椎名林檎と宮本浩次「獣ゆく細道」歌詞の意味考察 人のなかにある獣


目次
イントロダクション
独白的な構造
この世は無情
タイトルの意味
あたまとからだ
本性は獣
はじめての道
正体は獣
曲のテーマ
結論・まとめ

イントロダクション

 「獣ゆく細道」は、シンガーソングライターの椎名林檎と、エレファントカシマシのボーカリスト宮本浩次による楽曲。2018年10月2日に、デジタル配信限定でリリース。作詞作曲は椎名林檎。

 椎名林檎さんと宮本浩次さん! 非常に個性的で、才能あふれるお二方のコラボレーションです。

 僕はファンクラブに入るぐらい、エレファントカシマシが好きなので、この一報を聞いたときには驚き、喜びました。

 作詞作曲を手がけるのは、椎名林檎さん。なのですが、エレカシの世界観とまったく同じというわけではないけど、宮本さんの音域、ボーカリストとしての表現力に、ぴったりと合った曲です。

 林檎さんも、宮本さんを想定して曲を作ったのだと思いますが、2人の才能の共鳴が感じられる、すばらしい楽曲となっています。

 今日とりあげたいのは、この曲の歌詞について。旧仮名遣いが使われ、「獣ゆく細道」というタイトルからも、クラシカルな雰囲気が漂いますが、歌詞の内容も文学的。

 「文学的」とだけ書くと、あまりにも曖昧ですけど、具体的には人間を「獣」に見立てて、その生き様を描いているんです。

 というわけで、今日は「獣ゆく細道」の歌詞を、考察してみたいと思います。

 歌詞は、ユニバーサルミュージックの特設サイトに掲載されているのですが、Aメロ、Bメロ、サビといったように、分けられるのでなく、流れるように記載されています。

 適宜、部分的に引用しながら、考察をすすめます。

独白的な構造

 ポップ・ミュージックの歌詞には、人間関係やストーリーを描いたものが少なくありません。

 しかし、この曲には「僕」や「私」といった代名詞は出てきません。具体的なストーリーも存在しません。

 その代わりに、語り手によって、独白的に言葉がはじき出されていきます。言うなれば、語り手の思想こそが内容のすべて。

 メッセージ性の強い歌詞とも言えます。前述したとおり、この曲が描き出すのは、人間の姿。

 では、順番に歌詞を確認していきましょう。

この世は無情

 まずはイントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

この世は無情 皆んな分つてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐる

 旧仮名遣いに、ちょっとひるんでしまいますが、一言目から結論が書かれ、力強い歌詞です。

 一言目の「この世は無情」。これが、この曲のテーマと仮定して、歌詞を読みすすめていきましょう。

 「無情」というのは、字面のとおり、情けが無い、厳しいということですね。つまり1行目をまとめると、この世界は無情だと、みんながわかっている、ということ。

 2行目以降は、その無情さがどのようなものであるのか、より詳しく記述されています。

 2行目と3行目をまとめると、流れゆく時間のなかで、人はみな右往左往している。つまり、人には止めることのできない、時間の無情さを記述しています。

タイトルの意味

 この曲のタイトルは「獣ゆく細道」。先述したとおり、「獣」はこの世に生きる人間をあらわしているのだと、考えています。

 では「細道」が意味するものはなにか。結論から言うと、人生そのものをあらわしている、というのが僕の仮説です。

 「人生は旅路」といった言い回しもありますが、しばしば人生は道に例えられます。この曲においても、長い人生を道に例えているということ。

 そのため、イントロ部分では、止めることのできない流れゆく時間を、まず「無情」だと宣言したのではないでしょうか。

 「細道」は、読んで字のごとく、幅の狭い道を意味します。なぜ「獣ゆく道」ではなく、「獣ゆく細道」としたのか。

 その理由もまた、人生の無情さを強調するためだと思います。人生は道であるけれども、そこは細く、選択肢も有限である。そのような意味を「細道」という言葉に込めたのではないでしょうか。

 ただ、この曲は人生の無情さを歌うだけでなく、そんな無情な世界を生きる人間の力強さも、描き出しています。人を「獣」に置き換えているのは、道を飼いならされて歩くのではなく、力強く進む姿をあらわしているのでしょう。

 それでは、ここで確認したことを踏まえて、歌詞のつづきを考察していきましょう。

あたまとからだ

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

いつも通り お決まりの道に潜むでゐるあきのよる
着膨れして生き乍ら死んぢやあゐまいかとふと訝る

 1行目に、タイトルにも含まれている「道」というワードが出てきました。しかし、ここでは人生をあらわしているわけでなはく、もっと狭い範囲の意味。いつも通りになんとなく過ごしている様子を「道」と言っているのでしょう。

 2行目の「着膨れして」とは、身分やステータスを重視することを、意味しているのだと考えます。性格や価値観よりも、表層的なステータスを重視する現代社会を、風刺しているのではないでしょうか。

 2行目全体をまとめると「うわべばかり気にして、死んでいるように生きていないかと、ふと疑ってみる」といった意味でしょう。

 つづいて、1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

飼馴らしてゐるやうで飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を あたまとからだ、丸で食ひ違ふ
人間たる前の単に率直な感度を頼つてゐたいと思ふ

 上記Bメロの歌詞は、Aメロの歌詞を、さらに発展させた内容と言えます。Aメロでは価値観について記述され、最後は「ふと訝る」と疑問で終わっていました。

 Bメロでは、その疑問にこたえるように、語り手は自分自身の現状へと、切り込んでいきます。

 1行目から2行目前半は、自分自身の才能を飼いならしているようで、実は飼い殺しているのではないか、と疑問を呈する内容。

 Aメロの内容を考慮にいれると、うわべの評価を気にしすぎるあまり、自分の本当の能力を消してしまっているのではないか、ということでしょう。

 2行目のその後につづく「あたまとからだ、丸で食ひ違ふ」は、社会がもとめる価値観を頭で理解してしても、自分の感情がもとめるものとはまったく食い違う、という意味。

 「あたまとからだ」とは、「理性と感情」と言い換えても良いかもしれません。

 1番AメロとBメロの歌詞では、語り手の価値観および感情と、社会がもとめる価値観との相違が、描写されています。

本性は獣

 サビに入ると、今度は人間の本性について語られます。1番サビの歌詞を、以下に引用します。

さう本性は獣 丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所 大自然としていざ行かう

 1行目の「さう本性は獣」は、メロディー的にはサビのはじまりと言うより、Bメロの最後に位置しています。

 「さう本性は獣」とは、人間の本性は獣のようなもの。意味を補って訳すと、人間は理性を持っているが、動物的な衝動もまた持っている、ということでしょう。

 その後につづく「丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ」とは、社会的な価値観の基準にとらわれず、自分の思うように突っ走ろう、ということ。

 2行目の「こと切れる」とは、息が絶える、亡くなるという意味。そのため2行目全体では「命が終わるときまで、感情のままに生きよう」といった感じの意味になります。

 ここまで1番の歌詞では、社会にはいろいろな制約もあるが、自分の確固たる価値観を無くさずに生きよう!という、力強いメッセージが綴られています。

はじめての道

 1番の歌詞では、主に社会と自分、自分のあたまとからだの対立が描かれていました。

 2番に入ると、今度はより内省的な視点へと変わります。2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

そつと立ち入るはじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて安心してゐた昨日に恥ぢ入る

 1行目の「はじめての道」は、なにか新しい挑戦をする、新しい状況に身を置く、ぐらいの意味でしょう。

 2行目は、新たな環境のなかで、目立たぬよう周囲に合わせていたが、それを恥じている、という内容。

 「昨日」とありますが、文字どおりの昨日というよりも、もうすこし広い意味で、まわりに合わせていた自分の過去を指しているのでしょう。

 その後につづく、2番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

気遣つてゐるやうで気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
自己犠牲の振りして 御為倒しか、とんだかまとゝ
謙遜する前の単に率直な態度を誇つてゐたいと思ふ

 1行目は、Aメロの歌詞を考慮にいれて解釈すると、まわりを気づかっているようで、その態度によって、逆にまわりに気をつかわせている、あるいは向こうも自ずと気遣っている、そんな状況はいやだということでしょう。

 2行目も、1行目と共通する内容。「御為倒し」とは、「表面はいかにも相手のためであるかのようにいつわって、実際は自分の利益をはかること」という意味。

 「かまとゝ」(かまとと)とは、「知っているくせに知らないふりをすること」という意味です。

 以上の言葉の意味を踏まえて、2行目をまとめると、他者のために行動するふりをして、本当は自分の利益を考えている、ということです。

 3行目は、謙遜する態度よりも、もっと感情に基づいた態度を大切にしたい、ということ。

 前述のとおり1番の歌詞では、自分と社会の価値観の対立を描いていました。しかし、2番に入ると、自分の行動を見つめていることが、ここまでの考察でわかると思います。

 打算的な考え方を否定していますし、より人間の深いところに、切れ込んでいるとも言えるでしょう。

正体は獣

 心の深いところを覗き込む2番の歌詞。では、サビではどう展開するのか。

 2番サビの歌詞を、以下に引用します。

さう正体は獣 悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て
孤独とは言ひ換えりやあ自由 黙つて遠くへ行かう

 1番サビと同じく、まず「さう正体は獣」と、人間にも動物的なところはあるという宣言から始まります。

 「悴む」(かじかむ)とは、手が凍えて動きにくくなること。つまり「悴むだ命」とは、いろいろな困難によって、不自由になった命、あるいは人生という意味でしょう。

 「悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て」を意訳すると、いくら人生が凍えるような困難だったとしても、成し遂げた結果だけが重要、ということです。

 2行目は、この曲の歌詞のなかでは、比較的わかりやすい内容。文字どおりに読んでいくだけで大丈夫です。

 「孤独とは言ひ換えりやあ自由」は、解釈は迷いようがありません。しかし、より深く意味をとるなら、孤独は自由なんだから気にするな、というポジティヴなメッセージも含まれていると、考えられるでしょう。

 その後につづく「黙つて遠くへ行かう」は、孤独を気にせず、あるいは孤独に負けずに、先へ向かおうという意味です。

 1番サビでは、社会に屈せず獣のように生きよう!という力強いメッセージが記述されていました。それに対して2番サビは、おなじ獣というワードを使いながらも、伝わるメッセージは大きく異なります。

 前述のとおり、1番では社会の価値観にときにはあがなう、激しい存在として「獣」が使われていました。しかし2番では、人間のような社会的な存在ではなく、ひとつの独立した存在として「獣」が使われています。

 「人間」というワードは、「人の間」と書くところからも示唆されるとおり、それ自体に社会的な存在という意味合いが含まれています。

 2番サビでは、そのような社会的な生き物としての人ではなく、独立した存在としての人にフォーカスするため、「獣」がキーワードとして象徴的に使われている、というのが僕の仮説です。

 社会で生きる存在ではなく、感情をともなった自由な存在。そのような、人の一面にフォーカスするため、まわりに合わせることや孤独について、2番では歌われてきたのではないでしょうか。

曲のテーマ

 それでは、この曲がもっとも訴えたいことは何なのか。のこりの歌詞を確認しながら、検討していきましょう。

 2番サビ後に挿入されるCメロの歌詞を、以下に引用します。

本物か贋物かなんて無意味 能書きはまう結構です
幸か不幸かさへも勝敗さへも当人だけに意味が有る

 こちらも、この曲の歌詞のなかでは、わかりやすい部分と言えるでしょう。本物かニセモノか、幸か不幸か、そうした基準はすべて自分自身で決めればいい、という内容。

 言い換えれば、他人や社会の基準は気にしなくていい、ということです。

 間奏を挟んだあと、曲のラスト部分となるサビの歌詞を、以下に引用します。

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ
かなしみが覆ひ被さらうと抱きかゝへて行くまでさ
借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ
さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ

 順番に、ざっと解釈していきましょう。

 1行目は「わずかひとつばかりの命、どうせなら使い果たしましょう」。

 2行目は「もし悲しみが訪れても、抱きかかえて行けばいいのさ」。

 3行目は「借り物の命だけれど、厚かましいほど使い込んで返そう」。

 4行目は「飽くことなく人生を追求し、笑い飛ばそう。誰も通れないような自分の道をいこう」。

 補足が必要なところを、いくつか説明します。

 3行目の「借りものゝ命」は、この曲のテーマとも繋がるキーワード。この一節からは、語り手が「命」は一時的なものだと捉えていることが分かります。

 今、生きている姿は一時的なもので、やがて亡くなると宇宙や永遠に還る、そしてまた生まれ変わる、という仏教的な死生観とも繋がります。

 4行目の「誰も通れぬ程狭き道をゆけ」を、さきほどは「誰も通れないような自分の道をいこう」と訳しました。

 もうすこし説明すると、「道」というのは生き方や、人生そのものをあらわす、広い意味で使われていると考えられます。

 だから「誰も通れぬ程狭き道」とは、ほかの誰とも違う自分だけの生き方という意味。4行目後半をさらにカジュアルに訳すと、誰も真似できないほどオリジナルな、自分だけの行き方を貫こう、ということです。

 以上、これで歌詞のすべてを確認しました。人生の生き方が、この曲のテーマだと、明確になったのではないかと思います。

結論・まとめ

 結論に入りましょう。

 「獣ゆく細道」というタイトルがしめすとおり、この曲では人間を「獣」、人生を「細道」に例え、自分らしく人生を生きることを歌っています。

 そのメッセージは力強く、同時に内省的。「獣」という言葉を使ったのは、獣のように荒々しく、常識にとらわれずに生きること。そして、社会的な存在ではなく、独立した存在としての自分を見つめ直すこと。このふたつの意味を込めるためです。

 あんまり安直にこういう言葉は使いたくないのですが、こういう曲こそ「文学的」であると、声を大にして言いたいです。

 冒頭にも書いたとおり、僕はエレファントカシマシが大好きで、宮本さんのことも定期的に好きで好きでしょうがない時期が訪れるほど大好き!

 そんな宮本さんが、椎名林檎さんと共演するということで、ものすごくハードルを上げて期待していたのですが、想定をはるかに超える完成度の1曲です。これは自信を持って言えます!

 歌詞は旧仮名遣いが多く、ちょっと難解だなと思う方もいらっしゃるかと思います。このページが、すこしでもこの楽曲を楽しむうえで役に立ったなら、これ以上に嬉しいことはありません。

 本当にすばらしい曲ですので、じっくりと世界観にひたりながら、聴いてみてください。

 




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DAOKO×米津玄師「打上花火」歌詞の意味考察 語り手の視線がつなぐ過去と現在


目次
イントロダクション
設定確認
語り手の視線
視線の向きはなにを示すか?
結論・まとめ

イントロダクション

 「打上花火」は、東京都出身のシンガーソングライター、DAOKOの2017年8月16日リリースの3rdシングル。

 作詞作曲は米津玄師。楽曲のプロュースとデュエットも米津玄師がつとめ、クレジットは「DAOKO×米津玄師」名義になっています。

 アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』主題歌。

 一言では言語化できない感情。そういう繊細な気持ちをあらわせるところが、音楽の魅力のひとつだと思うんですが、この「打上花火」もまさにそういった曲。

 淡い恋心が、刹那的な打上花火に照らし合わせ、語られています。

 言葉の使い方だけでなく、この曲の歌詞で巧妙なのは、視線の描き方。打上花火は基本的には上を見上げてみるものですけど、対比的に足元に視線を落とす描写も出てくるんです。

 というわけで、視線の行き先に注目しながら、この曲の歌詞を考察してみたいと思います。

設定確認

 まずは、登場人物や場所などの設定を確認しましょう。

 出てくるのは、語り手と「君」の2人。語り手が、過去に「君」といっしょに海で花火を見ていたときのことを、思い出しているのが歌詞の内容です。

 語り手は「僕」や「私」といった、代名詞を使いません。

 前述したとおり、この曲はDAOKOと米津玄師によるデュエット。そのため、途中で語り手が切り替わっているとも解釈できそうなのですが、ここでは語り手は固定のものとして、話をすすめます。

 語り手と「君」が、恋人関係なのか、あるいは片思いなのかはハッキリしませんが、「君」への思いが綴られていきます。

語り手の視線

 語り手がつづる「君」への思いが、歌詞の内容。

 淡い恋心らしきものが描写され、それ自体は歌のテーマとして、めずらしいものではありません。この曲で注目すべきか、語り手の視線。

 上を見るのか、下を見るのか、視線の動きがわかるように記述されているんです。

 例えば、歌い出しとなる1番のAメロ。ここでも早速、視線の向きをしめす言葉が綴られています。

 以下に引用します。

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿

 1行目では「見渡した渚」とあるので、海全体を見渡したのでしょう。レンジの広い視線と言えます。

 それに対して2行目では、より焦点が絞られています。

 「砂の上に刻んだ言葉」というのは、2人で砂浜になにか言葉を書きこんだのでしょう。視線は下を向いています。

 その後につづく「君の後ろ姿」。「君」の位置がわからないので確定はできませんが、砂浜を見るよりは、視線が上にあると考えられます。

 あるいは、言葉を刻んだ砂浜のそのさきに、「君」が立っているのかもしれません。

 いずれにしても、視線の動きが情報として盛り込まれています。

 そのあとのBメロでも、視線の動きを示唆する内容がつづきます。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く

 上記の引用部では、視線が足元に向かっているのかは分かりません。しかし、注意が足元の波に向かっているのは確かです。

 2行目に「夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く」とあるので、視線自体はぼんやりと目の前を見つめているのかもしれません。

 少なくとも、特定のなにかを凝視しているわけではないと考えられます。

 1番AメロとBメロの内容をまとめると、語り手は「君」といっしょに海にいたことを思い出しています。

 その際に、視線は渚、君の後ろ姿、日暮れへと移動。足元あるいは、その場全体を見渡していることが、分かりました。

 サビに入ると、タイトルにも入っている「花火」というワードが登場。

 1番サビの歌詞を、以下に引用します。

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

 語り手が見ているのは、打上花火。ということは、はっきりとは名言されませんが、視線は上を向いていると考えられます。

 あるいは海辺で花火を見ている状況なので、わざわざ意識的に視線を上に向けなくとも、自然に目に入るのかもしれません。

視線の向きはなにを示すか?

 さて、ここまで視線に注目しながら、歌詞を確認してきました。

 では、視線を描写することで、なにを意味しているのか。歌詞のなかで、、どう機能しているのか。検討してみましょう。

 「足元」や「花火」といった、視線の方向性を感じさせる言葉が、散りばめられていたのは事実。しかし、いずれの表現も、はっきりと焦点を合わせているのかは不明です。

 唯一、語り手が意識的に見ていると思われるのが「君の後ろ姿」。そもそも語り手は「君」のことを思い出しているわけで、これは当然とも言えるでしょう。

 この曲では、語り手が過去をふり返っています。そして、その過去の中心にいるのは「君」。

 過去をふり返ることを、写実的にあらわすため、視線の先にある情報が、断片的に示されている、というのが僕の考えです。

 あくまで、語り手が思い出しているのは「君」。そして、「君」といっしょにいた海、いっしょに見た花火を、順番にそのときの視点にそって、ふり返っているんです。

 「あの日見渡した渚」「砂の上に刻んだ言葉」など、視線の向きをあらわす描写が続くのはそのため。

 そのときに見た風景を、映像的に言葉にあらわしているのではないかと思います。

 2番に入ると、焦点はハッキリと「君」へと向けられます。2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音

 上記の引用部では、風景ではなく、「君」の言葉と、語り手の心情が語られています。

 1番では過去の風景を映像的にあらわし、2番に入ると本題である「君」への描写にうつる。歌詞は、そのような流れで構成されています。

 語り手の視線が、過去に「君」に抱いていた感情と、今でも「君」を思っている感情を、つないでいるとも言えます。

 感情を呼び起こすためのトリガーとして、当時の視線をとおして、過去の風景を写実的に語っているのだと、僕は解釈します。

結論・まとめ

 「目は口ほどに物を言う」という言葉がありますけど、この曲の歌詞では、語り手の視線の動きが、過去と感情をつなぐキーになっている、というのが僕の出した結論。

 歌詞の内容としては、語り手が「君」にまつわる感情を語っているのですが、写実的に描くことで、格段にリアリティを獲得しているのではないでしょうか。

 また、タイトルにもなっている「打上花火」。歌詞のなかで、2人はいっしょに花火を見ているわけですけど、夏の空に消えていく花火の刹那感が、過去の恋の切なさともリンクしていて、ますます表現が立体的になっています。

 具体的な風景を描きながら、抽象的な感情も、同時に描きだしている。この曲の歌詞の面白さは、そこにあると思います。

 ぜひ、映画を見るような気分で、イマジネーションを全開にしながら、この曲を聴いてみてください。

 




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2018 年間ベストアルバム10 チャットモンチーとアイドルの10枚


イントロダクション

 文章を書くのは好きなのですが、今までこの手の記事を書いたことはありませんでした。

 でも、Twitterやブログで、音楽好きの皆さんが年間ベストを挙げているのを見て、「俺も書きたい!」との思いが沸点に達したので、初めて書いてみます。

 2018年の年間ベストアルバムです。選んだのは10作。聴いた音楽が偏っているので、ここで選んだのは邦楽のみ。

 洋楽は30作品ぐらい選んで、別記事にて書こうと思っています。

 基本的には、2018年にリリースされたスタジオ・フル・アルバムを選んでいますが、1作だけミニアルバムも入ってます。

 結果的に選んだのは、チャットモンチーが1枚、残りの9枚はいわゆるアイドル・グループの作品です。

 ということで、記事のタイトルのとおりなのですが「チャットモンチーとアイドルの10枚」となりました。

 なにを選んだか、結果だけ見たい方は、この下の目次のみご覧ください。10作品を確認できます。

 なぜチャットモンチーが1位なのか、どうしてそれ以外はアイドルばかりなのか、評価の基準はなにか。そのあたりの理由を「レビュー方針」にまとめてあります。

 そのあとに1作ごとのコメント、さらに総評をまとめたので、そちらもお読みいただけると嬉しいです。

目次
レビュー方針
なぜアイドルとチャットモンチーか?
10 アイドルネッサンス『アイドルネッサンス』
9 桜エビ~ず『sakuraebis』
8 代代代『むだい』
7 lyrical school『WORLD’S END』
6 amiinA『Discovery』
5 けやき坂46『走り出す瞬間』
4 Negicco『MY COLOR』
3 ヤなことそっとミュート『MIRRORS』
2 Maison book girl『yume』
1 チャットモンチー『誕生』
総評

レビュー方針

 なぜこの作品を、どのような基準で選んだのか。最初にレビュー方針を説明させていただきます。

 まず、もっとも基本的な前提として、僕が好きなアルバムを選びました。当たり前といえば、当たり前ですね。

 例えば、rockin’onやPitchforkだったりっていう名のあるメディアの場合は、そのメディアの色を出しつつも、一般的に認知された名作を、選ばざるをえないと思うんです。

 一定以上の規模のメディアになると、ある程度は世論をうつし、みんなが好きな(あるいはそのメディアの読者が好きな)アルバムの近似値をとっていくような作業になるよなと。

 ただ、僕のような名もなき個人が選ぶベストアルバムは、逆に好みが寄っていた方が、情報として価値があると考えています。

 個人の好みの総体が、大手メディアや世論によって作られる、客観的なベストアルバムになる、ということです。つまり、個人的なベストアルバムは、主観的であればあるほど良いんじゃないかなと。

 では、どういう基準で選んでいくのか。自分が好きなアルバムを選ぶのは、先述したとおりですが、ある程度は基準らしきものを作りました。

 ある作品は歌詞が良いから選び、ある作品はリズム構造が革新的だから、また別の作品はメロディーが保守的で好きだから、というランキングも悪くはないのですが、僕は論理的な批評が好きなんです。

 上記のような基準でアルバムを選ぶのは、ラーメンも寿司もケーキもフランス料理も駄菓子も、とにかく今年食べたうまいものを順番に並べました!って感じで、あまりにも雑多。

 くりかえしになりますが、そういう個人のランキングも、魅力的なものであるとは思います。ただ、僕はちょっと違ったコンセプトで書きたい、というだけです。

 というわけで、おもいっきり個人的に、自分のコンセプトに沿って、10作を選びました。

なぜアイドルとチャットモンチーか?

 ここからは、具体的な選考基準のご説明。

 まず、最初に考えたのは、なにを1位にするべきか。これはすんなりとチャットモンチーの『誕生』に決まりました。

 理由は、僕がとにかくチャットモンチーが好きだから、というのが一番ですが、2018年という時代において、十分に革新性と大衆性を両立していると思うからです。

 1位が決まりました。次に考えたのは、それ以外のアルバムをどのような基準で選ぶのか。

 言い換えれば、チャットモンチー『誕生』を1位にするならば、どのような基準でランキングを作るべきか、ということ。このランキングは『誕生』を1位にするためのものとも言えます。

 僕が重視したのは、革新性と大衆性のバランス。

 商品として流通するポップ・ミュージックは、多くのリスナーに気に入られることを目指しています。

 もちろん、音楽性を重視し、売れることよりも、自分の音楽を追求するバンドやシンガーもいるでしょう。チャットモンチーも、まさにそのようなバンドだと思います。

 でも、CDやダウンロードで販売される音楽は、少なくとも売れないよりは、売れたほうが良いと考えられているということです。

 ただ、ベタだと売れるかもしれないけど退屈だし、かといって実験的すぎると売れない。ポップ・ミュージックは、この革新性と大衆性のバランスが面白いと思うんです。

 そして、このバランス感覚の振れ幅が大きいのが、いわゆるアイドル・グループ。

 語弊を恐れずに言えば、アイドルはバンドやシンガーソングライター以上に、売れることに意欲的。いわば即物的とも言えます。

 そのため、もちろん保守的なポップスを下敷きにしているグループも多いのですが、すこしだけ実験的であったり、意外なジャンルの要素を持ち合わせていたりと、前述のバランス感覚が絶妙なんです。

 ということで、ポップでありながら、革新的な魅力も持ち合わせている。そんな10作を選びました。

 作品によって、保守的なポップスをアップデートしたネオ歌謡曲であったり、変拍子と転調の嵐なのにポップスとしても成立していたりと、そのバランス感覚はさまざま。

 結果として、2018年という時代において、どのぐらい実験的でもポップだと認められるか。ポップの基準のようなものを、ぼんやりとでも示すことができればと考えています。

 では、10位から1位まで、選考理由とともに順番に発表します!

10 アイドルネッサンス『アイドルネッサンス』

 残念ながら、2018年2月24日をもって解散したアイドルネッサンス。

 セルフ・タイトルとなる本作『アイドルネッサンス』は、解散後の5月4日にリリースされた、彼女たちのラストアルバムです。

 これまでにリリースした全ての音源が収められたアルバムのため、オリジナル・アルバムとは呼びがたいのですが、現在のアイドル・シーンの一面を、象徴していると思うので選びました。

 「アイドルネッサンス」という名が示唆するとおり、「名曲ルネッサンス」をテーマにしたグループ。大江千里からthe pillows、KANA-BOONまで、古今東西のさまざまな楽曲を、モダンなアイドル・ソングにアレンジし、カバーしています。

 過去の焼き直しといえばそうなんですけど、メロディーは名曲から借り、アレンジメントやサウンド、ダンスや歌唱で変化をつけるというのは、ありそうでなかった方法論。

 例えばPerfumeやBABYMETALが、アイドル・グループのフォーマットを利用しつつ、それぞれテクノとメタルでクオリティを追求するのとは、まったく逆の発想とも言えます。

 「ポップとはなにか?」「時代性とはなにか?」も考えさられました。

9 桜エビ~ず『sakuraebis』

 スターダストプロモーション所属、私立恵比寿中学の妹グループ的な存在として活動する、桜エビ~ずの1stアルバム。

 スタダ所属のアイドルというと、前述のエビ中をはじめ、ももクロやTEAM SHACHIなど、ロックな要素を持っていたり、変化球のねじれたポップ感覚を持っているのが特徴。

 でも桜エビ~ずは、ストレートないい曲を揃えた、スタダでは異端なグループと言えます。

 ただ、1曲目「僕らのハジマリ」のエレキギターの使い方、5曲目「オスグッド・コミュニケーション」の前のめりのリズムとシンセの使い方など、スタダらしい飛び道具的なエッセンスもあり。

 48Gや坂道とは一風変わった、モダン歌謡曲路線のアルバム。

8 代代代『むだい』

 今回選んだ10作のなかで、唯一のミニアルバムです。

 オルタナティヴ・ロックやポストロックなど、従来のアイドル・ポップからは離れた音楽性をもったグループも、最近は珍しくありません。

 代代代(だいだいだい)も、そんなグループのひとつ。「SOLID CHAOS POP」というジャンル名を掲げる彼女たち。

 音楽性はハードコアテクノ的なサウンドを基調としていますが、驚くのは曲によってノイズ・ロックを彷彿とさせるほど、実験的であるところ。

 例えば、2曲目「凶ぺ」にはいわゆるコード進行がなく、電子ノイズが鳴り響く、無調性の楽曲。

 7曲目「歪んだ歪み、歪んだ歪み」は、電子的な持続音が鳴るなか、ボーカルのメロディーが奥の方から聞こえる、音響が前景化した1曲。

 しかも、ただの糞ノイズってわけじゃなくて、いずれの曲も歌入りのポップソングとして、ギリギリ成り立っているところがまた面白いです。

7 lyrical school『WORLD’S END』

 ヒップホップアイドルユニット、lyrical schoolの4thアルバム。

 ブラック・ミュージックを取りこんだJ-POPって、どうしてもリズムやバック・トラックは借り物で、メロディーは歌謡曲というバランスになりがち。

 しかも、リズム構造にしても、ちょっと時代遅れだということが、少なくありません。

 でも、lyrical schoolの『WORLD’S END』は、思いのほかリズムが現代的。2010年代以降のアメリカのヒップホップに通じるリズムを持っています。

 さらに、その上に乗るラップも、良い意味で日本語をいかした引っかかりとメロディー感があり、これぞ日本のヒップホップ!と呼べるクオリティを、備えていると思います。

 ラップのリズムも声質も、狙いすぎずにスムースなところが良い!

6 amiinA『Discovery』

 北欧のポストロックを連想させる、壮大で清潔感のあるトラックに、少女感のある等身大のボーカルが重なるamiinA。

 おそらく狙っているんでしょうが、地声でさりげなく歌っている雰囲気が、わらべ歌のようにも響き、幻想的な世界観を演出しています。

 荘厳なポストロックと、NHKみんなのうたが融合したようなバランス。

 「ポストロック」と一口に言っても、あまりにも範囲が広すぎますが、彼女たちの特徴は、アコースティック楽器をいかし、フォーク・ミュージックを彷彿とさせるところ。

 Sigur Rósを思わせる躍動感もあります。

5 けやき坂46『走り出す瞬間』

 乃木坂46、欅坂46につづく坂道シリーズ、けやき坂46の1stアルバム。

 秋元康がプロデュースする48Gおよび坂道シリーズは、音楽としては保守的で、良くも悪くも歌謡曲の延長線上にあると言えます。

 けやき坂46も例外ではなく、2018年において珍しいぐらい、王道のアイドル・ポップ。

 しかしながら、アイドル歌謡的なジャンルから、離れる傾向の強いアイドル・シーン。王道のポップスが、逆にカウンターとして機能していると思えるのが、本作『走り出す瞬間』です。

 ほかの秋元グループの楽曲には、中途半端に他ジャンルを参照したものも散見されるんですが、ストレートなモダン歌謡曲を、ブレずに作ればいいのになと思います。

4 Negicco『MY COLOR』

 新潟を拠点に活動するアイドルグループ、Negicco4作目のスタジオ・アルバム。

 多彩な作家陣による楽曲を収めながら、Negiccoの確固とした世界観があり、すべてが極上のポップスとして仕上がっています。

 ものすごく耳なじみがいいのに、どの曲もわずかに革新性や違和感をふくみ、ポップの範囲を拡大するようなアルバム。ポップスはこう作れ!というお手本のような作品です。

 例えば1曲目の「Never Ending Story」では、ポリリズムというほど複雑ではないけど、ドラムが立体的にリズムを刻み、独特の揺らぎを生み出しています。

 堂島孝平プロデュースの4曲目「愛、かましたいの」は、一聴するとカラフルなポップスですが、下品に歪んだギターだったり、キュートなシンセだったり、オモチャ箱のように多様なサウンドが詰め込まれた1曲。

 13曲目「15」(いちご)は、リズムを刻む電子音と、3人のメンバーのボーカルが、中空をはずむように飛びかう1曲。Negicco風のEDMとでも言いたくなります。

3 ヤなことそっとミュート『MIRRORS』

 オルタナティブ・ロックを基調とした音楽性をもつアイドルグループ、ヤなことそっとミュートの2ndアルバム。

 音圧の高いディストーション・ギターを多用し、曲によっては歌よりもギターが前景化するぐらい、激しいサウンドを特徴としています。

 5曲目「No Regret」のマスロックを彷彿とさせる幾何学的なギターのフレーズ、11曲目「Phantom calling」の複雑かつ正確無比なアンサンブルなど、歌無しのインスト・バンドとしても成立する楽曲のクオリティ。

 でも、メロディーが埋もれることなく、歌モノとしての魅力も備えている点が、ヤナミューの特異なところです。ただアイドルが、オルタナっぽい音楽をカバーしたわけじゃないんですよね。

 女声ボーカル4名によるコーラス・ワークも美しく、硬派なオルタナと、アイドル的ポップスを、高次に両立したアルバム。

 

2 Maison book girl『yume』

 現代音楽やポストロックをとりこんだ音楽を展開するアイドルグループ、Maison book girlの3rdアルバム。

 全21曲収録で、9曲目「MORE PAST」を除いて、奇数曲はインスト。偶数曲はボーカル入り。

 つまり、ボーカル曲とインスト曲が、交互に並ぶ構成になっています。

 このグループの音楽の特徴は、なんといってもリズム構成。3拍子と4拍子以外の変拍子を多用し、曲が始まって、まずはどのようにリズムを取るべきか、つねに耳をフラットにして音楽に向き合う必要があります。

 例えば2曲目の「言選り_」。ピアノのみのイントロ部分では、一般的な4拍子のように感じるんですけど、他の楽器が入ってきて歌が始まると、4拍子と6拍子が交互に訪れる展開。

 16曲目「レインコートと首の無い鳥」は10拍子あるいは、かなり高速な5拍子を基本として、3拍子が顔を出します。

 変拍子とか複合拍子というと、なんだか敷居の高い難しい音楽のようですけど、4分なり5分のポップ・ソングとして成立しているのが凄い。

 変則的なリズムが、音楽のハードルを上げるのではなくて、リスナーの耳をつかむフックへと転化しているんですよね。

 ちなみに3拍子と4拍子以外は、リズムを取るのが難しいと感じる人は、最初はこまかくリズムを区切って感じるといいと思いますよ。

 例えば5拍子だったら、3拍子と2拍子のセット、あるいは2拍子と3拍子のセットで感じるように。そこから、徐々にリズムの大枠をつかめるようになると、より音楽を聴く楽しみが広がるはずです。

1 チャットモンチー『誕生』

 堂々の1位! チャットモンチーの7thアルバムであり、ラスト・アルバム『誕生』です。

 3ピース・バンドとしてデビューし、ロック的なダイナミズムを持ったアンサンブルを、特徴としていたチャットモンチー。

 ドラマーの高橋久美子さん脱退により、2ピースとなってからもそれは変わらず、2ピース・バンドの限界を追求するように、生々しいサウンド・プロダクションと、変幻自在なアンサンブルを併せ持った音楽を、作り上げてきました。

 しかし、通算7作目となる本作。2017年の「機械仕掛けの秘密基地ツアー」から予兆はあったのですが、これまでのチャットモンチーとは打って変わって、大々的にシンセサイザーとコンピュータを導入したアルバムとなっています。

 そのため、この時期のチャットモンチーは「メカットモンチー」とも呼ばれます。

 そんなメカットモンチー体制で制作された本作。2018年7月22日をもって「完結」したため、前述のとおり彼女たちのラスト・アルバムとなりましたが、クリエイティヴィティはまったく衰えていません。

 シンセサイザーによる電子音が多用された、サウンド・プロダクションに耳が行きがちですが、僕はこのアルバムを一言であらわすなら、「オルタナティヴなアルバム」であると思います。

 確かに電子音らしい電子音が使われ、これまでのチャットモンチーとは、あきらかに異なる耳ざわりであるのは事実。

 サウンド的にはEDMに近いとも言えるのですが、音楽的にはEDMとは極北のところに位置している。言い換えるなら、流行りのダンス・ミュージックとは、まったく異質の音楽を鳴らしているんです。

 たとえば2曲目の「たったさっきから3000年までの話」。電子音が飛びかうバック・トラックのなかで、ボーカルが浮かび上がり、電子的なサウンドでありながら、対比的に声のぬくもりとメロディーが音楽の中心になっています。

 電子的なサウンドはひかえめな、3曲目「the key」においても、ぶっきらぼうにリズムを区切る歪んだギター、サビでのワルツのように揺れる3拍子など、少しずつ定番をハズしながら、あたらしいロックを鳴らしています。

 ラスト・アルバムでありながら、最後まで革新性をもったロックを目指すチャットモンチー。つねに冒険を続けてきた、実にチャットモンチーらしいアルバムと言えます。

総評

 以上、僕がものすごく個人的な基準で選んだ、2018年のベストアルバムでした。

 2000年代に入ったあたりから、英米では60年代のロックをアップデートした、ロックンロール・リヴァイヴァルなんてものが起こり、ヒップホップやジャズやネオ・ソウルなどのブラックミュージックも、ますます境界が曖昧になってきました。

 各ジャンルの歴史が終焉にむかって、どんどんジャンルがボーダーレスになっていく、おもしろい時代なんじゃないかなと、個人的には思っています。

 ここ日本でも、こういう流れは確実に起こっていて、2010年代以降「アイドル戦国時代」なんて言葉が生まれてからの女性アイドル・シーンは、まさにジャンルの終焉に立ち上がったブームなんじゃないかなと。

 つまり、バンドAに影響されたバンドBがデビュー、という感じで縦線に歴史が書かれるのではなく、無数のアイドル・グループたちが、もっと即物的に目新しいジャンルを取り込んでいってるんですよね。

 このあたりの自由度の高さが、アイドルの魅力のひとつです。ジャンルのつながりが時間軸ではなく、データベース的になってきたとも言えます。

 そんな状況下で、ここ数年のアイドル・シーンは、非J-POP的と思われるジャンルを吸収しながら、「ポップ」と認識される範囲を拡大してきたんじゃないかと思うんです。

 サイクルが速く、グループ数も多い、アイドル・シーン。ベタな音楽では目立てないし、かといって実験的すぎても、大きなポピュラリティは得られない。

 そんな2018年という時代において、革新性とポップさのバランス感覚の秀逸な10作を、選んだつもりです。





aiko「カブトムシ」歌詞の意味考察 「かぶとむし」が広げるイマジネーション


目次
イントロダクション
カブトムシの特徴
カブトムシを利用した描写
「あたし」と「あなた」の関係性
なぜ「かぶとむし」を用いたか?
結論・まとめ

イントロダクション

 「カブトムシ」は、大阪府吹田市出身のシンガーソングライター、aikoのメジャー4作目のシングル。1999年11月17日リリース。作詞作曲はaiko。

 2018年のNHK紅白歌合戦でも、19年前にリリースされたこの曲が歌われましたし、aikoの代表曲と言って、さしつかえないかと思います。

 多くの人に認知され、すでに「名曲」の評価をうけているとも言えるでしょう。

 こういう名曲って、すでに評価が決まっているがために、どこが優れているのか、見過ごしてしまいがち。この「カブトムシ」も、巧みな歌詞をもった、名曲に値する楽曲です。

 具体的には「カブトムシ」というワードを選ぶことによって、歌詞がはるかに立体的で、イマジネーションをかきたてるものになっているんですよね。この曲は、とにかく「カブトムシ」という言葉がキー。

 というわけで、このページではaikoさんの「カブトムシ」の歌詞を、「カブトムシ」というワードが持つ、意味の広がりに注目して、考察してみます。

カブトムシの特徴

 内容としては、女性目線から男性のことを歌った曲。一般的にはラブソングにカテゴライズしても、さしつかえないでしょう。

 それなのにタイトルが「カブトムシ」というのは、ちょっと違和感があります。なぜなら「カブトムシ」という言葉を聞いて、恋愛を思いうかべる人は、まずいないからです。

 歌詞のなかにも「かぶとむし」というワードが出てくるのですが、なぜわざわざこの言葉を使ったのか。

 ちなみに曲名は、カタカナで「カブトムシ」、それに対して歌詞中では、ひらがなで「かぶとむし」と表記されています。まずは「かぶとむし」という言葉が持つ意味を、検討してみます。

 「検討」と言うほど、たいした事でもないのですが、基本的にカブトムシは1年で死んでしまう虫。そして、成虫は夏に羽化して、活動するということ。

 この2点をおさえておくと、歌詞の意味がより立体的に、うかび上がってくるのではないかと思います。

 また「カブトムシ」と言えば、ほとんどの人が幼虫ではなく、立派なカブトをもった成虫を想像するでしょう。

 この曲においても、「かぶとむし」という言葉は、一夏に生きる成虫を意図していると考えられます。

カブトムシを利用した描写

 では、上記で確認した「かぶとむし」の意味が、歌詞のなかでどのような効果を生んでいるのか。順番に確認してみましょう。

 歌詞に出てくるのは「あたし」と「あなた」。語り手の「あたし」の視点から、「あなた」のことが語られていきます。

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

悩んでる身体が熱くて 指先は凍える程冷たい
「どうした はやく言ってしまえ」 そう言われてもあたしは弱い
あなたが死んでしまって あたしもどんどん年老いて
想像つかないくらいよ そう 今が何より大切で…

 1行目に「指先は凍える程冷たい」と出てくることから、季節は冬だと想定できます。つまり、カブトムシにとっては、季節ハズレの季節だということ。

 上記の引用部には「かぶとむし」というワードは出てきませんが、のちの歌詞で「あたし」は自分自身をカブトムシに重ねています。

 では、カブトムシに自分を重ねることで、どういう意味を帯びているのか。先述したとおり、季節は冬。夏に暮らすカブトムシにとっては、ひじょうに厳しい季節です。

 ということは「あたし」は、季節ハズレのカブトムシのごとく、弱った状態であると想定できます。

 引用部1行目に「悩んでる身体が熱くて」とあるとおり、「あたし」は悩みを抱えていることが、明らかにされています。

 そして、その内容は「あなた」に思いを伝えられないこと。引用部2行目から、そのように読みとれます。

 「どうした はやく言ってしまえ」は、友人などにかけられた言葉、あるいは自分の心の声なのでしょう。

 3行目に「あなたが死んでしまって」とありますが、実際に死んでしまったわけではなく、はるか未来を想像しているのだと考えられます。

 なぜなら、4行目に「想像つかないくらいよ そう 今が何より大切で」とつづくため。「あたし」は、おそらく未来のことを想像することで、自分の背中を押そうとしているのに、今のことしか考えられないのでしょう。

「あたし」と「あなた」の関係性

 「あたし」は、「あなた」になにかを伝えたい。そして、季節ハズレのカブトムシのように、弱った状態である。ということが、Aメロの歌詞から明らかになりました。

 では、2人はどんな関係で、「あたし」は何を伝えたいのか、整理してみましょう。

 まず「あたし」は、「あなた」に伝えたいことがある。それはなにか。

 おそらくは2人は友達だけど恋人同士になりたい、あるいは恋人同士だけど結婚したいなど、現状の関係を進展させたいのだと考えられます。

 そのため、このまま関係性が変わらず、時間が進んでしまうことを想像し、気持ちを伝えるための勇気を出そうとしているのでしょう。

 でも、いまの関係性がこわれることを恐れている。そんな気持ちが「そう 今が何より大切で」という言葉に、あらわれているのではないかと思います。

 サビに入ると「かぶとむし」という言葉が出てきて、2人の関係性がより詳細に語られます。1番サビの歌詞を、以下に引用します。

少し背の高いあなたの耳に寄せたおでこ
甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし
流れ星ながれる 苦しうれし胸の痛み
生涯忘れることはないでしょう
生涯忘れることはないでしょう

 2行目で、「あたしはかぶとむし」と出てきました。「あたし」が「かぶとむし」だとすると、「あなた」は「甘い匂い」。

 この例えから、2人の関係性を想像することができます。

 「甘い匂い」を追いかける「かぶとむし」。つまり「あたし」が、「あなた」を追いかける関係にあるということです。

 「あたし」は「あなた」に片想いをしている、あるいは恋人関係にあるとしても、「あたし」の思いの方が、上回っているのでしょう。

なぜ「かぶとむし」を用いたか?

 さて、2人の関係性が確認できたところで、「かぶとむし」がするもの、という視点にたちかえります。

 すなわち、なぜ「かぶとむし」という言葉を用いたのか。「かぶとむし」のイメージを用いることで、どんな効果を生んでいるか。

 2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

鼻先をくすぐる春 リンと立つのは空の青い夏
袖を風が過ぎるは秋中 そう 気が付けば真横を通る冬
強い悲しいこと全部 心に残ってしまうとしたら
それもあなたと過ごしたしるし そう 幸せに思えるだろう

 こちらの引用部には、春夏秋冬それぞれの季節が出てきて、2人が1年をとおして、一緒に過ごしたことが明かされます。

 さきほど確認してとおり、カブトムシは1年しか生きられない昆虫。1年をふり返ることで、カブトムシのように1年で終わってしまう恋になるかもしれない、ということを表しているのかもしれません。

 つづいて、2番サビの歌詞を、以下に引用します。

少し癖のあるあなたの声 耳を傾け
深い安らぎ酔いしれるあたしはかぶとむし
琥珀の弓張り月 息切れすら覚える鼓動
生涯忘れることはないでしょう
生涯忘れることはないでしょう

 1番のサビと同じく、「あなた」に引き寄せられる「あたし」が、かぶとむしに例えられています。

 内容的にも1番のサビと同じく、「あたし」の思いの強さがあらわれていると言えるでしょう。

 「あなた」と一緒に月を見ることで「息切れすら覚える鼓動」になってしまう。そんな気持ちは「生涯忘れることはないでしょう」と綴られています。

 また「琥珀の弓張り月」とあるとおり、時間設定は夜。ここでも、夜行性のカブトムシのイメージと、実際の状況が繋がっています。

結論・まとめ

 ここまで「かぶとむし」という言葉が生みだす効果に注目しながら、歌詞を考察してきました。

 カブトムシは、1年しか生きられない、夏に成虫となる昆虫。1番Aメロで、歌詞の季節設定が、冬であることが分かりました。

 まず、自分を季節ハズレのカブトムシに例えることで、追いつめられた状況、弱った心情をあらわしています。

 さらに自分を「かぶとむし」、「あなた」を「甘い匂い」に例えることで、2人の関係性を描写。ほとんど説明することなく、「あたし」が「あなた」を追いかける関係であることが分かります。

 そして、2番Aメロに出てくる春夏秋冬。基本的には、1年しか生きられないカブトムシ。恋の刹那性をあらわしているとも、解釈できます。

 「カブトムシ」という、ちょっと変わったタイトルを持ったこの曲。でも、奇をてらっているわけではなく、カブトムシのイメージを利用することで、イマジネーションをかき立てる歌詞になっていますよね。

 少なくとも僕は、この曲をじっくり聴いてみて「やっぱりaikoってすごい!」と思いました。

 人によって、さまざまなリアリティーを持って響くのも、この曲の良いところ。

 ぜひオープンな気持ちで、イマジネーションを全開にして、聴いてみてください。




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ヤなことそっとミュート『MIRRORS』


ヤなことそっとミュート 『MIRRORS』

発売: 2018年5月6日
レーベル: クリムゾン印刷

目次
イントロダクション
1, ルーブルの空
2, クローサー
3, GHOST WORLD
4, HOLY GRAiL
5, No Regret
6, Reflection
7, Any
8, 天気雨と世界のパラード
9, AWAKE
10, Palette
11, Phantom calling
総評

イントロダクション

 2016年結成の女性アイドルグループ、ヤなことそっとミュートの2ndスタジオ・アルバム。

 オルタナティヴ・ロックを下敷きに、エモ、グランジ、ポストロック、ポスト・ハードコア、シューゲイザーなど、多彩なジャンルを横断する音楽性を持ったグループ。それが、ヤなことそっとミュート、通称ヤナミューです。

 2010年代に入り、非アイドル・ポップ的な音楽を志向するグループは、ヤナミュー以外にも多数います。そのなかでヤナミューが特異なのは、硬派な音楽性と、アイドル的なポップさを、分離することなく共存させているところ。

 アイドルにただオルタナティヴ・ロックをかぶせるのではなく、かといってアイドル歌謡を、オルタナ風にアップデートしたわけでもない。

 洋楽にも負けないクオリティを保ちながら、女声ボーカル4人を擁するアイドル・グループとしての魅力が、高次に両立しているんです。

 具体的には、サウンドとアレンジは硬派なオルタナ。そこに女声ボーカルが楽器のようにアンサンブルと溶け合い、カラフルな世界観を実現しています。

 いわば、ボーカルもひとつの楽器として、アンサンブルに参加しているんですよね。しかも、前述のとおりメンバーは4人。

 複数の女声ボーカルによる、ハーモニーと巧みなパート分け。ときにはコール・アンド・レスポンスのような掛け合いもあり、4人のボーカリストを擁している点が、サウンド的にもリズム的にも、あきらかにプラスに働いています。

 複数の女声によるアイドルらしいボーカル・ワークが、オルタナティヴなアレンジと溶け合い、ヤナミューにしか実現できない音楽を作り上げているんです。

 前作『BUBBLE』から、およそ1年ぶりのリリースとなる本作『MIRRORS』。

 硬質なサウンド・プロダクションと、趣向を凝らしたアンサンブルは健在。前作からの違いを挙げるなら、直線的なビートを持った、疾走感あふれる曲が多数をしめるところでしょうか。

 いずれにしても、妥協なしの硬派なオルタナティヴ・サウンドと、4人のメンバーによる表現力ゆたかなボーカルの融合という、ヤナミュー特有の黄金比は変わっていません。

 以下、1曲ごとに簡単にレビューします。

1, ルーブルの空
 イントロから、ギターが時空を捻じ曲げるように鳴り響き、タイトさと荒々しさを併せ持ったアンサンブルが展開。

 タイトに引き締まったパートと、荒々しく躍動するパートが細かく切り替わり、コントラストが鮮明。

 ところどころ変拍子も顔を出し、足がもつれながらも、気にせず走る抜けるような荒々しさが、かっこいい1曲です。

2, クローサー
 前のめりに打ちつけられるドラムに、ギターとボーカルが絡みつき、躍動感をともなって疾走していく曲です。

 ハードな音像とアンサンブルに負けず、むしろ4人のボーカルが、バンドを先導していくようなバランス。メンバーの歌唱力の向上を感じさせる曲でもあります。

 オモテの拍を食い気味に打ちつけるドラムのリズムと、波のようなギターのフレーズ、そして速めのテンポ。ハードコア色の濃い1曲。

3, GHOST WORLD
 ギターの鋭いカッティングに、エフェクト処理されているのか、浮遊感のあるボーカルが重なり合う、疾走感あふれる1曲。

 やや物憂げなボーカリゼーションで、音程の起伏の少ないAメロに対し、サビに入ると一転してメロディアスに展開。ここまでわかりやすく、長調の爽やかなメロディーというのも、ヤナミューにしては珍しい。

 再生時間2:54あたりから聞こえる、ギターのテクニカルな速弾きも、疾走感を増幅させています。

4, HOLY GRAiL
 ギターのアルペジオから始まる、ミドルテンポの1曲。Aメロでは、2人ずつハモリながら歌っていて、こういうアレンジが可能なのも、4人編成のメリットだなと感じます。

 4人の声の違いもわかりやすく、和音的なハーモニーだけでなく、音響的な深みも多分に持っています。

5, No Regret
 イントロで聞こえる、スケール練習みたいな幾何学的なギターのフレーズが印象的。荒々しく小節線を飛びこえていくアレンジも好きですけど、この曲のように理路整然としたアンサンブルもいいですね。

 ボーカルのメロディーは流麗。再生時間2:05あたりからのギターソロは、糸を引くような音作りとフレーズ。ベタにエモい要素が多く含まれているんですけど、メンバーの歌唱とハーモニーが良いからか、モダンな聴感になっています。

6, Reflection
 前曲「No Regret」につづいて、ストレートにエモい曲が並びます。ミュートを織り交ぜたゴリゴリしたギターと、ところどころカチッとリズムを止めるボーカルのメロディーが、Aメロの推進力になってますね。

 サビに入ると、それまで溜め込んだパワーを爆発させるように、ギターも歌メロも開放的に展開。これもベタといえばベタなんですけど、泣けるほどかっこいいです(笑)

7, Any
 短調が多いヤナミューの楽曲群のなかで、めずらしく突き抜けた明るさの長調の楽曲です。西海岸のパンクバンドかと思うぐらい、明るくて爽やか。

 再生時間0:38あたりからなんか、ヘッドバンギングでも起こりそうなリズム構成です。ただ、ヤナミューらしいと言うべきか、目まぐるしく展開があり、全体の構成はなかなか複雑。

 ギターもパワーコードで押し切るばかりじゃなく、細かくパーカッシヴにリズムを刻んだり、再生時間1:20あたりからはタッピングを織り交ぜて、テクニカルな演奏を披露したりと、聴きどころは満載です。

8, 天気雨と世界のパラード
 各楽器ともシンプルにリズムを刻むイントロから、段階的にシフトを上げ、サビでコード進行的にもアレンジ的にもクライマックスに達する、王道の展開。

 コードとメロディーは循環してるんですけど、バンドのアンサンブルは変化を続けるので、4分ほどの曲なのに、実際より長く感じます。それぐらい、細部まで趣向が凝らされた1曲。

9, AWAKE
 ミュート奏法のギターをはじめ、音の枝葉が少ないイントロから始まり、サビでは音で埋め尽くされる。静と動というほど極端ではありませんが、音の出し入れが絶妙なアレンジです。

 個人的には、Aメロで聞こえる、ベースの行ったり来たりする一塊りのフレーズが好き。

10, Palette
 他のバンドを引き合いに出しすぎるのは好きじゃないんですけど、American Football、Pele、Tristezaあたりのポストロックを彷彿とさせる曲です。

 というか、正直イントロを聴いたとき、ギターのクリーンな音作りと、回転するようなフレーズから「まんまAmerican Footballじゃん!」と思いました。

 全体のサウンド・プロダクションも、激しい歪みは鳴りを潜め、おだやか。ファルセットを織り交ぜ、高音域に寄ったボーカルは、幻想的な空気を醸し出します。

11, Phantom calling
 各楽器とも、複雑なフレーズを正確にくり出し、マスロックかくあるべし!という演奏が繰り広げられる1曲です。

 ミクロな視点で各フレーズを追いかけると、まぁ複雑なんですけど、機械仕掛けの時計のように、カッチリと一体感のあるアンサンブルが構成されます。

 ただ、そんな複雑怪奇なアンサンブルのなかで、分離することなくボーカルのメロディーが際立っていて、ポップ・ソングとして成立してるところが凄い。

 バックは変拍子と転調、変態的なフレーズの嵐みたいな演奏なのに、思いのほかサラッと聴けてしまうという。

総評

 最後の「Phantom calling」が特に象徴的ですけど、複雑な構成の曲でも、ポップスとして成立させるバランス感覚が抜群な1作です。

 実験性と大衆性を両立させる最も大きな要因は、やっぱり4人のメンバーのボーカルワークでしょう。前作『BUBBLE』と比較すると、パート割り、ハモリなど、ボーカルもより凝った構成になっています。

 また、前作との差異というと、素直にボーカルが前景化された曲が多いな、とも思います。前作は曲によっては、ボーカルがバンドに埋もれるようなバランスの曲もあり、それはそれでかっこよかったんですけどね。

 いずれにしても、前作と並んで「名盤」と言えるクオリティを備えたアルバムです。

 




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