乃木坂46「シンクロニシティ」歌詞の意味考察 76億人とのシンクロ


目次
イントロダクション
「シンクロニシティ」の意味
登場人物と場面設定
「僕」の語る内容
2番の歌詞
結論・まとめ

イントロダクション

 2018年4月25日に発売された、乃木坂46の20枚目のシングル「シンクロニシティ」。作詞は秋元康。

 最近、ゆるやかに乃木坂にハマっていまして、以前よりもじっくり楽曲を聴くようになりました。

 そんなわけで聴き込んでいくと、いろいろと言いたいことが出てきたので、この曲の歌詞について分析・考察したことを、まとめたいと思います。

「シンクロニシティ」の意味

 まず、この曲のテーマについて、考えてみましょう。一聴して分かるのは、ポップ・ソングで扱われることの多い、わかりやすい男女関係を歌った曲ではないということ。

 いわゆる、ラヴソングではありません。それでは、なにをテーマにした曲なのか。歌詞を順に追いながら、考察していきます。

 歌詞に入る前に、曲のタイトルになっている「シンクロニシティ」という言葉の意味を確認しましょう。辞書やネットで調べれば、すぐに出てきますが、スイスの心理学者・ユングが提唱した概念で、「意味のある偶然の一致」を意味します。日本語では「共時性」や「同時性」と訳されます。

 例えば「今日はカレーが食べたいなぁ」と思いながら帰宅したら夕飯がカレーだった、みたいな状況ですね。では、そのような意味を持つ「シンクロニシティ」という言葉を意識しながら、歌詞を読み解いていきます。

登場人物と場面設定

 登場人物は、語り手である「僕」だけ。この「僕」が、夜の街を歩くところから、歌詞は始まります。冒頭3行の歌詞を、以下に引用します。

悲しい出来事があると
僕は一人で
夜の街をただひたすら歩くんだ

 「僕」に悲しい出来事があり、夜の街を歩いている、という状況のようです。悲しいから夜の街を徘徊する、という気持ちは、特に説明がなくとも分かるような気もしますが、街を歩く理由について、その後の歌詞で説明がなされていきます。

 端的に言えばこれ以降は、語り手の「僕」が、散歩の理由を説明するかたちで進みます。3連目の歌詞を、以下に引用します。

すれ違う見ず知らずの人よ
事情は知らなくてもいいんだ
少しだけこの痛みを 感じてくれないか?

 「僕」が夜の街を歩く理由が、明らかになってきました。その理由とは、すれ違う他人と悲しみを共有し、自分の痛みを和らげるため。「シンクロニシティ」という言葉の意味とも、繋がっています。

「僕」の語る内容

 それでは、語り手である「僕」は、夜の街を歩きながら何を感じ、どのようなメッセージを発しているのでしょうか。サビでは、次のように歌われます。

きっと
誰だって 誰だってあるだろう
ふいに気づいたら泣いていること
理由なんて何も思い当たらずに
涙がこぼれる

それは
そばにいる そばにいる誰かのせい
言葉を交わしていなくても
心が勝手に共鳴するんだ
愛を分け合って

 「ふいに気づいたら泣いている」という経験は、多くの人にあるでしょう。その理由を「僕」は、他人と心が共鳴している、言い換えれば、他人の痛みを共有しているため、と理由づけしています。なんとも、ロマンチックな感受性を持った「僕」ですね。

 「シンクロニシティ」というタイトルを持ったこの曲。先ほど確認したとおり、恋愛感情を歌った曲ではありませんが、より範囲の広い、世界規模の共感について歌った曲のようです。

 1番の歌詞で、以下の内容が確認できました。語り手は「僕」、場面設定は夜の街、街を散歩する理由は他人と共鳴するため。では、この内容を踏まえて、2番の歌詞に進みましょう。

2番の歌詞

 2番に入ると、どのようなことが歌われているのでしょうか。結論から言うと、1番で提示された「他人との共鳴」が、より詳細に語られていきます。2番の1連目の歌詞を、以下に引用します。

みんなが信じてないこの世の中も
思ってるより愛に溢れてるよ
近づいて「どうしたの?」と聞いて来ないけど
世界中の人が 誰かのことを思い浮かべ
遠くの幸せ願うシンクロニシティ

 1番では、夜の街を歩きながら、すれ違う人との共鳴を願った「僕」。言い換えれば1番では、他人との感情の共有が、語られていました。

 上記の引用部3行目には「近づいて「どうしたの?」と聞いて来ないけど」とあります。ここでも、他人との共有が、引き続き話題になっていることが分かります。

 しかし、引用部4行目に続くのは「誰かのことを思い浮かべ 遠くの幸せ願う」という言葉。この一節では、近くの他人から、遠くの大切な人へと、感情を共有する対象が、変化しています。

 さらに、その後のサビでは、以下の歌詞が続きます。

だから
一人では一人では負けそうな
突然やって来る悲しみさえ
一緒に泣く誰かがいて
乗り越えられるんだ

 引用部4行目に「一緒に泣く誰か」と出てきますが、これは誰を指すのでしょうか。近くの他者か、遠くの大切な人か、あるいは近くの大切な人なのか、判然としません。

 しかし、具体的に誰を指すのかは、それほど重要ではありません。むしろ、そのあとの歌詞を読むと、意図的に曖昧さを残しているのではないかと思います。上記に続く歌詞を、引用します。

ずっと
お互いにお互いに思いやれば
いつしか心は一つになる
横断歩道で隣り合わせた
他人同士でも
偶然…

 これまでは、近くの他人との共鳴と、遠くの大切な人への思いが、記述されてきました。上記の引用部では、そのふたつが融合しているように解釈できます。すなわち、全ての人が誰かを思いやることで、その心が互いに繋がり、ネットワークのようにひとつになる、と言っているのではないでしょうか。

 そして、歌詞にたびたび出てくる「ハモれ」は、心の繋がりを願う言葉であり、その心の繋がりのことを「シンクロニシティ」と呼んでいるのでしょう。

 なんだか、突拍子もない話のようですが、すれ違う他人と痛みを共有したいと願う、ロマンチストな「僕」の感受性を考慮すると、あながちおかしな話ではありません。

 上記の引用部に続く歌詞では、さらに心の繋がりが強調されています。

抱え込んだ憂鬱とか
胸の痛みも76億分の一になった気がする

 「76億」という数字は、世界人口のことでしょう。夜の街の散歩から、世界規模の繋がりにまで、飛躍してしまいました!

結論・まとめ

 結論に入りましょう。この曲では一貫して、他者との感情の共有が、テーマとなっています。

 1番では、たまたま近くにいる他人との共鳴を願い、2番の途中からは、誰かを思うことが誰かを救うことになり、いつしか心はひとつになる、という世界規模の展開を見せます。

 この心の繋がりのことを、歌詞の中では「シンクロニシティ」と呼んでいます。「共鳴」という言葉も、ほぼ同じ意味で用いられているのでしょう。

 先ほど、この曲は恋愛関係を歌ったラブソングではない、と書きました。しかし、歌詞を読み解いていくと、無償の愛と言うべきか、地球規模の壮大な愛を歌った曲であることが分かりました。

 そう思いながら聴くと、透明感のあるピアノのイントロから、ダイナミックかつ整然と進行していく楽曲のアレンジも、より広がりを持って聴こえてくるんじゃないでしょうか。

 ちなみに僕は、初めてこの曲を聴いたとき「ハモれ」が「アモーレ」に聞こえて、やっぱり秋元康はぶっとんだ歌詞を書くな…と思いました。ただ、ここまでの考察を踏まえると、「アモーレ」でも意味が通りそうな気がします。

 また、この曲は生駒里奈さんが参加した、最後のシングルでもあります。卒業していくメンバーと、乃木坂に残るメンバー。それぞれの心の繋がりをテーマにした、という一面もあるのかもしれませんね。

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