのもラブソングの特徴と言っていいと思います。

 では、サンボマスターの「ラブソング」は、どのような内容を歌っているでしょうか。歌詞に出てくるのは「僕」と「君」の二人。「僕」が「君」に対しての思いを語る、というのがこの曲の基本構造です。

 しかし、歌詞を聴いているとすぐに気がつくのは、「僕」が「君」とは会えない状況にあるということ。しかも、もう二度と会うことができないという事実が、歌詞のいたるところで示唆されています。例えば、2連目の歌詞。

神様って人が君を連れ去って 二度とは逢えないと僕に言う

 こちらの引用部からは、端的に「君」がもう会えない存在になってしまったことが、想像できます。

 「ラブソング」は、確かに君と僕との関係を歌ったラブソングではあるのですが、恋の成就を願う歌でも、恋が叶うか叶わないかというドラマ性を扱った歌でもありません。

 進展を願うのではなく、ただ「僕」が「君」に対しての思いを歌う曲です。

「僕」の心情

 それでは、「僕」はどのような心情なのでしょうか。サビの部分の1行目の歌詞を引用します。

あいたくて あいたくて どんな君でも

 こちらの引用部からは、「僕」が君に会いたいという気持ちが分かります。同時に「どんな君」にも、今は会うことができない、ということが示唆され、「君」の不在が強調される側面もあると思います。

 また、歌詞では「会いたい」や「逢いたい」という具体的な漢字を充てず、「あいたくて」とひらがな表記になっています。

 「逢いたい」と漢字を使用すると具体的なシチュエーションを帯びるため、あえてひらがなを使用することで、「君」に会えないという事実と、「僕」が持つ強い思いが、より伝わるのではないかと思います。これは考えすぎかもしれませんが。

 サビが終わり、2番のAメロは次の言葉で始まります。

僕はカラッポになってしまって ぬけがらみたいになったよ

 こちらの引用部では、「僕」の心情がはっきりと表明されています。すなわち、「君」の不在が原因となって、「ぬけがらみたいに」なってしまった、そういう状態だということです。

 では、「僕」はカラッポのまま、「君」への思いを吐露するだけでこの曲が終わっているかというと、そうではありません。この曲のラストの歌詞が、次の言葉です。

君と過ごした日々を忘れることなんてできずに
そいつが僕のカラッポを埋めてくんだよ

 この引用部で「僕」は、「君」の不在でカラッポになった部分は、「君と過ごした日々」によって埋めていく、と言っています。

 言い換えれば、「君」との日々を忘れたいのでも、忘れるのを待つのでもなく、「君」との思い出でカラッポを埋めていくということ。「僕」のこうしたスタンスは、非常に強く、愛に溢れたものだと、言えるのではないでしょうか。

歌詞の文学性

 歌詞の内容をまとめると、「君」の不在によってカラッポになった「僕」が、そのカラッポを埋めるべく「君」との思い出、「君」への思いを歌っている、ということではないかと思います。

 「ラブソング」という直球のタイトルと比例して、歌詞もダイレクトに人の心に刺さるキラーフレーズとも言うべき言葉で構成されるこの曲。しかし同時に、奥行きがあって深いな、と思う表現もあります。

 ひとつ挙げると、先ほども引用した、1番にも2番にも共通で出てくる次の表現です。

神様って人が君を連れ去って 二度とは逢えないと僕に言う

 こちらの引用部では、まず「神様」を「人」だと言い直しているところが、耳に引っかかります。「神様」という神聖であり非日常的な存在と、「人」という日常的な存在。

 日常性と非日常性が交錯するような感覚が、この言い回しにはあると思います。「君」という身近で日常的な存在に、もう二度と逢えないという非日常性。そんな「僕」の混乱した心が、この一節には込められているように感じます。

 また、先ほどサビの歌詞では「あいたくて」とひらがな表記になっている点を指摘しましたが、この引用部では「逢えない」という漢字表記になっています。

 「逢う」という漢字表記は、時として親しい人に会うことを意味することがありますから、この部分で「逢えない」と表記したのは、やはり「君」の不在をより強く感じさせることになっているんじゃないかと思います。

「ラブソング」は最高のラブソング

 前述したように、この曲は「僕」が「君」への思いを語る、という意味ではラブソングだと呼べるものの、恋の進展やストーリーを持った曲ではありません。

 しかし、見返りや進展を求めるのではなく、ただ純粋に君への思いを歌い続けるところが、何にも増してラブソングらしい曲であると思います。

 サンボマスターといえば、まず思い浮かぶのは、爆発的とさえ言えるエモーション溢れるライブ・パフォーマンス。楽曲も、ライブの熱量をそのままパッケージしたような、熱くエモーショナルでラウドなものが多いですが、少なくとも「ラブソング」は音量的にはラウドな曲ではありません。

 しかしこの曲も、大切な人への思いという点で、非常に多くのエモーションが込められた熱い1曲です。エモーション爆発のサンボマスターとは違ったかたちで、感情を音楽に表出させている曲とも言えます。

 ここまで書いてきといてなんですが、あんまり言葉で語るべきではない、とにかく美しい曲です。サンボマスターの詩的で優しい部分が全面に出た、暖かく、優しい1曲。ぜひ、聴いてみてください!

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