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乃木坂46「サヨナラの意味」歌詞の意味考察 通り過ぎる電車と時間


目次
イントロダクション
設定の確認
電車が意味するもの
電車の通過と時間の経過
サヨナラの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「サヨナラの意味」は、女性アイドルグループ・乃木坂46の16作目のシングル。2016年11月9日にリリース。2017年リリースの3rdアルバム『生まれてから初めて見た夢』にも収録されています。作詞は秋元康。

 センターポジションを務めるのは、2017年2月20日に乃木坂46を卒業した橋本奈々未さん。本作は、橋本さんが参加する最後のシングルでもあります。

 「サヨナラの意味」というタイトルが示すとおり、別れがテーマとなったこの曲。歌詞の内容は、決して解釈が難しいものではありません。

 でも、いかにも秋元康らしいと言うべきなのか、言葉と場面設定にテクニックを感じる歌詞でもあります。

 僕が気になったのは、この曲における「電車」の使い方。先に結論を述べると、通り過ぎる電車が、時間の経過を強調しているように思われるのです。

 そこで、電車が果たす機能に注目しながら、「サヨナラの意味」の歌詞を考察したいと思います。

設定の確認

 まず、登場人物や場面設定などを、確認しておきましょう。

 出てくるのは、語り手である「僕」と「君」。この2人の別れが、歌詞の中心となっています。

 次に、場所や時間など。1番のAメロ1連目に、情報が提示されています。以下に引用します。

電車が近づく
気配が好きなんだ
高架線のその下で耳を澄ましてた

 3行目に「高架線のその下」とあるとおり、場所は高架下。

 歌詞の大まかな内容は、「僕」と「君」のお別れ。2人の具体的な関係や、別れの理由などは記述されません。

 僕が気になったのは、なぜわざわざ場所を高架下に設定したのか。他の場所ではなく、高架下にする必要性があったのか、という点です。

 そこでキーになるのは、1行目に出てくる「電車」。この曲では「電車」を利用することで、なにかを意味している、と仮説を立てました。

 1行目に出てくるところも示唆的。作詞家からの「この電車には記号的な意味がありますよ」という、メッセージなのではないかと思います。

電車が意味するもの

 では、電車がなにを意味するのか、検討していきましょう。

 通過していく電車は、人の手では止めることができません。また、決まったレールの上を走る乗り物でもあります。

 このような電車の特徴が、止めることのできない時間の流れをあらわしている、というのが僕の考えです。

 当然のことながら、時間は止めることは不可能。時間は不可逆であり、一定のペースで流れていきます。時間の流れに、僕たちは従うしかありません。

 「電車」を歌詞に登場させたのは、時間の不可逆性とコントロールできない特性をあらわすため。したがって、自動車や飛行機ではなく電車、場所も駅ではなく高架下に、限定する必要があったのです。

 まとめると、過ぎ去る時間を強調するための装置として、電車を登場させたということです。

電車の通過と時間の経過

 では、実際にどのような時間に関する表現が出てくるのか、確認していきましょう。

 この曲には、時間の流れを感じさせる表現が、いくつも出てきます。1番のAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

柱の落書き
数字とイニシャルは
誰が誰に何を残そうとしたのだろう

 誰がいつ書いたのかも分からない、柱の落書き。先ほど引用した1連目では、高架線を走り去る電車によって、過ぎ行く時間をあらわしていましたが、今度は柱の落書きで、時間の経過をあらわしています。

 上記の引用部は、時間が過ぎ去っても変わらないものがある、ということをシンボリックに描いたのだと思います。後述しますが、この曲のタイトルでもある「サヨナラの意味」にも繋がるメッセージです。

 その後に続く1番のBメロでも、時間の流れが記述されています。以下に引用します。

歳月(とき)の流れは (歳月(とき)の流れは)
教えてくれる (教えてくれる)
過ぎ去った普通の日々が
かけがえのない足跡と…

 上記引用部をまとめると、過去の普通の日々が、大切なものだったと、時間が経ってからわかる、ということ。先ほどの「柱の落書き」は、「かけがえのない足跡」を予感させる、前フリのような言葉だったとも言えます。

 次に、ちょっと先へ進んで、2番のAメロ1連目の歌詞を引用します。

電車が通過する
轟音(ごうおん)と風の中
君の唇が動いたけど
聴こえない

 冒頭部分に続き、再び「電車」が出てきました。先ほどと同じく、上記の「電車」も、止めることのできない時間の流れを象徴している、と考えます。

 上記の引用部では、さらに「轟音」も相まって、時間の流れへ逆らうことのできない事実が、強調されています。

 ここまでの歌詞で、注目すべきは過ぎ去るものと、残り続けるもののコントラスト。高架線を通過していく電車と、それを待つ「僕」。過ぎ去っていく時間と、残り続ける足跡。

 両者の違いが、鮮明に描かれています。

サヨナラの意味

 では、電車も時間も止められないものだとして、この曲が伝えたいものは何か。タイトルにもなっていますし、この曲においてサヨナラがなにを意味するのか、検討していきます。

 2番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

大切なもの (大切なもの)
遠ざかっても (遠ざかっても)
新しい出会いがまた
いつかはきっとやって来る

 上記引用部では、大切なものと別れることが、電車や時間の経過と同じく、なかば仕方のないものとして描かれています。

 その上で、別れがあれば新しい出会いもある、とポジティヴに別れの意味をとらえ直しています。

 その後につづくサビでは、上記の思考がさらに強調されます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

サヨナラを振り向くな
追いかけてもしょうがない
思い出は
今いる場所に置いて行こうよ
終わることためらって
人は皆立ち止まるけど
僕たちは抱き合ってた
腕を離して
もっと強くなる

 大意は前述したBメロと、共通していると言えるでしょう。サヨナラは多かれ少なかれ訪れるものであり、悔やむよりも、サヨナラをきっかけに強くなろう、というメッセージが綴られています。

 さらに、Cメロを挟んだ後のサビでは、歌詞のハイライトと思われる言葉が並びます。以下に引用します。

サヨナラは通過点
これからだって何度もある
後ろ手(で)でピースしながら
歩き出せるだろう
君らしく…

 1行目の「サヨナラは通過点」が、この曲がもっとも伝えたいメッセージでしょう。走り去る電車や、流れていく時間と同様、人生においてサヨナラは必ず経験するもの。

 だから、サヨナラを終わりと考えるのではなく、通過点と捉え、前を向いて歩き出そう。そう訴えています。

結論・まとめ

 以上「電車」に注目しながら、「サヨナラの意味」の歌詞を読みといてきました。

 この曲では冒頭から電車が登場しますが、それは通過する時間および別れを象徴するため。通過していく電車と同じく、サヨナラも過ぎ去っていくものであり、通過点。

 だから、サヨナラをネガティヴに捉えず、残り続ける思い出を胸に前に進もう、というのが曲が伝えるメッセージです。

 前述したとおり、この曲は橋本奈々未さんが参加した最後のシングル。そのため、グループを去っていく橋本さんと、残されたメンバー達の状況を、少なからず重ね合わせた歌詞であるのでしょう。

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乃木坂46「裸足でSummer」歌詞の意味考察 裸足が象徴する「君」のキャラクター


目次
イントロダクション
楽曲構造の確認
いつもの夏となにが違う?
「僕」と「君」の関係性
「裸足」はなにを表象するか?
結論・まとめ

イントロダクション

 「裸足でSummer」は、女性アイドルグループ・乃木坂46の通算15作目のシングル。2016年7月27日にリリース。作詞は秋元康。

 タイトルに「Summer」が含まれているとおり、夏をテーマにしたこの曲。語り手の「僕」が「君」への恋心を語るのが、歌詞の大まかな内容です。

 しかし、秋元康らしいと言うべきなのか、歌詞は説明的でありながら、テクニックを駆使したもの。今日はこの曲を歌詞を、読みといてみたいと思います。

楽曲構造の確認

 歌詞の分析に入る前に、構造の確認をしましょう。再生を開始すると、イントロに続いて歌のメロディーが入ってきます。

 最初はこのメロディーがサビなのかなと思い、そのまま聴いていると、その後にAメロ、Bメロと展開して別のサビが出てきます。

 どうやら、イントロ後のメロディーは、Cメロあるいは大サビと呼ぶべき部分が、冒頭に挿入されていたようです。ちょっと珍しい構造ですね。

 この曲の構造を示すと、下記のとおり。

 Cメロ→Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Cメロ→サビ

 では、構造が確認できたところで、歌詞の考察に入ります。

いつもの夏となにが違う?

 前述のとおり、語り手は「僕」。歌い出しとなるCメロの歌詞を、以下に引用します。

いつもの夏と違うんだ
誰も気づいていないけど
日差しの強さだとか
花の色の鮮やかさとか…
何度も季節は巡って
どこかに忘れていたもの
誰かを好きになる
切ない入り口を…
You know…

 1行目は「いつもの夏と違うんだ」という宣言から始まります。では、なにが違うのか。その内容が2行目以降に記述されていきます。

 「日差しの強さ」や「花の色の鮮やかさ」など、文字どおりに意味をとっていくと、気候がいつもの夏とは違う、と言っているように思われます。

 しかし、そうではありません。語り手である「僕」が主張したいのは、7行目の「誰かを好きになる」の部分。

 誰かを好きになることで、日差しの強さや花の色が、それまでとは全く違って感じられる。つまり、いつもの夏と違うのは気候ではなく、「僕」の内面。

 今年の夏は恋をしているために、いつもの夏とは全く違う。上記の引用部は、そのような「僕」の精神的な変化をあらわしているということです。

 Cメロでは「僕」が恋をする「君」の描写は、まったくありませんでしたが、続く1番のAメロは「君」を説明する内容となっています。以下に引用します。

オレンジ色のノースリーブ ワンピース
サイドウォークで
太陽が似合うのは君だ

 具体的に「君」が好きだ、と記述されるのではなく、服装と場所の断片的な情報が示されるだけ。

 しかし、服装を細かく認識している点と、Cメロからの繋がりを考えると、「僕」が恋する相手は「君」なのだなと、分かる構造だと言えるでしょう。

 「いつもの夏と違うんだ」という一節から始まり、リスナーは自ずと何がいつもと違うんだろう、と疑問を持ちます。

 その疑問に応えるように、「僕」は「君」に恋をしているために、いつもの夏とは違う、という情報がここまでの歌詞で明らかになりました。

「僕」と「君」の関係性

 Aメロでは「君」の服装を描写していました。それに対して、Bメロでは行動が描写されています。以下に引用します。

ルイボスティーを飲みながら
なぜ 一人微笑むの?
テーブルの下 さりげなく
サンダル 脱ぎ捨てた

 2行目の「なぜ 一人微笑むの?」は、実際に質問をしたわけではなく、「君」の一挙手一投足を見つめてしまう「僕」の精神状態を、あらわしているのでしょう。

 疑問文は、サビに入っても繰り返し登場します。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

裸足になってどうするつもり?
そのまま どこかへ歩いて行くの?
ねえ 何をしたいんだ?
行動が予測できないよ
他人(ひと)の目 気にせずに気まぐれで…
そう君にいつも 振り回されて
あきれたり 疲れたり
それでも君に恋をしてる

 冒頭3行は、すべて疑問文。これらの疑問形もBメロと同じく、質問をしているわけではなく、「僕」が「君」の行動を追っている、夢中になっている様子をあらわしているのでしょう。

 同時に、6行目には「そう君にいつも 振り回されて」という言葉が続くことから、「僕」が「君」に振り回されている状況も、描写しています。

 最後の8行目は「それでも君に恋をしてる」と締めくくられています。つまり「僕」は振り回されつつも、「君」に夢中であるということ。あるいは夢中であるがために、振り回されていると言ってもいいかもしれません。

 いずれにしても、まだ恋に進展があるわけではなく、「僕」の片思いの状態であることが、ここまでの歌詞から想定できます。

 2人の関係性は、2番のAメロとBメロで、より具体的に記述されています。まず、2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

近くにいつも
大勢いるよ
男友達
その中の一人が僕だ

 上記の引用部から、「僕」は「君」の男友達であることが明らかになります。また、2行目の男友達が「大勢いるよ」からは、「君」が魅力的であることも示唆されています。

 続くBメロでは、「僕」の心情が記述されます。以下に引用します。

悔しいけどしょうがない
告白もしてないし
今の距離感 心地いい
普通で楽なんだ

 Aメロで友達であることが明かされ、上記Bメロでは、この状況に納得しているような「僕」の心情が記述。

 以上、2番のAメロとBメロの歌詞から、「僕」と「君」の関係性は、「僕」の片想いであると分かります。

「裸足」はなにを表象するか?

 タイトルにも含まれている「裸足」。サビには実際にこの言葉が出てきますが、一体これは何を表象しているのか、考えてみます。

 もちろん、文字どおりの意味は、サンダルや靴を脱いで素足になること。この裸足になる行為が、なにか別の意味を含んでいるのかどうか、確認するということです。

 2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

それなら僕も 裸足になって
一緒にどこでも歩いて行くよ
何だって付き合うさ
愛しさが背中を押すんだ
自分の気持ちは隠したまま
そう君といると素直になれる
欲しいものは前にある
いつかはちゃんと話せるかな

 1番の歌詞では「君」がサンダルを脱ぎ捨て、「僕」は「裸足になってどうするつもり?」と困惑していました。

 それに対して上記2番のサビでは、1行目に「それなら僕も 裸足になって」とあるとおり、「僕」は困惑するのではなく「君」にペースを合わせています。

 服を着替えること、あるいは脱ぐことで、心の変化をあらわすのは、たびたび用いられる表現方法です。僕も最初は「裸足でSummer」というタイトルですし、夏になって開放的になった気分を歌う曲だと考えていました。

 しかし、この曲において「裸足」は、心の変化というよりも、「君」のキャラクターを象徴的に示した言葉ではないかと思います。

 つまり、1番では「君」のマイペースで予測できない性格をあらわし、2番ではそんな「君」に惹かれる「僕」の恋心が、「裸足」というワードを介して描かれているということです。

結論・まとめ

 以上「裸足でSummer」の歌詞を、考察してきました。

 歌詞は、語り手である「僕」が、「君」に対する片想いを綴る内容。よくある夏のラブソングとも言えますが、この曲の特徴は、「裸足でSummer」というタイトルが示すとおり、「裸足」がキーワードとして機能しているところです。

 前述したとおり、「裸足」は「君」のキャラクターを象徴する言葉として、効果的に用いられています。

 歌詞を冒頭から見直して見ると、1番Aメロで「君」の描写をするときにも、「サイドウォーク」という言葉が出てきました。

 「sidewalk」とは、歩道を意味する英語。「裸足」というキーワードと併せて、この曲では常に注意の中心が、足元にあることが分かります。

 裸足になるという行為は、夏になって気分が開放的になる、自分の心をさらけ出す、という意味も少なからず含んでいるのでしょう。

 「裸足でSummer」というタイトルにも集約されていますが、「裸足」の意味を巧みに利用した夏ソングだと思います。

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乃木坂46「キャラバンは眠らない」歌詞の意味考察 アイドルとキャラバンの共通項


目次
イントロダクション
そもそもキャラバンとは?
アイドルとキャラバンの共通点
夜を描く理由
フロンティアの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「キャラバンは眠らない」は、女性アイドル・グループ、乃木坂46の楽曲。2018年11月14日リリースの22ndシングル『帰り道は遠回りしたくなる』に収録されています。

 作詞は秋元康。センターを務める齋藤飛鳥さんをはじめ、若手を中心に編成されたメンバーによって歌唱される楽曲です。

 この曲が収録される『帰り道は遠回りしたくなる』は、乃木坂の1期生であり、長らくエース格として活躍した西野七瀬さんが参加する最後のシングル。

 同時期には西野さん以外に、若月佑美さん、能條愛未さん、川後陽菜さんと1期生が立て続けに卒業を発表。いやが応にも、乃木坂の転換期を感じさせるシングルとも言えます。

 そんなシングルのカップリングとして収録される「キャラバンは眠らない」。前述したとおり、齋藤飛鳥さんをセンターに据え、若手メンバーによる楽曲となっています。

 あたかも数年後の乃木坂を予見させるようなメンバー構成。そして、歌詞も未来へと進む内容となっています。

 ハッキリ言ってしまえば、若手メンバーへ向けられたとしか思えない歌詞です。では、どのようなことが歌われているのか、僕なりの解釈をご紹介したいと思います。

そもそもキャラバンとは?

 タイトルになっており、歌詞のなかにも何度も出てくる「キャラバン」という単語の意味を、最初に確認しておきましょう。

 キャラバンとは、ペルシャ語の「カールヴァーン」(Karvan)を語源に持つ言葉で、日本語では「隊商」という訳語があてられています。

 手元にある広辞苑に載っている「隊商」の意味を、以下に引用します。

砂漠のような鉄道の発達しない地方で、隊伍を組み、象・ラクダ・ラバなどの背に、商品などを積んで行く商人の一団

 上記の引用で、言葉の意味は確認できました。「キャラバンは眠らない」の歌詞も、上記キャラバンの意味をモチーフにしながら、綴られています。

 しかし、文字どおり荒野を行く商人たちを鼓舞する曲かといえば、そうではありません。表層的にはキャラバンをモチーフにはしていますが、歌詞が伝える意味はより広く、共通の目的を持つグループを描いた内容。

 言うまでもなく、この曲を歌う乃木坂の若手メンバーにも、あてはまる内容となっています。

 でも、共通の目的を持つグループを描くなら、例えばスポーツのチームや、劇団をモチーフにしても良かったはず。なぜ、モチーフとして「キャラバン」が選択されたのか。その理由を考えてみましょう。

 掘り下げて考えてみると、キャラバンを比喩に使うことで、多くの意味が帯びることに気がつきます。いくつか思いつく例をあげていきます。

 鉄道や道路がない場所を行くということは、レールのように決まった経路がなく、試行錯誤しながら進む必要があること。その道中で、未知なる危険に遭遇する可能性もあること。目的地に着くまで、メンバーは寝食を共にし、密接な関係になること等々。

 冒険とも呼ぶべき道程をたどるドラマ性と、多くの時間を一緒に過ごすことになる親密性が、もっとも顕著な特徴と言えるでしょう。

アイドルとキャラバンの共通点

 ここまでの考察をまとめると、この曲は表層ではキャラバン隊を歌いながら、比喩的に乃木坂の未来を歌っているということ。

 ではキャラバンが持つイメージを、アイドルグループに照らし合わせることで、どのような意味が生まれるのか。実際に歌詞を見ながら、検討します。

 1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

地平線で重なる
大地と空のように
どこまでも続く果てしない世界
道なき道 迷って 残された手がかりは
誰かが歩いたその足跡

 前半3行では、キャラバンが喚起するイメージどおりに、荒野を行く様子が描かれています。それに対して後半2行では、別のキャラバン隊の存在が示唆されています。

 では、上記引用部をアイドルグループに置き換えて解釈すると、どうなるか。前半3行は成功への道筋が不確かであること、後半2行はすでに卒業した先輩メンバーが、道筋を示してくれたことを表していると言えるでしょう。

 まとめると、成功への決まった経路は存在しないアイドルグループとしての活動。そんな不確かな状況において、先輩の活動がある程度の道しるべになっているということです。

 つづいて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

どんな夢を見たのか?
風は強く吹いたか?
太陽が沈んで暗い闇に絶望したか?

 こちらの引用部では、3つの文章すべてが疑問文になっています。また、1行目に「夢」、3行目に「暗い闇」と出てくるため、時間設定が夜であることも分かります。

 まずは、疑問形である理由を考えてみます。キャラバンのイメージに沿って解釈すると、荒野の旅路があまりにも過酷だから、あるいは当初の目標とモチベーションを思い出すため、語り手が自問自答しているように思われます。

 次に、アイドルグループに代入すると、どのような意味を帯びるのか検討します。

 1行目の「どんな夢を見たのか?」は、キャラバン的に解釈すると、文字どおり寝ているときにどんな夢を見たのか、という意味でしょう。

 しかし、アイドル的に解釈するなら、そもそもアイドルを目指すときに何を夢見ていたのか、という問いかけとも取れます。

 2行目と3行目も、キャラバン的解釈なら、そのまま言葉どおりに受け取ればいいでしょう。一方で、アイドル的解釈なら、楽しいことばかりではなく、時には過酷なアイドル生活に心が折れていないか、という自問のように響きます。

 道なき道をいく過酷なキャラバン。確実に成功するという保証はないアイドル。両者の置かれた、決まりきった経路はないという共通した状況が、ダブルミーニングで描かれた歌詞と言えます。

夜を描く理由

 何日にもわたって、道なき道をいくキャラバン。「キャラバンは眠らない」というタイトルが示唆するとおり、この曲では「夜」というワードが、くり返し使われています。

 先ほど引用した1番のBメロは、時間が夜に設定されていました。その後に続くサビでも、引き続き夜のまま。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

キャラバン星の夜は眠らない WOWOWOWO…
キャラバンそう微かな灯りでも…
そうさ
キャラバン先を急いで行こう! WOWOWOWO…
キャラバンそこに道が見えるなら…
信じる方角へ進むだけだ
前の世代を超えろ!

 引用部をまとめると、夜でも歩みを進めよう、という内容。最後の行が「前の世代を超えろ!」で締めくくられていますが、アイドル・グループに置き換えても、きわめて分かりやすい歌詞と言えます。

 前述のとおり、時間設定は夜。では、なぜ夜を描く必要があったのか、検討します。

 まず1行目。「キャラバン星の夜は眠らない」とあるとおり、夜でも歩みを止めない、という強い意志が示されています。

 さらに2行目。「そう微かな灯りでも…」と続き、いかに暗い夜でも、光がある限り進もうと、1行目の意志がくりかえし強調されています。

 本来のキャラバンは、天候の問題や、盗賊等を避ける目的がある場合を除き、わざわざ夜に歩みを進めはしないはず。そのため上記の引用部は、アイドル・グループの置かれた状況へと、変換して読みとくべきだと考えます。

 冒頭で紹介したとおり、乃木坂の若手メンバーによって歌唱されるこの曲。まだ選抜未経験のメンバーも含まれ、実際の選抜メンバーと比べれば、発展途上とも言えます。

 歌詞の世界観に照らし合わせると、この曲の構成メンバーにとっての夜明け、すなわち全盛期と言うべき時間は、未来にあるということ。つまり、時間を夜に設定することで、若手メンバーを鼓舞する意味を付加したとも解釈できます。

 ここまでキャラバンを比喩的に用いて、アイドル・グループの状況が描かれてきましたが、サビに至るとアイドルを思わせる表現が前景化。

 もはや、乃木坂の若手メンバーへのメッセージとしか、思えない内容となってきました。

フロンティアの意味

 2番に入っても、歌詞の構造は1番と変わりません。すなわち、キャラバン隊を思わせる描写に、アイドル・グループの活動が重なる内容となっています。

 2番のサビでは、1番での「キャラバン」に代わり「フロンティア」という言葉が登場。この言葉が何を意味するのか、検討しましょう。

 2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

フロンティアその背中が遠くても WOWOWOWO…
フロンティアいつの日にか追いつこう
君は
フロンティア憧れて来たんだ WOWOWOWO…
フロンティアずっと夢の中にいた
このまま走っても間に合わない
違うルートを探せ!

 「フロンティア(frontier)」とは、辞書的には「最前線」「境界地帯」などを意味します。特にアメリカ合衆国では、西部開拓時代の最前線を指し、「未開の地」「新天地」といった意味も持つ言葉です。

 引用部に出てくる「フロンティア」。キャラバン隊的に解釈するなら、上記の意味のとおり、まだ見ぬ新天地という意味でしょう。

 では、アイドルに代入すると、どんな意味を帯びるか。具体的に乃木坂46に照らし合わせて、考えてみましょう。

 この曲がリリースされた2018年11月時点で、乃木坂は日本のトップ・アイドル・グループと言って、差し支えないでしょう。その人気を牽引するのは、シングルのリード曲を歌う選抜メンバーたち。

 「フロンティア」が意味するのは、乃木坂の人気を作り上げてきた、卒業したメンバーも含めた、これまでの選抜メンバーたちです。

 この曲を歌唱する一部の若手メンバーにとっては、過去の主力メンバーたちは、歌詞にあるとおり「憧れて来た」存在であるのでしょう。

 さらに上記引用部6行目では「このまま走っても間に合わない」、7行目には「違うルートを探せ」と綴られています。

 つまり、過去の主力メンバーは憧れの存在ではあるけど、模倣するだけでは、追いつき追い越すことはできないということ。

 これまでの乃木坂の成功をフロンティアに例え、現在の若手メンバーには、それをなぞるだけでなく、いずれは超えてほしい。そのような激励を込めた歌詞と言えるでしょう。

結論・まとめ

 以上「キャラバンは眠らない」が、乃木坂の若手メンバーに向けられた曲である、という仮説に基づいて、歌詞を読みといてきました。

 この曲では表層では荒野をいくキャラバン隊を描きながら、深層では乃木坂の若手メンバーを鼓舞する内容になっています。

 冒頭に書いたとおり、長年エースとして活躍した西野さんが卒業。

 人気の低下も危惧されるなかで、若手メンバーたちには、今まで以上に乃木坂を発展させ活躍してほしい、というメッセージが込められた曲と言えるのではないかと思います。

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乃木坂46「帰り道は遠回りしたくなる」歌詞の意味考察 好きだった「帰り道」から、新しい「知らない道」へ


目次
イントロダクション
タイトルの意味
「この場所」はどこか?
「帰り道」は何を意味する?
歌詞のなかでの時間経過
「帰り道」と「知らない道」
結論・まとめ
ミュージックビデオについて

イントロダクション

 「帰り道は遠回りしたくなる」は、女性アイドルグループ、乃木坂46の楽曲。2018年11月14日に、22作目のシングルとしてリリース。作詞は秋元康。

 2018年いっぱいでの卒業を発表している西野七瀬さんが参加する、最後のシングルとなります。(卒業コンサートは2019年に開催)

 そのため歌詞も、西野さんの卒業を連想させる内容。ただ、直接的に卒業や別れを語るのではなく、あくまで卒業ソングとしても解釈できる構造になっています。

 秋元康らしく、解釈がいくつも可能な歌詞とも言えるでしょう。

 このページでは、「帰り道は遠回りしたくなる」の歌詞を考察し、どのあたりが卒業を連想させるのか、明らかにしたいと思います。

タイトルの意味

 最初に「帰り道は遠回りしたくなる」という印象的なタイトルについて検討しましょう。

 まず気になるのは、タイトルが文章であること。いや、2000年代以降は、文章化したタイトルの作品が増えているので、もはや何も感じない人の方が、多いかもしれません。

 いくつか例をあげると、書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』、ライトノベル『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などなど。

 文章化したタイトルの長所は、端的に言ってしまえば、内容を想像しやすいところでしょう。では「帰り道は遠回りしたくなる」というタイトルは、どんな印象を与えるのか。

 まず「帰り道」は、どこかに行ったあとで、自分の家に帰る道ということ。なにかの終わりを感じさせます。その後に続く「遠回りしたくなる」には、まだ家には帰りたくない、という気持ちがあらわれています。

 つまり、出かけた場所が楽しかったので、この余韻を少しでも味わいたい、という心情なのでしょう。文字どおりの意味では「今日は楽しい1日だったので、帰るのが名残惜しく、だから遠回りしたくなる」となります。

 では、このタイトルを西野さんの状況にあてはめるとどうでしょうか。乃木坂46という場所から、離れるのが名残惜しい、ということになるでしょう。

 いずれにしても、終わりと始まりを思わせるタイトルであり、西野さんにあてはめると、乃木坂46への愛着を感じさせるタイトルです。

「この場所」はどこか?

 では、タイトルの意味を念頭におきながら、実際の歌詞を検討していきましょう。イントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

好きだった… この場所…

 「この場所」とは、どこを意味するのか。結論から言うと、具体的には記述されません。

 しかし、その前に「好きだった」とあるとおり、語り手の「僕」にとって居心地がいい場所であるには確かです。

 続いて、1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

やめられない漫画を途中で閉じて
顔を上げて気づくように
居心地いい日向もいつの間にか
影になって黄昏(たそがれ)る

 上記の引用部をまとめると、なにかに夢中になっていたら、いつの間にか多くの時間が過ぎていた、ということでしょう。

 3行目〜4行目では、「日向」が「黄昏」になることで、時間の経過をあらわしています。昼間をあらわす「日向」から、夕暮れを意味する「黄昏」への移行は、なにかの終わりを示唆しているとも言えます。

 その後に続く、Bメロの歌詞を、以下に引用します。

君と会って
過ぎる時間忘れるくらい夢中で話した
僕の夢は
ここではないどこかへ

 1行目の「君」が誰で、「僕」とどんな関係にあるのか。ここでも、具体的な情報は提示されません。

 前半2行は、Aメロの内容とも共通しており、「君」との会話は時間を忘れるくらい夢中になるものだった、という内容。しかし後半2行では、一変して「僕」の夢についての記述となっています。

 ここまでの歌詞の内容は、いずれも抽象的。断片的なイメージは伝わってきますが、具体的な状況や人物描写が、ほとんどありません。

 「帰り道は遠回りしたくなる」というタイトルですが、具体的にどこへ出かけ、どこから帰ってくるのか。そのような情報が、歌詞では語られません。

 では、詳細が語られない理由はなぜか。具体的なエピソードを語るのではなく、抽象的にメッセージを伝えるため、というのが僕の仮説です。

 この曲では「帰り道」や「この場所」といった言葉が、それぞれ表面上の意味だけでなく、より広がりのあるシンボリックな意味をともなっています。

 イントロ部分の「この場所」を例にとれば、自分が慣れ親しんだ居心地のいい場所を指しており、リスナーによって様々な意味に響きます。

 西野さんの状況にあてはめると、言うまでもなく乃木坂46が、居心地のいい「この場所」だということです。

「帰り道」は何を意味する?

 その後に続く歌詞も、文字どおりの意味をとるのは簡単ですが、いくつもの解釈が可能なかたちで記述されていきます。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

帰り道は 帰り道は
遠回りをしたくなるよ
どこを行けば どこに着くか?
過去の道なら迷うことがないから
弱虫(弱虫…)
新しい世界へ
今 行きたい 行きたい 行きたい
行きたい強くなりたい

 こちらの引用部の「帰り道」とは、なにを意味するのでしょうか。文字どおりの意味は、どこかに出かけ帰る途中の道。

 しかし引用部の「帰り道」には、それだけにはとどまらない意味が込められています。帰る途中の道とは、往路で一度は通った道だということ。

 引用部4行目の「過去の道なら迷うことがないから」という一節から、ここでの「帰り道」とは、帰路の意味だけでなく、過去に歩んできた道全般を指していることが分かります。

 つまり、もっとくだけた意訳をすると、帰路の意味だけでなく、すでに経験したできごと全般を指しているということです。

 そして、6行目の「新しい世界へ」には、新たな世界へ向かう意思がこめられています。帰り道に遠回りをしたくなる理由は、「この場所」を離れるのが名残惜しいばかりでなく、新しい道へ進む不安も、含まれているのでしょう。

 西野さんに置き換えると、乃木坂という馴れ親しんだ道を離れ、ソロ活動という新たな道へ進む、不安と決意を歌った曲と言えます。

 サビ後のブリッジ部分には、イントロ部分にあったメロディーと歌詞が、再び挿入されます。以下に引用します。

Oh!Oh!Oh! 好きだった… この場所…
Oh!Oh!Oh! 一歩目… 踏み出そう!

 上記の引用部には、1番の歌詞が伝えるメッセージが、凝縮されていると言えるでしょう。すなわち、馴れ親しんだ場所を離れ、知らない道、新しい道へと進むということです。

歌詞のなかでの時間経過

 2番に入っても、1番と同じく抽象的なかたちで、新しい道へ向かう心情が、綴られていきます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

街灯りが寂しくふと感じるのは
見慣れた景色と違うから
いつもの高架線が見えなくなって
どこにいるかわからない

 1番のAメロでは、「日向」から「黄昏」へと、時間の経過が描かれていました。上記2番では、1行目の「街灯り」から想定するに、さらに時間が進み、夜になっています。

 そして後半2行では、暗くなって景色が変わったために「どこにいるかわからない」、と記述されています。これは何を意味するのでしょうか。

 時間の経過は、別れが近づいていること。どこにいるかわからなくなったのは、新しい道へ進むことへの不安をあらわしている、というのが僕の考え。

 見慣れたはずの帰り道も、夜になって高架線が見えないことで、まったく違って見える。言い換えると、同じ場所にいても、環境が変わると全く違って見える、ということです。

 その後に続くBメロでは、語り手である「僕」の心情が綴られます。以下に引用します。

人は誰も
変わることに慣れていなくて昨日と同じように
今日も明日(あす)も
ここにいたくなるんだ

 説明する必要がないぐらい、単刀直入な内容です。注目すべきは時間の経過に比例して、語られる心情も変化しているところ。

 1番では「日向」と「黄昏」と共に、「君」との時間の大切さと、「僕の夢」がこの場所ではないどこかにあると、語られました。

 それに対して2番では、時間が夜まで進み、「僕」のより強い決意が書かれています。歌詞のなかでの時間の経過は、並行して「僕」の心情の変化もあらわしているのでしょう。

「帰り道」と「知らない道」

 2番のサビでも、「僕」の心情が記述されます。「弱虫」というワードと共に、不安な気持ちも含まれていた1番に対して、2番ではより強い決意が綴られます。

 2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

知らない道 知らない道
あと何回 歩けるだろう
夢の方へ 愛の方へ
風は道を選んだりはしないよ
このまま(このまま…)
ONE WAYの標識
でも 行くんだ 行くんだ 行くんだ 行くんだ
戻れなくても…

 上記の引用部も、表面上の意味をとるのは、それほど難しくありません。しかし、ここまでの歌詞と同じく、深読みを許容する表現が並んでいます。

 キーとなるのは「ONE WAYの標識」。「ONE WAY」とは、一方通行の意味。すなわち、その方向へ進んでしまったら、二度と引き返せないということ。歌詞でも「行くんだ 戻れなくても…」と綴られています。

 西野さんの状況に置き換えると、乃木坂に帰るのではなく、卒業してソロへと転向すること。そして、二度と乃木坂には戻らないことを意味します。

 上記引用部で、もうひとつ重要なのは、1行目の「知らない道」という表現です。1番の歌詞では、同じ位置に「帰り道は」が入っていました。

 入れ替わりで使用されているのも示唆的ですが、この曲では「帰り道」に対立する概念として「知らない道」という言葉が使われています。

 一貫して具体的なストーリーではなく、抽象的にメッセージを綴っていくこの曲。「帰り道」と「知らない道」も、文字どおり以上の意味をともなっています。

 先ほども触れたとおり「帰り道」は、帰る途中の道。すでに知っていること、慣れ親しんだ場所の象徴として、「帰り道」という言葉が使われているのでしょう。

 「知らない道」は、その逆の概念。つまり、まだ知らないこと、新しい場所を象徴した言葉なのだと考えられます。

 そして、語り手である「僕」は、知らない道へ進むことを選んだのです。

結論・まとめ

 考察してきたことを、まとめましょう。

 「帰り道は遠回りしたくなる」は、具体的なストーリーではなく、メッセージが前景化した歌詞を持っています。

 登場人物は、語り手である「僕」と「君」。「僕」が、慣れ親しんだ場所である「帰り道」から離れ、新しい世界を象徴する「知らない道」へ、踏み出すまでの心境が語られています。

 また、この曲をラストに乃木坂46を卒業する、西野七瀬さんを連想させる内容にもなっています。

 歌詞における「僕」が西野さん。「帰り道」が乃木坂46で、「君」が乃木坂のメンバー、「知らない道」が卒業にあたります。

 好きだった場所が名残惜しく、新しい世界への不安もあり、遠回りをしながらも、最後には「知らない道」へと踏みだしていく。それが歌詞の内容です。

 ここからは、自分の感情も含めて、書いていきたいと思います。若干の文の乱れは、ご容赦ください。西野さんのことも、以降は「なぁちゃん」と記載させていただきます。

 「帰り道は遠回りしたくなる」というタイトルが発表されたとき、学校あたりを舞台にした架空のストーリーを語り、なんとなく卒業も感じさせる曲なのではないかと想像していました。

 でも実際の曲は、想定を超えて卒業ソングでしたね。歌詞は思ったより抽象的だし、後半はもうなぁちゃんの卒業のことを歌っているとしか思えない内容です。

 なぁちゃんのおっとりしているけど、ときに芯の強さを見せる性格に、「帰り道は遠回りしたくなる」という言い回しはぴったりだと思います。

 本論では触れませんでしたが、「弱虫」という言葉が使われていながら、やがて新しい世界へ踏みだしていくところも、彼女の成長をあらわしているようで泣けます。

ミュージックビデオについて

 さて、結論のあとになりますが、ミュージック・ビデオについても、触れておきます。

 動画を観ていただければ、特に説明の必要もないぐらい、わかりやすい内容です。主役は、センターを務めるなぁちゃん。

 メガネをかけたなぁちゃんが、発車しそうなバスに向かって、走るシーンから始まります。描かれるのは、ふたつの並行世界。

 一方はバスに間に合い、そのまま学生を続ける世界。もう一方は、メガネを落としてしまいバスに間に合わず、たまたま道を歩いていたスカウトに出会い、アイドルになる世界。

 歌詞にも「帰り道」「知らない道」と何度も道が出てきますけど、人生には無数に道があるんだよ、という内容になっています。

 もちろん、なぁちゃん以外の乃木坂メンバーも出てくるのですが、歌詞の内容とも相まって、なんだか泣けてきます。

 僕は秋元真夏さん推しなのですけど、やっぱり推しでなくともメンバーの卒業は寂しい。本当に寂しいです。

 思い入れがある方はもちろん、そうでなくとも間口の広い歌詞であり、楽曲であると思います。ぜひ聴いてみてください!

 




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乃木坂46「制服のマネキン」歌詞の意味考察 恋愛禁止を掲げるアイドルの矛盾


目次
イントロダクション
「制服のマネキン」とは?
場面設定
「君」の感情
問いかけの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「制服のマネキン」は、2012年12月19日にリリースされた、乃木坂46の4作目のシングル。2015年1月7日リリースの1stアルバム『透明な色』にも収録されています。作詞は秋元康。

 「制服のマネキン」という曲名にも集約されているのですが、アイドル・グループが歌うことで、アイドルというシステムを揶揄しているようにも、アイドルの異常さを指摘しているようにも聞こえる楽曲です。

 僕は基本的には、歌詞の内容は独立して解釈すべき、と考えています。つまり、誰が書いたか歌ったか、どのような背景で生まれた曲か、といった外部の情報よりも、歌詞に書かれた内容のみで解釈すべき、ということ。

 しかし、秋元康という策士が書いたこの曲。恋愛禁止を掲げる女性アイドル・グループが歌うことで、明らかにアイドル自体をテーマにした曲として響いています。

 具体的には、恋愛を禁じられたアイドルと、そのアイドルを追うヲタクとの関係性が、記述されているように思えるのです。アイドルに恋をすることを「ガチ恋」と呼びます。握手会などのいわゆる接触イベントをおこなうアイドル・グループにとって、多かれ少なかれ、ファンにガチ恋的感情を抱いてもらうことは重要です。

 なぜなら、CDが売れなくなったと言われて久しい現代。「AKB商法」と呼ばれ、批判を受けることも度々ありますが、1人のファンに多くのCDを買ってもらうことが、アイドル・グループを経済的に成り立たせるため、極めて大きなファクターを締めるからです。

 そこで、CDを大量に買ってもらうモチベーションとして、恋愛感情を利用するわけです。しかし、ここには大きな問題があります。アイドルは、アイドルをやっているからこそ、ヲタクにとって会える存在。ひとたびアイドルを辞めてしまえば、基本的にはヲタクは会う機会を失います。いわば一方通行の関係性。

 そして、多くのアイドルは恋愛禁止をルールとして掲げ、アイドルをやっている限りは、ヲタクとアイドルの恋愛が発展することはありません。(少なくとも建前上は)

 なんだか、ライアーズ・パラドックスのような状況ですよね。アイドルは恋愛禁止を叫んでいるのに、実際には恋愛感情を利用しながらCDを売ろうとしている。そして、アイドルを卒業してしまえば、ヲタクは会えるシステムを失ってしまう。

 「制服のマネキン」は、このようなアイドルの矛盾を、自己言及的に歌っているのではないか、というのが僕の仮説です。では、そのような考えに基づいて、歌詞の意味を考察していきたいと思います。

「制服のマネキン」とは?

 まず、曲のタイトルになっている「制服のマネキン」が何を意味するのか、検討しましょう。マネキンというのは、言うまでもなく、見本用に洋服を着せられ、展示される人形のことです。

 「制服のマネキン」とは、サビの歌詞にも出てきますが、制服を着たマネキンということ。では「制服」とは、何を象徴するでしょうか。まず思い浮かぶのは、学校の制服。あるいは、コンビニやチェーン系レストランなどの制服。

 制服とは、ある組織に所属している人々が着用する、共通するデザインを持った服のこと。そのため、着ることで自分が属しているグループ、あるいは職業までをも示す記号性を有しています。また、着ることを半ば強制されるため、組織やルールを表象しているとも言えるでしょう。

 まとめると「制服」とは、組織やルールを象徴する、一種の記号であるということ。「制服のマネキン」とは、ルールに従い、自分の感情を持たない、人形のような存在であることを、端的にあらわした表現です。

 乃木坂のメンバーが着る揃いの衣装も、一種のユニフォームであると言えますし、アイドルというのは、自分の感情に関係なく、笑顔を振りまかなくてはいけない存在です。

 つまり「制服のマネキン」というタイトル自体が、アイドルという存在の特異性を示しているとも言えます。では、歌詞では実際にどのようなことが歌われているのか、順番に考察しましょう。

場面設定

 最初に登場人物と、場面設定を確認します。登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。

 では、どのような場面が設定されているのか。1番のAメロの歌詞で、多くの情報が提供されます。まずはAメロ1連目の歌詞を、下記に引用します。

君が何かを言いかけて
電車が過ぎる高架線
動く唇 読んでみたけど
YesかNoか?

 引用部に「高架線」が出てくることから、場所は野外であることが分かります。「僕」が「君」の答えを待っている状態、ということで、普通に考えるならば、「僕」が「君」に告白をして、その答えを待っているシチュエーションということでしょう。

 続いて、Aメロ2連目の歌詞を引用します。

河川敷の野球場で
ボールを打った金属音
黙り込んだ僕らの所へ
飛んでくればいい

 上記の引用部では「河川敷の野球場」という言葉が出てきました。先ほどの「高架線」と合わせると、場所は近くを電車が走る河川敷ということでしょう。場面がより、具体的になりました。

 「僕」がいる場所と、野球場の距離がどの程度なのかは記されていません。しかし「ボールを打った金属音」が響いているところから、「君」と「僕」との間に、重苦しい沈黙が流れていることが示唆されます。

 ボールに対して「僕らの所へ 飛んでくればいい」と思っているところからも、「僕」が押しつぶされそうな気分であると解釈できるでしょう。

 ここまでの歌詞で、場所は河川敷。「僕」は「君」の返事を待っていて、重苦しい空気である、という状況が確認できました。

「君」の感情

 では、次に「君」はどう思っているのか、どのような答えが想定されるのか、検討していきましょう。1番のサビの後半4行を引用します。

恋をするのはいけないことか?
君の気持ちはわかってる
感情を隠したら
制服を着たマネキンだ

 上記の引用部では、「僕」が一方的に感情を明らかにするだけで、「君」の言葉や仕草が描写されることはありません。

 このあたりで、うすうす気がつくことですが、この曲は終始「僕」が一方的に状況と感情を語るだけで、「君」の人間性がまったく見えてきません。もちろん、これは作詞家による意図的な試みでしょう。

 「君の気持ちはわかってる」という一節がありますが、これもあくまで「僕」の感情であって、「君」の実体を感じさせる表現は、一切出てきません。

 文字どおり「君」は、「制服のマネキン」のような存在で、感情をあらわにしないということ。同時に「僕」と「君」の一方通行の関係性が、アイドルとヲタクの関係性と並行しているとも解釈できます。

 2番のサビでは、上記の関係性がより補強されます。2番のサビを引用します。

どんな自分を守ってるのか?
汚(けが)れなきものなんて
大人が求める幻想
どんな自分を守ってるのか?
僕は本気で好きなんだ
その意思はどこにある?
制服を着たマネキンよ

 ここでも「僕」が、一方的に自分の感情を吐き出すだけです。以上のように、この曲では一貫して「君」の個性や感情を示す描写はなされず、ひたすら「僕」の感情のみが記述されるかたちで、歌詞が進行します。

問いかけの意味

 さて、少し視点を変えて、この曲のもうひとつの特徴を指摘しておきます。それは「恋をするのはいけないことか?」という一節をはじめ、問いかけの言葉が非常に多い点です。

 これらの問いかけも「僕」が「君」に対しておこなったものだと推定できます。「君」に告白し、その答えを待っている「僕」。

 しかし、告白への回答はおろか「どんな自分を守ってるのか?」「その意思はどこにある?」という質問に対しても、歌詞の中で「君」が返答することがありません。

 これは何を表しているのでしょうか。やはり「僕」の一方的な態度、そして「君」がマネキン的存在であることを、ますます浮かび上がらせていると言えるでしょう。

結論・まとめ

 ここまで「制服のマネキン」はアイドルが持ち得る矛盾を、自己言及的に歌った曲なのではないか、という仮説に基づいて歌詞を読み解いてきました。

 歌詞の内容は「僕」が語り続けるばかりで、「君」の感情や顔が全く見えてこない。もちろん「僕」の問いかけにも「答えない」という点は、アイドルとヲタクの関係性を表していると言えます。その理由は、「僕」が「君」に理想の言葉を追い求める、一方的な関係であるから。これは、ある決まったシチュエーションのみで会うことができる、アイドルとヲタクの関係性に対応しています。

 「恋をするのはいけないことか?」、この質問に対して「僕」が期待するのは「いけないことではない」という主旨の答え。しかし、前述のとおり「君」が答えることはありません。

 それが「君」の感情によるもの、言い換えれば「君」が「僕」に対して興味がないから答えに困っているのか。あるいは、まだ制服を着る学生なので早いと思っているから、アイドルに当てはめて言い換えるなら、アイドルをしているために答えられないのか、理由は最後まで明かされません。

 回答がはぐらかされるところも、恋愛感情を巧みに利用しながら、恋愛禁止を掲げるアイドルの矛盾を、あらわしているのではないかと思います。

 以上、長々と書いてきましたが、僕はアイドルの接触イベントを悪いとも思っていませんし、ヲタクが全員ガチ恋だとも思っていません。

 ただ、音楽やダンスのクオリティよりも、アイドルという人自体に感情移入させて、商品価値を転化させるシステムが、とてもよくできていると思うのです。(僕自身、握手会や2S会に、それなりに参加してしまいますし…。)

 それと「恋愛禁止」を掲げるのも、システムとして理にかなって思うんですよね。ガチ恋の人にとっては対象が誰のものにもならないという安心感を与えるし、アイドルを守る予防線にもなります。さらに言えば、恋が叶わない理由にもできるという。

 少し視点を変えて「制服のマネキン」の歌詞を読んでみると、「僕」は恋が叶わない理由を、まだ学生だから「君」は早いと思っている、と理由づけて納得しているようにも響きます。

 いずれにしても、この曲は「僕」が感情を一方的に投げつける歌であり、「君」は決して感情を出さない、あるいは出せない「制服のマネキン」である。そしてそれはアイドルとヲタクの関係性と一致する、というのが結論です。

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