「ray」は、BUMP OF CHICKENの楽曲。作詞作曲は藤原基央(Motoo Fujiwara)。
2014年3月12日発売のメジャー5枚目のアルバム『RAY』に収録。配信限定シングルとしても、アルバム発売と同日の2014年3月12日から配信されています。
BUMP OF CHICKEN(以下バンプ)には、多くの人が救われているんだろうな、というのがヒシヒシと伝わる1曲。僕はバンプにめちゃくちゃハマった時期があるわけではありませんが、出会ったタイミングによっては自分の人生を救うバンドになったのだろうな、というのはよくわかります。
バンプの魅力のひとつは、人間関係のつらい部分をしっかりと見つめて、ポジティブに歌うところです。しかも、ただの楽観論には陥らず、傷や痛みと、真摯に向き合う姿勢があります。言い換えれば、一般的につらい経験と思われることを、角度を変えて良い経験だと思えるように、新しい視点を提示してくれるバンドです。
「ray」という曲も、大切な人との別れを歌っています。しかし、別れを単なる悲しい出来事とはとらえず、自分にとって価値あるものだと考え、光に例えて前向きなメッセージを伝えています。ポジティブなメッセージに加えて、その感受性自体にリスナーは心を動かされるのではないかと思います。
では「ray」はどのような構造を持ち、どんな内容を歌っているのでしょうか。「ray」の歌詞は、フレーズごとに、前のフレーズの補足や応答のように情報が与えられ、ストーリーが進行していきます。
ブルースの歌詞はAAB形式と呼ばれ、2回繰り返すAの部分に対するレスポンスとしてBが歌われますが、rayの歌詞もブルースのように、フレーズとフレーズがリレーのようにつながり、徐々に歌詞の世界観が広がっていきます。
また、ブルースは、日常の出来事や感情をあらわす音楽です。時には幸せなこと、時には憂鬱なこと(=ブルース)、そして時にはその両方を1曲の中で表現します。
「ray」は、一般的には憂鬱と思われる出来事を、ポジティブな出来事に転化し、表現しています。「弱者の反撃」を意図してつけられたBUMP OF CHICKENというバンド名とも併せて、現代的なブルースと言えるのではないかと思います。
歌詞の時間設定
では、「ray」ではどのような手法を用いて、どのようなことが歌われているのか、順番に見ていきましょう。まず、基本的な構造は、語り手が「君」との別れを経験し、その心境を語っていく、というものです。
歌が進むにつれて、別れからはしばらくの時間が経ち、現在の視点から、過去の出来事と今の心境を歌っていることが明らかになります。例えばそれは、歌い出しの歌詞からも明らかです。
お別れしたのはもっと 前の事だったような
悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ
引用したこの一節からも、別れは過去の出来事であることがわかります。こちらの引用部から、早速バンプ特有の言葉使いが出てきます。
それは、2行目の「悲しい光」というところ。「光」というのは、ポジティブなイメージを伴う言葉で、「希望の光」というような使われ方が普通のはずです。
しかし、ここでは「悲しい光」と、ネガティヴであるはずの「悲しい」という形容詞が、ポジティブな「光」という言葉と共に使用されています。
この「光」という単語ひとつからも、良い意味でリスナーに違和感を与え、今後の展開を期待させる効果があると言えるのではないでしょうか。
時間設定を示すという意味では、2連目にも「君といた時は見えた 今は見えなくなった」という一節があります。この引用部分でも、お別れが過去であることと「君」の不在が、確認されていると言えるでしょう。
「君」とお別れしたときの心情
次に、語り手は「君」とのお別れに何を感じ、どのように捉えているのでしょうか。歌詞の3連目、再生時間で示すと0:58あたりから、次の一節が出てきます。
寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから
「寂しくなかった」という言葉のすぐあとに、その理由として「ちゃんと寂しくなれたから」という言葉が続きます。
一見、矛盾しているかのような表現ですが、寂しさを感じられる感受性がしっかりと残っていたから、寂しさに負けることもなかったよ、というような意味なのでしょう。
このような優れた表現は、言葉で説明しすぎると陳腐になってしまいますので、聴いた方がそれぞれの心で感じるべき表現であると思います。
上記の引用部と重なる表現は、他にも数ヶ所あります。例えば「大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない」「お別れした事は 出会った事と繋がっている」など、やはり痛みや別れといった、本来はネガティヴな意味で使用される言葉が、ポジティヴな意味に反転するかたちで使用されています。
この曲の語り手が、非常に魅力的な感受性をそなえていることが伝わります。さらに「ray」の歌詞は、次の一節で結ばれています。
大丈夫だ この光の始まりには 君がいる
歌い出しから2行目で「悲しい光」という言葉が使われ、最終的に「この光の始まりには 君がいる」という一節に帰結します。
「君」と出会い、別れたことで、出会わなかったら感じることの無かった痛みや悲しみを経験し、それが自分の感受性を豊かにすることになった。そんな経験をまとめて、愛情をこめて「光」という言葉にあらわしたのではないかと思います。
「ray」のブルース性
前述したように、ブルースという音楽は身近な感情をテーマにすることが多いのですが、例えば悲しみを歌にするときにも、隠語や比喩表現を用いて、ストレートなかたちでは表現しないことが、しばしばあります。
「ray」も、人との出会いの良い部分も悪い部分も、すべてをプラスに変換して描き切った作品であり、そういう意味で現代的なブルースと言えるのではないでしょうか。
出会いと別れを、単純に美化するのではなく、痛みの部分とも真摯に向き合って音楽に昇華している、という点でも非常にブルース的な1曲ではないかと思います。