目次
・イントロダクション
・歌詞の多層性
・イマジナティヴな言葉
・「空も飛べる」ことは何を表象するか?
・2番での展開
・結局、歌詞は何を訴えているのか?
イントロダクション
「空も飛べるはず」は、1994年4月25日にリリースされた、スピッツ8枚目のシングル。作詞作曲は草野正宗。
1994年9月21日リリースの5thアルバム『空の飛び方』、2006年リリースのシングル集『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』にも収録されています。
スピッツの魅力は何か。もちろん、答えは人それぞれですが、僕が考えるスピッツの魅力は、聴きやすくポップなのに、奥が深いところです。
それは音楽においても、歌詞においても言えて、例えばコード進行をとっても、使われるコードはそれほど珍しくないのに、組み合わせの妙によって起伏の大きい展開を作り出すなど、本当に巧み。
歌詞についても、シンプルな言葉を使いながら、深い世界観を構築していきます。こういうところを、スピッツの魔法とでも呼びたくなるんですよね。
今回取り上げたい「空も飛べるはず」も、まさにそうしたスピッツらしさが充満した歌詞を持っています。奇をてらった言葉は使っていないのに、掴めそうで掴めない、言葉のイメージが次々と広がる歌詞。
このページでは、「空も飛べるはず」の歌詞を考察し、少しでもその魅力をお伝えできればと考えています。
歌詞の多層性
最初に結論を示してから議論を進めるのが好きなので、先に僕の考えを提示しておきましょう。僕がこの曲の歌詞で優れていると思う点は、その多層性です。
登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。サビの「君と出会った奇跡が この胸にあふれてる」という一節に象徴されるように、「僕」が「君」への想いを語るラブソングのようにも聞こえます。
でも、歌詞に綴られる言葉を追っていくと、解釈がいくつも可能で、イマジネーションを掻き立てるんですよね。言葉使いは具体的なのに、そこから浮かび上がるエピソードは断片的で、人によって様々な風景が見えるのではないかと思います。
なので、本論では「空も飛べるはず」が持つ言葉の多層性と、イマジナティヴな世界観を、歌詞を読み解きながら、ご紹介したいと思っています。
イマジナティヴな言葉
小見出しに「イマジナティヴな言葉」と、かっこつけて横文字を使いましたが、言い換えれば想像力をかき立てる言葉ということ。
この曲の歌詞には、リスナーの想像力を刺激する言葉が並びます。そのため、聴いているうちに次々とイメージが広がり、楽曲の世界観に引き込まれていくんです。
最初に1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた
歌い出しから、早速いくつもの解釈を許容する、広がりのある表現が続きます。では、順番に読み解いていきましょう。
まず「幼い微熱」とは、何を意味するのか。「微熱を下げられないまま」という表現だったら、熱があるのかな、ぐらいにしか思いませんが、ここでキーとなるのは「幼い」という形容詞。
「幼い」には、「年が若い」「未熟だ」といった意味がありますが、文字通りに「未熟な微熱」と解釈しても、いまいちピンと来ません。
その後に続く歌詞の内容を考慮すると、「若気の至りでわき上がった情熱」ぐらいの意味ではないかと思います。
「神様の影を恐れて」は、「僕」がキャラクターに合わない行動をしているため、不安を抱えているということ。その行動とは、2行目の「隠したナイフ」、つまりナイフを隠し持っているという事でしょう。
「おどけた歌でなぐさめた」の主語は「君」で、思い切った行動をとって不安な「僕」を、歌で慰めているということ。
上記引用部を説明的に書き直すと、「若気の至りでわき上がった情熱に任せて、ナイフを隠し持ってきたけど、性に合わず不安な気持ちの僕を、君はおどけた歌でなぐさめた」ぐらいの意味でしょうか。もちろん、これが正解!と言いたいわけではなく、あくまで僕個人の解釈です。
引用部では、ナイフを持ってきた具体的な理由や、そもそも場面設定はどこなのか、といった情報は提示されません。あるいは「ナイフ」も、思い切った行動を象徴する記号として機能しているのかもしれません。
いずれにしても、具体的なエピソードではなく、断片的なイメージが繋がり、人によってそれぞれのシーンが浮かぶ表現だと言えるでしょう。
その後に続く、Bメロの歌詞を、以下に引用します。
色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて
こちらにも状況を説明するような、具体的な記述はありません。Aメロからの繋がりもハッキリしませんが、Aメロの内容の理由だと解釈することは可能でしょう。すなわち「僕」が思い切った行動をとった理由は「輝くすべを求め」るため、ということ。
その前の「色褪せながら ひび割れながら」という一節も、主語が「僕」だとすると、ちょっと不思議な表現です。なぜなら、「色褪せる」「ひび割れる」という言葉は、主に物に使うべきであり、人に対して用いられることは無いためです。
意味としては、色褪せることは時間が過ぎ去ること、ひび割れるのは心が傷ついたり悩んだりすることを、表しているのでしょう。
しかし、通常は人に使わない言葉を用いることにより、自分が自分でないかのように時間が過ぎ、過去に置き去りにされる感覚を、表しているのではないかと思います。
ここまでのAメロからBメロにかけて、シンプルな言葉を用いながら、どこか違和感を含み、イメージが広がる言葉が並んでいます。
「空も飛べる」ことは何を表象するか?
では、サビに入ると、歌詞はどのように展開するのか。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
サビに入っても、やはり意味に広がりがある、イマジナティヴな言葉が続きます。
上記引用部の表面上の意味は、君と出会えて良かった、これからもずっとそばにいてほしい、というラブソング的な内容と言えるでしょう。しかし、Aメロ・Bメロと同じく、解釈に幅のある言葉で綴られています。
1行目はそのままの意味でいいとして、2行目の「空も飛べるはず」とは何を意味するのでしょうか。文字どおりに空を飛ぶという意味ではない、ということはすぐに分かります。
1行目の「君と出会った奇跡」から繋がることを考えると、おそらく「君」と出会えた喜びを表しているのでしょう。
実にスピッツらしくポエティックな表現…と言ってしまうとそれまでですが、曲のタイトルにもなっているとおり、この「空も飛べるはず」という一節に、この曲の奥の深さが凝縮されている、と僕は考えています。
非常にうれしい気持ちを表す「天にも昇る心地」という表現があります。「空も飛べるはず」という言い回しは、この表現を日常的な言葉で言い換えたとも言えるでしょう。
ただ嬉しい気持ちだけでなく、空を飛ぶイメージから、未来への跳躍や、苦しい過去からの解放をも感じさせる一節です。
日常的な言葉を使うことで、意味の射程が広がり、結果として多くの人にリアリティーを伴って響く。曖昧性の中から、具体性がにじみ出る、スピッツの魔法とも言うべき表現方法だと思います。
3行目に続く「夢を濡らした涙が 海原へ流れたら」という言い回しも、「空も飛べるはず」と同じく、奥行きのある意味をはらむ表現。
悲しみで夜に涙を流すことを「枕を濡らす」と言います。言うまでもなく、上記の「夢を濡らした」は、「枕を濡らす」を連想させます。
その後に続く「海原へ流れたら」は、涙が海へと流れていく、ダイナミックな例え。「空も飛べるはず」という表現と共通する、イマジネーションをかき立てる言葉使いと言えるでしょう。
まとめると、サビの歌詞もAメロ・Bメロと同じく、シンプルな言葉を使いながら、聴き手によってそれぞれの風景が浮かぶような表現で綴られている、ということ。
「空も飛べるはず」という言葉は、人それぞれに空も飛べるような感情と、しれに伴う「君」との風景を喚起させる効果を持っています。
2番での展開
2番に入っても、1番と同様にシンプルながら、想像力をかき立てる言葉が綴られていきます。
ひとつずつ確認していきましょう。まず、2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
切り札にしてた見えすいた嘘は 満月の夜にやぶいた
上記引用部でも、詳細までは分からない、断片的なイメージのような言葉が並びます。「満月の夜」とありますから、時間設定は夜と考えて良さそうです。
「切り札にしてた見えすいた嘘」とは、「僕」が何らかの状況変化を起こすために考えていた嘘、ぐらいの意味でしょうか。その嘘を「満月の夜にやぶいた」ということは、温めていた嘘を使うことはなかった、ということ。
「やぶいた」とあるので、使うのを諦めた、使う必要が無くなった、という意味ではなく、嘘をつくという方法はやめよう、という心境の変化が想定できます。
その後に続くBメロの歌詞を、以下に引用します。
はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて
夜のイメージが続いていると仮定すると、「君」の髪のにおいによって「僕」は目を覚ました、という状況のようです。
ただ「はかなく揺れる」という言い方が、また色々なイメージを喚起します。「揺れる」の主語が「髪」だとすると、「僕」は寝ているけど「君」は起きているとも取れますし、「におい」を主語にして、においが漂っていることを表しているとも解釈可能。
また、頭についている「はかなく」という副詞も、どう解釈するかによって、意味に違いが生じます。「はかない」は、淡く消えやすいという意味ですから、髪のにおいについて言ったとも取れますし、そもそも一連の状況を儚いと思う「僕」の心情の表出とも取れます。
いずれにしても、2番のAメロとBメロでは、夜であることが提示され、「はかなく」という言葉に象徴される、夜に合う感傷的な想いが、綴られているのではないかと思います。
続いて2番のサビの歌詞を、以下に引用します。
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい
3行目以外は、1番の歌詞と共通。その3行目には「ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも」と、綴られています。
「ゴミできらめく世界」とは何を意味するのか。嘘やペテンがはびこる、世界や人間の汚い部分をひっくるめて「ゴミできらめく世界」と表現しているのではないかと、僕は考えています。
「きらめく」と書いたのは、そうした汚いものが世界に溢れている事と、埃が光の中で輝くように、ゴミのような部分も光を当てれば輝いて見える事を、表しているのではないかと思います。
その後に「ずっとそばで笑っていてほしい」と続くので、「君」と一緒にいることで、ゴミのような世界もきらめいて見え、耐えることができる、という「僕」の感情を表しているのではないかとも思います。
以上、2番の歌詞も1番と同じく、曖昧性を残しながら、非常にイマジネーションをかき立てる言葉が並んでいると、言えるのではないでしょうか。
結局、歌詞は何を訴えているのか?
さて、ここまで歌詞を順番に考察してきました。最後に、結局この曲は何を訴えているのか、僕なりの考えを提示いたします。
まず、この曲の語り手であり、主人公であると言っていい「僕」は、どのような人物でしょうか。「幼い微熱」「隠したナイフ」「見えすいた嘘」といった言葉が散りばめられ、かなり繊細な人物なのではないかと想定できます。
そして、2番のサビに出てくる「ゴミできらめく世界」という言葉からは、「僕」がまわりの環境に馴染めない、あるいは世間に溢れる汚い感情や方法に馴染めない人物である、とも想像できるでしょう。
世界に対してネガティヴな感情も持ち、しかし感情表現も得意ではなさそうな「僕」にとって、空を飛べるほど光を与えてくれる存在が「君」。
この曲の歌詞を端的に説明するなら、そういう事ではないかと思います。わかりやすく具体的なエピソードが記述されるわけではありませんが、他者への深い愛情を歌ったラブソングとも言えるでしょう。
もちろん、これは僕の個人的な考え。これが正解!と主張したいわけではありません。
先述したように、曖昧な部分を残しながら、イマジネーションをかき立てる言葉を並べ、一人一人のリスナーにリアリティを伴って響くのが、この曲の魅力。
ぜひ想像力を全開にして、楽曲の世界に浸ってください。
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