エレファントカシマシ『浮世の夢』


エレファントカシマシ 『浮世の夢』

アルバムレビュー
発売: 1989年8月21日
レーベル: EPIC/SONY

 『浮世の夢』は、エレファントカシマシの1989年発売の3rdアルバム。

 初期衝動をそのまま音楽に変換したかのような、エモーションが爆発するガンガンのロックンロールが続く『THE ELEPHANT KASHIMASHI』。メローな歌唱やミドル・テンポの曲の増加、変拍子の導入など、音楽性と表現力を広げた『THE ELEPHANT KASHIMASHI II』。そんな2作に続く、3枚目のアルバムが今作『浮世の夢』。

 2ndアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI II』は、1stアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』のアグレッシヴな要素は引き継ぎつつ、バンドもボーカルも表現力を深めた1作でした。では、3作目の『浮世の夢』では、どのような進化を遂げたのか。メローな部分をさらにおし進め、表現の幅を広げた1枚と言えます。

 過去2作が激しく歪んだギターを中心にした、洋楽オールド・ロックに近いアレンジとサウンドだったのに比べて、今作はギターの歪みは控えめに、曲によってはフォーク・ロックのような音作りになっています。また、メロディーも日本的で、歌詞には東京の風景を切り取るような描写が多く、音楽的にも歌詞の面でも叙情性が増しています。

 しかし、ただおとなしくなったわけではなく、例えば1曲目「「序曲」夢のちまた」は、ゆったりと季節と風景を描くような1曲ながら、曲のラストにはエモーションが爆発するところがあり、今までの良さを活かしつつ、音楽性を広げようという意図が感じられます。音数の少ないバンドのアンサンブルと共に、優しく語りかけるように、タメをたっぷりととって歌うイントロから、シャウトと言ってもいいぐらいに絞り出すように声を響かせるラストまで、音量と表現の振り幅が非常に広い1曲です。

 前述したように、このアルバムには季節や風景を切り取ったような情緒的な表現が多数出てきます。1曲目「「序曲」夢のちまた」には「不忍池」、曲のタイトルにもなっている3曲目「上野の山」と、具体的な地名も登場。この2曲の歌詞から、僕はこのアルバムを聴くと上野の風景を思い浮かべてしまいます。

 5曲目「珍奇男」は、現在でもライブの定番曲。アコースティック・ギターのみの弾き語りの序盤から、徐々に楽器が増え、ボーカルのテンションも上がっていく、ダイナミズムの広い1曲。皮肉なのかユーモアなのか、とにかく「言いたいことがある」という思いが伝わる歌詞とも相まって、曲の世界観に引き込まれ、7分を超える大曲ですが一気に聴けます。不適切な表現かもしれませんが、エレカシ流のプログレのような1曲。

 月夜の散歩を歌った8曲目「月と歩いた」も名曲。1人で月が出ている夜道を散歩している様子を歌った曲なのですが、歌詞には「寒い夜ありがたい散歩の道づれに」と出てきます。この一節に端的にあらわれているのですが、月に対して「ありがたい」と思う感受性をはじめとして、感情と風景が目の前に広がるような情緒的でイマジナティヴな1曲です。

 アコースティック・ギターとボーカルのみのイントロから、1stアルバムに戻ったかのようなロックなブリッジ部を挟んで、また静かなパートに戻る構成にも意外性があります。ブリッジ部分の歌詞は、車が走る音を「ブーブーブー」とあらわしていますから、走り去る車の騒音を、バンドのサウンドでも表現したのだろうと思います。このあたりの歌詞とサウンドの一体感も秀逸。

 宮本さんのボーカルは、過去2作はライブでテンションが突き抜けていくような、その場でエモーションのほとばしるライブを体験しているかのようなリアリティがありましたが、今作ではその場で弾き語りを聴いているような、宮本さんが耳元で囁いているかのようなリアリティがあります。

 全体のサウンド・プロダクションと歌い方の質を変えながらも、ライブ感があるところは変わっていません。ボーカルと共に、バンドのアンサンブルにも新たな方向性が聞き取れます。『浮世の夢』は、ボーカルもバンドのアンサンブルも、表現力をさらに深めた1枚と言えるのではないかと思います。

 僕自身も東京出身で、田舎に帰省するという経験がないのですが、『浮世の夢』を聴くと、子供のころに見た東京の風景が蘇るような、東京出身でよかったと思える、郷愁を感じます。前述したように、僕の中でこのアルバムは上野のイメージです。不忍池や五重塔、上野公園を散歩しながら、このアルバムを聴くのもおすすめです。

 





Sigur Rós『Með suð í eyrum við spilum endalaust』/ シガー・ロス 『残響』


シガー・ロス 『残響』
Sigur Rós – Með suð í eyrum við spilum endalaust

アルバムレビュー
発売: 2008年6月20日
レーベル: EMI, XL Recordings, Krúnk

 『Með suð í eyrum við spilum endalaust』(邦題『残響』)は、アイスランドのバンド、シガー・ロスの2008年発売の5枚目のスタジオ・アルバム。彼ら自身のレーベルKrúnkの他、イギリス及びヨーロッパではEMI、アメリカではXL Recordingsなど、複数のレーベルから世界各国でリリースされた。

 11曲目の「All Alright」のみ英語で歌われているが、それ以外の曲は全てアイスランド語。当初は全編、英語で作詞されていたが、最終的にアイスランド語の方が自然だということで、英語からアイスランド語へ翻訳あるいは新たに作詞されるかたちで変更されたとのこと。

 まるで、大自然をそのまま音楽にしたかのような、美しく躍動感と生命力に溢れたサウンドが、怒涛のように押し寄せるアルバムです。シガー・ロスの音楽性は、しばしばポストロックと評されることがありますが、確かに一般的なロックの方法論とは、一線を画した音楽が鳴っているのは事実。

 しかし、実験のための実験に陥っているのではなく、まず表現したい対象となるイメージやアイデアがあり、その目的の達成のために彼らが持てるクリエイティヴィティを駆使して、新たな音楽を創造していることが、このアルバムを聴けば分かるはずです。

 前述したように、このアルバムには大自然を音楽に変換したような雄大さがあります。壮大な山々を目の前にしたときの荘厳さであったり、大地が鳴り響くような躍動感であったり、草原を野生動物が走り回る生命力であったり、時には自然の厳しさや圧倒的な大きさに怖くなったり、様々な風景が喚起されるイマジナティヴな音楽が詰まった1枚です。

 音楽性には実験的な部分もあるのですが、あくまで音楽の楽しさ、美しさを増幅するための試行錯誤の結果であり、実際に聴いてみると難解な印象はほとんどありません。そういう意味では、非常にポップな音楽であると言えます。

 1曲目の「Gobbledigook」から、躍動感と生命力に満ちた音があふれ出します。アコースティック・ギターと美しいコーラス・ワーク、そして大地を揺るがすようなダイナミックなドラム。地鳴りのような躍動感と、大自然のなかを飛び跳ねる動物たちの喜びを表したかのような、サウンド・プロダクション。

 ギターとコーラスは、音は生々しいのにサンプリングしたものを組み立て直したような不思議な質感なのですが、そんなことよりも音楽の楽しさに耳が向かう1曲です。このアルバムのジャケットは、人々が裸で駆け出していくデザインですが、そんなジャケットのイメージにもぴったり。

 2曲目「Inní Mér Syngur Vitleysingur」は、叩きつけるような四つ打ちのビートが特徴ですが、ダンス・ミュージック的ではなく、火山や大地が躍動するような壮大さをあります。3曲目「Góðan Daginn」は、指が弦をこする音まで入ったアコースティック・ギターのサウンドが美しい1曲。4曲目「Við Spilum Endalaust」では、アコーディオンのような暖かい倍音が響きます。

 5曲目は「Festival」。この曲と11曲目の「All Alright」のみ、タイトルが英語です。イントロはエレクトロニカのような音像で静かに始まるものの、再生時間4:40あたりからドラムが入ってくると徐々に加速していき、最終的には様々なリズムが打ち鳴らされ、躍動感あふれるクライマックスへ。

 6曲目「Suð Í Eyrum」。透明感あるピアノがシンプルに音を紡ぐイントロは、朝靄のなかを散歩しているよう。その後に入ってくるドラムは、エフェクトがかかり不思議なサウンドを持っていますが、違和感にはならず、曲に奥行きを与えています。

 9分近くに及ぶ7曲目「Ára Bátur」は、ピアノとファルセットを多用したボーカルが美しい1曲。後半はストリングスやコーラスなどが加わり、雄大な自然が目の前に広がるようなサウンドスケープ。

 8曲目「Illgresi」は、2本のアコースティック・ギターが絡み合う、美しいアンサンブルが印象的。9曲目「Fljótavík」は、ピアノとストリングスの音が、ゆっくりと時間と空間に浸透していくよう。

 10曲目「Straumnes」は、ボーカルは入っておらず、川のせせらぎのような音がサンプリングされ、矛盾するようですが自然の静かさを表現したような曲。

 ラストの11曲目「All Alright」は、前述したようにアルバム中唯一の英語詞。イントロから音数の絞り込まれたアンサンブルのなかを、感情を抑えたボーカルの声が漂う曲。徐々に楽器と持続音が増えていき、音楽が空間に優しく広がっていくような感覚があります。

 一般的なロックやポップスとは違ったリズムやサウンドを持っているものの、音楽自体の強度が高く、非常にとっつきやすい楽しい作品だと思います。ぜひ、大自然の雄大な風景を楽しむような自由な気持ちで、聴いてみてください。

 





My Bloody Valentine『m b v』


マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 『m b v』
My Bloody Valentine – m b v

アルバムレビュー
発売: 2013年2月2日
レーベル: m b v

 『m b v』は、アイルランドのオルタナティヴ・ロックバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの2013年発売の3rdアルバム。1991年発売の前作『ラヴレス』(Loveless)より、22年ぶりの新作。

 現在では音楽ジャンルのひとつとして、すっかり定着した感のあるシューゲイザー。そんなシューゲイザーを代表するバンドであり、シューゲイザーという言葉と同意語のように扱われることすらあるマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。そんなマイブラが、22年間の沈黙を破ってリリースしたアルバムが本作『m b v』です。

 時には激しく歪み、時には揺れ動くような、実験的なギター・サウンドの数々を用いて、バンドのアンサンブルを組み上げた1stアルバム『Isn’t Anything』。すべての楽器の音が渾然一体となり、ドリーミーな音の洪水が、圧倒的な量感で押し寄せる2ndアルバム『Loveless』。

 過去2作はいずれも、ギターという楽器と、4人組のロックバンドのフォーマットで実現できる音楽性を、確実に押し広げたアルバムでした。それから22年。何度か新作の噂がありながら、その度に噂で終わっていた新作が、世界中のマイブラ信者の期待を背にリリースされたわけです。

 かくいう僕自身も、『Isn’t Anything』も『Loveless』もリアルタイムな世代ではないのものの、ある時期に彼らの音楽に出会い、前述の2枚をレコードであったなら(残念ながら実際はCDおよびiPodですが)擦り切れるほど聴き、心から待ち望んだこの3rdアルバムです。

 前2作を聴き込んできた人間からすると、どうしても新作『m b v』を、過去の音楽性との比較で、聴いてしまう部分があります。しかし、そうした相対的な視点で判断しても、『m b v』は過去2作と負けず劣らず名盤であると思います。

 基本的には『Loveless』の延長線上にあると言っていいサウンド・プロダクションながら、ギターのサウンドには生々しくフィジカルな耳触りの『Isn’t Anything』の要素もあり、かといって過去2作の折衷的なそこそこのアルバムというわけではありません。過去の遺産は引き継ぎつつ、新たな実験性も感じられる完成度が高い3枚目です。

 1曲目「She Found Now」は、イントロからギターの音を中心に、音が壁になって目の前にあらわれたかのようなサウンド・プロダクション。『Loveless』からの正統進化と言っていい1曲です。ギターの音も大きく揺らめいていますが、空間自体が揺れているような、歪んでいるような印象を受けます。

 さらに、目の前に立ちはだかる壁のような厚みあるギター・サウンドの上に、別のサウンドを持ったギターが、さらに折り重なってきます。そして、時間と空間を支配する音の洪水の隙間から聞こえてくる耽美なメロディー。これぞマイブラ!という音楽が1曲目から展開されています。

 2曲目「Only Tomorrow」は、各楽器に分離感があり、『Isn’t Anything』に近い耳ざわりとアレンジメントの1曲。3曲目の「Who Sees You」は2曲目に続き、ドラムのビートがはっきりと聞き取れます。ギターは揺らぎと厚みがあるサウンドで、歪み系も空間系も、いったいどれくらいの数のエフェクターを使えば、このような音を出せるのか、と気になってしまう音作り。

 4曲目「Is This and Yes」は、キーボードの音なのでしょうが、電子音によってエレクトロニカに近い印象のサウンド・プロダクション。こういうアプローチの曲が入っていると、1stと2ndの折衷的なアルバムではなく、音楽に対する向上心を持ち続けていることが窺えます。

 5曲目「If I Am」では、ワウのようなエフェクト、6曲目「New You」ではトレモロを使用したギターのサウンドが聴こえ、今までのマイブラには無かったような音作り。ギター、ベース、ドラムのリズムの重なり方も面白く、サウンドの面でもアンサンブルの面でも、実験を続けていることがわかります。

 7曲目「In Another Way」は、叩きつけるようなドラムが激しく、ロック的なダイナミズムとエキサイトメントを感じる1曲。8曲目「Nothing Is」は、ファズ・ギターがさらに押しつぶされたかのようなサウンドで、ドラムの音が生々しく、マイブラ流のガレージ・ロックのような趣のある1曲。

 9曲目「Wonder 2」は、フランジャーを使ったギターのような、風を切るような音が飛び交う、実験的なテクノかエレクトロニカを思わせるイントロ。その後に、サンプリング後に再構築されたようなギターやボーカルの音が加わり、やはり今までのマイブラには無かった音像を持った1曲。

 アルバム1枚を通して聴くと、『Loveless』と『Isn’t Anything』の要素も引き継ぎながら、しっかりと新たな音楽にも向かっており、過去2作からの正統進化であると感じました。

 また、過去2作とは切り離して、『m b v』が2013年にデビューした新人バンドのデビュー・アルバムだったとしても、相当に完成度の高いアルバムであると言えます。過去2作と並んで、心からおすすめできる名盤です。





BUMP OF CHICKEN「ray」が持つ現代的ブルース性


 「ray」は、BUMP OF CHICKENの楽曲。作詞作曲は藤原基央(Motoo Fujiwara)。

 2014年3月12日発売のメジャー5枚目のアルバム『RAY』に収録。配信限定シングルとしても、アルバム発売と同日の2014年3月12日から配信されています。

 BUMP OF CHICKEN(以下バンプ)には、多くの人が救われているんだろうな、というのがヒシヒシと伝わる1曲。僕はバンプにめちゃくちゃハマった時期があるわけではありませんが、出会ったタイミングによっては自分の人生を救うバンドになったのだろうな、というのはよくわかります。

 バンプの魅力のひとつは、人間関係のつらい部分をしっかりと見つめて、ポジティブに歌うところです。しかも、ただの楽観論には陥らず、傷や痛みと、真摯に向き合う姿勢があります。言い換えれば、一般的につらい経験と思われることを、角度を変えて良い経験だと思えるように、新しい視点を提示してくれるバンドです。

 「ray」という曲も、大切な人との別れを歌っています。しかし、別れを単なる悲しい出来事とはとらえず、自分にとって価値あるものだと考え、光に例えて前向きなメッセージを伝えています。ポジティブなメッセージに加えて、その感受性自体にリスナーは心を動かされるのではないかと思います。

 では「ray」はどのような構造を持ち、どんな内容を歌っているのでしょうか。「ray」の歌詞は、フレーズごとに、前のフレーズの補足や応答のように情報が与えられ、ストーリーが進行していきます。

 ブルースの歌詞はAAB形式と呼ばれ、2回繰り返すAの部分に対するレスポンスとしてBが歌われますが、rayの歌詞もブルースのように、フレーズとフレーズがリレーのようにつながり、徐々に歌詞の世界観が広がっていきます。

 また、ブルースは、日常の出来事や感情をあらわす音楽です。時には幸せなこと、時には憂鬱なこと(=ブルース)、そして時にはその両方を1曲の中で表現します。

 「ray」は、一般的には憂鬱と思われる出来事を、ポジティブな出来事に転化し、表現しています。「弱者の反撃」を意図してつけられたBUMP OF CHICKENというバンド名とも併せて、現代的なブルースと言えるのではないかと思います。

歌詞の時間設定

 では、「ray」ではどのような手法を用いて、どのようなことが歌われているのか、順番に見ていきましょう。まず、基本的な構造は、語り手が「君」との別れを経験し、その心境を語っていく、というものです。

 歌が進むにつれて、別れからはしばらくの時間が経ち、現在の視点から、過去の出来事と今の心境を歌っていることが明らかになります。例えばそれは、歌い出しの歌詞からも明らかです。

お別れしたのはもっと 前の事だったような
悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ

 引用したこの一節からも、別れは過去の出来事であることがわかります。こちらの引用部から、早速バンプ特有の言葉使いが出てきます。

 それは、2行目の「悲しい光」というところ。「光」というのは、ポジティブなイメージを伴う言葉で、「希望の光」というような使われ方が普通のはずです。

 しかし、ここでは「悲しい光」と、ネガティヴであるはずの「悲しい」という形容詞が、ポジティブな「光」という言葉と共に使用されています。

 この「光」という単語ひとつからも、良い意味でリスナーに違和感を与え、今後の展開を期待させる効果があると言えるのではないでしょうか。

 時間設定を示すという意味では、2連目にも「君といた時は見えた 今は見えなくなった」という一節があります。この引用部分でも、お別れが過去であることと「君」の不在が、確認されていると言えるでしょう。

「君」とお別れしたときの心情

 次に、語り手は「君」とのお別れに何を感じ、どのように捉えているのでしょうか。歌詞の3連目、再生時間で示すと0:58あたりから、次の一節が出てきます。

寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから

 「寂しくなかった」という言葉のすぐあとに、その理由として「ちゃんと寂しくなれたから」という言葉が続きます。

 一見、矛盾しているかのような表現ですが、寂しさを感じられる感受性がしっかりと残っていたから、寂しさに負けることもなかったよ、というような意味なのでしょう。

 このような優れた表現は、言葉で説明しすぎると陳腐になってしまいますので、聴いた方がそれぞれの心で感じるべき表現であると思います。

 上記の引用部と重なる表現は、他にも数ヶ所あります。例えば「大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない」「お別れした事は 出会った事と繋がっている」など、やはり痛みや別れといった、本来はネガティヴな意味で使用される言葉が、ポジティヴな意味に反転するかたちで使用されています。

 この曲の語り手が、非常に魅力的な感受性をそなえていることが伝わります。さらに「ray」の歌詞は、次の一節で結ばれています。

大丈夫だ この光の始まりには 君がいる

 歌い出しから2行目で「悲しい光」という言葉が使われ、最終的に「この光の始まりには 君がいる」という一節に帰結します。

 「君」と出会い、別れたことで、出会わなかったら感じることの無かった痛みや悲しみを経験し、それが自分の感受性を豊かにすることになった。そんな経験をまとめて、愛情をこめて「光」という言葉にあらわしたのではないかと思います。

「ray」のブルース性

 前述したように、ブルースという音楽は身近な感情をテーマにすることが多いのですが、例えば悲しみを歌にするときにも、隠語や比喩表現を用いて、ストレートなかたちでは表現しないことが、しばしばあります。

 「ray」も、人との出会いの良い部分も悪い部分も、すべてをプラスに変換して描き切った作品であり、そういう意味で現代的なブルースと言えるのではないでしょうか。

 出会いと別れを、単純に美化するのではなく、痛みの部分とも真摯に向き合って音楽に昇華している、という点でも非常にブルース的な1曲ではないかと思います。

 





My Bloody Valentine『This Is Your Bloody Valentine』


マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ディス・イズ・ユア・ブラッディ・ヴァレンタイン』
My Bloody Valentine – This Is Your Bloody Valentine

アルバムレビュー
発売: 1985年1月
レーベル: Tycoon

 『This Is Your Bloody Valentine』は、アイルランド出身のバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの1985年発売のミニアルバム。ドイツのTycoon Recordsというレーベルからの発売で、1984年に当時の西ベルリンにあるスタジオでレコーディングされた。

 後に『Isn’t Anything』と『Loveless』の2枚で、「マイブラというジャンル」と言うべき独自の音楽性を作り上げ、シューゲイザーの代表バンドのひとつと見なされ、幾多のフォロワー・バンドを生み続けるマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。そんな、マイブラが1985年に発売したミニアルバムが本作です。

 現在のメンバーのうち、ギターのケヴィン・シールズ(Kevin Shields)と、ドラムのコルム・オコーサク(Colm Ó Cíosóig)は在籍しているものの、ボーカルは後に作家となるデイヴ・コンウェイ(David Conway)が担当。ボーカルが違うということだけが理由ではなく、音楽性は後のマイブラとは大きく異なります。

 このアルバムで聴かれるのは、いわゆるポストパンク的なサウンド。やや演劇じみた歌唱法と、どこまで狙っているのかわからないチープなサウンド・プロダクションを持ったアルバムで、『Isn’t Anything』の不協和音をも魅力に転化したバンドのアンサンブルや、『Loveless』のすべてを圧倒するような音の洪水を期待して聴くと、肩透かしをくらうことになるでしょう。

 とはいえ、その後のマイブラにつながる要素が全く無いかというと、もちろんそんなことはなく、ギターの音色やアレンジメントには、随所にその後のマイブラの破片が感じられます。では、アルバムの中から何曲かを、その後のマイブラが感じられる、という視点でご紹介します。

 1曲目「Forever and Again」の浮遊感のあるコーラス・ワークは、『Loveless』でのバンドと溶け合うようなコーラスを感じさせます。

 2曲目「Homelovin’ Guy」では、イントロから毛羽立ったような、ざらついた質感のディストーション・ギターが聴けます。こちらは『Isn’t Anything』のギター・サウンドを思わせるかも。

 3曲目「Don’t Cramp My Style」のイントロのギターは、マイブラというよりソニック・ユースのような耳ざわり。

 5曲目「The Love Gang」は、イントロから前のめりなギターとドラムが曲を引っ張っていきます。このリズム構造は『Isn’t Anything』に入っていてもおかしくなさそうな1曲。しかし、未来のマイブラとして聴こうとすればするほど、ボーカリゼーションの差違が耳につきます。

 7曲目「The Last Supper」の歪んだギターとチープなキーボードが絡み合うアンサンブルは、『Loveless』のすべての楽器と音楽要素が有機的に絡み合うアンサンブルを、わずかに感じさせます。

 前述したとおり、ギターという楽器の可能性を押し広げるような圧倒的なサウンドは、このアルバムにはありません。駄作とは言わないまでも、「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが最初にリリースした記念すべきミニアルバム」という歴史的価値以上には、なかなかおすすめしにくいアルバムだというのが正直なところです。

 ただ、今回聴き直してみて、思ったよりもギターのサウンドとアレンジには後のマイブラの要素が聴こえるな、とも感じました。

 入手するのも少し難しそうですし、諸手を上げておすすめしたい1枚!とは言いがたいのですが、マイブラにはまって、若き日のケヴィンのクリエイティヴィティを感じたい、という方はチェックしてみてください。