ヤなことそっとミュート『BUBBLE』


ヤなことそっとミュート 『BUBBLE』

発売: 2017年4月5日
レーベル: クリムゾン印刷

目次
イントロダクション
1, morning
2, カナデルハ
3, Lily
4, am I
5, ツキノメ
6, Just Breathe
7, orange
8, 燃えるパシフロラ
9, see inside
10, sputnik note
11, Done
12, ホロスコープ
13, No Known
総評

イントロダクション

 2016年結成の女性アイドルグループ、ヤなことそっとミュートの1stアルバム。

 「アイドル戦国時代」なんて言葉を聞くようになってから久しく、2010年代に入ってから、多くのアイドルグループが誕生しました。

 グループ数の増加に比例して、ジャンルの幅も拡大。最近では、オルタナティヴ・ロック、ポストロック、シューゲイザーなど、いわゆるアイドル歌謡らしからぬ音楽性を持ったアイドルも珍しくありません。

 「ヤなことそっとミュート」もそのひとつ。彼女たちの音楽の基本となるのは、オルタナティヴ・ロック。

 それも「歌謡曲をオルタナ風に仕上げました」とか、「とりあえずオルタナを女の子に歌わせてみました」という感じではなくて、正真正銘のオルタナティヴ・ロックなんです。

 逆に2010年代において、こんなストレートに、90年代直系のオルタナでいいんだろうか?と思うぐらい。

 でも、古き良きオルタナやグランジを焼き直しているだけじゃなく、アイドルらしいポップさも持ち合わせているのが、このグループのすごいところ。

 具体的には、4人のメンバーによる女声ボーカルが、ギターの渦や立体的なアンサンブルと溶け合い、まったく新しい音楽を構築しているんですよね。

 洋楽でオルタナやグランジに親しんでいた人は、新鮮な気持ちで楽しめるし、その手の音楽を聴いてこなかった人にも、甘いメロディーが入口となり、めちゃくちゃかっこいいハードな音楽として受け入れられるでしょう。

 僕自身はこの手の音楽が非常に好きなので、フックが無数にある、いやらしいほどかっこいいアルバムだなと思いながら、本作『BUBBLE』を聴きました。

 以下、1曲ごとに簡単なレビューをしながら、本作の魅力や聴きどころを、より深くご紹介できればと思います。

1, morning
 なんとなく曲名的に、ボーカルの入らないインスト曲なのかなと想像していましたが、ボーカル入りです。

 イントロからギターのフィードバックが鳴り響き、ドラムが立体的にリズムを叩きつけ、さらに激しく歪んだギターが、波のように折り重なっていきます。アルバム1曲目にふさわしく、ハードな音像を持った、オルタナ然とした楽曲。

 ボーカルが入ってくると、一変して手数を絞ったタイトなアンサンブルになるのですが、ボーカルも楽器の一部といった感じで、まわりと噛み合っているんですよね。

 「伴奏があって歌のメロディーがある」というバランスではなくて、歌もアンサンブルの一部として機能しているところが、またオルタナらしいんです。

2, カナデルハ
 ジャズでピアノの音を「転がる」って表現することがありますけど、この曲のAメロ部分のボーカルも、4人が代わる代わるコロコロ転がるように、時には折り重なりながら、歌っています。

 バンドも音を詰め込みすぎず、ボーカルと絡み合うように、抑え気味に躍動。でも、サビに入るとシフトが切り替わり、メロディーもアンサンブルも、流れるように疾走するコントラストが鮮やかです。

3, Lily
 ボーカルも含めて、すべての楽器がお互いのリズムに食い込むように、タイトかつ有機的に躍動する1曲。

 ボーカルとバンドのテンションが一致していて、サビに入りボーカルが伸びやかに音程を上昇すると、それに合わせてバンドも唸りをあげます。

 「切ないメロディー」って表現することがありますけど、この曲に関してはメロディー単体の切なさに加えて、バンドが切なさや焦燥感を増幅させています。ボーカルとバンドの一体感が秀逸。

 4人のボーカルが、ところどころハーモニーになるところも、さらなる切なさを演出していますね。

4, am I
 音数を絞り、各楽器がはずむように、ゆったりとリズムを刻む前半から始まり、サビに入ると轟音ギターが唸りをあげる展開。

 静と動の往復というのも、オルタナやシューゲイザーによくあるアレンジですけど、この曲は良い意味で、J-POP的なバラード要素を持っているところが魅力。

 女声ボーカルによる情緒的な歌が、激しくもメリハリのついたバンドと比例していて、ますます歌の魅力を際立たせていますね。

5, ツキノメ
 ざらついたギターが前面に出た1曲。ギターとリズム隊が、ひとつの織物を編みあげるように、細かい音を持ち寄って、隙間ないアンサンブルを構成しています。

 ボーカルはそこから浮かび上がるように、並行してメロディーを紡いでいて、バンドとボーカルの音量がほぼ対等。このあたりのミックスのバランスも、実にオルタナ的。言い換えれば、非アイドル歌謡的です。

6, Just Breathe
 各楽器が絡み合うように疾走していく1曲。直線的ではなく、ところどころ足がもつれるようなリズムやフレーズが、散りばめられています。

 ボーカルもバンドと共に、不可分なほど絡み合い、疾走していきます。

7, orange
 イントロから前のめりに疾走。ヤナミューにしては、リズム構造がシンプルな曲とも言えます。

 その代わりに、バンドとボーカルの疾走感、一体感は抜群。

8, 燃えるパシフロラ
 前曲「orange」につづいて、比較的シンプルなリズム構造の1曲。疾走感は抑えめで、その代わりにギターのハーモニーが前景化されています。

 この曲や「orange」を聴いていると、メンバーのボーカリストとしての表現力の高さに驚きます。単純に歌がうまいってことじゃなくて、バンドの表現する世界観に溶け込むセンスが、非常に高いんです。

 「声も楽器」という言い回しがありますが、ヤナミューのメンバーはまさにそう。この曲を例にとっても、物憂げで厚みのあるギターサウンドと一体となり、楽曲の世界観を完璧に演出しています。

9, see inside
 ざらついたギターの奥から、ウィスパー系のボーカルが厳かに響くイントロ。

 その後も、バンドのアンサンブルをかき分けるように、あるいはアンサンブルの隙間を縫い合わせるように、ボーカルはメロディーを紡いでいきます。

 ところどころ、ボーカルがバンドに埋もれるバランスのところもあるのですが、それが気にならないぐらい両者が一体となっており、またバックの演奏がインスト曲でも成立するぐらいの完成度。

10, sputnik note
 この曲はジャンルでいうとポスト・ハードコアやポストロック、プログレを彷彿とさせる構成で、非常にかっこいいです。

 イントロのねじれるギターのフレーズ。Aメロの立体的でトライバルなドラム。再生時間0:47あたりでの、バンド全体のシフトの切り替えなど、音楽的フックが無数にあり、目まぐるしく展開していきます。

 そんな曲の構成に振り回されることなく、むしろ主導するようにメロディーを乗せていく、ヤナミューのメンバーも見事。

11, Done
 バウンドするドラムに、重たく絡みつくギター、地を這うようなベース。完全にオルタナなトラックの上に、軽やかに乗るメロディー。

 本作のなかで、もっとも伴奏とボーカルという役割のわかりやすい曲ですが、分離しているわけじゃなくて、レイヤー状に重なり、並走するようなバランスです。

 他の曲に比べて、ボーカルが前景化されているのは確か。でも、再生時間1:42あたりの厚みのあるコーラス・ワークだったり、高音部でギターのチョーキングのようにエモーショナルだったりと、ボーカルもどこか楽器的です。

 前述のコーラスワークも、和音としてのハーモニーが際立っているというより、ギターのコーラスのエフェクターをかけたような、重曹感が強いんですよね。シューゲイザー的なボーカルと言っても、いいかもしれません。

12, ホロスコープ
 ベースとドラムのみ。音数を極限まで絞った、ミニマルなイントロから始まり、徐々に音数と音量が上がっていく1曲。

 4曲目「am I」のような、対比のハッキリした静と動ではなくて、シフトを段階的に切り替えながら、静寂と轟音を行き来するアンサンブルです。

13, No Known
 各楽器のフレーズがお互いに突き刺さるようで、複雑かつ一体感のあるアンサンブルが構成される1曲。こういう構造の曲、大好きです。

 サビでは直線的に疾走し、それ以外の部分では複雑に絡み合い、1曲の中でのコントラストも秀逸。

 再生時間1:52あたりからの手数の多いタイトなドラムだったり、2:59あたりの空間を切り裂くようなギターだったり、とにかく多様なアレンジが詰め込まれていて、聴くたびに発見があります。

総評

 オルタナティヴ・ロックを基本としているのは、冒頭で述べたとおり。とにかく多くのジャンルやバンド名に言及したくなるほど、多彩な楽曲群が詰め込まれています。

 ただ、これも前述したとおり、オルタナのコピーバンドでは決してないんです。本作およびヤナミューの特異な点は、歌のメロディーがバンドと対等であり、ボーカルがアンサンブルの一部として機能しているところ。

 だから曲によっては、ボーカルがバンドに隠れるような、音量バランスの部分もあります。

 一部のグランジやオルタナのバンドのメロディーって、コード進行やバックの演奏に引っ張られて、良くも悪くも一体感があるんですけど、ヤナミューはメロディーがまず自立してるんです。

 しかも、メロディーとそれを支える伴奏という主従関係ではなく、ボーカルもアンサンブルの一部としてバンドに取り込まれ、躍動する。ここが何よりも魅力的。

 メンバーの表現力も申し分なく、パワフルなバンドの音像に負けることなく、多彩な世界観を表現していますね。

 アンサンブル志向の音楽でありながら、メロディーの存在感も際立っている。世界的に見ても、珍しいグループだと思います。

 




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人気曲・代表曲で解き明かす、あいみょんの魅力


目次
イントロダクション
1, 貴方解剖純愛歌 〜死ね〜
2, ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌
3, どうせ死ぬなら
4, 生きていたんだよな
5, 愛を伝えたいだとか
6, 君はロックを聴かない
7, ふたりの世界
8, 満月の夜なら
9, マリーゴールド
10, 今夜このまま
作詞家としてのあいみょんの魅力
個別レビュー一覧

イントロダクション

 1995年生まれ。兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょん。

 2015年に、タワレコ限定シングル『貴方解剖純愛歌 〜死ね〜』がリリースされたあたりから、存在は知っていました。

 当時は「変わった名前だな」「すごいこと歌ってるなw」ぐらいの印象だったんですが、あれよあれよという間に、2018年には「NHK紅白歌合戦」の出場も決定。世代を代表するシンガーの1人と言っていいでしょう。

 前述の「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」を含めて、彼女の書く歌詞は、いささかエキセントリック。そのため、過激な言葉づかいやテーマに、注目しがちです。

 でも、うわべのセンセーショナルな言葉だけに気を取られていては、彼女の魅力を捉えそこなってしまうでしょう。

 過激なように見せて、非常に巧妙なテクニックを備えた作詞家であり、シンガーであると僕は考えています。

 そこで本論では、シングル曲を中心に、あいみょんの代表曲を10曲選び、彼女の魅力をお伝えしたいと思います。

 ランキング形式ではなく、僕が選んだ10曲をリリース順に並べました。彼女の表現の幅広さを、つかんでいただければ幸いです。

1, 貴方解剖純愛歌 〜死ね〜

 1曲目は「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」。前述のとおり、TOWER RECORDS限定で発売された、あいみょんのデビューシングルです。

 2015年3月4日にリリース。同年5月20日リリースの1stミニアルバム『tamago』にも収録されています。

 タイトルに「死ね」と入っているところから示唆的ですが、歌詞の内容も過激。

 例えば歌い出しの歌詞は「あなたの両腕を切り落として 私の腰に巻き付ければ あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ」。

 グロテクスとも言える内容に、耳が奪われてしまいますけど、ただ過激なだけじゃないんです。語り手の「私」は、話の進めかたが人を追い詰めるように論理的で、それが怖さを増幅させています。

 曲調は、ざらついたギターが印象的な、コンパクトなロック。あいみょんのハスキーな声とのバランスも、秀逸なアレンジです。
 
 

2, ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌

 2曲目に紹介するのは、1stミニ・アルバム『tamago』に収録される「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」。

 シングル曲ではないですが、あいみょんの多彩さ、面白さがよく出た楽曲なので選びました。

 この曲も、まずタイトルが目を引きますよね。「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」。

 曲名のとおりと言うべきなのか、歌詞も「ザギン」「ギロッポン」「ちゃんねー」ねど、業界用語が多用されています。

 ただ、こういった用語を使う人がいた、あるいは今もいるわけで、全編にわたってネタにしてるから、わかりやすく笑えますけど、その裏には流行りを追う人への冷めた目線も感じられます。

 曲調は、クランチ気味のギターが、小気味よくリズムを刻む、軽やかなロック。

 

3, どうせ死ぬなら

 3曲目は「どうせ死ぬなら」。2015年12月2日リリースの2ndミニ・アルバム『憎まれっ子世に憚る』に収録。

 どうせ死ぬならこんなことがしたいと、ひたすら語り手の願望と好きなものが、羅列されていきます。

 いくつか引用すると「ジョンレノンのあの曲を聴きながら逝きたい」「太陽の塔の上で HAPPYを叫びたい」「どうせ死ぬなら ダメもとの告白もする」などなど。

 でも、この曲が伝えるのは、絶望ではなくて希望。死ぬ気になって、自分の願望を思い浮かべていたら、好きなもの、愛おしいものの多さに、気づいたのではないでしょうか。

 歌詞の後半に出てくる「どちらかと言えば死にたくないわ」という一節にも、そんな思いが集約されています。

 

4, 生きていたんだよな

 「生きていたんだよな」は、2016年11月30日にリリースされた、メジャー1stシングル。テレビ東京系ドラマ『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』主題歌。

 2017年9月13日リリースの1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。

 「二日前このへんで 飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた」という一節から始まる、センセーショナルな1曲。

 でも、うわべの言葉だけに気を取られていると、この曲の本当の魅力を見失ってしまいます。

 自殺の現場に群がる無数の野次馬たち。現場の写真をアップして、盛り上がるネット上。いわば自殺がエンターテイメントと化した状態を、語り手は冷めた目線で記述していきます。

 そして、野次馬たちが騒ぎたてるのに対し、語り手は自殺した少女の人生を思い、涙を流すんです。現代社会や人間の異常性を、あばき出した1曲と言えるでしょう。

 この曲のうわべだけに注目し「いきなり自殺とか出てきて凄い曲じゃん!」なんてリアクションをするのは、野次馬たちと一緒です。

 冷めた目線のところは、メロディーで歌うのではなくたんたんと語り、感情が溢れ出すところは、メロディーで歌う構成になっていて、コントラストが鮮やか。

 

5, 愛を伝えたいだとか

 「愛を伝えたいだとか」は、2017年5月3日リリースのメジャー2ndシングル。1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。

 ここまで紹介してきた、エキセントリックとも言える楽曲群とは違い、ゆるやかに恋人のことが語られていきます。注目すべきは、男性目線で書かれている点。

 この曲がリリースされた当時、あいみょんは22才。それなのに20代から30代前半ぐらいの、ちょっと頼りない男性が、リアルに描かれています。

 年齢や性別を超えて、他人になりきる能力も、あいみょんの特筆すべきところ。

 

6, 君はロックを聴かない

 「君はロックを聴かない」は、2017年8月2日リリースのメジャー3rdシングル。1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。

 先ほどの「愛を伝えたいだとか」と同じく、男性目線で書かれたこの曲。でも、雰囲気はだいぶ異なります。

 「愛を伝えたいだとか」が20代の頼りない、ダメっぽいオーラも漂う男性を描いていたのに対して、「君はロックを聴かない」で描かれるのは中学か高校生ぐらいのウブな少年。

 女子を部屋に招いて、自分の好きなロックのレコードを聴かせるっていう曲です。

 ロックだけが友達!というタイプの少年を、リアルに描き出していて、人によっては心がヒリヒリするんじゃないでしょうか(笑)

 僕自身もロックにすがるようなタイプの学生だったので、聴きながら「うわぁ〜わかるなぁ」というポイントが、いくつもありました。

 曲調はゴリゴリのロックというわけではなく、あいみょんの声とアコースティック・ギターが中心に据えられた、ミドルテンポのナンバー。

 

7, ふたりの世界

 7曲目に紹介するのは「ふたりの世界」。こちらはシングル曲ではありません。1stアルバム『青春のエキサイトメント』に収録。

 今度は女性目線で、恋人と思われる男性のことを歌っています。ピンチも倦怠期も、乗り越えた時期だと思われる恋愛が、描かれています。

 男の僕からすると「女性のこういうところって分かんないな」と思うところもあり、非常にリアルティのある歌詞です。「女性ってこういうこと考えてるのかな、こわっ!」と思うポイントも、いくつかありました。

 歌詞のラストを締めくくる「大好きで ちょっと嫌いで 今がある」という一節に、この曲のメッセージが凝縮されていると思います。

 

8, 満月の夜なら

 「満月の夜なら」は、2018年4月25日リリースのメジャー4thシングル。

 エロティックな歌詞だと言われることが多く、確かにベッドの中の男女を、ポエティックに描写しているんですけど、僕が注目するのはその表現方法。

 例えば、アイスクリームが溶けることで、時間の経過と2人の関係性をあらわしたりと、直接的な言葉を使わずに、多くの情報を伝えているんです。

 音楽面では、アコースティック・ギターとリズム隊が、立体的にアンサンブルを構成。流れるようなメロディーが重なり、爽やかな曲調。

 歌詞におけるオブラートに包んだ表現の数々と、曲の爽やかさのバランスもまた、面白いです。一聴したら、そんなことを歌っているとは、思いませんから。

 

9, マリーゴールド

 「マリーゴールド」は、2018年8月8日リリースのメジャー5thシングル。

 あいみょんにしては意外なほど毒がない…と言ったら、語弊があるかもしれませんが、おだやかな恋愛が描かれた曲です。

 センセーショナルな言葉やテーマが控えられたことによって、彼女の作詞家としての能力の高さが、よりダイレクトに分かる曲でもあります。

 空や雲の様子で、時間の経過や感情の変化をあらわし、こちらの感受性が研ぎ澄まされるような、繊細な歌詞です。

 

10, 今夜このまま

 「今夜このまま」は、2018年11月14日にリリースされたメジャー6thシングル。日本テレビ系ドラマ『獣になれない私たち』主題歌。

 歌詞全体が、巧みな比喩表現によって彩られた楽曲です。具体的には、ビールを連想させる言葉が並ぶんですけど、決して「ビール」というワード自体は使いません。

 それなのに、ビールの味やイメージを利用して、感情を記述していくんです。

 音楽面では、アコースティック・ギターと電子音が立体的に組み合い、その中をボーカルが自由に動きまわるようなアレンジが秀逸。

 

作詞家としてのあいみょんの魅力

 さて、ここまでシングル曲を中心に、あいみょんの楽曲を10曲とり上げてきました。最後に、彼女の作詞家としての魅力を、考察したいと思います。

 まず、彼女の表現の振り幅は、特筆すべきでしょう。センセーショナルな内容から、メロウでおだやかな曲まで、テーマも表現手法も、多岐にわたっています。

 上記で紹介してきた10曲を、リリース順に聴いていくと、初期は過激なワード選びが多く、徐々に表現の幅を広げていることが分かるでしょう。

 初期の曲が劣っているという意味では決してなく、例えば猟奇的とも言える「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」と、自殺をあつかった「生きていたんだよな」にしても、センセーショナルな言葉と、冷静な語りが共存しています。

 言い換えれば、ただ過激なことを書いているのではなくて、まず表現したいことがあり、その手段としてセンセーショナルな言葉を使っているということ。

 感情と理性が、高い次元で両立した歌詞とも言えます。

 もうひとつ挙げておきたい特徴は、共感性の高さ。曲によって、女性目線と男性目線を使い分け、それぞれ語り手になりきっています。

 変幻自在に様々なキャラクターを演じる役者のことを「カメレオン俳優」と呼ぶことがありますが、「カメレオンシンガー」とでも言ったらいいでしょうか。

 楽曲によって、キャラクターと語りの手法を変える表現手段の豊富さには、おどろかざるを得ません。

 前述したとおり、紅白への出場も決まり、2019年には2ndアルバム『瞬間的シックスセンス』のリリースも予定されています。

 彼女の表現のさらなる進化を、楽しみに待ちましょう。

個別レビュー一覧

 当サイトに掲載している、あいみょんの楽曲レビューの一覧。主に歌詞の考察をしています。

「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」歌詞の意味考察 グロテスクを増幅させる「私」の論理性
「生きていたんだよな」歌詞の意味考察 フィクション化する現実
「君はロックを聴かない」歌詞の意味考察 厨二病を生む出すロックの機能
「今夜このまま」歌詞の意味考察 ビールを連想させる言葉
「マリーゴールド」における自然現象の機能 歌詞の意味考察
「満月の夜なら」歌詞考察 アイスクリームによる情景描写





米津玄師「ゴーゴー幽霊船」歌詞の意味考察 「セブンティーン」と「アンドロイド」が生き抜く現代社会


目次
イントロダクション
テーマと登場人物
セブンティーン
アンドロイド
「幽霊船」が意味するもの
結論・まとめ

イントロダクション

 「ゴーゴー幽霊船」は、徳島県出身のシンガーソングライター、米津玄師の楽曲。2012年5月16日リリースの1stアルバム『diorama』(ジオラマ)に収録されています。作詞作曲は米津玄師。

 いかにも米津玄師さんらしく、イマジナティヴな言葉が並ぶ歌詞。サウンド面でも、絶妙にタイミングと音程をハズしたギターのチョーキングが、壊れたバネのように響き、ポップさと実験性を併せ持っています。

 「ゴーゴー幽霊船」というタイトルがまず個性的ですけど、言葉にも音にもアヴァンギャルドな部分を持った楽曲と言えます。

 今日、とり上げたいのは、この曲の歌詞について。一聴すると、出てくるワードの多彩さに目が眩むような感覚に陥るんですけど、まったく支離滅裂なことを歌っているかというと、そうではありません。

 イメージを繋いでいくと、あざやかに世界観が浮かび上がってくる、とても想像力をかき立てる歌詞なんです。

 そこで本論では、歌詞の意味を考察し、僕なりの解釈をご紹介したいと思います。

テーマと登場人物

 僕は結論から述べるのが好きなので、まず結論を先に言ってしまいます。

 この曲は現代社会と、そこに生きる人々を描写。具体的には、悩みが尽きない現代社会と、その中で疲弊する人を、イマジナティヴな言葉の数々を使って、描き出しているんだと考えています。

 また、「幽霊船」や「太陽系」といったワードも出てきて、輪廻転生をモチーフにしているのかな、と感じる部分もあります。

 最初に、歌詞に出てくる人物を確認しましょう。

 登場するのは「セブンティーン」と「アンドロイド」。語り手はアンドロイドで、「僕」という一人称代名詞を使っています。

 なぜ一般的な代名詞ではなく、「セブンティーン」と「アンドロイド」という、印象に残るワードを選んだのか。

 まずはそこから考えてみましょう。

セブンティーン

 1番Aメロの歌詞は、4行で1ブロック。合計4ブロックで構成されています。

 そしてブロック毎に、「セブンティーン」と「アンドロイド」が交互に記述されていきます。歌い出しとなる1ブロック目は「セブンティーン」。

 まずは、彼女がどんな人物なのか。なぜ「セブンティーン」という名が与えられたのか、考えてみます。

 1番Aメロの1ブロック目の歌詞を、以下に引用します。

ちょっと病弱なセブンティーン
枯れたインクとペンで絵を描いて
継いで接いでまたマザーグース
夜は何度も泣いてまた明日

 一見すると、とくに「セブンティーン」の人間性につながる情報は、無いと思われるかもしれません。でも、じっくり検討していくと、多くの情報が含まれています。

 2行目の「インクとペンで絵を描いて」からは、絵を描くのが好きな、感受性に優れた人物であることが分かります。

 3行目も同様。「マザーグース」とは英語の伝承童謡のことで、それを「継いで接いで」ということは、文学への興味がある感受性の豊かさをあらわしているのでしょう。

 1行目の「病弱な」、2行目の「枯れた」、4行目の「何度も泣いて」からは、「セブンティーン」という人物が、精神的に疲れていることを示しています。

 最初の問いに戻り、なぜ「セブンティーン」と名づけられのか、考えてみましょう。

 17才といえば、ちょうど大人と子供のはざまであり、もっとも多感な年齢と言ってもいいでしょう。

 そのような多感さ、傷つきやすさを象徴するため、「セブンティーン」という名前が与えられた。というのが僕の仮説です。

 では、次に「セブンティーン」が出てくる3ブロック目では、どのような展開を見せるのか。

 1番Aメロの3ブロック目の歌詞を、以下に引用します。

ずっと病欠のセブンティーン
曇らないまま今日を空き缶に
空の雷管とペーパーバッグ
馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた

 上記3ブロック目も、「セブンティーン」の人間性を語っていると言えます。

 2行目の「曇らないまま今日を空き缶に」とは、具体的にはハッキリしませんが、心をふさがずに今日をやり過ごす、といった意味ではないかと思います。

 3行目の「雷管」とは、わずかな熱や衝撃でも発火する火薬を筒に込めたもの。それが「空(くう)」だということは、中身は中空であるということでしょう。

 つまり、「セブンティーン」は爆発するような感情を持っていないということ。しかし、わざわざ「雷管」というワードを使っているので、元から持っていないわけではなく、今は失われた状態であるということです。

 その後に続く「ペーパーバッグ」、「馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた」も、同じように「セブンティーン」の空虚さをあらわす表現でしょう。

 「セブンティーン」は多感な人物で、そのために日々の生活で消耗し、「病欠」状態になっている、と僕は考えます。

アンドロイド

 つづいて、もう一人の登場人物「アンドロイド」がどのようなキャラクターか、検討していきましょう。

 「アンドロイド」というのは、人型のロボットのこと。ということは、感受性ゆたかな「セブンティーン」とは、真逆の存在として描かれているのでは、と仮説を立てられます。

 では、その仮説に基づいて、歌詞を考察しましょう。前述のとおり1番Aメロは、ブロックごとに「セブンティーン」と「アンドロイド」が語られていきます。

 1番Aメロの2ブロック目の歌詞を、以下に引用します。

回る発条のアンドロイド
僕の声と頭はがらんどう
いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい

 「回る発条(ぜんまい)」「声と頭はがらんどう」と記述され、「セブンティーン」とは違い、感受性を失った状態であることが想像できます。

 「いつも最低な気分」ということは、意識的にアンドロイドのように、心を消して生きているのだとも考えられます。

 4行目の「君」とは誰か。他に登場人物はいないので、「セブンティーン」だと解釈するのが自然でしょう。

 意識的に「声と頭はがらんどう」にして日々を生きる「アンドロイド」。でも内心は、「セブンティーン」のように傷つきながらも、感受性を持った人物に憧れているということです。

 つづいて、1番Aメロの4ブロック目の歌詞を、以下に引用します。

あいも変わらずにアンドロイド
君を本当の嘘で騙すんだ
僕は幽霊だ 本当さ
君の目には見えないだろうけど

 ここでは「アンドロイド」が、「僕は幽霊だ」と言い始めています。これはどういう意味なのか。

 アンドロイドは人工物。それに対して、幽霊は科学的に証明できないもの。すなわち、両者は対極的なものと言えます。

 アンドロイドが、感情を排除し、歯車のように役割を果たす存在だとすると、幽霊はその逆。つまり、感情を持った存在だということ。

 そして、感情のみを強調するために、「幽霊」というワードを選んでのではないかと思います。

 また「幽霊」は亡くなった人の霊を意味しますから、感情ばかりを優先すると、現代社会では生きられない。というメッセージまで内包されているとも考えられます。

 まとめると、傷つきながらも感受性ゆたかな「セブンティーン」。機械のように感情を排した「アンドロイド」。

 しかし、実際は「アンドロイド」も感情を持っており、「セブンティーン」のような感情をともなった生活に憧れ、「僕は幽霊だ」と言っているのです。

「幽霊船」が意味するもの

 つづいて考察したいのは、曲のタイトルにも入っている「幽霊船」という言葉。

 この言葉は歌詞にも出てくるのですが、いったい何を意味しているのか。「アンドロイド」のところで考察したとおり、「幽霊」とは人間の感情をあらわしたワードだと考えられます。

 ということは、「幽霊船」は人間の思いを積んだ船。すなわち地球、あるいは肉体ではなく観念のみが存在するあの世を、あらわしていると仮定できます。

 後者の意味を取るならば、文字どおりの「幽霊船」ということですね。

 実際に歌詞を確認してみましょう。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

そんなこんなで歌っては
行進する幽霊船だ
善いも悪いもいよいよ無い
閑静な街を行く

 上記引用部も抽象的で、一聴しただけでは具体的な意味はわかりません。でも、先ほどの仮説を念頭におくと、イメージがつながっていきます。

 3行目の「善いも悪いもいよいよ無い」からは、現世ではなく、あの世をあらわしているように思われます。なぜなら、あの世では、現代社会にあるルールや常識は無いと考えられるからです。

 次に2番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

そんなこんなで歌っては
目を剥く幽霊船だ
前も後ろもいよいよ無い
なら全部忘れて
ワアワアワアワア

 3行目の「前も後ろもいよいよ無い」は、先ほどの「善いも悪いもいよいよ無い」と同様、あの世を示唆する表現だと思います。

 前後が無いということは、時間が消失したということ。つまり、現世ではなく、時間の存在しない別の世界だということです。

 また「幽霊船」というワード以外にも、永遠やあの世を思わせる言葉が、散りばめられています。例えば、2番サビの「太陽系の奥へ進め」、間奏後のサビの「三千年の恨み放て」「修羅に墜ちて」など。

 「ゴーゴー幽霊船」というタイトルが示唆するとおり、永遠や輪廻天生もあつかった曲だと言えるでしょう。

結論・まとめ

 では、結局のところ「ゴーゴー幽霊船」はなにを描き、なにを伝えようとしている曲なのか。

 「セブンティーン」と「アンドロイド」両者のキャラクターが示すとおり、現代社会において、感情のおもむくままに生きることの困難を描いています。

 「セブンティーン」のように感受性をオープンにして傷つくか、「アンドロイド」のように心を消して、機械のように生きるしかないのです。

 もし、自分の感情を全開にするなら「幽霊」になるしかない。「ゴーゴー幽霊船」は、このような社会の生きにくさを描写した曲だと、僕は考えています。

 こんなふうに書くとネガティヴなようですけど、人間の強さとか怒りも同時に描かれているところが、この楽曲の魅力。

 あくまで僕の解釈ですが、難解な歌詞であるのは確かだと思いますので、少しでも参考になれば幸いです。

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あいみょん「生きていたんだよな」歌詞の意味考察 フィクション化する現実


目次
イントロダクション
歌詞のテーマ
エンターテイメント化する自殺
語り手と野次馬たちの違い
語りとメロディー
結論・まとめ

イントロダクション

 「生きていたんだよな」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのメジャーデビューシングル。2016年11月30日にリリース。

 2017年9月13日リリースの1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも収録されています。作詞作曲は、あいみょん。

 センセーショナルな歌詞が、注目されることの多いあいみょん。「生きていたんだよな」もその例に漏れず、自殺をテーマにしたショッキングな言葉が並んでいます。

 でも、使う言葉が過激だったり、テーマがグロテスクだったり、という表層だけにとらわれてしまうと、あいみょんの魅力を見失ってしまう。僕はそう考えています。

 彼女の書く詞は、確かにセンセーショナルではあるんですけど、ただ過激なことを書くのが目的化しているわけではなく、レトリックが駆使されていて、歌詞としての完成度がとても高いんです。

 前述したとおり、自殺をテーマにした「生きていたんだよな」。この楽曲も、うわべの言葉やテーマに、注意が向かいがちですけど、表現者としてのクオリティの高さを感じる、優れた歌詞を持っています。

 具体的には、やじうま精神を描くことで、現代社会の異常性を浮き彫りにしているんです。そこで、今日はこの歌詞の巧みな表現について、考察してみます。

歌詞のテーマ

 最初に歌詞のテーマを整理しておきましょう。

 歌詞がテーマとして扱うのは「自殺」。ある女子中高生の自殺と、それをめぐる報道が、語り手をとおして述べられていきます。

 人の死という、あまりにも重い事実。しかし、テレビでの報道やSNSでの拡散をとおして、人の死という現実が、一種のエンターテイメントとなってしまう。

 言い換えれば、死という現実が、ドラマと同じようなフィクションになってしまう。そんな現代社会の異常性を、この曲は暴き出しています。

エンターテイメント化する自殺

 「自殺をエンターテイメントとして楽しむ」なんて言ったら、実に不謹慎。でも、そんな不謹慎なエンターテイメントが、日常的に存在していることを、歌詞は描いていきます。

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。ちなみに便宜的に「Aメロ」と書きましたけど、メロディーをつけて歌うのではなく、語りになっています。

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた

血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな

馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

 「飛び降り自殺」「血まみれセーラー」など、リスナーの注意を引きつける言葉が、散りばめられています。内容的には、解釈に迷うところは、ほとんど無いでしょう。

 内容を整理すると、自殺のニュースがあり、それに群がる野次馬たちが、語り手の冷めた視点で記述されています。

 語り手の立場はハッキリしませんが、口語体で書かれていますし、「二日前このへんで」という一節があるので、近隣住民の1人と想定していいでしょう。

 2連目の「たちまちここらはネットの餌食」からはネットで話題になっていること、3連目「そのセリフが集合の合図なのにな」と4連目「馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった」からは、ネット上だけでなく、現場にも人が群がっていることが分かります。

 ネット上にも、物理的にも、野次馬が群がっているということですね。象徴的なのは「馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった」という一節。

 人が亡くなっているというのに、みな「自殺」というセンセーショナルな話題にひかれ、いわばエンターテイメント化しています。

語り手と野次馬たちの違い

 「自殺」というエンターテイメントに群がる野次馬たち。でも語り手は、彼らとは違った視点を持っています。

 ぶっきらぼうな言葉づかいから示唆されるように、野次馬たちの行動に違和感をおぼえているのでしょう。

 Aメロの最後で、語り手は「冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない 赤さが綺麗で」と述べています。

 野次馬たちが血をセンセーショナルなものと受け取るのに対して、語り手はよりフラットな視点で、色としての美しさ、そして人が流した血としての、意味の重さを受け取ったのではないでしょうか。

 Bメロとサビの歌詞では、そんな語り手の心情があらわになっています。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で

 「ブラウン管の外側」と書かれていますから、語り手が一連の事件を、テレビで観ていたことが分かります。

 野次馬たちが自殺をエンターテイメントとして消費するのに対して、語り手は見知らぬ誰かの人生を想像し、涙を流しています。

 その後に続くサビでは、語り手の思いがより詳細に記述されます。1番サビの歌詞を、以下に引用します。

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

 赤い血を見ながら、少女が苦しみながらも精一杯生きたことを、思っているのでしょう。

 何度も繰り返される「生きて」という言葉から、語り手の切迫した思いが伝わります。

 「生きていたんだよな」というタイトルの意味が、凝縮された部分でもあります。

 話題性に群がる野次馬とは、真逆の反応とも言えるでしょう。

語りとメロディー

 先ほど、Aメロはメロディーに乗せて歌われるのではなく、語りだと書きました。その後のBメロとサビは、メロディーを持っています。

 この差異が何を意味するのか、考えてみましょう。

 Aメロは全編にわたって語り。でも、1番の歌詞でいえば、最後の「綺麗で」からメロディーに乗り、そのままBメロへと進行しています。

 歌詞の内容は、Aメロは自殺に群がる野次馬たちの説明。Bメロとサビでは、語り手の感情が記述されています。

 目の前の出来事を、淡々と述べていくAメロでは語り。そして、自分の感情をあらわしていくBメロ以降には、メロディーがあてられているということです。

 つまり、歌詞の内容と対応して、語りとメロディーが使い分けられているということ。

 語り手の感情にそってまとめると、Aメロでは野次馬たちの行動をウンザリと眺め、その様子を記述。

 しかし、赤い血を見ることがスイッチとなり、自殺した少女の存在を意識。Aメロ最後の「綺麗で」から、溢れ出す感情のように、メロディーが躍動をはじめます。

 2番に入っても、同様の構造で曲は進行します。2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで

 3行目の「何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう」とは、現場が警察によって、手際よく片付けられていく様子を描写しているのでしょう。

 自殺した少女の赤い血は、彼女の人生から切り離され、淡々と作業として拭き取られていく。システマティックな現代を、凝縮した表現と言えます。

 4行目の「立ち入り禁止の黄色いテープ」と、5行目の「ドラマでしかみたことなーい」は、1番Aメロの野次馬の描写を、さらに補強するもの言えるでしょう。

 「ドラマ」というワードが象徴的にあらわすように、野次馬たちにとっては、自殺がフィクション化したエンターテイメントとなっていることが分かります。

 この後に続くBメロとサビでは、1番と同じく、語り手の感情を記述。

 そして、2番サビ後に挿入されるCメロでは、語り手のさらに詳細な思想があらわされます。以下に引用します。

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

 語り手が、野次馬たちとは違い、自殺をエンターテイメントとして消費していないのは、ここまでの考察で分かりました。

 上記の引用部では「今ある命を精一杯生きなさい」という言葉を、「綺麗事」だと切り捨てています。これは何を意味するのか。

 よくある綺麗事を言うような人々も、野次馬たちと同じく、人の生死と向き合っていない。語り手は、そのように考えているのではないかと思います。

 自殺をエンターテイメントとして楽しめる人は、人の生死をセンセーショナルな出来事として、いわばドラマ化、フィクション化しています。

 それと同様に、綺麗事を言う人もまた、生死と向き合っているのではなく、自殺をありきたりのドラマのように捉えている。語り手はそう考えているんです。

結論・まとめ

 ここまでの考察をまとめましょう。

 曲のテーマとなるのは、人の生死。そして、それにまつわる現代人の異常性です。

 人の死をエンターテイメントとして楽しめる野次馬はもってのほかですが、綺麗事を言う人も、生死に正面から向き合っているわけではなく、むしろ臭い物にフタをしている。

 語り手はそのように考え、異常性を暴き出している。というのが、僕が出した結論です。

 この曲を例にとっても、あいみょんという人は過激なテーマを選んでいるようで、冷静な視点も持ち合わせた人なんだろうな、と思います。

 「生きていたんだよな」を聴く際に、「飛び降り自殺」とか「血まみれセーラー」といったショッキングな言葉にのみ注目し、「この曲すごいこと歌ってて面白いんだよ!」と反応するのは、この曲に出てくる野次馬たちと一緒。

 そんな踏み絵のような、メタ的な構造を持っているところも、面白いところです。

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あいみょん「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」歌詞の意味考察 グロテスクを増幅させる「私」の論理性


目次
イントロダクション
論理的な「私」
強引な論理
「私」の感情優先
結論・まとめ

イントロダクション

 「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのインディーズ時代の楽曲。作詞作曲は、あいみょん。

 2015年3月4日に、TOWER RECORDS限定のワンコインシングルとして発売。同年5月20日リリースの1stミニ・アルバム『tamago』にも収録されています。

 「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」という人目を引くタイトル。歌詞もタイトルに比例して、ショッキングというか、グロテスクというか、「私を好きじゃないならのならば死ね」という内容。

 解釈が難しいわけではなくて、わかりやすいといえば、わかりやす過ぎるラブソングです。ただ、一聴すると過激な言葉づかいに耳を奪われてしまうんですけども、あいみょんの作詞家としての冷静さも垣間見える1曲です。

 どういうことかと言うと「過激なことを書こう!」って、ただ勢いで筆を走らせたのではなく、「こういうことを書いた方が怖いだろうな」という冷静な面があるんです。

 そして、この曲の語り手である「私」は、狂気をともなっているのに、やたらと論理的で、その冷静さがますます恐怖を増していると思うんですよね。

 そんなわけで「冷静な語り手が怖さを増幅させている」という仮説に基づき、この曲の歌詞を読みといてみます。

論理的な「私」

 歌詞の内容や枠組みは、難しいものではありません。語り手である「私」が、「あなた」への愛情をひたすら綴っていきます。

 前述したとおり、解釈に迷うような歌詞ではないのですが、とにかく注意が向かってしまうので、その過激な言い回し。

 歌い出しとなる、1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

あなたの両腕を切り落として 私の腰に巻き付ければ
あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ
あなたの両目をくり抜いて 私のポッケに入れたなら
あなたの最後の記憶は 私であるはずよね

 曲の冒頭から、いきなりフルスロットルで飛ばしています。

 1行目から「両腕を切り落として」なんて、物騒な言葉が使われ、リスナーはいやが応にも楽曲の世界観に引き込まれていきます。(あるいは拒絶反応を起こすか。)

 ただ、過激な内容にもかかわらず、語り手の「私」はきわめて論理的。まず「あなたの両目をくり抜いて」と行動が示され、その後に「私であるはずよね」と理由が説明されています。

 そして、1曲をとおして上記と同じく、理由と結果がセットになった構造で、語られていくんです。

 内容はグロテスクで、むちゃくちゃなことを言ってるんですけども、語り方は冷静。このコントラストが「あ、この人には話が通じないな」という感を強調し、恐怖をますます増幅させていると言っていいでしょう。

強引な論理

 ただ「論理的」と言っても、しっかりと納得できる理由があり、結論に至っているのかというと、そうではありません。

 理由と結論を並べて、かたちだけは論理的になっている、と言った方が適切なぐらい強引なんです。

 1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

逃さないよ 離さないよ 私だけのあなたになるの
今すぐ部屋においで

 最初に「逃さないよ 離さないよ」と結論が示され、そのあとに「私だけのあなたになるの」と理由が付随しています。

 構造としては、理由と結果を述べているんですが、内容はどちらも「私」の感情。根拠があるわけではなく、そういう意味では、まったく論理的じゃないんです。

「私」の感情優先

 歌詞を読みすすめていくと、一貫して「私」の感情にもとづいて、論理を展開していることがわかります。

 1番サビの歌詞を、以下に引用します。

ねえ? どうしてそば に来てくれないの
死ね。 私を好きじゃないのならば

 1行目は「私」の心情の表明。2行目では「死ね」と思う理由として、「私を好きじゃないのならば」と続きます。

 順番を入れ替えると「私を好きじゃないのならば死ね」。もし〇〇ならば、という条件と、その結果がセットになっています。

 ただこれも、Excelの関数のようには納得できませんよね。上記の引用部から分かるのは、歌詞が「私」の感情に基づいているということ。

 実際には感情優先で根拠などないのに、あたかも根拠があるかのように、論理的な構造で話を進めているんです。

 2番に入ってもそれは同様で、「私」の感情が一方的に記述されていきます。

 2番サビの歌詞を、以下に引用します。

ねえ? どうして私から逃げ出すの
死ね。 あなたを愛しているのに

 上記引用部は、ちょっと構造が複雑。まず、語り手が伝えたい結論は「死ね」。

 「ねえ?」「あなたを愛しているのに」「どうして私から逃げ出すの」が、問いかけとなっています。

 つまり、語順が入れ替わっているわけです。ただ、話し言葉ではこのような入れ替えは、珍しいことではありません。

 あなたを愛しているのに、あなたは逃げ出してしまう。という理由に対して、それだったら「死ね」と、結論が導き出されています。

 理由は書かれているのですが、すべて「私」の感情に基づくものです。

 さらに、2番サビ後の間奏のあとに挿入されるCメロ。ここでは、ひたすらに「私」の感情が記述されます。以下に引用します。

誰にもあげない 触れさせやしない
あなたがもしも他の人と手を繋いでるのを見たら
指を喰いちぎるわ
足を引き裂き 歩かせやしない
唇を縫い 私だけのキスを味わえばいいの

 上記では、理由を述べることはなく、ひたすら「私」の感情があらわになっています。

 ここまでは理由と結果がセットになっていて、構造としては論理的。しかし、根底には「私」の感情があり、論理は「あなた」を追い詰めるための、道具であることが示唆されています。

結論・まとめ

 結論に入りましょう。この曲はショッキングな言葉選びが、まずリスナーの注意を引くのですが、論理的な構造の語りが、一層グロテスクと恐怖を増幅させています。

 なぜなら、ただアグレッシヴにまくしたてるよりも、語り手の冷静さが感じられ、その冷静さがますます「この人はマジなんだ」「この人には話を通じない」という印象を強めるため。

 結果として、歌詞のなかの「あなた」は、この論理性によって追い詰められていくんです。そして、リスナーにとっても、歌詞のなかの「あなた」と同様に、恐怖やグロテスクをより強く感じるでしょう。

 公式のYouTubeチャンネルに、LINEで作った「リリックムービー」が公開されているのですが、これが曲の世界観により深く浸ることのできる秀逸な動画。

 内容は、この曲の歌詞がそのままLINEに書き込まれていくというもの。歌詞を細かく区切って送信していて、感情がそのまま流れるように言語化されている印象を与えます。

 現代的と言えば現代的ですが、適当に書いているわけではなく、本論で考察してきたように、確固としたレトリックも感じらるのが、この曲のいいところ。

 表面上の言葉の過激さに注目しがちですけど、あいみょんという人は面白いソングライターだなぁ、と思わせる1曲です。

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