エレファントカシマシ「友達がいるのさ」は都市生活の孤独を癒す1曲


 「友達がいるのさ」は、2004年9月1日に発売されたエレファントカシマシ33枚目のシングル。作詞作曲は宮本浩次。16枚目のアルバム『風』にも収録されています。

 エレファントカシマシは、「今宵の月のように」に代表されるようなメローな要素と、「ガストロンジャー」に代表されるようなロック的なアグレッシブさを併せ持ったバンドです。個人的に「友達がいるのさ」は、そんなエレカシのなかでも特に好きな1曲。

 その理由のひとつが、1曲の中にエレカシ特有の詩的でメローな部分と、ロックバンドの理想形とも言える熱情が、見事に溶け合っているからです。

 音量的にも、音楽が伝えるエモーションの面でも、1曲のなかのダイナミズムが広く、穏やかなパートから激しいパートまでが1曲の世界観におさまっています。音楽的な起伏が歌詞ともリンクしていて、音楽が歌詞を増幅し、歌詞は音楽の一部となって共に響く、非常に優れたポピュラー・ミュージックであるとも言えます。

 歌詞と楽曲構造の両面からこの曲を分析し、少しでも魅力をお伝えできればと思います。

歌詞の意味の考察

 まずは歌詞をじっくり見ていきましょう。「東京中の電気を消して」という印象的なフレーズから始まるこの曲。歌詞のテーマを一言であらわすと、「都市のなかでの孤独」「現代的な孤独」だと僕は思います。歌い出し部分からも、そのテーマの一端が見えます。

東京中の電気を消して夜空を見上げてえな
かわいがってる ぶざまな魂 さらしてみてえんだ

 東京というのは、人は多いが、人との距離感は決して近くない街です。例えば、渋谷のスクランブル交差点では多くの人が行き交い、それぞれの物理的な距離は近いけれど、お互いはみな他人であり、精神的な距離は近くありません。同時に、人が多いからこそ、多数の人に紛れて匿名性を持って生活できる、という場所でもあります。

 「東京中の…」という歌詞からも、普段は東京という街の無数の電気のなかで暮らしているが、本当の自分をさらしたい、という苛立ちともストレスとも言えない、複雑な感情が見え隠れしているように思えます。

 その後に続く「テレビづけおもちゃづけ、こんな感じで一日終わっちまうんだ」という一節も、情報に溢れた現代都市での生活を描写しているのではないかと思います。続けて、次の連の歌詞を引用します。

電車の窓にうつる 俺の顔 幸せでも不幸でもなかった
くちびるから宇宙 流れてく日々に 本当の俺を見つけてえんだ

 引用部1行目も、都市で生活をするなかで、なんとなく時間を過ごしてしまうことが歌われているようです。引用部2行目は、この曲の中でもハイライトのひとつだと思うのですが、「くちびるから宇宙…」というのは、口から音楽が流れ出ている、歌を口ずさんでいるということでしょうか。

 この表現はとても詩的で、はっきりとは書かれていないのですが、口から溢れる音楽を「宇宙」と表現しているところに、宮本さんの音楽への思いが垣間見えます。閉塞感のある毎日のなかで、音楽や芸術を宇宙と呼び、それだけが無限の可能性を持っている、そのようなことを歌っているのではないかと思います。

 さて、このように幸せでも不幸でもない毎日を過ごしている語り手。その後に歌詞がどのように展開するのかというと、サビではこのように歌われます。

俺はまた出かけよう あいつらがいるから
明日もまた出かけよう 友だちがいるのさ

 ここまで、一貫して現代社会特有の孤独や憂鬱が歌われていたのが、サビに至って「また出かけよう 友だちがいるのさ」という言葉に帰結します。「友達がいる」ということが、力強く一歩を踏み出す理由になる。

 サビ前までは「ああこういう憂鬱な気持ちわかる」という感じの歌だと思って聴いていたのに、サビでは人に対する愛情や信頼をエモーションたっぷりに歌い、リスナーの予想を良い意味で裏切っている曲と言えるのではないでしょうか。少なくとも僕は、初めてこの曲を聴いた時、楽曲が持つ暖かさと強さに涙が溢れました。

 また、サビ前からサビに向かって宮本さんのボーカルも、それまでの落ち着いたトーンの声から音程も上がり、エモーションが一気に溢れ出します。歌詞の言葉における感情の高鳴りが、ボーカリゼーションとも完全にリンクしており、これもエレファントカシマシの魅力のひとつです。

調性とコード

 この曲のキーはホ長調(E major)で、使われているコードのほとんどがダイアトニック・コードですが、ところどころ同主調のホ短調(E minor)からコードが召喚されています。

 音楽用語をできるだけ使わずに説明します。ドレミファソラシドには明るいイメージの長調と、暗いイメージの短調があり、この曲は「ミ(E)」の音から始まる長調のドレミファソラシドからできていて、コードもそこに含まれる音だけを使った基本的なコードが多く使われています。

 しかし、同じ「ミ(E)」の音から始まる短調のドレミファソラシドを使ったコードも少しだけ使われていて、それが曲に奥行きを与えているということです。

 例えば「今日は寝てしまうんだ」の「は」の部分。ここはボーカルのメロディーがCの音。ホ長調のCにはシャープが付くはずなのですが、ここでは一瞬だけシャープの付かないホ短調のCの音が顔を出し、コードもAからAmになっています。

 この部分は、メロディーにCの一音が入っていることで、聴いた感じも深みが生まれていると思います。単純に明るいだけではない、かげりのような質感。もちろん、宮本さんの声の力によるところも大きいのですが。

ボーカルとバンド・アンサンブル

 最後にボーカリゼーションと、バンドのアレンジメントについても述べさせていただきます。イントロから、リスナーに語りかけるような落ち着いた声のボーカル。バンドもボーカルに準じて、ギターはミュート奏法を用い、ベースとドラムもダイナミズムを抑えた演奏。

 これがサビに向かう部分では、ボーカルのメロディーが上行するのに応じて、バンドもリミッターを外し、サビでは音とエモーションの洪水のような音像へ。宮本さんのボーカルも、ささやくような低い声から、激しく感情を爆発させるところまで、一気に登りつめます。

 歌詞のところで前述したように、歌詞の言葉とバンドの音、ボーカルの声が一体となって、音楽と言葉がそれぞれの力を増幅し合っています。個人的には、ロックバンドかくあるべし!という曲だと思っています。ぜひ聴いてみてください。