スピッツ「ロビンソン」歌詞の意味考察 永遠の別れと再会の物語


目次
イントロダクション
歌詞が持つ二重性
「ロビンソン」の意味
「新しい季節」とはいつか?
「宇宙の風」の意味
生まれ変わる2人
結論・まとめ

イントロダクション

 「ロビンソン」は、1995年4月5日にリリースされた、スピッツの11枚目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 1995年9月20日リリースの6thアルバム『ハチミツ』、2017年リリースのコンプリート・シングル集『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』などにも収録されています。

 スピッツの魅力とはなにか? この問いに、僕なら「ポップさと実験性が共存しているところ」と答えます。

 もうちょっと砕けた表現で説明すると、一聴して耳なじみがいいのに、じっくり聴いていくと、ねじれた部分が聴こえてくる、という感じでしょうか。

 初めて聴いたときから「あ、いい曲だな」と思うのに、聴き込めば聴き込むほどに、その奥に潜む違和感に気づき、その違和感が楽曲の魅力になっていくんですよね。

 音楽面でも歌詞の面でも、優れたポップスでありながら、同時に深い実験性を備えていること。僕が感じるスピッツの魅力は、その二面性にあります。

 160万枚を超えるセールスを記録し、彼らの代表曲と言っていい「ロビンソン」も、まさにそうした二面性、二重性を持った楽曲です。

 このページでは、特に「ロビンソン」の歌詞に注目し、意味を考察します。そして、結果的にこの曲の魅力をお伝えすることができれば、と考えています。

歌詞が持つ二重性

 最初に、歌詞の設定と、語りの構造を確認しておきましょう。

 まず登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。「僕」が語る内容が、歌詞となっています。

 では、この曲のテーマは何か。「僕」が「君」との関係を語る、穏やかなラブソングとも思えるのですが、同時に生と死を感じさせる曲でもあります。

 表層では、日常的でかわいらしいラブソングとして機能し、深層では人の生と死、出会いと別れを扱っている。先に結論を言ってしまうと、その二重性こそがこの曲の魅力であり、特異な点である、というのが僕の考えです。

 では、上記の前提に基づいて、この曲の歌詞を読み解いていきます。

「ロビンソン」の意味

 実際の歌詞に入る前に、まずタイトルとなっている「ロビンソン」の意味を検討します。

 「ロビンソン」と曲名に掲げられているものの、歌詞の中にこの言葉は一切出てきません。では、この言葉はなにを意味するのでしょうか。

 伝記的な事実を記載すると、この曲の作詞作曲者である草野正宗さんが、タイを旅行したときに印象に残った「ロビンソン百貨店」から命名されたとのこと。

 ここでは、そうした予備情報なしに「ロビンソン」という言葉がタイトルとなることで、どのような意味を帯びるか、という視点で考察を進めます。

 そもそも「ロビンソン」とは、なにを意味するのか。英語の「Robinson」とするなら、基本的には名前です。しかも、苗字と名前のどちらにもなり得る名称です。

 名前の例をひとつ挙げれば、イギリスの著述家ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の主人公。苗字の例には、MLB初の黒人野球選手ジャッキー・ロビンソンが挙げられます。

 ちなみに、草野さんがタイで目にした「ロビンソン百貨店」の名称も、創業者のフィリップ・ロビンソンに由来します。

 ここで重要なのは、苗字にも名前にも用いられる、言い換えれば意味に広がりがある点。また、例えば「マイケル」や「ジョンソン」よりも、少なくとも日本人にとっては、名前らしく響かない点です。

 人の名前とも、場所の名前とも、はたまた「シャングリラ」のように架空の場所のようにも響くことが、この曲の二重性を引き立てることになっている、というのが僕が立てた仮説です。

 もちろん、歌詞の中で確定的に語られているわけではありませんので、あくまで仮説のひとつ。

 では、「ロビンソン」というタイトルが、曲にどのような意味を付加しているのかも意識しながら、歌詞を読み解いていきます。

「新しい季節」とはいつか?

 まずは、1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

新しい季節は なぜかせつない日々で
河原の道を自転車で 走る君を追いかけた
思い出のレコードと 大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに

 前述のとおり、この曲の語り手は「僕」。上記引用部も、全て主語は「僕」だと考えられます。情報はキッチリと記述されており、文字通りの意味を取るのは、それほど難しくありません。

 キーとなるのは、1行目の「新しい季節」という一節。この言葉は、なにを意味するのでしょうか。

 単純に季節が巡り、例えば夏から秋になった、とも考えられます。その後に続く「なぜかせつない日々」という言葉も、暑さがやわらいだ事がなんとなく切ない、と解釈すれば整合性も取れそうです。

 しかし、僕がこの曲で特異だと思うのは、その二重性。もちろん、単純に季節が巡ったと考える事もできるのですが、生活や心境に変化があったことを、季節に例える事があります。

 例えば「君」が亡くなってしまった。そうした深い別れを「新しい季節」と表現しているようにも、僕には思えるのです。

 「走る君を追いかけた」という一節も、表層では恋人同士が走っていく微笑ましいワンシーン。しかし、深層ではあの世で再び出会うことを、表しているようにも思えます。

 では、「君」は亡くなっている、ということを仮説のひとつとして、歌詞の続きを考察します。

「宇宙の風」の意味

 Bメロ以降にも、多層性を持った言葉が散りばめられています。1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で つくり上げたよ

 引用部2行目の「魔法」とは、なにを意味するのでしょうか。

 引用部1行目を説明的に言い換えると、「あるシチュエーションになった時に思わず口に出る(言葉)」といった感じでしょう。「思わず口にするような」から続くことを考えると、「魔法」は言葉であるように思われます。

 ただ、ここでも歌詞の中では確定的なことは記述されておらず、何かしらの行動であることしか分かりません。

 では、その「魔法」で何を作り上げたのか。歌詞はサビへと続きます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 引用部1行目で、「魔法」で作り上げたのは「二人だけの国」であると明らかになります。

 「二人だけの国」というのも、多様な解釈が可能な表現。恋人同士の親密な空気をあらわしているとも取れますし、僕の仮説に合わせるなら、あの世をロマンチックに言い換えた言葉とも取れます。

 さらに気になるのは、引用部2行目。「空に浮かぶ」「宇宙の風に乗る」という表現も、やはりここではない世界を示唆しています。

 特に「宇宙の風」という表現。「宇宙」は、永遠や真理を表すこともあります。そのため「宇宙の風に乗る」という言い回しは、人が亡くなって、生まれ変わること。

 曲の登場人物に当てはめると、「君」が亡くなり、会えなくなってしまった2人が、再び出会うことを表しているように、僕には思われるのです。

生まれ変わる2人

 2番に入っても、歌詞は多層性を帯びたまま進みます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 上記の引用部も、文字通りに意味をとっていくなら、それほど難しいことは書かれていません。しかし前述のとおり、様々な可能性を喚起させる歌詞でもあります。

 まず引用部1行目から2行目の「猫」の表現は、何を意味するのでしょうか。順番に考察していきます。

 1行目の「片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も」は、飼い主に捨てられた猫が、それでもなんとか頑張って生きようとする様子を描いているのでしょう。

 その後に続く「どこか似ている」の主語が「僕」だとすると、「僕」は捨てられた猫と似た状態にあるということ。では、それはどんな状態を意味するのか。「僕」も、何かしら辛い状態であると考えれらます。

 そのような辛さを抱えた精神状態であるために、捨てられた猫に親近感を覚え、「抱き上げて 無理やりに頬」を寄せたのでしょう。

 続いて、引用部の3行目の「いつもの交差点で 見上げた丸い窓は」。「いつもの」とあるので、何度も通った交差点であり、何度も見上げたことのある「丸い窓」であると想定できます。

 では、「丸い窓」とは誰の部屋の窓であるのか。歌詞の中の登場人物から考えれば、「君」の部屋の窓だと考えるのが自然でしょう。

 さらに、その窓が「うす汚れてる」と続きます。これは、この部屋に住んでいた人、つまり「君」が、もうこの部屋には住んでいないことを、表しているのではないでしょうか。

 僕の仮説を当てはめるなら、やはり「君」は亡くなっていて、「僕」はもう二度と会うことができない、と解釈できます。

 その後に続く、2番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ

 引用部1行目の「待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳」とは、2人が夢の中で再会したこと、あるいは「僕」がやがて向こうの世界に行き「君」と再会できたことを、表すのではないかと思います。もう二度と会えないはずの2人なので、「君」が驚いているわけです。

 さらに、その後に続く「生まれ変わるよ」という言葉。これは、文字通りに2人が生まれ変わることを示しているのでしょう。つまり、「君」が亡くなり、現実世界では会えない2人が、生まれ変わって再会するということです。

 そして、2番のサビには、以下の歌詞が続きます。

誰も触われない 二人だけの国 終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 「終わらない歌ばらまいて」という一節を除いて、1番のサビと共通しています。では「終わらない歌」とは、なにを意味するのでしょうか。

 1番のサビで「宇宙の風」は、あの世や生まれ変わりを表す、と考察しました。歌というのは、当たり前ですが、歌うのに時間がかかります。

 その時間を必要とする「歌」が「終わらない」ということは、時間が存在しない世界。つまり、あの世を意味する、というのが僕の考えです。

 まとめると、2番のサビ全体で、「僕」と「君」が生まれ変わり、再び出会うことを歌っているということです。

結論・まとめ

 スピッツの魅力は、楽曲が持つ二面性にある。そして、「ロビンソン」という楽曲の歌詞にも、その二面性が多分に含まれている、という視点に基づき、歌詞を考察してきました。

 ここまでの考察をまとめると、「ロビンソン」は表層では日常的なラブソングでありながら、深層では深い意味での出会いと別れを歌っている楽曲だということ。

 言い換えれば、単純に付き合った別れたというストーリーではなく、より普遍的な愛情や別れについて歌った曲とも言えます。

 また、先ほど検討した「ロビンソン」という、やや奇妙なタイトルも、最後まで聴くとこの曲に合っているのでは、という気がします。

 その理由は「ロビンソン」という言葉が持つ多様性と異国性。先述したとおり「ロビンソン」は、苗字にも名前にも用いられる言葉。また、草野さんがタイで見かけた百貨店の名称でもあります。

 日本では「ロビンソン」と言っても、店や場所の名前とは普通思いません。しかし、逆に人の名前とも、場所の名前とも取れる「ロビンソン」という言葉の響きが、「ここではないどこか」を表す言葉として、機能するのではないかと思います。

 シンプルだけど、多くの可能性を示唆する、この曲の歌詞にぴったりのタイトルです。

 ここまで書いてきたことは、あくまで僕の個人的な解釈。多くの解釈を許容し、多くの人々の心に響くのが、この曲の魅力だと思いますので、皆さんもぜひ自由にこの曲を感じてみてください。

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