米津玄師「TEENAGE RIOT」歌詞の意味考察 10代の暴動的エモーション


目次
イントロダクション
10代らしい描写
語りの視点
自分へのメッセージ
過去をふり返る理由
言えなかった三文字
結論・まとめ

イントロダクション

 「TEENAGE RIOT」は、徳島県出身のシンガーソングライター、米津玄師の楽曲。2018年10月31日に、両A面シングル『Flamingo/TEENAGE RIOT』としてリリース。作詞作曲は米津玄師。

 タイトルの「TEENAGE RIOT」とは、直訳すれば「10代の暴動」。(「teenage」は13歳から19歳までなので、厳密には10代ではありませんが…)

 タイトルが示唆するとおり、歌詞にもリズムにも、10代を連想させる疾走感のある楽曲です。

 僕はこのタイトルを見て、まっ先にソニック・ユース(Sonic Youth)の同名曲「Teen Age Riot」が頭に浮かんだんですけど、この曲のタイトルを踏襲し、楽曲名ありきで制作された曲とのこと。

 いずれにしても「10代の暴動」というタイトルにふさわしく、10代の若者が抱く苛立ちや焦燥感が、閉じこめられた楽曲だと思います。

 僕がこの曲の歌詞で、興味深いなと思った点は、語りの視点。あくまで僕の解釈ですが、現在の視点から、少し昔をふりかえっているような構造になっているんです。

 年齢などは具体的には出てきませんけど、例えば20歳になった現在から、15歳の頃を思い出して語っているような。

 なぜそう思うのかというと、たびたび語尾が過去形になっているため。そして、サビに出てくる「バースデイソング」というワードです。

 本論では、語りの視点に注目しながら、「TEENAGE RIOT」の歌詞を読みといてみたいと思います。

10代らしい描写

 この曲には「僕」や「私」といった、一人称の代名詞は出てきません。出てくる代名詞は「君」と「あなた」の二つ。これについては後述します。

 一人称の代名詞は使わず、ひたすら語り手がマシンガンのように言葉を弾き出していきます。メロディーとアンサンブルも、小気味よく疾走感があるのですが、そこに乗る歌詞も同じく、疾走感をともなった言葉が並びます。

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

潮溜まりで野垂れ死ぬんだ 勇ましい背伸びの果てのメンソール
ワゴンで二足半額のコンバース トワイライト匂い出すメロディー

 一聴すると勢いに押されて、細かい意味は取れませんが、じっくり見ていくと、それぞれの言葉のイメージを利用しながら、多くの情報が盛り込まれています。

 まず、歌い出しの「潮溜まり」。海になじみがある人以外には、あまり聞きなれない言葉かもしれません。

 これは海岸で潮が引いたときに、岩のくぼみなどに、海水が取り残された状態のこと。タイドプール(tide pool)とも呼ばれます。

 大きな海ではなく、一時的な水たまり。つまり、海が大人の世界だとすると、まだ成熟していない10代を指しているのでしょう。

 「潮溜まりで野垂れ死ぬんだ」とは、無茶なことをやりがちな、10代の思考をあらわしているんだと思います。

 その後に続くのは、若さをシンボリックに描いた表現。人生の「潮溜まり」期がどのようなものか、後ろから説明しているということです。

 「勇ましい背伸びの果てのメンソール」とは、若者がタバコに憧れるけど、強いタバコは吸えず、メンソールを吸うこと。

 「ワゴンで二足半額のコンバース」とは、半額セールでコンバースのスニーカーを買い、結果としてみんな同じ靴を履いている状況。

 そして「トワイライト」とは、夕暮れ時のこと。中高生にとっての放課後の空気を、「メロディー」という言葉であらわしたのでしょう。

 こうして見ると、すべて若さを連想させる表現と言えます。

語りの視点

 Bメロの入っても、引き続き若さの描写が続きます。

 ただ、前述したように、このあたりから語りの視点が、単純ではなくなってくるんです。1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

今サイコロ振るように日々を生きて ニタニタ笑う意味はあるか
誰も興味がないそのGコードを 君はひどく愛していたんだ

 サイコロは、ゲームやギャンブルなどで使われる、乱数を発生させる道具。つまり「サイコロ振るように日々を生き」るとは、なにも決めずに、行き当たりばったりで毎日を過ごすという意味でしょう。

 「ニタニタ笑う意味はあるか」とは、おそらく反語的表現。そんな「笑う意味はあるか?」という問いかけではありますが、その奥には「笑う意味はない」という思いが隠れています。

 また、笑うかどうかが重要というよりも、その前に出てきた「サイコロ振るよう」な日々を、よしとするのか否かが重要なのでしょう。

 つまり引用部1行目をまとめると、行き当たりばったりで毎日を過ごすことに、意味はないということ。

 2行目は、特に解釈に迷うところはありません。しかし、気になるのは、突如として出てきた「君」。これが誰を指すのか、という点です。

 ここまでは、語り手が自分の感情を、勢いよく吐き出すような歌詞でした。でも、ここで「君」が出てきたことによって、語りの視点がどうなっているのか、設定が揺らぎ始めます。

自分へのメッセージ

 先ほども述べましたが、語り手が過去の自分にたいして「君」と語りかけている、というのが僕の仮説。

 その考えに至るヒントが、サビに出てきます。1番サビの歌詞を、以下に引用します。

煩わしい心すら いつかは全て灰になるのなら
その花びらを瓶に詰め込んで火を放て 今ここで
誰より強く願えば そのまま遠く雷鳴に飛び込んで
歌えるさ カスみたいな だけど確かな バースデイソング

 1行目の「煩わしい心」というのは、これまでに記述されてきたような、10代特有の感情ということでしょう。

 それが「いつかは全て灰になる」ということは、10代の頃のめんどくさい感情も、年を重ねればいずれ消える、という意味。

 2行目から3行目は、そんな感情は今すぐに捨ててしまえ、ということ。

 そして、4行目。「バースデイソング」とは、誕生日に歌う曲というわけではなく、大人に近づくことを意味しているのでしょう。

 つまり、上記引用部をまとめると、10代特有のめんどくさい感情なんて、いずれ消えるもの。だったら、そんなものは今すぐに捨てれば、大人に近づけるよ、ということです。

 ただ、面白いのは「カスみたいな」という一言が挟まれ、大人になることがいい事だよ、とは必ずしも言っていない点。

 上記引用部には、4行目に「歌えるさ」と語りかけるような語尾があり、誰かへのメッセージのように聞こえます。

 Bメロの最後には「君はひどく愛していたんだ」と、過去形の語尾が出てきていました。つまり、語り手は「君」の過去を知っているということ。

 その後に上記のサビが繋がり、今度は語りかけるような口調へと変わります。

 以上の2点から、「君」は過去の語り手であり、自分自身に問いかけている、と仮定しました。

過去をふり返る理由

 では、なぜ過去をふり返るのか、考えてみましょう。

 だいたい人が特定の過去をふり返るのは、なにかをやり直したい時。映画や漫画などでタイムリープするときも、過去を変えるためだと相場が決まっています。

 語り手も、過去のある時点をやり直したいと考えている。そう仮定して、2番の歌詞を検討していきます。まずは2番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

しみったれたツラが似合うダークホース 不貞腐れて開けた壁の穴
あの時言えなかった三文字 ブラスバンド鳴らし出すメロディー

 「ダークホース」とは、競馬で番狂わせを起こす馬のこと。言い換えれば、人気がある馬ではないとも言えます。

 「しみったれたツラが似合うダークホース」とは、クラスで中心的なキャラクターではなかった自分自身のことを、指しているのでしょう。

 「不貞腐れて開けた壁の穴」というのは、壁を殴って穴を開けたということ。

 2行目の「あの時言えなかった三文字」という一節が、この先の歌詞を読みとくキーになりそうです。具体的には分かりませんが、言いたかったのに、言えなかった言葉がある。語り手の後悔が伝わる一節です。

 「言えなかった」と過去形になっていることからも、上記引用部は昔をふり返っているのだと解釈すべきでしょう。

 つづいて、2番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

真面目でもないのに賢しい顔で ニヒリスト気取ってグルーミー
誰 も聴いちゃいないそのDコードを それでもただ信じていたんだ

 こちらも「信じていたんだ」と過去形で閉じられていることから、過去の回想。

 1行目は、なんとなく難しい顔をして、憂鬱な気分でいるのがかっこいいと思っていた、ということでしょう。いかにも10代の若者らしく、厨二病的とも、太宰治的とも言える行動です。

 2行目の「誰も聴いちゃいない」も、1行目の内容から繋がり、誰とも交わらずニヒルな態度でいたことを、強調しているのだと考えます。

言えなかった三文字

 2番Aメロに「あの時言えなかった三文字」と出てきて、過去の後悔を示唆するものの、その後は具体的な記述はなされていません。

 しかし、2番サビ後に挿入されるCメロの歌詞に、「三文字」のヒントになるのでは、と思われる言葉が出てきます。

 まずは、その前の2番サビの歌詞を引用します。

よーいどんで鳴る銃の音を いつの間にか聞き逃していた
地獄の奥底にタッチして走り出せ 今すぐに
誰より独りでいるなら 誰より誰かに届く歌を
歌えるさ 間の抜けた だけど確かな バースデイソング

 1行目の「よーいどんで鳴る銃の音」というのは、運動会などでスタートの合図を鳴らすイメージでしょう。

 2行目の「地獄の奥底」というのも抽象的ですが、ここまでの歌詞は一貫して、語り手が過去の自分を、客観的に見つめている内容です。

 そのため「地獄の奥底にタッチして走り出せ」とは、若さ特有のニヒリスティックな態度を今すぐ捨てろ、みたいな意味なんじゃないかと思います。

 3行目以降も、2行目と同じく、1人でニヒリストを気取った態度を指摘。「誰より独りでいるなら 誰より誰かに届く歌を
歌えるさ」と、エールを送っています。

 上記2番サビで注目すべきは、「独り」でいることが強調されている点。それを踏まえて、そのあとに続くCメロのサビを、確認してみましょう。

持て余して放り出した叫び声は 取るに足らない言葉ばかりが並ぶ蚤の市にまた並んで行く
茶化されて汚されて恥辱の果て辿り着いた場所はどこだ
何度だって歌ってしまうよ どこにも行けないんだと だからこそあなたに会いたいんだと

 冒頭の「持て余して放り出した叫び声」とは、若さに任せた叫びといったところでしょうか。

 その後には「取るに足らない言葉ばかりが並ぶ蚤の市にまた並んで行く」と続きます。そういう叫びも、若気の至りみたいなもので、特に珍しいものではない、ということでしょう。

 「何度だって歌ってしまうよ どこにも行けないんだと」とは、叫んだところで何も変わらないということ。やはりここでも、10代特有のエモーションを、冷静な目で見つめています。

 そして、引用部の後半に出てくる「あなた」。ここが重要だと思うポイントです。

 これまでは「君」という代名詞が使われていて、これは語り手自身をあらわしているというのが、僕の仮説。

 しかしここでは、同じ二人称代名詞ではありますが「あなた」に変わっています。これは誰を指すのか。

 具体的に誰を指すのかは不明ですが、「君」とは別の人を指すと僕は考えています。すなわち「あなた」は語り手自身ではなく、他者だということ。

 ここからは僕の想像ですが、「あなた」とは片思いの相手を指すのではないかと思います。

 「10代の暴動」というタイトルを持ったこの曲。その曲名どおり、10代らしい感情や態度が、綴られています。

 10代特有の感情といえば、この曲であつかわれるように、斜に構えた態度や、意味のない反抗心。そして、もうひとつ。不器用な恋愛も挙げられるのではないかと思います。

 この曲の語り手は、過去のある時期をふり返っていると、仮説を立てました。

 語り手は過去の自分を思い出し、若さにまかせて叫んでも「どこにも行けないんだ」と、今では悟っています。

 さらに「だからこそあなたに会いたいんだ」と「何度だって歌ってしまう」とも綴られています。「あなた」とは、思いを伝えられなかった相手。

 2番Aメロに出てきた「あの時言えなかった三文字」とは、「あなた」あるいはそれに準ずる言葉なのではないかと思います。

 「好きだ」だったら意味がわかるけど、「あなた」だけだったら意味が分かりません。でも、思いをあらわす象徴として「あなた」あるいは相手の名前をあらわす3文字が、「あの時言えなかった三文字」である、と僕は思います。

結論・まとめ

 以上「TEENAGE RIOT」の歌詞を、読みといてきました。

 「10代の暴動」というタイトルにふさわしく、10代特有のエモーションが閉じ込められたこの曲。

 ここまで考察してきたとおり、反抗心やニヒリズム、そして不器用な恋心などが、密封された楽曲です。

 この曲の良いところは、若さを礼賛するでもなく、全否定するでもないところ。

 希望と絶望、愛情と憎しみの両方が感じられるというか、なんとも情報量の多い曲だと思います。

 あと、これは僕の想像の域を脱しませんが、語り手が過去の自分へのエールを「バースデイソング」であらわしているところも秀逸。

 歌のなかに他の歌があり、現在の語り手のなかに過去の語り手がありと、構造が幾重にもなって、ますます曲をイマジナティヴなものにしていますよね。

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欅坂46「不協和音」歌詞の意味考察 「僕は嫌だ!」と叫ぶ理由


目次
イントロダクション
不協和音
人間関係
「僕は嫌だ」と叫ぶ理由
なぜ「僕」は同調しない?
結論・まとめ

イントロダクション

 「不協和音」は、アイドルグループ欅坂46の4作目のシングル。2017年4月5日にリリース。作詞は秋元康。

 2017年7月19日リリースの1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』にも、収録されています。

 音楽用語としての「不協和音」は、ざっくり言えばキレイに響かない和音のこと。でも、この曲が不協和音を多用した実験的な曲であるかというと、そうではありません。

 僕がこの曲を聴いて、最初に気になったのがそこです。なぜ音楽的には不協和音を使っているわけではないのに、「不協和音」というタイトルなんだろう。

 さらに、歌詞には「僕は嫌だ!」と叫ぶパートがあります。僕自身もそうだったけど、おそらく多くの人の耳に引っかかる部分でしょう。歌詞のハイライトとも言えるパートです。

 そこで本論では、この曲のタイトルがなぜ「不協和音」なのか。「僕は嫌だ」と叫ぶ理由はなにか、の2点に注目して、この曲の歌詞を読みといてみたいと思います。

不協和音

 まず、タイトルの「不協和音」について。前述したとおり、音楽的な意味で使われているわけではありません。

 じゃあ、なにをあらわしているのか。結論から言ってしまうと、人間関係における不協和をあらわすために、「不協和音」というワードが使われています。

 和音というのは異なる音程の複数の音が、調和して響くこと。ギターでコードを弾いたときの「ジャーン」っていう、心地よい響きのことです。

 異なる音がいくつか集まって、コードを構成するわけですけど、その中にひとつでも好ましくない音が入っていると、途端に気持ち悪い響きになってしまいます。これが不協和音。

 では、これを人間関係に置き換えてみましょう。複数の人が集まって議論しているなかで、1人でも同調しない者がいると、その場全体が険悪な雰囲気になってしまう、ということ。

 そして「不協和音」という楽曲は、このような不協和な人間関係を描いている、というのが僕の考えです。

人間関係

 それでは、この曲には誰が出てきて、どのような人間関係が描かれるのか。確認していきましょう。

 まず、登場人物は語り手である「僕」。他には「君」という代名詞も出てきますが、どうやら君以外にも複数の人がいて、議論をしている場面のようです。

 そして、「僕」だけが他のメンバーと意見を違える存在。「僕」一人のせいで、不協和音的な状況となっています。

 歌い出しとなる、1番のAメロの歌詞を見てみましょう。以下に引用します。

僕はYesと言わない
首を縦に振らない
まわりの誰もが頷いたとしても
僕はYesと言わない
絶対 沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける

 具体的な状況はわからないものの、「僕」はかたくなに抵抗しています。

 その後に続くBメロでは、「僕」の心情がより詳しく語られます。以下に引用します。

叫びを押し殺す (Oh!Oh!Oh!)
見えない壁ができてた (Oh!Oh!)
ここで同調しなきゃ裏切り者か
仲間からも撃たれると思わなかった
Oh!Oh!

 4行目に「仲間から」とあるとおり、敵対する者同士の議論ではなく、あくまで同じグループ内での議論であることが分かります。

 そんななかで、他のメンバーたちの意見に賛同できない「僕」。Aメロには「絶対 沈黙しない」とありましたが、Bメロ1行目には「叫びを押し殺す」とあります。

 つまり、決して自分の意見は変えないけれども、ことを荒げるような発言も謹んでいるようです。

 しかし、上記3行目と4行目にあるとおり、仲間たちから裏切り者あつかいされ、強い反対意見を受けているようです。

 「撃たれる」という言葉は、銃で撃たれるとも取れますけど、信頼していたメンバーからも反論を受ける、ぐらいの意味でしょう。

「僕は嫌だ」と叫ぶ理由

 グループ内で孤立していると思われる「僕」。サビに入る直前に、例の「僕は嫌だ」という叫びが入ります。

 なぜ「僕は嫌だ」と叫んだのか。ここまでの歌詞の流れを見れば、その理由は明白です。

 グループ内で異なった意見を持つ「僕」。ここまで、首を縦には振らないものの、叫びを押し殺してきました。

 しかし、裏切り者あつかいされ、反論を受けるなかで、ついに自分の感情を抑えることができなくなったのでしょう。

 決して自分の意見を変えない!という強い思いが、「僕は嫌だ」という叫びになって、表出したということです。

 そのため、AメロとBメロでは抑え気味だった「僕」の言葉が、サビではよりストレートに記述されます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

不協和音を
僕は恐れたりしない
嫌われたって
僕には僕の正義があるんだ
殴ればいいさ
一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら
僕を倒してから行けよ!

 AメロおよびBメロでは、「首を縦に振らない」「Yesと言わない」と記述されるだけで、「僕」の具体的な言葉が出てきませんでした。

 しかし上記サビでは、「僕を倒してから行けよ!」とアグレッシヴな言葉が登場。サビ前の「僕は嫌だ」という叫びから、堰を切ったように「僕」の感情が、言葉として溢れ出ていることが分かります。

なぜ「僕」は同調しない?

 さて、「僕」が強い意志をもった人であることは分かりました。でも、どうしてそこまでして自分の意見を変えたくないのか。

 議論の内容は出てこないので、具体的にどういう意見の相違なのかは分かりません。

 しかし、「僕」が意見を曖昧にしない理由が、2番のサビ以降に記述されます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

不協和音で
既成概念を壊せ!
みんな揃って
同じ意見だけではおかしいだろう
意思を貫け!
ここで主張を曲げたら生きてる価値ない
欺(あざむ)きたいなら
僕を抹殺してから行け!

 先述したとおり、この曲では人間関係が、音楽用語の不協和音に例えられ、描写されています。

 仲間たちで議論しているなかで、意見が違うのは「僕」ただ一人。つまり「僕」さえいなければ、美しいハーモニーになるはずなのに、「僕」のせいでその場が不協和音になっているということです。

 上記の引用部では、そもそも全員が「同じ意見だけ」の方がおかしく、むりやり主張を変えるぐらいだったら「生きてる価値ない」とまで言い切る、「僕」の強い言葉が綴られます。

 「僕」は、主張を変えるぐらいだったら、不協和音のままでよい。むしろ、意見をぶつけ合うことで「既成概念を壊せ!」という思想を持っているということ。

 2番のサビのあとに挿入されるCメロでは、「僕」の考え方がより詳細に語られます。以下に引用します。

ああ 調和だけじゃ危険だ
ああ まさか 自由はいけないことか
人はそれぞれバラバラだ
何か乱すことで気づく
もっと新しい世界

 1行目の「調和だけじゃ危険だ」。これは「僕」の思想を、端的にあらわした一節と言えるでしょう。

 なあなあで同じ意見だということにしておく方が危険であり、お互いの意見を戦わせて、新しい価値観を生み出すべきだ。「僕」はそう考え、そのために頑なに意見を曲げず、「僕は嫌だ」と叫ぶのです。

結論・まとめ

 ここまでの考察と解釈を、まとめましょう。この曲は意見の不一致を、不協和音に例え、描写しています。

 新しいことを生み出すためには、衝突はつきもの。そう考える「僕」は、むりやり他者の意見に合わせることはなく、不協和音もいといません。

 そのため、どんなにまわりに抑えつけられようとも「僕は嫌だ!」と叫んで、拒絶します。

 テーマとしては、意見をぶつけ合うことの重要性を扱っているんでしょう。面白いのはやはり、音楽用語の「不協和音」を、モチーフに使っているところですね。

 「不協和音で既成概念を壊せ!」という歌詞が出てきますけど、確かに音楽も決まりきったハーモニーとコード進行だけでは、マンネリ化してつまらなくなります。

 それに、協和か不協和かを決める基準は、慣れによるところも大きく、不協和音の基準は、時代や文化圏によって異なります。

 もう少し、楽曲の実験性を濃くしていても、面白かったんじゃないかな。例えば「僕は嫌だ!」の前後で、本当に耳障りな不協和音を入れるだとか。

 せっかく「不協和音」というタイトルなので、そんなことも個人的には妄想しています。

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BiSH「BiSH -星が瞬く夜に-」歌詞の意味考察 「化け物」は誰を指す?


目次
イントロダクション
歌詞の世界観
アイドルの命は如何に?
「化け物」は誰?
キツネちゃんたち
結論・まとめ

イントロダクション

 「BiSH -星が瞬く夜に-」は、WACK所属のアイドル・グループ、BiSHの楽曲。作詞は、BiSH・JxSxK・松隈ケンタ。作曲は松隈ケンタ。

 2015年リリースの1stアルバム『Brand-new idol SHiT』、2016年リリースの2ndアルバム『FAKE METAL JACKET』に収録されています。

 曲名にグループ名である「BiSH」が入っていることからも示唆されますが、BiSHの代表曲のひとつと言える曲です。

 歌詞の内容も「楽器を持たないパンクバンド」を掲げる彼女たちらしい、風刺に満ちたもの。

 いわゆるアイドルが歌う楽曲にしては、言葉づかいも少々口汚く、アイドルの常識へのカウンターを狙う、BiSHらしい楽曲とも言えます。

 歌詞のなかで、僕が特に注目したいのは、サビに出てくる「化け物」というワード。この「化け物」が誰を指すのか。

 結論から言ってしまうと、この曲を歌っているBiSH自身であり、アイドルを指しているんだと思っています。

 アイドルも人間であり、人間なら誰もが持つ汚さを晒すために、「化け物」という印象的なワードを使ったんじゃないかなと。

 そんなわけで、僕なりの「BiSH -星が瞬く夜に-」の歌詞の解釈を、これからご紹介したいと思います。

歌詞の世界観

 では、実際に歌詞では、どのようなことが歌われているのか。

 具体的なストーリーを伴っているわけではなく、とにかく疾走感を重視した歌詞です。

 「僕」や「君」などの代名詞も使われず、ひたすらに語り手が、言葉をマシンガンのように弾き出していきます。

 前述したとおり、内容には社会風刺を含んでおり、社会の人間のウソを露わにしたい、全てぶっちゃけたい、という意志が感じられます。

 例えば、歌い出しとなる1番のAメロ1連目では、下記のように歌われます。

ああ嫌い oh やめにしない? ハッタリばかり
oh 幾千のここはまるでパラダイス?

 1行目は、嘘とごまかしに溢れた世界に対しての発言なのでしょう。語り手はハッタリばかりの人たちと世界に、ウンザリしているのです。

 2行目の「パラダイス」とは、楽園のような場所という意味ではなく、あまりにもウソが多い社会に対しての、一種の皮肉だと考えます。

 その後に続く2連目でも、アグレッシヴで疾走感に溢れた言葉が続きます。1番のAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

間違い 算数苦手な学生たちが oh あくせくと 電卓たたく世界

 1連目以上に、ダイレクトな社会風刺と言えます。向き不向きに関係なく、画一的な人間になることを求められる社会。さらには、無能と思われる人物が、組織の上位に立つような社会を、意図してるのだと思います。

 歌い出しとなる、1番Aメロの歌詞を抜粋してみると、勢いと風刺に溢れた言葉が続いています。

 具体的なストーリーよりも、初期衝動をそのまま言葉に変換したかのような歌詞、とも言えるでしょう。

アイドルの命は如何に?

 その後に続くBメロには、「アイドル」というワードが登場。少しだけ、具体性を増します。

 1番Bメロの歌詞を、以下に引用します。

ギンギンに拡散なされたアイドルの命は如何に?

 上記の「命」の読み方は、「いのち」ではなく「めい」。おそらくは、使命の意味で使われているのだと想定できます。

 「ギンギンに拡散なされた」とは、SNS等での拡散によって、それなりの知名度を得たということ。炎上を利用するBiSH自体を、連想させる言葉でもあります。

 上記引用部をまとめると、拡散によって注目を集めることに成功したアイドルは、その後なにを目指すべきか、という意味でしょう。

 では、歌詞で問いかけられているとおり、アイドルの使命とは何かについて、考えてみます。ヒントとなるのは、その後に続くサビの歌詞。

 1番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

行かなくちゃ 化け物だって 気にすんな
星が瞬く夜に keep my face あどけない
そりゃね 決定からの速さは異常だし

 2行目の「keep one’s face」とは、そのままの顔、あるいは真面目な顔を保つという意味。

 そこから逆算すると、1行目の「行かなくちゃ 化け物だって 気にすんな」とは、体裁とか細かいことは気にせず、とにかくステージに立て!という意味ではないでしょうか。

 つまり、直前のBメロの歌詞を合わせると、注目を集めることに成功したんだから、とにかくステージでやりたいようにやっちまえ! それがアイドルの使命!ということです。

「化け物」は誰?

 ここで、僕が注目している「化け物」というワードが出てきましたね。

 先述のとおり、僕はこれをBiSH自身、およびアイドルを指していると仮定しました。その理由をご説明します。

 まず、先ほど解釈したとおり「化け物だって 気にすんな」は、体裁なんて気にするな、という意味。ここでの「化け物」とは、人には見せられない状態をあらわす言葉だと考えています。

 人に見せるべきではない、化け物のような状態。それを「化け物」という一言で、あらわしているわけです。

 これは何も、ノーメイクで人前に立つというような、見た目だけの話ではなく、過激な言動やパフォーマンスも含めているのでしょう。

 したがって、「化け物だって 気にすんな」とは、人にどう思われるかなんて気にするな、という意味。

 その後に続くサビ2連目にも、同じく「化け物」というワードが出てきます。以下に引用します。

言わないで 化け物だって 気にすんだ
星が瞬く夜に keep my face 裏返しでも なんでもいいよ
すぐ欲しがりだね 行っちゃうの?

 今度は「気にすんな」に代わって、「気にすんだ」と綴られています。

 上記1行目を解釈してみましょう。「言わないで」の主語はハッキリしませんが、おそらくファンも含めた世間の声。

 それを踏まえて意訳すると、いくらステージで無茶苦茶なことをやっていても、ネガティヴな言葉は気にする。だから、厳しい言葉は言わないでほしい、ということです。

 つまり、ここでは「化け物」がアイドルとイコールで結ばれています。

キツネちゃんたち

 「化け物」と同じく、アイドルを指すと思われる言葉が、もうひとつ出てきます。それは「キツネちゃんたち」。

 2番のAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

正解 嘘つきだらけ問題ありの キツネちゃんたちも
ここに来ればパラダイス!

 1番のAメロでも、嘘にまみれた社会を風刺する言葉が並んでいましたが、上記2番のAメロも同様。

 「キツネちゃん」とは、歌詞にもあるとおり「嘘つきだらけ問題ありの」人間を意味しているのは明白です。

 では、その後に繋がる「ここに来ればパラダイス!」とは、どういう意味でしょうか。

 問題ありの人間でも、アイドル現場に来れば楽しめる、とも取れます。

 しかし同時に、問題ありの人間でも、アイドルになることができる。社会には馴染めなくても、アイドルになれば居場所ができる、という意味にも取れます。

 僕が後者の解釈に思いあたった理由は、民間伝承ではしばしばキツネが女性に化けるため。

 歌詞には確定的に書かれていませんが、「キツネちゃん」はアイドルを指していると、僕は考えています。

結論・まとめ

 以上「BiSH -星が瞬く夜に-」の歌詞を、「化け物」というワードに注目しながら、読みといてきました。

 冒頭にも書いたとおり、この曲における「化け物」は、語り手であるアイドル自身を示す、というのが僕の出した結論。

 この曲は、新生クソアイドル(Brand-new idol SHiT)をグループ名とする、BiSHのコンセプトとも重なり、自分たちの無様な部分も晒すことを歌っています。

 終盤の歌詞には、以下の一節があります。

ギンギン好奇心の目たち クソの命は如何に?

 それまでは「アイドルの命」という歌詞だったのに、アイドルが「クソ」に入れ替わってしまいました。

 クソを自称し、クソな部分も晒す。それがパンクの初期衝動にも近く、聴き手の感動と共感を生むのでしょう。

 最初にも書きましたけど、曲名にも「BiSH」と入っていますし、彼女たち自身のアンセムのような曲なんでしょうね。

 ちなみにミュージック・ビデオはクソまみれで、なんというか凄まじいです(笑)

 ただ、歌詞の内容にも合っていて、テクニックよりもアティチュードだ!って初期衝動で突っ走るパンク感が、ものすごく出ている映像だと思います。

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miwa「ヒカリヘ」歌詞の意味考察 コミュニケーションの速度と強度


目次
イントロダクション
コミュニケーションの速度
「私」の悩み
「ホントの声」とは?
タイトルの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「ヒカリヘ」は、神奈川県出身のシンガーソングライター、miwaの9枚目のシングル。2012年8月15日にリリース。

 2013年リリースの3rdアルバム『Delight』にも収録されています。作詞作曲はmiwa。

 フジテレビ系ドラマ『リッチマン、プアウーマン』の主題歌となっており、オリコン最高4位。miwaさんの代表曲と言っても、差し支えないでしょう。

 歌の内容としては、語り手である「私」が、「君」への思いを綴るもの。片想いの心情を描いた、楽曲のように聞こえます。

 僕がこの曲を聴いて、面白いなと思ったのは、テクノロジーの中で生きる人間が描かれている点。

 具体的には、インターネットが発展し、コミュニケーションの速度は格段に上がったけれども、それを利用する人間の感情は変わっていませんよ、ってことを歌っているんです。

 ネット社会における孤独や、テクノロジーとの対比によって引き立つ人の暖かみも感じられて、現代的なラブソングなのではないかな、と思います。

 そこで、本論では「ヒカリへ」の歌詞を、コミュニケーションの手段に注目しながら、読みといてみます。

コミュニケーションの速度

 前述したように、この曲ではインターネットによって高速化したコミュニケーションが、モチーフとして使われています。

 例えば、歌い出しの言葉。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

理想現実ワンクリック 光の速度に変わっても
地球の裏より遠い距離 アダムとイヴにはなれない

 「理想現実」という言葉は、辞書的には存在しません。しかし、文脈を考えれば、意図するところは分かります。

 かつての人類の理想が現実になり、クリックひとつで情報を送信できるようになった、ということでしょう。そもそも、1ワードとして捉えるべきではないのかもしれませんが。

 「仮想現実」と語感が似ていますし、仮想現実にならってmiwaさんがあみ出した造語だと、個人的には考えています。

 上記引用部を、順番に解釈してみましょう。前述のとおり、1行目はインターネット等の発達により、コミュニケーション速度が格段に上がったことをあらわしています。

 2行目の「地球の裏より遠い距離」は、地球の裏の人とも瞬時にコミュニケーションをとれるようになったけれども、それによって人間関係の距離が、縮まるわけではないということ。

 「アダムとイヴにはなれない」とは、特に男女関係において、コミュニケーション速度が上がったからといって、親しくなれるわけでない、という意味でしょう。

 「地球の裏より遠い距離」は、1行目の内容を受けて、遠くの人とも簡単にコミュニケーションがとれる事実を強調。

 同時にその後に続く「アダムとイヴ」へも繋がり、コミュニケーション・ツールが発達しても、必ずしも親しい関係にはなれない。近くにいても、精神的には地球に裏側にいるように感じることもある、という意味だと考えます。

 まとめると、通信技術の発達によって、地球の裏側の人とも容易にコミュニケーションがとれるようになったけど、だからといって必ずしも他人との関係が近くなるわけではない、ということですね。

 ハッキリとは記述されませんが、語り手は人間関係に悩んでいるのでは、と示唆する内容です。

「私」の悩み

 じゃあ、語り手はどんな悩みを抱えているのか。その内容が、Bメロ以降で明かされていきます。

 1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

悲しみの生まれた場所たどって
その傷やさしく触れて癒せたなら

 こちらの引用部も抽象的で、具体的なことは分かりません。しかし、誰かの悲しみを癒したい、という感情は明らかにされています。

 その後に続くサビの歌詞で、癒したい対象が誰であるのか、明らかになります。以下に引用します。

溢れる想い 愛は君を照らす光になれる
切ないほどに
たとえ描く未来 そこに私がいないとしても
いまはそっと抱きしめてあげる

 ここまでは代名詞が出てきていませんでしたが、上記のサビでは「私」と「君」が登場。語り手である「私」は、「君」に好意を寄せていることが分かります。

 具体的には書かれませんが、可能性の一つとしては「私」は「君」に、片想いをしているのでしょう。そう考えると、Aメロの歌詞の内容も、しっくりきます。

 ここまでの歌詞の内容をまとめると、「私」は「君」に片想いをしている。メールやSNS等のツールによって、コミュニケーションを取ることはできるけれども、2人の距離は思うように縮まらない、ということです。

「ホントの声」とは?

 1番のAメロでは、通信技術の発達が、必ずしも人との距離を縮めることにはならない、と主張されていました。

 それに対して2番のAメロでは、ツールを用いたコミュニケーションの問題点が指摘されています。以下に引用します。

遠慮配慮言葉の最後 感情記号化されても
心の奥まで伝わらない ホントの声を聞かせて

 1行目は、メールやLINE等の文末を、絵文字でしめる事をあらわしているのでしょう。

 そして2行目には、そのように絵文字で感情を記号化しても、本当の気持ちは伝わらない、と続いています。

 前述のとおり、1番のAメロで主張されたのは、通信ツールの発達が、必ずしも人との距離を縮めないということ。

 2番のAメロでは、さらに一歩踏み込んで、テクノロジーを介したコミュニケーションによって、感情が伝わりにくくなってしまう、と主張されています。

 言い換えれば、技術の進歩によって、コミュニケーションの速度は上がったけれど、強度は損なわれてしまったということです。

 語り手である「私」は、システム化したコミュニケーションが充満する現代社会において、本当の感情をおもてに出し、人のぬくもりを感じることを、求めているのでしょう。

タイトルの意味

 全てカタカナで表記された、タイトルの「ヒカリヘ」。これが何を意味するのか、考えてみましょう。

 歌詞の1行目に「光の速度に変わっても」と出てきました。つまり、ひとつには高速化したコミュニケーションをあらわしているのだと思います。

 そして、サビの歌詞にも「愛は君を照らす光になれる」と出てきます。こちらは、人を癒したり、助けたりする、目に見えない力を「光」という言葉であらわしているようです。

 いずれもカタカナではなく、漢字で「光」と表記されています。では、なぜタイトルではカタカナ表記となっているのか。

 僕の考えでは、記号化した言葉が多い現代において、本当の心を大切にしたい、という思いをあらわすため。「ヒカリヘ」とカタカナにすることで、絵文字のように言葉を記号化しているのだと思います。

 しかし、この曲は「光」が記号化して価値がなくなってしまった、と主張しているのではありません。記号化した社会においても、人を思う力を信じたい、と訴えているのです。

 感情を記号化し、ワンクリックで送信できる世界において、本当の声を届ける大切さを説いた曲だと、僕は考えます。

結論・まとめ

 では、結論に入りましょう。

 通信技術の発達で、コミュニケーションが高速化した現代。それは便利であるのと同時に、コミュニケーションおよび人間関係の濃度が、希薄になる危険性もはらんでいます。

 「ヒカリヘ」は、コミュニケーションが高度にシステム化していく現代において、感情を素直に伝える大切さを歌っている、というのが僕の出した結論。

 高度に発達したテクノロジーのなかで生きる、人間の孤独もあらわていて、現代社会の問題点を切り取った、優れたラブソングでもあると思います。

 それと、サウンドの面でも、電子音と生楽器のコントラストが、歌詞の内容とリンクしているところにも注目してください。

 いかにも打ち込みっぽいバスドラの四つ打ちが入っているのに、ダンス・ミュージックの要素は皆無。シンセサイザーのソフトなサウンドも多用されているのですが、むしろアコースティック・ギターと歌が、対比的に際立っています。

 電子音を用いることで、歌と生楽器の暖かみが増しているんです。

 最新のテクノロジーを用いてサウンドを構築しつつ、人の声とメロディーの良さを中心に据えていて、歌詞の世界観をそのまま音にしたのかなというバランス。

 いい意味で現代的であるし、名曲だなぁと思う1曲です。

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BiSH「本当本気」歌詞の意味考察 「僕」と世界の対立構造


目次
イントロダクション
「僕」は誰と戦う?
17歳と20歳
疑問文を使った意味
僕vsあの子
結論・まとめ

イントロダクション

 「本当本気」は、WACK所属のアイドルグループ、BiSHの楽曲。2016年10月5日リリースの3rdアルバム『KiLLER BiSH』に収録されています。

 作詞を担当したのは、メンバーのアユニ・D。タイトルの読み方は「ほんとうほんき」です。

 まず気がつくのは、歌詞のアグレッシヴな言葉づかい。まさに、楽器を持たないパンクパンドかくあるべし!という曲に聞こえます。

 内容的にも、自身の価値観を訴えていて、アグレッシヴと言っていいでしょう。

 ロックやパンクでメッセージ・ソングと言えば、大人と子供の対立を描くことが、たびたびあります。

 「本当本気」でも、語り手である「僕」と、他者との対立をテーマとしています。ただ対立構造は、大人vs子供の世代による対立ではなく、価値観による対立なんです。

 若者の立場から、大人を仮想敵とした、よくある世代間の対立構造を利用せしないのが、この曲の特異なところ。

 そして、価値観による対立を設定することで、よりメッセージ性が引き立つ効果を生んでいるんじゃないかと。

 そんなわけで、曲中における対立構造に注目しながら、「本当本気」の歌詞を読みといてみたいと思います。

「僕」は誰と戦う?

 世代間闘争ではないものの、この曲には対立構造が存在すると書きました。では、それは誰と誰の対立なのか。

 答えは歌い出しの歌詞に、記述されています。以下に引用します。

みんなが僕をバカにすんだ なめんな

 大人vs子供どころか、僕vsみんな。世界のすべてを敵視したような対立関係です。

 大人どころか世界にツバを吐くような態度は、大人を仮想敵とするより、よっぽど厨二病的とも言える思考ですが、敵を大きく設定することで「僕」の価値観にフォーカスし、より強調する結果にもなっています。

 「みんな」が誰を指すのか、具体的には書かれていませんが、常識的な言葉で説教してくる人全般ということでしょう。

 いずれにしても、「僕」と「みんな」の対立が宣言され、曲がスタートします。

17歳と20歳

 世代間の対立を描いてはいないのですが、歌詞には、ふたつの年齢が出てきます。それは17歳(seventeen)と、20歳(twenty)。

 差は3年しかありませんが、前者が高校生が想定される年齢であるのに対して、後者は成人した年齢であり、大きな差異が感じられる年齢差となっています。

 例えば同じ3歳差でも、23歳と26歳、55歳と58歳などであったら、これほどの印象の差は生まれないでしょう。

 わずか3年の差で、大きな意味の差異をもたらす17歳と20歳。では、これらふたつの年齢を用いて、どのような内容が語られるのか、確認しましょう。

 まず、17歳について。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

もうやりたいことやれずに
ああいつになったならやりますか?
学校でやってやるんです
seventeen まだseventeen
ああ消したい事殺れずに
じゃあいつになれば殺れます?
大きくなって求めるんだ
seventeen まだseventeen’S OK??
まだseventeen

 上記引用部では、まだ17歳であるがために、できない事柄が多いと記述されます。

 それに対して、2番では年齢が3つ上がり、20歳になっています。1番の歌詞と対比させるなら、年齢が上がって成人を迎えることで、17歳のときにはできなかった事が、できるようになるのでは、と予想できます。

 では、実際に歌詞では、どのように展開するのか。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

言いたいことも言えずに
じゃあいつになれば言うんですか??
会社で言ってやるんです
twenty もうtwenty
死にたいことも癒えない
じゃあいつになれば癒える?
大きくなって求めるんだ
twenty もうtwenty だった
だってtwenty

 予想に反して、20歳になったけれども言えないことが多い。いったいいつになったら言えるのか、という内容が記述されています。

 つまり両者の内容を合わせると、いくつになっても禁止される事柄があるということ。年齢が上がったからといって、自動的に自由になれるわけではないということです。

疑問文を使った意味

 先ほどの引用部を含めて、歌詞にはクエスチョンマークで閉じられる、多くの疑問文が出てきます。

 これが何を意味するのか、検討しましょう。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

本気出すのは今ではない
嘘じゃない 知ってた?
能ある鷹はね爪隠すの
頭がおかしくなっちゃっても
クズじゃない 知ってた?
ここでやめちゃだめでしょ
to die or 生

 確認してみると、いずれの疑問文も前言を確認していることが分かります。疑問文を投げかけられた相手はハッキリしませんが、それは重要ではありません。

 重要なのは「僕」が自分の意見を持っていることが、強調されている点。そして、世間の一般的な考え方に対するカウンターとなっている点です。

 つまり「本気出すのは今ではない 馬鹿じゃない 知ってた?」という疑問文には、「今、本気を出さないやつは馬鹿だ」という思考へのカウンターが含意されており、「僕」が疑問を投げかける相手は、そのような思考を持つ人すべてということ。

 世間一般に対する疑問と言い換えても、いいかもしれません。まとめると、いずれの疑問文も「僕」の意志を、強調する効果を生んでいます。

 また、引用部ラスト「to die or 生」の「生」は、セイと発音されています。英語の「say」を連想させる発音であり、自分の本当の気持ちを言うことが、生きる事と同じぐらい重要である、という「僕」の強い意志があらわれた一節です。

僕vsあの子

 この曲の対立構造は、あくまで価値観においての対立であり、世代間の対立ではない、と先述しました。

 それが強調される歌詞が、2番のサビ後に出てきます。以下に引用します。

あの子がさほざいてた
人はいつか死ぬと
本当に本気を見せないと

 「あの子」とは同級生を想定しているのでしょう。少なくとも世代を隔てた大人ではありません。

 「ほざいてた」という言い回しからは、語り手の反発心があらわれています。つまり「あの子」に反論するのと同時に、そんなもっともらしい言葉で説教されなくても、自分の意思を持っているということでしょう。

 上記引用部から、感想を挟んで、3回目のサビへと入ります。当該部分には「僕」の思考が、もっとも端的にあらわれています。以下に引用します。

生きたいようにもう生きずに
じゃあいつになれば生キル??
いまから生きてやるんだそう
KODOMOでも OTONAでも無い
BOKUだから

 大人や子供をいった年齢のカテゴリーによって、自分の行動を決めるのではなく、自分の信念に従う。そうした「僕」の意志が、はっきりと表明された部分だと言えるでしょう。

結論・まとめ

 以上、対立構造に注目しながら、「本当本気」の歌詞を読みといてきました。

 冒頭にも書いたとおり、この曲の特異な点はその対立構造。世代による対立ではなく、価値観による対立を描くことで、メッセージ性をより際立たせています。

 「みんなが僕をバカにすんだ」という一節に集約されていますけど、自分には味方がいないという前提と、世界に向けてツバを吐くような態度も、内省的でいかにもロック的だなと思います。

 同時に厨二病的とも言えるのかもしれませんが。僕自身は厨二病的な価値観を引きずったままのダメな大人なので、「本当本気」の歌詞が響きまくって仕方がないです。

 ちなみにこの曲にハマるきっかけは、私立恵比寿中学の中山莉子の生誕ソロライブ。中山さんがこの曲を、ライブでカバーしてたんですよね。

 彼女の芯の強さを感じさせる、すばらしいカバーでした。

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