目次
・イントロダクション
・歌詞の場面設定
・歌詞の二面性
・結論・まとめ
イントロダクション
2018年8月8日にリリースされた、乃木坂46の21作目のシングル「ジコチューで行こう!」。作詞は秋元康。
秋元康が作詞の曲に限らず、歌詞がダブル・ミーニング、あるいはトリプル・ミーニングとなり、多層性を持っていることが、ポップ・ミュージックでは、たびたびあります。「ジコチューで行こう!」も、その一例。
8月にリリースされたこの曲は、夏曲という一面を持ちながら、歌詞の内容は人生賛歌とも、炎上商法の肯定とも取れるもの。このページでは、歌詞の意味を順に解釈しながら、その二面性を読み解いてみたいと思います。
歌詞の場面設定
まずは、場面設定と登場人物を確認しましょう。1番のAメロの歌詞で、情報が提示されます。Aメロの歌詞を、以下に引用します。
坂を駆け上がって
肩で息しながら
(wow…)
強い日差しの中
入江の向こうに広がる海原
「僕」や「私」といった一人称の代名詞は用いられないものの、ある語り手の視点から、歌詞が綴られていきます。登場人物は、この「語り手」ひとりだけです。
上記の引用部では、語り手が坂を駆け上がり、その頂上からは海が見えることが明らかにされています。場所は、海の近くの野外。「強い日差し」という言葉からは、季節が夏であることも示唆されます。
語り手の心情
Aメロの歌詞では、場面設定が明らかにされ、Bメロ以降の歌詞では、語り手の心情が記述されていきます。では、Bメロから順に、語り手が伝えたいメッセージを、確認していきましょう。1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。
ずっと抱えてた悔しいことが
何だか ちっぽけに見えて来た
やめよう!もう…
上記の引用部は、語り手が坂を登りきった先に広がる、海を見ながら抱いた感情でしょう。海を眺めて、心が浄化されたり、あるいは「バカヤロウ!」と叫んで気分転換をする、というシチュエーションは、ドラマや映画でも見かけます。この引用部も、まさにそのような状況を描いたものなのでしょう。
その後に続くサビでは、語り手のさらに強い決意が表明されます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。
この瞬間を無駄にはしない
人生あっという間だ
周りなんか関係ない
そうだ
何を言われてもいい
やりたいことをやるんだ
ジコチューだっていいじゃないか?
人生は短いのだから、他人の目を気にせず、自分のやりたいことをやろう!という、この曲のテーマとも思われる感情を、表明しています。
1番の歌詞をまとめると、語り手が坂を駆け上がったところで海を眺めながら、その雄大な景色がきっかけとなり、「ずっと抱えてた悔しいこと」をちっぽけに感じ、自分の思い通りに生きようと決意した、ということになるでしょう。
歌詞の二面性
1番で、自由に生きる意思を固めた語り手。それでは、2番に入ると、歌詞はどのように発展していくのか、検討していきます。2番のAメロ後半部を、以下に引用します。
エゴサばかりしてた
今日までの自分も生まれ変わるかな
引用部に「エゴサ」という言葉が出てきました。1番までの歌詞だと、夏の暑い日に海を見ながら、決意を新たにした、という夏曲として解釈できます。しかし、ここで「エゴサ」というネット社会以降の単語が出てきたことにより、歌詞が途端に日常性と現代性を帯びてきました。
「エゴサ」とは「エゴサーチ」の略で、インターネット上で自分の名前を検索し、その評価を確認する行為。語り手は、これまでは他人の評価を気にして、エゴサばかりしていた事実を告白しています。
その後に続くBメロでは、さらに「エゴサ」というワードを意識し、発展させた内容が記述されます。以下に引用します。
目立たないのが一番楽で
叩かれないこととわかったよ
だけど もう
ネット上でネガティヴなコメントが寄せられることを、「叩かれる」と表現します。先のBメロでは、他人の評価を気にして、エゴサばかりしていた語り手。上記の引用部では、叩かれないよう、目立たない行動を心がけていたことが、明らかにされています。
しかし、3行目では「だけど もう」と、逆接を示唆する言葉が続き、サビへと入ります。2番のサビ前半の歌詞を、以下に引用します。
この青空を無駄にはしない
夕立もきっと来るだろう
今しかできないことがある
絶対
インターネットを連想させる言葉が続いていましたが、上記の引用部では、再び夏の野外のイメージが戻ってきました。
冒頭からの歌詞の流れを整理すると、まず語り手は坂を駆け上がったところで、海を見ながら、心情に変化が生じています。2番に入り、エゴサを気にしないように生きようと誓ったのも、その変化のひとつ。
そして、2番のサビに入り、「青空」と「夕立」という言葉が使われ、夏の晴れた日の描写が再開されています。
では、上記の引用部は、なにを語っているのでしょうか。引用1行目では、先ほど海を見ながら心情の変化が生じたように、青空を見ながら、語り手の心情にまた変化が起こったようです。
サビ前の歌詞からの流れを考慮すると、他人の目を気にして、消極的な行動をとるのはやめよう、ということでしょう。
さらに、2行目には「夕立もきっと来るだろう」と続きます。これも、サビ前の歌詞と繋がる比喩で、他人から批判されること、ネット上で叩かれることを、「夕立」に例えているのでしょう。
1番では「この瞬間を無駄にはしない」と決意し、生きる上でのスタンスを新たにしていました。そして2番に入ると、「エゴサ」というワードに象徴されるように、テーマを日常化したかたちで、1番での決意が繰り返されています。
以上のように、日常的な悩みから、普遍的な人生の悩みまで、この曲はカバーしているということ。言い換えれば、日常性と普遍性を持ち合わせていることが、この曲に奥行きを与え、魅力となっているのでしょう。
結論・まとめ
それでは、最後に考察してきたことをまとめます。語り手が海や空を見ながら、心情に変化が起こり、決意を新たにする、というのがこの曲の大まかな流れ。
「強い日差し」「広がる海原」「汗で流れ落ちれば」「この青空」など、夏を喚起させる言葉が散りばめられていることから、夏曲と言えます。夏の暑さや、大きな海や空を感じることが、決意を新たにするきっかけになった、ということでしょう。
そして、語り手の心情の変化は、「人生をどう生きるか」という大きく普遍的なものから、「エゴサを気にしない」という日常的な小さなものまでカバーする、二面性を持っています。
「ジコチューで行こう!」というカタカナ表記を使った、軽い印象を与える曲名も示唆的。「ジコチューだっていいじゃないか」という開き直りのようなフレーズを用いつつ、背中を押す応援歌にも聞こえる、射程の広さを持った曲と言えます。
歌詞を締めくくる最後の4行に、この曲のメッセージと二面性が凝縮されています。
みんなに合わせるだけじゃ
生きてる意味も価値もないだろう
やりたいことをやれ
ジコチューで行こう!
「ジコチューで行こう!」というフレーズは軽いノリに聞こえますが、「生きてる意味も価値もないだろう」と、かなり強い表現も使われています。
毒にも薬にもならないと思われる曲が、実は強いメッセージを忍び込まされ、多くの人の耳に浸透していく、ポップ・ミュージックの醍醐味を感じる表現です。
まとめると、夏曲としても機能し、日常性と普遍性を併せ持っている、というのがここでの結論。
また、みんないつかは卒業していくであろうアイドル・グループが歌うことで、アイドルが放つ刹那的な輝きを映し出している、という一面もあるでしょう。
いろいろ書いてきましたけど、ミュージック・ビデオを観ると、センターを務めた齋藤飛鳥さんの顔の小ささに、なにより驚きますね。
あと、イントロでサビのメロディーが演奏されるところも、AKB以降の秋元康の楽曲らしいアレンジです。
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