BiSH「オーケストラ」歌詞の意味考察 オーケストラのように響き合う感情


目次
イントロダクション
「オーケストラ」の意味
「君」の不在
「僕」と「君」の関係
「語る声もオーケストラ」とは?
強調される「君」の不在
結論・まとめ

イントロダクション

 「オーケストラ」は、女性アイドルグループ、BiSHの楽曲。2016年10月5日リリースの3rdアルバム『KiLLER BiSH』に収録されています。

 作詞は松隈ケンタとJxSxK。作曲は松隈ケンタ。

 「楽器を持たないパンクバンド」を掲げて活動するBiSH。「オーケストラ」と名付けられたこの曲は、ストリングスも導入され、いかにもロックバンドがやりそうな、壮大な展開の楽曲となっています。

 「壮大」と言われても、何を言っているのかハッキリしませんよね。具体的には、アレンジもコード進行もメリハリがハッキリしていて、歌詞も人の繋がりという普遍的なテーマを扱っています。歌詞も音楽も、レンジが広いとも言えます。

 で、今日ここで扱いたいのは、この曲の歌詞についてです。前述のとおり、人との繋がりをテーマにした歌だと、個人的には考えています。

 BiSHのメンバーの歌唱も相まって、名曲のアウラが漂う1曲になっているので、その魅力の一端でも伝わるよう、この曲の歌詞の深さを考察し、ご紹介したいと思います。

「オーケストラ」の意味

 タイトルになっている「オーケストラ」という言葉。歌詞の中にも出てくるのですが、まずはこの言葉がどういった意味で使われているのか、検討しましょう。

 辞書などに載っている「オーケストラ」の文字通りの意味は、管弦楽あるいは管弦楽団のこと。もっと砕けた言い方をすれば、ストリングスとラッパと笛を備えた、大人数の演奏団体。

 しかし、BiSHの「オーケストラ」は、クラシック音楽を演奏する楽団のことを歌った曲ではありません。では、何を歌っているのか。結論から言ってしまうと、人と人の繋がりや、響き合う感情を歌っている、というのが僕の仮説です。

 前述のとおりオーケストラというのは、多くのメンバーがそれぞれ自分の楽器を担当し、ひとつの大きな作品を作り上げます。いわば、多くの人々が響き合うコミュニケーションであり、共同作業であるわけです。

 BiSHの「オーケストラ」は、この管弦楽団としてのオーケストラを、人間関係に照らし合わせ、響き合う感情を歌っているのではないか、と僕は考えています。

 では、この仮説に基づいて、実際の歌詞を読み解いていきます。

「君」の不在

 最初に、登場人物を確認しておきましょう。出てくるのは、語り手である「僕」と「君」。「僕」が「君」との過去を語っていくのが、歌詞の内容です。

 また、2人は過去には一緒にいましたが、現在は会えない状態にあるようです。

 2人はどのような関係であるのか、「僕」はどんな感情を抱いているのかが、少しずつ明らかになっていきます。まずイントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

見上げたあの夜空に
浮かぶ星達
ふと君の声が
あの頃輝いてたかな?
今になっては
ずっと分からないまま

 引用部1行目から3行目は、「僕」が夜空を見上げていたら、ふと君の声を思い出した、ということでしょう。

 3行目の「あの頃輝いてたかな?」の、「輝いていた」の主語は何だと解釈すべきでしょうか。2行目の「星達」を主語として、以前「僕」が見た夜空に星は輝いてたか考えている、とも取れます。

 また、「あの頃」と期間がある程度の長さを帯びているため、「僕」と「君」が一緒に過ごしたかつての日々が、輝いていたかどうかを思い返している、とも解釈できます。

 個人的には、後者の解釈の方がしっくりくると考えていますが、重要なのは細かい内容よりも、「僕」と「君」は今では会えない状態であることが明かされている点。

 イントロで「君」の不在が印象づけられ、この後の歌詞も「僕」が「君」を回想するかたちで進行します。

「僕」と「君」の関係

 Aメロに入ると、2人のエビソードが断片的に語られていきます。「僕」と「君」は、友達なのか、恋人同士なのか。結論から言えば、歌詞の中にはハッキリと示されていませんが、恋人同士であったことが示唆されます。

 しかし、具体的に恋人だったかというステータスの問題よりも、「僕」にとって「君」はどんな存在だったか、どのように感情が動いたか、という点の方が重要なように、僕には思われるのです。

 それでは、2人の関係性と「僕」の感情がどのように動いたのか、という点を意識しながら、歌詞を考察していきます。

 1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

あの時
君がついた嘘
問いただせずに
泣いたあの坂道
この先
君と会えないの
離れ離れに
身を任せてた

 引用部の前半4行では、「君」の嘘が「僕」を傷つけたエピソードが綴られています。後半4行は、前半の嘘の結果として、2人は会えない状態になってしまったことが記述されています。

 7行目から8行目の「離れ離れに 身を任せてた」とは、特に行動を起こすことなく、2人の関係が平行線のまま、時間が過ぎるのを表しているのでしょう。

 続いて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

いつもの後悔が風に消えてく
誰にもみせないその姿を
もうちょっとだけ
見てたかったんだ
時がそっと睨んでいる

 上記引用部をまとめると、「僕」が行動を起こさず、「君」と会えないままになったのを、後悔しているということ。Aメロの歌詞の続きと言えます。

 一見すると、行動を起こさず、「君」との関係が好転しないAメロの内容を、繰り返しているようにも思えますが、明らかな違いがあります。それは最後の1行「時がそっと睨んでいる」の部分。

 Aメロでは時間の経過を「身を任せてた」と表現していました。対してBメロでは、「時がそっと睨んでいる」となっています。この表現からは、時間が過ぎることで、焦りや後悔の念が大きくなっていることが伝わります。

 また、引用部2行目から4行目の「誰にもみせないその姿を 見てたかった」という表現からは、2人が親密な関係にあったことが分かります。

 「君」には「僕」にしか見せない一面があった、それだけ心を許し、親密な関係だったという意味でしょう。

「語る声もオーケストラ」とは?

 ここまでの歌詞では「僕」と「君」が会えない状況にあること、「僕」はそれを後悔していることが、語られてきました。

 サビに入ると、「僕」のより感情的な言葉が綴られます。1番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

その手と手繋いで
笑いあった声
忘れはしないよ
こんなにも流してた涙も
語る声も オーケストラ

 上記引用部をまとめると、「僕」が「君」のことを思い出し、感傷的な気分になっているということでしょう。引用部5行目には、タイトルにもなっている「オーケストラ」という言葉が出てきました。

 先ほど「オーケストラ」は響き合う感情を表す、という仮説を立てました。引用部の4行目から5行目を、仮説に基づいて解釈すると、君を思って流した涙も語った声も、君との感情の共鳴だった、ということ。

 意味としても矛盾がありませんし、仮説の妥当性が認められるのではないかと思います。涙を流すほど感情が動くコミュニーケーションを、上記引用部では「オーケストラ」と表現しているのではないでしょうか。

 その後に続くサビの2連目は、「君」の不在を強調する内容となっています。以下に引用します。

やがて訪れたよね
さよならの声
忘れはしないよ
あんなにも近くにいたはずが
今では繋がりなんて
あの空だけ

 前述したとおり、上記引用部では「僕」が「君」と会えなくなったことを、感傷的に語っています。

 「空は繋がっている」という趣旨の表現は、歌詞にたびたび使われますが、上記引用部でも「君」との繋がりが空ぐらいしかない、つまりほとんど繋がりがない、という意味で使われています。

強調される「君」の不在

 2番に入っても、繰り返し「君」の不在が語られていきます。重なる表現も多いので、印象的な部分のみピックアップして、考察していきましょう。

 まず、2番のAメロ前半の歌詞を、以下に引用します。

夜空の
交換をしよう
馬鹿らしくなって
投げた午前3時

 「夜空の交換をしよう」とは、今は会えない「君」もどこかで夜空を見上げていることを想像し、「僕」も夜空を見上げている、ということ。

 そして「馬鹿らしくなって 投げた午前3時」とは、そんなことをしても「君」に会えるわけでなく、馬鹿らしくなって午前3時にやめた、ということです。

 想像力を使いながら読む必要がありますが、だいたいそんな意味ではないかと思います。

 次に、2番のBメロ1行目の歌詞を、以下に引用します。

いつものジョークが街に消えてく

 上記引用部は、「君」に会えない虚しさを表しているのでしょう。以前は「君」がジョークを聞いてくれたけど、今ではその相手がいないという意味です。

 Bメロの2行目以降は、1番のAメロとは逆に、誰にも見せない「僕」の姿を、「君」にもっと見せたかった、と記述されます。

 そして2番のサビでは、再びオーケストラ」という言葉が使われ、「君」の不在が強調されています。サビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

この目と目合わせて
はっきりとしたい
もうできないかな
こんなにもどかしくて
辛いのが
音を立てる オーケストラ

 1番のサビでは、「君」と一緒にいた日々を、懐かしむ言葉が綴られていました。それに対して、上記2番のサビでは、より「君」の不在を悲しむ感情にフォーカスしています。

 引用部6行目の「オーケストラ」は、辛い気持ちを、壮大に響き合い、音を立てるオーケストラに例えています。

 これは「僕」が大きな悲しみを感じていること、そして「君」との繋がりがその要因であることを、表しているのでしょう。言い換えれば、2人が出会わなければ、このように大きく感情が動きことも、なかったということです。

 さらにサビの2連目では、「僕」の抱える辛さが、より強調されて綴られます。以下に引用します。

どこで何をしてるの?
分からないのは
僕のせいなんだね
永遠にこんな日がくるなんて
神様イタズラなら
呪いたいぐらい

 上記の前半3行は、「君」に会えなくなってしまった理由は、「僕」自身にあると思い返しているのでしょう。

 「君」が「どこで何をしてるの?」か知りたいけれど、もう会えないので聞くことができない。そして、その要因は「僕のせい」だと語っています。

 4行目の「永遠にこんな日がくる」とは、前半3行との繋がりを考えると、「君」に会えない日々が永遠に続くこと。言い換えれば、もう「君」とは会えない状態であることを意味します。

 5行目と6行目の「神様イタズラなら 呪いたいぐらい」という一節は、「僕」の悲しみの深さを表した表現です。

結論・まとめ

 以上、歌詞のなかで「オーケストラ」という言葉がどのような意味を持つのか、という点を意識しながら、歌詞を読み解いてきました。

 人との繋がりにおいて生まれる感情を、管弦楽団という意味でのオーケストラに例えて表している、というのが僕の結論。

 この曲では、特に「僕」が「君」との繋がりにおいて抱いた辛さや悲しみを、「君」と響きあうことで生まれた感情という意味で「オーケストラ」と表現しています。

 まとめると、人との別れで生じる喪失感を、「オーケストラ」という言葉に込めた曲。

 「僕」と「君」は恋愛関係にあったと想定できますが、単純に付き合った別れたという話ではなく、より深い意味での別れや悲しみについて、歌った曲だと思います。

 ミュージック・ビデオは、女子高生らしき2人が秘密の恋を育むストーリーと、BiSHのメンバーの歌唱シーンが切り替わりながら進みます。

 女子高生役の2人の表情も、BiSHのメンバーのエモーショナルな歌唱も素晴らしく、音だけで聴くよりも、楽曲の魅力を引き出してくれる映像です。

 最初にも書きましたけど、これぞ名曲!という空気が充満していて、僕は聴いてると涙が出てきます。ぜひ、ミュージック・ビデオも併せてご覧ください。

 




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