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エレファントカシマシ『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』


エレファントカシマシ 『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』

アルバムレビュー
発売: 1988年11月21日
レーベル: EPIC/SONY

 『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』は、エレファントカシマシの1988年発売の2ndアルバム。

 1stアルバムで確固たるオリジナリティと音楽性を提示したバンドが、2ndアルバムをどのような作品に仕上げるべきなのか、というのは非常に難しい問題です。1stアルバムの方向性をつきつめていくべきなのか、あるいは新たな音楽性を目指すべきなのか。

 もちろん、このような二元論で割り切れるトピックではありませんが、2ndアルバムが1stアルバムとの比較で評価される側面を持つのは、事実と言わざるを得ないでしょう。

 1stアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』で、あふれ出るエモーションがそのまま音楽に具象化したような作品を作り上げたエレファントカシマシ。その1stアルバムの発売から、わずか8ヶ月後にリリースされたのが『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』です。では、そのわずか8ヶ月のインターバルで音楽はどのような進化を遂げたのか、あるいは遂げなかったのか。結論から言うと、前作のアグレッシブさは失わずに、表現力を格段に広げた1作であると思います。

 足がもつれながらも疾走していくように、ラフさとタイトさの共存した、ドライヴ感あふれるサウンドの「ファイティングマン」からスタートした前作。今作の1曲目「優しい川」は、テンポも抑え目に、ボーカルも感情を抑えたような気だるい雰囲気の歌い方で始まります。ギターの歪みも抑え目で、あきらかに前作とはサウンド・プロダクションの異なる1曲目です。

 しかし、再生時間0:35あたりから全体のリズムが切り替わり、ボーカルも「ファイティングマン」を彷彿とさせるエモーショナルな歌い方へ。各楽器とボーカルが、お互い遅れるような、前のめりになるような、直線的ではない不思議なリズムを形成します。このリズムとボーカリゼーションの切り替えは、Aメロからサビへの進行のように1曲をとおしておこなわれ、リズム的にも音量的にもレンジの広い1曲です。

 2曲目「おはよう こんにちは」は、テンポはやや抑え目なものの、前作でも聴くことのできた宮本さんのエモーショナルな歌唱が、歌い出しから堪能できます。歌い出しの歌詞は、タイトルと同じく「おはよう こんにちは さようなら」となっているのですが、これ以上にエモーショナルな「おはよう」も「こんにちは」も存在しないと言い切れるぐらいの、すさまじいパワーの込められた「おはよう」と「こんにちは」です。

 リズムがゆったりな分だけ、むしろアップテンポな曲よりも、宮本さんのボーカリゼーションの凄みが、ダイレクトに迫ってきます。また、この曲での宮本さんは、小節線を越えてしまうのではないか、バンドの演奏とズレが生じてしまうのではないかと心配になるぐらい、リズムにタメをたっぷりと取っており、バンドとボーカルの関係性も、音楽的なフックになっています。

 ささやくような静かな歌い方と、絞りだすシャウトのような歌い方が、交互に切り替わる、ドラムの冨永さん作詞作曲の4曲目「土手」、5拍子と3拍子を使った5曲目「太陽ギラギラ」など、新たな方法論に果敢にチャレンジしていく、バンドの志の高さが随所にうかがえます。しかし、この2曲を例にとっても、ただ単に今までやったことがないことをやってみる、言い換えれば実験のための実験になっているのではなく、バンドが表現できる感情の幅を拡大したい、という意思がはっきりとわかります。

 例えば「土手」の、「そばにいて 笑って」の部分で細かくボーカリゼーションを切り替える部分は、熱情を吐き出すように歌う激しさと、愛情をささやくように歌う繊細な表現の、中間点を目指しているように思えます。歌い方を変えることで、それまでは表現できなかった感情を表現する、感情表現の精度をさらに高めることを、目指したのではないでしょうか。

 アルバムのラストを飾る10曲目は「待つ男」。宮本さんは、イントロでは気だるい溜息のような声を出し、その後はエモーション全開。この圧倒的な声の支配力は1stアルバムでも確立されていたエレカシの長所のひとつですが、「待つ男」でのバンドのアンサンブルは、1stアルバムには無かった新たなグルーヴを探るかのように新鮮です。各楽器がリズムにタメを作ったり、曲の途中にバンド全体でリズムを変えたり、宮本さんも独特のタイム感で歌い、リズムが伸縮するような心地よさがある1曲です。

 『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』は、前作で磨きあげたエモーショナルな感情表現とバンドのアンサンブルを、さらに広げた1枚です。すなわち、熱量の高いボーカリゼーションとバンド・アンサンブルは捨てることなく、熱量のコントロールがより自在になった1枚。

 最高温度は前作と変わらず、温度の幅が広がった1枚と言えるのではないかと思います。アグレッシブさは無くさず、感情表現の幅を確実に広げた『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』は、理想的な2ndアルバムだと言っていいでしょう。

 





エレファントカシマシ『THE ELEPHANT KASHIMASHI』


エレファントカシマシ 『THE ELEPHANT KASHIMASHI』

アルバムレビュー
発売: 1988年3月21日
レーベル: EPIC/SONY

 『THE ELEPHANT KASHIMASHI』は、エレファントカシマシの1988年発売の1stアルバム。

 1曲目の「ファイティングマン」。再生ボタンを押すと、初期衝動がそのまま音楽になったかのような、エモーショナルでテンションの高い音が押し寄せてきます。特に宮本さんのボーカルは圧巻で、どうやったらスタジオでこんなテンションを保てるのか、と思うほどに鬼気迫るパフォーマンス。

 歌詞に沿ってメロディーを歌う以外にも、間奏で思わず漏れるシャウトや息づかいには、まるでその場で歌っているかのようなリアリティがあります。バンドの演奏も、タイトさとラフさのバランスが抜群で、ロックバンドかくあるべし!というエキサイトメントに溢れ、アルバムのスタートにふさわしい1曲です。

 ロックバンドの1stアルバムには、初期衝動をそのままパッケージしたような、生々しく、エモーショナルな作品が少なくありません。エレカシの1stアルバムも、まさにそうした若々しいエモーションに満たされた1枚。しかし、そうした荒削りなエモーションは、魅力として表出されるのと同時に、サウンド・プロダクションやアンサンブルにおけるルーズさや稚拙さを伴う危険性もはらんでいます。

 では、このエレカシの1stアルバムはどうかというと、アンサンブルや作詞作曲の技法についても、非常に高い完成度を持っています。このアルバムの魅力は、その圧倒的なエモーションの表出にあるのは事実。しかし、何度も聴きこんでいくと、エモーショナルで生々しいサウンドの土台には、確固としたアンサンブルが存在していることに気がつくはずです。僕自身も、このアルバムが放つすさまじいエネルギーに、まず耳と心を奪われてしまうのですが、その熱量の高さばかりに注目していると、この作品の魅力を完全には捉え損ねることになるかもしれません。

 例えば1曲目の「ファイティングマン」では、イントロのギターリフに続いて入ってくるベースのリズムが安定していたり、ドラムが若干のタメを作ってグルーヴを生み出していたりと、バンドとして練習を重ね、アンサンブルをタイトに磨きこんできた様子が随所に感じられます。

 宮本さんは、感情を歌に変換することにおいて、これ以上ないぐらいの優れたボーカリストですが、タイミングを遅らせたり、ライブでは小節線を越えてタメを作ったりと、タイム感にも優れた魅力的なボーカリストだと思います。そんな宮本さんの伸縮するようなリズムの取り方にも惑わされることなく、いやむしろ呼応するように曲を加速させていくバンド・アンサンブルは、それだけでかなりの完成度と言えるでしょう。

 「友達なんかいらないさ 金があればいい」とリスナーをアジテートするように歌う2曲目「デーデ」、タイトなリズム・セクションにほどよくラフなギターが乗る3曲目「星の砂」など、アルバムの流れを加速させるようなロック・ソングが続きます。これらの楽曲も、荒々しく疾走感のある曲なのですが、バンドがひとつの塊のように結束しており、アンサンブルが散漫になることは一切ありません。

 むしろ、ラフな部分がグルーヴとなり、より曲を加速させていくような感覚があります。7曲目「BLUE DAYS」では、ギターとドラムがたっぷりとタメを作ったイントロから、各楽器が絡み合うようにグルーヴが生まれていきます。アルバムを通して、エモーションの音楽への表出と、バンドのアンサンブルが有機的に合わさり、最後まで一気に駆け抜けていくような作品です。

 エレカシはこのあと何十年もメンバー交代なく存続していくわけですが、のちの「奴隷天国」や「ガストロンジャー」といった楽曲で聴かれる、圧倒的なエモーションをそのまま音に変換したかのような技法は、1stアルバムの時点で、すでに完成されていると言っていいでしょう。その後のエレカシは、熱量の高いアグレッシブなエモーションの表出という長所は失わず、メローな歌唱や詩的な歌詞表現など、音楽性を確実に押し広げていきます。

 ロックバンドとしてのラフな魅力と、楽曲とアンサンブルの完成度。走り出したばかりのバンドには、両立が困難かと思われる要素を、高い次元で完成させているこの作品は、文句なしの名盤です!

 





エレファントカシマシ『風』


エレファントカシマシ 『風』

アルバムレビュー
発売: 2004年9月29日
レーベル: フェイスレコーズ

 『風』は、2004年に発売されたエレファントカシマシ16枚目のアルバム。

 エレファントカシマシの魅力は、楽曲の良さもさることながら、パワー溢れる圧倒的なライブ・パフォーマンスにもあります。宮本さんのボーカリストとしての技量と、バンドとしての一体感あふれるアンサンブル。そんなライブ・バンドとしてのエレカシの魅力が、このアルバムには詰まっています。

 まず、サウンド・プロダクション。宮本さんのボーカルをはじめとして、まるでバンドが目の前で演奏しているかのような臨場感のある生々しい音でレコーディングされています。

 そして、曲順。曲順もまるでライブのセットリストのようになっていて、アルバム全体で起承転結が感じられ、メローな曲からアグレッシブな曲まで幅広く収録されているのに、散漫な印象は全くなく、作品としてまとまっています。

 スタジオ・アルバムであるのに、音質と曲順の両面で、まるでライブ・アルバムのような耳触りなのです。前述したようにエレカシの魅力のひとつはライブ・パフォーマンスにあるのですが、その雰囲気が少なからず感じられる作品です。そういう意味ではベスト・アルバムと並んで、意外とエレカシ入門用のアルバムとしても最適なのではないかと、個人的には思っています。

 1曲目の「平成理想主義」。曲を再生すると、まるでメンバーがステージに出てきて、音合わせをしているかのようなラフで自由な雰囲気でアルバムは始まります。メンバーの空気感まで伝わってくるような音。そのまま音出しがしばらく続き、おもむろにギターがリフを弾き始め、曲がスタート。この、さりげなさも非常にかっこよく、リアリティを感じます。

 「平成理想主義」はミドルテンポながら、リズムにタメがあり、各楽器が絡み合いながらグルーヴしていて、一聴しただけでかっこいいと思うロック・チューンです。そして、やはりライブ感あふれる宮本さんの声とボーカリゼーション。もう、この1曲目の時点で、アルバムの世界に引き込まれてしまいます。

 2曲目はイントロからビートがわかりやすく、やはり即効性のあるかっこよさの「達者であれよ」。サビでの宮本さんのエモーションを絞り出すようなボーカリゼーションは、とてもスタジオ録音とは思えない生々しさがあります。

 1曲目、2曲目とガツンとくる曲が続いた後での3曲目「友達がいるのさ」。ここまでの2曲から一変して、バンドもボーカルも抑え気味のじっくり聴かせるようなイントロ。この緩急のつけ方に、ライブのセットリストのような意図を感じます。イントロは抑え目に始まるものの、ダイナミズムが非常に広くドラマチックな1曲。ガツンとした1曲目と2曲目でリスナーをアルバムの世界に引き込んだうえで、3曲目にこのようなキラー・チューンを配置されてしまっては、ますますアルバムの世界観に引き込まれざるを得ません。

 4曲目「人間って何だ」。この曲もビートがはっきりしていて、各楽器のアレンジもシンプルながら緩やかにグルーヴしていて、ロック的な楽しみのある1曲。タイトルのとおり「人間って何だ?」と問いかけ、それに対する応答という、コールアンドレスポンスの構造をした歌詞も聞き取りやすく、心にスッと届きます。

 5曲目「夜と朝のあいだに…」、6曲目「DJ In My Life」とテンポを落としたメローな曲が続き、7曲目「定め」では、またロック的なビートが戻ってきます。緩急をつけながら、不自然ではないバランスでテンポと曲想の異なる曲が並び、本当にライブを観ているような気分にさせてくれる曲順。

 そしてラスト10曲目の「風」。アルバムのタイトルにもなっているこの曲。アコースティック・ギターを中心にした、ゆったりしたアンサンブルのなか、宮本さんの歌うメロディーと言葉が響き渡ります。

いつか通ったとおりを辿り来た気がする
「いいのかい?」なんてさ 「いいのかい?」なんてさ

 ここまでアルバム1枚を通して、様々なグルーヴやエモーションを届けてくれたエレカシ。この「風」に至るまでに、すっかりこちらの耳も心もこのアルバムにチューニングが合い、引用した上記の歌詞も、1曲単体で聴くよりも深く心に染み入ります。ライブでアンコールの最後の1曲を聴くような感覚があり、この曲を聴き終わると、まるでライブを1本見終えたような満足感が残ります。ぜひ、アルバム1枚を通して聴いていただきたい作品です。

 





エレファントカシマシは「悲しみの果て」に希望があるとは歌わない


 「悲しみの果て」は、1996年4月19日に発売されたエレファントカシマシ10枚目のシングル。

 同年11月1日には、カップリング曲を替えて12枚目のシングルとして再リリースされています。8thアルバム『ココロに花を』にも収録。作詞作曲は宮本浩次。

 エレファントカシマシの代表曲と言っていい「悲しみの果て」。エレファントカシマシの歌詞は文学的だと言われることがありますが、「悲しみの果て」の歌詞も文学的で優れたものだと思います。

 しかし「文学的」の一言で片づけてしまっては、この楽曲の魅力を適切に言語化しているとは言えません。そこで、この論では「悲しみの果て」の歌詞のどこが優れているのかを、考察していきます。

 また、歌詞を持つポップ・ミュージックにおいては、歌詞と音楽を完全に分離して考えるのも不自然なので、歌詞を際立たせる楽曲の構造についても述べたいと思います。

 そして、最終的にはこの曲の分析を通して、エレファントカシマシというバンドの魅力を少しでもお伝えすることを目指します。

楽曲の構造

 再生ボタンを押すと、まず聴こえてくるのは、ギター、ベース、ドラム、すべての縦がそろったバンド・サウンド。シンプルながらスタッカートのかかった歯切れ良いサウンドとリズムが、印象的なイントロです。

 そして、バンドの音にレスポンスするように入ってくる宮本さんの声。歌い出しはタイトルにもなっている「悲しみの果て」というフレーズで、この曲はサビから始まります。

 サビから始まる、というよりも、ほとんどサビしかない独特の楽曲構造をしていることが、曲が進むにつれて明らかになります。

 サビとAメロを、それぞれコーラスとヴァースという言葉に置き換えると、この曲の構造は、コーラス→コーラス→ヴァース→コーラス→コーラス半分。曲の中間「部屋を飾ろう…」からの部分がヴァースで、ここだけメロディーが異なり、他は冒頭のメロディーと共通しています。

 このように説明すると、曲としては単調であるという印象を与えるかもしれません。しかし、シンプルな構造がリスナーにもたらすのは単調だという印象ではなく、言葉とメロディーの強さ。言い換えれば、シンプルな楽曲構造で、何度も同じメロディーを繰り返すことにより、メロディーとそれに乗る歌詞が前景化され、リスナーに言葉がダイレクトに届く効果を生んでいるのではないかと思います。

悲しみの果てに何があるか?という問い

 それでは、歌詞の内容を見ていきましょう。再生ボタンを押すと、縦のそろった印象的なバンド・サウンドを、唯一無比の宮本さんの声が追いかけるように曲が始まります。歌い出しはタイトルにもなっている「悲しみの果て」というフレーズ。以下、冒頭部分の歌詞の引用です。

悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう

 いきなり「悲しみの果てに 何があるかなんて 俺は知らない」と言い切る語り手。しかし、悲しみに打ちひしがれているかというと、そんな印象は全くありません。むしろ、この曲が伝えてくるのは、悲しみのなかでも希望を失わない強さです。

 では、なぜそのような印象を受けるのか。悲しみの果てには喜びや希望がある、という歌詞が続きそうなものですが、この曲は違います。上記の歌詞に続くのは「見たこともない」という言葉。

 文字通りに受け取ると、悲しみの果てなど「知らない」「見たこともない」という意味ですが、悲しみの果てに達するほど悲しくなったことはない、悲しみに負けたことなどない、という意味にも取れます。無責任に「悲しみの果てには希望があるよ」と歌わないところが、エレカシの誠実なところです。

 さらにその後に続くのは「ただ あなたの顔が 浮かんで消えるだろう」という言葉。「あなた」が誰であるかは明言されていませんが、悲しいときに支えになるのは大切な人の存在、というような意味でしょう。悲しみの果てに何があるのかはわからないが、どんな時でも人とのつながりを大切にする。人への愛情と信頼に溢れた表現であると思います。

 次のコーラス部分の歌詞を引用します。

涙のあとには
笑いがあるはずさ
誰かが言ってた
本当なんだろう
いつもの俺を
笑っちまうんだろう

 ここでも、1回目のコーラス部と同じような表現が繰り返されています。すなわち、語り手は「涙のあとには 笑いがあるはずさ」と言うものの「誰かが言ってた 本当なんだろう」という言葉を続け、涙のあとには笑いがある、と断定しません。

 さらに、その後に続くのは「いつもの俺を 笑っちまうんだろう」という言葉。ここは語り手の「俺」を、1回目のコーラス部に出てきた「あなた」が笑うという意味で、やはり他者が心の支えになるということを歌っているのではないかと思います。

 では最後に、この曲で唯一のヴァース部分の歌詞を引用します。

部屋を飾ろう
コーヒーを飲もう
花を飾ってくれよ
いつもの部屋に

 この引用部の「部屋を飾ろう」「花を飾ってくれよ」というところ。ここに「悲しみの果て」という曲の魅力が、端的にあらわれていると思います。

 悲しいときや辛いときには、芸術などを楽しむ感受性をなくしてしまいがちですが、引用部ではおそらく「あなた」に対して「花を飾ってくれよ」と語りかけています。どんなに悲しみに打ちひしがれても、人を思う心と、美しいものを感じる感受性は失わない。そんな強い気持ちが、この曲には詰まっています。

 この歌が勇気を与えるのは「希望」や「喜び」という言葉を使っていないのに、悲しみのなかにある希望を、確かに歌っているからです。説明的にならずに、こういう感情を表現できるところが、エレカシが「文学的」だと言われる所以でしょう。

 最後に余談をひとつ。僕はチャットモンチーというバンドが大好きなのですが、2009年9月19日におこなわれたエレカシ主催の「太陽と月の下の往来」という対バンイベントで、チャットモンチーが「悲しみの果て」をカバーしたこともあります。

 





エレファントカシマシ「友達がいるのさ」は都市生活の孤独を癒す1曲


 「友達がいるのさ」は、2004年9月1日に発売されたエレファントカシマシ33枚目のシングル。作詞作曲は宮本浩次。16枚目のアルバム『風』にも収録されています。

 エレファントカシマシは、「今宵の月のように」に代表されるようなメローな要素と、「ガストロンジャー」に代表されるようなロック的なアグレッシブさを併せ持ったバンドです。個人的に「友達がいるのさ」は、そんなエレカシのなかでも特に好きな1曲。

 その理由のひとつが、1曲の中にエレカシ特有の詩的でメローな部分と、ロックバンドの理想形とも言える熱情が、見事に溶け合っているからです。

 音量的にも、音楽が伝えるエモーションの面でも、1曲のなかのダイナミズムが広く、穏やかなパートから激しいパートまでが1曲の世界観におさまっています。音楽的な起伏が歌詞ともリンクしていて、音楽が歌詞を増幅し、歌詞は音楽の一部となって共に響く、非常に優れたポピュラー・ミュージックであるとも言えます。

 歌詞と楽曲構造の両面からこの曲を分析し、少しでも魅力をお伝えできればと思います。

歌詞の意味の考察

 まずは歌詞をじっくり見ていきましょう。「東京中の電気を消して」という印象的なフレーズから始まるこの曲。歌詞のテーマを一言であらわすと、「都市のなかでの孤独」「現代的な孤独」だと僕は思います。歌い出し部分からも、そのテーマの一端が見えます。

東京中の電気を消して夜空を見上げてえな
かわいがってる ぶざまな魂 さらしてみてえんだ

 東京というのは、人は多いが、人との距離感は決して近くない街です。例えば、渋谷のスクランブル交差点では多くの人が行き交い、それぞれの物理的な距離は近いけれど、お互いはみな他人であり、精神的な距離は近くありません。同時に、人が多いからこそ、多数の人に紛れて匿名性を持って生活できる、という場所でもあります。

 「東京中の…」という歌詞からも、普段は東京という街の無数の電気のなかで暮らしているが、本当の自分をさらしたい、という苛立ちともストレスとも言えない、複雑な感情が見え隠れしているように思えます。

 その後に続く「テレビづけおもちゃづけ、こんな感じで一日終わっちまうんだ」という一節も、情報に溢れた現代都市での生活を描写しているのではないかと思います。続けて、次の連の歌詞を引用します。

電車の窓にうつる 俺の顔 幸せでも不幸でもなかった
くちびるから宇宙 流れてく日々に 本当の俺を見つけてえんだ

 引用部1行目も、都市で生活をするなかで、なんとなく時間を過ごしてしまうことが歌われているようです。引用部2行目は、この曲の中でもハイライトのひとつだと思うのですが、「くちびるから宇宙…」というのは、口から音楽が流れ出ている、歌を口ずさんでいるということでしょうか。

 この表現はとても詩的で、はっきりとは書かれていないのですが、口から溢れる音楽を「宇宙」と表現しているところに、宮本さんの音楽への思いが垣間見えます。閉塞感のある毎日のなかで、音楽や芸術を宇宙と呼び、それだけが無限の可能性を持っている、そのようなことを歌っているのではないかと思います。

 さて、このように幸せでも不幸でもない毎日を過ごしている語り手。その後に歌詞がどのように展開するのかというと、サビではこのように歌われます。

俺はまた出かけよう あいつらがいるから
明日もまた出かけよう 友だちがいるのさ

 ここまで、一貫して現代社会特有の孤独や憂鬱が歌われていたのが、サビに至って「また出かけよう 友だちがいるのさ」という言葉に帰結します。「友達がいる」ということが、力強く一歩を踏み出す理由になる。

 サビ前までは「ああこういう憂鬱な気持ちわかる」という感じの歌だと思って聴いていたのに、サビでは人に対する愛情や信頼をエモーションたっぷりに歌い、リスナーの予想を良い意味で裏切っている曲と言えるのではないでしょうか。少なくとも僕は、初めてこの曲を聴いた時、楽曲が持つ暖かさと強さに涙が溢れました。

 また、サビ前からサビに向かって宮本さんのボーカルも、それまでの落ち着いたトーンの声から音程も上がり、エモーションが一気に溢れ出します。歌詞の言葉における感情の高鳴りが、ボーカリゼーションとも完全にリンクしており、これもエレファントカシマシの魅力のひとつです。

調性とコード

 この曲のキーはホ長調(E major)で、使われているコードのほとんどがダイアトニック・コードですが、ところどころ同主調のホ短調(E minor)からコードが召喚されています。

 音楽用語をできるだけ使わずに説明します。ドレミファソラシドには明るいイメージの長調と、暗いイメージの短調があり、この曲は「ミ(E)」の音から始まる長調のドレミファソラシドからできていて、コードもそこに含まれる音だけを使った基本的なコードが多く使われています。

 しかし、同じ「ミ(E)」の音から始まる短調のドレミファソラシドを使ったコードも少しだけ使われていて、それが曲に奥行きを与えているということです。

 例えば「今日は寝てしまうんだ」の「は」の部分。ここはボーカルのメロディーがCの音。ホ長調のCにはシャープが付くはずなのですが、ここでは一瞬だけシャープの付かないホ短調のCの音が顔を出し、コードもAからAmになっています。

 この部分は、メロディーにCの一音が入っていることで、聴いた感じも深みが生まれていると思います。単純に明るいだけではない、かげりのような質感。もちろん、宮本さんの声の力によるところも大きいのですが。

ボーカルとバンド・アンサンブル

 最後にボーカリゼーションと、バンドのアレンジメントについても述べさせていただきます。イントロから、リスナーに語りかけるような落ち着いた声のボーカル。バンドもボーカルに準じて、ギターはミュート奏法を用い、ベースとドラムもダイナミズムを抑えた演奏。

 これがサビに向かう部分では、ボーカルのメロディーが上行するのに応じて、バンドもリミッターを外し、サビでは音とエモーションの洪水のような音像へ。宮本さんのボーカルも、ささやくような低い声から、激しく感情を爆発させるところまで、一気に登りつめます。

 歌詞のところで前述したように、歌詞の言葉とバンドの音、ボーカルの声が一体となって、音楽と言葉がそれぞれの力を増幅し合っています。個人的には、ロックバンドかくあるべし!という曲だと思っています。ぜひ聴いてみてください。