マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 『イズント・エニシング』
(My Bloody Valentine – Isn’t Anything)
アルバムレビュー
発売: 1988年11月21日
レーベル: Creation
『イズント・エニシング』は、アイルランド出身のバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの1988年発売の1stアルバム。
マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(以下マイブラ)というと、シューゲイザーの代表的なバンドと目されており、1991年に発売された2ndアルバム『ラヴレス』はシューゲイザーの金字塔作品に位置づけられ、多くのフォロワー・バンドとファンを生み続けています。
『ラヴレス』では、原音がわからないほど深くエフェクトのかかったギターが何重にもオーバー・ダビングされ、「音の壁」「音の洪水」などと形容されるサウンドが鳴っていました。ボーカルの美しいメロディーも、リズム隊のグルーヴも、ギターの圧倒的な量感のサウンドに飲み込まれ、音楽の要素すべてが渾然一体となり迫ってくるようなアルバムです。
そんな『ラヴレス』から、遡ること3年前に発売された本作『イズント・エニシング』。前作『ラヴレス』は、轟音ギターと耽美なメロディーが一体となったサウンド・プロダクションが特徴でした。それに対して『イズント・エニシング』は、各楽器の音は分離しており、「音の壁」という表現とは違った耳ざわりのアルバム。
しかし、このアルバムを「ラヴレスへと至る過渡期の作品」「未完成なラヴレス」のような意識で聴くのは、非常にもったいなく、『ラヴレス』とは違ったサウンドを持つ優れた作品です。個人的には『ラヴレス』と並ぶぐらい好き。
すべての楽器の音どころか、リズムもメロディーもハーモニーも、音楽の要素が不可分にまとめて押し寄せるような『ラヴレス』。それに比べると、『イズント・エニシング』は各楽器の音がしっかりと分離して聴きとることができます。しかし、独特のエフェクトを施したギター・サウンドや、不協和音と美しいメロディーの共存など、マイブラらしい実験精神は健在。『ラヴレス』とは別の方法論で、マイブラらしさを感じられる作品です。
まず、1曲目「Soft as Snow (But Warm Inside)」では、ドラムとベースのリズム隊は通常のロックバンドに近い演奏をしているものの、2本のギターはそれぞれ時空を歪ませたような独特のサウンド。音質もさることながら、2本のギターは音を出すタイミングも絶妙で、不思議なタイム感のある曲です。1曲目から、何にも似ていないマイブラ・ワールド全開と言っていいでしょう。
2曲目「Lose My Breath」には、イントロからアコースティック・ギターと思しき音が入っていますが、ささやくようなボーカルの音程もコードの響きもどこか不安定で、静かなのにどこかが壊れた感覚を与える1曲。
3曲目の「Cupid Come」や、4曲目「(When You Wake) You’re Still in a Dream」などは、リズムも展開もわかりやすく、オーソドックスなフォームの曲だと言えますが、ギターの音質にはどこか歪みがあります。このように、パッと聴くと一般的なロック・ソングのように聴こえるものの、なかには違和感が含まれていて、その違和感がクセになり、何度も聴いてしまう、というような曲がこのアルバムに多数あります。
6曲目「All I Need」は、すべての楽器にエフェクトがかかった、というよりレコーディングしたテープ自体を加工したのではないかと思えるサウンド・プロダクション。音楽に没頭していると、逆再生なのかと錯覚するような、クロノス時間に反抗するような1曲です。
EPとしても発売された7曲目「Feed Me with Your Kiss」は、このアルバムのハイライトと言ってもいいでしょう。無理やり押しつぶしたような質感のディストーション・ギターと、ロック的なグルーヴとダイナミズムを持ったリズム隊が合わさり、ロックの古典的なかっこよさと、マイブラの革新性が融合しています。
圧倒的なサウンドで押し流す『ラヴレス』に対して、各楽器のプレイとサウンド・サウンドプロダクションで、狂気や快楽を描き出す『イズント・エニシング』。『ラヴレス』は、押し寄せるサウンドに快楽的に身を委ね、楽しめるアルバムですが、『イズント・エニシング』はロックの形式をとどめながらも、そのなかに不協和音やノイジーなサウンドを含ませることで、違和感が音楽のフックになり、何度も聴きたくなるアルバムに仕上がっているのではないかと思います。