「アルバムレビュー」カテゴリーアーカイブ

Mogwai『Come On Die Young』/ モグワイ『カム・オン・ダイ・ヤング』


モグワイ 『カム・オン・ダイ・ヤング』
Mogwai – Come On Die Young

アルバムレビュー
発売: 1999年3月29日
レーベル: Chemikal Underground, Matador

 『Come On Die Young』は、スコットランド出身のポストロック・バンド、モグワイの1999年発売の2ndアルバム。プロデューサーは、マーキュリー・レヴ(Mercury Rev)のメンバーでもあるデイヴ・フリッドマン(Dave Fridmann)。アメリカでは、ニューヨークの名門インディペンデント・レーベル、マタドール(Matador)より発売。

 モグワイというバンドを説明するときに、「静と動」「轟音」「ノイズ」といったキーワードが用いられることがあります。確かにエモーションを爆発させたような轟音ギターは、モグワイの魅力のひとつ。しかし今作では、1stアルバム『Mogwai Young Team』で聴かれた轟音は控えめに、音数は絞り込まれ、隙間さえも音楽の内部に取りこんだような、緊張感に溢れたアンサンブルを構築しています。

 シンプルなサウンドのギターとベースに、ソリッドな硬い音質のドラム。各楽器のリズムとサウンドが、ゆったりとしたテンポのなかで溶け合い、美しくも厳しい、荒涼な大地や冬の海が目に浮かぶようなサウンドスケープ。アルバム終盤には、前作で聴かれた轟音ギターも登場し、エモーションと知性が同居するギター・オリエンテッドなアルバムです。

 1曲目は「Punk Rock:」。そのタイトルから、轟音ギターが圧倒的音圧で押し寄せる曲を期待する人も多いでしょう。しかし、聴こえてくるのは、爪弾くようなギターと淡々としたスポークン・ワード。ただ、大きい音で速い曲をやるのがパンクなのではなく、新しい音楽に向かい続ける姿勢こそがパンクなんだ!というモグワイのエモーションの表出でしょうか。

 タイトルに付されたコロン(:)も示唆的。コロンは、その後に説明や言い換えを続ける記号ですから、このアルバムは2曲目以降も僕たちなりのパンク・ロックですよ、という意思表示にも思えます。

 2曲目「CODY」は、複数のギターとリズム・セクションが、絡み合いそうな、ほどけていきそうな、絶妙なバランスのアンサンブルを作り上げるスローテンポの1曲。音数は少なめに、隙間のあるアレンジメントですが、この曲から伝わるのは緊張感やスリルではなく、非常にゆったりとしたリラックスした雰囲気。

 3曲目「Helps Both Ways」は、ドラムのサウンドが生々しくレコーディングされ、音量も大きく、前景化されています。2曲目とは打って変わって、音数を絞り込むことでスリルを演出し、緊張感のあるアンサンブル。

 4曲目「Year 2000 Non-Compliant Cardia」は、ゆったりと大きくリズムを刻むリズム・セクションと、ノイジーなギターと電子音による持続音、さらに複数のギターのリズムが溶け合い、音響の深さを感じる1曲。

 7曲目は「May Nothing But Happiness Come Through Your Door」。硬質なサウンドのドラムがリズムをキープするなか、シンプルなギターのフレーズと、奥で流れる電子音が、レイヤーのように重なり、徐々に溶け合っていく前半。それに対して、ギターが波のように定期的に押し寄せては引いていく後半と、コントラストのある1曲。

 11曲目の「Christmas Steps」は、10分を超える圧巻の大曲。1stで展開された静寂と轟音のコントラストが、さらに音数を絞り込み、よりタイトなかたちで再現されています。不穏な雰囲気のイントロから、しばらくミニマルなアンサンブルが続き、再生時間3:48あたりから突如としてベースがスイッチを入れるように登場。

 そこから徐々に、テンポ、リズム、音量が上がり、堰を切ったかのように轟音ギターとエモーションが溢れ出す後半へ。1曲のなかでのダイナミズムが非常に大きく、なおかつ1stからの焼き直しというわけでもなく、モグワイのパンク精神が炸裂した1曲です。

 前述したように、1stに比べると轟音の要素は抑えられた作品と言えますが、その代わりに音数を絞って、緊張感やコントラストを作り出しています。バンドの表現力と音楽的語彙をさらに増した1枚であると言えるでしょう。

 





エレファントカシマシ『生活』


エレファントカシマシ 『生活』

アルバムレビュー
発売: 1990年9月1日
レーベル: EPIC/SONY

 『生活』は、エレファントカシマシの1990年発売の4thアルバム。

 荒々しいロックンロールを響かせた1stアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』から、2ndアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』、3rdアルバム『浮世の夢』と、サウンド的にはメローな要素を強めていったエレファントカシマシ。4枚目の『生活』は、過去3作で培ってきたハードな面とメローな面が、バランスよく融合した1枚であると言えます。同時に、歌詞には内省的な表現が増しています。

 1曲目「男は行く」から、激しく歪んだギターがラフな感じにリフを弾き始め、ボーカルもそれに応えるように絞り出すような声。さらにベースとドラムのリズム・セクションも、アンサンブルを支えつつも、絡み合うようにグルーヴを生んで生きます。

 直線的に突っ走るのではなく、ボーカルも含めて全ての楽器が対等にアンサンブルに関与し、バンドが生き物のように躍動する曲です。エモーショナルな歌唱に、タイトに絞り込まれたバンドのアンサンブル。これまで3作を経たバンドの進化が実感できる、非常に完成度の高い1曲からアルバムが始まります。

 2曲目の「凡人 -散歩き-」では、ギターがカウントをとるようなフレーズから、縦のぴったり揃ったイントロ。その後すぐに、各楽器がほどけていくようにグルーヴする、メリハリの効いた1曲。この曲は1曲を通して、タイトに合わせる部分とラフにグルーヴする部分が共存し、バンドのアンサンブルの精度が向上していることが自ずと伝わってきます。ギターの金属的な響きも、バンド・サウンドを引き締めています。

 3曲目「too fine life」は、ほどよく歪んだ音のギターの流れるようなイントロから、ペース・メーカーのようにリズムを刻むベースとドラム。言葉と共に流れるような自然なボーカルのメロディー・ラインと併せて、ロックな要素とメローな要素が溶け合った1曲。

 4曲目「偶成」は、アコースティック・ギターを中心にした、ゆったりしたテンポの1曲。ボーカルと歌詞が前景化し、耳と心に染み渡ります。ラブソングなど人との関係性を歌う曲が圧倒的に多い日本の音楽シーンにおいて、この曲のように自分自身と向かい合い、内省的な名曲をいくつも生み出していることも、エレカシの特異なところ。激しく歪んだディストーション・ギターは最後まで出てこないものの、リズムのメリハリとボーカリゼーションによってクライマックスを演出していて、バンドとしての成熟と進化を感じさせます。

 5曲目「遁生」は、12分にも及ぶ大曲です。4曲目と同じくアコースティック・ギターの弾き語りのような始まりから、極力音量の変化に頼らずにダイナミズムを表現しています。

 6曲目は「月の夜」。アコースティック・ギターを使用した曲が続きます。ロックバンドとしての多彩なアンサンブルを聴かせる1曲目から3曲目までと、テンポを抑えながらエモーションを表現する4曲目から6曲目。アルバムの流れとしても、良いバランスだと思います。美しいファルセットと、エモーションを絞り出すような歌唱が混じり合う、宮本さんのボーカルが聴きどころ。

 アルバムラストの7曲目は「晩秋の一夜」。5曲目「遁生」に続いて、こちらも10分を超える大曲。アコースティック・ギターを中心にしながら、歪んだギターのサウンドも効果的に導入し、1曲のなかでコントラストの感じられるアンサンブル。再生時間0:41あたりから聞こえるピアノのような音、1:43あたりから聞こえるギターの音など、音数を絞り込みながら丁寧に組み上げた様子がうかがえます。無駄な音と言葉が、一切ありません。

 アルバム作品にしては少ない7曲の収録ながら、収録時間は50分。前述したように10分を超える曲を2曲含み、1曲が持つコントラストとダイナミズムの幅の広がりを感じる1枚です。

 音楽を語るときに「なにかに似ている」と言うのは単純化が過ぎるのは承知していますが、このアルバムの前半は、アレンジメントとサウンド・プロダクションにレッド・ツェッペリンに近いものを感じます。もちろん、ただの借り物ではなく、エレカシらしく日本的なオリジナリティを獲得した上で、ということです。

 





Boards Of Canada『Trans Canada Highway』/ ボーズ・オブ・カナダ『トランス・カナダ・ハイウェイ』


ボーズ・オブ・カナダ 『トランス・カナダ・ハイウェイ』
Boards Of Canada – Trans Canada Highway

ディスクレビュー
発売: 2006年5月29日
レーベル: Warp

 『Trans Canada Highway』は、スコットランドのエディンバラ出身のユニット、ボーズ・オブ・カナダの2006年発売のEP。

 ボーズ・オブ・カナダの音楽は、和声進行に基づいて、メロディーと歌詞が流れていくような、明確なフォームを持ちません。そのため、サウンド自体が前景化され、音楽に対する耳と意識が研ぎ澄まされる感覚を得られるのが、彼らの音楽の魅力。本作も、自由で美しい音楽に満たされた1枚です。

 1曲目「Dayvan Cowboy」は、わずかに毛羽立ったようなサウンドの電子音によるイントロから、高音の電子音とドラムのビートが加わり、じわじわと音楽が姿をあらわしてくる1曲。再生時間2:07あたりからは、バンド感のある肉体的なサウンドに切り替わり、エレクトロニカというよりポストロック・バンドのような耳ざわりへ。

 ボーズ・オブ・カナダの作品は、1曲目にアルバムの世界観への入口となるような、リスナーの耳をチューニングするような曲が配置されることが多く、「Dayvan Cowboy」を聴きながら、この作品に向かう心と耳の準備をしましょう。

 2曲目の「Left Side Drive」は、音数が絞り込まれ、電子音らしいサウンド・プロダクションの1曲。3曲目の「Heard from Telegraph Lines」も、やわらかな優しいサウンドの電子音が、ほどよい長さで持続していく、アンビエントな音像の1分ほどの曲。

 4曲目「Skyliner」は、ここまでの3曲に比べてリズムがはっきりとした1曲。ドラムのサウンドとリズムが立体的で、そのリズムに持続音がまとわりついたり、電子音のフレーズが絡みついたりと、独特のグルーヴ感があります。音色の美しさと、リズムの複雑さのバランスが秀逸。5曲目の「Under the Coke Sign」には、レコードを再生するときの針のノイズのような音が入っています。そのせいか、全体としても暖かみを感じる耳ざわり。

 ラスト6曲目は、1曲目に収録されている「Dayvan Cowboy」をアメリカ人DJオッド・ノズダム(Odd Nosdam)がリミックスしたもの。前半は、リミックスという情報が無かったら、別の曲かと思うぐらい雰囲気が異なります。しかし、3分過ぎあたりから、原曲を感じられる雰囲気へ。こちらのリミックス・バージョンの方が、1曲のなかでの音数と音量のコントラストが大きくなっています。

 6曲収録のEPということ、さらに6曲目にはリミックスも含んでいるため、アルバムのように流れを意識して聴くべきなのか微妙なところではありますが、全体としては美しい音像を持った良盤であると思います。ややミニマルでアンビエントな印象が強いですが、美しいサウンドの持続音の中を、多彩なリズムが横断し、メロディーとリズムが不可分に溶け合うボーズ・オブ・カナダらしい作品。

 余談ですが、ボーズ・オブ・カナダというグループ名に、本作のタイトルは「トランス・カナダ・ハイウェイ」となっていますが、彼らはカナダ出身ではなく、スコットランド出身。

 グループ名は、彼らが子供のころに親しんでいた教育番組を製作する「カナダ国立映画制作庁」(National Film Board of Canada)に由来するとのこと。「トランス・カナダ・ハイウェイ」のタイトルの由来は発見できなかったのですが、それほどカナダに強い思い入れがあるということでしょうか。

 





エレファントカシマシ『浮世の夢』


エレファントカシマシ 『浮世の夢』

アルバムレビュー
発売: 1989年8月21日
レーベル: EPIC/SONY

 『浮世の夢』は、エレファントカシマシの1989年発売の3rdアルバム。

 初期衝動をそのまま音楽に変換したかのような、エモーションが爆発するガンガンのロックンロールが続く『THE ELEPHANT KASHIMASHI』。メローな歌唱やミドル・テンポの曲の増加、変拍子の導入など、音楽性と表現力を広げた『THE ELEPHANT KASHIMASHI II』。そんな2作に続く、3枚目のアルバムが今作『浮世の夢』。

 2ndアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI II』は、1stアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』のアグレッシヴな要素は引き継ぎつつ、バンドもボーカルも表現力を深めた1作でした。では、3作目の『浮世の夢』では、どのような進化を遂げたのか。メローな部分をさらにおし進め、表現の幅を広げた1枚と言えます。

 過去2作が激しく歪んだギターを中心にした、洋楽オールド・ロックに近いアレンジとサウンドだったのに比べて、今作はギターの歪みは控えめに、曲によってはフォーク・ロックのような音作りになっています。また、メロディーも日本的で、歌詞には東京の風景を切り取るような描写が多く、音楽的にも歌詞の面でも叙情性が増しています。

 しかし、ただおとなしくなったわけではなく、例えば1曲目「「序曲」夢のちまた」は、ゆったりと季節と風景を描くような1曲ながら、曲のラストにはエモーションが爆発するところがあり、今までの良さを活かしつつ、音楽性を広げようという意図が感じられます。音数の少ないバンドのアンサンブルと共に、優しく語りかけるように、タメをたっぷりととって歌うイントロから、シャウトと言ってもいいぐらいに絞り出すように声を響かせるラストまで、音量と表現の振り幅が非常に広い1曲です。

 前述したように、このアルバムには季節や風景を切り取ったような情緒的な表現が多数出てきます。1曲目「「序曲」夢のちまた」には「不忍池」、曲のタイトルにもなっている3曲目「上野の山」と、具体的な地名も登場。この2曲の歌詞から、僕はこのアルバムを聴くと上野の風景を思い浮かべてしまいます。

 5曲目「珍奇男」は、現在でもライブの定番曲。アコースティック・ギターのみの弾き語りの序盤から、徐々に楽器が増え、ボーカルのテンションも上がっていく、ダイナミズムの広い1曲。皮肉なのかユーモアなのか、とにかく「言いたいことがある」という思いが伝わる歌詞とも相まって、曲の世界観に引き込まれ、7分を超える大曲ですが一気に聴けます。不適切な表現かもしれませんが、エレカシ流のプログレのような1曲。

 月夜の散歩を歌った8曲目「月と歩いた」も名曲。1人で月が出ている夜道を散歩している様子を歌った曲なのですが、歌詞には「寒い夜ありがたい散歩の道づれに」と出てきます。この一節に端的にあらわれているのですが、月に対して「ありがたい」と思う感受性をはじめとして、感情と風景が目の前に広がるような情緒的でイマジナティヴな1曲です。

 アコースティック・ギターとボーカルのみのイントロから、1stアルバムに戻ったかのようなロックなブリッジ部を挟んで、また静かなパートに戻る構成にも意外性があります。ブリッジ部分の歌詞は、車が走る音を「ブーブーブー」とあらわしていますから、走り去る車の騒音を、バンドのサウンドでも表現したのだろうと思います。このあたりの歌詞とサウンドの一体感も秀逸。

 宮本さんのボーカルは、過去2作はライブでテンションが突き抜けていくような、その場でエモーションのほとばしるライブを体験しているかのようなリアリティがありましたが、今作ではその場で弾き語りを聴いているような、宮本さんが耳元で囁いているかのようなリアリティがあります。

 全体のサウンド・プロダクションと歌い方の質を変えながらも、ライブ感があるところは変わっていません。ボーカルと共に、バンドのアンサンブルにも新たな方向性が聞き取れます。『浮世の夢』は、ボーカルもバンドのアンサンブルも、表現力をさらに深めた1枚と言えるのではないかと思います。

 僕自身も東京出身で、田舎に帰省するという経験がないのですが、『浮世の夢』を聴くと、子供のころに見た東京の風景が蘇るような、東京出身でよかったと思える、郷愁を感じます。前述したように、僕の中でこのアルバムは上野のイメージです。不忍池や五重塔、上野公園を散歩しながら、このアルバムを聴くのもおすすめです。

 





Sigur Rós『Með suð í eyrum við spilum endalaust』/ シガー・ロス 『残響』


シガー・ロス 『残響』
Sigur Rós – Með suð í eyrum við spilum endalaust

アルバムレビュー
発売: 2008年6月20日
レーベル: EMI, XL Recordings, Krúnk

 『Með suð í eyrum við spilum endalaust』(邦題『残響』)は、アイスランドのバンド、シガー・ロスの2008年発売の5枚目のスタジオ・アルバム。彼ら自身のレーベルKrúnkの他、イギリス及びヨーロッパではEMI、アメリカではXL Recordingsなど、複数のレーベルから世界各国でリリースされた。

 11曲目の「All Alright」のみ英語で歌われているが、それ以外の曲は全てアイスランド語。当初は全編、英語で作詞されていたが、最終的にアイスランド語の方が自然だということで、英語からアイスランド語へ翻訳あるいは新たに作詞されるかたちで変更されたとのこと。

 まるで、大自然をそのまま音楽にしたかのような、美しく躍動感と生命力に溢れたサウンドが、怒涛のように押し寄せるアルバムです。シガー・ロスの音楽性は、しばしばポストロックと評されることがありますが、確かに一般的なロックの方法論とは、一線を画した音楽が鳴っているのは事実。

 しかし、実験のための実験に陥っているのではなく、まず表現したい対象となるイメージやアイデアがあり、その目的の達成のために彼らが持てるクリエイティヴィティを駆使して、新たな音楽を創造していることが、このアルバムを聴けば分かるはずです。

 前述したように、このアルバムには大自然を音楽に変換したような雄大さがあります。壮大な山々を目の前にしたときの荘厳さであったり、大地が鳴り響くような躍動感であったり、草原を野生動物が走り回る生命力であったり、時には自然の厳しさや圧倒的な大きさに怖くなったり、様々な風景が喚起されるイマジナティヴな音楽が詰まった1枚です。

 音楽性には実験的な部分もあるのですが、あくまで音楽の楽しさ、美しさを増幅するための試行錯誤の結果であり、実際に聴いてみると難解な印象はほとんどありません。そういう意味では、非常にポップな音楽であると言えます。

 1曲目の「Gobbledigook」から、躍動感と生命力に満ちた音があふれ出します。アコースティック・ギターと美しいコーラス・ワーク、そして大地を揺るがすようなダイナミックなドラム。地鳴りのような躍動感と、大自然のなかを飛び跳ねる動物たちの喜びを表したかのような、サウンド・プロダクション。

 ギターとコーラスは、音は生々しいのにサンプリングしたものを組み立て直したような不思議な質感なのですが、そんなことよりも音楽の楽しさに耳が向かう1曲です。このアルバムのジャケットは、人々が裸で駆け出していくデザインですが、そんなジャケットのイメージにもぴったり。

 2曲目「Inní Mér Syngur Vitleysingur」は、叩きつけるような四つ打ちのビートが特徴ですが、ダンス・ミュージック的ではなく、火山や大地が躍動するような壮大さをあります。3曲目「Góðan Daginn」は、指が弦をこする音まで入ったアコースティック・ギターのサウンドが美しい1曲。4曲目「Við Spilum Endalaust」では、アコーディオンのような暖かい倍音が響きます。

 5曲目は「Festival」。この曲と11曲目の「All Alright」のみ、タイトルが英語です。イントロはエレクトロニカのような音像で静かに始まるものの、再生時間4:40あたりからドラムが入ってくると徐々に加速していき、最終的には様々なリズムが打ち鳴らされ、躍動感あふれるクライマックスへ。

 6曲目「Suð Í Eyrum」。透明感あるピアノがシンプルに音を紡ぐイントロは、朝靄のなかを散歩しているよう。その後に入ってくるドラムは、エフェクトがかかり不思議なサウンドを持っていますが、違和感にはならず、曲に奥行きを与えています。

 9分近くに及ぶ7曲目「Ára Bátur」は、ピアノとファルセットを多用したボーカルが美しい1曲。後半はストリングスやコーラスなどが加わり、雄大な自然が目の前に広がるようなサウンドスケープ。

 8曲目「Illgresi」は、2本のアコースティック・ギターが絡み合う、美しいアンサンブルが印象的。9曲目「Fljótavík」は、ピアノとストリングスの音が、ゆっくりと時間と空間に浸透していくよう。

 10曲目「Straumnes」は、ボーカルは入っておらず、川のせせらぎのような音がサンプリングされ、矛盾するようですが自然の静かさを表現したような曲。

 ラストの11曲目「All Alright」は、前述したようにアルバム中唯一の英語詞。イントロから音数の絞り込まれたアンサンブルのなかを、感情を抑えたボーカルの声が漂う曲。徐々に楽器と持続音が増えていき、音楽が空間に優しく広がっていくような感覚があります。

 一般的なロックやポップスとは違ったリズムやサウンドを持っているものの、音楽自体の強度が高く、非常にとっつきやすい楽しい作品だと思います。ぜひ、大自然の雄大な風景を楽しむような自由な気持ちで、聴いてみてください。