「アルバムレビュー」カテゴリーアーカイブ

My Bloody Valentine『m b v』


マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 『m b v』
My Bloody Valentine – m b v

アルバムレビュー
発売: 2013年2月2日
レーベル: m b v

 『m b v』は、アイルランドのオルタナティヴ・ロックバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの2013年発売の3rdアルバム。1991年発売の前作『ラヴレス』(Loveless)より、22年ぶりの新作。

 現在では音楽ジャンルのひとつとして、すっかり定着した感のあるシューゲイザー。そんなシューゲイザーを代表するバンドであり、シューゲイザーという言葉と同意語のように扱われることすらあるマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。そんなマイブラが、22年間の沈黙を破ってリリースしたアルバムが本作『m b v』です。

 時には激しく歪み、時には揺れ動くような、実験的なギター・サウンドの数々を用いて、バンドのアンサンブルを組み上げた1stアルバム『Isn’t Anything』。すべての楽器の音が渾然一体となり、ドリーミーな音の洪水が、圧倒的な量感で押し寄せる2ndアルバム『Loveless』。

 過去2作はいずれも、ギターという楽器と、4人組のロックバンドのフォーマットで実現できる音楽性を、確実に押し広げたアルバムでした。それから22年。何度か新作の噂がありながら、その度に噂で終わっていた新作が、世界中のマイブラ信者の期待を背にリリースされたわけです。

 かくいう僕自身も、『Isn’t Anything』も『Loveless』もリアルタイムな世代ではないのものの、ある時期に彼らの音楽に出会い、前述の2枚をレコードであったなら(残念ながら実際はCDおよびiPodですが)擦り切れるほど聴き、心から待ち望んだこの3rdアルバムです。

 前2作を聴き込んできた人間からすると、どうしても新作『m b v』を、過去の音楽性との比較で、聴いてしまう部分があります。しかし、そうした相対的な視点で判断しても、『m b v』は過去2作と負けず劣らず名盤であると思います。

 基本的には『Loveless』の延長線上にあると言っていいサウンド・プロダクションながら、ギターのサウンドには生々しくフィジカルな耳触りの『Isn’t Anything』の要素もあり、かといって過去2作の折衷的なそこそこのアルバムというわけではありません。過去の遺産は引き継ぎつつ、新たな実験性も感じられる完成度が高い3枚目です。

 1曲目「She Found Now」は、イントロからギターの音を中心に、音が壁になって目の前にあらわれたかのようなサウンド・プロダクション。『Loveless』からの正統進化と言っていい1曲です。ギターの音も大きく揺らめいていますが、空間自体が揺れているような、歪んでいるような印象を受けます。

 さらに、目の前に立ちはだかる壁のような厚みあるギター・サウンドの上に、別のサウンドを持ったギターが、さらに折り重なってきます。そして、時間と空間を支配する音の洪水の隙間から聞こえてくる耽美なメロディー。これぞマイブラ!という音楽が1曲目から展開されています。

 2曲目「Only Tomorrow」は、各楽器に分離感があり、『Isn’t Anything』に近い耳ざわりとアレンジメントの1曲。3曲目の「Who Sees You」は2曲目に続き、ドラムのビートがはっきりと聞き取れます。ギターは揺らぎと厚みがあるサウンドで、歪み系も空間系も、いったいどれくらいの数のエフェクターを使えば、このような音を出せるのか、と気になってしまう音作り。

 4曲目「Is This and Yes」は、キーボードの音なのでしょうが、電子音によってエレクトロニカに近い印象のサウンド・プロダクション。こういうアプローチの曲が入っていると、1stと2ndの折衷的なアルバムではなく、音楽に対する向上心を持ち続けていることが窺えます。

 5曲目「If I Am」では、ワウのようなエフェクト、6曲目「New You」ではトレモロを使用したギターのサウンドが聴こえ、今までのマイブラには無かったような音作り。ギター、ベース、ドラムのリズムの重なり方も面白く、サウンドの面でもアンサンブルの面でも、実験を続けていることがわかります。

 7曲目「In Another Way」は、叩きつけるようなドラムが激しく、ロック的なダイナミズムとエキサイトメントを感じる1曲。8曲目「Nothing Is」は、ファズ・ギターがさらに押しつぶされたかのようなサウンドで、ドラムの音が生々しく、マイブラ流のガレージ・ロックのような趣のある1曲。

 9曲目「Wonder 2」は、フランジャーを使ったギターのような、風を切るような音が飛び交う、実験的なテクノかエレクトロニカを思わせるイントロ。その後に、サンプリング後に再構築されたようなギターやボーカルの音が加わり、やはり今までのマイブラには無かった音像を持った1曲。

 アルバム1枚を通して聴くと、『Loveless』と『Isn’t Anything』の要素も引き継ぎながら、しっかりと新たな音楽にも向かっており、過去2作からの正統進化であると感じました。

 また、過去2作とは切り離して、『m b v』が2013年にデビューした新人バンドのデビュー・アルバムだったとしても、相当に完成度の高いアルバムであると言えます。過去2作と並んで、心からおすすめできる名盤です。





My Bloody Valentine『This Is Your Bloody Valentine』


マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ディス・イズ・ユア・ブラッディ・ヴァレンタイン』
My Bloody Valentine – This Is Your Bloody Valentine

アルバムレビュー
発売: 1985年1月
レーベル: Tycoon

 『This Is Your Bloody Valentine』は、アイルランド出身のバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの1985年発売のミニアルバム。ドイツのTycoon Recordsというレーベルからの発売で、1984年に当時の西ベルリンにあるスタジオでレコーディングされた。

 後に『Isn’t Anything』と『Loveless』の2枚で、「マイブラというジャンル」と言うべき独自の音楽性を作り上げ、シューゲイザーの代表バンドのひとつと見なされ、幾多のフォロワー・バンドを生み続けるマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。そんな、マイブラが1985年に発売したミニアルバムが本作です。

 現在のメンバーのうち、ギターのケヴィン・シールズ(Kevin Shields)と、ドラムのコルム・オコーサク(Colm Ó Cíosóig)は在籍しているものの、ボーカルは後に作家となるデイヴ・コンウェイ(David Conway)が担当。ボーカルが違うということだけが理由ではなく、音楽性は後のマイブラとは大きく異なります。

 このアルバムで聴かれるのは、いわゆるポストパンク的なサウンド。やや演劇じみた歌唱法と、どこまで狙っているのかわからないチープなサウンド・プロダクションを持ったアルバムで、『Isn’t Anything』の不協和音をも魅力に転化したバンドのアンサンブルや、『Loveless』のすべてを圧倒するような音の洪水を期待して聴くと、肩透かしをくらうことになるでしょう。

 とはいえ、その後のマイブラにつながる要素が全く無いかというと、もちろんそんなことはなく、ギターの音色やアレンジメントには、随所にその後のマイブラの破片が感じられます。では、アルバムの中から何曲かを、その後のマイブラが感じられる、という視点でご紹介します。

 1曲目「Forever and Again」の浮遊感のあるコーラス・ワークは、『Loveless』でのバンドと溶け合うようなコーラスを感じさせます。

 2曲目「Homelovin’ Guy」では、イントロから毛羽立ったような、ざらついた質感のディストーション・ギターが聴けます。こちらは『Isn’t Anything』のギター・サウンドを思わせるかも。

 3曲目「Don’t Cramp My Style」のイントロのギターは、マイブラというよりソニック・ユースのような耳ざわり。

 5曲目「The Love Gang」は、イントロから前のめりなギターとドラムが曲を引っ張っていきます。このリズム構造は『Isn’t Anything』に入っていてもおかしくなさそうな1曲。しかし、未来のマイブラとして聴こうとすればするほど、ボーカリゼーションの差違が耳につきます。

 7曲目「The Last Supper」の歪んだギターとチープなキーボードが絡み合うアンサンブルは、『Loveless』のすべての楽器と音楽要素が有機的に絡み合うアンサンブルを、わずかに感じさせます。

 前述したとおり、ギターという楽器の可能性を押し広げるような圧倒的なサウンドは、このアルバムにはありません。駄作とは言わないまでも、「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが最初にリリースした記念すべきミニアルバム」という歴史的価値以上には、なかなかおすすめしにくいアルバムだというのが正直なところです。

 ただ、今回聴き直してみて、思ったよりもギターのサウンドとアレンジには後のマイブラの要素が聴こえるな、とも感じました。

 入手するのも少し難しそうですし、諸手を上げておすすめしたい1枚!とは言いがたいのですが、マイブラにはまって、若き日のケヴィンのクリエイティヴィティを感じたい、という方はチェックしてみてください。





Boards Of Canada『Tomorrow’s Harvest』


ボーズ・オブ・カナダ 『トゥモローズ・ハーヴェスト』
Boards Of Canada – Tomorrow’s Harvest

アルバムレビュー
発売: 2013年6月5日
レーベル: Warp

 『Tomorrow’s Harvest』は、スコットランドのエディンバラ出身のユニット、ボーズ・オブ・カナダの2013年発売のアルバム。ワープ・レコーズ(Warp Records)からリリースされる彼らのアルバムは、本作で4枚目。

 エレクトロニカの代表的なグループと目されるボーズ・オブ・カナダ。単純化が過ぎることを承知で言えば、ダンスを目的とした電子音楽がテクノだとすると、ダンスを目的としない電子音楽がエレクトロニカである、ということになるでしょう。

 使用する機材やサウンド・プロダクションは、テクノに近い部分もあるものの、ボーズ・オブ・カナダが『Tomorrow’s Harvest』までの3作で作り上げてきた音楽は、いずれも音楽の快楽が断片的に散りばめられた、全く新しいポップ・ミュージックでした。

 もう少し具体的に言うと、歌のメロディー・ラインを追う、定型的なリズムに乗って体を揺らす、といった音楽から得られる楽しみが一度解体され、断片となった美しいメロディーやかっこいいドラムのパターンが、再構築された音楽。

 だから、ロックやポップスを楽しむ感覚で彼らの音楽に触れると、最初は戸惑いを覚えるものの、徐々に彼らの音楽のなかにもポップな要素が含まれていることに気づき、いつのまにか音楽に没頭することになります。また、音楽を解体することによりサウンドが前景化され、音そのものを楽しむ音楽でもあります。

 『Tomorrow’s Harvest』までの3作で、多種多様な音楽のパーツを用いて、独自のサウンドスケープを作り上げたボーズ・オブ・カナダ。それでは、本作ではどのような音楽が鳴らされているのか、数曲を例に挙げながらご紹介したいと思います。

 1曲目は「Gemini」。ファンファーレのような電子音に続いて、清廉なストリングスの音が、開放的に広がっていきます。このままミニマル・ミュージックのように時間が流れるのかと思いきや、途中からストリングスの音を上書きするように電子音が折り重なっていきます。そこから、徐々にメロディーやリズムのようなものが生まれてきて、音楽が躍動し始めるような展開。リスナーの注意をサウンドに向けさせたうえで、音楽の情報量を増やす、あるいは質を変える手法は、実にボーズ・オブ・カナダらしいと言えます。

 3曲目「White Cyclosa」は、バックに流れるドローンのような電子音に、音色の異なる複数の電子音が乗っていく1曲。前作『The Campfire Headphase』で聴かれたギターなどの生楽器感のあるサウンドとは、全く異なるサウンド・プロダクションになっています。前作はアコースティック・ギターの音色を用いたこともあり、カントリーなどルーツ・ミュージックを感じさせる要素がありましたが、本作では電子音らしい電子音をメインに使い、透明感のあるサウンドを作り上げています。

 6曲目「Cold Earth」は、電子音の美しさと、跳ねるようなリズムが耳に残る、壮大でイマジナティヴな曲。8曲目の「Sick Times」は、タイトルからダウナーな雰囲気を想像しましたが、リズムとメロディーが絡み合うような躍動感に溢れています。

 ラスト17曲目の「Semena Mertvykh」は、不穏な空気が漂うドローン音の上を、やはりダークで不協和な電子音が漂う1曲。前作も最後はチルアウト的な曲でしめられていましたが、『Tomorrow’s Harvest』も同様の流れ。考えてみれば、1曲目にイントロダクション的な曲を配置し、最後にアウトロを意識した曲を配置するのは、ボーズ・オブ・カナダのような個性を持った音楽には、好ましい展開と言えます。

 電子音らしい電子音を駆使して、ときには美しい、ときには不穏な空気を演出し、様々な風景を喚起させる1枚です。サウンド的には、ここまでの4枚のアルバムの中で最も電子音らしい、エレクトロニカ然としたサウンドを持ったアルバムだと思います。

 





Boards Of Canada『The Campfire Headphase』


ボーズ・オブ・カナダ 『ザ・キャンプファイヤー・ヘッドフェイズ』
Boards Of Canada – The Campfire Headphase

アルバムレビュー
発売: 2005年10月17日
レーベル: Warp

 『The Campfire Headphase』は、スコットランドのエディンバラ出身のユニット、ボーズ・オブ・カナダの2005年発売のアルバム。ワープ・レコーズ(Warp Records)から発売される、彼らの3枚目のアルバムになる。

 前2作は電子音によるサウンドスケープといった趣の作品でしたが、今作『The Campfire Headphase』では、生楽器的なサウンドと電子音との融合が、今まで以上に試みられています。彼らの音楽性においては、そもそも生楽器的なサウンドも電子的なサウンドも音楽のパーツという意味で等価であり、「融合」という言葉を使うのも不適切であるかもしれません。

 実際にこのアルバムを聴いてみると、まず気がつくのはギターらしき音色の積極的な使用です。2曲目「Chromakey Dreamcoat」では、早速エフェクトで揺れるようなサウンドのギターのフレーズが聞こえます。

 続く3曲目の「Satellite Anthem Icarus」では、波の音とアコースティック・ギターの音が合わさり、カントリー・ミュージックの香りが漂うサウンド・プロダクション。波の音という自然音と、アコースティック・ギターの生楽器の音を、電子音とも絶妙なバランスで溶け合わせ、ボーズ・オブ・カナダらしいサウンドスケープに仕上げています。

 4曲目の「Peacock Tail」も、引き続きギターの音色がフィーチャーされた暖かいサウンド・プロダクション。フレットを移動するときの指が弦をこする音が、エコーをかけられ、効果的に音楽のパーツになっています。すべての音を公平に扱うこのあたりのセンスも、実にボーズ・オブ・カナダらしいと言えるでしょう。

 9曲目「Oscar See Through Red Eye」は、各楽器の音が分離しつつ、様々なサウンドが鳴らされるため、エレクトロニカというより5人組のポストロック・バンドのような音像。前作までのボーズ・オブ・カナダは、複数の音色が溶け合い、ひとつのサウンドを形成するような曲が多かったため、この曲は非常にフィジカルで新鮮に響きます。

 11曲目の「Hey Saturday Sun」も、ギターとドラムに生演奏感があり、バンドで演奏しているかのような印象を受ける1曲。ただ、バックに流れる電子音にはどこか不協和な響きがあり、やはり普通のチューニングを施した演奏とは、一線を画した曲に仕上がっています。

 15曲目アルバムラストの「Farewell Fire」は、ここまでの比較的ビートとメロディーのはっきりした楽曲群とは一変して、電子音のみで構成されたミニマルな1曲。音量も控えめで、聴覚が研ぎ澄まされ、音が耳の奥まで浸透していくような、文字通りミニマル・ミュージック的な曲です。再生時間は8分を超えるものの、アルバムの最後の曲が、このようなチルアウトになっているというのも、良い流れだと思います。

 前2作の良い部分も引き継ぎつつ、ギターの音色の大幅な導入によって、カントリーやポスト・ロックの要素も感じられる今作。電子音が前面に出ていない分、エレクトロニカになじみのない方でも、聴きやすい1枚ではないかと思います。

 また、日本盤のボーナストラックとして16曲目に収録されている「Macquarie Ridge」は、トレモロのようなエフェクトのかかった音が、拡散していくように広がっていくようなイメージの佳曲。気になる方は、こちらもチェックしてみてください。

 





Boards Of Canada『Geogaddi』/ ボーズ・オブ・カナダ 『ジオガディ』


ボーズ・オブ・カナダ 『ジオガディ』
Boards Of Canada – Geogaddi

アルバムレビュー
発売: 2002年2月13日
レーベル: Warp

 『Geogaddi』は、スコットランドのエディンバラ出身のユニット、ボーズ・オブ・カナダの2002年発売のアルバム。ワープ・レコーズ(Warp Records)と契約後、2枚目のアルバムになる。

 エレクトロニカというジャンルを代表するグループ、ボーズ・オブ・カナダ。彼らの音楽の特徴は、美しいメロディー、体が自然と動いてしまうリズム、耳に心地よいサウンド、といった音楽から得られる享楽を構成する要素が解体され、再構築されているところ。

 もう少し詳しく説明すると、一般的なポップ・ミュージックが持つ定型的なリズムや、和声とメロディーによる進行感は希薄なものの、あらゆる面において、音楽の気持ちのよいポイントが含まれているということです。そのため、Aメロが終わったらサビが来るな、というような聴き方は通用せず、常に一寸先は闇のような緊張感とワクワク感があります。

 1曲目「Ready Lets Go」から、メロディーでもリズムでもなく、サウンド自体が前景化されたような心地よい電子音が、耳に浸透してきます。「Ready Lets Go」というタイトルが示すとおり、アルバムの世界観への入口となる1曲。

 1分ほどしかないイントロダクション的な1曲目に続いて、2曲目「Music Is Math」ではサウンドもメロディー(らしきもの)もよりはっきりした形をあらわします。ドラムの音も無機質で電子的な響きを持っているのに、不思議と冷たい感触はなく、サウンドの一部に溶け込んでいます。こちらのタイトルは「音楽は数学」となっておりますが、数学的な法則に基づいた音楽という印象は、少なくとも僕は持ちませんでした。むしろ、暖かみのあるサウンドが、自由に広がっていくようなイメージの1曲。

 4曲目「Gyroscope」は、叩きつけるようなドラムのビートが、リズム的にもサウンドの耳ざわりも気持ちよく、ダンス・ミュージックのように機能する要素があります。もちろん、四つ打ちのビートのようにわかりやすいものでもなく、一種の違和感のようなものもしっかりと感じられ、それが音楽のフックになっています。

 5曲目は「Dandelion」。「dandelion」とはタンポポを意味する英語。歌詞がない音楽ではありますが、タイトルとサウンドのイメージを結びつけて聴いてみると、あらたなイメージが広がることがあります。個人的には、この曲のサウンドは淡い赤のような暖色系のイメージだったので、黄色いタンポポを思い浮かべながら聴くことで、音の印象も変わりました。もちろん、言葉のイメージに引っ張られすぎるのも、不適切ではありますが。

 6曲目「Sunshine Recorder」は、不穏な空気感を持ったイントロから、その後に入ってくるぶっきらぼうなドラム、どこか不協和なメロディーとベースのような音が、シリアスで不安な雰囲気を醸し出します。しかし、7曲目の「In the Annexe」は、前曲とは打って変わって、水が滲んでいくようなサウンドを持ったキーボードのメロディーが、優しく心地よい1曲。

 10曲目「1969」は、比較的はっきりしたビートの上に、エフェクトのかかったボイスや、ソフトなサウンドの電子音が乗っかる、ロック色を感じる1曲。「1969」という記号的なタイトルも、ヒッピー文化や政治の季節をイメージしているのか、そうした文化的背景も含めた当時のロック・ミュージックを意識しているのか、なかなか示唆的です。

 19曲目の「Dawn Chorus」は、音が空間に広がっていくようなサウンド・プロダクション。空間と時間をサウンドが満たしていく感覚が、シューゲイザーのようでもあります。直訳すれば「夜明けの合唱」というタイトルも、サウンドとマッチしていて素敵。音楽家・シンセサイザー奏者の冨田勲さんの作品に『ドーン・コーラス』というものがありますが、繋がりがあるのかどうかは分かりません。

 20曲目「Diving Station」では、スペーシーな音空間のなかを、ピアノの音が軽やかに響きます。シンプルなピアノの音色が選択されていることに、少し安心するのと同時に、ここまでアルバムの世界観にひたってきたせいか、若干の異物感を感じるのも面白いところ。いずれにしても、宇宙を漂うような電子音とピアノの音色の相性が良く、ピアノが綴るメロディーも親しみやすいもので、非常に美しい1曲です。

 『Geogaddi』のような作品を言語化するのは非常に難しい、というよりそもそも言語化する意味があるのか、とも思えますが、イマジナティヴな美しい音楽が鳴っていることは事実です。前述したように、はっきりしたメロディーや構成が無いということで、難解な音楽かのような印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、逆に言えばリスナーそれぞれが、楽しみ方を探求できる作品だということ。ぜひ、先入観を持たずに自由な気持ちと耳を持って、聴いてみてください。