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人気曲・代表曲で解き明かす、あいみょんの魅力


目次
イントロダクション
1, 貴方解剖純愛歌 〜死ね〜
2, ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌
3, どうせ死ぬなら
4, 生きていたんだよな
5, 愛を伝えたいだとか
6, 君はロックを聴かない
7, ふたりの世界
8, 満月の夜なら
9, マリーゴールド
10, 今夜このまま
作詞家としてのあいみょんの魅力
個別レビュー一覧

イントロダクション

 1995年生まれ。兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょん。

 2015年に、タワレコ限定シングル『貴方解剖純愛歌 〜死ね〜』がリリースされたあたりから、存在は知っていました。

 当時は「変わった名前だな」「すごいこと歌ってるなw」ぐらいの印象だったんですが、あれよあれよという間に、2018年には「NHK紅白歌合戦」の出場も決定。世代を代表するシンガーの1人と言っていいでしょう。

 前述の「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」を含めて、彼女の書く歌詞は、いささかエキセントリック。そのため、過激な言葉づかいやテーマに、注目しがちです。

 でも、うわべのセンセーショナルな言葉だけに気を取られていては、彼女の魅力を捉えそこなってしまうでしょう。

 過激なように見せて、非常に巧妙なテクニックを備えた作詞家であり、シンガーであると僕は考えています。

 そこで本論では、シングル曲を中心に、あいみょんの代表曲を10曲選び、彼女の魅力をお伝えしたいと思います。

 ランキング形式ではなく、僕が選んだ10曲をリリース順に並べました。彼女の表現の幅広さを、つかんでいただければ幸いです。

1, 貴方解剖純愛歌 〜死ね〜

 1曲目は「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」。前述のとおり、TOWER RECORDS限定で発売された、あいみょんのデビューシングルです。

 2015年3月4日にリリース。同年5月20日リリースの1stミニアルバム『tamago』にも収録されています。

 タイトルに「死ね」と入っているところから示唆的ですが、歌詞の内容も過激。

 例えば歌い出しの歌詞は「あなたの両腕を切り落として 私の腰に巻き付ければ あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ」。

 グロテクスとも言える内容に、耳が奪われてしまいますけど、ただ過激なだけじゃないんです。語り手の「私」は、話の進めかたが人を追い詰めるように論理的で、それが怖さを増幅させています。

 曲調は、ざらついたギターが印象的な、コンパクトなロック。あいみょんのハスキーな声とのバランスも、秀逸なアレンジです。
 
 

2, ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌

 2曲目に紹介するのは、1stミニ・アルバム『tamago』に収録される「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」。

 シングル曲ではないですが、あいみょんの多彩さ、面白さがよく出た楽曲なので選びました。

 この曲も、まずタイトルが目を引きますよね。「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」。

 曲名のとおりと言うべきなのか、歌詞も「ザギン」「ギロッポン」「ちゃんねー」ねど、業界用語が多用されています。

 ただ、こういった用語を使う人がいた、あるいは今もいるわけで、全編にわたってネタにしてるから、わかりやすく笑えますけど、その裏には流行りを追う人への冷めた目線も感じられます。

 曲調は、クランチ気味のギターが、小気味よくリズムを刻む、軽やかなロック。

 

3, どうせ死ぬなら

 3曲目は「どうせ死ぬなら」。2015年12月2日リリースの2ndミニ・アルバム『憎まれっ子世に憚る』に収録。

 どうせ死ぬならこんなことがしたいと、ひたすら語り手の願望と好きなものが、羅列されていきます。

 いくつか引用すると「ジョンレノンのあの曲を聴きながら逝きたい」「太陽の塔の上で HAPPYを叫びたい」「どうせ死ぬなら ダメもとの告白もする」などなど。

 でも、この曲が伝えるのは、絶望ではなくて希望。死ぬ気になって、自分の願望を思い浮かべていたら、好きなもの、愛おしいものの多さに、気づいたのではないでしょうか。

 歌詞の後半に出てくる「どちらかと言えば死にたくないわ」という一節にも、そんな思いが集約されています。

 

4, 生きていたんだよな

 「生きていたんだよな」は、2016年11月30日にリリースされた、メジャー1stシングル。テレビ東京系ドラマ『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』主題歌。

 2017年9月13日リリースの1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。

 「二日前このへんで 飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた」という一節から始まる、センセーショナルな1曲。

 でも、うわべの言葉だけに気を取られていると、この曲の本当の魅力を見失ってしまいます。

 自殺の現場に群がる無数の野次馬たち。現場の写真をアップして、盛り上がるネット上。いわば自殺がエンターテイメントと化した状態を、語り手は冷めた目線で記述していきます。

 そして、野次馬たちが騒ぎたてるのに対し、語り手は自殺した少女の人生を思い、涙を流すんです。現代社会や人間の異常性を、あばき出した1曲と言えるでしょう。

 この曲のうわべだけに注目し「いきなり自殺とか出てきて凄い曲じゃん!」なんてリアクションをするのは、野次馬たちと一緒です。

 冷めた目線のところは、メロディーで歌うのではなくたんたんと語り、感情が溢れ出すところは、メロディーで歌う構成になっていて、コントラストが鮮やか。

 

5, 愛を伝えたいだとか

 「愛を伝えたいだとか」は、2017年5月3日リリースのメジャー2ndシングル。1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。

 ここまで紹介してきた、エキセントリックとも言える楽曲群とは違い、ゆるやかに恋人のことが語られていきます。注目すべきは、男性目線で書かれている点。

 この曲がリリースされた当時、あいみょんは22才。それなのに20代から30代前半ぐらいの、ちょっと頼りない男性が、リアルに描かれています。

 年齢や性別を超えて、他人になりきる能力も、あいみょんの特筆すべきところ。

 

6, 君はロックを聴かない

 「君はロックを聴かない」は、2017年8月2日リリースのメジャー3rdシングル。1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。

 先ほどの「愛を伝えたいだとか」と同じく、男性目線で書かれたこの曲。でも、雰囲気はだいぶ異なります。

 「愛を伝えたいだとか」が20代の頼りない、ダメっぽいオーラも漂う男性を描いていたのに対して、「君はロックを聴かない」で描かれるのは中学か高校生ぐらいのウブな少年。

 女子を部屋に招いて、自分の好きなロックのレコードを聴かせるっていう曲です。

 ロックだけが友達!というタイプの少年を、リアルに描き出していて、人によっては心がヒリヒリするんじゃないでしょうか(笑)

 僕自身もロックにすがるようなタイプの学生だったので、聴きながら「うわぁ〜わかるなぁ」というポイントが、いくつもありました。

 曲調はゴリゴリのロックというわけではなく、あいみょんの声とアコースティック・ギターが中心に据えられた、ミドルテンポのナンバー。

 

7, ふたりの世界

 7曲目に紹介するのは「ふたりの世界」。こちらはシングル曲ではありません。1stアルバム『青春のエキサイトメント』に収録。

 今度は女性目線で、恋人と思われる男性のことを歌っています。ピンチも倦怠期も、乗り越えた時期だと思われる恋愛が、描かれています。

 男の僕からすると「女性のこういうところって分かんないな」と思うところもあり、非常にリアルティのある歌詞です。「女性ってこういうこと考えてるのかな、こわっ!」と思うポイントも、いくつかありました。

 歌詞のラストを締めくくる「大好きで ちょっと嫌いで 今がある」という一節に、この曲のメッセージが凝縮されていると思います。

 

8, 満月の夜なら

 「満月の夜なら」は、2018年4月25日リリースのメジャー4thシングル。

 エロティックな歌詞だと言われることが多く、確かにベッドの中の男女を、ポエティックに描写しているんですけど、僕が注目するのはその表現方法。

 例えば、アイスクリームが溶けることで、時間の経過と2人の関係性をあらわしたりと、直接的な言葉を使わずに、多くの情報を伝えているんです。

 音楽面では、アコースティック・ギターとリズム隊が、立体的にアンサンブルを構成。流れるようなメロディーが重なり、爽やかな曲調。

 歌詞におけるオブラートに包んだ表現の数々と、曲の爽やかさのバランスもまた、面白いです。一聴したら、そんなことを歌っているとは、思いませんから。

 

9, マリーゴールド

 「マリーゴールド」は、2018年8月8日リリースのメジャー5thシングル。

 あいみょんにしては意外なほど毒がない…と言ったら、語弊があるかもしれませんが、おだやかな恋愛が描かれた曲です。

 センセーショナルな言葉やテーマが控えられたことによって、彼女の作詞家としての能力の高さが、よりダイレクトに分かる曲でもあります。

 空や雲の様子で、時間の経過や感情の変化をあらわし、こちらの感受性が研ぎ澄まされるような、繊細な歌詞です。

 

10, 今夜このまま

 「今夜このまま」は、2018年11月14日にリリースされたメジャー6thシングル。日本テレビ系ドラマ『獣になれない私たち』主題歌。

 歌詞全体が、巧みな比喩表現によって彩られた楽曲です。具体的には、ビールを連想させる言葉が並ぶんですけど、決して「ビール」というワード自体は使いません。

 それなのに、ビールの味やイメージを利用して、感情を記述していくんです。

 音楽面では、アコースティック・ギターと電子音が立体的に組み合い、その中をボーカルが自由に動きまわるようなアレンジが秀逸。

 

作詞家としてのあいみょんの魅力

 さて、ここまでシングル曲を中心に、あいみょんの楽曲を10曲とり上げてきました。最後に、彼女の作詞家としての魅力を、考察したいと思います。

 まず、彼女の表現の振り幅は、特筆すべきでしょう。センセーショナルな内容から、メロウでおだやかな曲まで、テーマも表現手法も、多岐にわたっています。

 上記で紹介してきた10曲を、リリース順に聴いていくと、初期は過激なワード選びが多く、徐々に表現の幅を広げていることが分かるでしょう。

 初期の曲が劣っているという意味では決してなく、例えば猟奇的とも言える「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」と、自殺をあつかった「生きていたんだよな」にしても、センセーショナルな言葉と、冷静な語りが共存しています。

 言い換えれば、ただ過激なことを書いているのではなくて、まず表現したいことがあり、その手段としてセンセーショナルな言葉を使っているということ。

 感情と理性が、高い次元で両立した歌詞とも言えます。

 もうひとつ挙げておきたい特徴は、共感性の高さ。曲によって、女性目線と男性目線を使い分け、それぞれ語り手になりきっています。

 変幻自在に様々なキャラクターを演じる役者のことを「カメレオン俳優」と呼ぶことがありますが、「カメレオンシンガー」とでも言ったらいいでしょうか。

 楽曲によって、キャラクターと語りの手法を変える表現手段の豊富さには、おどろかざるを得ません。

 前述したとおり、紅白への出場も決まり、2019年には2ndアルバム『瞬間的シックスセンス』のリリースも予定されています。

 彼女の表現のさらなる進化を、楽しみに待ちましょう。

個別レビュー一覧

 当サイトに掲載している、あいみょんの楽曲レビューの一覧。主に歌詞の考察をしています。

「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」歌詞の意味考察 グロテスクを増幅させる「私」の論理性
「生きていたんだよな」歌詞の意味考察 フィクション化する現実
「君はロックを聴かない」歌詞の意味考察 厨二病を生む出すロックの機能
「今夜このまま」歌詞の意味考察 ビールを連想させる言葉
「マリーゴールド」における自然現象の機能 歌詞の意味考察
「満月の夜なら」歌詞考察 アイスクリームによる情景描写





あいみょん「生きていたんだよな」歌詞の意味考察 フィクション化する現実


目次
イントロダクション
歌詞のテーマ
エンターテイメント化する自殺
語り手と野次馬たちの違い
語りとメロディー
結論・まとめ

イントロダクション

 「生きていたんだよな」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのメジャーデビューシングル。2016年11月30日にリリース。

 2017年9月13日リリースの1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも収録されています。作詞作曲は、あいみょん。

 センセーショナルな歌詞が、注目されることの多いあいみょん。「生きていたんだよな」もその例に漏れず、自殺をテーマにしたショッキングな言葉が並んでいます。

 でも、使う言葉が過激だったり、テーマがグロテスクだったり、という表層だけにとらわれてしまうと、あいみょんの魅力を見失ってしまう。僕はそう考えています。

 彼女の書く詞は、確かにセンセーショナルではあるんですけど、ただ過激なことを書くのが目的化しているわけではなく、レトリックが駆使されていて、歌詞としての完成度がとても高いんです。

 前述したとおり、自殺をテーマにした「生きていたんだよな」。この楽曲も、うわべの言葉やテーマに、注意が向かいがちですけど、表現者としてのクオリティの高さを感じる、優れた歌詞を持っています。

 具体的には、やじうま精神を描くことで、現代社会の異常性を浮き彫りにしているんです。そこで、今日はこの歌詞の巧みな表現について、考察してみます。

歌詞のテーマ

 最初に歌詞のテーマを整理しておきましょう。

 歌詞がテーマとして扱うのは「自殺」。ある女子中高生の自殺と、それをめぐる報道が、語り手をとおして述べられていきます。

 人の死という、あまりにも重い事実。しかし、テレビでの報道やSNSでの拡散をとおして、人の死という現実が、一種のエンターテイメントとなってしまう。

 言い換えれば、死という現実が、ドラマと同じようなフィクションになってしまう。そんな現代社会の異常性を、この曲は暴き出しています。

エンターテイメント化する自殺

 「自殺をエンターテイメントとして楽しむ」なんて言ったら、実に不謹慎。でも、そんな不謹慎なエンターテイメントが、日常的に存在していることを、歌詞は描いていきます。

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。ちなみに便宜的に「Aメロ」と書きましたけど、メロディーをつけて歌うのではなく、語りになっています。

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた

血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな

馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

 「飛び降り自殺」「血まみれセーラー」など、リスナーの注意を引きつける言葉が、散りばめられています。内容的には、解釈に迷うところは、ほとんど無いでしょう。

 内容を整理すると、自殺のニュースがあり、それに群がる野次馬たちが、語り手の冷めた視点で記述されています。

 語り手の立場はハッキリしませんが、口語体で書かれていますし、「二日前このへんで」という一節があるので、近隣住民の1人と想定していいでしょう。

 2連目の「たちまちここらはネットの餌食」からはネットで話題になっていること、3連目「そのセリフが集合の合図なのにな」と4連目「馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった」からは、ネット上だけでなく、現場にも人が群がっていることが分かります。

 ネット上にも、物理的にも、野次馬が群がっているということですね。象徴的なのは「馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった」という一節。

 人が亡くなっているというのに、みな「自殺」というセンセーショナルな話題にひかれ、いわばエンターテイメント化しています。

語り手と野次馬たちの違い

 「自殺」というエンターテイメントに群がる野次馬たち。でも語り手は、彼らとは違った視点を持っています。

 ぶっきらぼうな言葉づかいから示唆されるように、野次馬たちの行動に違和感をおぼえているのでしょう。

 Aメロの最後で、語り手は「冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない 赤さが綺麗で」と述べています。

 野次馬たちが血をセンセーショナルなものと受け取るのに対して、語り手はよりフラットな視点で、色としての美しさ、そして人が流した血としての、意味の重さを受け取ったのではないでしょうか。

 Bメロとサビの歌詞では、そんな語り手の心情があらわになっています。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で

 「ブラウン管の外側」と書かれていますから、語り手が一連の事件を、テレビで観ていたことが分かります。

 野次馬たちが自殺をエンターテイメントとして消費するのに対して、語り手は見知らぬ誰かの人生を想像し、涙を流しています。

 その後に続くサビでは、語り手の思いがより詳細に記述されます。1番サビの歌詞を、以下に引用します。

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

 赤い血を見ながら、少女が苦しみながらも精一杯生きたことを、思っているのでしょう。

 何度も繰り返される「生きて」という言葉から、語り手の切迫した思いが伝わります。

 「生きていたんだよな」というタイトルの意味が、凝縮された部分でもあります。

 話題性に群がる野次馬とは、真逆の反応とも言えるでしょう。

語りとメロディー

 先ほど、Aメロはメロディーに乗せて歌われるのではなく、語りだと書きました。その後のBメロとサビは、メロディーを持っています。

 この差異が何を意味するのか、考えてみましょう。

 Aメロは全編にわたって語り。でも、1番の歌詞でいえば、最後の「綺麗で」からメロディーに乗り、そのままBメロへと進行しています。

 歌詞の内容は、Aメロは自殺に群がる野次馬たちの説明。Bメロとサビでは、語り手の感情が記述されています。

 目の前の出来事を、淡々と述べていくAメロでは語り。そして、自分の感情をあらわしていくBメロ以降には、メロディーがあてられているということです。

 つまり、歌詞の内容と対応して、語りとメロディーが使い分けられているということ。

 語り手の感情にそってまとめると、Aメロでは野次馬たちの行動をウンザリと眺め、その様子を記述。

 しかし、赤い血を見ることがスイッチとなり、自殺した少女の存在を意識。Aメロ最後の「綺麗で」から、溢れ出す感情のように、メロディーが躍動をはじめます。

 2番に入っても、同様の構造で曲は進行します。2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで

 3行目の「何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう」とは、現場が警察によって、手際よく片付けられていく様子を描写しているのでしょう。

 自殺した少女の赤い血は、彼女の人生から切り離され、淡々と作業として拭き取られていく。システマティックな現代を、凝縮した表現と言えます。

 4行目の「立ち入り禁止の黄色いテープ」と、5行目の「ドラマでしかみたことなーい」は、1番Aメロの野次馬の描写を、さらに補強するもの言えるでしょう。

 「ドラマ」というワードが象徴的にあらわすように、野次馬たちにとっては、自殺がフィクション化したエンターテイメントとなっていることが分かります。

 この後に続くBメロとサビでは、1番と同じく、語り手の感情を記述。

 そして、2番サビ後に挿入されるCメロでは、語り手のさらに詳細な思想があらわされます。以下に引用します。

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

 語り手が、野次馬たちとは違い、自殺をエンターテイメントとして消費していないのは、ここまでの考察で分かりました。

 上記の引用部では「今ある命を精一杯生きなさい」という言葉を、「綺麗事」だと切り捨てています。これは何を意味するのか。

 よくある綺麗事を言うような人々も、野次馬たちと同じく、人の生死と向き合っていない。語り手は、そのように考えているのではないかと思います。

 自殺をエンターテイメントとして楽しめる人は、人の生死をセンセーショナルな出来事として、いわばドラマ化、フィクション化しています。

 それと同様に、綺麗事を言う人もまた、生死と向き合っているのではなく、自殺をありきたりのドラマのように捉えている。語り手はそう考えているんです。

結論・まとめ

 ここまでの考察をまとめましょう。

 曲のテーマとなるのは、人の生死。そして、それにまつわる現代人の異常性です。

 人の死をエンターテイメントとして楽しめる野次馬はもってのほかですが、綺麗事を言う人も、生死に正面から向き合っているわけではなく、むしろ臭い物にフタをしている。

 語り手はそのように考え、異常性を暴き出している。というのが、僕が出した結論です。

 この曲を例にとっても、あいみょんという人は過激なテーマを選んでいるようで、冷静な視点も持ち合わせた人なんだろうな、と思います。

 「生きていたんだよな」を聴く際に、「飛び降り自殺」とか「血まみれセーラー」といったショッキングな言葉にのみ注目し、「この曲すごいこと歌ってて面白いんだよ!」と反応するのは、この曲に出てくる野次馬たちと一緒。

 そんな踏み絵のような、メタ的な構造を持っているところも、面白いところです。

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あいみょん「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」歌詞の意味考察 グロテスクを増幅させる「私」の論理性


目次
イントロダクション
論理的な「私」
強引な論理
「私」の感情優先
結論・まとめ

イントロダクション

 「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのインディーズ時代の楽曲。作詞作曲は、あいみょん。

 2015年3月4日に、TOWER RECORDS限定のワンコインシングルとして発売。同年5月20日リリースの1stミニ・アルバム『tamago』にも収録されています。

 「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」という人目を引くタイトル。歌詞もタイトルに比例して、ショッキングというか、グロテスクというか、「私を好きじゃないならのならば死ね」という内容。

 解釈が難しいわけではなくて、わかりやすいといえば、わかりやす過ぎるラブソングです。ただ、一聴すると過激な言葉づかいに耳を奪われてしまうんですけども、あいみょんの作詞家としての冷静さも垣間見える1曲です。

 どういうことかと言うと「過激なことを書こう!」って、ただ勢いで筆を走らせたのではなく、「こういうことを書いた方が怖いだろうな」という冷静な面があるんです。

 そして、この曲の語り手である「私」は、狂気をともなっているのに、やたらと論理的で、その冷静さがますます恐怖を増していると思うんですよね。

 そんなわけで「冷静な語り手が怖さを増幅させている」という仮説に基づき、この曲の歌詞を読みといてみます。

論理的な「私」

 歌詞の内容や枠組みは、難しいものではありません。語り手である「私」が、「あなた」への愛情をひたすら綴っていきます。

 前述したとおり、解釈に迷うような歌詞ではないのですが、とにかく注意が向かってしまうので、その過激な言い回し。

 歌い出しとなる、1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

あなたの両腕を切り落として 私の腰に巻き付ければ
あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ
あなたの両目をくり抜いて 私のポッケに入れたなら
あなたの最後の記憶は 私であるはずよね

 曲の冒頭から、いきなりフルスロットルで飛ばしています。

 1行目から「両腕を切り落として」なんて、物騒な言葉が使われ、リスナーはいやが応にも楽曲の世界観に引き込まれていきます。(あるいは拒絶反応を起こすか。)

 ただ、過激な内容にもかかわらず、語り手の「私」はきわめて論理的。まず「あなたの両目をくり抜いて」と行動が示され、その後に「私であるはずよね」と理由が説明されています。

 そして、1曲をとおして上記と同じく、理由と結果がセットになった構造で、語られていくんです。

 内容はグロテスクで、むちゃくちゃなことを言ってるんですけども、語り方は冷静。このコントラストが「あ、この人には話が通じないな」という感を強調し、恐怖をますます増幅させていると言っていいでしょう。

強引な論理

 ただ「論理的」と言っても、しっかりと納得できる理由があり、結論に至っているのかというと、そうではありません。

 理由と結論を並べて、かたちだけは論理的になっている、と言った方が適切なぐらい強引なんです。

 1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

逃さないよ 離さないよ 私だけのあなたになるの
今すぐ部屋においで

 最初に「逃さないよ 離さないよ」と結論が示され、そのあとに「私だけのあなたになるの」と理由が付随しています。

 構造としては、理由と結果を述べているんですが、内容はどちらも「私」の感情。根拠があるわけではなく、そういう意味では、まったく論理的じゃないんです。

「私」の感情優先

 歌詞を読みすすめていくと、一貫して「私」の感情にもとづいて、論理を展開していることがわかります。

 1番サビの歌詞を、以下に引用します。

ねえ? どうしてそば に来てくれないの
死ね。 私を好きじゃないのならば

 1行目は「私」の心情の表明。2行目では「死ね」と思う理由として、「私を好きじゃないのならば」と続きます。

 順番を入れ替えると「私を好きじゃないのならば死ね」。もし〇〇ならば、という条件と、その結果がセットになっています。

 ただこれも、Excelの関数のようには納得できませんよね。上記の引用部から分かるのは、歌詞が「私」の感情に基づいているということ。

 実際には感情優先で根拠などないのに、あたかも根拠があるかのように、論理的な構造で話を進めているんです。

 2番に入ってもそれは同様で、「私」の感情が一方的に記述されていきます。

 2番サビの歌詞を、以下に引用します。

ねえ? どうして私から逃げ出すの
死ね。 あなたを愛しているのに

 上記引用部は、ちょっと構造が複雑。まず、語り手が伝えたい結論は「死ね」。

 「ねえ?」「あなたを愛しているのに」「どうして私から逃げ出すの」が、問いかけとなっています。

 つまり、語順が入れ替わっているわけです。ただ、話し言葉ではこのような入れ替えは、珍しいことではありません。

 あなたを愛しているのに、あなたは逃げ出してしまう。という理由に対して、それだったら「死ね」と、結論が導き出されています。

 理由は書かれているのですが、すべて「私」の感情に基づくものです。

 さらに、2番サビ後の間奏のあとに挿入されるCメロ。ここでは、ひたすらに「私」の感情が記述されます。以下に引用します。

誰にもあげない 触れさせやしない
あなたがもしも他の人と手を繋いでるのを見たら
指を喰いちぎるわ
足を引き裂き 歩かせやしない
唇を縫い 私だけのキスを味わえばいいの

 上記では、理由を述べることはなく、ひたすら「私」の感情があらわになっています。

 ここまでは理由と結果がセットになっていて、構造としては論理的。しかし、根底には「私」の感情があり、論理は「あなた」を追い詰めるための、道具であることが示唆されています。

結論・まとめ

 結論に入りましょう。この曲はショッキングな言葉選びが、まずリスナーの注意を引くのですが、論理的な構造の語りが、一層グロテスクと恐怖を増幅させています。

 なぜなら、ただアグレッシヴにまくしたてるよりも、語り手の冷静さが感じられ、その冷静さがますます「この人はマジなんだ」「この人には話を通じない」という印象を強めるため。

 結果として、歌詞のなかの「あなた」は、この論理性によって追い詰められていくんです。そして、リスナーにとっても、歌詞のなかの「あなた」と同様に、恐怖やグロテスクをより強く感じるでしょう。

 公式のYouTubeチャンネルに、LINEで作った「リリックムービー」が公開されているのですが、これが曲の世界観により深く浸ることのできる秀逸な動画。

 内容は、この曲の歌詞がそのままLINEに書き込まれていくというもの。歌詞を細かく区切って送信していて、感情がそのまま流れるように言語化されている印象を与えます。

 現代的と言えば現代的ですが、適当に書いているわけではなく、本論で考察してきたように、確固としたレトリックも感じらるのが、この曲のいいところ。

 表面上の言葉の過激さに注目しがちですけど、あいみょんという人は面白いソングライターだなぁ、と思わせる1曲です。

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あいみょん「満月の夜なら」歌詞考察 アイスクリームによる情景描写


目次
イントロダクション
アイスクリームの温度
色と香り
アイスクリームと感情
結論・まとめ

イントロダクション

 「満月の夜なら」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのメジャー4枚目のシングル。2018年4月25日リリース。作詞作曲は、あいみょん。

 この曲に限らず、あいみょんの書く歌詞は、つねに意味が多層的。リスナーによって無数の解釈が可能な、イマジナティヴな言葉が並びます。

 「満月の夜なら」も、エロティックというか、ロマンチックというか、ストレート過ぎるとも、曖昧とも言える歌詞になっています。

 男女の性的な内容をメタファーで語っているようにも思えるし、実際にそのように受け取る方も多いようです。

 僕もそういうことを歌ってるんだろうなぁ、と思いつつ、ただ「この曲は男女関係のメタファーです」と言って、終わってしまってはつまらない。

 なので、ちょっと視点を絞り、五感に関係する表現、特にこの曲における「アイスクリーム」がどのような機能を担っているのかを、紐解いていきたいと思います。

 つまり、歌詞の意味ではなく、表現の方法を考察するということですね。

 「満月の夜なら」には、温度や色を用いた表現が散りばめられ、立体的で五感に結ぶつきやすい歌詞になっています。

 この立体的な状況描写が、「満月の夜なら」の歌詞の優れた点だと思うんですよね。

 では、実際にどのような表現がなされているのか、「アイスクリーム」を中心に考察していきます。

アイスクリームが伝える情報

 歌詞の大まかな内容を、最初に確認しておきましょう。

 登場人物は、語り手である「僕」と「君」。おそらくベッドの中だと思われる出来事が、直接的ではなく、ポエティックに記述されていきます。

 「ポエティック」と書くと、具体的にどういうことなのか分からないですけど、前述したとおり、五感を利用した表現が、多用されているのです。

 歌詞の1行目から、早速「アイスクリーム」が出てきます。1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

君のアイスクリームが溶けた
口の中でほんのりほどけた
甘い 甘い 甘い ぬるくなったバニラ

 上記引用部では「アイスクリーム」という言葉ひとつで、多くの情報を伝えています。

 アイスクリームは、本来は冷たく甘い食べもの。そのため「アイスクリームが溶けた」ということは、ある程度の時間の経過と、冷たいものの温度が上がり、馴染んできたことを意味します。

 さらに3行目に「甘い ぬるくなったバニラ」とあるとおり、アイスクリームは甘い食べもの。

 「君のアイスクリーム」が具体的になにを指すかは明らかにされませんが、「僕」が悪い感情を持っていないことが分かります。

 2人が甘い関係、言い換えれば良好な関係にあることも、示唆していると言えるでしょう。

 つまり「アイスクリーム」という言葉を用いることで、たった3行のなかに、時間の経過や「僕」の感情など、多くの情報を盛り込んでいるのです。

 また、アイスクリームの温度と味を利用した、五感に訴えかける表現でもあります。

色と香り

 1番のAメロ2連目には、今度は色と香りによって、さらにリスナーの五感をつかむような表現が続きます。

 アイスクリームは出てきませんが、五感を利用したこの曲の特性が出ているので、確認しておきましょう。

 1番のAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

横たわる君の頬には
あどけないピンクと更には
白い 深い やばい 神秘の香り

 視覚に関する2行目の「ピンク」、嗅覚に関する3行目の「神秘の香り」と、ふたつの異なる五感に訴える表現が出てきました。

 注目すべきは3行目。「白い 深い やばい」と3つの形容詞が連続していますが、その全てが「神秘の香り」にかかっていると考えると、若干の違和感が生じるのです。

 ひとつ目の「白い」は、視覚を形容する言葉なので不自然。これをどう考えるべきか。直前の「ピンク」をすぐに言い直すのもおかしいので、やはり香りにかかっているのだと考えます。

 その後に続く「深い」と「やばい」は、より意味が広く、視覚にも嗅覚にも使える形容詞です。

 3つの形容詞を並べてみると、順番に意味の幅が広がっています。言い換えれば、より曖昧な形容詞が選ばれているということ。

 例えば「甘い香り」や「鼻につく香り」よりも、「深い香り」「やばい香り」は、具体性にとぼしい表現。しかし、リスナーに判断を任せることで、それぞれの想像力を利用し、歌詞の世界へと引き込んでいく表現とも言えます。

アイスクリームと感情

 サビには「アイスクリーム」というワード自体は出てこないものの、アイスクリームに繋がるイメージが出てくるので考察します。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

溶かして 燃やして 潤してあげたい
次のステップは優しく教えるよ
君とダンス 2人のチャンス
夜は長いから
繋いでいて 離れないでいて

 1行目の「溶かして 燃やして 潤してあげたい」は、冒頭に出てきた「君のアイスクリームが溶けた」に繋がる表現と言えるでしょう。

 冷たかったアイスクリームの温度が上がり、溶けて、やがて液状になる。温度によるアイスクリームの変化が、2人の感情とテンションの変化に、例えられているということです。

 2番のサビのあとに挿入されるCメロでは、再び「アイスクリーム」という言葉が出てきます。以下に引用します。

甘いアイスクリーム
体温を上げる小さなスクリームがラブリー
耳元を狂わすよラブリー
淡いルームライト
ピンクの頬が杏色に照らされて
スパンコールのように弾けて

 上記引用部には、この曲におけるアイスクリームの役割が、もっとも端的にあらわれています。

 1行目から2行目にかけて「甘いアイスクリーム」と「体温を上げる小さなスクリーム」が、ことば遊びのように連なっています。

 温度が上がり溶け出すアイスクリームと、高まる2人の感情がイコールで結ばれ、アイスクリームは2人の感情のメタフォーとして機能しているわけです。

結論・まとめ

 結論に入りましょう。

 この曲では夜の出来事がポエティックに綴られていくのですが、アイスクリームが2人の感情をあらわしています。

 アイスクリームは、本来は冷たく、甘い食べもの。歌詞の中では、冒頭からアイスクリームが溶け出しています。

 温度によるアイスクリームの変化は、2人の感情と対応。溶け出すアイスクリームが、気持ちの高まりのメタフォーになっているということです。

 そして、言うまでもなく2人は苦い関係ではなく、アイスクリームと同じく、甘い関係にあります。

 男女のベッドでの出来事を描いているとしか思えないのですが、直接的にではなく、五感に訴えながら情景を描写する手法は見事です。

 タイトルになっている「満月の夜なら」。丸い満月は、アイスクリームのようにも見える…というのは考え過ぎですかね。

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あいみょん「マリーゴールド」における自然現象の機能 歌詞の意味考察


目次
イントロダクション
設定確認
自然現象と繋がる心
「空」と「雲」が映しだす感情
恋の安定期
雲の拡大と感情の変化
結論・まとめ

イントロダクション

 「マリーゴールド」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのメジャー5作目のシングル。2018年8月8日にリリース。作詞作曲は、あいみょん。

 「マリーゴールド」というタイトルが示すとおり、語り手が恋人と思われる「君」を、花のマリーゴールドに重ね、語っていく曲です。

 しかし、マリーゴールド以上に僕が気になったのは、この曲における「空」や「雲」などの自然現象。

 タイトルにもなっているぐらいですし、マリーゴールドが表現のキーとなっているのは事実ですが、同じぐらい空模様が重要な役割を果たしているように、僕には思われるのです。

 そこで、本論では「マリーゴールド」における自然現象に注目しながら、歌詞を読みといてみたいと思います。

設定確認

 最初に歌詞の大まかな設定を、確認しておきましょう。

 登場人物は、恋愛関係にあると思われる語り手と「君」。語り手の視点から、「君」のこと、2人の思い出などが綴られます。

 現在進行形の恋であるのか、過去の恋を懐かしんでいるのか、曖昧なのですが、この議論はひとまず脇に置いておきます。

 歌詞がフォーカスするのは、具体的なストーリーではなく、語り手が「君」を愛おしく思う気持ち。

 「麦わらの帽子」や「マリーゴールド」など、イマジネーションを喚起させる言葉を散りばめながら、語り手の感情が綴られていきます。

自然現象と繋がる心

 では、ここから自然現象に注目しながら、歌詞を考察していきます。

 歌い出し1行目から、自然現象を使った表現が出てきます。1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

風の強さがちょっと
心を揺さぶりすぎて
真面目に見つめた
君が恋しい

 上記の引用部では、風に吹かれることで、心が揺さぶられています。「寒いからテンションが下がる」というようなことは実生活にもありますが、それは過酷な環境を嫌がってのこと。自然現象と心は、本来つながっていません。

 そのため、この曲では自然現象が、心や状況をあらわす記号として、機能しているのではないかと示唆されます。

 実際、この後の歌詞にも「空」や「雲」など、自然現象をあらわす言葉が出てきて、それぞれ語り手の感情、あるいは2人の状況を映し出しているように思われるのです。

「空」と「雲」が映しだす感情

 サビに入ると、自然現象をあらわす言葉として、前述の「空」と「雲」が登場。1番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

麦わらの帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと
懐かしいと笑えたあの日の恋

 4行目に「懐かしいと笑えたあの日」と記述されているため、上記引用部は現在の視点から、過去をふり返っているものと推測できます。

 そして、その過去とは3行目の「空がまだ青い夏」。青空と「笑えた」ことが繋がっており、空がポジティヴな意味で使われていることが分かります。

 続くサビの2連目では、今度は「雲」が登場。以下に引用します。

「もう離れないで」と
泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて 抱きしめて 離さない

 1連目の「空」が「笑える」とセットになっていたのに対して、上記の「雲」は「優しさ」と共に使われています。

 「空」が楽しい感情、「雲」がおだやかな感情を代表している、とも言えるでしょう。ここで重要なのは、幸福と不幸、楽しみと悲しみ、といったように、両者が完全な対立関係にはなっていない点。

 この曲においての「空」は、雲のない青空として使われています。言い換えれば「晴れ」を意味しているということ。したがって、言葉を対立させたいなら、雲よりも雨を使う方が適切です。

 しかし、この曲で使われるのは「雨」ではなく「雲」。そして「雲」は青空を隠す存在ではあるのですが、空全体を覆いつくすわけではありません。

 青空にも少なからず雲がかかるわけで、グラデーションのように、割り切れない関係であるとも言えます。

 つまり「空」と「雲」は、対立するものではなく、両者によって描写される感情もまた、対立するものではない、ということ。

 まとめると、この曲において「空」と「雲」は天気だけでなく、語り手の感情や状況をあらわしています。

 そして両者があらわす感情は、白と黒、良い時期と悪い時期、といった具合に、割り切れるものではありません。

恋の安定期

 では自然現象で、感情や状況をあらわすとして、この曲はどんな感情を描いているのか。

 先ほど、この曲が描くのが過去の恋であるのか、現在進行形の恋であるのか、曖昧だと書きました。

 結論から言うと、僕は現在進行形の恋であると考えます。過去の終わった恋をふり返っているわけではなく、現在の視点から、恋が始まった時期を思い出し、そして進行中の現在へと、視点を戻しているのです。

 すべてが楽しい時期の恋もありますが、ある程度の時間が経てば、恋は何もかもが、楽しいわけではありません。

 この曲の前半では、付き合い始めと思われる、すべてが楽しい時期の恋を回想。そして、2番に入ってからは、視点を現在に戻し、落ちついた時期の恋を、描いているのだと考えます。

 言い換えれば、楽しいことばかりでなく、楽しさと切なさ、幸せと不満が共存する、安定期とも呼べる時期の恋を描いているということ。

 そして、このような恋の繊細な面を描き出すために、先述の「空」と「雲」を使った、というのが僕の立てた仮説です。

 2番のAメロには、語り手のアンビバレントな感情が記述されています。以下に引用します。

本当の気持ち全部
吐き出せるほど強くはない
でも不思議なくらいに
絶望は見えない

 1行目と2行目は、語り手が「君」に不満を抱きつつも、それを言い出せないことを意味しているのでしょう。

 そして、続く3行目と4行目が描写するのは、不満はありつつも「君」のことが好きだという、語り手の心情です。

 お互いに言いたいことはあるけれども、とても好き。落ちついた恋の幸福感が、じんわりと伝わる表現です。

 サビに入っても、2人の状況と感情をあらわす言葉が続きます。2番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

柔らかな肌を寄せあい
少し冷たい空気を2人
かみしめて歩く今日という日に
何と名前をつけようかなんて話して

 3行目の「かみしめて」という言葉が象徴的。お互いゆるやかに、しかし深く想い合う感情が、あらわれた言葉だと言えるでしょう。

 また、1番のサビでは季節は夏でしたが、2行目に「冷たい空気」とあるとおり、上記2番では秋あるいは冬。1番の夏から数ヶ月後なのか、数年後の冬なのかは不明ですが、時間が経過していることが分かります。

 続いて、2番のサビ2連目の歌詞を、以下に引用します。

ああ アイラブユーの言葉じゃ
足りないからとキスして
雲がまだ2人の影を残すから
いつまでも いつまでも このまま

 1連目と同じく、お互いの深い愛情が感じられます。

 注目すべきは3行目の「雲」。1番のサビにも出てきた言葉です。1番で、優しさをあらわす言葉として使われていたのは、先ほど考察したとおり。

 上記2番でも、優しさや穏やかさを象徴する言葉として「雲」を解釈すれば、意味が通じます。3行目の「雲がまだ2人の影を残すから」とは、空に部分的に雲がかかっているが、影ができるだけの明るさは残っているということでしょう。

 さらに、2番のサビ後に挿入される大サビでは、この曲が描くのは、現在進行形の恋だと思わせる内容が歌われます。以下に引用します。

遥か遠い場所にいても
繋がっていたいなあ
2人の想いが
同じでありますように

 1行目に「遥か遠い場所にいても」をあるために、すでに2人は別れてしまったあとで、過去の恋の回想だと、解釈する方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はそうは思いません。

 前半2行は、2人は同じ場所にいるけれど、一緒にいられない時も相手を思い続けたい、という意味でしょう。

 なぜなら、直前まで一緒にいる記述がなされ、さらに上記3行目から「2人の想いが 同じでありますように」と記述されているため。

 語り手は、一緒にいられない時間も「君」を思い、相手にも同じ気持ちでいてほしい、と願っているということです。「君」を想う気持ちの強さが、あらわれた一節と言えるでしょう。

 もし、1行目がすでに2人は別れたという意味なら、前後の整合性が取れないのではないでしょうか。

 もちろん、あくまで僕個人の解釈であり、これが正解!と主張したいわけではありません。解釈は複数あっていいんです。

雲の拡大と感情の変化

 ここまで「マリーゴールド」における自然現象、特に「空」と「雲」がなにを意味し、どのように機能するのかに注目しながら、歌詞を読みといてきました。

 そして考察によって「空」が楽しさ、「雲」が優しさを象徴し、この曲が現在進行形の恋を描いていることを確認しました。

 1番では付き合い始めの楽しい時期をふりかえり、2番以降は視点を現在に戻し、恋の安定期とも言える時期を、描写しています。

 この曲の中での時間の経過、および恋の質の変化を、「空」と「雲」はあらわしているのではないかと思うのです。

 1番のサビ1連目までは、空に雲はなく、楽しさしかない時期の恋愛を描写。その後1番のサビ2連目では、語り手は「雲のような優しさ」で、「泣きそうな目で見つめる君」を抱きしめています。

 これは、雲ひとつない青空のような楽しい時期が過ぎ去り、おだやかに深く想い合う時期への移行を、あらわしているのではないでしょうか。

 そして、2番のサビでは「雲がまだ2人の影を残すから」という表現から想像するに、雲が大きく広がり、時間の経過と2人の恋の安定を描写しています。

 つまり、雲の広がりと比例して、2人の時間と関係も進んでいるということです。

結論・まとめ

 以上、「マリーゴールド」は自然現象の言葉を用いることで、時間の経過と、2人の関係性をあらわしている、というのが僕の出した結論です。

 あいみょんは、微妙な感情を描き出すのが、本当にうまい人だと思います。この曲を例にとっても、具体的なストーリーが提示されるわけじゃないのに、感情や風景がリアルに浮かび上がってきます。

 いや、むしろ具体的に書き過ぎないために、リスナーのイマジネーションを刺激し、共感を生むのかもしれませんね。

 2番の大サビに出てきた「遥か遠い場所にいても 繋がっていたいなあ」という言葉を、このままずっと一緒にいて、無くなった後も想い続けていたい、と解釈するのは、あまりにもロマンチック過ぎるでしょうか?

 いずれにしても、多くの解釈を許容し、聴く人によって、様々な印象を抱く楽曲だと思います。

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