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BiSH「本当本気」歌詞の意味考察 「僕」と世界の対立構造


目次
イントロダクション
「僕」は誰と戦う?
17歳と20歳
疑問文を使った意味
僕vsあの子
結論・まとめ

イントロダクション

 「本当本気」は、WACK所属のアイドルグループ、BiSHの楽曲。2016年10月5日リリースの3rdアルバム『KiLLER BiSH』に収録されています。

 作詞を担当したのは、メンバーのアユニ・D。タイトルの読み方は「ほんとうほんき」です。

 まず気がつくのは、歌詞のアグレッシヴな言葉づかい。まさに、楽器を持たないパンクパンドかくあるべし!という曲に聞こえます。

 内容的にも、自身の価値観を訴えていて、アグレッシヴと言っていいでしょう。

 ロックやパンクでメッセージ・ソングと言えば、大人と子供の対立を描くことが、たびたびあります。

 「本当本気」でも、語り手である「僕」と、他者との対立をテーマとしています。ただ対立構造は、大人vs子供の世代による対立ではなく、価値観による対立なんです。

 若者の立場から、大人を仮想敵とした、よくある世代間の対立構造を利用せしないのが、この曲の特異なところ。

 そして、価値観による対立を設定することで、よりメッセージ性が引き立つ効果を生んでいるんじゃないかと。

 そんなわけで、曲中における対立構造に注目しながら、「本当本気」の歌詞を読みといてみたいと思います。

「僕」は誰と戦う?

 世代間闘争ではないものの、この曲には対立構造が存在すると書きました。では、それは誰と誰の対立なのか。

 答えは歌い出しの歌詞に、記述されています。以下に引用します。

みんなが僕をバカにすんだ なめんな

 大人vs子供どころか、僕vsみんな。世界のすべてを敵視したような対立関係です。

 大人どころか世界にツバを吐くような態度は、大人を仮想敵とするより、よっぽど厨二病的とも言える思考ですが、敵を大きく設定することで「僕」の価値観にフォーカスし、より強調する結果にもなっています。

 「みんな」が誰を指すのか、具体的には書かれていませんが、常識的な言葉で説教してくる人全般ということでしょう。

 いずれにしても、「僕」と「みんな」の対立が宣言され、曲がスタートします。

17歳と20歳

 世代間の対立を描いてはいないのですが、歌詞には、ふたつの年齢が出てきます。それは17歳(seventeen)と、20歳(twenty)。

 差は3年しかありませんが、前者が高校生が想定される年齢であるのに対して、後者は成人した年齢であり、大きな差異が感じられる年齢差となっています。

 例えば同じ3歳差でも、23歳と26歳、55歳と58歳などであったら、これほどの印象の差は生まれないでしょう。

 わずか3年の差で、大きな意味の差異をもたらす17歳と20歳。では、これらふたつの年齢を用いて、どのような内容が語られるのか、確認しましょう。

 まず、17歳について。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

もうやりたいことやれずに
ああいつになったならやりますか?
学校でやってやるんです
seventeen まだseventeen
ああ消したい事殺れずに
じゃあいつになれば殺れます?
大きくなって求めるんだ
seventeen まだseventeen’S OK??
まだseventeen

 上記引用部では、まだ17歳であるがために、できない事柄が多いと記述されます。

 それに対して、2番では年齢が3つ上がり、20歳になっています。1番の歌詞と対比させるなら、年齢が上がって成人を迎えることで、17歳のときにはできなかった事が、できるようになるのでは、と予想できます。

 では、実際に歌詞では、どのように展開するのか。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

言いたいことも言えずに
じゃあいつになれば言うんですか??
会社で言ってやるんです
twenty もうtwenty
死にたいことも癒えない
じゃあいつになれば癒える?
大きくなって求めるんだ
twenty もうtwenty だった
だってtwenty

 予想に反して、20歳になったけれども言えないことが多い。いったいいつになったら言えるのか、という内容が記述されています。

 つまり両者の内容を合わせると、いくつになっても禁止される事柄があるということ。年齢が上がったからといって、自動的に自由になれるわけではないということです。

疑問文を使った意味

 先ほどの引用部を含めて、歌詞にはクエスチョンマークで閉じられる、多くの疑問文が出てきます。

 これが何を意味するのか、検討しましょう。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

本気出すのは今ではない
嘘じゃない 知ってた?
能ある鷹はね爪隠すの
頭がおかしくなっちゃっても
クズじゃない 知ってた?
ここでやめちゃだめでしょ
to die or 生

 確認してみると、いずれの疑問文も前言を確認していることが分かります。疑問文を投げかけられた相手はハッキリしませんが、それは重要ではありません。

 重要なのは「僕」が自分の意見を持っていることが、強調されている点。そして、世間の一般的な考え方に対するカウンターとなっている点です。

 つまり「本気出すのは今ではない 馬鹿じゃない 知ってた?」という疑問文には、「今、本気を出さないやつは馬鹿だ」という思考へのカウンターが含意されており、「僕」が疑問を投げかける相手は、そのような思考を持つ人すべてということ。

 世間一般に対する疑問と言い換えても、いいかもしれません。まとめると、いずれの疑問文も「僕」の意志を、強調する効果を生んでいます。

 また、引用部ラスト「to die or 生」の「生」は、セイと発音されています。英語の「say」を連想させる発音であり、自分の本当の気持ちを言うことが、生きる事と同じぐらい重要である、という「僕」の強い意志があらわれた一節です。

僕vsあの子

 この曲の対立構造は、あくまで価値観においての対立であり、世代間の対立ではない、と先述しました。

 それが強調される歌詞が、2番のサビ後に出てきます。以下に引用します。

あの子がさほざいてた
人はいつか死ぬと
本当に本気を見せないと

 「あの子」とは同級生を想定しているのでしょう。少なくとも世代を隔てた大人ではありません。

 「ほざいてた」という言い回しからは、語り手の反発心があらわれています。つまり「あの子」に反論するのと同時に、そんなもっともらしい言葉で説教されなくても、自分の意思を持っているということでしょう。

 上記引用部から、感想を挟んで、3回目のサビへと入ります。当該部分には「僕」の思考が、もっとも端的にあらわれています。以下に引用します。

生きたいようにもう生きずに
じゃあいつになれば生キル??
いまから生きてやるんだそう
KODOMOでも OTONAでも無い
BOKUだから

 大人や子供をいった年齢のカテゴリーによって、自分の行動を決めるのではなく、自分の信念に従う。そうした「僕」の意志が、はっきりと表明された部分だと言えるでしょう。

結論・まとめ

 以上、対立構造に注目しながら、「本当本気」の歌詞を読みといてきました。

 冒頭にも書いたとおり、この曲の特異な点はその対立構造。世代による対立ではなく、価値観による対立を描くことで、メッセージ性をより際立たせています。

 「みんなが僕をバカにすんだ」という一節に集約されていますけど、自分には味方がいないという前提と、世界に向けてツバを吐くような態度も、内省的でいかにもロック的だなと思います。

 同時に厨二病的とも言えるのかもしれませんが。僕自身は厨二病的な価値観を引きずったままのダメな大人なので、「本当本気」の歌詞が響きまくって仕方がないです。

 ちなみにこの曲にハマるきっかけは、私立恵比寿中学の中山莉子の生誕ソロライブ。中山さんがこの曲を、ライブでカバーしてたんですよね。

 彼女の芯の強さを感じさせる、すばらしいカバーでした。

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あいみょん「満月の夜なら」歌詞考察 アイスクリームによる情景描写


目次
イントロダクション
アイスクリームの温度
色と香り
アイスクリームと感情
結論・まとめ

イントロダクション

 「満月の夜なら」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのメジャー4枚目のシングル。2018年4月25日リリース。作詞作曲は、あいみょん。

 この曲に限らず、あいみょんの書く歌詞は、つねに意味が多層的。リスナーによって無数の解釈が可能な、イマジナティヴな言葉が並びます。

 「満月の夜なら」も、エロティックというか、ロマンチックというか、ストレート過ぎるとも、曖昧とも言える歌詞になっています。

 男女の性的な内容をメタファーで語っているようにも思えるし、実際にそのように受け取る方も多いようです。

 僕もそういうことを歌ってるんだろうなぁ、と思いつつ、ただ「この曲は男女関係のメタファーです」と言って、終わってしまってはつまらない。

 なので、ちょっと視点を絞り、五感に関係する表現、特にこの曲における「アイスクリーム」がどのような機能を担っているのかを、紐解いていきたいと思います。

 つまり、歌詞の意味ではなく、表現の方法を考察するということですね。

 「満月の夜なら」には、温度や色を用いた表現が散りばめられ、立体的で五感に結ぶつきやすい歌詞になっています。

 この立体的な状況描写が、「満月の夜なら」の歌詞の優れた点だと思うんですよね。

 では、実際にどのような表現がなされているのか、「アイスクリーム」を中心に考察していきます。

アイスクリームが伝える情報

 歌詞の大まかな内容を、最初に確認しておきましょう。

 登場人物は、語り手である「僕」と「君」。おそらくベッドの中だと思われる出来事が、直接的ではなく、ポエティックに記述されていきます。

 「ポエティック」と書くと、具体的にどういうことなのか分からないですけど、前述したとおり、五感を利用した表現が、多用されているのです。

 歌詞の1行目から、早速「アイスクリーム」が出てきます。1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

君のアイスクリームが溶けた
口の中でほんのりほどけた
甘い 甘い 甘い ぬるくなったバニラ

 上記引用部では「アイスクリーム」という言葉ひとつで、多くの情報を伝えています。

 アイスクリームは、本来は冷たく甘い食べもの。そのため「アイスクリームが溶けた」ということは、ある程度の時間の経過と、冷たいものの温度が上がり、馴染んできたことを意味します。

 さらに3行目に「甘い ぬるくなったバニラ」とあるとおり、アイスクリームは甘い食べもの。

 「君のアイスクリーム」が具体的になにを指すかは明らかにされませんが、「僕」が悪い感情を持っていないことが分かります。

 2人が甘い関係、言い換えれば良好な関係にあることも、示唆していると言えるでしょう。

 つまり「アイスクリーム」という言葉を用いることで、たった3行のなかに、時間の経過や「僕」の感情など、多くの情報を盛り込んでいるのです。

 また、アイスクリームの温度と味を利用した、五感に訴えかける表現でもあります。

色と香り

 1番のAメロ2連目には、今度は色と香りによって、さらにリスナーの五感をつかむような表現が続きます。

 アイスクリームは出てきませんが、五感を利用したこの曲の特性が出ているので、確認しておきましょう。

 1番のAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

横たわる君の頬には
あどけないピンクと更には
白い 深い やばい 神秘の香り

 視覚に関する2行目の「ピンク」、嗅覚に関する3行目の「神秘の香り」と、ふたつの異なる五感に訴える表現が出てきました。

 注目すべきは3行目。「白い 深い やばい」と3つの形容詞が連続していますが、その全てが「神秘の香り」にかかっていると考えると、若干の違和感が生じるのです。

 ひとつ目の「白い」は、視覚を形容する言葉なので不自然。これをどう考えるべきか。直前の「ピンク」をすぐに言い直すのもおかしいので、やはり香りにかかっているのだと考えます。

 その後に続く「深い」と「やばい」は、より意味が広く、視覚にも嗅覚にも使える形容詞です。

 3つの形容詞を並べてみると、順番に意味の幅が広がっています。言い換えれば、より曖昧な形容詞が選ばれているということ。

 例えば「甘い香り」や「鼻につく香り」よりも、「深い香り」「やばい香り」は、具体性にとぼしい表現。しかし、リスナーに判断を任せることで、それぞれの想像力を利用し、歌詞の世界へと引き込んでいく表現とも言えます。

アイスクリームと感情

 サビには「アイスクリーム」というワード自体は出てこないものの、アイスクリームに繋がるイメージが出てくるので考察します。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

溶かして 燃やして 潤してあげたい
次のステップは優しく教えるよ
君とダンス 2人のチャンス
夜は長いから
繋いでいて 離れないでいて

 1行目の「溶かして 燃やして 潤してあげたい」は、冒頭に出てきた「君のアイスクリームが溶けた」に繋がる表現と言えるでしょう。

 冷たかったアイスクリームの温度が上がり、溶けて、やがて液状になる。温度によるアイスクリームの変化が、2人の感情とテンションの変化に、例えられているということです。

 2番のサビのあとに挿入されるCメロでは、再び「アイスクリーム」という言葉が出てきます。以下に引用します。

甘いアイスクリーム
体温を上げる小さなスクリームがラブリー
耳元を狂わすよラブリー
淡いルームライト
ピンクの頬が杏色に照らされて
スパンコールのように弾けて

 上記引用部には、この曲におけるアイスクリームの役割が、もっとも端的にあらわれています。

 1行目から2行目にかけて「甘いアイスクリーム」と「体温を上げる小さなスクリーム」が、ことば遊びのように連なっています。

 温度が上がり溶け出すアイスクリームと、高まる2人の感情がイコールで結ばれ、アイスクリームは2人の感情のメタフォーとして機能しているわけです。

結論・まとめ

 結論に入りましょう。

 この曲では夜の出来事がポエティックに綴られていくのですが、アイスクリームが2人の感情をあらわしています。

 アイスクリームは、本来は冷たく、甘い食べもの。歌詞の中では、冒頭からアイスクリームが溶け出しています。

 温度によるアイスクリームの変化は、2人の感情と対応。溶け出すアイスクリームが、気持ちの高まりのメタフォーになっているということです。

 そして、言うまでもなく2人は苦い関係ではなく、アイスクリームと同じく、甘い関係にあります。

 男女のベッドでの出来事を描いているとしか思えないのですが、直接的にではなく、五感に訴えながら情景を描写する手法は見事です。

 タイトルになっている「満月の夜なら」。丸い満月は、アイスクリームのようにも見える…というのは考え過ぎですかね。

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岡崎体育「感情のピクセル」歌詞の意味考察 ワニさんと他の動物たちとの差異


目次
イントロダクション
アンバランス
どうぶつさんたち
メッセージ
結論・まとめ

イントロダクション

 「感情のピクセル」は、兵庫県西宮市生まれ、京都府宇治市出身のシンガーソングライター、岡崎体育の楽曲。2017年6月14日リリースの2ndアルバム『XXL』に収録されています。作詞作曲は岡崎体育。

 『XXL』のリード・トラックとして、ミュージック・ビデオも制作されたこの曲。ミュージック・ビデオと歌詞の内容、サウンドとのアンバランスが話題を呼びました。

 曲調とサウンドは、メロコアあるいはポスト・ハードコアを彷彿とさせる、基本的にはシリアスでハードなもの。しかし、そんな曲調とは不釣り合いに、歌詞がぶっ飛んでいるのです。

 歌詞にはブタさんやウサギさんをはじめ、複数の動物が登場。それに準じて、ミュージック・ビデオにも、動物の着ぐるみが出てきます。

 内容としては、動物たちが「みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん おなかぽんぽんぽんのやっほー」しているのですが、ワニさんだけが仲間に入れてもらえません。

 なぜ、ワニさんだけ仲間ハズレなのか。そして、それが何をあらわすメッセージなのか。

 一聴すると、ふざけているように思える「感情のピクセル」。先に結論を述べてしまうと、この曲はふざけているようでありながら、真面目なメッセージを有している、と僕は考えています。

 では、上記2点に注目しながら、「感情のピクセル」の歌詞を意味を考察してみます。

アンバランス

 まずは、楽曲全体の構造を確認しておきましょう。

 サウンドと歌詞がアンバランスであることは、先ほど指摘しました。このアンバランスが、言ってみればボケであり、楽曲を聴いた人が、話のネタにするであろう部分でもあります。

 サウンドはシリアスなメロコア風でありながら、歌詞では動物さんがわいわい。この部分がアンバランスであるのも、前述したとおりです。

 さらに歌詞をよく見てみると、歌詞自体も2層構造になっていることが分かります。Aメロ・Bメロはサウンドに対応したメロコア風のものでありながら、サビに入ると一変して動物さんが大集合するのです。

 つまり、サウンドと歌詞の不一致のみならず、歌詞のみに注目しても、振れ幅が大きくアンバランスであるということ。フリとオチの関係にあると言ってもいいでしょう。

 実際に歌詞を確認してみましょう。1番のサビ前までの歌詞を、以下に引用します。

重ねた手のひら 風の色はもう見えなくなる
怯えて震える身体を焼き尽くしていく
もう何もかも信じたくはない
I don’t believe it anymore cause I feel sad
記憶を辿ったって何も変わらないよ

 上記引用部には、何もおかしいところはありません。いかにも、メロコアやスクリーモの歌詞にありそうな内容とも言えます。

 しかしながら、前述のとおりサビに入ると、歌詞の質が一変。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

どうぶつさんたちだいしゅうごうだ わいわい
おいでよブタさん ウサギさん キツネさんにゾウさん
みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん
おなかぽんぽんぽんのやっほー
チーターさんはかけっこじゃまけないぞ
過去を消し去るように疾走れ Don’t give a fxxk with me

 まず気がつくのは、大半がひらがなで記載されていること。内容も、子供向け番組の歌のように、動物さんたちが「うんぱっぱのぶんぶん」しています。

 サビ前までの歌詞と比べるまでもなく、まったく質の異なる内容となっています。

 まとめると、サビ前までのシリアスな通常パートと、サビでの動物パート。質の異なる2種類の歌詞が、交互に訪れる構造となっています。

 そして、歌詞の内容と対応して、ミュージック・ビデオも通常パートと動物パートで質の異なる構成。

 このようなコントラストのはっきりした構造は、フリとオチの関係になり、笑いの要素を引き立てる結果となっています。

どうぶつさんたち

 次に、この曲に出てくる動物たちを確認しましょう。登場するのは以下の6種。

 ブタさん、ウサギさん、キツネさん、ゾウさん、チーターさん、ワニさん

 先ほど引用した、1番のサビに出てくるのは、最初の5種類。前述したとおり「みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん」しています。

 それに対して、2番のサビに出てくるのはワニさんのみ。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

どうぶつさんたちだいしゅうごうだ わいわい
おいでよ ワニさんもなかまにいれてあげて
みんなでたのしく うんぱっぱのぶんぶん
おなかぽんぽんぽんのやっほー
ワニさんもなかまにいれてあげて
ワニさんもなかまにいれてあげて

 1番では5種類の動物が登場し、みんなでわいわいしていたのに対して、2番では「ワニさんもなかまにいれてあげて」と、繰り返し記述されています。

 ミュージック・ビデオの内容を整理すると、1番に出てくるのはワニさんを除いた5種。しかし、チーターさんは走り去っていくだけです。

 2番に出てくるのは、今度はチーターさんを除いた5種。そして、ワニさん以外の4種は一緒にいるのですが、ワニさんはポツンと離れた場所にいます。

 なぜ、ワニさんだけ仲間ハズレにされてしまうのか。チーターさんも2番には登場せず、ワニさんと同じく、他の4種とは扱いが違います。

 そのため、最初は両者の共通点を探し、ワニさんとチーターさんは肉食のために、仲間ハズレなのではないか、という仮説を立てました。

 しかし、歌詞の中にそれよりも確定的な情報が提示されており、考えを改めました。間奏後に挿入される、Cメロの歌詞を以下に引用します。

分かち合えない 生き物としてのカテゴライズの壁
乾いた果実も一度乾くともう戻れない

 「生き物としてのカテゴライズの壁」とあるとおり、ワニさんと他の動物たちと違いは、生物学的な種類。すなわち、ワニさんが爬虫類であるのに対して、他の5種はみんな哺乳類なのです。

 引用部2行目の「乾いた果実も一度乾くともう戻れない」も、ワニさんが爬虫類であることを、強調する一節だと考えられます。

 ワニは水中生活に適応し、水場に生息する動物であり、水のない陸地では生活できません。つまり「果実」はワニを例え、彼らが陸では生きていけない生物だと、言っているのです。

 また、先ほどはワニさんとチーターさんには肉食動物という共通点があるため、チーターさんも仲間ハズレなのではないか、という仮説を立てました。

 しかし、チーターさんも哺乳類。仲間ハズレではありません。

 ミュージック・ビデオにおいて、1番では走り去るだけ。2番には登場しないのですが、曲の最後は、チーターさんの走る姿で締めくくられています。

 歌詞にも、チーターさんの仲間ハズレを示唆する部分はありませんし、おそらく「かけっこ」が好きなだけなのでしょう。

 ミュージック・ビデオにはあまり出てこないものの、常にポツンといるワニさんとは、質が異なります。

メッセージ

 最後に「感情のピクセル」が伝えるメッセージについて考察します。

 ここまでの考察だと、どうぶつさんたちはわいわいし、ただワニさんが仲間ハズレになっただけ。表層ではそうなのですが、この曲の深層にはもっと別のメッセージが隠されていると考えます。

 まず、タイトルの「感情のピクセル」について、検討しましょう。

 ピクセル(pixel)とは画素とも言い、コンピュータで画像を扱うときの最小単位。つまり「感情のピクセル」とは、「感情の最小単位」を意味します。

 この曲では、他の動物たちがワニさんを仲間ハズレにしています。その理由は、生き物としてのカテゴライズが違うため。カテゴライズが違うために排除するのは、差別的な行為とも言えます。

 「感情のピクセル」とは、本人の意識にも上がらないぐらいの細かい感情。上記のような、無意識な差別意識などを指しているのではないでしょうか。

 さらに最後を締める歌詞には、この曲のメッセージを集約したと思われる言葉が、並んでいます。ラスト3行の歌詞を、以下に引用します。

さすがに気の毒になってくる
思いやりという名の道徳的価値の再認識
ワニさんもなかまにいれてあげて

 上記引用部には、カテゴリーが違うという理由だけで排除せず、ワニさんも仲間に入れてあげよう。他者を受け入れる、思いやりの心を持とう、という内容が記述されています。

 「感情のピクセル」という言葉も示唆するとおり、「嬉しい」や「悲しい」のように認識されない、差別意識等をなくそう、というのが、この曲が放つメッセージなのではないか、と僕は思います。

結論・まとめ

 以上、岡崎体育さんの「感情のピクセル」を、ワニさんがなぜ仲間に入れてもらえないのか、という点に注目し、読みといてきました。

 僕の出した結論としては、表層では動物さんたちが集合する、おどけた歌詞でありながら、深層には思いやりの気持ちを大切にしよう、というシリアスなメッセージを隠し持った楽曲です。

 派手な衣装と化粧をしたコメディアンを、「道化」あるいは「道化師」と呼びます。

 彼らはバカなことを言い、笑いをとる存在なのですが、バカと思われているがために、常人なら発言できない、尖った風刺をおこなうことができる一面があります。

 「感情のピクセル」に限らず、岡崎体育さんの楽曲を聴いて感じるのは、彼には道化的な一面があるなという点。

 まわりにはバカなことをやっていると思わせておいて、実は社会常識や音楽ジャンルに切れ込んだ、鋭いメッセージを隠し持っているなと思います。

 もちろん、その要素は「感情のピクセル」にも色濃く出ている、というのが僕の考えです。

 




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乃木坂46「サヨナラの意味」歌詞の意味考察 通り過ぎる電車と時間


目次
イントロダクション
設定の確認
電車が意味するもの
電車の通過と時間の経過
サヨナラの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「サヨナラの意味」は、女性アイドルグループ・乃木坂46の16作目のシングル。2016年11月9日にリリース。2017年リリースの3rdアルバム『生まれてから初めて見た夢』にも収録されています。作詞は秋元康。

 センターポジションを務めるのは、2017年2月20日に乃木坂46を卒業した橋本奈々未さん。本作は、橋本さんが参加する最後のシングルでもあります。

 「サヨナラの意味」というタイトルが示すとおり、別れがテーマとなったこの曲。歌詞の内容は、決して解釈が難しいものではありません。

 でも、いかにも秋元康らしいと言うべきなのか、言葉と場面設定にテクニックを感じる歌詞でもあります。

 僕が気になったのは、この曲における「電車」の使い方。先に結論を述べると、通り過ぎる電車が、時間の経過を強調しているように思われるのです。

 そこで、電車が果たす機能に注目しながら、「サヨナラの意味」の歌詞を考察したいと思います。

設定の確認

 まず、登場人物や場面設定などを、確認しておきましょう。

 出てくるのは、語り手である「僕」と「君」。この2人の別れが、歌詞の中心となっています。

 次に、場所や時間など。1番のAメロ1連目に、情報が提示されています。以下に引用します。

電車が近づく
気配が好きなんだ
高架線のその下で耳を澄ましてた

 3行目に「高架線のその下」とあるとおり、場所は高架下。

 歌詞の大まかな内容は、「僕」と「君」のお別れ。2人の具体的な関係や、別れの理由などは記述されません。

 僕が気になったのは、なぜわざわざ場所を高架下に設定したのか。他の場所ではなく、高架下にする必要性があったのか、という点です。

 そこでキーになるのは、1行目に出てくる「電車」。この曲では「電車」を利用することで、なにかを意味している、と仮説を立てました。

 1行目に出てくるところも示唆的。作詞家からの「この電車には記号的な意味がありますよ」という、メッセージなのではないかと思います。

電車が意味するもの

 では、電車がなにを意味するのか、検討していきましょう。

 通過していく電車は、人の手では止めることができません。また、決まったレールの上を走る乗り物でもあります。

 このような電車の特徴が、止めることのできない時間の流れをあらわしている、というのが僕の考えです。

 当然のことながら、時間は止めることは不可能。時間は不可逆であり、一定のペースで流れていきます。時間の流れに、僕たちは従うしかありません。

 「電車」を歌詞に登場させたのは、時間の不可逆性とコントロールできない特性をあらわすため。したがって、自動車や飛行機ではなく電車、場所も駅ではなく高架下に、限定する必要があったのです。

 まとめると、過ぎ去る時間を強調するための装置として、電車を登場させたということです。

電車の通過と時間の経過

 では、実際にどのような時間に関する表現が出てくるのか、確認していきましょう。

 この曲には、時間の流れを感じさせる表現が、いくつも出てきます。1番のAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

柱の落書き
数字とイニシャルは
誰が誰に何を残そうとしたのだろう

 誰がいつ書いたのかも分からない、柱の落書き。先ほど引用した1連目では、高架線を走り去る電車によって、過ぎ行く時間をあらわしていましたが、今度は柱の落書きで、時間の経過をあらわしています。

 上記の引用部は、時間が過ぎ去っても変わらないものがある、ということをシンボリックに描いたのだと思います。後述しますが、この曲のタイトルでもある「サヨナラの意味」にも繋がるメッセージです。

 その後に続く1番のBメロでも、時間の流れが記述されています。以下に引用します。

歳月(とき)の流れは (歳月(とき)の流れは)
教えてくれる (教えてくれる)
過ぎ去った普通の日々が
かけがえのない足跡と…

 上記引用部をまとめると、過去の普通の日々が、大切なものだったと、時間が経ってからわかる、ということ。先ほどの「柱の落書き」は、「かけがえのない足跡」を予感させる、前フリのような言葉だったとも言えます。

 次に、ちょっと先へ進んで、2番のAメロ1連目の歌詞を引用します。

電車が通過する
轟音(ごうおん)と風の中
君の唇が動いたけど
聴こえない

 冒頭部分に続き、再び「電車」が出てきました。先ほどと同じく、上記の「電車」も、止めることのできない時間の流れを象徴している、と考えます。

 上記の引用部では、さらに「轟音」も相まって、時間の流れへ逆らうことのできない事実が、強調されています。

 ここまでの歌詞で、注目すべきは過ぎ去るものと、残り続けるもののコントラスト。高架線を通過していく電車と、それを待つ「僕」。過ぎ去っていく時間と、残り続ける足跡。

 両者の違いが、鮮明に描かれています。

サヨナラの意味

 では、電車も時間も止められないものだとして、この曲が伝えたいものは何か。タイトルにもなっていますし、この曲においてサヨナラがなにを意味するのか、検討していきます。

 2番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

大切なもの (大切なもの)
遠ざかっても (遠ざかっても)
新しい出会いがまた
いつかはきっとやって来る

 上記引用部では、大切なものと別れることが、電車や時間の経過と同じく、なかば仕方のないものとして描かれています。

 その上で、別れがあれば新しい出会いもある、とポジティヴに別れの意味をとらえ直しています。

 その後につづくサビでは、上記の思考がさらに強調されます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

サヨナラを振り向くな
追いかけてもしょうがない
思い出は
今いる場所に置いて行こうよ
終わることためらって
人は皆立ち止まるけど
僕たちは抱き合ってた
腕を離して
もっと強くなる

 大意は前述したBメロと、共通していると言えるでしょう。サヨナラは多かれ少なかれ訪れるものであり、悔やむよりも、サヨナラをきっかけに強くなろう、というメッセージが綴られています。

 さらに、Cメロを挟んだ後のサビでは、歌詞のハイライトと思われる言葉が並びます。以下に引用します。

サヨナラは通過点
これからだって何度もある
後ろ手(で)でピースしながら
歩き出せるだろう
君らしく…

 1行目の「サヨナラは通過点」が、この曲がもっとも伝えたいメッセージでしょう。走り去る電車や、流れていく時間と同様、人生においてサヨナラは必ず経験するもの。

 だから、サヨナラを終わりと考えるのではなく、通過点と捉え、前を向いて歩き出そう。そう訴えています。

結論・まとめ

 以上「電車」に注目しながら、「サヨナラの意味」の歌詞を読みといてきました。

 この曲では冒頭から電車が登場しますが、それは通過する時間および別れを象徴するため。通過していく電車と同じく、サヨナラも過ぎ去っていくものであり、通過点。

 だから、サヨナラをネガティヴに捉えず、残り続ける思い出を胸に前に進もう、というのが曲が伝えるメッセージです。

 前述したとおり、この曲は橋本奈々未さんが参加した最後のシングル。そのため、グループを去っていく橋本さんと、残されたメンバー達の状況を、少なからず重ね合わせた歌詞であるのでしょう。

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あいみょん「マリーゴールド」における自然現象の機能 歌詞の意味考察


目次
イントロダクション
設定確認
自然現象と繋がる心
「空」と「雲」が映しだす感情
恋の安定期
雲の拡大と感情の変化
結論・まとめ

イントロダクション

 「マリーゴールド」は、兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター、あいみょんのメジャー5作目のシングル。2018年8月8日にリリース。作詞作曲は、あいみょん。

 「マリーゴールド」というタイトルが示すとおり、語り手が恋人と思われる「君」を、花のマリーゴールドに重ね、語っていく曲です。

 しかし、マリーゴールド以上に僕が気になったのは、この曲における「空」や「雲」などの自然現象。

 タイトルにもなっているぐらいですし、マリーゴールドが表現のキーとなっているのは事実ですが、同じぐらい空模様が重要な役割を果たしているように、僕には思われるのです。

 そこで、本論では「マリーゴールド」における自然現象に注目しながら、歌詞を読みといてみたいと思います。

設定確認

 最初に歌詞の大まかな設定を、確認しておきましょう。

 登場人物は、恋愛関係にあると思われる語り手と「君」。語り手の視点から、「君」のこと、2人の思い出などが綴られます。

 現在進行形の恋であるのか、過去の恋を懐かしんでいるのか、曖昧なのですが、この議論はひとまず脇に置いておきます。

 歌詞がフォーカスするのは、具体的なストーリーではなく、語り手が「君」を愛おしく思う気持ち。

 「麦わらの帽子」や「マリーゴールド」など、イマジネーションを喚起させる言葉を散りばめながら、語り手の感情が綴られていきます。

自然現象と繋がる心

 では、ここから自然現象に注目しながら、歌詞を考察していきます。

 歌い出し1行目から、自然現象を使った表現が出てきます。1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

風の強さがちょっと
心を揺さぶりすぎて
真面目に見つめた
君が恋しい

 上記の引用部では、風に吹かれることで、心が揺さぶられています。「寒いからテンションが下がる」というようなことは実生活にもありますが、それは過酷な環境を嫌がってのこと。自然現象と心は、本来つながっていません。

 そのため、この曲では自然現象が、心や状況をあらわす記号として、機能しているのではないかと示唆されます。

 実際、この後の歌詞にも「空」や「雲」など、自然現象をあらわす言葉が出てきて、それぞれ語り手の感情、あるいは2人の状況を映し出しているように思われるのです。

「空」と「雲」が映しだす感情

 サビに入ると、自然現象をあらわす言葉として、前述の「空」と「雲」が登場。1番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

麦わらの帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと
懐かしいと笑えたあの日の恋

 4行目に「懐かしいと笑えたあの日」と記述されているため、上記引用部は現在の視点から、過去をふり返っているものと推測できます。

 そして、その過去とは3行目の「空がまだ青い夏」。青空と「笑えた」ことが繋がっており、空がポジティヴな意味で使われていることが分かります。

 続くサビの2連目では、今度は「雲」が登場。以下に引用します。

「もう離れないで」と
泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて 抱きしめて 離さない

 1連目の「空」が「笑える」とセットになっていたのに対して、上記の「雲」は「優しさ」と共に使われています。

 「空」が楽しい感情、「雲」がおだやかな感情を代表している、とも言えるでしょう。ここで重要なのは、幸福と不幸、楽しみと悲しみ、といったように、両者が完全な対立関係にはなっていない点。

 この曲においての「空」は、雲のない青空として使われています。言い換えれば「晴れ」を意味しているということ。したがって、言葉を対立させたいなら、雲よりも雨を使う方が適切です。

 しかし、この曲で使われるのは「雨」ではなく「雲」。そして「雲」は青空を隠す存在ではあるのですが、空全体を覆いつくすわけではありません。

 青空にも少なからず雲がかかるわけで、グラデーションのように、割り切れない関係であるとも言えます。

 つまり「空」と「雲」は、対立するものではなく、両者によって描写される感情もまた、対立するものではない、ということ。

 まとめると、この曲において「空」と「雲」は天気だけでなく、語り手の感情や状況をあらわしています。

 そして両者があらわす感情は、白と黒、良い時期と悪い時期、といった具合に、割り切れるものではありません。

恋の安定期

 では自然現象で、感情や状況をあらわすとして、この曲はどんな感情を描いているのか。

 先ほど、この曲が描くのが過去の恋であるのか、現在進行形の恋であるのか、曖昧だと書きました。

 結論から言うと、僕は現在進行形の恋であると考えます。過去の終わった恋をふり返っているわけではなく、現在の視点から、恋が始まった時期を思い出し、そして進行中の現在へと、視点を戻しているのです。

 すべてが楽しい時期の恋もありますが、ある程度の時間が経てば、恋は何もかもが、楽しいわけではありません。

 この曲の前半では、付き合い始めと思われる、すべてが楽しい時期の恋を回想。そして、2番に入ってからは、視点を現在に戻し、落ちついた時期の恋を、描いているのだと考えます。

 言い換えれば、楽しいことばかりでなく、楽しさと切なさ、幸せと不満が共存する、安定期とも呼べる時期の恋を描いているということ。

 そして、このような恋の繊細な面を描き出すために、先述の「空」と「雲」を使った、というのが僕の立てた仮説です。

 2番のAメロには、語り手のアンビバレントな感情が記述されています。以下に引用します。

本当の気持ち全部
吐き出せるほど強くはない
でも不思議なくらいに
絶望は見えない

 1行目と2行目は、語り手が「君」に不満を抱きつつも、それを言い出せないことを意味しているのでしょう。

 そして、続く3行目と4行目が描写するのは、不満はありつつも「君」のことが好きだという、語り手の心情です。

 お互いに言いたいことはあるけれども、とても好き。落ちついた恋の幸福感が、じんわりと伝わる表現です。

 サビに入っても、2人の状況と感情をあらわす言葉が続きます。2番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

柔らかな肌を寄せあい
少し冷たい空気を2人
かみしめて歩く今日という日に
何と名前をつけようかなんて話して

 3行目の「かみしめて」という言葉が象徴的。お互いゆるやかに、しかし深く想い合う感情が、あらわれた言葉だと言えるでしょう。

 また、1番のサビでは季節は夏でしたが、2行目に「冷たい空気」とあるとおり、上記2番では秋あるいは冬。1番の夏から数ヶ月後なのか、数年後の冬なのかは不明ですが、時間が経過していることが分かります。

 続いて、2番のサビ2連目の歌詞を、以下に引用します。

ああ アイラブユーの言葉じゃ
足りないからとキスして
雲がまだ2人の影を残すから
いつまでも いつまでも このまま

 1連目と同じく、お互いの深い愛情が感じられます。

 注目すべきは3行目の「雲」。1番のサビにも出てきた言葉です。1番で、優しさをあらわす言葉として使われていたのは、先ほど考察したとおり。

 上記2番でも、優しさや穏やかさを象徴する言葉として「雲」を解釈すれば、意味が通じます。3行目の「雲がまだ2人の影を残すから」とは、空に部分的に雲がかかっているが、影ができるだけの明るさは残っているということでしょう。

 さらに、2番のサビ後に挿入される大サビでは、この曲が描くのは、現在進行形の恋だと思わせる内容が歌われます。以下に引用します。

遥か遠い場所にいても
繋がっていたいなあ
2人の想いが
同じでありますように

 1行目に「遥か遠い場所にいても」をあるために、すでに2人は別れてしまったあとで、過去の恋の回想だと、解釈する方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はそうは思いません。

 前半2行は、2人は同じ場所にいるけれど、一緒にいられない時も相手を思い続けたい、という意味でしょう。

 なぜなら、直前まで一緒にいる記述がなされ、さらに上記3行目から「2人の想いが 同じでありますように」と記述されているため。

 語り手は、一緒にいられない時間も「君」を思い、相手にも同じ気持ちでいてほしい、と願っているということです。「君」を想う気持ちの強さが、あらわれた一節と言えるでしょう。

 もし、1行目がすでに2人は別れたという意味なら、前後の整合性が取れないのではないでしょうか。

 もちろん、あくまで僕個人の解釈であり、これが正解!と主張したいわけではありません。解釈は複数あっていいんです。

雲の拡大と感情の変化

 ここまで「マリーゴールド」における自然現象、特に「空」と「雲」がなにを意味し、どのように機能するのかに注目しながら、歌詞を読みといてきました。

 そして考察によって「空」が楽しさ、「雲」が優しさを象徴し、この曲が現在進行形の恋を描いていることを確認しました。

 1番では付き合い始めの楽しい時期をふりかえり、2番以降は視点を現在に戻し、恋の安定期とも言える時期を、描写しています。

 この曲の中での時間の経過、および恋の質の変化を、「空」と「雲」はあらわしているのではないかと思うのです。

 1番のサビ1連目までは、空に雲はなく、楽しさしかない時期の恋愛を描写。その後1番のサビ2連目では、語り手は「雲のような優しさ」で、「泣きそうな目で見つめる君」を抱きしめています。

 これは、雲ひとつない青空のような楽しい時期が過ぎ去り、おだやかに深く想い合う時期への移行を、あらわしているのではないでしょうか。

 そして、2番のサビでは「雲がまだ2人の影を残すから」という表現から想像するに、雲が大きく広がり、時間の経過と2人の恋の安定を描写しています。

 つまり、雲の広がりと比例して、2人の時間と関係も進んでいるということです。

結論・まとめ

 以上、「マリーゴールド」は自然現象の言葉を用いることで、時間の経過と、2人の関係性をあらわしている、というのが僕の出した結論です。

 あいみょんは、微妙な感情を描き出すのが、本当にうまい人だと思います。この曲を例にとっても、具体的なストーリーが提示されるわけじゃないのに、感情や風景がリアルに浮かび上がってきます。

 いや、むしろ具体的に書き過ぎないために、リスナーのイマジネーションを刺激し、共感を生むのかもしれませんね。

 2番の大サビに出てきた「遥か遠い場所にいても 繋がっていたいなあ」という言葉を、このままずっと一緒にいて、無くなった後も想い続けていたい、と解釈するのは、あまりにもロマンチック過ぎるでしょうか?

 いずれにしても、多くの解釈を許容し、聴く人によって、様々な印象を抱く楽曲だと思います。

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