ねごと「ふわりのこと」 ふわりの意味と歌詞考察


 「ふわりのこと」は、ねごとの楽曲。作詞は蒼山幸子。作曲は沙田瑞紀と蒼山幸子。

 2011年発売の1stフルアルバム『ex Negoto』に収録されています。

 音楽、特に歌詞を持つポップ・ミュージックの魅力のひとつは、「悲しい」とか「嬉しい」といった言葉におさまりきらない感情を表現できるところだと思っています。

 言葉がメロディーに乗ってサウンドの一部となることで、嬉しいとも悲しいとも言えないぐらい些細な心の動き、嬉しさの中にある悲しみや不安など、言葉だけでは表現できない微妙な感情を描き出せる。しかも、たった数分間の1曲で。僕は音楽のそういうところが好きです。そして、この「ふわりのこと」という曲にも、僕が求める音楽の魅力がギュッと詰まっています。

 ここでは「ふわりのこと」の歌詞解釈を中心に、この曲の魅力をお伝えしたいと思います。

歌詞の世界観

 「ふわりのこと」というタイトルからして不思議。歌詞も一聴すると、つかみどころが無いようですが、風景や感情が自然と浮かび上がってくるような内容。「イマジネーションの洪水」ではなく、「イマジネーションのそよ風」といった趣で、歌詞も含めた音楽が心にやさしく沁みこんでくるようです。

 登場人物は「ぼく」と「きみ」の2人。「ぼく」の視点から、「きみ」のことを語っていく構造です。まず、1連目の歌詞を引用します。

駅まで続く小さい道
ここにいるのはぼくと風だけ
世界の約束
揺れるよ音
ふわりきみまで届いてね

 2行目に「ここにいるのはぼくと風だけ」とあります。この表現から「ぼく」が1人だけで、駅まで続く道を歩いていること。そして、風が感じられるほど静かなのか、それとも「ぼく」が風を感じるほどに感受性を研ぎ澄ました気分でいるのか、あるいはその両方か、といったことが読み取れます。

 また、1行目の「小さい道」という表現。ここも「狭い道」や「細い道」ではなく、あえて「小さい道」としたことで、意味やイメージに広がりが生まれています。単純に幅の狭い道という意味だけではなく、自分にとって身近であるために存在感を小さく感じる、そんな雰囲気まで感じとれます。

 「ふわりのこと」の歌詞は、このように断片的なイメージや感情が喚起される描写が続き、心の中にゆっくり浸透していくような、不思議な魅力を持っています。

「ふわり」の意味

 次に、タイトルの一部にもなっている「ふわり」について。この言葉は、いったい何を意味するのでしょうか。「ふわり」という言葉は、2回出てきます。1回目は先ほど引用した「ふわりきみまで届いてね」の部分、そして2回目は歌詞の最後の行の「ふわり明日まで響くよ 音」というところです。

 この2ヶ所の引用部分から「ふわり」は、名詞か副詞であることが推測されます。まず「ふわりきみまで届いてね」という部分の「ふわり」は、「きみ」への呼びかけであり、「きみ」を指す固有名詞であるともとれます。そう解釈するなら、「ふわり」と「きみ」はイコールということです。しかし、副詞であるという解釈も可能です。この場合は、音が届く様子を「ふわり」と表現しています。

 さて、歌詞の中の「ふわり」は、どちらの意味で使われているのか。僕は、名詞と副詞どちらとも取れるように、意図的にこうした表現にしたのだと思います。手元にある広辞苑をひいてみると、「ふわり」という言葉には、副詞としては「軽くただようさま。軽くそっと載せるさま。」という意味があります。まさに、この曲の雰囲気をあらわしたかのような意味です。

 「ふわり」は「きみ」の名前であり、「きみ」がどんな人なのかをあらわす言葉でもあり、歌詞の中では副詞としても機能している。そうした多層的な使われ方をしている、というのが僕の考えです。そう解釈すると「ふわりのこと」というタイトルの意味も、すっと腑に落ちます。

「ぼく」は何を語っているか

 続いて、語り手の「ぼく」が語っている内容について。前述したように、この曲の歌詞では「ぼく」が「きみ」について語っていきます。サビ前から1番のサビまでの歌詞を引用します。

最近のきみといえば 生き物や花を育て始めた
他にすることないのと聞けば 大切なことなんだよって言った

そういうきみは素敵だったな
思い出して左目が熱い
なんだか明日も頑張ろうかなあ
優しい夜になってゆけ

 引用部1行目では、「きみ」が「生き物や花を育て始めた」とあります。そして、その後に続くサビでは「そういうきみは素敵だったな」。この引用部から伝わるのは「きみ」の優しさと感受性の豊かさに、「ぼく」の心が動いているということ。

 では「ぼく」の心はどのように動いたのか。引用した部分の歌詞には「なんだか明日も頑張ろうかなあ」とあります。この表現から、感動した!と言うほどには瞬時に大きく心が動いたわけではなく、じんわりと優しい気持ちになれたことが示唆されます。このように1曲をとおして、「ぼく」が「きみ」を思うなかで、様々な感情をもらったことが、語られていきます。

歌詞の出来事の少なさ

 「ぼく」の心の動きを繊細に歌っていくこの曲。それと同時に、大きな出来事が起こらないところも、この曲の特異な点です。例えば、先ほど引用した「生き物や花を育て始めた」という部分。もし、この部分が「きみ」が「ぼく」に対して、なにか感動するようなことをしてくれた、言ってくれたという内容だったら、もっとわかりやすいラブソングになっていたことでしょう。

 しかし、この曲は、状況説明や人間関係におけるストーリーは最低限にとどめ、微細な心の動きに焦点を合わせています。具体的なストーリーと、2人の関係性を説明しすぎないことで、「好き」「嫌い」「悲しい」「嬉しい」といった言葉の中間のような、微妙な感情を描き出せるのだと思います。具体的に何ヶ所か歌詞を引用し、そこから何が読み取れるか見ていきましょう。

いくつもの水たまりを越えて
変わり続ける想いを越えて
どれくらいのことを知れるんだろう
ぼくらはまだ始まったばかり

 1番のサビが終わり、2番の最初の部分。内容としては「ぼく」と「きみ」が、これから時間を重ねて、どうなっていくのか、ということを歌っています。この引用部でも、2人は友人なのか恋人なのか、関係性は曖昧なままはっきりとは語られません。

 その代わりに、曖昧だからこそ、奥行きのある言葉が並びます。1行目の「水たまりを越えて」は、意味としては困難を越えていくということでしょうが、日常のなかのさりげない問題を解決していくというニュアンスがあります。

 3行目の「どれくらいのことを知れるんだろう」というのも、2人の関係性において「ぼく」が「きみ」のことをどれくらい理解できるだろうか、という意味にもとれるし、もっと広く人生においてどれだけのことを経験できるだろうか、という意味にもとれます。

 次に歌詞のラストの部分を引用します。

涙が出てしまうのは
忘れてないからだよ
弱いぼくらの強さを
いつもごめんね 早く帰ろう
ふわり明日まで響くよ 音

 この引用部では、涙が出る理由は「弱いぼくらの強さを」忘れていないからだと、説明されています。嬉し涙や、悲しいときに流れる涙もありますが、はっきりと理由は言えないけど、感情で胸がいっぱいになってしまって、気づいたときには流れている涙もあります。引用部から伝わるのは、そんな涙です。

歌詞全体の意味

 ここまで「ふわり」の意味と、歌詞の一部について考察してきました。では、歌詞全体としては、なにがテーマとなっているでしょうか。それは、人との出会いでもたらされる心の変化だと思います。

 「ぼく」は「きみ」と出会い、その感受性に触れることで、自分も以前よりも優しく、感受性豊かになれた、ということを歌っているのだと、僕は思っています。友人だろうと恋人だろうと、人間関係の良いところは、交流をとおして様々な感情がもらえること、そしてその人の影響を受けて自分が変われることです。

 この曲の語り手である「ぼく」も、「きみ」との交流をとおして、「なんだか明日も頑張ろうかなあ」「今日はいい夢見れそうだから」と、穏やかな感情になっています。単純なラブソングにはせず、「きみ」に大切な誰かを代入できるよう曖昧な部分を残していることで、この曲は普遍性を獲得し、誰が聴いても「ぼく」が「きみ」にもらったような優しい気持ちになれる1曲に仕上がっています。

アレンジと楽曲の構造

 さて、ここまでで記事のタイトルにした「ふわりの意味と歌詞考察」については、言いたいことは言い終わったのですが、最後に少しだけ音楽面についても述べさせていただきます。

 イントロから0:42あたりまではピアノとボーカルのみ。この部分のピアノは音数も少なく、「ここにいるのはぼくと風だけ」という歌詞とも重なるような、隙間を感じるアレンジです。歌詞とメロディー、サウンドの親和性が高く、さすが、こういうところは自作自演のバンドの良いところ。

 また、この曲は基本的にAメロ→サビが循環する構造になっていますが、サビ以外のメロディーは全て変奏のように違う部分があります。4:22あたり、歌詞でいうと「ほんのすこしだけ息を吸って」からのメロディーも、最初はサビと共通しているものの、途中からやはり別の展開を見せます。

 アレンジについても、前述したようにイントロからしばらくはピアノとボーカルのみ、1:01あたりからは8ビート、2:19からは前のめりになったハネるようなリズムで、メロディーは共通していても、アレンジを変えています。そのため、6分以上ある楽曲なのに、次々と風景が変わっていき、飽きることなく最後まで(ふわりと?)聴けてしまいます。

 言葉と音楽が、完璧に溶け合った「ふわりのこと」。ちなみにチャットモンチーがライブ(2011年12月4日の「チャットモンチーの求愛ツアー」Zepp Tokyo公演)で、カバーしたこともあります。ねごとの曲の中でも、特に好きな1曲です。

 





Green Day「Basket Case」は弱者のための音楽


 「Basket Case」は、アメリカのロックバンド、グリーン・デイ(Green Day)の楽曲。作詞はBilly Armstrong。1994年発売のアルバム『ドゥーキー』(Dookie)に収録されています。

 メロコアとか90年代以降の意味でのパンクというと 「人生は大変だけど、みんな頑張ってこうぜ!」みたいなことを歌っているのだという偏見がありました。自分には必要のない音楽なんじゃないかと。

 そして、グリーン・デイはまさにそうした現代的なパンク・サウンドを鳴らすバンド。一聴すると曲調もサウンドも元気でノリが良くて、メロディーも耳に馴染みやすく、カリフォルニアの太陽と青い空が目に浮かぶ…そんなイメージを持っていました。しかし、彼らの代表曲「Basket Case」を聴いてみると、個人が抱える不安や違和感について歌われていて、あーこれは自分がアメリカのティーンエイジャーだったらハマるわ!と、それまでのイメージが一変しました。

 メロディーもサウンドもポップではあるけど、歌詞に書かれているような不安や違和感も、しっかりと音にあらわれていて、単純に「元気な曲」の一言では片付けられないです。

「語り手」が抱える感情

 では、ここから具体的に歌詞の内容を見ていきます。歌詞の語り手は「私 (I)」。その私が、自身の心情を吐露するような、目の前の自分に語りかけてくるような内容です。

Do you have the time to listen to me whine
About nothing and everything all at once

 引用したのは歌い出しの部分。まず、1行目は直訳っぽく訳すと「私の泣き言を聞く時間はありますか?」、もう少しくだけた表現に直すと「ちょっと俺の話を聞いてくれよ」という感じでしょうか。

 続いて2行目では、その話の内容を説明しています。直訳すると「何もないこと(nothing)と全てのこと(everything)について同時に」という感じですが、僕はこの表現が大好きで、英語の歌詞をじっくり読む楽しみを知りました。

 文法的にも語彙的にもシンプルですが、そこから伝わる感情にはとても深みがあります。同時に「nothing」と「everything」について話を聞いてほしいというのは、吐き出したいことはあるのに何から話していいのかわからない、具体的に話したいことがあるわけじゃないが愚痴でも吐かないとやってられない、という感じでしょう。そして、歌詞は以下に続きます。

I am one of those melodramatic fools
Neurotic to the bone
No doubt about it

 1行目は「俺もああいうメロドラマ的なバカな奴らの一人なんだ」というような意味。この「melodramatic fools」という表現も、どういう奴らなのかというのが、イメージしやすいですよね。なおかつ、バカな奴ら(fools)とわざわざ言うことで、語り手はその連中をバカにしているけれども、自分もそういう人間であり、自分自身への違和感や居心地の悪さを抱えていることが伝わります。

 2行目は、主語がありませんが、おそらく語り手のことを言っているのでしょう。「骨の髄までノイローゼ(になってしまった)」という意味。3行目は、2行目の内容について「それ(ノイローゼになってしまったこと)は疑いようもない」と言っています。

Sometimes I give myself the creeps
Sometimes my mind plays tricks on me
It all keeps adding up
I think I’m cracking up
Am I just paranoid or am I just stoned?

 続いて、サビの歌詞です。1行目は「give somebody the creeps」で「人をぞっとさせる」という意味になりますから、ここは「ときどき自分自身にぞっとする」ということ。2行目は「play tricks on somebody」で「人を迷わせる、錯覚を起こさせる」という意味になるので、ここでは「ときどき自分で自分を騙すんだ」といった感じでしょう。

 3行目と4行目は、それぞれ「そういうことが積み重なって」「今にも頭が破裂しそうだ」という意味。そして5行目の「俺はパラノイアなのかな、それともラリってるだけだろうか?」という歌詞で1番が終わります。

音と言葉の相乗効果

 ここまで、英語の歌詞の解説のような内容になってしまいましたが、この曲を初めてじっくり聴いたとき、疾走感あふれる演奏とメロディーとも相まって、言葉がダイレクトに自分に届く感じがしたんですよね。

 それまでは、僕の母国語は日本語ですので、英語はやっぱり日本語に比べれば距離があるし、歌詞も届きにくいと思っていました。ですが、英語の歌詞にも、日本語とは違う深みと魅力があるな、面白いなと、実感を持って感じらたのです。

 さて、「Basket Case」の話に戻ると、この曲は語り手の抱える違和感がシンプルな単語に凝縮されて、さらにバンドが鳴らす音が、語り手のイライラや感情の爆発をそのままあらわしているようで、本当にこの1曲でパンクやメロコアへの偏見がなくなったし、音楽への向き合い方も変わりました。

 グリーン・デイはギター、ベース、ドラムの3ピースバンドですが、3ピースバンドのかっこいい部分が凝縮された1曲だと思います。ギターと歌のみで始まり、徐々にドラムとベースが入ってきて、3人だけでこれだけのダイナミズムを生み出すことができるんだなと驚きます。

 ちなみに歌詞を書いたビリー・ジョー・アームストロングは、当時パニック障害に苦しんでいて、その経験を歌にしたとのことです。2番の歌詞は、より具体的な状況が歌われています。最近は歌詞もいろいろなところで確認できますから、気になった方はぜひ歌詞を見ながら聴いてみてください。

 





東京カランコロン「泣き虫ファイター」 キャッチボールから見える2人の関係性


 「泣き虫ファイター」は東京カランコロンの楽曲。2012年発売のミニアルバム『ゆらめき☆ロマンティック』、2013年発売のアルバム『We are 東京カランコロン』に収録されている。作詞は元チャットモンチーの高橋久美子。

 チャットモンチー在籍時から、作詞家としてもドラマーとしても大好きだったクミコンこと高橋久美子さんの作詞。高橋さんの書く詞は、日常的な言葉を使いながら、状況を見事に描き出していて、いつも新鮮な驚きがあります。「泣き虫ファイター」の歌詞も、少ない言葉で人間関係を鮮やかに描き出しています。そして、東京カランコロンのメロディーと演奏も素晴らしい。では、ここからこの曲の詞の情景描写の巧みさと、それがメロディーにのったときの気持ちよさについて、ご説明させていただきます。

歌詞の登場人物

 歌詞に出てくるのは「語り手」「あなた」「あの子」の3人。「語り手」が自身の心情を、語っていくのが歌詞の内容です。まずは歌い出しの歌詞。

ない ない ない ない 泣いた
ちっともなんだかくちゃくちゃ頭でごっそり根こそぎばっちりがっつり泣いた

 語り手の情緒不安定な様子が伝わってきます。では、語り手がこんなにも泣いている理由はなにか、その答えは続く歌詞で明らかになります。

ない ない ない ない ナイター
想像するだけ目玉はらんらんあなたはお馬鹿なあの子と今夜もナイター

 語り手の元恋人か、もしくは片想いの相手だった「あなた」が、今は「お馬鹿なあの子」と一緒にいる、つまり語り手は失恋したために、泣いているのだということがわかります。

「語り手」と「あなた」の関係性

 サビでは「語り手」と「あなた」の関係性が、少ない言葉で、的確に表現されます。

夜中の校庭と月
真夏の向こう 私が投げたフォークボール
平気な顔で受け止めてくれたあの手

 ここでは、真夏の夜に校庭でキャッチボールをしたことが描写されています。文字通りに言葉を受けとるとそれだけなのですが、この短い数行に、驚くほど多くの情報が圧縮されています。

 「言葉のキャッチボール」という表現があるように、キャッチボールはしばしば会話に例えられます。引用した部分で「語り手」は、フォークボールを投げています。フォークボールは、打者の手前で急激に落ちる変化球で、空振りを狙う球種。そんな捕りにくいボールを、「あなた」は平気な顔で受け止めてくれた、とあります。

 これを会話に置き換えると、いつも素直になれず変化球のような表現になってしまう「語り手」の言葉を、「あなた」はいつでも余裕を持って受けとめてくれた、ということ。このわずか2行の歌詞から、2人の関係性、2人の性格までもが、あざやかに浮かび上がってきます。

球種を使ったメタファー

 このような言葉の置き換えは、比喩表現のなかで、特にメタファーと呼ばれます。球種で言葉使いを説明するメタファーは、歌詞の後半にも再び出てきます。

アイスクリーム溶けること気づかないほど
好きだったよ 今更投げこんだ直球

 この引用部分からは「語り手」が「あなた」に、最後まで好きだと言えなかった、あるいは素直な言葉をかけられなかった、気持ちとは反対にトゲのある言葉を言ってしまった、という状況が推測できます。

 状況説明をしているわけではないのに、「フォークボール」というたったひとつの言葉がヒントになって、「語り手」と「あなた」の性格、2人の関係性、恋のなりゆき、「語り手」の今の心情までが伝わってきます。1曲の歌詞に、ここまでのドラマと人間性を込められるなんて、見事と言うしかありません。

 そして「フォークボーク」と対比させて「直球」、夜に2人で出かけるという意味で「ナイター」を使うことで、さらに情報を圧縮して伝えています。これで「フォークボール」の意味もますます活きますし、野球をモチーフにすることで歌詞にも確固たる世界観が生まれます。本当に、こんな手際よく言葉をあやつれる人は、なかなかいないでしょう。

Aメロとサビの対比

 次にこの曲の音楽面での構造について。この曲はAメロとサビから成り立っており、BメロやCメロを挟まない、構造的にはシンプルな楽曲と言えます。しかし、この2種類のメロディーは、歌詞的にも音楽的にも綺麗な対比をなしており、構造のシンプルさが楽曲にメリハリをつけています。

 まずAメロ部分は、音楽の面ではコードはGひとつだけ、歌詞の面では「語り手」が心情をとっちらかったままに吐き出していきます。先ほども引用した「ちっともなんだかくちゃくちゃ頭でごっそり根こそぎばっちりがっつり泣いた」という部分など、早口言葉のような譜割りで、「語り手」のテンパっている様子が伝わってくると言えるでしょう。

 また、前述したように、このAメロ部分で使われるのはGのコードのみです。メロディーも音程の動きは少なく、使われている音はF(ファ)、G(ソ)、B(シ)のわずか3つ。ですが、コードが進行してないなぁ、という停滞感は感じず、切迫感や焦燥感が溢れています。その理由は、早口言葉のようなメロディーと譜割り、そして各楽器が回転するように動き回っているためでしょう。

 サビになると、ワンコードで駆け抜けたAメロとは打って変わって、目まぐるしくコードが進行しています。それに準じてメロディーも、勢いのあったAメロと比べて、メロディアスで印象が一変します。

歌詞、メロディー、アレンジの一体感

 ここで、また歌詞に戻って考えてみると、Aメロ部分では「語り手」が現在の感情をそのまま吐き出すような歌詞でした。それが、サビ部分では「ねえ、覚えてる?」という問いかけから始まり「あなた」と一緒にいた思い出を語る歌詞になっています。

 Aメロ部分は、感情をそのまま吐き出すような歌詞で、メロディーと演奏も勢いを重視したもの。サビ部分は、思い出を振り返る歌詞で、歌ものらしいメロディーとアレンジ。歌詞と音楽の両面で、まるでAメロとサビで今と昔を行ったり来たりしているように、見事な対比をなしています。

 このように音楽と歌詞が、分けられないぐらいに有機的にひとつになっていて、お互いを高め合っている曲に出会うと、音楽を好きでいてよかったなと思います。高橋さんの歌詞だけでもイマジネーションをかき立てられるのに、音楽がさらに彩りを加えて、見たことのない風景、自分が感じたのではない感情が、自分の経験のように感じられて…音楽には様々な機能と魅力がありますが、こういう経験ができるというのも魅力のひとつですよね。

 





フジファブリック「若者のすべて」が描く心情風景


目次
イントロダクション
歌詞の語り手、季節、時間
語り手の心情
言葉と音の一体感
「若者のすべて」が描く心情風景

イントロダクション

 「若者のすべて」は、2007年11月7日発売のフジファブリック10枚目のシングル。作詞作曲は志村正彦。アルバム「TEENAGER」にも収録されています。

 一聴すると、アレンジもメロディーもサウンドもシンプルで派手なところがなく、落ち着いた曲。僕も初めて聴いたときは「まぁいい曲かな」という程度の感想でした。

 しかし、聴けば聴くほどに、音楽が心に染み込んできて、今では聴くと涙が溢れるぐらいエモい気分になります。

 なぜ僕がこの曲を聴くとエモい気分になるのか、その理由を一言であらわすなら、心情風景を描き出していること。単純化された「悲しい」とか「寂しい」という感情ではなく、人生のある時期のある感情が丁寧に描き出されていて、だから聴いた人にリアリティを伴って響くのだと思います。

 しかも、歌詞が心情風景を説明しているということではなく、歌詞、メロディー、アレンジが有機的に風景を描き出しているんですよね。では、ここから僕なりの歌詞解釈、そして演奏の聴きどころをご説明させていただきます。

歌詞の語り手、季節、時間

 まずは歌詞の語り手、時間設定などを確認しましょう。この曲には「僕」や「私」のような一人称代名詞は出てこないものの、語り手の心情がそのまま言葉になって流れていくような歌詞になっています。歌い出しは下記のように始まります。

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

 季節は「真夏のピークが去った」ということで、8月下旬から9月ぐらいだと想定できます。また、その後に続く「天気予報士がテレビで言ってた」、「気がしている」という表現から、語り手の精神状態がうかがえます。

 語り手は、夏休みが終わってしまう前の、なんとも言えないぼんやりとした気持ちなのではないでしょうか。そして、歌詞は次のように続きます。

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

 ここでは「夕方5時」という具体的な時間が示されます。季節は「真夏のピークが去った」頃、時間は「夕方5時」。それぞれ季節の終わり、昼間の終わりを感じさせるという点で、共通しています。

語り手の心情

 それでは次に、語り手の心情がどのようなものか確認しましょう。前述したとおり「終わり」を感じる季節、時間にあって、語り手は感傷的な気分になっているようです。

 それは「天気予報士がテレビで言ってた」という受け身で投げやりともとれる表現や、毎日流れるであろう夕方5時のチャイムが、この日に限って胸に響いているところから読み取れます。そして、サビへと入ります。

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

 サビの部分からは、語り手に会いたい人がいるようだ、ということが推測できます。しかし、その相手が誰なのか、具体的には書かれていません。それが、2番のサビ、この曲の最後の部分の歌詞では、次のように綴られます。

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

 語り手は、花火の会場で会いたかった人に会えていますね。普通に解釈するならば、相手は好きな異性ということでしょう。歌詞全体を見渡してみると「真夏のピークが去った」「夕方5時」「街灯の明かりがまた 一つ点いて」など、季節や昼の終わりを感じさせる言葉が散りばめられています。

 終わりの予感を感じるときに、自分の片思いも終わるかもしれない、そんな語り手の言葉にしがたい感情を僕は感じます。ただ、実際にそうかどうかは、歌詞には全く書かれていないのですが。

 状況説明を最低限にとどめ、語り手の心情にフォーカスしているところが、この曲の特異な点であり、魅力です。もし、具体的に語り手と相手の関係を描写していたら、私とあなたのラブソングで終わってしまう。

 そうはしないで、「ああ〜、その気持ち、そういう感じわかる!」という感情を描き出しているので、結果として多くの人の心の深いところに響くのではないかと思います。

言葉と音の一体感

 さて、ここまで歌詞の解釈をしてきましたが、この曲の素晴らしいところは、バンドのアンサンブルが歌詞とぴったり寄り添い、言葉の魅力を引き上げているところにもあります。

 言い換えると、バンドの音があることによって、歌詞の意味がより一層伝わるようになっているということ。

 イントロとAメロでは、どの楽器も8分音符が基本で、落ち着いた雰囲気で始まります。ここでは、ベースは8分音符、ドラムもシンバルは8分音符、ピアノの右手は2分音符を弾き続けています。

 また、音も1小節単位で同じ音を出し続けており、リズム的にも音程的にも、枠をはみ出してくるような音がほとんどありません。

 これが、歌詞でいうと「夕方5時」から始まるBメロに入ると、ドラムが2小節ごとにバスドラを8分音符で3つ「タタタっ」と入れたり、ピアノの右手が4分音符になって音に動きが出てきたりと、徐々に音楽的に盛り上がっていきます。

 そして、サビ前。ギターがジグザグに上がっていくフレーズを弾くと、それに続けてピアノも上行していくフレーズを弾いて、サビに入ります。

 歌詞の世界観に合わせて聴いていくと、Bメロのバスドラは夏が終わっていく足音のように聴こえるし、サビ前のギターとピアノはチャイムのようにも、打ち上げ花火が始まる合図のようにも聴こえる。

 演奏と歌詞が、それぞれ補完し合って、全体としての情報量を増している感覚が、ひしひしと感じられます。

「若者のすべて」が描く心情風景

 前述したように、この曲の魅力をまとめると、歌詞が状況説明で終わるのではなく、心情を切り取ったかのようでイマジネーションを刺激するところ。

 そして、その歌詞に寄り添うような、無駄のない、完璧とも思えるバンドのアンサンブルです。言葉だけでは伝わらない感情を描き出す、こういう楽曲に出会うと、音楽を聴いていてよかったな、と思います。

 僕個人の話をすると、本当にこの曲を聴くと、夏の終わりの、夏休みが終わってしまう直前の、焦るような寂しいような、意味もなく外に飛び出して走りだしたくなるような、あのなんとも言えない感情が呼び覚まされるんですよ。

 タイトルが「若者のすべて」というのも示唆的で、いつまでもこの曲に感動できる人間でいたいなと思います。世界の約束を知って それなりになっても。

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2017年12月13日 真山りか生誕ソロライブ「まやまにあ」@マイナビBLITZ赤坂


真山りか生誕ソロライブ「まやまにあ」
2017年12月13日
マイナビBLITZ赤坂

 真山りかさんの生誕ソロライブに行ってきました。備忘録として、MCなどを中心に書き留めておきます。

 18:30過ぎに会場に着くと、真山さんがラジオ風に質問に答えていく動画が、すでにスクリーンに流れている。真山さんが1人で質問を読み、それに答えるという形式。

Q「写真集を出すとしたら、撮影場所はどこで、どんなコンセプトの作品にしたいですか?」
真山「マカオ。アジア圏がいいなぁ。そこの民族衣装を着たり、砂浜があるようなところだったら、トレーニングウェアを着て走ってるとか、健康的な写真集にしたいですね!」
Q「21歳の抱負は?」
真山「とにかく頑張る! たくさん、お仕事がしたい!」
Q「今ハマっている漫画の好きなシーンを朗読してほしいです。」
真山「最近は少女漫画ばっかり読んでるんですけど、特に好きな少女漫画が『椿町ロンリープラネット』っていう作品です。」(このあと真山さんがこの漫画のセリフの一部を朗読。)
Q「ミュ〜コミ+プラスで共演している吉田尚記さんはどんな人ですか?」
真山「お父さんみたい(笑) 話してる人と同じ目線で話してくださるので、とても話しやすいです。」
Q「最近、真山さんがこの人、私のこと大好きだなと思った人は?」
真山「柏木ひなたです(笑)」
Q「真山さんがご飯を食べているときの、もぐもぐしているほっぺが大好きです! それだけ伝えたかったです!」
真山「ありがとうございます! これ、メイクさんにも言われた!」
Q「同い年のあーりんは、真山さんにとってどんな存在ですか?」
真山「二十歳になってから、あーりんさんと2回ご飯を食べに行きまして、スタダのアイドルの中で唯一の同い年だから、今までは近くて遠い存在だったの。でも最近なかよくさせていただいて、話せるようになって、先輩なんですけど友達みたいな感じがします。」
Q「人生を変えたアニメは?」
真山「銀魂です!」
Q「最近言われて嬉しかったことは?」
真山「おしゃれになったね、が一番嬉しかったです(笑)」
Q「長年、出席番号が3番だから3が好きなんだろうなと思っていますが、本当に好きな数字はなんですか?」
真山「1番です! みんなの1番になりたいんだもん、真山。」

 質問に答え終わると、秋田弁のラジオ体操が流れ始め、その音に合わせてラジオ体操をする真山さん。ラジオ体操の映像が最後までは行かずに途切れ、場内に注意事項のアナウンスが流れる。この声を担当しているのも、真山さん自身。

 定刻の19:00になると客電が落ち、会場内は紫のペンライト1色。そして、いつものようにebitureのチャイム音が流れ始める。が、テンポがいつもより遅く、テープやレコードの回転数を落として再生させたようなサウンド。さらに、チャイム音のあとには、オリジナル音源とは違う打ち込みのビートが入っていて、EDM的なサウンドにリミックスされたバージョンのようだ。そんななか、真山さんがステージに登場。

 EDM的なebitureと真山さんの登場で、一気にテンションが上がり、ざわつく会場。そんな空気のなか、アカペラで「私立恵比寿中学の日常(Epilogue)」と「蛍の光(Demo)」を、それぞれ数フレーズずつ歌う。パーティー的な空気が、一転してシリアスな雰囲気に。そして、2曲目は「春の嵐」。会場は熱を帯びつつ、音楽への集中力が高まっているのが分かる。わずか数曲で、ライブを自分のペースに持っていき、完全にコントロールしている。その演出力も素晴らしいが、それを実行できるパフォーマンス力も凄い。

 3曲目は「シンガロン・シンガソン」。シリアスなロック・チューンといった趣の「春の嵐」からは、また雰囲気が変わって、会場はカラフルで楽しい雰囲気に。言うまでもなく真山さんが1人で歌って踊るので、サビや間奏の振り付けは大変そうだ。しかし、オーディエンスがメンバーの不足を補うように振りコピをするので、場の一体感はより高まっていった。真山さんのペースに、オーディエンスも馴染んできて、一緒にライブを作り上げている感覚が、ひしひしと感じられる。こういう空気の変化まで思い描いてセットリストを考えているのだとしたら、真山さんは本当に凄い!

 「シンガロン・シンガソン」後にはMC。
 「最初のパリピノリ、びっくりしたっしょ? これね、パリピにアレンジしたいって言ったら、さつき が てんこもり氏がミックスしてくれて、今回はさつき が てんこもりMIXのebitureというかmayatureを、お届けしました。みんなノレるのかなぁと思ったけど、意外とノレなかったね(笑) ライブハウスだからやってみようかなと思ったけど、やっぱりさ、私たち日陰のものだから慣れないんだよ! 今日も学校とか仕事終わってから、社会つまんねぇなぁと思って、真山に早く会いてぇなぁと思って、皆さん来てくれたんでしょ? 同じように真山も、お仕事すごい楽しいんだけど、時々どうしても気分が沈んでしまうことってあるんですよ。ありますよね? 私、音楽がすっごい好きなのね! だから、音楽にすごく力をもらうんですよ。次の曲はカバーをさせてもらうんですけど、私がこの夏、すーごい、すーごい、すーごい勇気をもらった曲を歌いたいと思います。」

 上記のMCに続いて4曲目に披露されたのは、LiSAさんのカバーで「だってアタシのヒーロー。」。この曲を初めて聴くオーディエンスもそれなりにいたと思うが、真山さんが勇気をもらった曲と紹介してくれたので、真山さんの歌を通して、自然と楽曲のメッセージが会場内に広がっていくようだった。5曲目は「君のままで」。4曲目から続いて、メッセージ性の強い楽曲が並ぶ。2曲ともBPMの近いロックなアレンジの曲なので、オーディエンスのノリも良い。「君のままで」は、力を抜いたように高音を伸びやかに出す安本さんの歌唱も素晴らしいが、真山さんの絞り出すようなロック・テイストの歌唱法もまた良かった。

 「君のままで」後のMC。
 「今年一年、曲に支えられて生きてきたなぁって、すごい感じていて、だから歌いたかったんです「だってアタシのヒーロー。」。この曲は『僕のヒーローアカデミア』っていうアニメのエンディングテーマになってるんだけど、珍しくアニメを観て好きになった曲じゃなくて、たまたまラジオで流れてきて、ああ、いい曲だなぁって好きになった曲です。みんなアニソン、カバーしろみたいな空気を出してくるからさぁ(笑)、一応アニソンだしと思って、歌わせていただきました。」
 「今日は見知った顔が多くて、そりゃそうなんですよ「まやまにあ」ですからね。でも私、思うんですよね、真山推しじゃない人も多いよな…だから、次の曲は自分の心に素直になって、そろそろ紫に染まんなくてもいいんじゃないの? みんな自分のカラーを持ってるんでしょ? それを小豆のように選別していきたいと思います! みんな、ペンライト好きな色にしろよ!」

 上記のような真山さんの煽りから、6曲目は「サドンデス」。真山さんの煽り通り、一部の人はペンライトを紫以外の色にしている。曲が始まると、もちろん真山さんが1人で歌唱していくのだが、元々のパート担当のメンバーに似せようとしているのか、次々と声色を変えて歌っていく。こんなところからも、真山さんのボーカリストとしての引き出しが、確実に増えているのが垣間見える。

 サビ前には「この曲のサビに関しては私がビーナスだぁー!と言いながら、皆さん他の色ついてますよね。よーし、わかった! じゃあ今日は君と私で勝負だぁー!」と真山さんが絶叫し、ダンス・サドンデスへ。「いつも最初に負けちゃう彩ちゃん、可愛いよー! 安本推しアウト!」「ぁーぃぁぃ、ぁぃぁぃぁぃぁぃ! 廣田推しアウト!」など、次々と各メンバー推しがアウトになっていく。そのなかには「りななんもりったん! 松野推しアウト!」と、松野さんも含まれている。また、アウトになる時は照明もそのメンバーカラーになり、スクリーンには各メンバーのグッズを身につけた真山さんが映るのだが、髪型も各メンバーを意識したものになっていた。

 最終的に真山さんも倒れ「そうだ、忘れていた。私はいつも目の前にいる人たちに愛されている。それを誰推しだなんだ、細かいことにばかり気を取られているなんて、なんてバカだったんだ。いつだって私のためにかけつけてくれる。大きな愛を伝えてくれる。そんなみんなに伝えたい言葉は…みんな大好きー!」と叫び、曲はクライマックスへ。

 その後は、7曲目「Shen-Shen Passion Night」、8曲目「PURPLE LOVE」と続く。「PURPLE LOVE」の間奏部分では、くまのぬいぐるみを次々と客席に投げ入れていく。「PURPLE LOVE」が終わると、照明が消え、スクリーンに「まやまさんぽ 長崎編」が流れ始める。この映像は、一人称視点で撮影されていて、オーディエンスが真山さんと長崎を散歩している気分になれるものだった。

 「まやまさんぽ」が終わると、衣装替えを終えた真山さんが再びステージへ。9曲目は「39クラブ」。この曲はテレビドラマ『下北沢ダイハード』で、夏帆さん演じるジャニスが歌った曲で、その歌声を真山さんが担当していた。スクリーンにも、ドラマの映像が映し出されていた。

 10曲目は「老醜ブレイカー」。9曲目に続き、それぞれオールド・ロックとジャズのテイストを含んだ、大人っぽい曲。11曲目「イー・アル・サディスティック」は、『ミッドナイトキョンシー』 の主題歌であるということもあり、EDM的なサウンドを持ちつつ、異国情緒を感じる曲。このブロックは、大人な雰囲気の曲を集めたということだろうか。そして、12曲目は「Thanks! Merry Christmas K」。最初は意外な並びのブロックかと思ったが、「大人」や「夜」を感じさせる曲を続け、クリスマスの楽しい雰囲気に繋げてくる流れはとても自然で、見事な空気の作り方だ。

 「Thanks! Merry Christmas K」後のMC。
 「今日、埼玉でももクリやってんのよね。だから、私の推しメンの紫の方から「返信いいから、ライブ頑張ってね!」みたいなLINEが届きまして、こっちの紫も頑張ります~って返しました。」
 「(床に置いてあるドリンクを飲んだ後に) そうそう、2種類あって、スポーツドリンクと水! これをみんなは後でレポするんだよね?」
 「今年は数々の別れがありまして、これから控えてる別れもあるじゃないですか? 昔の私だったら、お別れすることが寂しすぎて、寂しさが怒りに変わっちゃうタイプだったんですよね。でも、さよならが言えることって、とっても幸せなんだなと、今年すごく感じて、だからこの曲が今年の私の課題だったというか、なんというか。上手にばいばい言えたなぁって、言えてないこともあったんですけど、言えたなぁっていう1年だったと思います。もう皆さん、なんの曲やるかわかってますよね?笑」

 13曲目は「さよならばいばいまたあした」。真山さんのMCで、会場はあたたかく、優しい雰囲気に。曲自体のテンポがゆったりしているということもあるが、オーディエンスも歌と言葉をじっくり聴こうというテンションになっている。真山さんも、心をこめて、大切に歌い上げていく。

 本編ラストの14曲目は「Liar Mask」。ライブで久しぶりに聴くことができたが、曲中に3拍子と4拍子が切り替わるなど、1曲のなかで様々な表情を見せる楽曲だ。この曲が発売された当時よりも、真山さんの歌唱力と表現力が向上しているのが、はっきりとわかるパフォーマンスだった。

 アンコールでは「蜃気楼」と「ポップコーントーン」の2曲を披露。「ポップコーントーン」を歌い終えると、「ひぇ~~。ひぇ~~。終わってしまった。いやぁ、ほんとにほんとにほんとにほんとにほんとにライオンだ~じゃなくて(笑)、ほんとぉーに、ほんとぉーに、こんな平日のど真ん中にかけつけてくれて、ジェットコースターのようなライブを一緒に盛り上がってくださって、ほーーんとーーに、(マイクを使わず)ありがとうございます!」と挨拶。さらに、感謝の言葉、1月の武道館公演などについて語る。真山さんが話している間、BGMとして「シンガロン・シンガソン」が流れていたのだが、話が終わるタイミングでちょうど曲も最後の部分に。そのため、真山さんはその部分の振り付けをして、最後の決めポーズをしてから退場。こういう機転がきくところも、真山さんの魅力だ。

 真山さんが退場すると、開演前に流れていた秋田弁のラジオ体操の続きが、スクリーンに流れ始める。ラジオ体操が終わり、今日のライブは終了。開演前から、終演まで、真山さん自身の言葉を借りると「ジェットコースターのような」、それでいてきれいに流れがつながった素晴らしいライブだった。

 僕は何回か涙が溢れてきてしょうがないときがあったのですが、1回は「サドンデス」にちゃんと松野さんも入っていたところ、もう1回は「さよならばいばいまたあした」の前のMCです。あと何回か、真山さんのひたむきさと誠実さに、なぜだか涙が溢れてくることがありました。「ひたむきさで世界を変えるのが僕の夢」とはよく言ったもので、真山さんの人柄とパフォーマンスに、とにかく感動した、本当に素晴らしいライブ。


真山りか生誕ソロライブ「まやまにあ」
2017年12月13日
マイナビBLITZ赤坂

01. 私立恵比寿中学の日常(Epilogue):蛍の光(Demo)
02. 春の嵐
03. シンガロン・シンガソン
04. だってアタシのヒーロー。(LiSAカバー)
05. 君のままで
06. サドンデス
07. Shen-Shen Passion Night
08. PURPLE LOVE
09. 39クラブ
10. 老醜ブレイカー
11. イー・アル・サディスティック
12. Thanks! Merry Christmas K
13. さよならばいばいまたあした
14. Liar Mask
アンコール
EN1. 蜃気楼
EN2. ポップコーントーン