「Basket Case」は、アメリカのロックバンド、グリーン・デイ(Green Day)の楽曲。作詞はBilly Armstrong。1994年発売のアルバム『ドゥーキー』(Dookie)に収録されています。
メロコアとか90年代以降の意味でのパンクというと 「人生は大変だけど、みんな頑張ってこうぜ!」みたいなことを歌っているのだという偏見がありました。自分には必要のない音楽なんじゃないかと。
そして、グリーン・デイはまさにそうした現代的なパンク・サウンドを鳴らすバンド。一聴すると曲調もサウンドも元気でノリが良くて、メロディーも耳に馴染みやすく、カリフォルニアの太陽と青い空が目に浮かぶ…そんなイメージを持っていました。しかし、彼らの代表曲「Basket Case」を聴いてみると、個人が抱える不安や違和感について歌われていて、あーこれは自分がアメリカのティーンエイジャーだったらハマるわ!と、それまでのイメージが一変しました。
メロディーもサウンドもポップではあるけど、歌詞に書かれているような不安や違和感も、しっかりと音にあらわれていて、単純に「元気な曲」の一言では片付けられないです。
「語り手」が抱える感情
では、ここから具体的に歌詞の内容を見ていきます。歌詞の語り手は「私 (I)」。その私が、自身の心情を吐露するような、目の前の自分に語りかけてくるような内容です。
Do you have the time to listen to me whine
About nothing and everything all at once
引用したのは歌い出しの部分。まず、1行目は直訳っぽく訳すと「私の泣き言を聞く時間はありますか?」、もう少しくだけた表現に直すと「ちょっと俺の話を聞いてくれよ」という感じでしょうか。
続いて2行目では、その話の内容を説明しています。直訳すると「何もないこと(nothing)と全てのこと(everything)について同時に」という感じですが、僕はこの表現が大好きで、英語の歌詞をじっくり読む楽しみを知りました。
文法的にも語彙的にもシンプルですが、そこから伝わる感情にはとても深みがあります。同時に「nothing」と「everything」について話を聞いてほしいというのは、吐き出したいことはあるのに何から話していいのかわからない、具体的に話したいことがあるわけじゃないが愚痴でも吐かないとやってられない、という感じでしょう。そして、歌詞は以下に続きます。
I am one of those melodramatic fools
Neurotic to the bone
No doubt about it
1行目は「俺もああいうメロドラマ的なバカな奴らの一人なんだ」というような意味。この「melodramatic fools」という表現も、どういう奴らなのかというのが、イメージしやすいですよね。なおかつ、バカな奴ら(fools)とわざわざ言うことで、語り手はその連中をバカにしているけれども、自分もそういう人間であり、自分自身への違和感や居心地の悪さを抱えていることが伝わります。
2行目は、主語がありませんが、おそらく語り手のことを言っているのでしょう。「骨の髄までノイローゼ(になってしまった)」という意味。3行目は、2行目の内容について「それ(ノイローゼになってしまったこと)は疑いようもない」と言っています。
Sometimes I give myself the creeps
Sometimes my mind plays tricks on me
It all keeps adding up
I think I’m cracking up
Am I just paranoid or am I just stoned?
続いて、サビの歌詞です。1行目は「give somebody the creeps」で「人をぞっとさせる」という意味になりますから、ここは「ときどき自分自身にぞっとする」ということ。2行目は「play tricks on somebody」で「人を迷わせる、錯覚を起こさせる」という意味になるので、ここでは「ときどき自分で自分を騙すんだ」といった感じでしょう。
3行目と4行目は、それぞれ「そういうことが積み重なって」「今にも頭が破裂しそうだ」という意味。そして5行目の「俺はパラノイアなのかな、それともラリってるだけだろうか?」という歌詞で1番が終わります。
音と言葉の相乗効果
ここまで、英語の歌詞の解説のような内容になってしまいましたが、この曲を初めてじっくり聴いたとき、疾走感あふれる演奏とメロディーとも相まって、言葉がダイレクトに自分に届く感じがしたんですよね。
それまでは、僕の母国語は日本語ですので、英語はやっぱり日本語に比べれば距離があるし、歌詞も届きにくいと思っていました。ですが、英語の歌詞にも、日本語とは違う深みと魅力があるな、面白いなと、実感を持って感じらたのです。
さて、「Basket Case」の話に戻ると、この曲は語り手の抱える違和感がシンプルな単語に凝縮されて、さらにバンドが鳴らす音が、語り手のイライラや感情の爆発をそのままあらわしているようで、本当にこの1曲でパンクやメロコアへの偏見がなくなったし、音楽への向き合い方も変わりました。
グリーン・デイはギター、ベース、ドラムの3ピースバンドですが、3ピースバンドのかっこいい部分が凝縮された1曲だと思います。ギターと歌のみで始まり、徐々にドラムとベースが入ってきて、3人だけでこれだけのダイナミズムを生み出すことができるんだなと驚きます。
ちなみに歌詞を書いたビリー・ジョー・アームストロングは、当時パニック障害に苦しんでいて、その経験を歌にしたとのことです。2番の歌詞は、より具体的な状況が歌われています。最近は歌詞もいろいろなところで確認できますから、気になった方はぜひ歌詞を見ながら聴いてみてください。