目次
・イントロダクション
・設定の確認
・何のためにロックをかける?
・「君」のリアクション
・「君」との恋の行方
・結論・まとめ
イントロダクション
「君はロックを聴かない」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんの2017年8月2日リリースの3rdシングル。同年リリースの1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。作詞作曲は、あいみょん。
あいみょんは、この曲がリリースされた時点で22歳。女性です。なぜ、わざわざ年齢と性別をあげたかと言うと、彼女の魅力であり特徴は、その共感性の高さにあると思うからです。
「君はロックを聴かない」は、一人称に「僕」が使われ、男性目線で書かれています。もっと具体的に言うと、厨二病のこじらせロック青年を描いた楽曲なのです。
僕自身「マニアックな音楽を聴いてる俺カッコいい!」と思うタイプのクソ野郎だったので、この曲を聴いていると、身につまされる思いで…。
なにが言いたいのかというと、あいみょんの書く歌詞は、年齢や性別も飛び越えて、共感性が高いということ。別の言い方をすれば、まったく別の人間になりきる能力が、とても高いということです。
そして「君はロックを聴かない」というタイトルが示唆するとおり、この曲がテーマとするのはロック・ミュージック。ロックという音楽が、リスナーに対してどのように機能しているのかが、およそ4分の楽曲の中に、凝縮して描かれています。
そこで、本論では「君はロックを聴かない」の歌詞を、ロックがどのように機能しているか、という点に注目して、読みといてみます。
また、そのプロセスの中で、あいみょんの歌詞の共感性の高さも、明らかにできればと思っています。
設定の確認
まずは、登場人物と場面設定を確認していきましょう。
語り手は「僕」。登場人物は、この「僕」と「君」の2人だけです。歌詞を読み進めていくと、どうやら「僕」は「君」に片思いしている状況のようです。
では、順番に歌詞を確認していきます。歌い出しとなる、1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。
少し寂しそうな君に
こんな歌を聴かせよう
手を叩く合図
雑なサプライズ
僕なりの精一杯
上記の引用部では、「僕」と「君」が一緒にいることは分かりますが、それ以外の場所などの情報は提示されません。
2行目に「こんな歌を聴かせよう」とありますが、この情報だけだと「僕」が実際に歌うかのように思えますが、実際にはそうではありません。
より詳しい情報は、つづくAメロ2連目で明らかになります。以下に引用します。
埃まみれ ドーナツ盤には
あの日の夢が踊る
真面目に針を落とす
息を止めすぎたぜ
さあ腰を下ろしてよ
「ドーナツ盤」とは、一般的に7インチのシングル・レコードを意味します。つまり1連目に出てきた「こんな歌を聴かせよう」は、レコードをかけるという意味だったと明らかになります。
上記引用部では、他にもいくつかの情報が開示されています。まず、レコードが聴ける環境ということは、場所は室内。おそらく「僕」が部屋に「君」を招いている状況なのでしょう。
1行目の「埃まみれ」からは、レコードが古いことがわかります。これは文字どおりにレコードが埃まみれで古いという事実と、レコードの収録される曲が古い曲だということを、同時にあらわしているのではないかと思います。
いや、むしろ後者の意味の方が、強いのではないでしょうか。その根拠は、2行目に続く「あの日の夢が踊る」という一節。
「僕」が昔の夢を思い出している、とも解釈できますが、緊張しながら女子を部屋に招く「僕」は、10代ぐらいの若者だと想定できます。ティーンエイジャーが、レコードをかけて昔の夢を思い出すのは不自然。
そのため「あの日の夢が踊る」は、ドーナツ盤に収録されているのが往年の名曲であり、再生することで当時は最先端だった音楽が鳴り始める、という意味だと解釈します。
3行目以降は「僕」の緊張感をあらわした描写なのでしょう。その後に続くBメロでは、レコードの内容がより詳しく説明されています。以下に引用します。
フツフツと鳴り出す青春の音
乾いたメロディで踊ろうよ
1行目の「青春の音」とは、ドーナツ盤に収録されるのが、やはり往年の名曲であることを意味しているのでしょう。「青春」と限定されるのは、若者をターゲットにした音楽。すなわち、ロック・ミュージックを示唆します。
2行目の「乾いたメロディで踊ろうよ」とは、やはりビートの強いロックの収録を連想させる表現だと考えます。なぜなら「乾いたメロディ」は、湿ったメロディではない、つまり悲哀をテーマにした曲ではないことを示唆するため。
上記の理由から「乾いたメロディ」とは、メロウなバラードやラヴソングではなく、ビートが強く扇動的なメッセージを持つロック・ミュージックを意図している、と仮定します。
以上ここまでの歌詞で、「僕」が「君」を部屋に招き、ロックのレコードを聴かせようとしている。そして「僕」はひどく緊張している状況が、明らかになりました。
何のためにロックをかける?
では「僕」はいったい何が目的でロックをかけるのか。答えはサビの歌詞に記述されています。以下に引用します。
君はロックなんか聴かないと思いながら
少しでも僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた
キーとなるのは、まず2行目の「少しでも僕に近づいてほしくて」。「僕」は「君」に価値観を共有してほしくて、ロックのレコードをかけているのが分かります。
さらに4行目から5行目の「僕はこんな歌であんな歌で 恋を乗り越えてきた」。「僕」はモテないタイプで、これまでも恋愛がうまくいった事はないのでしょう。
そんな自分を慰めてくれるのはロックだけ。「僕」の価値観が、この2行にはあらわれています。サビの歌詞で明らかになったのは「僕」がロックをかける理由と、ロックに救われてきた過去。
ロックがあるからモテなくても友達がいなくても大丈夫。ロックはいつでも自分を理解してくれる。ロックの価値がわかる自分は、ロックを聴かない奴らより優れている。
そのようなロック青年のこじらせた価値観が、凝縮されています。
「君」のリアクション
価値観を共有してほしくて、「君」にロックのレコードを聴かせた「僕」。では「君」は、どのようなリアクションをとるのか。2番の歌詞に続きます。
2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
僕の心臓のBPMは
190になったぞ
君は気づくのかい?
なぜ今笑うんだい?
嘘みたいに泳ぐ目
1行目の「BPM」とは「Beats Per Minute」の略で、1分間における拍の数をあらわす、言い換えればテンポをあらわす用語です。
そのBPMが「190になったぞ」と続きますが、BPM120から150ぐらいでもけっこう速め、150から180ぐらいになるとアップテンポと言えるので、BPMが190というのはかなりの速度です。
つまり「僕」の鼓動は、ロックをかけることによって急速に高まっているということ。もしかしたら、鼓動がテンポを上げた理由は、ロックのレコードによるものだけではなく、「君」と一緒にいる緊張感も含まれているのかもしれません。
「僕」としては「君」もロックを楽しんでくれること、そして自分への理解へと繋がることを期待したのでしょう。しかし、結果は「僕」の望んだとおりにはなりません。
4行目に「なぜ今笑うんだい?」と記述されています。これはレコードをかけて、テンションが上がった「僕」を見た「君」が、思わず笑い出してしまったことを意味しているのでしょう。
そのため「僕」は困惑し、5行目には「嘘みたいに泳ぐ目」と続きます。さらにBメロには、以下の言葉が続きます。
ダラダラと流れる青春の音
乾いたメロディは止まないぜ
上記の2行は、レコードをかけたけど「僕」が予想したリアクションが得られず、気まずい空気が流れていることを示しているのでしょう。
「ダラダラと流れる」「メロディは止まないぜ」という言い回しは、ロックが部屋にむなしく流れ続ける様子を、描写したのだと考えられます。自分がこんな状況に追い込まれたらと想像すると、逃げ出したくなりますね(笑)
「君」との恋の行方
「君」との距離を縮めようと、自分の大好きなロックのレコードをかけた「僕」。しかし、期待した結果はまったく得られませんでした。
曲も後半にさしかかって来ましたが、果たして恋の行方はどうなるのか。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。
君はロックなんか聴かないと思いながら
あと少し僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋に焦がれてきたんだ
上記の引用部は、前半4行までは1番のサビと共通。ロックを介して「君」と価値観を共有したい「僕」の心情が書かれています。
異なるのは最後の1行だけ。1番では「恋を乗り越えてきた」と綴られ、上記2番では「恋に焦がれてきたんだ」となっています。この違いはなにか。
サビの部分だけを抜き出すと、ほとんど意味の違いは生まれません。いずれも恋愛経験の少ない非モテの「僕」が、ロックを心の拠り所としている描写です。
しかし、2番では直前の「君」のリアクションを考慮に入れると、やはりこの恋もうまくいかなかったことが示唆されます。
今までもロックを聴きながら、恋に焦がれてきた「僕」。しかし、またしても恋が成就しなかったために、再び「恋に焦がれてきたんだ」と記述されているということです。
さらに間奏後のサビには、確信的な内容が記述されます。以下に引用します。
君がロックなんか聴かないこと知ってるけど
恋人のように寄り添ってほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
また胸が痛いんだ
引用部5行目が「また胸が痛いんだ」で締めくくられており、「君」との恋がうまくいかなかったと読み取れます。
1番と2番のサビはラスト1行を除いて共通していましたが、上記引用部では1行目と2行目も変わっています。
それまで「君はロックなんか聴かないと思いながら」だった1行目が「君がロックなんか聴かないこと知ってるけど」へ。
「あと少し僕に近づいてほしくて」だった2行目が「恋人のように寄り添ってほしくて」と変化しています。
この変化がなにを意味するのか、検討してみましょう。
まず、1行目の変化は「君」がロックを聴かないことが確定してしまった、言い換えれば「君」との恋がうまくいかなかったことが、あらわされていると考えます。
それまでは「君」がロックを聴くような人、あるいはロックを気に入ってくれる人で、自分の価値観を共有してくれるのではないかと、淡い期待を抱いていました。
しかし、レコードをかけてみたけど「君」のリアクションは苦笑い。「僕」の期待は打ち砕かれます。
2行目は「僕」の恋への憧れが、反映された表現なのではないかと思います。それまでは「あと少し僕に近づいてほしくて」と、やや控えめな表現でした。
しかし、結果は失恋となったために「恋人」という直接的な言葉をあえて使い、「僕」の恋への憧憬を強調しているということです。
ロックを武器に「君」との恋の成就を願った「僕」ですが、結果は惨敗。ロックだけが友達のこじらせ野郎に、逆戻りしてしまいました。
結論・まとめ
以上「君はロックを聴かない」の歌詞を、順番に読みといてきました。
この曲の最も優れていると思う点は、ロックという音楽がどのように機能しているか、正確に描いているところです。
「ロックとはなにか?」という大きな議論をするつもりはないので、これから先は単純化した議論であるとご了承の上、お読みいただけますと幸いです。
ロックというジャンルを定義するとき、音楽構造だけではなく、その精神性も取り上げられることがしばしばあります。
それと比例して、ロックのリスナーには、音楽そのものと共にメッセージ性を重視する人が、一定数います。メッセージ性が重要視されるために、ロックは感情の捌け口、あるいは拠り所となることが多いのです。
また、ロックに没頭するあまり、ロックを自分のアイデンティティであるかのように愛する人もいます。おそらく、この曲に出てくる「僕」もその一人。
モテなくてもロックを聴いている俺はかっこいい、友達がいなくてもロックを理解している俺は他人よりも優れている。現代的な言葉であらわせば「厨二病」とも言える態度を、とらせることすらあります。
この曲における「僕」は、ロックに癒され、ロックで理論武装する、ロック少年の有り様が凝縮されているように、僕には感じられるのです。
そう感じるには、おそらく僕自身も少なからずロックに対して、厨二病的な思考を持っていたため。
この曲を聴いていると、自分のことを歌われているようで、心がヒリヒリしてくるんですよね。そして、その感覚は懐かしくもあり、決してイヤな感じではありません。
冒頭にも書いたとおり、あいみょんはリリース時に22歳の女性。それなのに、本人とは性別や年齢の違う人にも、ここまで大きな共感を呼び起こせる、本当に優れたシンガーソングライターだと思います。
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あいみょん WM Japan 2017-09-12