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けやき坂46「イマニミテイロ」歌詞の意味考察 感情をあらわす「色」の機能


目次
イントロダクション
なぜカタカナ?
登場人物の対立構造
「色」があらわすもの
結論・まとめ

イントロダクション

 「イマニミテイロ」は女性アイドルグループ、けやき坂46の楽曲。作詞は秋元康。

 2018年6月20日リリースの1stアルバム『走り出す瞬間』、2018年3月7日リリースの欅坂46の6thシングル『ガラスを割れ!』Type-Bに収録されています。

 カタカナで表記されたタイトルが目を引くこの曲。僕はこういう、作者の意図を感じる表現を見ると、あれこれ考察したくなってしまいます。

 そんなわけで、今日は「イマニミテイロ」の歌詞を、読みといてみたいと思います。

なぜカタカナ?

 まず、タイトルがなぜカタカナで表記されているのか、考えてみます。

 普通に表記するならば、おそらく「今に見てろよ」。歌詞をざっと見ても、予想以上の結果を出すから今に見てろよ!という反骨心が、テーマになっているようです。

 では、なぜわざわざカタカナにしたのか。曲名や歌詞を目にしたときに、リスナーの注意を引き、強調したい意図があるのは確かでしょう。

 カタカナは多くの場合、外来語の名詞にたいして使います。言うまでもなく「今に見てろよ」は外来語ではありませんし、名詞でもありません。

 ということは、本来はカタカナ表記しない言葉を、あえてカタカナで表記することで名詞化している、という仮説が立ちます。

 結論から言ってしまうと、僕は「イマニミテイロ」とカタカナ表記にしたのは、名詞化するためであり、具体的には色をあらわす名詞へと転化している、と考えています。

 黄色とか紫色のように「イマニミテ色」ということですね。では、色をあらわすとは、具体的にどういう意味なのか、検討していきましょう。

登場人物の対立構造

 色の考察の前に、登場人物と関係性を確認します。

 出てくるのは、語り手となる「僕たち」と「大人たち」。「大人たち」の言葉に「僕たち」は反発し、反骨心をあらわにしていくのが、歌詞の大まかな内容です。

 歌い出しとなる、1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

ある日 突然 大人たちから
「やってみないか?」って言われて
どうするつもりだ?臆病者よ

今の僕たちじゃ無理だってもちろん
みんなわかってるよ (HA-)

 具体的に何をどうするのかは記述されないのですが、大人たちの提案から歌詞は始まります。

 上記引用部での「僕たち」のリアクションを見ると、ただ大人たちに反発するだけではなく、様々な感情が入り混じっていることがわかります。

 例えば、3行では自分たちを「臆病者」と呼び、4行目では「今の僕たちじゃ無理」とも言っています。「僕たち」は、大人を見返したいという反骨心だけでなく、現状に対する不安も抱えているということです。

 Aメロ2連目では、さらに複雑な感情が綴られます。以下に引用します。

だけど なぜか すぐその場で
喧嘩を買うように頷く
やるしかなかった 正直者よ

きっと試されてるのだろう
無理難題 押し付ければ絶対
ギブアップするって…

 2行目の「喧嘩を買うように頷く」からは大人への反骨心があらわになっていますし、1行目の「なぜか すぐその場で」からは不安な気持ちがにじみ出ています。

 ここまでの考察で、「僕たち」と「大人たち」の対立構造が基本となってはいるものの、決して大人たちへの反骨心だけを、描いた曲ではないことがわかります。

「色」があらわすもの

 歌詞は一貫して「僕たち」の複雑な感情を描いていきます。

 サビでは、タイトルになっている「イマニミテイロ」という言葉が出てきますが、文脈のなかで何を意味するのか。1番のサビを、以下に引用します。

イマニミテイロ どういう色だ?
唇噛み締めながら頑張って来た色
心の奥で何度も呟(つぶや)いた
言葉は何色? いつの日にかミテイロ

 1行目は「イマニミテイロ」とはどういう色なのか、という疑問文。そして2行目が、その疑問に対する答えとなっています。

 つまり「イマニミテイロ」とは、「唇噛み締めながら頑張って来た色」であるということです。

 「イマニミテイロ」とカタカナで表記することで、色をあらわす名詞化している、という仮説が正しかったと言えるでしょう。

 ただ、色と言っても、赤とか青とか視覚的な意味での色を、あらわしているわけではありません。この曲の中では、心情をあらわす手段として、色が利用されているのです。

 「イマニミテイロ」は、一般的な表記にすれば「今に見ていろ」。誰かを見返したい、反骨心をあらわす言葉です。

 上記引用部では、その反骨的な感情を「唇噛み締めながら頑張って来た色」と描写。一言ではあらわすことのできない複雑な感情を、説明的な文章とくっつけて色にまとめています。

 引用部の3行目と4行目も、それまで何度も「今に見ていろ」と誓ったときの感情を、「いつの日にかミテイロ」と色でまとめているのでしょう。

 2番のサビでも、同様の手法が使われています。2番サビの歌詞を、以下に引用します。

イマニミテイロ どういう色だ?
苦しい時に何度も 夢に見て来た色
願ったことは必ず叶えるよ
気持ちは何色? 言ってみたいザマアミロ

 後半2行はちょっと異なりますが、上記2番のサビも、基本構造は1番と共通。

 複雑な感情を言葉で説明したうえで、ひとつの色にまとめています。

結論・まとめ

 以上「イマニミテイロ」の歌詞を、カタカナ表記にすることで名詞化をおこなっている、という仮説に基づいて考察してみました。

 「僕たち」の持つ感情を、「イマニミテイロ」という言葉にまとめたというのは前述したとおりですが、この表現が面白いのは、辞書のように説明してしまうところ。

 一言であらわせない複雑な感情を、実際に一言であらわさず、「苦しい時に何度も 夢に見て来た色」というように、長めに説明文をつけてしまって、最後に「色」で閉じる。力技とも言うべき、表現技法ではないでしょうか。

 いずれにしても、秋元康らしいというか、テクニックを駆使した、興味深い歌詞であると思います。

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あいみょん「君はロックを聴かない」歌詞の意味考察 厨二病を生む出すロックの機能


目次
イントロダクション
設定の確認
何のためにロックをかける?
「君」のリアクション
「君」との恋の行方
結論・まとめ

イントロダクション

 「君はロックを聴かない」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんの2017年8月2日リリースの3rdシングル。同年リリースの1stアルバム『青春のエキサイトメント』にも、収録されています。作詞作曲は、あいみょん。

 あいみょんは、この曲がリリースされた時点で22歳。女性です。なぜ、わざわざ年齢と性別をあげたかと言うと、彼女の魅力であり特徴は、その共感性の高さにあると思うからです。

 「君はロックを聴かない」は、一人称に「僕」が使われ、男性目線で書かれています。もっと具体的に言うと、厨二病のこじらせロック青年を描いた楽曲なのです。

 僕自身「マニアックな音楽を聴いてる俺カッコいい!」と思うタイプのクソ野郎だったので、この曲を聴いていると、身につまされる思いで…。

 なにが言いたいのかというと、あいみょんの書く歌詞は、年齢や性別も飛び越えて、共感性が高いということ。別の言い方をすれば、まったく別の人間になりきる能力が、とても高いということです。

 そして「君はロックを聴かない」というタイトルが示唆するとおり、この曲がテーマとするのはロック・ミュージック。ロックという音楽が、リスナーに対してどのように機能しているのかが、およそ4分の楽曲の中に、凝縮して描かれています。

 そこで、本論では「君はロックを聴かない」の歌詞を、ロックがどのように機能しているか、という点に注目して、読みといてみます。

 また、そのプロセスの中で、あいみょんの歌詞の共感性の高さも、明らかにできればと思っています。

設定の確認

 まずは、登場人物と場面設定を確認していきましょう。

 語り手は「僕」。登場人物は、この「僕」と「君」の2人だけです。歌詞を読み進めていくと、どうやら「僕」は「君」に片思いしている状況のようです。

 では、順番に歌詞を確認していきます。歌い出しとなる、1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

少し寂しそうな君に
こんな歌を聴かせよう
手を叩く合図
雑なサプライズ
僕なりの精一杯

 上記の引用部では、「僕」と「君」が一緒にいることは分かりますが、それ以外の場所などの情報は提示されません。

 2行目に「こんな歌を聴かせよう」とありますが、この情報だけだと「僕」が実際に歌うかのように思えますが、実際にはそうではありません。

 より詳しい情報は、つづくAメロ2連目で明らかになります。以下に引用します。

埃まみれ ドーナツ盤には
あの日の夢が踊る
真面目に針を落とす
息を止めすぎたぜ
さあ腰を下ろしてよ

 「ドーナツ盤」とは、一般的に7インチのシングル・レコードを意味します。つまり1連目に出てきた「こんな歌を聴かせよう」は、レコードをかけるという意味だったと明らかになります。

 上記引用部では、他にもいくつかの情報が開示されています。まず、レコードが聴ける環境ということは、場所は室内。おそらく「僕」が部屋に「君」を招いている状況なのでしょう。

 1行目の「埃まみれ」からは、レコードが古いことがわかります。これは文字どおりにレコードが埃まみれで古いという事実と、レコードの収録される曲が古い曲だということを、同時にあらわしているのではないかと思います。

 いや、むしろ後者の意味の方が、強いのではないでしょうか。その根拠は、2行目に続く「あの日の夢が踊る」という一節。

 「僕」が昔の夢を思い出している、とも解釈できますが、緊張しながら女子を部屋に招く「僕」は、10代ぐらいの若者だと想定できます。ティーンエイジャーが、レコードをかけて昔の夢を思い出すのは不自然。

 そのため「あの日の夢が踊る」は、ドーナツ盤に収録されているのが往年の名曲であり、再生することで当時は最先端だった音楽が鳴り始める、という意味だと解釈します。

 3行目以降は「僕」の緊張感をあらわした描写なのでしょう。その後に続くBメロでは、レコードの内容がより詳しく説明されています。以下に引用します。

フツフツと鳴り出す青春の音
乾いたメロディで踊ろうよ

 1行目の「青春の音」とは、ドーナツ盤に収録されるのが、やはり往年の名曲であることを意味しているのでしょう。「青春」と限定されるのは、若者をターゲットにした音楽。すなわち、ロック・ミュージックを示唆します。

 2行目の「乾いたメロディで踊ろうよ」とは、やはりビートの強いロックの収録を連想させる表現だと考えます。なぜなら「乾いたメロディ」は、湿ったメロディではない、つまり悲哀をテーマにした曲ではないことを示唆するため。

 上記の理由から「乾いたメロディ」とは、メロウなバラードやラヴソングではなく、ビートが強く扇動的なメッセージを持つロック・ミュージックを意図している、と仮定します。

 以上ここまでの歌詞で、「僕」が「君」を部屋に招き、ロックのレコードを聴かせようとしている。そして「僕」はひどく緊張している状況が、明らかになりました。

何のためにロックをかける?

 では「僕」はいったい何が目的でロックをかけるのか。答えはサビの歌詞に記述されています。以下に引用します。

君はロックなんか聴かないと思いながら
少しでも僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた

 キーとなるのは、まず2行目の「少しでも僕に近づいてほしくて」。「僕」は「君」に価値観を共有してほしくて、ロックのレコードをかけているのが分かります。

 さらに4行目から5行目の「僕はこんな歌であんな歌で 恋を乗り越えてきた」。「僕」はモテないタイプで、これまでも恋愛がうまくいった事はないのでしょう。

 そんな自分を慰めてくれるのはロックだけ。「僕」の価値観が、この2行にはあらわれています。サビの歌詞で明らかになったのは「僕」がロックをかける理由と、ロックに救われてきた過去。

 ロックがあるからモテなくても友達がいなくても大丈夫。ロックはいつでも自分を理解してくれる。ロックの価値がわかる自分は、ロックを聴かない奴らより優れている。

 そのようなロック青年のこじらせた価値観が、凝縮されています。

「君」のリアクション

 価値観を共有してほしくて、「君」にロックのレコードを聴かせた「僕」。では「君」は、どのようなリアクションをとるのか。2番の歌詞に続きます。

 2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

僕の心臓のBPMは
190になったぞ
君は気づくのかい?
なぜ今笑うんだい?
嘘みたいに泳ぐ目

 1行目の「BPM」とは「Beats Per Minute」の略で、1分間における拍の数をあらわす、言い換えればテンポをあらわす用語です。

 そのBPMが「190になったぞ」と続きますが、BPM120から150ぐらいでもけっこう速め、150から180ぐらいになるとアップテンポと言えるので、BPMが190というのはかなりの速度です。

 つまり「僕」の鼓動は、ロックをかけることによって急速に高まっているということ。もしかしたら、鼓動がテンポを上げた理由は、ロックのレコードによるものだけではなく、「君」と一緒にいる緊張感も含まれているのかもしれません。

 「僕」としては「君」もロックを楽しんでくれること、そして自分への理解へと繋がることを期待したのでしょう。しかし、結果は「僕」の望んだとおりにはなりません。

 4行目に「なぜ今笑うんだい?」と記述されています。これはレコードをかけて、テンションが上がった「僕」を見た「君」が、思わず笑い出してしまったことを意味しているのでしょう。

 そのため「僕」は困惑し、5行目には「嘘みたいに泳ぐ目」と続きます。さらにBメロには、以下の言葉が続きます。

ダラダラと流れる青春の音
乾いたメロディは止まないぜ

 上記の2行は、レコードをかけたけど「僕」が予想したリアクションが得られず、気まずい空気が流れていることを示しているのでしょう。

 「ダラダラと流れる」「メロディは止まないぜ」という言い回しは、ロックが部屋にむなしく流れ続ける様子を、描写したのだと考えられます。自分がこんな状況に追い込まれたらと想像すると、逃げ出したくなりますね(笑)

「君」との恋の行方

 「君」との距離を縮めようと、自分の大好きなロックのレコードをかけた「僕」。しかし、期待した結果はまったく得られませんでした。

 曲も後半にさしかかって来ましたが、果たして恋の行方はどうなるのか。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

君はロックなんか聴かないと思いながら
あと少し僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋に焦がれてきたんだ

 上記の引用部は、前半4行までは1番のサビと共通。ロックを介して「君」と価値観を共有したい「僕」の心情が書かれています。

 異なるのは最後の1行だけ。1番では「恋を乗り越えてきた」と綴られ、上記2番では「恋に焦がれてきたんだ」となっています。この違いはなにか。

 サビの部分だけを抜き出すと、ほとんど意味の違いは生まれません。いずれも恋愛経験の少ない非モテの「僕」が、ロックを心の拠り所としている描写です。

 しかし、2番では直前の「君」のリアクションを考慮に入れると、やはりこの恋もうまくいかなかったことが示唆されます。

 今までもロックを聴きながら、恋に焦がれてきた「僕」。しかし、またしても恋が成就しなかったために、再び「恋に焦がれてきたんだ」と記述されているということです。

 さらに間奏後のサビには、確信的な内容が記述されます。以下に引用します。

君がロックなんか聴かないこと知ってるけど
恋人のように寄り添ってほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
また胸が痛いんだ

 引用部5行目が「また胸が痛いんだ」で締めくくられており、「君」との恋がうまくいかなかったと読み取れます。

 1番と2番のサビはラスト1行を除いて共通していましたが、上記引用部では1行目と2行目も変わっています。

 それまで「君はロックなんか聴かないと思いながら」だった1行目が「君がロックなんか聴かないこと知ってるけど」へ。

 「あと少し僕に近づいてほしくて」だった2行目が「恋人のように寄り添ってほしくて」と変化しています。

 この変化がなにを意味するのか、検討してみましょう。

 まず、1行目の変化は「君」がロックを聴かないことが確定してしまった、言い換えれば「君」との恋がうまくいかなかったことが、あらわされていると考えます。

 それまでは「君」がロックを聴くような人、あるいはロックを気に入ってくれる人で、自分の価値観を共有してくれるのではないかと、淡い期待を抱いていました。

 しかし、レコードをかけてみたけど「君」のリアクションは苦笑い。「僕」の期待は打ち砕かれます。

 2行目は「僕」の恋への憧れが、反映された表現なのではないかと思います。それまでは「あと少し僕に近づいてほしくて」と、やや控えめな表現でした。

 しかし、結果は失恋となったために「恋人」という直接的な言葉をあえて使い、「僕」の恋への憧憬を強調しているということです。

 ロックを武器に「君」との恋の成就を願った「僕」ですが、結果は惨敗。ロックだけが友達のこじらせ野郎に、逆戻りしてしまいました。

結論・まとめ

 以上「君はロックを聴かない」の歌詞を、順番に読みといてきました。

 この曲の最も優れていると思う点は、ロックという音楽がどのように機能しているか、正確に描いているところです。

 「ロックとはなにか?」という大きな議論をするつもりはないので、これから先は単純化した議論であるとご了承の上、お読みいただけますと幸いです。

 ロックというジャンルを定義するとき、音楽構造だけではなく、その精神性も取り上げられることがしばしばあります。

 それと比例して、ロックのリスナーには、音楽そのものと共にメッセージ性を重視する人が、一定数います。メッセージ性が重要視されるために、ロックは感情の捌け口、あるいは拠り所となることが多いのです。

 また、ロックに没頭するあまり、ロックを自分のアイデンティティであるかのように愛する人もいます。おそらく、この曲に出てくる「僕」もその一人。

 モテなくてもロックを聴いている俺はかっこいい、友達がいなくてもロックを理解している俺は他人よりも優れている。現代的な言葉であらわせば「厨二病」とも言える態度を、とらせることすらあります。

 この曲における「僕」は、ロックに癒され、ロックで理論武装する、ロック少年の有り様が凝縮されているように、僕には感じられるのです。

 そう感じるには、おそらく僕自身も少なからずロックに対して、厨二病的な思考を持っていたため。

 この曲を聴いていると、自分のことを歌われているようで、心がヒリヒリしてくるんですよね。そして、その感覚は懐かしくもあり、決してイヤな感じではありません。

 冒頭にも書いたとおり、あいみょんはリリース時に22歳の女性。それなのに、本人とは性別や年齢の違う人にも、ここまで大きな共感を呼び起こせる、本当に優れたシンガーソングライターだと思います。

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乃木坂46「裸足でSummer」歌詞の意味考察 裸足が象徴する「君」のキャラクター


目次
イントロダクション
楽曲構造の確認
いつもの夏となにが違う?
「僕」と「君」の関係性
「裸足」はなにを表象するか?
結論・まとめ

イントロダクション

 「裸足でSummer」は、女性アイドルグループ・乃木坂46の通算15作目のシングル。2016年7月27日にリリース。作詞は秋元康。

 タイトルに「Summer」が含まれているとおり、夏をテーマにしたこの曲。語り手の「僕」が「君」への恋心を語るのが、歌詞の大まかな内容です。

 しかし、秋元康らしいと言うべきなのか、歌詞は説明的でありながら、テクニックを駆使したもの。今日はこの曲を歌詞を、読みといてみたいと思います。

楽曲構造の確認

 歌詞の分析に入る前に、構造の確認をしましょう。再生を開始すると、イントロに続いて歌のメロディーが入ってきます。

 最初はこのメロディーがサビなのかなと思い、そのまま聴いていると、その後にAメロ、Bメロと展開して別のサビが出てきます。

 どうやら、イントロ後のメロディーは、Cメロあるいは大サビと呼ぶべき部分が、冒頭に挿入されていたようです。ちょっと珍しい構造ですね。

 この曲の構造を示すと、下記のとおり。

 Cメロ→Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Cメロ→サビ

 では、構造が確認できたところで、歌詞の考察に入ります。

いつもの夏となにが違う?

 前述のとおり、語り手は「僕」。歌い出しとなるCメロの歌詞を、以下に引用します。

いつもの夏と違うんだ
誰も気づいていないけど
日差しの強さだとか
花の色の鮮やかさとか…
何度も季節は巡って
どこかに忘れていたもの
誰かを好きになる
切ない入り口を…
You know…

 1行目は「いつもの夏と違うんだ」という宣言から始まります。では、なにが違うのか。その内容が2行目以降に記述されていきます。

 「日差しの強さ」や「花の色の鮮やかさ」など、文字どおりに意味をとっていくと、気候がいつもの夏とは違う、と言っているように思われます。

 しかし、そうではありません。語り手である「僕」が主張したいのは、7行目の「誰かを好きになる」の部分。

 誰かを好きになることで、日差しの強さや花の色が、それまでとは全く違って感じられる。つまり、いつもの夏と違うのは気候ではなく、「僕」の内面。

 今年の夏は恋をしているために、いつもの夏とは全く違う。上記の引用部は、そのような「僕」の精神的な変化をあらわしているということです。

 Cメロでは「僕」が恋をする「君」の描写は、まったくありませんでしたが、続く1番のAメロは「君」を説明する内容となっています。以下に引用します。

オレンジ色のノースリーブ ワンピース
サイドウォークで
太陽が似合うのは君だ

 具体的に「君」が好きだ、と記述されるのではなく、服装と場所の断片的な情報が示されるだけ。

 しかし、服装を細かく認識している点と、Cメロからの繋がりを考えると、「僕」が恋する相手は「君」なのだなと、分かる構造だと言えるでしょう。

 「いつもの夏と違うんだ」という一節から始まり、リスナーは自ずと何がいつもと違うんだろう、と疑問を持ちます。

 その疑問に応えるように、「僕」は「君」に恋をしているために、いつもの夏とは違う、という情報がここまでの歌詞で明らかになりました。

「僕」と「君」の関係性

 Aメロでは「君」の服装を描写していました。それに対して、Bメロでは行動が描写されています。以下に引用します。

ルイボスティーを飲みながら
なぜ 一人微笑むの?
テーブルの下 さりげなく
サンダル 脱ぎ捨てた

 2行目の「なぜ 一人微笑むの?」は、実際に質問をしたわけではなく、「君」の一挙手一投足を見つめてしまう「僕」の精神状態を、あらわしているのでしょう。

 疑問文は、サビに入っても繰り返し登場します。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

裸足になってどうするつもり?
そのまま どこかへ歩いて行くの?
ねえ 何をしたいんだ?
行動が予測できないよ
他人(ひと)の目 気にせずに気まぐれで…
そう君にいつも 振り回されて
あきれたり 疲れたり
それでも君に恋をしてる

 冒頭3行は、すべて疑問文。これらの疑問形もBメロと同じく、質問をしているわけではなく、「僕」が「君」の行動を追っている、夢中になっている様子をあらわしているのでしょう。

 同時に、6行目には「そう君にいつも 振り回されて」という言葉が続くことから、「僕」が「君」に振り回されている状況も、描写しています。

 最後の8行目は「それでも君に恋をしてる」と締めくくられています。つまり「僕」は振り回されつつも、「君」に夢中であるということ。あるいは夢中であるがために、振り回されていると言ってもいいかもしれません。

 いずれにしても、まだ恋に進展があるわけではなく、「僕」の片思いの状態であることが、ここまでの歌詞から想定できます。

 2人の関係性は、2番のAメロとBメロで、より具体的に記述されています。まず、2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

近くにいつも
大勢いるよ
男友達
その中の一人が僕だ

 上記の引用部から、「僕」は「君」の男友達であることが明らかになります。また、2行目の男友達が「大勢いるよ」からは、「君」が魅力的であることも示唆されています。

 続くBメロでは、「僕」の心情が記述されます。以下に引用します。

悔しいけどしょうがない
告白もしてないし
今の距離感 心地いい
普通で楽なんだ

 Aメロで友達であることが明かされ、上記Bメロでは、この状況に納得しているような「僕」の心情が記述。

 以上、2番のAメロとBメロの歌詞から、「僕」と「君」の関係性は、「僕」の片想いであると分かります。

「裸足」はなにを表象するか?

 タイトルにも含まれている「裸足」。サビには実際にこの言葉が出てきますが、一体これは何を表象しているのか、考えてみます。

 もちろん、文字どおりの意味は、サンダルや靴を脱いで素足になること。この裸足になる行為が、なにか別の意味を含んでいるのかどうか、確認するということです。

 2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

それなら僕も 裸足になって
一緒にどこでも歩いて行くよ
何だって付き合うさ
愛しさが背中を押すんだ
自分の気持ちは隠したまま
そう君といると素直になれる
欲しいものは前にある
いつかはちゃんと話せるかな

 1番の歌詞では「君」がサンダルを脱ぎ捨て、「僕」は「裸足になってどうするつもり?」と困惑していました。

 それに対して上記2番のサビでは、1行目に「それなら僕も 裸足になって」とあるとおり、「僕」は困惑するのではなく「君」にペースを合わせています。

 服を着替えること、あるいは脱ぐことで、心の変化をあらわすのは、たびたび用いられる表現方法です。僕も最初は「裸足でSummer」というタイトルですし、夏になって開放的になった気分を歌う曲だと考えていました。

 しかし、この曲において「裸足」は、心の変化というよりも、「君」のキャラクターを象徴的に示した言葉ではないかと思います。

 つまり、1番では「君」のマイペースで予測できない性格をあらわし、2番ではそんな「君」に惹かれる「僕」の恋心が、「裸足」というワードを介して描かれているということです。

結論・まとめ

 以上「裸足でSummer」の歌詞を、考察してきました。

 歌詞は、語り手である「僕」が、「君」に対する片想いを綴る内容。よくある夏のラブソングとも言えますが、この曲の特徴は、「裸足でSummer」というタイトルが示すとおり、「裸足」がキーワードとして機能しているところです。

 前述したとおり、「裸足」は「君」のキャラクターを象徴する言葉として、効果的に用いられています。

 歌詞を冒頭から見直して見ると、1番Aメロで「君」の描写をするときにも、「サイドウォーク」という言葉が出てきました。

 「sidewalk」とは、歩道を意味する英語。「裸足」というキーワードと併せて、この曲では常に注意の中心が、足元にあることが分かります。

 裸足になるという行為は、夏になって気分が開放的になる、自分の心をさらけ出す、という意味も少なからず含んでいるのでしょう。

 「裸足でSummer」というタイトルにも集約されていますが、「裸足」の意味を巧みに利用した夏ソングだと思います。

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スピッツ「正夢」歌詞の意味考察 夢と現実の交錯


目次
イントロダクション
基本情報の確認
夢の内容
「君」と会えない理由
語り手の心情
結論・まとめ

イントロダクション

 「正夢」は、2004年11月10日にリリースされた、スピッツ通算29作目のシングル。2005年1月12日リリースの11thアルバム『スーベニア』にも収録。作詞作曲は草野正宗。

 タイトルの「正夢」とは、夢に見たことが現実になる夢のこと。タイトルのとおり、この曲の歌詞は、語り手が夢からさめ、家を出たところから始まっています。

 語り手は夢のなかで「君」と会い、正夢となって実際に会えたらいいのになぁ、と願うのが歌詞の内容。一聴すると、微笑ましいラブソングのように響きます。

 しかし、わざわざ正夢になってほしいと願うのは、実際には会えない状態であることを示唆します。2人がどのような関係にあるのか、なぜ会えないのか。具体的な情報は明らかにされないものの、スピッツらしく、意味に広がりのある歌詞が展開します。

 このページでは、語り手と「君」の関係に注目しながら、「正夢」の歌詞を読みといてみたいと思います。

基本情報の確認

 まずは、登場人物を確認しましょう。出てくるのは語り手。この語り手が「君」への想いを語るのが、歌詞の内容となっています。

 前述のとおり、夢から醒め、家を出るところから歌詞は始まります。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

ハネた髪のままとび出した
今朝の夢の残り抱いて
冷たい風 身体に受けて
どんどん商店街を駆けぬけていく
「届くはずない」とか つぶやいても また
予想外の時を探してる

 歌い出しから、多くの情報が明らかになっていきます。順番に確認してみましょう。

 まず1行目。「ハネた髪のままとび出した」とは、寝癖を直すこともないぐらい、急いで家を出たということでしょう。では、そこまで急いだ理由はなにか。

 2行目に「今朝の夢の残り抱いて」と続いているため、直前まで見ていた夢が、正夢にしたいほど良い夢だった、と解釈できます。

 3行目の「冷たい風」からは季節が冬であること、4行目の「商店街」で場所が明らかにされています。

 また「商店街」と具体的な場所が書かれていることから、夢に出てきた特定の場所を、目指していることも分かります。

 5行目と6行目は、語り手の心情。「届くはずない」と「予想外の時を探してる」という言葉からは、今朝の夢が正夢になってほしいと願いつつ、実現可能性の低さが伝わります。

夢の内容

 それでは、語り手が正夢になってほしいと願う、夢の内容とは何なのか。サビの歌詞で明らかになります。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい
小さな幸せ つなぎあわせよう
浅いプールで じゃれるような
ずっと まともじゃないって わかってる

 1行目の「君と会えたら」が、語り手が正夢になってほしいと願うこと。さらに2行目には、語り手が「君」と会ったらどうしたいのかが、綴られています。

 3行目以降は、語り手の心情。4行目の「浅いプールで じゃれるような」は、ポエティックな表現であり、文字どおりの意味が取りにくいので、意味を考えてみましょう。

 まずプールは、本来は泳ぐための施設です。具体的な深さは指定されていませんが、「浅いプール」とは足が着くほどの深さまでしか、水が入っていないプールだと想像します。

 本来の目的、深さとは異なる浅いプール。そのようなプールで「じゃれる」のは溺れる心配がなく、極めて安全な行為。

 もちろん、実際に伝えたいのはプールの話ではなく、語り手と「君」との関係を、浅いプールに例えて描いたのだと考えます。

 前後の文脈を考えると、3行目の「小さな幸せ」を説明しているのでしょう。スリリングではありませんが、平穏な時間をあらわしているということです。

 では、5行目に続く「まともじゃない」とは、なにを意味するでしょうか。ここまで語り手は一貫して、「君」に再び会いたいと願っています。

 2人の関係性はハッキリとは名言されませんが、仮にかつての恋人同士だったとして、語り手が正夢を願うような態度、すなわち今は会えない状態にある「君」との再会を、願い続けるわけにはいかない。

 そのような語り手の現状が「まともじゃない」という言葉に込められているのだと思います。

「君」と会えない理由

 では、語り手と「君」が会えない理由はなにか。こちらも示唆的なかたちではありますが、2番のAメロで明らかになります。

 2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

八つ当たりで傷つけあって
巻き戻しの方法もなくて
少しも忘れられないまま
なんか無理矢理にフタをしめた
デタラメでいいから ダイヤルまわして
似たような道をはみ出そう

 上記引用部から想像するに、2人は仲違いで別れてしまったようです。家を飛びだしてから、現在進行形のように語られる1番のAメロに対して、上記2番のAメロは、過去を振り返る内容。

 1行目から4行目までは、比較的わかりやすく、解釈に迷わない言葉が並んでいます。しかし、5行目と6行目には、またポエティックな表現を持った言葉が並んでいます。

 また、4行目の最後は「フタをしめた」と過去形。それに対して6行目の最後は「はみ出そう」と未来形になっています。

 上記引用部をよく見てみると、前半4行は前述したとおり、過去を振り返る内容。しかし、後半2行は未来形で締めくくられているとおり、これからの希望を述べていることが分かります。

 以上を踏まえて、5行目以降を順番に解釈してみましょう。

 まず「ダイヤルまわして」とは、電話をかけることを意味しているのでしょう。タッチパネルを備えたスマホが主流となった現代においては、わかりにくい表現かもしれませんが、ダイヤルを備えた固定式電話のイメージです。

 その前の「デタラメでいいから」とは、なかなか解釈の困ります。適当な番号に電話をかけることとも取れますし、電話で話す内容がデタラメでいい、というこのなのかもしれません。

 ここでは会話の内容がデタラメでもいい、すなわち特に話す内容も決まっていないのに、とにかく電話をかけることを意味している、という解釈を採用したいです。

 では、そもそも誰に対する電話なのか。言うまでもなく、語り手が「君」にかける電話です。

 6行目には「似たような道をはみ出そう」と続きます。こちらも抽象的な表現ですが、2番Aメロ全体の歌詞を見わたせば、だいたいの意味は掴めます。

 前述のとおり前半4行では、2人の仲違いが描写されていました。6行目に綴られる「似たような道をはみ出そう」とは、前半4行で描かれた「八つ当たりで傷つけ」あうような関係を脱し、「君」と仲良くやり直したい。そのような語り手の希望が、語られているのだと考えます。

 また「はみ出そう」と未来形を用いることで、現状「君」とは会えない関係であることも、再び強調されています。

語り手の心情

 2番のサビでは、1番のサビと同じく、正夢を願う気持ちが綴られます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

いつか正夢 君と会えたら
打ち明けてみたい 裏側まで
愛は必ず 最後に勝つだろう
そうゆうことにして 生きてゆける
あの キラキラの方へ登っていく

 前述のとおり、今朝の夢が正夢になればいいのに、言い換えれば、夢で会ったように「君」と再会したい、という語り手の心情が書かれています。

 しかし、1番のサビと比較すると、より抽象的な言葉が並んでいます。例えば1番では「何から話そう 笑ってほしい」と、君との具体的な会話が想定されていたのに対して、2番では「打ち明けてみたい 裏側まで 愛は必ず 最後に勝つだろう」と、テーマが普遍的かつ大きなものへと変化。

 見た夢の内容をなぞったであろう1番に対し、2番では語り手の感情が前景化していると言えるでしょう。

 さらに気になるのは、6行目の「キラキラの方へ登っていく」という一節。スピッツの歌詞には、生死や永遠を思わせるものが少なくありませんが、この表現も「君」がすでに亡くなった存在なのでは、と連想させます。

 もちろん確定的に語られているわけではなく、多くの解釈を許容する、スピッツ特有のイマジナティヴな表現。

 「キラキラの方へ登っていく」も、あの世まで届くほどの感情とも読めますし、1番の歌詞の「小さな幸せ」と同じような意味とも取れます。

 いずれにしても、語り手の「君」への強い想いがあらわれた言葉であることは、間違いないでしょう。

結論・まとめ

 以上、語り手と「君」の関係にフォーカスして「正夢」の歌詞を、読みといてきました。

 語り手と「君」は、元恋人の関係。語り手は「君」と再会し、それが正夢になるようにと願いながら、同時に「君」への強い想いを滲ませていくのが、大まかな内容です。

 夢と現実、日常性と普遍性が交錯するような歌詞は、スピッツの特徴と言えるでしょう。

 家を飛び出す現実的な描写から始まり、「キラキラの方へ登っていく」と抽象的な言葉へと繋がる展開が、夢と現実を繋ぐようで、「正夢」というタイトルともぴったりだと思います。

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乃木坂46「キャラバンは眠らない」歌詞の意味考察 アイドルとキャラバンの共通項


目次
イントロダクション
そもそもキャラバンとは?
アイドルとキャラバンの共通点
夜を描く理由
フロンティアの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「キャラバンは眠らない」は、女性アイドル・グループ、乃木坂46の楽曲。2018年11月14日リリースの22ndシングル『帰り道は遠回りしたくなる』に収録されています。

 作詞は秋元康。センターを務める齋藤飛鳥さんをはじめ、若手を中心に編成されたメンバーによって歌唱される楽曲です。

 この曲が収録される『帰り道は遠回りしたくなる』は、乃木坂の1期生であり、長らくエース格として活躍した西野七瀬さんが参加する最後のシングル。

 同時期には西野さん以外に、若月佑美さん、能條愛未さん、川後陽菜さんと1期生が立て続けに卒業を発表。いやが応にも、乃木坂の転換期を感じさせるシングルとも言えます。

 そんなシングルのカップリングとして収録される「キャラバンは眠らない」。前述したとおり、齋藤飛鳥さんをセンターに据え、若手メンバーによる楽曲となっています。

 あたかも数年後の乃木坂を予見させるようなメンバー構成。そして、歌詞も未来へと進む内容となっています。

 ハッキリ言ってしまえば、若手メンバーへ向けられたとしか思えない歌詞です。では、どのようなことが歌われているのか、僕なりの解釈をご紹介したいと思います。

そもそもキャラバンとは?

 タイトルになっており、歌詞のなかにも何度も出てくる「キャラバン」という単語の意味を、最初に確認しておきましょう。

 キャラバンとは、ペルシャ語の「カールヴァーン」(Karvan)を語源に持つ言葉で、日本語では「隊商」という訳語があてられています。

 手元にある広辞苑に載っている「隊商」の意味を、以下に引用します。

砂漠のような鉄道の発達しない地方で、隊伍を組み、象・ラクダ・ラバなどの背に、商品などを積んで行く商人の一団

 上記の引用で、言葉の意味は確認できました。「キャラバンは眠らない」の歌詞も、上記キャラバンの意味をモチーフにしながら、綴られています。

 しかし、文字どおり荒野を行く商人たちを鼓舞する曲かといえば、そうではありません。表層的にはキャラバンをモチーフにはしていますが、歌詞が伝える意味はより広く、共通の目的を持つグループを描いた内容。

 言うまでもなく、この曲を歌う乃木坂の若手メンバーにも、あてはまる内容となっています。

 でも、共通の目的を持つグループを描くなら、例えばスポーツのチームや、劇団をモチーフにしても良かったはず。なぜ、モチーフとして「キャラバン」が選択されたのか。その理由を考えてみましょう。

 掘り下げて考えてみると、キャラバンを比喩に使うことで、多くの意味が帯びることに気がつきます。いくつか思いつく例をあげていきます。

 鉄道や道路がない場所を行くということは、レールのように決まった経路がなく、試行錯誤しながら進む必要があること。その道中で、未知なる危険に遭遇する可能性もあること。目的地に着くまで、メンバーは寝食を共にし、密接な関係になること等々。

 冒険とも呼ぶべき道程をたどるドラマ性と、多くの時間を一緒に過ごすことになる親密性が、もっとも顕著な特徴と言えるでしょう。

アイドルとキャラバンの共通点

 ここまでの考察をまとめると、この曲は表層ではキャラバン隊を歌いながら、比喩的に乃木坂の未来を歌っているということ。

 ではキャラバンが持つイメージを、アイドルグループに照らし合わせることで、どのような意味が生まれるのか。実際に歌詞を見ながら、検討します。

 1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

地平線で重なる
大地と空のように
どこまでも続く果てしない世界
道なき道 迷って 残された手がかりは
誰かが歩いたその足跡

 前半3行では、キャラバンが喚起するイメージどおりに、荒野を行く様子が描かれています。それに対して後半2行では、別のキャラバン隊の存在が示唆されています。

 では、上記引用部をアイドルグループに置き換えて解釈すると、どうなるか。前半3行は成功への道筋が不確かであること、後半2行はすでに卒業した先輩メンバーが、道筋を示してくれたことを表していると言えるでしょう。

 まとめると、成功への決まった経路は存在しないアイドルグループとしての活動。そんな不確かな状況において、先輩の活動がある程度の道しるべになっているということです。

 つづいて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

どんな夢を見たのか?
風は強く吹いたか?
太陽が沈んで暗い闇に絶望したか?

 こちらの引用部では、3つの文章すべてが疑問文になっています。また、1行目に「夢」、3行目に「暗い闇」と出てくるため、時間設定が夜であることも分かります。

 まずは、疑問形である理由を考えてみます。キャラバンのイメージに沿って解釈すると、荒野の旅路があまりにも過酷だから、あるいは当初の目標とモチベーションを思い出すため、語り手が自問自答しているように思われます。

 次に、アイドルグループに代入すると、どのような意味を帯びるのか検討します。

 1行目の「どんな夢を見たのか?」は、キャラバン的に解釈すると、文字どおり寝ているときにどんな夢を見たのか、という意味でしょう。

 しかし、アイドル的に解釈するなら、そもそもアイドルを目指すときに何を夢見ていたのか、という問いかけとも取れます。

 2行目と3行目も、キャラバン的解釈なら、そのまま言葉どおりに受け取ればいいでしょう。一方で、アイドル的解釈なら、楽しいことばかりではなく、時には過酷なアイドル生活に心が折れていないか、という自問のように響きます。

 道なき道をいく過酷なキャラバン。確実に成功するという保証はないアイドル。両者の置かれた、決まりきった経路はないという共通した状況が、ダブルミーニングで描かれた歌詞と言えます。

夜を描く理由

 何日にもわたって、道なき道をいくキャラバン。「キャラバンは眠らない」というタイトルが示唆するとおり、この曲では「夜」というワードが、くり返し使われています。

 先ほど引用した1番のBメロは、時間が夜に設定されていました。その後に続くサビでも、引き続き夜のまま。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

キャラバン星の夜は眠らない WOWOWOWO…
キャラバンそう微かな灯りでも…
そうさ
キャラバン先を急いで行こう! WOWOWOWO…
キャラバンそこに道が見えるなら…
信じる方角へ進むだけだ
前の世代を超えろ!

 引用部をまとめると、夜でも歩みを進めよう、という内容。最後の行が「前の世代を超えろ!」で締めくくられていますが、アイドル・グループに置き換えても、きわめて分かりやすい歌詞と言えます。

 前述のとおり、時間設定は夜。では、なぜ夜を描く必要があったのか、検討します。

 まず1行目。「キャラバン星の夜は眠らない」とあるとおり、夜でも歩みを止めない、という強い意志が示されています。

 さらに2行目。「そう微かな灯りでも…」と続き、いかに暗い夜でも、光がある限り進もうと、1行目の意志がくりかえし強調されています。

 本来のキャラバンは、天候の問題や、盗賊等を避ける目的がある場合を除き、わざわざ夜に歩みを進めはしないはず。そのため上記の引用部は、アイドル・グループの置かれた状況へと、変換して読みとくべきだと考えます。

 冒頭で紹介したとおり、乃木坂の若手メンバーによって歌唱されるこの曲。まだ選抜未経験のメンバーも含まれ、実際の選抜メンバーと比べれば、発展途上とも言えます。

 歌詞の世界観に照らし合わせると、この曲の構成メンバーにとっての夜明け、すなわち全盛期と言うべき時間は、未来にあるということ。つまり、時間を夜に設定することで、若手メンバーを鼓舞する意味を付加したとも解釈できます。

 ここまでキャラバンを比喩的に用いて、アイドル・グループの状況が描かれてきましたが、サビに至るとアイドルを思わせる表現が前景化。

 もはや、乃木坂の若手メンバーへのメッセージとしか、思えない内容となってきました。

フロンティアの意味

 2番に入っても、歌詞の構造は1番と変わりません。すなわち、キャラバン隊を思わせる描写に、アイドル・グループの活動が重なる内容となっています。

 2番のサビでは、1番での「キャラバン」に代わり「フロンティア」という言葉が登場。この言葉が何を意味するのか、検討しましょう。

 2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

フロンティアその背中が遠くても WOWOWOWO…
フロンティアいつの日にか追いつこう
君は
フロンティア憧れて来たんだ WOWOWOWO…
フロンティアずっと夢の中にいた
このまま走っても間に合わない
違うルートを探せ!

 「フロンティア(frontier)」とは、辞書的には「最前線」「境界地帯」などを意味します。特にアメリカ合衆国では、西部開拓時代の最前線を指し、「未開の地」「新天地」といった意味も持つ言葉です。

 引用部に出てくる「フロンティア」。キャラバン隊的に解釈するなら、上記の意味のとおり、まだ見ぬ新天地という意味でしょう。

 では、アイドルに代入すると、どんな意味を帯びるか。具体的に乃木坂46に照らし合わせて、考えてみましょう。

 この曲がリリースされた2018年11月時点で、乃木坂は日本のトップ・アイドル・グループと言って、差し支えないでしょう。その人気を牽引するのは、シングルのリード曲を歌う選抜メンバーたち。

 「フロンティア」が意味するのは、乃木坂の人気を作り上げてきた、卒業したメンバーも含めた、これまでの選抜メンバーたちです。

 この曲を歌唱する一部の若手メンバーにとっては、過去の主力メンバーたちは、歌詞にあるとおり「憧れて来た」存在であるのでしょう。

 さらに上記引用部6行目では「このまま走っても間に合わない」、7行目には「違うルートを探せ」と綴られています。

 つまり、過去の主力メンバーは憧れの存在ではあるけど、模倣するだけでは、追いつき追い越すことはできないということ。

 これまでの乃木坂の成功をフロンティアに例え、現在の若手メンバーには、それをなぞるだけでなく、いずれは超えてほしい。そのような激励を込めた歌詞と言えるでしょう。

結論・まとめ

 以上「キャラバンは眠らない」が、乃木坂の若手メンバーに向けられた曲である、という仮説に基づいて、歌詞を読みといてきました。

 この曲では表層では荒野をいくキャラバン隊を描きながら、深層では乃木坂の若手メンバーを鼓舞する内容になっています。

 冒頭に書いたとおり、長年エースとして活躍した西野さんが卒業。

 人気の低下も危惧されるなかで、若手メンバーたちには、今まで以上に乃木坂を発展させ活躍してほしい、というメッセージが込められた曲と言えるのではないかと思います。

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