目次
・イントロダクション
・「僕」は誰と戦う?
・17歳と20歳
・疑問文を使った意味
・僕vsあの子
・結論・まとめ
イントロダクション
「本当本気」は、WACK所属のアイドルグループ、BiSHの楽曲。2016年10月5日リリースの3rdアルバム『KiLLER BiSH』に収録されています。
作詞を担当したのは、メンバーのアユニ・D。タイトルの読み方は「ほんとうほんき」です。
まず気がつくのは、歌詞のアグレッシヴな言葉づかい。まさに、楽器を持たないパンクパンドかくあるべし!という曲に聞こえます。
内容的にも、自身の価値観を訴えていて、アグレッシヴと言っていいでしょう。
ロックやパンクでメッセージ・ソングと言えば、大人と子供の対立を描くことが、たびたびあります。
「本当本気」でも、語り手である「僕」と、他者との対立をテーマとしています。ただ対立構造は、大人vs子供の世代による対立ではなく、価値観による対立なんです。
若者の立場から、大人を仮想敵とした、よくある世代間の対立構造を利用せしないのが、この曲の特異なところ。
そして、価値観による対立を設定することで、よりメッセージ性が引き立つ効果を生んでいるんじゃないかと。
そんなわけで、曲中における対立構造に注目しながら、「本当本気」の歌詞を読みといてみたいと思います。
「僕」は誰と戦う?
世代間闘争ではないものの、この曲には対立構造が存在すると書きました。では、それは誰と誰の対立なのか。
答えは歌い出しの歌詞に、記述されています。以下に引用します。
みんなが僕をバカにすんだ なめんな
大人vs子供どころか、僕vsみんな。世界のすべてを敵視したような対立関係です。
大人どころか世界にツバを吐くような態度は、大人を仮想敵とするより、よっぽど厨二病的とも言える思考ですが、敵を大きく設定することで「僕」の価値観にフォーカスし、より強調する結果にもなっています。
「みんな」が誰を指すのか、具体的には書かれていませんが、常識的な言葉で説教してくる人全般ということでしょう。
いずれにしても、「僕」と「みんな」の対立が宣言され、曲がスタートします。
17歳と20歳
世代間の対立を描いてはいないのですが、歌詞には、ふたつの年齢が出てきます。それは17歳(seventeen)と、20歳(twenty)。
差は3年しかありませんが、前者が高校生が想定される年齢であるのに対して、後者は成人した年齢であり、大きな差異が感じられる年齢差となっています。
例えば同じ3歳差でも、23歳と26歳、55歳と58歳などであったら、これほどの印象の差は生まれないでしょう。
わずか3年の差で、大きな意味の差異をもたらす17歳と20歳。では、これらふたつの年齢を用いて、どのような内容が語られるのか、確認しましょう。
まず、17歳について。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
もうやりたいことやれずに
ああいつになったならやりますか?
学校でやってやるんです
seventeen まだseventeen
ああ消したい事殺れずに
じゃあいつになれば殺れます?
大きくなって求めるんだ
seventeen まだseventeen’S OK??
まだseventeen
上記引用部では、まだ17歳であるがために、できない事柄が多いと記述されます。
それに対して、2番では年齢が3つ上がり、20歳になっています。1番の歌詞と対比させるなら、年齢が上がって成人を迎えることで、17歳のときにはできなかった事が、できるようになるのでは、と予想できます。
では、実際に歌詞では、どのように展開するのか。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。
言いたいことも言えずに
じゃあいつになれば言うんですか??
会社で言ってやるんです
twenty もうtwenty
死にたいことも癒えない
じゃあいつになれば癒える?
大きくなって求めるんだ
twenty もうtwenty だった
だってtwenty
予想に反して、20歳になったけれども言えないことが多い。いったいいつになったら言えるのか、という内容が記述されています。
つまり両者の内容を合わせると、いくつになっても禁止される事柄があるということ。年齢が上がったからといって、自動的に自由になれるわけではないということです。
疑問文を使った意味
先ほどの引用部を含めて、歌詞にはクエスチョンマークで閉じられる、多くの疑問文が出てきます。
これが何を意味するのか、検討しましょう。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。
本気出すのは今ではない
嘘じゃない 知ってた?
能ある鷹はね爪隠すの
頭がおかしくなっちゃっても
クズじゃない 知ってた?
ここでやめちゃだめでしょ
to die or 生
確認してみると、いずれの疑問文も前言を確認していることが分かります。疑問文を投げかけられた相手はハッキリしませんが、それは重要ではありません。
重要なのは「僕」が自分の意見を持っていることが、強調されている点。そして、世間の一般的な考え方に対するカウンターとなっている点です。
つまり「本気出すのは今ではない 馬鹿じゃない 知ってた?」という疑問文には、「今、本気を出さないやつは馬鹿だ」という思考へのカウンターが含意されており、「僕」が疑問を投げかける相手は、そのような思考を持つ人すべてということ。
世間一般に対する疑問と言い換えても、いいかもしれません。まとめると、いずれの疑問文も「僕」の意志を、強調する効果を生んでいます。
また、引用部ラスト「to die or 生」の「生」は、セイと発音されています。英語の「say」を連想させる発音であり、自分の本当の気持ちを言うことが、生きる事と同じぐらい重要である、という「僕」の強い意志があらわれた一節です。
僕vsあの子
この曲の対立構造は、あくまで価値観においての対立であり、世代間の対立ではない、と先述しました。
それが強調される歌詞が、2番のサビ後に出てきます。以下に引用します。
あの子がさほざいてた
人はいつか死ぬと
本当に本気を見せないと
「あの子」とは同級生を想定しているのでしょう。少なくとも世代を隔てた大人ではありません。
「ほざいてた」という言い回しからは、語り手の反発心があらわれています。つまり「あの子」に反論するのと同時に、そんなもっともらしい言葉で説教されなくても、自分の意思を持っているということでしょう。
上記引用部から、感想を挟んで、3回目のサビへと入ります。当該部分には「僕」の思考が、もっとも端的にあらわれています。以下に引用します。
生きたいようにもう生きずに
じゃあいつになれば生キル??
いまから生きてやるんだそう
KODOMOでも OTONAでも無い
BOKUだから
大人や子供をいった年齢のカテゴリーによって、自分の行動を決めるのではなく、自分の信念に従う。そうした「僕」の意志が、はっきりと表明された部分だと言えるでしょう。
結論・まとめ
以上、対立構造に注目しながら、「本当本気」の歌詞を読みといてきました。
冒頭にも書いたとおり、この曲の特異な点はその対立構造。世代による対立ではなく、価値観による対立を描くことで、メッセージ性をより際立たせています。
「みんなが僕をバカにすんだ」という一節に集約されていますけど、自分には味方がいないという前提と、世界に向けてツバを吐くような態度も、内省的でいかにもロック的だなと思います。
同時に厨二病的とも言えるのかもしれませんが。僕自身は厨二病的な価値観を引きずったままのダメな大人なので、「本当本気」の歌詞が響きまくって仕方がないです。
ちなみにこの曲にハマるきっかけは、私立恵比寿中学の中山莉子の生誕ソロライブ。中山さんがこの曲を、ライブでカバーしてたんですよね。
彼女の芯の強さを感じさせる、すばらしいカバーでした。
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