目次
・イントロダクション
・顔の無い人々
・「僕」の心情
・2番の歌詞
・結論・まとめ
イントロダクション
「エキセントリック」は、アイドルグループ欅坂46の楽曲。作詞は秋元康。
2017年4月5日発売の4thシングル『不協和音』、および2017年7月19日発売の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』に収録されています。
曲名のエキセントリックとは、英語の「eccentric」。「風変わりな」「常軌を逸した」という意味を持つ形容詞です。歌詞の中にも「I am eccentric 変わり者でいい」という一節が出てきます。
『サイレントマジョリティー』でデビューして以来、既存のシステムへの反抗や、都市社会の中での孤独など、それまでロックが担っていた反抗性や内省性を持った楽曲を、たびたび発表している欅坂46。
『不協和音』のカップリング曲としてリリースされた「エキセントリック」も、SNSが盛んな現代においての人間関係がテーマとなっています。
具体的には、インターネット上におけるコミュニーケーション不全と、そこから生じる孤独にスポットが当てられています。いわば現代的な孤独が、現代的なコミュニーケーションを象徴するインターネットをエッセンスに、描写されるのがこの曲。
では、実際にどのように孤独やコミュニーケーション不全が描かれるのか、歌詞の意味を考察していきたいと思います。
顔の無い人々
まずは、語りの構造を確認しましょう。この曲は語り手である「僕」の視点から、言葉が綴られていきます。
これがラブソングであるなら、対象となる「君」が出てくるところでしょうが、この曲では「僕」以外に具体的な人物は出てきません。
その代わりに、顔の無い多くの人が出てきます。これはどういうことか、Aメロ1連目の歌詞を引用します。
あいつがああだって言ってた
こいつがこうだろうって言ってた
差出人のない噂の類(たぐ)い
確証ないほど拡散する
上記の引用部には「あいつ」と「こいつ」という代名詞が出てきますが、いずれも特定の誰かを指しているわけではありません。
3行目に「差出人のない噂の類(たぐ)い」とある通り、匿名の発言者を指しています。そして、4行目に「確証ないほど拡散する」と続くように、言うまでもなくインターネット上での書き込みを連想させる表現です。
上記引用部に続く、Aメロ2連目の歌詞を引用します。
意外にああ見えてこうだとか
やっぱりそうなんだなんてね
本人も知らない僕が出来上がって
違う自分 存在するよ
こちらの引用部では、1連目で語られた内容が、さらに発展して綴られています。具体的には「僕」に関する匿名の発言者による噂が積み重なり、「僕」の存在が勝手に形作られていくということ。ここまでの2連では、「僕」のインターネット上のコミュニーケーションに対する違和感が表明されています。
続く3連目は、以下のように続きます。
何が真実(ほんと)なんてどうでもいい
わかってもらおうなんて無理なんだ
倒れて行く悪意のドミノ
止めようたって止められない
上記の引用部では、より具体的に「僕」の心情が記述されています。ここでは、1連目では「差出人のない噂」と表現されていた匿名の発言が「悪意のドミノ」と言い換えられ、さらに「僕」はそれを止めるのは不可能だと、諦めの気持ちを持っていることが明かされます。
1番のAメロを通して、顔のない人々と「僕」の間に起こる衝突が描かれ、なんとも陰鬱な内容の歌詞が続きます。しかも、直接的な衝突ではなく、相手の顔は全く見えてきません。インターネットを介した、現代的な孤独を描いているとも言えるでしょう。
「僕」の心情
続いて、「僕」がどのような心情を抱いているか、確認していきましょう。
1番のBメロ部分の歌詞を、以下に引用します。
誰もが風見鶏みたいに
風の向き次第で
あっちこっちへとコロコロ変わる
世間の声に耳を塞いで
生きたいように生きるしかない
だから僕は一人で
心閉ざして交(まじ)わらないんだ
上記の引用部では、Aメロでは語られなかった「僕」の具体的心情が明らかにされています。Aメロでは、匿名の発言に違和感を持ち、「悪意のドミノ」を「止められない」と諦めの感情を持っていた「僕」。
Bメロでは、匿名の発言を繰り返す人々を「風見鶏」に例え、「僕」は彼らと同じようにはならない、と宣言しています。そして、Bメロに続くサビでは、より強く「僕」の思いが表明されます。
1番のサビの歌詞を、下記に引用します。
I am eccentric 変わり者でいい
理解されない方が よっぽど楽だと思ったんだ
他人(ひと)の目 気にしない 愛なんて縁を切る
はみ出してしまおう 自由なんてそんなもの
タイトルにもなっている「eccentric」という言葉が、ここで出てきました。引用部2行目にもあるとおり、「変わり者」を意味する「eccentric」という言葉。
引用したサビ部分の歌詞は、エキセントリックという言葉が、この曲において何を意味するかの説明になっています。
すなわち、差出人のない噂を鵜呑みにする、風見鶏のような人々には染まらず、自分の思うように判断し、生きるということ。その態度を、エキセントリック=変わり者であると表現しています。
2番の歌詞
2番に入っても、1番の歌詞を補強する内容の言葉が続きます。まず、2番のAメロ1連目の歌詞を引用します。
あれってああだって聞いたよ
ホントはこうらしいって聞いたよ
推測だらけの伝言ゲーム
元のネタはどこにある?
1番のAメロで綴られた内容と対応し、ここでも顔のない人々による噂話の拡散が扱われています。「推測だらけ」「元のネタ」といった言葉使いは、やはり匿名の書き込みで溢れる、インターネットを連想させると言っていいでしょう。
さらに2番のBメロでは、以下の言葉が続きます。
すべてがフィクション 妄想だって
大人げないイノセンス
嘘とか欺瞞(ぎまん)に溢れる世界
キレイな川に魚はいないと
したり顔して誰かは言うけど
そんな汚い川なら
僕は絶対泳ぎたくはない
上記の引用部で「僕」は、「すべてがフィクション」とまで言い切っています。「すべて」は、3行目に続く「嘘とか欺瞞(ぎまん)に溢れる世界」に繋がっていて、そのような世界は全て妄想であり、フィクションだと言っているのでしょう。
もう少し補足すると、この曲で一貫して語られてきた、根拠のない情報を鵜呑みにし、自分の意思を持たないかのように振る舞う人々。彼らの見る世界はすべてフィクションだと、「僕」は非難しているということです。
4行目から、今度は世界を「川」に例え、「僕は絶対泳ぎたくはない」とあらためて嘘にまみれた世界の拒絶を、宣言しています。
結論・まとめ
以上、「エキセントリック」は現代における孤独とコミュニーケーション不全を描いている、という仮説に基づいて、歌詞を読み解いてきました。
歌詞のテーマを、端的にあらわすなら、欺瞞に溢れる世界と、エキセントリックな自分の対立。
歌詞全体をとおして、語り手である「僕」は、不確かな情報に溺れる人々に対して、深い違和感を持ち続けています。
そして、自分はそうはならない、という強い拒絶の態度が「エキセントリック」という言葉に集約され、サビでは「I am eccentric 変わり者でいい」と歌われます。
興味深いのは、自分が「エキセントリック=変わり者」であると、「僕」が自覚しているところ。言い換えるなら、不確かな情報を信じ、匿名での発言を繰り返す人々がマジョリティーであり、それになじめない自分がマイノリティーであるということです。
ハッキリとは記述されていませんが、この曲がインターネットを介したコミュニケーションを想定しているのは明らか。その上で、「僕」は上記のマジョリティーとマイノリティーの認識を持っています。
SNSが主流となり、誰もがアカウントを使い分け、複数の「自分」を持つことになった現代。このような文化に馴染めない孤独を、語り手の「僕」を通してこの曲は語っている、というのが僕の結論です。
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