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エレファントカシマシ『THE ELEPHANT KASHIMASHI』


エレファントカシマシ 『THE ELEPHANT KASHIMASHI』

アルバムレビュー
発売: 1988年3月21日
レーベル: EPIC/SONY

 『THE ELEPHANT KASHIMASHI』は、エレファントカシマシの1988年発売の1stアルバム。

 1曲目の「ファイティングマン」。再生ボタンを押すと、初期衝動がそのまま音楽になったかのような、エモーショナルでテンションの高い音が押し寄せてきます。特に宮本さんのボーカルは圧巻で、どうやったらスタジオでこんなテンションを保てるのか、と思うほどに鬼気迫るパフォーマンス。

 歌詞に沿ってメロディーを歌う以外にも、間奏で思わず漏れるシャウトや息づかいには、まるでその場で歌っているかのようなリアリティがあります。バンドの演奏も、タイトさとラフさのバランスが抜群で、ロックバンドかくあるべし!というエキサイトメントに溢れ、アルバムのスタートにふさわしい1曲です。

 ロックバンドの1stアルバムには、初期衝動をそのままパッケージしたような、生々しく、エモーショナルな作品が少なくありません。エレカシの1stアルバムも、まさにそうした若々しいエモーションに満たされた1枚。しかし、そうした荒削りなエモーションは、魅力として表出されるのと同時に、サウンド・プロダクションやアンサンブルにおけるルーズさや稚拙さを伴う危険性もはらんでいます。

 では、このエレカシの1stアルバムはどうかというと、アンサンブルや作詞作曲の技法についても、非常に高い完成度を持っています。このアルバムの魅力は、その圧倒的なエモーションの表出にあるのは事実。しかし、何度も聴きこんでいくと、エモーショナルで生々しいサウンドの土台には、確固としたアンサンブルが存在していることに気がつくはずです。僕自身も、このアルバムが放つすさまじいエネルギーに、まず耳と心を奪われてしまうのですが、その熱量の高さばかりに注目していると、この作品の魅力を完全には捉え損ねることになるかもしれません。

 例えば1曲目の「ファイティングマン」では、イントロのギターリフに続いて入ってくるベースのリズムが安定していたり、ドラムが若干のタメを作ってグルーヴを生み出していたりと、バンドとして練習を重ね、アンサンブルをタイトに磨きこんできた様子が随所に感じられます。

 宮本さんは、感情を歌に変換することにおいて、これ以上ないぐらいの優れたボーカリストですが、タイミングを遅らせたり、ライブでは小節線を越えてタメを作ったりと、タイム感にも優れた魅力的なボーカリストだと思います。そんな宮本さんの伸縮するようなリズムの取り方にも惑わされることなく、いやむしろ呼応するように曲を加速させていくバンド・アンサンブルは、それだけでかなりの完成度と言えるでしょう。

 「友達なんかいらないさ 金があればいい」とリスナーをアジテートするように歌う2曲目「デーデ」、タイトなリズム・セクションにほどよくラフなギターが乗る3曲目「星の砂」など、アルバムの流れを加速させるようなロック・ソングが続きます。これらの楽曲も、荒々しく疾走感のある曲なのですが、バンドがひとつの塊のように結束しており、アンサンブルが散漫になることは一切ありません。

 むしろ、ラフな部分がグルーヴとなり、より曲を加速させていくような感覚があります。7曲目「BLUE DAYS」では、ギターとドラムがたっぷりとタメを作ったイントロから、各楽器が絡み合うようにグルーヴが生まれていきます。アルバムを通して、エモーションの音楽への表出と、バンドのアンサンブルが有機的に合わさり、最後まで一気に駆け抜けていくような作品です。

 エレカシはこのあと何十年もメンバー交代なく存続していくわけですが、のちの「奴隷天国」や「ガストロンジャー」といった楽曲で聴かれる、圧倒的なエモーションをそのまま音に変換したかのような技法は、1stアルバムの時点で、すでに完成されていると言っていいでしょう。その後のエレカシは、熱量の高いアグレッシブなエモーションの表出という長所は失わず、メローな歌唱や詩的な歌詞表現など、音楽性を確実に押し広げていきます。

 ロックバンドとしてのラフな魅力と、楽曲とアンサンブルの完成度。走り出したばかりのバンドには、両立が困難かと思われる要素を、高い次元で完成させているこの作品は、文句なしの名盤です!

 





エレファントカシマシ『風』


エレファントカシマシ 『風』

アルバムレビュー
発売: 2004年9月29日
レーベル: フェイスレコーズ

 『風』は、2004年に発売されたエレファントカシマシ16枚目のアルバム。

 エレファントカシマシの魅力は、楽曲の良さもさることながら、パワー溢れる圧倒的なライブ・パフォーマンスにもあります。宮本さんのボーカリストとしての技量と、バンドとしての一体感あふれるアンサンブル。そんなライブ・バンドとしてのエレカシの魅力が、このアルバムには詰まっています。

 まず、サウンド・プロダクション。宮本さんのボーカルをはじめとして、まるでバンドが目の前で演奏しているかのような臨場感のある生々しい音でレコーディングされています。

 そして、曲順。曲順もまるでライブのセットリストのようになっていて、アルバム全体で起承転結が感じられ、メローな曲からアグレッシブな曲まで幅広く収録されているのに、散漫な印象は全くなく、作品としてまとまっています。

 スタジオ・アルバムであるのに、音質と曲順の両面で、まるでライブ・アルバムのような耳触りなのです。前述したようにエレカシの魅力のひとつはライブ・パフォーマンスにあるのですが、その雰囲気が少なからず感じられる作品です。そういう意味ではベスト・アルバムと並んで、意外とエレカシ入門用のアルバムとしても最適なのではないかと、個人的には思っています。

 1曲目の「平成理想主義」。曲を再生すると、まるでメンバーがステージに出てきて、音合わせをしているかのようなラフで自由な雰囲気でアルバムは始まります。メンバーの空気感まで伝わってくるような音。そのまま音出しがしばらく続き、おもむろにギターがリフを弾き始め、曲がスタート。この、さりげなさも非常にかっこよく、リアリティを感じます。

 「平成理想主義」はミドルテンポながら、リズムにタメがあり、各楽器が絡み合いながらグルーヴしていて、一聴しただけでかっこいいと思うロック・チューンです。そして、やはりライブ感あふれる宮本さんの声とボーカリゼーション。もう、この1曲目の時点で、アルバムの世界に引き込まれてしまいます。

 2曲目はイントロからビートがわかりやすく、やはり即効性のあるかっこよさの「達者であれよ」。サビでの宮本さんのエモーションを絞り出すようなボーカリゼーションは、とてもスタジオ録音とは思えない生々しさがあります。

 1曲目、2曲目とガツンとくる曲が続いた後での3曲目「友達がいるのさ」。ここまでの2曲から一変して、バンドもボーカルも抑え気味のじっくり聴かせるようなイントロ。この緩急のつけ方に、ライブのセットリストのような意図を感じます。イントロは抑え目に始まるものの、ダイナミズムが非常に広くドラマチックな1曲。ガツンとした1曲目と2曲目でリスナーをアルバムの世界に引き込んだうえで、3曲目にこのようなキラー・チューンを配置されてしまっては、ますますアルバムの世界観に引き込まれざるを得ません。

 4曲目「人間って何だ」。この曲もビートがはっきりしていて、各楽器のアレンジもシンプルながら緩やかにグルーヴしていて、ロック的な楽しみのある1曲。タイトルのとおり「人間って何だ?」と問いかけ、それに対する応答という、コールアンドレスポンスの構造をした歌詞も聞き取りやすく、心にスッと届きます。

 5曲目「夜と朝のあいだに…」、6曲目「DJ In My Life」とテンポを落としたメローな曲が続き、7曲目「定め」では、またロック的なビートが戻ってきます。緩急をつけながら、不自然ではないバランスでテンポと曲想の異なる曲が並び、本当にライブを観ているような気分にさせてくれる曲順。

 そしてラスト10曲目の「風」。アルバムのタイトルにもなっているこの曲。アコースティック・ギターを中心にした、ゆったりしたアンサンブルのなか、宮本さんの歌うメロディーと言葉が響き渡ります。

いつか通ったとおりを辿り来た気がする
「いいのかい?」なんてさ 「いいのかい?」なんてさ

 ここまでアルバム1枚を通して、様々なグルーヴやエモーションを届けてくれたエレカシ。この「風」に至るまでに、すっかりこちらの耳も心もこのアルバムにチューニングが合い、引用した上記の歌詞も、1曲単体で聴くよりも深く心に染み入ります。ライブでアンコールの最後の1曲を聴くような感覚があり、この曲を聴き終わると、まるでライブを1本見終えたような満足感が残ります。ぜひ、アルバム1枚を通して聴いていただきたい作品です。

 





BiSH「GiANT KiLLERS」


『GiANT KiLLERS』は、2017年6月28日に発売されたBiSHのミニアルバム。全5曲収録で、うち4曲はメンバーが作詞を担当しています。トラックリストは下記のとおり。

BiSH 『GiANT KiLLERS』
01. GiANT KiLLERS
02. Marionette
03. Nothing.
04. 社会のルール
05. VOMiT SONG

以下、楽曲毎のレビューです。

01. GiANT KiLLERS
作詞は「竜宮寺育」とクレジットされていて、この曲以外の4曲はBiSHのメンバーが作詞をしています。アルバムの表題曲になっているこの曲ですが、綴りがBiSHに合わせて「GiANT KiLLERS」と、iだけ小文字にしています。今回知りましたが、BiSHの楽曲は、全てこの表記方法で統一されているんですね。

「楽器を持たないパンクバンド」として活動しているBiSHですが、1曲目の「GiANT KiLLERS」は、イントロからストリングスが入っており、またギターも様式美を感じるメロディアスなフレーズを弾いていて、パンクというよりはゴシックな印象の曲。この曲に関しては、パンクバンドよりは、ビジュアル系バンドがやりそうな雰囲気の曲ですね。しかし、サビでは男声の「Wowowowo〜(ウォオォオォオォ〜)」というコーラスが入っており、ライブでは青春パンクのようにシング・アロングできそうです。疾走感もあり、1曲目らしい曲。

歌のメロディーとしては「皆さま 良しなに」からのA、「気だる 無視で」からのB、「EVERY MORNING」からのC、「次の決戦はmaybe 金曜さ」からのD、という4つのブロックから構成されています。無理やり感のある転調もなく、程よくリズムの緩急もあり、一聴してメロディーもアレンジも非常に丁寧に組み上げられた曲だと感じました。

例えば、前述のBの部分「気だる 無視で」からの前半と、「できることから やっておきます」からの後半は、メロディーの音運びも少し違うのですが、リズムの刻み方が変わることで、前半と後半が対比的に、後半部分で加速しているように感じます。ドラムのスネアを聞いていると分かりやすくて、前半は4ビートで2拍目と4拍目に打っていて、後半は8ビートで裏打ちで4回打っています。あとは、バスドラをどの位置で踏んでいるか、何回踏んでいるか、を追って聴いても、曲のギアが上がっていく様子がわかって面白いです。

スポーツで、前評判の低いチームが強豪チームを破ることをgiant killing(ジャイアント・キリング)、またそれを達成したチームをgiant killerと呼びますが、この曲でもBiSHが、野心の深さを高らかに歌っている、と思いながら聞くと、ますますエモく響いてきます。

02. Marionette
操り人形を意味するMarionetteと題されたこの曲。作詞はモモコグミカンパニー。アイドル(と呼ぶとBiSHには不本意なのかもしれない)が、この曲を歌うというのは、自作自演のシンガーソングライターやバンドが歌うのとは違った意味の広がりが出てきますし、もうこれはBiSHが歌うからこその曲ですね。かなりの確信犯。

「おにんぎょう」という歌詞が印象的に響きますが、漢字は「お人形」と「お人業」という2種類の表記があてられていて、もうこれだけで曲のテーマと意図を全て説明してくれています。かわいい人のことを「お人形さんのようにかわいい」と形容することがあります(いや実際、僕は使ったことが無いし、最近は日常的には使わない表現かもしれません)が、「お人形」という従順でかわいい存在が、「お人業」という人を演じる仕事をするということですね。

「冷凍保存」「見世物ショー」「ガラス張りの部屋」「誰のフリ?」など、聴いていて耳に引っかかる、歌詞を見ても目がとまる、印象的な言葉が並びます。この歌詞の言葉選びもあって、1曲目「GiANT KiLLERS」同様、ゴシック風味というかビジュアル系バンドにありそうな曲だと感じました。

03. Nothing.
作詞はMarionetteに引き続きモモコグミカンパニー。タイトルは「Nothing.」と最後にドットが付いています。ピリオドを打つことで、なにかを終わりにしたい、新しく一歩を踏み出したい、という意味を込めているのでしょうか。そう思って聞くと、歌詞の世界にもまた奥行きが出てきそうです。

1曲目、2曲目とアップテンポの曲が続いたので、このあたりでチルアウトになるようなミドルテンポの曲が来るかな、と予想しつつ聴いてみると、3曲目もアップテンポな曲でした。しかし、1、2曲目のシリアスな雰囲気に比べると、垢抜けて、爽快感のある曲です。特にピアノがアレンジの肝になっています。

Aメロ部分、歌詞でいうと「書き出したノートにぽつりと」から始まる部分のピアノは、伴奏然としたアレンジで、まわりの楽器に溶け込んでいますが、1回目サビが終わって「頼りない物語だけど」からの部分では、先のAメロよりも高音を使って、リズムも細かく刻んでいて、全体の印象がだいぶ変わります。

僕は、一聴してこのパートは誰が歌っていると分かるほどは、BiSHに詳しくないのですが、ボーカルの歌い出しの声のかすれ具合もいいですね。感情的。

04. 社会のルール
作詞はハシヤスメ・アツコ。4曲目もこれまたアップテンポ。5曲入りのミニアルバムなので、勢いで突っ走る!ということでしょうか。しかし、テンポは同じぐらいの曲が続くのに、飽きたとかワンパターンという感想は、持ちませんでした。アレンジや調性で、曲の雰囲気を変えているからでしょう。

タイトルが「社会のルール」なので、社会のルールにツバを吐きまくる、ゴリゴリの毒のある曲を予想していましたが、実際に聴いてみると、アレンジも歌い方もコミカルで、社会のルールを軽やかに飛び越えていくような曲でした。おそらく生楽器ではなく、打ち込み音源だと思いますが、Aメロ部分のバックではいろいろな音が鳴っていて、現代の特盛カラフルなアイドルソングっぽく聞こえる部分もあります。

05. VOMiT SONG
作詞はリンリン。 「vomit」は、動詞では「吐き出す、嘔吐する」、名詞では「嘔吐物」という意味を持ちますから、タイトルは「ゲロの歌」といった過激な意味をこめて付けたのでしょうか。曲を聴く前にタイトルだけを見て、そのように思った次第ですが、聴いてみると、なかなかどうして、めちゃくちゃいい歌詞でした。

具体的なストーリーを持った歌詞ではないのですが、「青春」という病気と向き合い、悩んでいる心情がひしひしと伝わってきます。歌い出しの「飽きた」から始まる連は、友達と一緒にいるけど馴染めない、なんだか違和感があるなんとも言えない感情を描いているし、3つめの連では「桜」「遊具」「新学期」という言葉から、具体的な記述はないのに学生時代、青春時代のひりひりしたイメージが広がります。

「ゲロ」という言葉も1回だけ出てきます。「戻りそうで戻らないゲロが 新学期のにおいの悪天候」という部分。ゲロを吐くことを「戻す」とも言いますが、この歌詞の中での使い方だと、文字通りゲロを吐きそうな気分とも取れるし、心情を比喩的に表現しているとも取れるし、ここまで「ゲロ」という言葉を文学的に昇華した歌詞はなかなか無いんじゃないでしょうか。

1~4曲目までアップテンポな曲で突っ走ってきましたが、最後の5曲目で遂に、ややBPMを落とした曲が配置されています。サウンド的には、ベースの音がイントロからハリのある音を出していて、耳につきます。ベースはシンプルに8ビートを刻んで、その上に複数のギターが乗る、という王道のアレンジですが、ボーカルの声や言葉、各楽器の音質自体に魅力がある曲なので、飽きずに聴けます。なんといってもギターの音がいい。

2:28あたりから、右チャンネルと左チャンネルで、ギターが交互に同じフレーズを弾いていくところの音もいいし、2:43あたりから始まるギターソロの音質も、雑味たっぷり、不純物たっぷりの歪んだディストーションサウンドで、このぐちゃっとした音が、詩の世界観にも合っていると思います。

作品全体のまとめ
予想以上、と言っては失礼かもしれませんが、音楽もさることながら歌詞が非常に素晴らしい作品です。文学やロックの機能のひとつは、「青春」とか「若さ」という誰もが一度は侵される病気に向き合い、それを表現する、そしてそれが結果として誰かにとっての癒しになることだと思っています。そういう意味で、太宰治を読んで涙する昭和の若者と、BiSHのライブで涙する現代のヲタクというのは、それほど遠くなく、この『GiANT KiLLERS』という作品もそのように機能しているんじゃないかと思います。

ちなみに本作品は、基本的にはミニアルバムですが、全4形態での発売となっています。初回限定盤は、「iNTRODUCiNG BiSH」と題されたその名のとおりBiSH入門用のベスト盤的なアルバムと、Blu-ray、写真集からなる豪華セット。これを買えば良かったかな、とちょっと後悔しています。

 




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私立恵比寿中学「エビクラシー」


目次
イントロダクション
01. ゑびすとてたまわんせむ
02. 制服”報連相“ファンク
03. 感情電車
04. 紅の詩
05. コミックガール
06. さよならばいばいまたあした
前半部分までのまとめ
07. なないろ
08. 君のままで
09. 藍色のMonday
10. 春の嵐
11. フォーエバー中坊
アルバム全体のまとめ
松野莉奈さんについて
最後に

イントロダクション

 「エビクラシー」は、2017年5月31日に発売された私立恵比寿中学の4枚目のアルバム。このアルバムが非常に素晴らしい作品だったので、自分の感じたこと、考えたこと、聴きどころなどを、レビューとしてまとめておきます。

 エビ中が好きで既にこのアルバムを手に取っている方、エビ中を全く知らない方、どちらに読んでいただいても、なにかしらの魅力が伝わる文章を目指しました。メンバーの名前を出すときには、名字に「さん」付けで統一します。

 エビ中こと私立恵比寿中学は、グループ名にもあらわれている通り「永遠に中学生」をコンセプトにしたグループです。楽曲にも中学校・中学生をテーマにしたものが、たびたびありました。しかし、2017年6月現在、最年少のメンバーでも高校2年生(=中学5年生)となり、実際の中学生は1人も在籍していません。

 インディーズ時代は、中学生らしい悩みや感情を歌っていたのが、年を重ねて、どうリアリティのあるテーマの曲を歌っていくのか。中学生の感情を歌った曲から、誰もが持つ中学生的な心にフォーカスした曲へ、ゆるやかにコンセプトを移行してきている、そしてエビ中はそれに成功している、というのが僕の仮説です。

 そんななかで発売された「エビクラシー」。各楽曲のクオリティーが非常に高く、各メンバーのボーカリストとしての個性と技量も、今までの作品にも増して秀逸です。

 それなら、「とにかく全曲最高だから、全曲聴いて!」と言って終わりでもいいですし、実際それぐらい自信を持っておすすめできる作品なのですが、この作品はアルバム単位でも優れたテーマと物語性を持ち、コンセプトアルバムと呼んでもいいクオリティーを備えています。

 まとめると「エビクラシー」は楽曲単位でも素晴らしい曲が並び、アルバム作品としても非常に完成度が高い、ということです。というわけで、これからこのアルバムの僕なりの楽しみ方をご紹介したいと思います。

 最初にお断りしておきますが、この聴き方が正解!と主張したいのではなく、あくまで僕個人はこういう聴き方をしたよ、こういうところに気付いたよ、ということです。では、ここから具体的なアルバムの話へ。

 まず「エビクラシー」というタイトルは、大正デモクラシーから取ったイメージであると、メンバーがナタリーのインタビューでも語っており、ジャケットのデザインや着用している衣装も、大正時代をモチーフにしたクラシカルな印象を与えるものです。また、同じインタビュー中には、「中学生を極める」のが目標であるとの発言もあります。

 トラックリストは下記のとおり。期間生産限定盤は2枚組仕様になっていて、Disc2にはアルバム収録曲のうち7曲の、メンバーのいずれかが歌うソロバージョンが入っています。

 定価は600円しか変わりませんし、購入するならこちらをおすすめします。ボーカルが切り替わらない分、メロディーと各メンバーのボーカリストとしての個性が前景化され、アルバムをより深く楽しめますよ。

Disc1
01. ゑびすとてたまわんせむ
02. 制服”報連相”ファンク
03. 感情電車
04. 紅の歌
05. コミックガール
06. さよならばいばいまたあした
07. なないろ
08. 君のままで
09. 藍色のMonday
10. 春の嵐
11. フォーエバー中坊

Disc2
01. 制服”報連相”ファンク (中山ver.)
02. 感情電車 (小林ver.)
03. 紅の歌 (柏木ver.)
04. コミックガール (廣田ver.)
05. 君のままで (安本ver.)
06. 藍色のMonday (星名ver.)
07. 春の嵐 (真山ver.)

 では、ここから1曲ずつ楽曲レビューです。かなりの長さになってしまったので、興味がある曲の部分だけ読んでも、なるべく意味がわかるように気を付けました。

01. ゑびすとてたまわんせむ

 どんなアルバムでも、まず1曲目にどういう曲が入っているか、1音目にどういう音が鳴るか、というのは、アルバムの方向性を示す上で非常に重要です。今までエビ中のアルバムの1曲目は、アルバム世界への導入を促すoverture的な曲を採用しており、今回もその流れを踏襲しています。

 まず、レコードに針を落とす音から始まり、プツプツ、チリチリとレコードのノイズを再現したものが奥の方で鳴っています。そこから、メンバーのボーカルとドラムの音などが入ってきますが、この時点でも昔のラジオから聞こえてくるような、奥まった音質です。0:20あたりからのドラムとキーボードの音を境に、それまでの何かが詰まったような音質から、現代的な高音質に一変します。

 ここまで音楽ではなく、音質についてしか書いていませんが、曲自体は行進曲のようなリズムと、シンプルで親しみやすいメロディーを持ち、メンバーの声も楽しく、何かが始まる期待感に溢れています。

 エビ中には、ライブのオープニングに使用される「ebiture」という曲がありますが、大正時代版の「ebiture」といった趣があります。ジャケットのデザインと合わせて、まるで大正デモクラシーの世界への入口になっていて、大正時代へタイムワープするような感覚…と言ったら言い過ぎでしょうか。

 先ほどコンセプトアルバムのようだと書いたのは、まずこの1曲目のためです。リスナーにとっては、ここから始まるアルバムの世界へ耳と心をチューニングしてくれる効果を持ち、作り手側からすると、この時点でアルバム1枚分を使った広々とした表現空間を確保したとも言えます。

 1分ほどの曲ですが、まずレコードのノイズが聞こえる音質から始まり、20秒あたりで高音質になったところで一気にテンションが高まります。そこから40秒余りで、アルバムの世界の中へリスナーを引き込み、導入曲としての機能を存分に果たしています。

 このパラグラフは余談なので、飛ばしていただいても大丈夫です。曲名の「ゑびすとてたまわんせむ」とは、どういう意味でしょうか。まず先頭の「ゑびす」は「恵比寿」を昔の仮名遣いにしたものでしょう。これは、音は同じですし、分かりやすい。

 次の「とてたま」は、大正時代に女子学生の間で流行った言葉で「とても たまらない」の略だという説があるようです。実際に大正時代に使われていたのかの信憑性は置いておいて、大正時代を意識した言葉選びであることは間違いないでしょう。

 最後の「わんせむ」、これが分からない。最初は「わたし」がなまって「あたし」になったのと同じく、「アンセム」がなまって「わんせむ」になったんじゃないかと思いましたが、音声学的にこういう変化が起こりうるのかは分かりません。

 タイトルについていろいろ書きましたが、特に意味は無い、ただなんとなく響きで付けた、という可能性も大いにありえます(笑)。個人的には、歌詞の意味は作者に還元されるべきではない、作者の意図はひとつの参考にはなっても、言葉にあらわれた意味から読み取るべきだとは考えていますけどね。

02. 制服”報連相“ファンク

 「ゑびすとてたまわんせむ」が序曲的な役割で、こちらの「制服”報連相“ファンク」が実質的な1曲目。在日ファンクのメンバーがレコーディングとホーンアレンジに参加している1曲。タイトルにも「ファンク」と入っているとおり、様々な楽器の音が、ファンク特有の細かく刻まれたリズムで耳に飛び込んできます。

 一本の線のようなメロディーラインというより、ボーカルも楽器の一部として飛び道具のように挿入される曲なので、エビ中のボーカルも、いろいろな声が四方八方から飛んできます。メンバーが次々とそれぞれの個性を曲に加えていくので、初めて聴いたとき、音楽性は全く違いますがウータン・クラン(Wu-Tang Clan)みたいだと思いました。

 聴いていると、なにかしら楽器のリズムかボーカルの言葉が耳に引っかかる、リスナーの耳を掴む楽曲です。ファンク特有の、曲のどこを切り取ってもノリノリになれるぐらいグルーヴの充満した曲ですが、糸を引くような真っ黒なグルーヴではなく、エビ中らしい色鮮やかさとポップさを持った、エビ中流のファンクに仕上がっています。

 特に耳に残るのは中山さんのパートです。サビの「報告! 連絡! 相談!」のところで、中山さんが1人でコール・アンド・レスポンスのレスポンス部分を担当していて、全員vs中山という構図になっているのですが、中山さんのボーカルが思いのほかソウルフルで、様になっていて、全員を相手にしても全く負けていません。同時に天真爛漫さ、いたずらっぽい部分もあり、アイドルらしい歌い方を逸脱していないとも思います。

 欲を言えばこのパート以外にも、中山さんがバックバンドも含めた全員の先頭に立って曲をリードしていくようなところが、もっとあれば良かったのに。いずれにしても、普段の中山さんのキャラクターを知る人にとっては、そのギャップのおかげでますますテンションが上がりますね。悪い顔をした中山さんが目に浮かびます。

 演奏面では、個人的にはドラムがお気に入り。ファンクのドラムって、もっとシンプルに16ビートを刻み続ける場合もありますが、この曲は緩急の振れ幅が大きく、ロック的なダイナミズムを多分に持っています。

 サビ部分のタイトな引き締め方とか、1:15~1:20あたりのドコドコした盛り上げ方とか、とても好き。音自体が打ち込み的な音じゃなくて、生楽器らしいレンジの広さが感じられるのもいい。

 歌詞の面では「百年間経過して何変わったの?」という1節に代表されるように、大正時代のコンセプトを引き続き持っています。ただ、先に言ってしまうと、3曲目以降は大正時代をテーマにした曲は出てきません。

 アルバム1枚でまるまる大正時代を描くのが目的ではなく、大正時代を入口にして、「ここから先は現実世界ではなく、アルバムの世界」とリスナーに知らせ、現実から切り離された楽曲至上主義のアルバムを作るのが目的なのではないか、というのが僕の考えです。

 ここから3曲目以降は、色とりどりな世界観の楽曲が並び、ボーカリストとしてのエビ中の表現力が存分に楽しめます。

03. 感情電車

 「たむらぱん」こと田村歩美さんが提供の、歌詞、メロディー、ボーカル、全てが素晴らしく、情報量が驚異的なまでに多い1曲。

 小林さんの歌い出しから、美しい言葉とメロディーが次から次へと、エビ中の優しい声で紡がれていきます。美しいメロディーではあるけれど、「わかりやすく美メロ」「壮大なバラード」という感じではなく、さりげなく耳と心に響いてくるメロディーです。

 聴いていると、自然に涙が出てくるような、浸透性があるメロディー。エビ中のメンバーは、みんな本当に素直で優しい人たちですが、歌い手のキャラクターとメロディーの相性が良く、完全に一致しているかのように感じられます。

 イントロの小林さんの歌声を例にとると、彼女は普段の喋り方から優しく穏やかな雰囲気が溢れているのですが、普通に話をしているときの延長線上にあるような、彼女のキャラクターがそのままメロディーと言葉になって、唇から自然に流れ出てくるような歌い方です。小林さんの下の名前は「歌穂」さん。「名は体を表す」とはよく言ったもので、まさに歌う稲穂のようです。

 歌詞の面でも、具体的な意味がつかみきれない、でも聞き込むうちに様々な風景や心情が浮かび上がってくる言葉が並びます。「感情は言葉にできない」という言い方をすることがありますが、この曲は「悲しい」とか「嬉しい」という単純な言葉では言い表せない感情を満載した曲と言えるのではないでしょうか。

 テーマのわかりやすいラブソングや別れの曲ではなく、「この曲で感動してほしい」「この曲で勇気をもらってほしい」という音楽の機能を限定するような押しつけがましさが一切無いので、全ての人の、心のかゆいところに手が届くような、守備範囲の広さと浸透性を持っているのでしょう。

 言い換えると、言葉で感情を割り切らない、限定しないからこそ、心の琴線に触れる部分が必ずある、ということです。個々人が自分の感受性で受け止めるべき歌だと思いますので、歌詞の具体的な解釈は、ここでは敢えてしません。

 この曲は構造的にも非常に練りこまれていて、イントロからサビまで、それぞれ調性が、イントロ(変ロ長調)→Aメロ(ヘ短調)→Bメロ(変ホ長調)→サビ(変ロ長調)と、転調していきます。一般的には、長調は明るい、短調は暗い曲調と言われますが、この曲はブロックごとに調性を変え、その都度メロディーの雰囲気がガラッと変化します。

 イントロは長調で、柔らかで開放的なメロディーが印象的ですが、「インフォメーション走らす」の歌詞から始まるAメロからは短調で、シリアスで緊張感のある雰囲気に一変します。

 さらにリズムの面でも、イントロからAメロ前までは4分音符を基本にしたゆったりしたリズムですが、Aメロは8分音符を基本にしており、つまり体感的にそれまでの2倍の速度になったように感じ、緊迫感が生まれます。

 そして、Bメロになると調性は長調、リズムは元の4分音符を基本としたものに戻り、サビになると調性は長調をキープ、リズムは8分音符になり、曲の中で一番の盛り上がりとなります。

 それぞれのブロックが、そこをサビとして独立させてもいいぐらいのクオリティーで、1曲の中に3〜4曲分ぐらいのクリエイティビティと情報量が詰め込まれていると言っても、過言ではありません。たむらぱんさんは本当に天才だと思う。

 歌詞の面でも、メロディーの面でも、「嬉しい」「悲しい」といった単純な言葉では割り切れない感情を描いており、それをしっかりと奥行きを持って表現できているエビ中各メンバーの歌唱。「感情電車」というタイトルも、様々な感情が溢れ出て、速度を変えながら走っていくこの曲にぴったりですね。

04. 紅の詩

 元JUDY AND MARYのTAKUYAさん提供の1曲。イントロから疾走感溢れるノリノリのロックンロール。左チャンネルから聞こえるギターがリズムをガンガン引っ張りつつ、それに絡むように右チャンネルのピアノが、疾走感を高めていきます。このギターとピアノの関係性は、Aメロで歌が入ってからも続き、個人的にお気に入りの聴き所のひとつです。

 ポップで少しパンクなカラフルな曲で、歌詞にもリズムにもちょっとねじれた部分を含みながら、敷居が高い印象は全く与えません。なんと言っても柏木さんのボーカルが素晴らしい。イントロのパワフルで煽るような歌い方と笑い声、Aメロに入ってからの「かわいい」と「かっこいい」のちょうど中間のような声も好きです。

 わざわざ指摘する必要もないかもしれませんが、「紅の豚」を連想させるタイトルで、歌詞にも「飛べない豚」というフレーズが出てきます。TAKUYAさんが以前提供した「ハイタテキ!」も、普通は漢字にするなら「排他的」ですが、歌詞の内容としては「歯痛的」だし、TAKUYAさんの歌詞は言葉の読み方と表記方法を利用して、意味が多層化する言葉遊びが多いですね。

 この曲も歌詞カードを確認すると「クレナイ?」の部分がカタカナで表記されていて、自ずと「クレナイ」という言葉に注意が向かうようになっています。歌詞を読むと、メールあるいはLINEの返事をくれない、そういう状況であれこれ考えて悩んでいる心情を、ありとあらゆる言葉を使って表現していきます。

 ですので、内容的には「(返事を)くれないの詩」です。個性的な比喩表現や、前述したような言葉遊びを使って、目まぐるしくイメージが押し寄せてくる曲です。メロディーとサウンドもロックでかっこいいですが、ぜひとも歌詞をじっくり読んでみてください。

 個人的に歌詞を見ていて気になったのは、序盤の柏木さんパートの「物語のペイジ」と表記されているところです。本のページのことなら、一般的には「ページ」と表記すると思うんですが…「ペイジ」という表記を見て、ジミー・ペイジが思い浮かびました(笑)

 最後にもうひとつ。JUDY AND MARYのインディーズ時代の楽曲に「Get Pissed Destroy」というタイトルの曲があります。また、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)の「Anarchy in the U.K.」の最後は、「紅の詩」と同じく「I get pissed, destroy!」という歌詞で終わります。

 「Anarchy in the U.K.」も、「destroy」の後に「ヤァー」という声が入っているので、柏木さんもジョニー・ロットンの歌唱を参考にしたのかもしれない(笑)

05. コミックガール

 日本一泣けるコミックバンド、四星球が楽曲提供した1曲。4曲目「紅の詩」に続き、バンド感溢れるサウンド。「紅の詩」に比べて、こちらの方がドタバタ感のあるロックナンバーです。

 ロックバンドらしい緩急のある曲で、例えば2:21あたりからのドラムが跳ねるようなリズムになるところなど、シフトが次々に切り替えられていくようにリズムが変化していきます。

 歌詞には、様々な漫画のセリフや設定を思わせる言葉が散りばめられています。いくつ元ネタが発見できるか、宝探しをするような気持ちで聴くと、漫画やアニメが好きな人ほど楽しめるかもしれません。エビ中も役になりきった演劇的なものから、飛び道具のようなものまで、様々な声を聞かせてくれます。

 特に廣田さんが、かわいらしい声から、ドスの効いたかっこいい声まで、変幻自在に楽しませてくれます。個人的に聴いていただきたいポイントは、廣田さんパートではなく、柏木さんのパートですが、3:13あたりからの「ハーハー、クンクン」です。歌詞カードには、「ハーハー、クンクン」と記載されているのですが実際は…聴いて、確かめてみてください。

06. さよならばいばいまたあした

 楽曲提供と演奏は、Yogee New Waves。4人組バンドによる演奏ですが、バンドサウンドでありながら「紅の詩」や「コミックガール」とはだいぶ毛色が異なります。

 ドラムとソリッドなギターサウンドがリズムを先導していくタイプではなく、バンド全体で緩やかなグルーヴを生み出していって、体が自然と音楽に取り込まれていくようなサウンドです。さすがに普段から活動しているバンドによる演奏のため、グルーヴの作り方が呼吸をするように自然で、気がつくといつの間にか楽曲に取り込まれています。

 イントロからアコースティックギターを中心にした温かみのある音で始まるため、すっと曲の世界に入っていけるのですが、徐々にグルーヴがディープに、演奏も熱を帯びてきて、いつの間にか体でリズムをとってしまうような曲です。

 3:40あたりからの星名さんのパートは一時的に伴奏がアコースティックギターのみになって、3:45あたりのドラムを合図に全ての楽器が戻ってくるところなど、ミドルテンポの緩やかな曲でありながら、リズムのフックが随所にあります。

 エビ中のCDは歌詞カードに歌割りが記載されています。ミドルテンポのゆったりしたこの曲、歌割りも1人ずつのパートが長く、歌詞カードを確認すると7人のメンバーのソロパートは1回ずつしかありません。

 7人が順番に長めのパートを歌い繋ぎ、ちょうど4:00あたりからの「さよならばいばいまたあした 手の鳴るほうまで 近寄って」からのブロックは全員で歌っています。また、ここでキーが上がります。パートを長めに取ることで、歌にも聞き入りやすくなっています。

 そんな中、最後にキーが上がって全員歌唱になるところは、急激なテンポアップや、大音量のエレキギターやドラムは使っていないのにも関わらず、ものすごく高揚感を得られます。

 ゆるやかな曲に、ゆるやかにノッていたはずなのに、自分でも気づかないうちに体温が上がっていて、ある意味では危ない曲かもしれない(笑)

前半部分までのまとめ

 この「前半部分までのまとめ」は、読むのが疲れた方は飛ばしていただいて大丈夫です。

 1曲目「ゑびすとてたまわんせむ」のところで書いたように、このアルバムはレコードに針を落とす音から始まります。

 もし、この作品がCDではなくレコードだとしたら、1~6曲目までがA面、ここでレコードをひっくり返して7~11曲目がB面です。B面の1曲目はレコード時代のアルバムだと、1曲目と同様かそれ以上に重要で、ここにリードトラックが配置されることが多いですから、この位置に「なないろ」が入っているのも納得です。

 収録時間が46分05秒というのも絶妙な長さです。人が集中力を持って音楽を聴き続けられる時間って、そんなに長くないと思うんですよね。

 CDになって、途中で盤面をひっくり返す必要もなく、60分、70分という収録時間が当たり前になった時代、もっと言えば携帯音楽プレーヤーやクラウドで、何千曲でも流し続けられる時代に、46分というのはトータル・アルバムとして通しで聴いてもらうには理想的な時間じゃないかと思います。

 また、期間生産限定盤のdisc2にはアルバム11曲のうち、7曲のソロバージョンが収録されていることも先ほど書きました。ソロバージョンが無い4曲は、1曲目、6曲目、7曲目、11曲目です。

 A面の最初と最後、B面の最初と最後は、ソロバージョンが無いのも、それぞれの面の最初と最後はアルバムの枠組みを作る楽曲、その間に各メンバーの個性を発揮させる楽曲、という配置になっているのかなと。

07. なないろ

 レキシの活動で知られる池田貴史さん提供の1曲。エビ中と池田さんは以前、「エビ中の永遠に中学生(仮)」というテレビ番組で共演していたことがあります。エビ中のことを知る池田さんが、エビ中の現在の状況、心情を、考えて作ってくださった曲だと思います。

 歌詞に「この恋はセブンカラー」「この恋はなないろ」と出てくるので、ラブソングのようにも聞こえますが、男女関係を歌った限定的なラブソングのようには聞こえません。まず「キミ」と「君」、2種類の表記が出てきます。もし1種類の表記で統一されていたなら、歌詞の「語り手」と「キミ」の2人の関係の話だ、という解釈以外はしにくいでしょう。

 しかし、表記を「キミ」と「君」に分けると、歌詞の中の登場人物は、「語り手」と「キミ」と「君」、合計3人という可能性が排除されません。「キミ」という言葉の表記を分けるだけで、様々な解釈の可能性が生まれて、奥行きが生まれていると思います。

 音楽については、情報量が多く、逆に語るべき言葉がなかなか浮かんできません。例えばベースの音を追うだけでも、十分楽しめます。

 ベースの演奏を表現するときに「地を這うような」と言ったり、ベースに限らず楽器の表現力豊かな演奏のことを「歌っている」と言いあらわすことがありますが、この曲のベースは地を這うように歌っています。本来なら、音程的にもリズム的にも縁の下の力持ちを担当する楽器ですが、ベースがこんなに鮮やかな風景を表現できるのか、と驚きます。

 エビ中のボーカルについては、0:53あたりからの真山さんパートの声が好きです。「ねぇ今キミの横顔が」の部分はコーラスがオーバーダビングされているので2人分の声が聞こえるのですが、そのあとの「涙でにじんだ どうしてかな?」の部分は1人で歌っているのに、深みのある、豊かな倍音を持った音に聞こえます。

08. 君のままで

 ざらついた耳障りのギターから始まるエモさ全開のギターロック。イントロから複数のギターが重なり、Aメロからも右チャンネルと左チャンネルにそれぞれ少なくとも1本ずつのギターが鳴っています。エビ中のボーカルも、歌い出しから、廣田さん→真山さん→柏木さんと力強い声を持つメンバーが続きます。

 廣田さんのこぶしの効いた歌いまわし、真山さんの冷たさと熱さが同居したような表現力、柏木さんの伸びやかな高音、などなどそれぞれが個性を見せていくのですが、サビ始まりとサビ終わりの重要なパートを任されている安本さんの、優しくも力強いボーカルが曲全体を包み込んでいくようなイメージの1曲です。

 歌詞的には、未来を歌った曲ではあるのですが、「抱えきれないほどの願い事 全てが叶わないのは分かってる」、「確かなことは何もないけど怖くない」など、何もかも叶うことを信じている若さから、徐々に現実を見るようになった、少し年を重ねた印象を与えるフレーズが出てきます。

 理想や希望をただ歌うだけではなく、現実も見えてきたけど一点の曇りもなく前を見続けるという態度。少し年を重ねて、それでも大事な心は失ってない、というのが伝わり、より普遍的に多くの人に響く歌になっているのではないかと思います。

09. 藍色のMonday

 ニュー・オーダー(New Order)に「Blue Monday」という楽曲があり、明らかにそれを意識したオマージュ。ちなみに、歌詞に「ここにいるよ ここにいるよ I’m here to stay」という一節が出てきますが、ニュー・オーダーには「Here to Stay」という曲もあります。

 どのあたりがオマージュか、と言えば、「Blue Monday」を聴いていただくと、曲の構造やモチーフを再解釈していることがよくわかるのですが、音質もニュー・オーダーに近い作りになっています。ベース以外は、全編打ち込みによる音源のようですが、ドラムとシンセの音質が明らかに現代的なダンスミュージックとは異なります。

 テクノで、音が「バキバキ」と表現することがありますが、最近はシンセもドラムも、密度の高い、エッジの効いた音が多いですよね。例えばPerfumeの曲を想像していだだいても、この「藍色のMonday」との違いが分かるかと思います。

 対して「藍色のMonday」は、音の輪郭が柔らかく、最近の音楽を聴き慣れた耳を持つ人には、抽象的でモヤっとした印象すら与えるかもしれません。どちらもテクノロジーを導入した音楽でありながら、耳障りは対称的です。ニュー・オーダーの「Blue Monday」が発売されたのは1983年で、当時の最新の機材を使用した最新の音楽であったはずです。

 こうした、ある時代の空気を持った楽曲を現代的な解釈を加えて再構築する、というのは、大正デモクラシーをモチーフにした「エビクラシー」というアルバムのコンセプトとも重なる試みだと思います。こういった曲をアルバムに入れることで、アルバムの中でジャンルや時代性を相対化する効果もありますしね。

 今、試しに「Blue Monday」を聴き直してみたのですが、比べて聴いても「藍色のMonday」やっぱりめちゃくちゃいいですね。原曲へのリスペクトも感じるし、80年代のニュー・オーダーの雰囲気を持ちつつ、モダンな音とアレンジに仕上がっています。CMJKさん、天才だわ。

 では、実際に曲の中でどういう音が鳴っているでしょうか。前述したように、ドラムもシンセも音の質感が柔らかく、それぞれの音の担当する境界が曖昧になっています。リズムを鋭く刻むドラム、伴奏的なコード担当のシンセ1、副旋律を担当するシンセ2、のような役割分担がはっきりせず、全ての音が律動的にも旋律的にも聞こえる、という意味です。

 柔らかな音質とも相まって、曲に独特の空気感が充満しています。今回のアルバムには、バンドサウンド全開の曲が多く、エビ中の歌唱もそれに応えるかのように感情豊かです。

 そうした、「エモい楽曲」が並ぶアルバムの中で、「藍色のMonday」は違和感を覚えるぐらいアンニュイな雰囲気を持っています。この曲でのエビ中のボーカルは、地声に近い印象を受ける、いい意味で力の抜けた歌い方です。

 しかし、こうした引き算の歌い方をできるようになってきているのも、エビ中の表現力の向上を示していると言えるでしょう。この曲での星名さんの気だるくキュートな声からは、彼女のボーカリストとしての新たな面が感じられました。個人的には、星名さんがエビ中の中で最もアイドル然とした声と歌い方をしていると思っていますが、星名さんの歌にもますます個性と深みが出てきていますね。

 歌詞で気になる部分は、Mondayから順番に曜日が出てきますが、Sundayだけ出てこないところです。これはどういう意味でしょうか。「Sunday」が入るべき場所には、「Somewhere?」と場所を示す単語が疑問符と共に置かれています。

 「しゃぼん玉は今Somewhere?」という歌詞があるので、今がSundayだから、わざわざ書かずに場所をあらわす語に置き換えたのか、あるいは他の曜日には不満があるけどSundayには不満がないから書く必要がなかったのか、などと色々と考えました。Sundayだけは記述する必要が無い、あるいは語ることができない、というのは何を意味するのでしょうかね。

 ついでにもうひとつ、ニュー・オーダーは元々ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)というバンドだったものが、メンバーのイアン・カーティスの死去をきっかけに、残されたメンバーが作ったバンドです。ここまで語ると、深読みしすぎだ、という方もおられるかもしれませんが、こういう情報も含めてじっくりサウンドと歌詞に向き合うと、またこの曲が違った聞こえ方をしてくるのではないでしょうか。

10. 春の嵐

 イントロから、粒のはっきりした分離感のある、冷たい耳障りのピアノの音と、サンプリングして再構築されたようなキーボードの音が、幾重にも聞こえてきます。まるで吹き抜ける風と、舞い上がる雨粒と花びらを思わせる、春の嵐を音で表現しているようなアレンジとサウンドプロダクションです。

 0:28あたりからドラム、ギター、ベースが入ってきて、突然の暴風雨、といった感じでしょうか。そんな、丁寧に作りこまれたバックトラックのなか、真山さんの凛とした声が響き渡ります。

 真山さんの歌唱力は、エビ中の活動を始めてからずっと向上し続けていて、特に声量と高音の安定感は、ここ1年ぐらいで一気に凄みを増してきています。ここ最近、シングル「まっすぐ」以降は、声量と高音の安定感に加えて、表現力も深みを増しています。

 「春の嵐」での歌唱も、言葉が無くても、声だけで伝えられるのでは、とさえ感じさせます。歌い出しの真山さんパートに、この曲の良さが凝縮されていて、ただ直線的に激情を歌うのではなく、0:24あたりからの「紐を解いて」の部分の歌い方のように、力を込めるのではなく、力を抜いて裏声を出すような歌い方が、表現に一段と深みを与えています。

 ただ、熱いだけでなく、冷たさも同時に感じさせる歌い方です。「春の嵐」というのは、歌詞の中の語り手の心情をあらわしていますが、「夏の嵐」でも「冬の吹雪」でもなく、「春の嵐」と表現される心情がどのようなものであるのか、歌詞がなくとも、歌声だけでその意味が伝わってくるようです。

11. フォーエバー中坊

 アルバムのラストを飾る1曲。ヒャダインこと前山田健一さんの作詞・作曲。この曲に関しては、メンバーを名字表記ではなく、愛称も使用させていただきます。エビ中に馴染みのない方は、読みにくくなるかもしれませんが、何卒ご了承ください。

 アルバムを通して、初めて歌詞に「エビ中」が出てきて、このアルバムがエビ中の作品であることが前景化されます。音楽的にも過去の楽曲のメロディーやネタが散りばめられ、歌詞と合わせて、曲のテーマが「エビ中であること」にフォーカスされている楽曲です。

 いわばエビ中がエビ中について、過去のネタも利用・回収しながら歌う、メタフィクション的な楽曲です。最後をこの曲でしめくくる事で、アルバムの世界から、現実世界への帰還を感じさせます。

 ここまで、短編小説集のような、オムニバス映画のような、様々な世界観を持つ各曲で、素晴らしい表現力を見せてきたエビ中が、この曲で素に戻ってきます。

 僕は、歌い出しの「エビ中やってて ほんとに良かったなあ」の歌詞と、ディレイがかかって繰り返される彩ちゃんの「はい!」の時点で泣けます。

 この「俺たちのエビ中が帰ってきた!」感が最高到達点に達するのは、もちろん3:35あたりからの、りったんの絶叫「そうすればケンカも争いも戦争も無くなるんじゃい!!!」ですね。ここはエビ中ファミリーなら涙が溢れてしまうポイントでしょう。

 音楽的には、過去のエビ中の曲や、全く別の曲やジャンルのネタを特盛りに盛りまくった、目が回るほど楽しい曲です。おもちゃ箱をひっくり返したように、次から次へと予測不能に、なんだか分からないけど楽しい音が飛び出してくる楽曲。エビ中を知らない人でも楽しめるはず。

 ひとつ例を挙げると、2:16あたりから、歌詞でいうと「走れエビ中 疲れたら バスを使おう」から、いきなりメンバー全員がユニゾンで、ロシア民謡「トロイカ」のメロディーを歌い始めます。ライブで初めて聴いたとき、衝撃的過ぎて吹き出してしまいました。前山田さん、おかしい。前山田さん、(いい意味で)マジで頭おかしい。

 自分も学生時代に音楽をやっていた身として、どこがどうなったらこんなアイデアが降りてくるのか全く想像がつきません。

 「フォーエバー中坊」というタイトルに加えて、歌詞には「思春期は とわに続くもの」「何歳からが 大人とか まあどうでもいいじゃん」などの言葉が散りばめられ、リアル中学生の1人もいなくなったエビ中の、力強い永遠に中学生宣言のように響きます。

 また、アルバム全体を通して、悩みや葛藤も含めた様々な感情が歌われていますが、ラストに配置されたこの曲が、そういった歌詞に対するアンサーソングのようにも聞こえます。

アルバム全体のまとめ

 1曲目「ゑびすとてたまわんせむ」と2曲目「制服”報連相”ファンク」で、リスナーをアルバムの世界観へ引き込み、3曲目から10曲目まで色とりどりの楽曲が並び、ラストの「フォーエバー中坊」で、アルバム世界から現実世界へ引き戻す、というのがアルバムの大枠です。

 それぞれの楽曲が描く世界観や感情は共通点が無いように見えて、誰もが持つ中学生的な要素、中学生性を歌う、という点では共通しているように思います。大人になってから思春期な幼さを見せることが、最近では「中二病」と呼ばれ、蔑まれる傾向にあります。

 しかし、大人になってからも、みずみずしい感性を持ち続けることの良さ、ポジティブな面に光を当てた作品であり、「永遠に中学生」というテーマが、通奏低音のようにアルバムを通して表現されています。「永遠に中学生」というのは、中学生的な感受性や素直さを忘れずに持ち続けよう、という意味です。

松野莉奈さんについて

 ここまで敢えて触れてきませんでしたが、2017年2月に、メンバーの松野莉奈さんが急逝するという悲しい出来事がありました。エビクラシーには、具体的に松野さんのことを歌った曲や、わかりやすいお涙ちょうだい的な曲は入っていません。

 しかし、メンバーも一部の作家陣も、それぞれが、それぞれの思いを持ち寄ってできあがった作品であるのは確かで、リスナーも自分のペースで松野さんを思い浮かべながら聴けるようになっています。どこまで読み込むのかは、本当に自由で、聴き手がそれぞれアルバムの中に松野さんの場所・存在を見出していい、それが可能なアルバムです。

 困難が解消されていくのは、昔から物語進行の基本です。昔話でも、漫画でも、ハリウッド映画でも、多くの物語では、お姫様がさらわれたり、地球が危機に陥ったり、困難な状況を打破しようとする力が、物語を前進させていきます。

 音楽におけるコード進行も同様で、不安定なドミナント・コードが、安定したトニック・コードに解決しようとする力が、音楽を前に進めていきます。

 このエビクラシーも、松野さんの不在を乗り越えようとする、物語を進めようとひたむきに前を向く7人と松野さんのアルバムだと思っています。特に7曲目「なないろ」には、そうした思いが溢れんばかりに感じられます。

最後に

 アイドルはなんとなく聴かないっていう方や、ロックしか聴きません、という人にも聴いてみてもらいたいなと思います。自作自演のロックバンドもいいですが、どっちが上でどっちが下という話ではなく、分業制のアイドルにはアイドルにしか無い良さがあります。

 曲は作らないし、アルバム全体のコンセプトの原案を本人たちが考えることはなくても、「歌手」として歌うこと、ライブではダンスやトークや立ち振る舞いも含めたパフォーマンスに専念することで、違ったメリットが必ずあります。

 特にエビ中はここ最近、歌手・表現者としてのクオリティーが本当に向上してきているので。音楽を好きな人にこそ聴いていただきたいアルバムです。

 こんな長文を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。「フォーエバー中坊」の歌詞に「人類 皆 私立恵比寿中学」という一節があります。校門は常に開かれていますので、興味を持った方は、ぜひエビクラシーを聴いてみてください!

 




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