「すべては君のせいで」は、Base Ball Bearの楽曲。作詞作曲は小出祐介。2017年4月12日発売のメジャー7枚目のアルバム『光源』に収録されています。
青春には、甘酸っぱくキラキラした面もありますが、その裏にはこの時期特有の影も存在します。Base Ball Bearというバンドは青春をテーマにしながらも、その光だけではなく影の部分もフェアに描写するところ、しかも1曲のなかにその両面をおさめるところが、本当に信頼できます。
「すべては君のせいで」も、まさに青春のリアリティが詰まった1曲。この論では、この曲が持つ両面性と、表現における優れた技巧について、考察していきたいと思います。
状況説明の巧みさ
小出さんの書く歌詞は状況説明が巧みで、いつもハッとさせられます。「状況説明」と書いてしまいましたが、この表現はちょっと不適切で、正確にいうと説明的ではないのに、少ない言葉で、具体的な状況や繊細な感情を描き出すことに、成功しているということです。
ある日突然 幽霊にされた
僕を置き去りに今日も教室は進む
引用したのは歌い出し部分の歌詞。いきなりいじめを連想させるような表現に、耳を奪われます。「教室」という言葉ひとつで、この曲の舞台が学校であることが分かりますし、「幽霊にされた」「僕を置き去りに」という表現からは、いじめの質が見えてきます。
たった2行で、語り手である「僕」の状況が詳細に描き出されるその手法は、見事としか言いようがありません。しかも、音楽的にはセブンスを含んだ四和音を多用し、コードのヴォイシングもサウンド・プロダクションも、非常に凝った耳触りのオシャレなもの。
そんなサウンドとは裏腹に、イントロから「幽霊」という印象的な言葉を使いながら青春の暗い面を描き、リスナーを曲の世界観に引き込んでいきます。
「君」の存在
前述したように、最初の2行では暗い学校生活のイメージが提示されます。それでは、この曲は青春の暗さを歌った曲かといえばそうではなく、続く歌詞で「君」が登場します。「すべては君のせいで」というタイトルのとおり、これ以降は一貫して「君」のことが歌われます。以下は、サビ部分の歌詞の引用です。
すべては君のせいで 毎日が眩しくて困ります
すべては君のせいで ああ、心が♯していきます
暗く辛そうなAメロ部分とは打って変わって、「君」の眩しさが歌われています。また、「幽霊にされた」学校生活とのコントラストで、「君」という存在の眩しさが、より際立っています。
しかし、歌詞の中で「僕」と「君」の関係性に進展があるのかというと、そうではなく、「毎日が眩しくて困ります」というフレーズにも集約されているように、ひたすら「君」の眩しさが歌われていきます。青春時代の甘酸っぱい淡い恋心。その感情が、この曲には完璧にパッケージされていると言えるでしょう。
引用したサビ部分の歌詞にも、感情をあざやかに描き出した表現があります。それは「心が♯していきます」という部分。
♯(シャープ)とは音程を半音上げる記号のことですが、1音上がりきるのではなく半音というところに淡い心が感じられますし、♯という記号を歌詞の中で文字通り記号的に使い、リスナーのイマジネーションを刺激しているところにも、全く無駄がありません。
ここでも、「僕」の感情をこまかに説明しているわけではないのに、どのような心情なのか、手に取るように伝わります。
このような効果的な表現が、この曲の中にはいくつもあって、例えば2番のAメロには、次のフレーズが出てきます。
君が微笑む みんなの輪の中で
たまらなくなって ハードロック雑誌に目を落とす
「ハードロック雑誌」という一言で、「僕」の性格や趣味など、人間描写の精度が著しく高まっています。また、引用部では時間設定は明らかにされていませんが、休み時間中に「君」はみんなの輪の中にいて、「僕」はひとり席に座ってハードロック雑誌を読んでいる様子が自ずと想像でき、ドラマのワンシーンのようなイメージが目の前に広がる感覚があります。
また、この曲では「君」の存在がメイン・テーマとして歌われていくわけですが、「君」の具体的な描写は、容姿の面でも性格の面でも全くありません。強いて言えば「自転車通学のヘルメットありの」という部分でしょうか。
しかし、この部分も髪型やファッションを描写しているわけではなく、あくまで制服の一部のようなものです。「君」のことを細かく描写しないことで、ますます「君」の眩しさ、言い換えれば神性が高まり、青春時代の甘酸っぱい一方的な恋心を、浮かび上がらせているのではないかと思います。
青春の二面性
以上のように、導入部ではいじめを連想させるような描写、そしてその後は「君」の眩しさを歌っています。そこには、学校になじめない憂鬱から、眩しさに目がくらむだけの恋心まで、青春という病理が抱える光と闇が共に含まれています。
音楽的にも、疾走感溢れる8ビートで走るのではなく、メンバー同士で高度なコミュニケーションを楽しむようなグルーヴが、歌詞と見事に調和しているのではないかと思います。言葉と音がひとつになることで、明るさと暗さの中間を表現できるのが音楽の魅力であると、あらためて教えてくれる1曲です。