目次
・イントロダクション
・基本情報の確認
・夢の内容
・「君」と会えない理由
・語り手の心情
・結論・まとめ
イントロダクション
「正夢」は、2004年11月10日にリリースされた、スピッツ通算29作目のシングル。2005年1月12日リリースの11thアルバム『スーベニア』にも収録。作詞作曲は草野正宗。
タイトルの「正夢」とは、夢に見たことが現実になる夢のこと。タイトルのとおり、この曲の歌詞は、語り手が夢からさめ、家を出たところから始まっています。
語り手は夢のなかで「君」と会い、正夢となって実際に会えたらいいのになぁ、と願うのが歌詞の内容。一聴すると、微笑ましいラブソングのように響きます。
しかし、わざわざ正夢になってほしいと願うのは、実際には会えない状態であることを示唆します。2人がどのような関係にあるのか、なぜ会えないのか。具体的な情報は明らかにされないものの、スピッツらしく、意味に広がりのある歌詞が展開します。
このページでは、語り手と「君」の関係に注目しながら、「正夢」の歌詞を読みといてみたいと思います。
基本情報の確認
まずは、登場人物を確認しましょう。出てくるのは語り手。この語り手が「君」への想いを語るのが、歌詞の内容となっています。
前述のとおり、夢から醒め、家を出るところから歌詞は始まります。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
ハネた髪のままとび出した
今朝の夢の残り抱いて
冷たい風 身体に受けて
どんどん商店街を駆けぬけていく
「届くはずない」とか つぶやいても また
予想外の時を探してる
歌い出しから、多くの情報が明らかになっていきます。順番に確認してみましょう。
まず1行目。「ハネた髪のままとび出した」とは、寝癖を直すこともないぐらい、急いで家を出たということでしょう。では、そこまで急いだ理由はなにか。
2行目に「今朝の夢の残り抱いて」と続いているため、直前まで見ていた夢が、正夢にしたいほど良い夢だった、と解釈できます。
3行目の「冷たい風」からは季節が冬であること、4行目の「商店街」で場所が明らかにされています。
また「商店街」と具体的な場所が書かれていることから、夢に出てきた特定の場所を、目指していることも分かります。
5行目と6行目は、語り手の心情。「届くはずない」と「予想外の時を探してる」という言葉からは、今朝の夢が正夢になってほしいと願いつつ、実現可能性の低さが伝わります。
夢の内容
それでは、語り手が正夢になってほしいと願う、夢の内容とは何なのか。サビの歌詞で明らかになります。
1番のサビの歌詞を、以下に引用します。
どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい
小さな幸せ つなぎあわせよう
浅いプールで じゃれるような
ずっと まともじゃないって わかってる
1行目の「君と会えたら」が、語り手が正夢になってほしいと願うこと。さらに2行目には、語り手が「君」と会ったらどうしたいのかが、綴られています。
3行目以降は、語り手の心情。4行目の「浅いプールで じゃれるような」は、ポエティックな表現であり、文字どおりの意味が取りにくいので、意味を考えてみましょう。
まずプールは、本来は泳ぐための施設です。具体的な深さは指定されていませんが、「浅いプール」とは足が着くほどの深さまでしか、水が入っていないプールだと想像します。
本来の目的、深さとは異なる浅いプール。そのようなプールで「じゃれる」のは溺れる心配がなく、極めて安全な行為。
もちろん、実際に伝えたいのはプールの話ではなく、語り手と「君」との関係を、浅いプールに例えて描いたのだと考えます。
前後の文脈を考えると、3行目の「小さな幸せ」を説明しているのでしょう。スリリングではありませんが、平穏な時間をあらわしているということです。
では、5行目に続く「まともじゃない」とは、なにを意味するでしょうか。ここまで語り手は一貫して、「君」に再び会いたいと願っています。
2人の関係性はハッキリとは名言されませんが、仮にかつての恋人同士だったとして、語り手が正夢を願うような態度、すなわち今は会えない状態にある「君」との再会を、願い続けるわけにはいかない。
そのような語り手の現状が「まともじゃない」という言葉に込められているのだと思います。
「君」と会えない理由
では、語り手と「君」が会えない理由はなにか。こちらも示唆的なかたちではありますが、2番のAメロで明らかになります。
2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
八つ当たりで傷つけあって
巻き戻しの方法もなくて
少しも忘れられないまま
なんか無理矢理にフタをしめた
デタラメでいいから ダイヤルまわして
似たような道をはみ出そう
上記引用部から想像するに、2人は仲違いで別れてしまったようです。家を飛びだしてから、現在進行形のように語られる1番のAメロに対して、上記2番のAメロは、過去を振り返る内容。
1行目から4行目までは、比較的わかりやすく、解釈に迷わない言葉が並んでいます。しかし、5行目と6行目には、またポエティックな表現を持った言葉が並んでいます。
また、4行目の最後は「フタをしめた」と過去形。それに対して6行目の最後は「はみ出そう」と未来形になっています。
上記引用部をよく見てみると、前半4行は前述したとおり、過去を振り返る内容。しかし、後半2行は未来形で締めくくられているとおり、これからの希望を述べていることが分かります。
以上を踏まえて、5行目以降を順番に解釈してみましょう。
まず「ダイヤルまわして」とは、電話をかけることを意味しているのでしょう。タッチパネルを備えたスマホが主流となった現代においては、わかりにくい表現かもしれませんが、ダイヤルを備えた固定式電話のイメージです。
その前の「デタラメでいいから」とは、なかなか解釈の困ります。適当な番号に電話をかけることとも取れますし、電話で話す内容がデタラメでいい、というこのなのかもしれません。
ここでは会話の内容がデタラメでもいい、すなわち特に話す内容も決まっていないのに、とにかく電話をかけることを意味している、という解釈を採用したいです。
では、そもそも誰に対する電話なのか。言うまでもなく、語り手が「君」にかける電話です。
6行目には「似たような道をはみ出そう」と続きます。こちらも抽象的な表現ですが、2番Aメロ全体の歌詞を見わたせば、だいたいの意味は掴めます。
前述のとおり前半4行では、2人の仲違いが描写されていました。6行目に綴られる「似たような道をはみ出そう」とは、前半4行で描かれた「八つ当たりで傷つけ」あうような関係を脱し、「君」と仲良くやり直したい。そのような語り手の希望が、語られているのだと考えます。
また「はみ出そう」と未来形を用いることで、現状「君」とは会えない関係であることも、再び強調されています。
語り手の心情
2番のサビでは、1番のサビと同じく、正夢を願う気持ちが綴られます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。
いつか正夢 君と会えたら
打ち明けてみたい 裏側まで
愛は必ず 最後に勝つだろう
そうゆうことにして 生きてゆける
あの キラキラの方へ登っていく
前述のとおり、今朝の夢が正夢になればいいのに、言い換えれば、夢で会ったように「君」と再会したい、という語り手の心情が書かれています。
しかし、1番のサビと比較すると、より抽象的な言葉が並んでいます。例えば1番では「何から話そう 笑ってほしい」と、君との具体的な会話が想定されていたのに対して、2番では「打ち明けてみたい 裏側まで 愛は必ず 最後に勝つだろう」と、テーマが普遍的かつ大きなものへと変化。
見た夢の内容をなぞったであろう1番に対し、2番では語り手の感情が前景化していると言えるでしょう。
さらに気になるのは、6行目の「キラキラの方へ登っていく」という一節。スピッツの歌詞には、生死や永遠を思わせるものが少なくありませんが、この表現も「君」がすでに亡くなった存在なのでは、と連想させます。
もちろん確定的に語られているわけではなく、多くの解釈を許容する、スピッツ特有のイマジナティヴな表現。
「キラキラの方へ登っていく」も、あの世まで届くほどの感情とも読めますし、1番の歌詞の「小さな幸せ」と同じような意味とも取れます。
いずれにしても、語り手の「君」への強い想いがあらわれた言葉であることは、間違いないでしょう。
結論・まとめ
以上、語り手と「君」の関係にフォーカスして「正夢」の歌詞を、読みといてきました。
語り手と「君」は、元恋人の関係。語り手は「君」と再会し、それが正夢になるようにと願いながら、同時に「君」への強い想いを滲ませていくのが、大まかな内容です。
夢と現実、日常性と普遍性が交錯するような歌詞は、スピッツの特徴と言えるでしょう。
家を飛び出す現実的な描写から始まり、「キラキラの方へ登っていく」と抽象的な言葉へと繋がる展開が、夢と現実を繋ぐようで、「正夢」というタイトルともぴったりだと思います。
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