目次
・イントロダクション
・コミュニケーションの速度
・「私」の悩み
・「ホントの声」とは?
・タイトルの意味
・結論・まとめ
イントロダクション
「ヒカリヘ」は、神奈川県出身のシンガーソングライター、miwaの9枚目のシングル。2012年8月15日にリリース。
2013年リリースの3rdアルバム『Delight』にも収録されています。作詞作曲はmiwa。
フジテレビ系ドラマ『リッチマン、プアウーマン』の主題歌となっており、オリコン最高4位。miwaさんの代表曲と言っても、差し支えないでしょう。
歌の内容としては、語り手である「私」が、「君」への思いを綴るもの。片想いの心情を描いた、楽曲のように聞こえます。
僕がこの曲を聴いて、面白いなと思ったのは、テクノロジーの中で生きる人間が描かれている点。
具体的には、インターネットが発展し、コミュニケーションの速度は格段に上がったけれども、それを利用する人間の感情は変わっていませんよ、ってことを歌っているんです。
ネット社会における孤独や、テクノロジーとの対比によって引き立つ人の暖かみも感じられて、現代的なラブソングなのではないかな、と思います。
そこで、本論では「ヒカリへ」の歌詞を、コミュニケーションの手段に注目しながら、読みといてみます。
コミュニケーションの速度
前述したように、この曲ではインターネットによって高速化したコミュニケーションが、モチーフとして使われています。
例えば、歌い出しの言葉。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
理想現実ワンクリック 光の速度に変わっても
地球の裏より遠い距離 アダムとイヴにはなれない
「理想現実」という言葉は、辞書的には存在しません。しかし、文脈を考えれば、意図するところは分かります。
かつての人類の理想が現実になり、クリックひとつで情報を送信できるようになった、ということでしょう。そもそも、1ワードとして捉えるべきではないのかもしれませんが。
「仮想現実」と語感が似ていますし、仮想現実にならってmiwaさんがあみ出した造語だと、個人的には考えています。
上記引用部を、順番に解釈してみましょう。前述のとおり、1行目はインターネット等の発達により、コミュニケーション速度が格段に上がったことをあらわしています。
2行目の「地球の裏より遠い距離」は、地球の裏の人とも瞬時にコミュニケーションをとれるようになったけれども、それによって人間関係の距離が、縮まるわけではないということ。
「アダムとイヴにはなれない」とは、特に男女関係において、コミュニケーション速度が上がったからといって、親しくなれるわけでない、という意味でしょう。
「地球の裏より遠い距離」は、1行目の内容を受けて、遠くの人とも簡単にコミュニケーションがとれる事実を強調。
同時にその後に続く「アダムとイヴ」へも繋がり、コミュニケーション・ツールが発達しても、必ずしも親しい関係にはなれない。近くにいても、精神的には地球に裏側にいるように感じることもある、という意味だと考えます。
まとめると、通信技術の発達によって、地球の裏側の人とも容易にコミュニケーションがとれるようになったけど、だからといって必ずしも他人との関係が近くなるわけではない、ということですね。
ハッキリとは記述されませんが、語り手は人間関係に悩んでいるのでは、と示唆する内容です。
「私」の悩み
じゃあ、語り手はどんな悩みを抱えているのか。その内容が、Bメロ以降で明かされていきます。
1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。
悲しみの生まれた場所たどって
その傷やさしく触れて癒せたなら
こちらの引用部も抽象的で、具体的なことは分かりません。しかし、誰かの悲しみを癒したい、という感情は明らかにされています。
その後に続くサビの歌詞で、癒したい対象が誰であるのか、明らかになります。以下に引用します。
溢れる想い 愛は君を照らす光になれる
切ないほどに
たとえ描く未来 そこに私がいないとしても
いまはそっと抱きしめてあげる
ここまでは代名詞が出てきていませんでしたが、上記のサビでは「私」と「君」が登場。語り手である「私」は、「君」に好意を寄せていることが分かります。
具体的には書かれませんが、可能性の一つとしては「私」は「君」に、片想いをしているのでしょう。そう考えると、Aメロの歌詞の内容も、しっくりきます。
ここまでの歌詞の内容をまとめると、「私」は「君」に片想いをしている。メールやSNS等のツールによって、コミュニケーションを取ることはできるけれども、2人の距離は思うように縮まらない、ということです。
「ホントの声」とは?
1番のAメロでは、通信技術の発達が、必ずしも人との距離を縮めることにはならない、と主張されていました。
それに対して2番のAメロでは、ツールを用いたコミュニケーションの問題点が指摘されています。以下に引用します。
遠慮配慮言葉の最後 感情記号化されても
心の奥まで伝わらない ホントの声を聞かせて
1行目は、メールやLINE等の文末を、絵文字でしめる事をあらわしているのでしょう。
そして2行目には、そのように絵文字で感情を記号化しても、本当の気持ちは伝わらない、と続いています。
前述のとおり、1番のAメロで主張されたのは、通信ツールの発達が、必ずしも人との距離を縮めないということ。
2番のAメロでは、さらに一歩踏み込んで、テクノロジーを介したコミュニケーションによって、感情が伝わりにくくなってしまう、と主張されています。
言い換えれば、技術の進歩によって、コミュニケーションの速度は上がったけれど、強度は損なわれてしまったということです。
語り手である「私」は、システム化したコミュニケーションが充満する現代社会において、本当の感情をおもてに出し、人のぬくもりを感じることを、求めているのでしょう。
タイトルの意味
全てカタカナで表記された、タイトルの「ヒカリヘ」。これが何を意味するのか、考えてみましょう。
歌詞の1行目に「光の速度に変わっても」と出てきました。つまり、ひとつには高速化したコミュニケーションをあらわしているのだと思います。
そして、サビの歌詞にも「愛は君を照らす光になれる」と出てきます。こちらは、人を癒したり、助けたりする、目に見えない力を「光」という言葉であらわしているようです。
いずれもカタカナではなく、漢字で「光」と表記されています。では、なぜタイトルではカタカナ表記となっているのか。
僕の考えでは、記号化した言葉が多い現代において、本当の心を大切にしたい、という思いをあらわすため。「ヒカリヘ」とカタカナにすることで、絵文字のように言葉を記号化しているのだと思います。
しかし、この曲は「光」が記号化して価値がなくなってしまった、と主張しているのではありません。記号化した社会においても、人を思う力を信じたい、と訴えているのです。
感情を記号化し、ワンクリックで送信できる世界において、本当の声を届ける大切さを説いた曲だと、僕は考えます。
結論・まとめ
では、結論に入りましょう。
通信技術の発達で、コミュニケーションが高速化した現代。それは便利であるのと同時に、コミュニケーションおよび人間関係の濃度が、希薄になる危険性もはらんでいます。
「ヒカリヘ」は、コミュニケーションが高度にシステム化していく現代において、感情を素直に伝える大切さを歌っている、というのが僕の出した結論。
高度に発達したテクノロジーのなかで生きる、人間の孤独もあらわていて、現代社会の問題点を切り取った、優れたラブソングでもあると思います。
それと、サウンドの面でも、電子音と生楽器のコントラストが、歌詞の内容とリンクしているところにも注目してください。
いかにも打ち込みっぽいバスドラの四つ打ちが入っているのに、ダンス・ミュージックの要素は皆無。シンセサイザーのソフトなサウンドも多用されているのですが、むしろアコースティック・ギターと歌が、対比的に際立っています。
電子音を用いることで、歌と生楽器の暖かみが増しているんです。
最新のテクノロジーを用いてサウンドを構築しつつ、人の声とメロディーの良さを中心に据えていて、歌詞の世界観をそのまま音にしたのかなというバランス。
いい意味で現代的であるし、名曲だなぁと思う1曲です。
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