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Sigur Rós『Von』/ シガー・ロス 『希望』


シガー・ロス 『Von』(希望)
Sigur Rós – Von

発売: 1997年6月
レーベル: Warp

 アイスランドのポストロックバンド、シガー・ロスの1stアルバム。タイトルの「Von」は、英語では「Hope」、日本語では「希望」を意味するアイスランド語。

 生楽器とエレクトロニクスの有機的な融合、シューゲイザーを思わせる音の壁とも言えるサウンドや、ポストロック的な実験性、エレクトロニカ的なサウンド・プロダクションなどなど、彼らのその後の音楽を構成する要素は、この1stアルバムの時点で出揃っています。

 この1stアルバムを出発点に、音楽性とアンサンブルを磨き続けてきたことが、実感できる作品であるとも言えます。

 1曲目は、バンド名と同じく「Sigur Rós」と題された1曲。10分近くに及ぶ大曲ながら、定型的なリズムやメロディー、展開は持っておらず、アンビエントな音像の曲です。

 音が迫ってきたり、遠ざかったり、鈴のような音が鳴ったり、悲鳴のような声が響いたり、とサウンドには耳を傾けてしまうフックが散りばめられ、いつの間にか音楽に取り込まれてしまう感覚があります。

 2曲目の「Dögun」には、イントロからボーカル…というより人の声が入り、大きな教会で鳴り響くような、神聖で厳かな雰囲気。ドラムなどリズム楽器は使われず、1曲目に続いてこちらもアンビエントでエレクトロニカのようなサウンドになっています。

 再生時間2:30あたりからは、人の話し声や、雨や風の音をフィールド・レコーディングしたような音が入り、それまでとは雰囲気が一変。様々な音素材を、有機的に融合させて音楽に昇華させるシガー・ロスの手法がすでに確立されつつあることが分かります。

 3曲目「Hún Jörð …」は、はっきりとしたビートとメロディーを持ち、ここまでの2曲と比べると、ポップ・ミュージック的な形式を持った1曲。裏声で歌うボーカルは、幻想的な雰囲気。

 しかし、歪んだギターの音色や、途中からエフェクトをかけられたボーカルも加わるなど、実験性も共存しています。タイトルの「Hún Jörð …」は、英訳すると「Mother Earth」とのことで、確かに母なる地球を讃えるような荘厳さのある曲です。

 4曲目「Leit að lífi」は、音数が少なく、ミニマルでアンビエントな1曲。そよ風が吹き抜けるようなサウンド。

 5曲目「Myrkur」は、音楽的なフォームを持った曲で、3曲目「Hún Jörð …」以上にメロディーとリズムがはっきりしています。ボーカルの裏声とメロディー・ラインには神聖な雰囲気も漂いますが、ギターポップのようにも聴こえる1曲。

 7曲目「Hafssól」は12分を超えるサウンドスケープ。明確なフォームは持たないものの、様々な音が押しては引いて、イマジネーションを掻き立てられる1曲。

 9曲目はアルバム・タイトルにもなっている「Von」と題された1曲。リズムとメロディーのある音楽的な曲ですが、サウンド・プロダクションは音響重視で、幻想的な雰囲気。エレクトロニカに近い耳触り。

 11曲目「Syndir Guðs (Opinberun frelsarans)」は、ボーカルとドラムが入っているものの、サウンド自体が前景化したような音響的な1曲。奥の方で鳴っている「ピュー」という感じの音が心地いい。

 タイトルは英訳すると「Sins of God (Revelation of the Savior)」、「神の罪」とのこと。こちらのタイトルを意識しながら聴くと、また違った印象に聴こえてきます。

 アルバムのラスト12曲目の「Rukrym」は、途中まで無音が続くのかと思いきや、再生時間6:20あたりから、突如として音が押し寄せてきます。光が広がっていくような、解放感のある音像。

 一般的なロックやポップスのような、明確なフォームを持った曲は少ないアルバムです。アルバム全体としてはアンビエント色が強い印象ですが、既存の形式に頼るのではなく、あくまで音楽至上主義のスタンスで独自の音楽を追求する、シガー・ロスらしい1作と言えます。

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Sigur Rós ( ) / シガー・ロス 『( )』


シガー・ロス 『( )』
Sigur Rós – ( )

発売: 2002年2月16日
レーベル: Fatcat, Bad Taste

 『( )』は、アイスランド出身のポストロック・バンド、シガー・ロスの2002年発売の3rdアルバム。本国アイスランドのレーベルBad Tasteの他、イギリスのFatcat Recordsなど、複数のレーベルより世界各国で発売された。

 まず気になってしまうのが、アルバムタイトルがカッコのみ。さらに、曲のタイトルも付けられていない点です。偏見なしに、音楽それ自体に集中してほしい、というシガー・ロスからのメッセージということでしょうか。音楽至上主義の彼らにそう言われたなら、即座に納得してしまいます。

 アンビエント色が強く、わかりやすいヴァース‐コーラス形式を伴った楽曲群では無いのに、いや無いからこそかもしれませんが、聴き手の感性が研ぎ澄まされるような美しい音楽で満たされたアルバムです。シガー・ロスの作品でしばしば聴かれる躍動感や、シンフォニックな面は、今作では抑えられていて、代わりにサウンド自体が前景化されている、とでも言ったらいいでしょうか。

 ですが、全くリズムもメロディーも無い、というわけではなくて、バンドの躍動も感じることができる、不思議な作品です。前述したように、タイトルも曲名も無いアルバムですが、風景が眼前に次々にあらわれるかのような、イマジナティヴな音世界が70分詰まっています。

 1曲目は、電子的な漂うような持続音と、音数の絞り込まれたピアノの音が溶け合う、幻想的なサウンドプロダクション。ドラムが入っていないためビート感が希薄で、昔の宗教音楽を思わせる壮大さがあります。ボーカルもバックの音と同化するように長めの音符でメロディーを紡ぎ、霧の中を散歩するような幽玄な雰囲気を持った1曲。

 2曲目は、ノイズ色のある電子音がドローンのような音の壁を表出するなか、ギターとドラムがリズムを刻むことで、徐々に音楽が姿をあらわす1曲。音楽になる前の素材としての音が、有機的に音楽になっていくのを目撃しているかのよう。

 3曲目もイントロから音量小さめの電子音が鳴っています。そのミニマルな持続音の上に、ピアノがシンプルな旋律を重ねる、そのコントラストが美しい1曲。

 4曲目は楽曲全体にエコーがかけられたような、靄がかかったような不思議な音像。ドラムのリズム、ギターとオルガンのフレーズが絡み合い、アルバム中最も形のはっきりした曲と言えます。幻想的なサウンドのなかで、ボーカルは透明感を持った音ではっきりと響くところも、美しいです。

 5曲目。スローテンポ、という表現が不適切に感じられるぐらい、一般的なポップミュージックとは差異のあるサウンドを持った本作。この曲では、ドラムがスローモーションのようにゆったりリズムが刻んでいきます。その上に乗るボーカルの旋律も、ロングトーンがほとんどで、いわゆるメロディアスなものではありません。でも、聴いているうちに、このテンポ感にも慣れてきて、心地よく音楽のなかを漂う気分になれるから不思議。

 6曲目は、ドラムもバスドラとフロアタムなのか、低音の太鼓が下の方から鳴り響く、重心の低いサウンド。奥の方では電子音が持続していて、不穏とも感じられるし、神秘的とも感じられる雰囲気の1曲です。曲後半になると、それまでの霧が晴れたかのような、開放的なバンドアンサンブルへ。

 このアルバムには持続していく電子音が多用されていますが、この7曲目も揺らめく持続音から始まります。そこから徐々に音が増え、リズムが生まれ、音楽が姿をあらわしてくるところも、このアルバムに共通した魅力。

 ラスト8曲目は、イントロからギターのはっきりとしたフレーズが聞こえ、それに続くドラムも手数は少ないながらリズムを刻み、前半からバンドらしいサウンドとアンサンブル。しかし、奥には電子音が漂い、このアルバムが共通して持つ音像はしっかりと存在しています。

 ミニマルだけれど、美しいサウンドを持った1枚。しかも、ただ美しいだけでなく、畏敬の念のようなものも伝わる、不思議な温度感のアルバム。ドローンのような持続音と、ピアノやボーカルの旋律がコントラストをなしていて、リズム・セクションとその上に乗るボーカルとリード・ギター、といった構造とは一線を画す作品だと思います。

 長調は明るい曲調、短調は暗い曲調などと言われますが、そういった調性と感情との関係もわからなくなるようなアルバムです。イントロを聴いていた時には、薄暗く怖いイメージだったのに、曲を聴いているうちにサウンドが非常に心地よくリラクシングに感じられる、といったこともしばしば。

 タイトルも曲名も無いアルバムです。気になった方は、偏見なしにサウンド自体に耳を傾けてみてください。きっと、美しいと思う部分があるはず!

 





Sigur Rós『Takk…』/ シガー・ロス『タック』


シガー・ロス 『タック』
Sigur Rós – Takk…

アルバムレビュー
発売: 2005年9月21日
レーベル: Geffen, EMI

 『Takk…』は、アイスランド出身のポストロック・バンド、シガー・ロスの2005年発売の4thアルバム。タイトルの「Takk」は、アイスランド語で「ありがとう」を意味する。

 シガー・ロスの音楽性を端的に言語化するのは非常に困難ですが、あえていくつかの魅力を挙げるなら、大地が揺れるような圧倒的な躍動感、風景が眼前に立ち現れるような壮大なサウンド・プロダクション、そして生楽器とエレクトロニクスの有機的な融合、といったところでしょうか。もちろん、時期や曲による差違もあるので、そこまで単純化できるものではありません。

 彼らの4枚目のアルバムにあたる『Takk…』は、躍動感という点では控えめに、生楽器と電子音がほとんど聴き手の意識にもあがらないぐらいに自然なかたちで溶け合った、非常に美しいサウンドを持った作品。冬から春になり、植物や動物たちがゆっくりと躍動し始めるような、生命力を感じられる1作です。

 1曲目はアルバムのタイトルになっている「Takk…」で、2分弱のイントロダクション的な1曲。持続音が多層的に重なっていきます。電子音を使っているのでしょうが、荘厳な雰囲気。電子音の奥からは、かすかに人の声も聞こえてきて、全体としては暖かみのあるサウンド・プロダクションに仕上がっています。

 2曲目「Glósóli」は、1曲目の持続音に耳が馴染んでいたところに、イントロからベースの音がボーンと鳴ります。電子音が続いた1曲目との対比で、このベースの音が非常に生々しく、ソリッドに感じられます。ベースが音楽を支えるなか、ヴェールのように音楽を包む幻想的なボーカルと電子音。

 途中から入ってくるドラムも四つ打ちながら、ダンスミュージックの要素は感じず、行進曲のような雰囲気。厳しい冬を越えて、春を迎えた動植物の鼓動のように響きます。再生時間4:30過ぎからは、激しく歪んだギターが波のように押し寄せるのですが、不思議と耳にうるさくなく、全体としては暖かみのあるサウンド。このあたりもシガー・ロスのマジックと言うべきなのか、聴き手の耳をチューニングしていくような音作りと展開が、秀逸だと思います。

 3曲目の「Hoppípolla」は、ピアノの単音弾きから始まり、徐々に楽器が増えていき、音楽が呼吸をしながら広がっていくような展開。こちらも、自然が躍動するような生命力に溢れた1曲。

 5曲目「Sé lest」は、美しいコーラス・ワークとストリングス、そこにピアノや鼓動のようなバスドラ(打ち込み音源かもしれません)がリズムを足し、壮大さを演出しています。鳴っている音の数は少ないのですが、途中ところどころストリングスが厚みを増すところがあり、音の壁が立ちはだかるような感覚があります。

 6曲目「Sæglópur」は、ピアノとボーカルの裏声、鉄琴のようなトライアングルのような音が絡み合い、美しいアンサンブルを構成する1曲。再生時間1:52あたりから、堰を切ったようにギターとシンセサイザーと思しき音が押し寄せ、自然の大きさと厳しさが音になったかのような壮大なアレンジメント。

 7曲目の「Mílanó」。ヴェールのように全体を包むストリングスに守られ、ボーカルとピアノの高音が美しく響きます。バンドは躍動感のある演奏を繰り広げていますが前景化せず、サウンドの美しさが全面に広がる1曲。

 11曲目「Heysátan」は、リズムやメロディーよりも、サウンドと全体のハーモニーを優先した、このアルバムを象徴するような1曲。演奏にはロングトーンが多用され、様々な倍音が聴こえるサウンド。その音をバックに、というよりも溶け込むようにファルセットを用いながら、メロディーを紡いでいくボーカル。アウトロにふさわしい心休まる曲です。

 メロディーも美しく、バンドのグルーヴ感という点でも優れた演奏がなされているのですが、それ以上にサウンド自体が美しいアルバムです。

 音響の美しさを追求した3rdアルバム『( )』、圧倒的な躍動感が響く5アルバム『Með suð í eyrum við spilum endalaust』、その両作に挟まれた今作『Takk…』は、音楽的にも両者の中間点にあり、バランスの良い名盤であると思います。

 





Sigur Rós『Með suð í eyrum við spilum endalaust』/ シガー・ロス 『残響』


シガー・ロス 『残響』
Sigur Rós – Með suð í eyrum við spilum endalaust

アルバムレビュー
発売: 2008年6月20日
レーベル: EMI, XL Recordings, Krúnk

 『Með suð í eyrum við spilum endalaust』(邦題『残響』)は、アイスランドのバンド、シガー・ロスの2008年発売の5枚目のスタジオ・アルバム。彼ら自身のレーベルKrúnkの他、イギリス及びヨーロッパではEMI、アメリカではXL Recordingsなど、複数のレーベルから世界各国でリリースされた。

 11曲目の「All Alright」のみ英語で歌われているが、それ以外の曲は全てアイスランド語。当初は全編、英語で作詞されていたが、最終的にアイスランド語の方が自然だということで、英語からアイスランド語へ翻訳あるいは新たに作詞されるかたちで変更されたとのこと。

 まるで、大自然をそのまま音楽にしたかのような、美しく躍動感と生命力に溢れたサウンドが、怒涛のように押し寄せるアルバムです。シガー・ロスの音楽性は、しばしばポストロックと評されることがありますが、確かに一般的なロックの方法論とは、一線を画した音楽が鳴っているのは事実。

 しかし、実験のための実験に陥っているのではなく、まず表現したい対象となるイメージやアイデアがあり、その目的の達成のために彼らが持てるクリエイティヴィティを駆使して、新たな音楽を創造していることが、このアルバムを聴けば分かるはずです。

 前述したように、このアルバムには大自然を音楽に変換したような雄大さがあります。壮大な山々を目の前にしたときの荘厳さであったり、大地が鳴り響くような躍動感であったり、草原を野生動物が走り回る生命力であったり、時には自然の厳しさや圧倒的な大きさに怖くなったり、様々な風景が喚起されるイマジナティヴな音楽が詰まった1枚です。

 音楽性には実験的な部分もあるのですが、あくまで音楽の楽しさ、美しさを増幅するための試行錯誤の結果であり、実際に聴いてみると難解な印象はほとんどありません。そういう意味では、非常にポップな音楽であると言えます。

 1曲目の「Gobbledigook」から、躍動感と生命力に満ちた音があふれ出します。アコースティック・ギターと美しいコーラス・ワーク、そして大地を揺るがすようなダイナミックなドラム。地鳴りのような躍動感と、大自然のなかを飛び跳ねる動物たちの喜びを表したかのような、サウンド・プロダクション。

 ギターとコーラスは、音は生々しいのにサンプリングしたものを組み立て直したような不思議な質感なのですが、そんなことよりも音楽の楽しさに耳が向かう1曲です。このアルバムのジャケットは、人々が裸で駆け出していくデザインですが、そんなジャケットのイメージにもぴったり。

 2曲目「Inní Mér Syngur Vitleysingur」は、叩きつけるような四つ打ちのビートが特徴ですが、ダンス・ミュージック的ではなく、火山や大地が躍動するような壮大さをあります。3曲目「Góðan Daginn」は、指が弦をこする音まで入ったアコースティック・ギターのサウンドが美しい1曲。4曲目「Við Spilum Endalaust」では、アコーディオンのような暖かい倍音が響きます。

 5曲目は「Festival」。この曲と11曲目の「All Alright」のみ、タイトルが英語です。イントロはエレクトロニカのような音像で静かに始まるものの、再生時間4:40あたりからドラムが入ってくると徐々に加速していき、最終的には様々なリズムが打ち鳴らされ、躍動感あふれるクライマックスへ。

 6曲目「Suð Í Eyrum」。透明感あるピアノがシンプルに音を紡ぐイントロは、朝靄のなかを散歩しているよう。その後に入ってくるドラムは、エフェクトがかかり不思議なサウンドを持っていますが、違和感にはならず、曲に奥行きを与えています。

 9分近くに及ぶ7曲目「Ára Bátur」は、ピアノとファルセットを多用したボーカルが美しい1曲。後半はストリングスやコーラスなどが加わり、雄大な自然が目の前に広がるようなサウンドスケープ。

 8曲目「Illgresi」は、2本のアコースティック・ギターが絡み合う、美しいアンサンブルが印象的。9曲目「Fljótavík」は、ピアノとストリングスの音が、ゆっくりと時間と空間に浸透していくよう。

 10曲目「Straumnes」は、ボーカルは入っておらず、川のせせらぎのような音がサンプリングされ、矛盾するようですが自然の静かさを表現したような曲。

 ラストの11曲目「All Alright」は、前述したようにアルバム中唯一の英語詞。イントロから音数の絞り込まれたアンサンブルのなかを、感情を抑えたボーカルの声が漂う曲。徐々に楽器と持続音が増えていき、音楽が空間に優しく広がっていくような感覚があります。

 一般的なロックやポップスとは違ったリズムやサウンドを持っているものの、音楽自体の強度が高く、非常にとっつきやすい楽しい作品だと思います。ぜひ、大自然の雄大な風景を楽しむような自由な気持ちで、聴いてみてください。