乃木坂46「君の名は希望」歌詞の意味考察 ラカンの鏡像段階で読み解く「君の名は希望」


目次
イントロダクション
人物と場面設定
「僕」の変化
「君」は何を意味するか
2番の歌詞
結論・まとめ

イントロダクション

 「君の名は希望」は、2013年3月13日にリリースされた、乃木坂46の5作目のシングル。作詞は秋元康。

 語り手である「僕」の視点から、「君」のことを綴っているこの曲。タイトルも示唆しているように、一聴すると「君」に出会って「希望」をもらった、というラブソングのように聞こえますし、最初は僕もそのような曲だと思って聴いていました。

 でも、聴き込んでいくうちに、「君」は具体的な誰かを指すのではなく、「希望」という概念を指しているようにも、思えてきたんですよね。言い換えれば、「希望」を擬人化して「君」と呼んでいるとも取れる、ということ。

 さらに踏み込むと、この曲は「僕」自身の変化について歌っていて、自分という他者に出会うことが、テーマになっているんじゃないかな。

 歌詞を読み込んでいくと、他にもいろいろと仕掛けが見つかり、これはなにか書きたい! 語りたい!という気分になってしまいました。そんなわけで、この曲の僕なりの解釈・意味の考察を、このページに記述します。

 ラブソングというと、ある男女の関係にフォーカスした曲を指しますが、この曲は「僕」と「君」との関係性よりも、「僕」の変化にフォーカスした曲ではないかと思います。

 主人公の成長を描いた小説を、ドイツ語でビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と呼び、日本語では「教養小説」と訳されています。この曲は、いわば「僕」が成長する物語を描いた、一種のビルドゥングスロマンです。

 また、フランスの哲学者・精神科医のジャック・ラカンは、生まれたばかりの幼児は、自分の身体を自分であると認識することができず、生後6ヶ月から18ヶ月ぐらいの間に、鏡に映った自分の姿を見ることによって、自分という存在を認識することを指摘しました。この期間を、鏡像段階と呼びます。

 この曲に出てくる「君」と「僕」は、鏡に映った自分の姿と、自分自身である。そして、「僕」が鏡像段階を経て、自己を形成していくプロセスを描いている、というのが僕の仮説です。

 表層では「僕」と「君」の出会いを描いたラブソングとして進行しますが、深層では「僕」の成長過程が綴られる。この曲にはそんな二面性があり、どちらも「僕」が「君」をきっかけに変化を遂げる、という点で共通しています。

 ここでは、「君の名は希望」は「僕」が自己を形成する物語である、というテーマに基づいて、歌詞を読み解いてみたいと思います。

人物と場面設定

 まずは歌詞に出てくる人物と、時間や場所などの設定を確認しましょう。冒頭2行の歌詞で、ある程度の情報が提示されるので、以下に引用します。

僕が君を初めて意識したのは
去年の6月 夏の服に着替えた頃

 上記の引用部から、語り手は「僕」で、あることが分かります。そして、「僕」の視点から語られる「君」も出てきました。登場人物は「僕」と「君」の2人。

 それでは、時間や場所の設定はどうでしょうか。引用部2行目に「去年の6月」という具体的な記述があります。去年の6月は、言うまでもなく過去のこと。

 つまり、「僕」は現在の視点から、「君」と出会って以降のことを、過去を振り返るかたちで語っているということです。

「僕」の変化

 では、具体的に「僕」にどのような変化があったのか、順番に確認していきましょう。

 先ほどの引用部には「夏の服に着替えた頃」という表現が出てきました。季節を示したいのであれば、例えば「梅雨が明けた頃」や「アジサイが咲く頃」としても良かったわけです。

 それなのに、わざわざ自分の服装を用いた表現にした理由は何か。これは、自分の価値観が変わることを、示唆しているのではないかと思います。

 季節の変化よりも、「僕」の変化にフォーカスしていることを強調するため、「着替え」という表現を使った、というのが僕の考えです。

 では、具体的にどのような変化が生じていくのか。先ほどの冒頭2行に続く歌詞を、引用します。

転がって来たボールを無視してたら
僕が拾うまで
こっちを見て待っていた

透明人間 そう呼ばれてた
僕の存在 気づいてくれたんだ

 こちらの引用部では、「君」が投げたと思われるボールを、「僕」が拾う様子が描写されています。

 文字通りに解釈すると、「透明人間」と呼ばれるほど、存在感の薄かった僕。しかし、「君」がボールを拾うまで待っていてくれたことで、「僕」は自分自身の存在を認識することができた、ということでしょう。

 ここで使われている「透明人間」とは、一見すれば「クラスの中で存在感の薄い存在」程度の意味だと考えられます。

 しかし、その後の歌詞を繋いでいくと、他者との関係から切り離された人を、意味するようにも取れます。「僕」は「君」という他者と出会うことで、初めて社会的な存在になれた、ということ。

 また、ボールを使った表現も示唆的。文字通りの意味では、なにかしらの球技をしていたということでしょうが、会話をキャッチボールに例えることがあります。

 上記の引用部でも、野球ボールなのかサッカーボールなのかは曖昧にすることで、言葉のキャッチボール、言い換えれば人と人とのコミュニケーションを象徴しているとも考えられます。

 歌詞はさらに、以下に続きます。

厚い雲の隙間に光が射して
グラウンドの上 僕にちゃんと影ができた
いつの日からか孤独に慣れていたけど
僕が拒否してた
この世界は美しい

 「透明人間」に「影ができた」。このメタフォーは、「僕」が「君」という他者と出会い、社会的な存在となったことを、表しているのでしょう。

 さらに引用部5行目の「この世界は美しい」という言葉。これも、他者を発見し、社会的な存在となったことを、端的に示しているのではないかと思います。

 前述したラカンの思想を借りれば、まだ自己を認識できない「透明人間」であった「僕」が、ここで「君」という他者に出会い、自己を形成していきます。

「君」は何を意味するか

 続いて、「君」が何を意味するのかについて、検討していきます。

 最初に結論を言ってしまうと、「君」というのは「僕」自身を映した鏡。すなわち、自己を形成するための、きっかけとして機能しているのではないでしょうか。

 先ほどの引用部に続く、1番のサビの歌詞を引用します。

こんなに誰かを恋しくなる
自分がいたなんて
想像もできなかったこと
未来はいつだって
新たなときめきと出会いの場
君の名前は”希望”と今 知った

 文字どおりに読むと、「君」に恋をして人生が変わった、というラブソングのように解釈できます。しかし、最後の行の「君の名前は”希望”」という一節が、「君」を概念化し、歌詞に多層性をもたらしています。

 つまり「君」を「希望」という抽象名詞とイコールで結ぶことで、具体的な存在ではなく、自分に起きた変化に重点を置いていることが、強調されています。

 もちろん、「君」と出会い恋したことを「希望」と表現していると解釈することも可能で、重要なのは歌詞が曖昧性を帯びていることでしょう。

 「君」は他者を象徴するキーワードであり、他者と出会うことで「僕」は自己を形成し、社会の中で生きる準備ができた、というのがこの曲のテーマです。

2番の歌詞

 それでは、ここまでの議論に基づいて、2番の歌詞を読み解いてみましょう。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

わざと遠い場所から君を眺めた
だけど時々 その姿を見失った
24時間 心が空っぽで
僕は一人では
生きられなくなったんだ

 上記の引用部も、表層的には「僕」が「君」に片思いをしていて、片時も忘れることができない!と言っているように思えます。

 しかし、1行目の「わざと遠い場所から君を眺めた」と、2行目の「その姿を見失った」という表現。遠くから眺めたことや、姿を見失ったことを、わざわざ記述した理由は何か、と考えると「僕」の自己の認識が、まだ揺らいでいる状態を表すためなのではないかと思います。

 この部分もダブル・ミーニングで、叶う可能性が低い片思いを、表現しているとも解釈できます。ただ、もし片思いにフォーカスするなら、もっと適切な表現を秋元康は使ったはず。

 続いて、Cメロあるいは大サビと呼ぶべき部分の歌詞を引用します。

もし君が振り向かなくても
その微笑みを僕は忘れない
どんな時も君がいることを
信じて まっすぐ歩いて行こう

 上記引用部は、メロディー的にもクライマックスとなる部分にあたります。ここに至って、「僕」はついに鏡に映る自分を認識し、1人の人間として歩き出したのでしょう。

 「君が振り向かない」というのは、片思いしている相手が振り向かないことと、鏡に映る姿が自分であると気づいたことを、ダブル・ミーニングで表しているのではないでしょうか。

結論・まとめ

 この曲は「僕」が自己を形成する物語である、という仮説に基づいて、歌詞を読み解いてきました。

 まとめると「君の名は希望」は、「君」との出会いが「僕」を変えたというラブソング的な一面と、自分という他者を通して自分自身を認識できる、というラカン的な自我の形成を描いた一面が、両立した曲であるということ。そして両方とも「君」をきっかけに「僕」が変わる、という構造を持っています。

 ラブソング的に読みとくと、まわりに馴染むことができず、存在感の薄かった「僕」が、「君」と出会うことで、他人を思う気持ちを知り、人生が輝き始める歌。

 ラカン的に読みとくと、自己を形成できていない存在だった「僕」が、「君」という他者と出会うことで、自己を形成していく歌。

 そして、前者では他人を思う心、後者では自我が確立したことを、それぞれ「希望」と呼んでいる、というのが僕の結論です。

 杉山勝彦さんの書いた曲も素晴らしく、透明感のあるピアノのイントロから、楽曲の世界に引き込まれていきます。気になった方は「アイドルの曲だから…」と敬遠しないで、ぜひ聴いてみてください。




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