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スピッツ「正夢」歌詞の意味考察 夢と現実の交錯


目次
イントロダクション
基本情報の確認
夢の内容
「君」と会えない理由
語り手の心情
結論・まとめ

イントロダクション

 「正夢」は、2004年11月10日にリリースされた、スピッツ通算29作目のシングル。2005年1月12日リリースの11thアルバム『スーベニア』にも収録。作詞作曲は草野正宗。

 タイトルの「正夢」とは、夢に見たことが現実になる夢のこと。タイトルのとおり、この曲の歌詞は、語り手が夢からさめ、家を出たところから始まっています。

 語り手は夢のなかで「君」と会い、正夢となって実際に会えたらいいのになぁ、と願うのが歌詞の内容。一聴すると、微笑ましいラブソングのように響きます。

 しかし、わざわざ正夢になってほしいと願うのは、実際には会えない状態であることを示唆します。2人がどのような関係にあるのか、なぜ会えないのか。具体的な情報は明らかにされないものの、スピッツらしく、意味に広がりのある歌詞が展開します。

 このページでは、語り手と「君」の関係に注目しながら、「正夢」の歌詞を読みといてみたいと思います。

基本情報の確認

 まずは、登場人物を確認しましょう。出てくるのは語り手。この語り手が「君」への想いを語るのが、歌詞の内容となっています。

 前述のとおり、夢から醒め、家を出るところから歌詞は始まります。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

ハネた髪のままとび出した
今朝の夢の残り抱いて
冷たい風 身体に受けて
どんどん商店街を駆けぬけていく
「届くはずない」とか つぶやいても また
予想外の時を探してる

 歌い出しから、多くの情報が明らかになっていきます。順番に確認してみましょう。

 まず1行目。「ハネた髪のままとび出した」とは、寝癖を直すこともないぐらい、急いで家を出たということでしょう。では、そこまで急いだ理由はなにか。

 2行目に「今朝の夢の残り抱いて」と続いているため、直前まで見ていた夢が、正夢にしたいほど良い夢だった、と解釈できます。

 3行目の「冷たい風」からは季節が冬であること、4行目の「商店街」で場所が明らかにされています。

 また「商店街」と具体的な場所が書かれていることから、夢に出てきた特定の場所を、目指していることも分かります。

 5行目と6行目は、語り手の心情。「届くはずない」と「予想外の時を探してる」という言葉からは、今朝の夢が正夢になってほしいと願いつつ、実現可能性の低さが伝わります。

夢の内容

 それでは、語り手が正夢になってほしいと願う、夢の内容とは何なのか。サビの歌詞で明らかになります。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい
小さな幸せ つなぎあわせよう
浅いプールで じゃれるような
ずっと まともじゃないって わかってる

 1行目の「君と会えたら」が、語り手が正夢になってほしいと願うこと。さらに2行目には、語り手が「君」と会ったらどうしたいのかが、綴られています。

 3行目以降は、語り手の心情。4行目の「浅いプールで じゃれるような」は、ポエティックな表現であり、文字どおりの意味が取りにくいので、意味を考えてみましょう。

 まずプールは、本来は泳ぐための施設です。具体的な深さは指定されていませんが、「浅いプール」とは足が着くほどの深さまでしか、水が入っていないプールだと想像します。

 本来の目的、深さとは異なる浅いプール。そのようなプールで「じゃれる」のは溺れる心配がなく、極めて安全な行為。

 もちろん、実際に伝えたいのはプールの話ではなく、語り手と「君」との関係を、浅いプールに例えて描いたのだと考えます。

 前後の文脈を考えると、3行目の「小さな幸せ」を説明しているのでしょう。スリリングではありませんが、平穏な時間をあらわしているということです。

 では、5行目に続く「まともじゃない」とは、なにを意味するでしょうか。ここまで語り手は一貫して、「君」に再び会いたいと願っています。

 2人の関係性はハッキリとは名言されませんが、仮にかつての恋人同士だったとして、語り手が正夢を願うような態度、すなわち今は会えない状態にある「君」との再会を、願い続けるわけにはいかない。

 そのような語り手の現状が「まともじゃない」という言葉に込められているのだと思います。

「君」と会えない理由

 では、語り手と「君」が会えない理由はなにか。こちらも示唆的なかたちではありますが、2番のAメロで明らかになります。

 2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

八つ当たりで傷つけあって
巻き戻しの方法もなくて
少しも忘れられないまま
なんか無理矢理にフタをしめた
デタラメでいいから ダイヤルまわして
似たような道をはみ出そう

 上記引用部から想像するに、2人は仲違いで別れてしまったようです。家を飛びだしてから、現在進行形のように語られる1番のAメロに対して、上記2番のAメロは、過去を振り返る内容。

 1行目から4行目までは、比較的わかりやすく、解釈に迷わない言葉が並んでいます。しかし、5行目と6行目には、またポエティックな表現を持った言葉が並んでいます。

 また、4行目の最後は「フタをしめた」と過去形。それに対して6行目の最後は「はみ出そう」と未来形になっています。

 上記引用部をよく見てみると、前半4行は前述したとおり、過去を振り返る内容。しかし、後半2行は未来形で締めくくられているとおり、これからの希望を述べていることが分かります。

 以上を踏まえて、5行目以降を順番に解釈してみましょう。

 まず「ダイヤルまわして」とは、電話をかけることを意味しているのでしょう。タッチパネルを備えたスマホが主流となった現代においては、わかりにくい表現かもしれませんが、ダイヤルを備えた固定式電話のイメージです。

 その前の「デタラメでいいから」とは、なかなか解釈の困ります。適当な番号に電話をかけることとも取れますし、電話で話す内容がデタラメでいい、というこのなのかもしれません。

 ここでは会話の内容がデタラメでもいい、すなわち特に話す内容も決まっていないのに、とにかく電話をかけることを意味している、という解釈を採用したいです。

 では、そもそも誰に対する電話なのか。言うまでもなく、語り手が「君」にかける電話です。

 6行目には「似たような道をはみ出そう」と続きます。こちらも抽象的な表現ですが、2番Aメロ全体の歌詞を見わたせば、だいたいの意味は掴めます。

 前述のとおり前半4行では、2人の仲違いが描写されていました。6行目に綴られる「似たような道をはみ出そう」とは、前半4行で描かれた「八つ当たりで傷つけ」あうような関係を脱し、「君」と仲良くやり直したい。そのような語り手の希望が、語られているのだと考えます。

 また「はみ出そう」と未来形を用いることで、現状「君」とは会えない関係であることも、再び強調されています。

語り手の心情

 2番のサビでは、1番のサビと同じく、正夢を願う気持ちが綴られます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

いつか正夢 君と会えたら
打ち明けてみたい 裏側まで
愛は必ず 最後に勝つだろう
そうゆうことにして 生きてゆける
あの キラキラの方へ登っていく

 前述のとおり、今朝の夢が正夢になればいいのに、言い換えれば、夢で会ったように「君」と再会したい、という語り手の心情が書かれています。

 しかし、1番のサビと比較すると、より抽象的な言葉が並んでいます。例えば1番では「何から話そう 笑ってほしい」と、君との具体的な会話が想定されていたのに対して、2番では「打ち明けてみたい 裏側まで 愛は必ず 最後に勝つだろう」と、テーマが普遍的かつ大きなものへと変化。

 見た夢の内容をなぞったであろう1番に対し、2番では語り手の感情が前景化していると言えるでしょう。

 さらに気になるのは、6行目の「キラキラの方へ登っていく」という一節。スピッツの歌詞には、生死や永遠を思わせるものが少なくありませんが、この表現も「君」がすでに亡くなった存在なのでは、と連想させます。

 もちろん確定的に語られているわけではなく、多くの解釈を許容する、スピッツ特有のイマジナティヴな表現。

 「キラキラの方へ登っていく」も、あの世まで届くほどの感情とも読めますし、1番の歌詞の「小さな幸せ」と同じような意味とも取れます。

 いずれにしても、語り手の「君」への強い想いがあらわれた言葉であることは、間違いないでしょう。

結論・まとめ

 以上、語り手と「君」の関係にフォーカスして「正夢」の歌詞を、読みといてきました。

 語り手と「君」は、元恋人の関係。語り手は「君」と再会し、それが正夢になるようにと願いながら、同時に「君」への強い想いを滲ませていくのが、大まかな内容です。

 夢と現実、日常性と普遍性が交錯するような歌詞は、スピッツの特徴と言えるでしょう。

 家を飛び出す現実的な描写から始まり、「キラキラの方へ登っていく」と抽象的な言葉へと繋がる展開が、夢と現実を繋ぐようで、「正夢」というタイトルともぴったりだと思います。

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スピッツ「スターゲイザー」歌詞考察 星を見つめる行為は何を意味するか?


目次
イントロダクション
イマジナティヴな言葉の連なり
「あの光」が意味するもの
独創性を増す歌詞
語り手と「君」の関係性
結論・まとめ

イントロダクション

 「スターゲイザー」は、2004年1月21日にリリースされた、スピッツの通算28作目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 タイトルの「スターゲイザー」とは、英語で綴れば「stargazer」。直訳すれば「星を見つめる人」という意味ですが、一般的には「天文学者」あるいは「夢想家」を意味します。

 語源を調べたわけではありませんが、「stargazer」という単語が持つ「夢想家」という意味は、おそらく空を見上げるロマンチックな行為が、夢見がちな想像をする人へと転じていったのでしょう。

 「スターゲイザー」というタイトルのとおり歌詞は、星を探すことと、未来を思うことが、互いにオーバーラップする内容。

 日常のありふれた事柄と、ロマンチックな想像力が、分離することなくあらわれています。日常から永遠へと飛び立つような想像力が、スピッツの歌詞の魅力だと思っているんですが、この曲はまさにスピッツ的イマジネーションに溢れた楽曲と言えます。

 このページでは「スターゲイザー」の歌詞を考察しながら、そのイマジネーションの豊かさをお伝えできれば、と思っております。

イマジナティヴな言葉の連なり

 最初に結論から述べましょう。この曲の魅力であり、特異な点は、想像力をかき立てる言葉が、連続しているところ。

 日常にありふれた感情が、語り手の想像力によって、宇宙規模のイメージへと広がっていきます。

 登場人物は、語り手と「君」の2人のみ。しかしながら「君」は言葉としては出てくるのですが、具体的な人物描写はなく、登場人物は語り手だけとも言えます。

 では、語り手がどのようにイマジネーションをかき立てる言葉を綴っていくのか、順番に確認していきましょう。

 1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

ひとりぼっちがせつない夜 星を探してる
明日 君がいなきゃ 困る 困る

 文字どおりに意味をとっていくのは、難しくありません。1行目は寂しい気持ちを、星を探す行為にこめ、2行目では「君」への想いを述べています。

 具体的には書かれていませんが、「君」がいないから語り手はひとりぼっちであり、せつない気持ちになっていると想像できます。

 その後に続く、Aメロ2連目の歌詞を引用します。

ゴミになりそうな夢ばかり 靴も汚れてる
明日 君がいなきゃ 困る 困る

 1行目の「ゴミになりそうな夢」とは、実現する可能性が低い夢という意味でしょう。そのあとの「靴も汚れてる」とは、どんな意味でしょうか。

 人生を、道に例えることがあります。上記の「靴も汚れてる」という表現も、実際に靴が汚れているという意味ではなく、人生において悪路を歩んでいる、言い換えれば、厳しい時期を過ごしている、程度の意味でしょう。

 1行目を意訳すると、かないそうもない夢ばかり追いかけてしまって、人生としてもなかなか厳しい道のりだ、ということ。

 そんな状態であるので、「君」に近くにいてほしい気持ちが、2行目の「君がいなきゃ 困る」に込められています。

 ここまでのAメロは、「星」「夢」「靴」などシンプルかつ抽象的でありながら、意味には広がりのある言葉を並べ、場面が想像しやすい表現となっています。

「あの光」が意味するもの

 さて、次にサビで出てくる「光」という言葉がなにを表象するのか検討します。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

遠く遠く果てしなく続く 道の上から
強い 思い あの光まで 届いてほしい

 2行目の「あの光」が、なにを指しているのか。Aメロ1連目の「星を探してる」という一節と、「スターゲイザー」というタイトルから想像するに、星が放つ光を指していると考えても良さそうです。

 しかし、単純にそうとも言い切れず、多様な解釈を許容するのが、スピッツの歌詞の魅力である特徴。この曲における「光」も、単純に星を意味するとも限らない、意味の広がりを持っています。

 冒頭で指摘したとおり「stargazer」には、星を見つめる人という意味から転じて、天文学者と夢想家という異なる意味を併せ持っています。

 タイトルが複数の意味を持つように、上記引用部の「あの光」も、二重の意味を持っているように思われます。

 例えば、星の光を意味するとして「あの光まで 届いてほしい」とは、なにを意味するのでしょうか。何万光年も離れた星まで届いてほしい、という文字どおりの意味だと、あまり意味が通りません。

 なぜなら、語り手の思いはそもそも物理的に存在するわけではなく、到達することはできないため。また、仮に存在したとして、遠くの星に到達しても、実質的なメリットがあるとは考えられません。

 つまり「あの光まで 届いてほしい」という一節には、文字どおりの意味だけでなく、それ以上の意味がこめられているということ。

 では、作者がこめた意味とはなにか、考えてみましょう。先述したとおり「stargazer」には「夢想家」の意味があります。

 この曲においても、夜空を眺めながらめぐらす語り手の思いは、夢想家の描く夢のように、実現可能性の低さをあらわしている、とも解釈できます。

 それでは、実現可能性の低い思いとはなにか。僕は「君」と「星」がイコールであるという仮説を立てます。つまり、語り手にとっての「君」は「星」と同じぐらい遠く、同時に輝きを放つ存在だという意味です。

 Aメロの「明日 君がいなきゃ 困る」という歌詞にも繋がってくるのですが、なんらかの理由で語り手は「君」に会うのが難しい状況なのだと想像できます。

 理由はなぜか。それはリスナーのイマジネーションに委ねられている、というのが僕の考えです。

 もしかしたら、「君」は星になってしまった存在なのかもしれないし、語り手の思いの強さを「星」という言葉に込めたのかもしれません。

独創性を増す歌詞

 2番に入ると、歌詞はより独創性を増していきます。1番よりも具体的な言葉が使われながら、そこから喚起される意味とイメージは、むしろ曖昧だという意味です。

 2番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

すべてを嫌う幼さを 隠し持ったまま
正しく飾られた世界で 世界で

 1行目の「すべてを嫌う幼さ」とは、世間の常識すべてに批判的な、若いころ特有の態度をあらわしているのでしょう。現代的な言葉で言えば、厨二病的な態度と言ってもいいかもしれません。

 2行目の「正しく飾られた世界」とは、1行目からの繋がりを考慮すると、嘘や欺瞞もありつつ成り立っている世界をあらわしているのだと思います。

 すべてを嫌う幼さを持った語り手は、少しの嘘でも忌み嫌いそうなものですが、世界は多くの要素が重なりあい、複雑に成り立っていることは理解しているのでしょう。

 つづいて、2番のサビの歌詞を以下に引用します。

一度きりの魔球を投げ込む 熱の向こうへと
泣いて 笑って 泥にまみれた ドラマの後で

 「魔球」は何を意味するのか。言うまでもなく、いきなり野球の話題になっているわけではありません。ここで出てきた「魔球」も、なにかを比喩的にあらわしていると考えられます。

 会話をキャッチボールに例えることがありますが、ここでの「魔球」も、言葉のやりとりを意味しているのではないでしょうか。

 想定されるのは語り手と「君」の会話。「魔球」と言うほどに、滅多に言わないとっておきの言葉を放ったということです。

 ではどんなタイミングで、その魔球のような言葉を放ったのか。2行目で説明されています。

 「泣いて 笑って 泥にまみれた ドラマの後で」ということは、語り手と「君」が多くの期間をともに過ごしたあとで、魔球のような言葉をかけたということでしょう。

 以上のように、2番に入るとそれぞれの言葉がより広い意味を持つ、具体性よりも独創性が強い歌詞が展開します。

語り手と「君」の関係性

 語り手が一貫して語っていると思われる「君」。では次に、語り手と「君」がどのような関係であるのか、検討してみましょう。

 1番に出てきた「君がいなきゃ 困る」という一節。また、先ほどの「泣いて 笑って 泥にまみれた ドラマの後で」という言葉を考慮すると、2人は恋人同士だったと考えるのが普通でしょうか。

 2番のサビのあとには、Bメロあるいは大サビと呼ぶべきメロディーが続きます。当該部分の歌詞を、以下に引用します。

明かされていく秘密 何か終わり また始まり
ありふれた言葉が からだ中を巡って 翼になる

 上記引用部も抽象的かつイマジナティヴで、いくつもの解釈が可能。ひとつの仮説として、語り手と「君」が恋人同士、あるいはそれに近い親しい間柄であるという前提のもと、読みといてみましょう。

 まずは1行目。「明かされていく秘密」とは、お互いをより深く知っていくこと。その後に続く「何か終わり また始まり」は、お互いに様々な感情が芽生え、関係性が変わっていく過程をあらわしていると考えます。

 つづいて2行目。「ありふれた言葉」とは、「君」から投げかけられた言葉。それが「翼になる」とは、「君」の言葉が勇気や希望になったということでしょう。

 上記引用部をまとめると、語り手は「君」とのコミュニケーションをとおして、多くの感情を受けとり、その一部は未来へ向かうモチベーションになったということです。

 また、先ほど「君」と「星」がイコールであるという仮説を立てました。「ひとりぼっち」「君がいなきゃ 困る」といった言葉が散りばめられ、逆説的に「君」に会えない状態であることが示唆されます。

 これは何を意味しているのか。単純にお互い忙しく会えないだけなのかもしれないし、もう別れてしまったのかもしれない。あるいは「君」はすでに星になってしまった、すなわち亡くなっているのかもしれません。

 歌詞には確定的な記述はされませんが、多くの可能性を許容するところが、この曲の共感性の高さにつながっているのでしょう。

結論・まとめ

 以上「スターゲイザー」の歌詞を、英語の「stargazer」が持つ意味の広がりを意識しながら、読みといてきました。

 直訳すれば「星を見つめる人」を意味するスターゲイザー。そこから転じて、天文学者や夢想家を意味するのは、冒頭で確認しました。

 この曲の歌詞も、星を見つめるロマンチックな行為が「君」を思うことに重ねられ、複数の意味を伴ないながら展開。

 ほとんど具体的に人間関係やストーリーは語られないにも関わらず、リスナーそれぞれの想像力を刺激し、イメージを喚起させる歌詞になっています。

 個人的には「魔球」という言葉の使い方が、もっとも好きです。会話をキャッチボールに例えていると仮定して、トリッキーな素直じゃない言葉を意味しているのか、あるいは魔球のように滅多にない言葉という意味なのか、イマジネーションが広がります。

 いぜれにしても、聴く人それぞれに異なった姿を見せるのが、この曲およびスピッツの魅力であると思っています。

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スピッツ「楓」歌詞の意味考察 新しい世界で再会する2人


目次
イントロダクション
「君」は過去の人?
強調される過去
「タマシイ」はなにを意味するか?
2人は新しい世界へと旅立つ?
結論・まとめ

イントロダクション

 「楓」は、日本のロックバンド、スピッツの楽曲。作詞作曲は草野正宗。1998年7月7日に、両A面シングル『楓/スピカ』としてリリース。

 1998年3月25日リリースの8thアルバム『フェイクファー』、2006年リリースのシングル集『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』などにも収録されています。

 スピッツを語るときに、毎回のように書いてしまうのですが、彼らの魅力はその二面性にあると思うんですよね。日常性と普遍性。大衆性と実験性。そうした、一般的には相反すると思われる要素を、歌詞においても、音楽においても共存しているのが、彼らの魅力です。

 「楓」という曲も、一聴すると「僕」が「君」のことを語る、微笑ましいラブソングのように響きます。でも、聴き込んでいくうちに、言葉の意味が広がっていき、次々と自分の中で解釈とイメージが生まれるんです。

 本論では、「楓」の歌詞の意味を読み解きながら、少しでもこの楽曲の魅力をお伝えすることを目指します。

「君」は過去の人?

 この曲に出てくるのは、語り手である「僕」と「君」の2人。前述したとおり、「僕」が「君」について語る内容が、歌詞になっています。

 では、「僕」と「君」はどのような関係にあり、何が語られているのか。2人の関係性はひとまず置いておき、歌詞をざっと確認してみると、過去のことを語っていることが分かります。

 2人がどのような関係性であったにせよ、今は会うことができない状態であるようです。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

忘れはしないよ 時が流れても
いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと

 歌詞は「忘れはしないよ」という一節から始まります。わざわざ「忘れはしない」と誓っているのは、裏を返せば「君」を忘れてしまう可能性があるということ。

 つまり、冒頭からいきなり「君」はもう会えない存在だと示唆されます。2行目以降に記述されるのは、何を忘れないのか、という内容。

 3行目と4行目では、「君」の笑顔のおかげで「僕」の心が和んだ、という趣旨のことが歌われます。このように親密な関係性の2人。恋人同士だった、と仮定していいでしょう。

 Aメロでは、2人が恋人同士と思われる親密な関係にあったが、今は会うことができない、との情報が提示されています。

 その後に続くBメロの歌詞を、以下に引用します。

かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ?
一人きりじゃ叶えられない
夢もあったけれど

 1行目の「のぞいた穴」が、具体的になにを指すのか明らかにされていませんが、望遠鏡やドアスコープなど、穴を覗きこむのは目的があってのこと。

 望遠鏡だったら遠くの目標物、ドアスコープだったら扉の向こうがわの様子、というように目的がハッキリしています。しかし、どこにフォーカスするかは人それぞれ。

 上記の引用部では、4行目に「夢」という未来を連想させる言葉が出てきます。そのため、穴をのぞくことが、未来になにを望むか、なにを重要視するか、といった2人の価値観を象徴しているのでしょう。

 先述したとおり、ここまでの歌詞では、一貫して過去の記述がなされています。そのうえで気になるのは、「君」と「僕」の関係が、現在はどういう状態なのかという点。

 Aメロの「忘れはしないよ」という歌詞から、会えない状態であることは分かります。さらに、永遠に会うことが叶わないことすら、サビの歌詞では示唆されます。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 「さよなら」という言葉で始まることからも分かるとおり、引用部では「君」にもう会えないことが、明らかにされています。

 1行目の「君の声を 抱いて歩いていく」とは、これからは君との思い出を支えに生きていく、程度の意味でしょう。

 2行目の「僕のままで どこまで届くだろう」という一節が、個人的にもっとも気になる部分です。なぜなら、この一節は「君」の不在をより際立たせる、もっと具体的に言ってしまうと「君」が亡くなっていることすら匂わせるため。

 「僕のままで」とは、どういう意味でしょうか。「今の僕であるまま」と解釈して、「僕が生きている間」という意味であると考えます。つまり、2行目全体では「僕が生きている間にどこまで行けるだろう」あるいは「僕はあとどれぐらい生きられるだろう」という意味になります。

 1行目の内容と合わせると、「君」は永遠に会えない存在、すなわちすでに亡くなっていることが示唆されるのです。もちろん、歌詞の中にはそこまでハッキリと書かれていませんし、あくまでひとつの解釈。

 恋人同士だった「僕」と「君」が別れ、「僕」が今の価値観のまま、どこまで行けるだろう、と歌っているとも取れます。しかし、恋人同士の別れを歌っているにしても、深い別れの悲しみが伝わる表現です。

 「届く」というシンプルかつ、人を主語にすることの少ない動詞を用いることで、このような意味の多層性がもたらされているのではないでしょうか。

強調される過去

 歌詞は2番に入っても、引き続き「君」の不在を強調していきます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

探していたのさ 君と会う日まで
今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには 水玉の雲が
散らかっていた あの日まで

 引用部1行目で、「僕」が「君」と会うまで探していたもの。それが2行目の「懐かしい言葉」です。

 言い換えると、「僕」は「君」と出会うまで探していた言葉がある。そして、その言葉を「君」と出会うことで見つけた。しかし、その言葉も「君」がいなくなった今となっては懐かしい、ということ。

 「懐かしい言葉」が具体的になにを指すのか明らかにされませんが、「僕」が持つ考え方を「言葉」というワードに込め、「君」と出会うことで生じた価値観の変化を、あらわしたのでしょう。

 なぜなら、人が発する言葉には、その人の価値観が色濃く反映されるからです。「言葉」とは具体的なワードを指すのではなく、「君」との会話すべて、そしてそれによって起こった価値観の変化を、代表しているということです。

 3行目以降の歌詞は、どういう意味でしょうか。引用部の最後に「あの日まで」とあることから、こちらも過去を振り返っている内容だと推測できます。

 1行目の「君と会う日まで」と、4行目の「あの日まで」は、おそらく同じこと。いずれも「君」と一緒に過ごした日々を、思い返しているのでしょう。

 では、それを踏まえたうえで「ガラスの向こうには 水玉の雲が 散らかっていた」とはどういうことか、考えてみましょう。

 身近にあるガラスといえば、窓ガラスが連想されます。深読みせず、もっともベーシックに解釈するならば、家か車の窓ガラス越しに外を見ている、ということでしょう。

 「水玉の雲」という表現も、具体的な意味はハッキリしません。しかし、雲が水玉のようにキレイに見えるということは、当時の思い出が美しいこと、また過去としてパッケージされていることを、意味するのではないかと想像します。

「タマシイ」はなにを意味するか?

 2番のBメロには、以下の歌詞が続きます。

風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに

 上記の引用部で引っかかるのは、2行目の「タマシイ」。この単語がなにを意味するのか。なぜ、カタカナで表記したのか。

 魂と言うと、命を意味しそうなものですが、前後の文脈を考えると、上記引用部では「価値観」や「考え方」ぐらいの意味で、使われているのではないか推測します。

 「風が吹いて飛ばされそうな」のは、それだけ価値観が不安定であるということ。3行目の「他人と同じような幸せ」というのは、世間一般に認められた常識的な幸せという意味です。

 つまり、引用部をまとめると、「僕」は風が吹けば変わるぐらい軽い感覚で、常識的な幸せを信じていたということ。最後が「信じていたのに」となってるのは、しかしそれは自分が求める幸せではなかった、ということです。

 このように、幸せに対する不安定な価値観をあらわすため、「タマシイ」とカタカナで綴ったのではないでしょうか。同時に、命の儚さを強調するため、とも考えられます。

 そしてサビでは、なぜそのように感じるようになったのか、その理由とも思える歌詞が続きます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

これから 傷ついたり 誰か 傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 1行目の内容から、「僕」が人間関係において傷つき、同時に誰かを傷つけながら、多くのことを学んだのではないか、と推測できます。

 その誰かとは、言うまでもなく「君」。つまり「僕」は「君」と出会い、傷つき傷つけるなかで、多くのことを学び、価値観を変えていったということです。

 引用部2行目は、1番のサビと共通。1番と同じく、意味の広がりをともなって響く一節です。

 すなわち、「僕」が今のままでどこまで変わらずに行けるか、あるいは「僕」はあとどれだけ生きられるだろうか、というように複数の解釈を許容します。

2人は新しい世界へと旅立つ?

 ここまでの歌詞を考察しながら、この曲は「君」の不在、とくに亡くなっていることを示唆すると主張してきました。

 2番のサビ後に挿入されるCメロでは、上記の主張を補強するともとれる、イマジナティヴな言葉が綴られます。以下に引用します。

瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聞こえる?

 1行目の「瞬きするほど長い季節」という一節から、早速イマジネーションをかきたてる表現です。

 なぜなら「瞬き」は一瞬であるはずなのに、それを「長い季節」だと言っているから。文字どおりに解釈すると、矛盾しています。

 ここも、実にいくつもの解釈が可能。人生は一瞬で過ぎ去ってしまう、という意味にもとれますし、死後の世界を「時間の概念がなくなった季節」とあらわしているようにも思えます。

 また、その後に続く「呼び合う名前がこだまし始める」という言葉も示唆的。「僕」と「君」が名前を呼び合っている、つまり本論の主張に合わせるのならば、2人が死後の世界で再会したことを意味するのではないかと思います。

 繰り返しになりますが、これはあくまで僕がたてた仮説のひとつ。しかし、いくつもの解釈を可能にする、イマジナティヴな歌詞であることは確かでしょう。

結論・まとめ

 考察してきた内容と、僕の主張をまとめましょう。

 この曲は「僕」が過去を振り返るかたちで、「君」のことを語っています。他者とのコミュニケーションの難しさと愛おしさ、別れによる深い悲しみが記述され、とくに「君」との永遠の別れを感じさせる内容。

 シンプルな言葉を使うことによって、いくつもの解釈が可能になり、リスナーそれぞれの想像力をかきたてる歌詞になっています。

 タイトルの「楓」(カエデ)とは、モミジとも呼ばれます。モミジはご存知のとおり、秋になると紅葉し、冬になると葉を落とし、春になると新しい葉をつける落葉樹。

 1年のなかで季節によって姿を変えるカエデは、輪廻転生をあらわしているのではないか、とも思います。

 最初に買いたとおり、僕が思うスピッツの魅力のひとつは、二面性を持っているところ。

 「楓」も日常的な言葉を使いながら、さらっと人間の深いところまで達し、日常性と普遍性を併せ持っています。

 まさにスピッツらしさを多分に含んだ楽曲です。

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スピッツ「空も飛べるはず」歌詞の意味考察 曖昧性から生まれる具体性


目次
イントロダクション
歌詞の多層性
イマジナティヴな言葉
「空も飛べる」ことは何を表象するか?
2番での展開
結局、歌詞は何を訴えているのか?

イントロダクション

 「空も飛べるはず」は、1994年4月25日にリリースされた、スピッツ8枚目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 1994年9月21日リリースの5thアルバム『空の飛び方』、2006年リリースのシングル集『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』にも収録されています。

 スピッツの魅力は何か。もちろん、答えは人それぞれですが、僕が考えるスピッツの魅力は、聴きやすくポップなのに、奥が深いところです。

 それは音楽においても、歌詞においても言えて、例えばコード進行をとっても、使われるコードはそれほど珍しくないのに、組み合わせの妙によって起伏の大きい展開を作り出すなど、本当に巧み。

 歌詞についても、シンプルな言葉を使いながら、深い世界観を構築していきます。こういうところを、スピッツの魔法とでも呼びたくなるんですよね。

 今回取り上げたい「空も飛べるはず」も、まさにそうしたスピッツらしさが充満した歌詞を持っています。奇をてらった言葉は使っていないのに、掴めそうで掴めない、言葉のイメージが次々と広がる歌詞。

 このページでは、「空も飛べるはず」の歌詞を考察し、少しでもその魅力をお伝えできればと考えています。

歌詞の多層性

 最初に結論を示してから議論を進めるのが好きなので、先に僕の考えを提示しておきましょう。僕がこの曲の歌詞で優れていると思う点は、その多層性です。

 登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。サビの「君と出会った奇跡が この胸にあふれてる」という一節に象徴されるように、「僕」が「君」への想いを語るラブソングのようにも聞こえます。

 でも、歌詞に綴られる言葉を追っていくと、解釈がいくつも可能で、イマジネーションを掻き立てるんですよね。言葉使いは具体的なのに、そこから浮かび上がるエピソードは断片的で、人によって様々な風景が見えるのではないかと思います。

 なので、本論では「空も飛べるはず」が持つ言葉の多層性と、イマジナティヴな世界観を、歌詞を読み解きながら、ご紹介したいと思っています。

イマジナティヴな言葉

 小見出しに「イマジナティヴな言葉」と、かっこつけて横文字を使いましたが、言い換えれば想像力をかき立てる言葉ということ。

 この曲の歌詞には、リスナーの想像力を刺激する言葉が並びます。そのため、聴いているうちに次々とイメージが広がり、楽曲の世界観に引き込まれていくんです。

 最初に1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた

 歌い出しから、早速いくつもの解釈を許容する、広がりのある表現が続きます。では、順番に読み解いていきましょう。

 まず「幼い微熱」とは、何を意味するのか。「微熱を下げられないまま」という表現だったら、熱があるのかな、ぐらいにしか思いませんが、ここでキーとなるのは「幼い」という形容詞。

 「幼い」には、「年が若い」「未熟だ」といった意味がありますが、文字通りに「未熟な微熱」と解釈しても、いまいちピンと来ません。

 その後に続く歌詞の内容を考慮すると、「若気の至りでわき上がった情熱」ぐらいの意味ではないかと思います。

 「神様の影を恐れて」は、「僕」がキャラクターに合わない行動をしているため、不安を抱えているということ。その行動とは、2行目の「隠したナイフ」、つまりナイフを隠し持っているという事でしょう。

 「おどけた歌でなぐさめた」の主語は「君」で、思い切った行動をとって不安な「僕」を、歌で慰めているということ。

 上記引用部を説明的に書き直すと、「若気の至りでわき上がった情熱に任せて、ナイフを隠し持ってきたけど、性に合わず不安な気持ちの僕を、君はおどけた歌でなぐさめた」ぐらいの意味でしょうか。もちろん、これが正解!と言いたいわけではなく、あくまで僕個人の解釈です。

 引用部では、ナイフを持ってきた具体的な理由や、そもそも場面設定はどこなのか、といった情報は提示されません。あるいは「ナイフ」も、思い切った行動を象徴する記号として機能しているのかもしれません。

 いずれにしても、具体的なエピソードではなく、断片的なイメージが繋がり、人によってそれぞれのシーンが浮かぶ表現だと言えるでしょう。

 その後に続く、Bメロの歌詞を、以下に引用します。

色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて

 こちらにも状況を説明するような、具体的な記述はありません。Aメロからの繋がりもハッキリしませんが、Aメロの内容の理由だと解釈することは可能でしょう。すなわち「僕」が思い切った行動をとった理由は「輝くすべを求め」るため、ということ。

 その前の「色褪せながら ひび割れながら」という一節も、主語が「僕」だとすると、ちょっと不思議な表現です。なぜなら、「色褪せる」「ひび割れる」という言葉は、主に物に使うべきであり、人に対して用いられることは無いためです。

 意味としては、色褪せることは時間が過ぎ去ること、ひび割れるのは心が傷ついたり悩んだりすることを、表しているのでしょう。

 しかし、通常は人に使わない言葉を用いることにより、自分が自分でないかのように時間が過ぎ、過去に置き去りにされる感覚を、表しているのではないかと思います。

 ここまでのAメロからBメロにかけて、シンプルな言葉を用いながら、どこか違和感を含み、イメージが広がる言葉が並んでいます。

「空も飛べる」ことは何を表象するか?

 では、サビに入ると、歌詞はどのように展開するのか。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい

 サビに入っても、やはり意味に広がりがある、イマジナティヴな言葉が続きます。

 上記引用部の表面上の意味は、君と出会えて良かった、これからもずっとそばにいてほしい、というラブソング的な内容と言えるでしょう。しかし、Aメロ・Bメロと同じく、解釈に幅のある言葉で綴られています。

 1行目はそのままの意味でいいとして、2行目の「空も飛べるはず」とは何を意味するのでしょうか。文字どおりに空を飛ぶという意味ではない、ということはすぐに分かります。

 1行目の「君と出会った奇跡」から繋がることを考えると、おそらく「君」と出会えた喜びを表しているのでしょう。

 実にスピッツらしくポエティックな表現…と言ってしまうとそれまでですが、曲のタイトルにもなっているとおり、この「空も飛べるはず」という一節に、この曲の奥の深さが凝縮されている、と僕は考えています。

 非常にうれしい気持ちを表す「天にも昇る心地」という表現があります。「空も飛べるはず」という言い回しは、この表現を日常的な言葉で言い換えたとも言えるでしょう。

 ただ嬉しい気持ちだけでなく、空を飛ぶイメージから、未来への跳躍や、苦しい過去からの解放をも感じさせる一節です。

 日常的な言葉を使うことで、意味の射程が広がり、結果として多くの人にリアリティーを伴って響く。曖昧性の中から、具体性がにじみ出る、スピッツの魔法とも言うべき表現方法だと思います。

 3行目に続く「夢を濡らした涙が 海原へ流れたら」という言い回しも、「空も飛べるはず」と同じく、奥行きのある意味をはらむ表現。

 悲しみで夜に涙を流すことを「枕を濡らす」と言います。言うまでもなく、上記の「夢を濡らした」は、「枕を濡らす」を連想させます。

 その後に続く「海原へ流れたら」は、涙が海へと流れていく、ダイナミックな例え。「空も飛べるはず」という表現と共通する、イマジネーションをかき立てる言葉使いと言えるでしょう。

 まとめると、サビの歌詞もAメロ・Bメロと同じく、シンプルな言葉を使いながら、聴き手によってそれぞれの風景が浮かぶような表現で綴られている、ということ。

 「空も飛べるはず」という言葉は、人それぞれに空も飛べるような感情と、しれに伴う「君」との風景を喚起させる効果を持っています。

2番での展開

 2番に入っても、1番と同様にシンプルながら、想像力をかき立てる言葉が綴られていきます。

 ひとつずつ確認していきましょう。まず、2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

切り札にしてた見えすいた嘘は 満月の夜にやぶいた

 上記引用部でも、詳細までは分からない、断片的なイメージのような言葉が並びます。「満月の夜」とありますから、時間設定は夜と考えて良さそうです。

 「切り札にしてた見えすいた嘘」とは、「僕」が何らかの状況変化を起こすために考えていた嘘、ぐらいの意味でしょうか。その嘘を「満月の夜にやぶいた」ということは、温めていた嘘を使うことはなかった、ということ。

 「やぶいた」とあるので、使うのを諦めた、使う必要が無くなった、という意味ではなく、嘘をつくという方法はやめよう、という心境の変化が想定できます。

 その後に続くBメロの歌詞を、以下に引用します。

はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて

 夜のイメージが続いていると仮定すると、「君」の髪のにおいによって「僕」は目を覚ました、という状況のようです。

 ただ「はかなく揺れる」という言い方が、また色々なイメージを喚起します。「揺れる」の主語が「髪」だとすると、「僕」は寝ているけど「君」は起きているとも取れますし、「におい」を主語にして、においが漂っていることを表しているとも解釈可能。

 また、頭についている「はかなく」という副詞も、どう解釈するかによって、意味に違いが生じます。「はかない」は、淡く消えやすいという意味ですから、髪のにおいについて言ったとも取れますし、そもそも一連の状況を儚いと思う「僕」の心情の表出とも取れます。

 いずれにしても、2番のAメロとBメロでは、夜であることが提示され、「はかなく」という言葉に象徴される、夜に合う感傷的な想いが、綴られているのではないかと思います。

 続いて2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい

 3行目以外は、1番の歌詞と共通。その3行目には「ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも」と、綴られています。

 「ゴミできらめく世界」とは何を意味するのか。嘘やペテンがはびこる、世界や人間の汚い部分をひっくるめて「ゴミできらめく世界」と表現しているのではないかと、僕は考えています。

 「きらめく」と書いたのは、そうした汚いものが世界に溢れている事と、埃が光の中で輝くように、ゴミのような部分も光を当てれば輝いて見える事を、表しているのではないかと思います。

 その後に「ずっとそばで笑っていてほしい」と続くので、「君」と一緒にいることで、ゴミのような世界もきらめいて見え、耐えることができる、という「僕」の感情を表しているのではないかとも思います。

 以上、2番の歌詞も1番と同じく、曖昧性を残しながら、非常にイマジネーションをかき立てる言葉が並んでいると、言えるのではないでしょうか。

結局、歌詞は何を訴えているのか?

 さて、ここまで歌詞を順番に考察してきました。最後に、結局この曲は何を訴えているのか、僕なりの考えを提示いたします。

 まず、この曲の語り手であり、主人公であると言っていい「僕」は、どのような人物でしょうか。「幼い微熱」「隠したナイフ」「見えすいた嘘」といった言葉が散りばめられ、かなり繊細な人物なのではないかと想定できます。

 そして、2番のサビに出てくる「ゴミできらめく世界」という言葉からは、「僕」がまわりの環境に馴染めない、あるいは世間に溢れる汚い感情や方法に馴染めない人物である、とも想像できるでしょう。

 世界に対してネガティヴな感情も持ち、しかし感情表現も得意ではなさそうな「僕」にとって、空を飛べるほど光を与えてくれる存在が「君」。

 この曲の歌詞を端的に説明するなら、そういう事ではないかと思います。わかりやすく具体的なエピソードが記述されるわけではありませんが、他者への深い愛情を歌ったラブソングとも言えるでしょう。

 もちろん、これは僕の個人的な考え。これが正解!と主張したいわけではありません。

 先述したように、曖昧な部分を残しながら、イマジネーションをかき立てる言葉を並べ、一人一人のリスナーにリアリティを伴って響くのが、この曲の魅力。

 ぜひ想像力を全開にして、楽曲の世界に浸ってください。

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スピッツ「ロビンソン」歌詞の意味考察 永遠の別れと再会の物語


目次
イントロダクション
歌詞が持つ二重性
「ロビンソン」の意味
「新しい季節」とはいつか?
「宇宙の風」の意味
生まれ変わる2人
結論・まとめ

イントロダクション

 「ロビンソン」は、1995年4月5日にリリースされた、スピッツの11枚目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 1995年9月20日リリースの6thアルバム『ハチミツ』、2017年リリースのコンプリート・シングル集『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』などにも収録されています。

 スピッツの魅力とはなにか? この問いに、僕なら「ポップさと実験性が共存しているところ」と答えます。

 もうちょっと砕けた表現で説明すると、一聴して耳なじみがいいのに、じっくり聴いていくと、ねじれた部分が聴こえてくる、という感じでしょうか。

 初めて聴いたときから「あ、いい曲だな」と思うのに、聴き込めば聴き込むほどに、その奥に潜む違和感に気づき、その違和感が楽曲の魅力になっていくんですよね。

 音楽面でも歌詞の面でも、優れたポップスでありながら、同時に深い実験性を備えていること。僕が感じるスピッツの魅力は、その二面性にあります。

 160万枚を超えるセールスを記録し、彼らの代表曲と言っていい「ロビンソン」も、まさにそうした二面性、二重性を持った楽曲です。

 このページでは、特に「ロビンソン」の歌詞に注目し、意味を考察します。そして、結果的にこの曲の魅力をお伝えすることができれば、と考えています。

歌詞が持つ二重性

 最初に、歌詞の設定と、語りの構造を確認しておきましょう。

 まず登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。「僕」が語る内容が、歌詞となっています。

 では、この曲のテーマは何か。「僕」が「君」との関係を語る、穏やかなラブソングとも思えるのですが、同時に生と死を感じさせる曲でもあります。

 表層では、日常的でかわいらしいラブソングとして機能し、深層では人の生と死、出会いと別れを扱っている。先に結論を言ってしまうと、その二重性こそがこの曲の魅力であり、特異な点である、というのが僕の考えです。

 では、上記の前提に基づいて、この曲の歌詞を読み解いていきます。

「ロビンソン」の意味

 実際の歌詞に入る前に、まずタイトルとなっている「ロビンソン」の意味を検討します。

 「ロビンソン」と曲名に掲げられているものの、歌詞の中にこの言葉は一切出てきません。では、この言葉はなにを意味するのでしょうか。

 伝記的な事実を記載すると、この曲の作詞作曲者である草野正宗さんが、タイを旅行したときに印象に残った「ロビンソン百貨店」から命名されたとのこと。

 ここでは、そうした予備情報なしに「ロビンソン」という言葉がタイトルとなることで、どのような意味を帯びるか、という視点で考察を進めます。

 そもそも「ロビンソン」とは、なにを意味するのか。英語の「Robinson」とするなら、基本的には名前です。しかも、苗字と名前のどちらにもなり得る名称です。

 名前の例をひとつ挙げれば、イギリスの著述家ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の主人公。苗字の例には、MLB初の黒人野球選手ジャッキー・ロビンソンが挙げられます。

 ちなみに、草野さんがタイで目にした「ロビンソン百貨店」の名称も、創業者のフィリップ・ロビンソンに由来します。

 ここで重要なのは、苗字にも名前にも用いられる、言い換えれば意味に広がりがある点。また、例えば「マイケル」や「ジョンソン」よりも、少なくとも日本人にとっては、名前らしく響かない点です。

 人の名前とも、場所の名前とも、はたまた「シャングリラ」のように架空の場所のようにも響くことが、この曲の二重性を引き立てることになっている、というのが僕が立てた仮説です。

 もちろん、歌詞の中で確定的に語られているわけではありませんので、あくまで仮説のひとつ。

 では、「ロビンソン」というタイトルが、曲にどのような意味を付加しているのかも意識しながら、歌詞を読み解いていきます。

「新しい季節」とはいつか?

 まずは、1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

新しい季節は なぜかせつない日々で
河原の道を自転車で 走る君を追いかけた
思い出のレコードと 大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに

 前述のとおり、この曲の語り手は「僕」。上記引用部も、全て主語は「僕」だと考えられます。情報はキッチリと記述されており、文字通りの意味を取るのは、それほど難しくありません。

 キーとなるのは、1行目の「新しい季節」という一節。この言葉は、なにを意味するのでしょうか。

 単純に季節が巡り、例えば夏から秋になった、とも考えられます。その後に続く「なぜかせつない日々」という言葉も、暑さがやわらいだ事がなんとなく切ない、と解釈すれば整合性も取れそうです。

 しかし、僕がこの曲で特異だと思うのは、その二重性。もちろん、単純に季節が巡ったと考える事もできるのですが、生活や心境に変化があったことを、季節に例える事があります。

 例えば「君」が亡くなってしまった。そうした深い別れを「新しい季節」と表現しているようにも、僕には思えるのです。

 「走る君を追いかけた」という一節も、表層では恋人同士が走っていく微笑ましいワンシーン。しかし、深層ではあの世で再び出会うことを、表しているようにも思えます。

 では、「君」は亡くなっている、ということを仮説のひとつとして、歌詞の続きを考察します。

「宇宙の風」の意味

 Bメロ以降にも、多層性を持った言葉が散りばめられています。1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で つくり上げたよ

 引用部2行目の「魔法」とは、なにを意味するのでしょうか。

 引用部1行目を説明的に言い換えると、「あるシチュエーションになった時に思わず口に出る(言葉)」といった感じでしょう。「思わず口にするような」から続くことを考えると、「魔法」は言葉であるように思われます。

 ただ、ここでも歌詞の中では確定的なことは記述されておらず、何かしらの行動であることしか分かりません。

 では、その「魔法」で何を作り上げたのか。歌詞はサビへと続きます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 引用部1行目で、「魔法」で作り上げたのは「二人だけの国」であると明らかになります。

 「二人だけの国」というのも、多様な解釈が可能な表現。恋人同士の親密な空気をあらわしているとも取れますし、僕の仮説に合わせるなら、あの世をロマンチックに言い換えた言葉とも取れます。

 さらに気になるのは、引用部2行目。「空に浮かぶ」「宇宙の風に乗る」という表現も、やはりここではない世界を示唆しています。

 特に「宇宙の風」という表現。「宇宙」は、永遠や真理を表すこともあります。そのため「宇宙の風に乗る」という言い回しは、人が亡くなって、生まれ変わること。

 曲の登場人物に当てはめると、「君」が亡くなり、会えなくなってしまった2人が、再び出会うことを表しているように、僕には思われるのです。

生まれ変わる2人

 2番に入っても、歌詞は多層性を帯びたまま進みます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 上記の引用部も、文字通りに意味をとっていくなら、それほど難しいことは書かれていません。しかし前述のとおり、様々な可能性を喚起させる歌詞でもあります。

 まず引用部1行目から2行目の「猫」の表現は、何を意味するのでしょうか。順番に考察していきます。

 1行目の「片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も」は、飼い主に捨てられた猫が、それでもなんとか頑張って生きようとする様子を描いているのでしょう。

 その後に続く「どこか似ている」の主語が「僕」だとすると、「僕」は捨てられた猫と似た状態にあるということ。では、それはどんな状態を意味するのか。「僕」も、何かしら辛い状態であると考えれらます。

 そのような辛さを抱えた精神状態であるために、捨てられた猫に親近感を覚え、「抱き上げて 無理やりに頬」を寄せたのでしょう。

 続いて、引用部の3行目の「いつもの交差点で 見上げた丸い窓は」。「いつもの」とあるので、何度も通った交差点であり、何度も見上げたことのある「丸い窓」であると想定できます。

 では、「丸い窓」とは誰の部屋の窓であるのか。歌詞の中の登場人物から考えれば、「君」の部屋の窓だと考えるのが自然でしょう。

 さらに、その窓が「うす汚れてる」と続きます。これは、この部屋に住んでいた人、つまり「君」が、もうこの部屋には住んでいないことを、表しているのではないでしょうか。

 僕の仮説を当てはめるなら、やはり「君」は亡くなっていて、「僕」はもう二度と会うことができない、と解釈できます。

 その後に続く、2番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ

 引用部1行目の「待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳」とは、2人が夢の中で再会したこと、あるいは「僕」がやがて向こうの世界に行き「君」と再会できたことを、表すのではないかと思います。もう二度と会えないはずの2人なので、「君」が驚いているわけです。

 さらに、その後に続く「生まれ変わるよ」という言葉。これは、文字通りに2人が生まれ変わることを示しているのでしょう。つまり、「君」が亡くなり、現実世界では会えない2人が、生まれ変わって再会するということです。

 そして、2番のサビには、以下の歌詞が続きます。

誰も触われない 二人だけの国 終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 「終わらない歌ばらまいて」という一節を除いて、1番のサビと共通しています。では「終わらない歌」とは、なにを意味するのでしょうか。

 1番のサビで「宇宙の風」は、あの世や生まれ変わりを表す、と考察しました。歌というのは、当たり前ですが、歌うのに時間がかかります。

 その時間を必要とする「歌」が「終わらない」ということは、時間が存在しない世界。つまり、あの世を意味する、というのが僕の考えです。

 まとめると、2番のサビ全体で、「僕」と「君」が生まれ変わり、再び出会うことを歌っているということです。

結論・まとめ

 スピッツの魅力は、楽曲が持つ二面性にある。そして、「ロビンソン」という楽曲の歌詞にも、その二面性が多分に含まれている、という視点に基づき、歌詞を考察してきました。

 ここまでの考察をまとめると、「ロビンソン」は表層では日常的なラブソングでありながら、深層では深い意味での出会いと別れを歌っている楽曲だということ。

 言い換えれば、単純に付き合った別れたというストーリーではなく、より普遍的な愛情や別れについて歌った曲とも言えます。

 また、先ほど検討した「ロビンソン」という、やや奇妙なタイトルも、最後まで聴くとこの曲に合っているのでは、という気がします。

 その理由は「ロビンソン」という言葉が持つ多様性と異国性。先述したとおり「ロビンソン」は、苗字にも名前にも用いられる言葉。また、草野さんがタイで見かけた百貨店の名称でもあります。

 日本では「ロビンソン」と言っても、店や場所の名前とは普通思いません。しかし、逆に人の名前とも、場所の名前とも取れる「ロビンソン」という言葉の響きが、「ここではないどこか」を表す言葉として、機能するのではないかと思います。

 シンプルだけど、多くの可能性を示唆する、この曲の歌詞にぴったりのタイトルです。

 ここまで書いてきたことは、あくまで僕の個人的な解釈。多くの解釈を許容し、多くの人々の心に響くのが、この曲の魅力だと思いますので、皆さんもぜひ自由にこの曲を感じてみてください。

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