エレファントカシマシ「月と歩いた」が描くのは東京の夜の散歩


 「月と歩いた」は、エレファントカシマシの楽曲。作詞作曲は宮本浩次。1989年発売の3rdアルバム『浮世の夢』に収録。

 2009年発売のベストアルバム『エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記』にも収録されています。

 「月と歩いた」は、東京の夜の散歩を歌った曲です…と書くと、夜の散歩は歌のテーマとして一般的であるし、何も変わったことなんてないじゃないか、と思われるかもしれません。

 しかし、この曲の特異なところは、「東京の」夜の散歩を歌っているところ。それではなぜ、この曲が特異なのか、これからご説明させていただきます。

楽曲の構造

 この曲の構造は、一般的なヴァースとコーラスが循環する進行、言葉を変えればAメロからBメロを経てクライマックスのサビに至る、といった進行感とは少し異なっています。下記のように、間に挟まるブリッジ以外は、同じメロディーが繰り返されます。

コーラス→ブリッジ→コーラス

 イントロはアコースティック・ギターのみの弾き語りのようなアレンジで、再生時間1:27あたりからのブリッジ部分に入ると、ラウドな音量のフル・バンドでの演奏に切り替わります。同時に、この部分では歌詞の内容も一変し、音量の上でも歌詞の上でも鮮烈なコントラストをなしています。では、どのように1曲のなかで歌詞がコントラストをなしているのか、順番に見てみましょう。

前半部分の歌詞

 まず、歌い出しの2行では、以下のように歌われています。

月と歩いた 月と歩いた
寒い夜ありがたい散歩の道づれに

 月が出た夜道を歩いているときの心情が、アコースティック・ギターをバックに繊細に歌われています。ひとりで散歩する様子を「月と歩いた」というロマンチックとも言える言葉で表している点など、この引用部は夜の散歩を歌った曲らしい一節です。さらに、この後の2行には、夜道の描写が続きます。

道が真ん中 そのまにまに
小さくなって家が建ってる

 こちらの引用部では、道路に沿って両側に家が建っている様子を描写しているのでしょう。「道が真ん中」と道を主語にして、道路を中心にして語っています。この部分からは、語り手の実際の立ち位置と価値観が垣間見えて、優れた表現であると思います。

 おそらく、語り手は道の真ん中を歩いているか、あるいは道を眺めているということ。そして家が小さいというのは、小さく窮屈そうに家が建っている、あるいは道よりも存在感が小さい、ということを歌っているのではないかと思います。このように前半のコーラス部分では、月が出た夜道を散歩する様子が、情緒的に描かれています。

ブリッジ部の歌詞

 では、ブリッジ部分では何が歌われているのでしょうか。前述したように、演奏の面でもブリッジ前まではアコースティック・ギター1本による弾き語りのようなアレンジ、ブリッジ部からはフル・バンドによるロックロール然としたアレンジとなり、音量と雰囲気が一変します。以下はブリッジ部分の歌詞の引用です。

ブーブーブードライブ楽しブーブーブ
なめたようなアスファルトの道を

 引用部では、車が走る様子が歌われています。「ブーブー」と擬音語が使用され、ボーカルの歌い方もそれまでとは一変し、荒々しくパワフルな歌い方へ。直前まで、ひとり静かに夜道を散歩していた語り手。その語り手に車が走り寄り、ひかれそうになるぐらいの距離まで接近する、その一連の様子と車の発する音が、ブリッジ部では表されているのでしょう。

 ブリッジ部分の歌詞の主語は確定しにくいですが、それまでと変わらぬ語り手だとしたら、心をかき乱された描写だと言えるし、あるいは車を擬人化して主語にしているようにも感じられます。

対比的なコーラスとブリッジ

 ブリッジ部が終わると、再び静かなコーラス部が戻ってきます。その歌い出しの歌詞を、下記に引用します。

少し静かにしてくれないか
言うか言わぬか車をよけた

 こちらの引用部から、語り手に車が接近していたことが確認できます。さらに、この曲の最後の行にあたる歌詞で、語り手は「ついてくる月がついてくる」と言葉を結んでいます。

 ここまで見てきたように「月と歩いた」は、静かに夜道を散歩するコーラス→車が接近してきて騒がしいブリッジ→車が走り去りまた静かなコーラス、と展開していきます。静かな夜道を散歩している風景や、そのときの心情を情緒的に歌うだけではなく、車が接近する様子まで描写しているのが、この曲のめずらしい部分です。

 しかも、語り手は車の接近に気を取られつつも、車が去った後は「月がついてくる」と言い、車が接近する前の落ち着いた気持ちを失っていません。

 この曲ではブリッジにおいて、弾き語りからフル・バンドへの移行が、アレンジと音量の面でコントラストとなり、曲のダイナミズムを広げています。しかし、そのコントラストは音楽面だけに留まらず、歌詞の面でも車の接近を挟むことで、東京のような都市において、月に思いをよせる感受性を際立たせているのではないかと思います。

 「東京には空がない」というクリシェがありますが、「月と歩いた」の語り手は車の騒音のなかでも、月と一緒に歩く感受性を失ってはいません。

 最初にこの曲は「東京の夜の散歩を歌った曲」だと書きましたが、重要なのは東京かどうかというより、繊細な感受性を持ち続けられるかどうか、ということです。

 単純に夜道の散歩を情緒的に歌うだけではなく、車の騒音というリアリティを含めることで、「月と歩いた」は人の感受性をより深く描写した1曲と言えるのではないでしょうか。