米津玄師「Flamingo」歌詞の意味考察 フラミンゴは何を象徴するか?


目次
イントロダクション
「フラミンゴ」が意味するもの
1番Aメロ
1番Bメロ
1番サビ
2番Aメロ
2番Bメロ
2番サビ
Cメロ
結論・まとめ

イントロダクション

 「Flamingo」は、徳島県出身のシンガーソングライター、米津玄師の楽曲。両A面シングル『Flamingo / TEENAGE RIOT』として、2018年10月31日にリリース。作詞作曲は米津玄師。

 「難解」と言うと語弊があるかもしれませんが、歌詞にも音楽にも、ねじれた魅力があるのが米津玄師さんの楽曲の特徴。

 メジャー9枚目のシングルとしてリリースされた「Flamingo」も、実験性と大衆性が同居した、アヴァンギャルド・ポップとでも呼びたい質を備えています。

 歌詞も、一聴しただけでは、なかなか本質を掴めません。小説でも音楽でも映画でも、一筋縄ではいかないものが、個人的に大好き。

 なおかつ、作品に関してあれこれ考えるのも大好きなので、この曲の歌詞の意味を、考察してみたいと思います。

「フラミンゴ」が意味するもの

 まずは「Flamingo」というタイトル。歌詞にも「フラミンゴ」と出てきますが、まずはこの言葉がなにを意味するのか考えてみましょう。

 「フラミンゴ」とは鳥の一種で、鳥綱フラミンゴ目フラミンゴ科の総称。日本ではベニヅルとも呼ばれ、オレンジ色やピンク色をした姿が特徴です。また、水辺にいる時は、水に体温を奪われにくくするため、片足で立つという特徴もあります。

 以上をまとめると、フラミンゴは見た目は華やかだが、やや不安定な存在、ということになるでしょう。

 次に、歌詞の登場人物を確認します。まず、確実に出てくるのは「あなた」。そして、「あたし」という一人称代名詞を使う、語り手。ただ、「あたし」という言葉は、Cメロに1回出てくるだけです。語り手が、主に「あなた」のことを語っていくのが、歌詞の大まかな内容です。

 歌詞の中では「あなた」のことを、「フラミンゴ」だと表現しています。また、歌詞カードなどには記載されていませんが、実際には「フラフラフラフラミンゴ」と歌われています。

 繰り返される「フラフラ」は、不安定な状態を強調しているとも取れます。「あなた」は華やかだが、不安定な要素を持った存在として描かれている。ひとまず、そう仮定しましょう。

 登場人物は、語り手と「あなた」。「あなた」はフラミンゴに例えられ、華やかで不安定な存在。以上を念頭に置きながら、歌詞を読み解いていきます。

1番Aメロ

 この曲の歌詞は、なかなかに難解なので、順を追って確認していきたいと思います。まず1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り
枯れた街 にべもなし 佗びしげに鼻垂らし へらへらり

 主語が示されていませんが、語り手が主語であると仮定して、読み進めます。

 上記引用部には、漢字が多く、古語を思わせる言葉が並びます。一聴すると掴みにくい歌詞ですが、言葉をひとつずつ確認すると、多くの情報が提示されていることが分かります。

 まず「宵闇に」という言葉から、時間は夜であることが判明。「爪弾き」は「嫌われる」「非難される」といった意味ですから、前の言葉と合わせると、夜に嫌われたような状態であるということ。

 「悲しみに雨曝し」からは、天気が雨であること、語り手が悲しみに暮れていることが分かります。

 「花曇り」とは「桜が咲くころの曇天」を意味しますから、季節が春であることも判明。

 引用部1行目で得られた情報をまとめると、時間は夜、天気は雨、季節は春。語り手の悲しみにくれた状態が、「爪弾き」「雨曝し」という言葉で表されています。

 続いて2行目。「枯れた街」は、寂れた街の様子を描写、あるいは感受性を無くすぐらい打ちひしがれた、語り手の状態を表しているのでしょう。

 「にべもなし」とは、「愛想がない」「そっけない」という意味。「枯れた街」の様子を、語り手はそっけないと表現しています。

 その後の「佗びしげに鼻垂らし へらへらり」からは、悲しみに暮れた語り手のボロボロな様子が伝わります。

 上記Aメロの歌詞では、場面設定が明らかにされ、語り手の状態が描写されています。

1番Bメロ

 続いて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

笑えないこのチンケな泥仕合 唐紅の髪飾り あらましき恋敵
触りたいベルベットのまなじりに 薄ら寒い笑みに

 Aメロとは変わって、現代の口語に近い言葉使いとなっています。

 前述したとおり、歌詞に出てくるのは語り手と「あなた」の2人。1行目の「泥仕合」とは、語り手と「あなた」の間に起こった、いざこざの事でしょう。

 「髪飾り」からは、「あなた」が女性であること、「恋敵」という言葉からは、「泥仕合」が男女関係のもつれである事が示唆されます。

 2行目の「ベルベット」とは、日本では「ビロード」とも呼ばれる、柔らかく上品な光沢を持つ布地のこと。「まなじり」とは、目じりのことです。

 ビロードのような目じりに触りたい、ということは、やはり語り手と「あなた」は、男女関係にあると想定できるでしょう。

1番サビ

 Aメロでは設定と語り手の状態が提示され、Bメロでは語り手と「あなた」の関係性が示唆されました。

 サビに入ると、より具体的に2人の関係が記述されます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま
ふらふら笑ってもう帰らない
寂しさと嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

 1行目の「あなたフラミンゴ」とは、「あなた」はフラミンゴのような存在である、ということでしょう。フラミンゴが、華やかで不安定な存在を表す、と先ほど仮定しました。

 1行目の「鮮やかなフラミンゴ」、2行目の「ふらふら」という表現からは、この仮説の妥当性が確認できます。上記1〜2行目は、「あなた」が華やかで魅力的な女性であるが、ふらふらと自由で自分だけのものにする事はできない、ということを示しているのでしょう。

 では、2人が具体的にどのような関係にあるのか。3行目と4行目に、示唆的なかたちで記されます。

 3行目の「寂しさと嫉妬ばっか残して」は、語り手以外の男性の存在を感じさせる表現です。この一節のみだと、「あなた」と語り手は恋愛関係にあるが、「あなた」には浮気相手がいる、あるいは不倫関係にあると想定できます。

 しかし、4行目に続くのは「毎度あり」という言葉。商売を連想させるこの言い回しからは、「あなた」が遊女であり、語り手は客である、という関係性が示唆されます。

 もちろん示唆的に語られるだけで、確定した情報は提示されないのですが、語り手が雨に打たれながら、夜の街を彷徨うイメージから始まり、なんとも怪しく独創的な世界観が描かれています。

2番Aメロ

 語り手が客、「あなた」が遊女という関係を、ひとつの仮説として頭に置きながら、2番の歌詞を読み解いていきましょう。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

御目通り 有難し 闇雲に舞い上がり 上滑り
虚仮威し 口遊み 狼狽に軽はずみ 阿呆晒し

 1番と同じく、Aメロは古語を思わせる言葉が羅列されます。

 1行目の「御目通り」とは、目上の人に会うこと。「上滑り」とは、深みがなく軽々しいことを言います。引用部1行目をまとめると、「あなた」に会えたことが嬉しくて舞い上がり、軽い言葉しか交わすことができなかったということ。

 「虚仮威し」(こけおどし)から始まる2行目は、1行目の内容を強調し、繰り返し語っているのでしょう。

2番Bメロ

 続いて、2番のBメロを下記に引用します。

愛おしいその声だけ聴いていたい 半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶
下らないこのステージで光るのは あなただけでもいい

 引用部1行目の「愛おしいその声だけ聴いていたい」は、語り手の「あなた」に対する気持ちということでしょう。

 しかし、その後に続く言葉は、解釈に迷います。「半端に稼いだ泡銭」は、そのままでも意味は分かります。「昼鳶」は「こそどろ」や「スリ」を意味するので、「タカリ出す昼鳶」は「盗みを働き始めるこそどろ」程度の意味でしょう。

 意味としては上記のとおり。迷うのは、主語が誰か、という点です。主語を語り手とするなら、自分が稼いだお金を、こそどろに盗まれてしまう、という意味になります。

 あるいは特定の主語を想定しているのではなく、世間一般のことを言っている、とも取れます。この場合の意味は、適当に稼いだお金を、こそどろに盗まれるこの世界、といった感じでしょうか。

 主語は語り手か、世間一般か。いずれであったとしても、その後に続く2行目の言葉とは、スムーズに繋がるように思います。

 「下らないこのステージ」とは、世間一般のこと。そのように解釈すると、引用部2行目は、あぶく銭も奪われるような下らない世界で、価値があるのは「あなた」だけでいい、という意味になります。

 具体的には語られていませんが、「あなた」が遊女だと仮定すると、世間一般ではなく遊郭のシステムを指している、とも取れるでしょう。

 どちらの解釈を取るにしても、語り手が「あなた」を愛おしく思う気持ちが、上記引用部では語られています。

2番サビ

 1番のサビでは、「あなた」を鮮やかで不安定なフラミンゴに例えていました。2番のサビでも、共通してフラミンゴを用いているのですが、表現内容が1番とは異なります。2番のサビを、以下に引用します。

それはフラミンゴ 恐ろしやフラミンゴ はにかんだ
ふわふわ浮かんでもうさいなら
そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ
畜生め 吐いた唾も飲まないで

 1番では「鮮やかなフラミンゴ」と、その鮮やかさにフォーカスしていました。しかし、2番では「恐ろしやフラミンゴ」という言葉に代わっています。

 ここで「フラミンゴ」が何を意味するのか、思い出しましょう。先ほど、フラミンゴは色が鮮やかで片足で立つことから、「華やかで不安定な存在」を表していると仮定しました。

 上記2番のサビを、1番のサビと比較してみましょう。1番は、鮮やかさにフォーカスした表現。2番は、不安定さにフォーカスした表現ではないかと思います。

 言い換えると、1番は不安定な存在であると分かっていながら、鮮やかさに負けて「あなた」に夢中になってしまう心情。2番では、「あなた」は不安定な存在であるために、決して自分のものにはならず、入れ込むと傷つくという状況が、記述されているということ。

 どんなに語り手が「あなた」に想いを寄せても、「あなた」はふわふわと去ってしまう。そのような状況が、上記2番のサビでは語られています。

Cメロ

 2番のサビの後には、歌詞の内容としてクライマックスと言うべき、Cメロが挿入されます。以下に引用します。

氷雨に打たれて鼻垂らし あたしは右手にねこじゃらし
今日日この程度じゃ騙せない 間で彷徨う常しえに
地獄の閻魔に申し入り あの子を見受けておくんなまし
酔いどれ張り子の物語 やったれ死ぬまで猿芝居

 引用部1行目の「氷雨に打たれて鼻垂らし」は、1番のAメロの歌詞と同じく、精神的にボロボロになった語り手の様子を描いているのでしょう。

 その後の「あたしは右手にねこじゃらし」は、語り手が「あなた」の気を引こうと、策を考え、行動することを「ねこじゃらし」に例えています。

 2行目は「ねこじゃらし」のイメージから繋がり、ねこじゃらしのような子供騙しの策では、「あなた」を振り向かせることはできない、という内容。

 3行目の「あの子」は、「あなた」を指すのでしょう。3行目全体では、「あなた」と結ばれることのない語り手が、閻魔様に「あなた」のことを考慮してください、と頼んでいます。

 ここで「地獄の閻魔」様が出てきた理由は、現実では語り手と「あなた」が結ばれることはあり得ない。しかし、どうしようもないほど、語り手が「あなた」に夢中になっている状態を、表すためだと考えます。

 4行目の「張り子」とは、「はりぼて」とも言われる、中が空洞になった造形技法のこと。1行目の「ねこじゃらし」と同じく、語り手の無力な状態を表しています。引用部最後の「猿芝居」も、「ねこじゃらし」と「張り子」のイメージを、繰り返し強調。

 上記Cメロの歌詞をまとめると、語り手は「あなた」を思い続け、実際に行動もするが、どれもハリボテのような内容ばかりで、実を結ぶことはない。しかし、語り手はそれを一生続けようと思うぐらい、「あなた」に夢中である、という内容です。

結論・まとめ

 以上、タイトルにもなっている「フラミンゴ」(Flamingo)が何を意味するのか、という点を手がかりにしながら、歌詞を読み解いてきました。

 内容としては、語り手がフラミンゴのように鮮やかで不安定な存在の「あなた」に恋をするが、成就することはない状況を、語り手の視点から綴っています。

 しかし、この曲の歌詞において重要なのは、その内容よりも語りの手法。クラシカルな言葉を用いながら、前の言葉のイメージが、後ろの言葉へと、数珠のように連なっていきます。

 イメージの大群がサウンドと共に押し寄せ、圧倒されるのが、この曲の魅力だと思います。ミュージック・ビデオも秀逸。

 ぜひミュージック・ビデオを観ながら、音楽から溢れ出るイメージに、圧倒される体験をしてください。

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miwa「ミラクル」歌詞考察 ×××××に入る言葉と意味は?


目次
イントロダクション
設定確認
「私」と「あなた」の関係性
×××××部分に入る言葉
「ミラクル」の意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「ミラクル」は、2013年4月24日にリリースされた、miwaの11枚目のシングル。2013年5月22日にリリースされた3rdアルバム『Delight』にも、収録されています。

 作詞はmiwa。作曲はmiwaとNaoki-T。

 タイトルの「ミラクル」とは、奇跡を意味する英語の「miracle」。

 漢字の「奇跡」ではなくて、カタカナの「ミラクル」。その表記が示唆するように、歌詞もメロディーも、軽やかな疾走感を持った楽曲です。

 「ミラクル」と言うからには、歌詞には奇跡的な出来事が扱われるはず。結論から言ってしまうと、キラキラした恋心を歌った曲です。

 結論だけを聞くと、なんだかあっけないと感じられるかもしれません。でも、実際には「ミラクル」と呼ぶにふさわしい、キラキラした感情が詰め込まれた歌詞になっています。

 また、歌詞には「×××××」と伏せられた部分があります。もちろん、ここには「F××k」のような汚い言葉が入るわけではなく、作者の意図によって伏せられています。

 では、なぜこの部分を伏せ字にしたのか。そもそも、ここに入る言葉はなにか。

 タイトルの「ミラクル」とも重なってきますので、上記の伏せ字の意味と、ミラクルが具体的になにを指すのか意識しながら、この曲の歌詞を読み解いてみたいと思います。

設定確認

 先ほど、この曲は「キラキラした恋心を歌った曲」だと書きました。それだけだと、あまりにも情報が少なすぎるので、まずは歌詞の設定を確認していきましょう。

 まず、登場人物は語り手である「私」と、「あなた」の2人。設定された季節は夏です。

 「私」が「あなた」に抱く恋愛感情が、夏らしいイメージを散りばめながら、疾走感を伴って描写されます。

 語りの時制は、過去形でも現在形でもなく、常に現在進行形と言いたくなるぐらい、「私」の溢れ出る感情が綴られていきます。
 

「私」と「あなた」の関係性

 歌詞の大枠が確認できたところで、実際の歌詞を確認していきましょう。まずはAメロの歌詞を、以下に引用します。

日射しが照りつける空の下 笑顔ひとつこぼれる
夏の恋に飛び込んで
ユラユラ揺れる心の波間に 流れ着いた あなたがいた
熱くなるこの気持ち
手のひらから伝わる熱 私だけじゃないよね

 上記引用部では「私」が「あなた」に恋する過程が語られています。注目すべきは、具体的なエピソードではなく、あくまで「私」の心情にフォーカスしているところ。

 1行目の「笑顔ひとつこぼれる」は、主語が書かれてはいませんが、「私」のことでしょう。歌い出しは、「私」の心がときめく瞬間から始まっています。

 2行目の「夏の恋」で、季節設定が夏であることを明らかにし、さらに「心の波間」と、夏の海を連想させる表現を用いています。

 5行目の「手のひらから伝わる熱」は、どういう意味でしょうか。「私」と「あなた」が手を繋いでいるとも取れますが、前後の文脈を考えると、おそらく違います。

 この表現は「私」のテンションが上がり、あるいは緊張のため、手のひらがじんわり熱くなっているということでしょう。その後に続く「私だけじゃないよね」は、「あなた」も私と同じように、恋のテンションが上がっていてほしい、ということ。

 上記の引用部からは、「私」の恋心が盛り上がっていること、「私」と「あなた」はまだ恋愛関係ではない、ということが分かります。

×××××部分に入る言葉

 Aメロに続くサビの歌詞を、以下に引用します。

キラキラあなたがまぶしくて いつから恋が始まったの
私 裸足のまま 駆け抜けてゆく
まばたきしたら過ぎる瞬間 忘れないでね
いちご味のかき氷 溶ける頃に切ない想い
あなたとなら ×××××

 上記引用部では、「私」の心情がより詳細に語られています。まず1行目では、「あなた」のことをいつから好きになったのかを回想。Aメロの内容を、振り返っているとも言えます。

 2行目の「裸足のまま」というのは、夏だから海で裸足になる事と、感情の赴くままに行動することを、かけているのでしょう。

 4行目は何を意味するのでしょうか。「私」は「あなた」と一緒に、かき氷を食べているのでしょう。いや、一緒にはいますが、食べているのは「私」だけかもしれません。

 「溶ける頃に切ない想い」というのは、「あなた」に気持ちを伝えようと思うものの言い出せず、時間が経過していく様子を、表しているのだと思います。

 つまり、かき氷を食べながら、想いを伝えるタイミングをうかがっているが、切り出すことができず、時間だけが過ぎている、ということです。

 そして5行目の「あなたとなら」に続く、「×××××」。この部分に入る言葉と、その意味を検討します。

 歌詞を注意して聞いてみると、当該部分は「I’ll work a miracle」と歌っているようです。「work a miracle」は「奇跡を起こす」という意味。

 「I’ll work a miracle」は、「私は奇跡を起こす」と、自分の意思を表明しているということです。

「ミラクル」の意味

 タイトルにもなっている「miracle」(ミラクル)という言葉が、ここで出てきました。では、曲の中で「ミラクル」とは、具体的に何を意味するのでしょうか。

 「×××××」部分に「I’ll work a miracle」を代入すると、先ほどの引用部5行目は「あなたとなら I’ll work a miracle」となります。

 意訳すると、「あなたと一緒なら奇跡を起こせる」ということでしょう。ここまでの歌詞の内容を考慮すると、2人の恋の成就を意味するのだと想定できます。

 「私」にとって「あなた」が大きな存在であり、心が抑えきれないほど高鳴っていることを表すため、「ミラクル」という言葉を使ったのではないでしょうか。

 2番のAメロの歌詞でも、「私」の胸の高鳴りが、引き続き綴られています。以下に引用します。

閉じこもっていた心 解き放てば見えてくる世界
こんなにもきらめいて モヤモヤしてたって始まらない
思い出にはまだ早いよ 迷わずに飛び出して
どこへだって行けるはずでしょ 太陽沈まないで

 引用部1行目と2行目では、恋をしたことで、心の持ちようまで変わったことが記述されています。

 3行目の「思い出にはまだ早い」とは、「あなた」との恋を諦めてしまうのは、まだ早いという意味でしょう。「思い出」という言葉で、「あなた」との出来事が過去になる事を表しています。

 4行目は「私」が自分自身を、奮い立たせている言葉でしょう。「太陽沈まないで」というのは、いろいろと解釈可能な表現です。

 文字通りの意味は、太陽が沈まないで、そのまま昼間であってほしいということ。ただ、太陽を夏の象徴として、夏が終わらないでほしいとも取れますし、「あなた」との関係が切れないでほしいとも解釈できます。

 いずれにしても上記引用部は、「私」の恋に対するテンションが、いきいきと閉じこめられています。

 さらに2番のサビでも、「私」の高鳴る感情が綴られていきます。以下に引用します。

今すぐあなたに会いたくて いつでも恋は少し苦しい
短い夏がほら 加速させるの
二度と戻れないこの瞬間 つかまえててね
夜空に打上げ花火 消える前にお願い早く
あなたとなら ×××××

 引用部1行目に「恋は少し苦しい」という一節が出てきました。想いが強くなればなるほど、失ったときのダメージも大きくなる。楽しいだけではない恋の本質が、端的に表現されています。

 叶わなかった時のショックも大きいが、成就した時の喜びも大きい。それほどまでに膨らんでしまった恋心を表すため、「ミラクル」という、いささか大げさとも取れる言葉を使ったのだと思います。

 上記引用部では、1番のかき氷に代わり、「打上げ花火」が出てきます。「かき氷」は時間の経過を表していましたが、上記の「打上げ花火」は、感情の高鳴りと刹那感を表しているのでしょう。

結論・まとめ

 以上、「ミラクル」の歌詞を、曲の中で「ミラクル」は何を意味するのか、という視点に基づいて読み解いてきました。

 この曲では、恋がもたらす感情の大きさを表すため、恋の成就を「ミラクル」という言葉に置き換えています。

 該当部分の歌詞が「×××××」と伏せ字になっているのは、言葉に出せないほどの感情を、強調するためではないかと思います。

 「私」の感情の高鳴りに、焦点が当てられたこの曲。そのため、恋が成就したかどうかは、最後まで明らかにされません。

 「かき氷」や「裸足」など、夏を連想させる単語を散りばめ、夏の開放感と暑さを、心の高鳴りと連動させているところも秀逸。

 歌詞にも出てくるとおり「キラキラ」とした感情が伝わる楽曲です。

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サカナクション「アイデンティティ」歌詞の意味考察 アイデンティティを探す物語


目次
イントロダクション
アイデンティティを探す「僕」
変化する「僕」の価値観
結論・まとめ

イントロダクション

 「アイデンティティ」は、2010年8月4日にリリースされた、サカナクション3枚目のシングル。2011年9月28日リリースの5thアルバム『DocumentaLy』にも収録されています。作詞作曲は山口一郎。

 タイトルの「アイデンティティ」(identity)とは、自己を確立する要素のこと。もう少し具体的に説明すると、自分が自分であることを決定し、自分と他者とを分ける要素、といったところでしょうか。もっと単純に「個性」と言い換えても、良いかもしれません。

 今も昔も「自分探し」と称して、インド旅行をしたり、難解な小説を読んだり、という人がいます。突き詰めていくと、それだけアイデンティティの正体をつかみ、「自分」を証明するのが、難しいということ。

 そんな「アイデンティティ」というタイトルを持ったこの曲。タイトルのとおり、歌詞は語り手である「僕」がアイデンティティを探し求め、自分なりの答えにたどりつく内容です。

 では「僕」はどのように悩み、どのような答えにたどりつくのか。歌詞を読み解いていきたいと思います。

アイデンティティを探す「僕」

 まず、イントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

アイデンティティがない 生まれない らららら

 歌い出しから、いきなり「アイデンティティがない」と宣言されています。上記引用部から分かるのは、「僕」はこの時点ではアイデンティティが何だか分からず、自分を探している状態であること。

 その後に続くAメロでは、「僕」の価値観が、より鮮明に明らかになります。Aメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?
そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ

 上記の引用部から、「僕」は嗜好の寄せ集めがアイデンティティになる、と考えているのが分かります。つまり、どんな服を好むか、どんな本を好むか、といった価値観の集合体が、アイデンティティになるということ。引用部2行目の「物差し」とは、そのような価値観を指しているのでしょう。

 2行目の最後は「僕は凡人だ」という一節で閉じられています。これは何を意味するのでしょうか。

 おそらく、アイデンティティが嗜好の集合体と考えていたのは過去の「僕」で、現在はそう考えていないということ。さらに、現在の視点から過去の自分を振り返っている、ということも分かります。

 続くAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

映し鏡 ショーウインドー 隣の人と自分を見比べるそう
それが真っ当と思い込んで生きてた

 上記の引用部からは、アイデンティティは他者との差異によって生まれる、と以前の「僕」が考えていたことが分かります。

 自分探しと称して、他人がやらないような事をしたり、観光地ではない国を旅行したり、珍しい本を読んだり、といった行為も、上記の思考に基づいた行為であると言えるでしょう。

 そして、サビでは以下のような展開を見せます。

どうして 今になって 今になって そう僕は考えたんだろう?
どうして まだ見えない 自分らしさってやつに 朝は来るのか?

 Aメロでは、個人の嗜好性と他者との差異にアイデンティティを求めていた、過去の自分を振り返っていた「僕」。

 しかし、上記のサビでは、そのような自分探しに疑問を呈しています。これは「僕」の価値観が、変わり始めたことを示しているのでしょう。

変化する「僕」の価値観

 2番に入ると、「僕」の変化がより鮮明に語られます。2番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

風を待った女の子 濡れたシャツは今朝の雨のせいです
そう 過去の出来事 あか抜けてない僕の思い出だ

 「女の子」という他者が登場し、1番の歌詞からは一変してイマジナティヴな内容になっています。歌詞には確定的なことは書かれていませんが、あくまで一つの解釈として、順番に検討していきましょう。

 まず「風を待った女の子」。「女の子」は、「僕」にとっての過去の恋愛対象だと仮定しておきましょう。「風」は、人間にはコントロールできない、不確かなもの。

 「風を待った女の子」とは、「僕」と「女の子」の間の恋愛感情が、不確かで曖昧なものであることを、文学的に表したのではないかと思います。

 「濡れたシャツは今朝の雨のせいです」は、主語が書かれていませんが、「僕」とも「女の子」とも解釈できます。

 「濡れたシャツ」という表現は、涙を流したことを表しているのでしょう。それを「今朝の雨のせいです」と、言い訳のように説明することで、過去の若さが描かれています。

 涙を流したのが「僕」と「女の子」のどちらだとしても、この恋はうまくいかなかった事が、示唆されます。2行目に「あか抜けてない僕の思い出だ」とあるのも、当時の若さとうまくいかなかった恋を、振り返っているのだと考えます。

 Aメロ2連目にも、このエピソードを振り返る歌詞が続きます。以下に引用します。

取りこぼした十代の思い出とかを掘り起こして気づいた
これが純粋な自分らしさと気づいた

 上記引用部は、「僕」と「女の子」の関係について、語っているのでしょう。すなわち、2人の間の出来事を「十代の思い出」と表現し、そこで得た感情や価値観を「自分らしさと気づいた」ということ。

 以前は、好きな本や好きな服が、アイデンティティとなると考えていた「僕」。しかし、そのような要素はアイデンティティには関係なく、より根源的な要素の方が重要だと、気づいたということでしょう。

 そして、根源的な要素とは、自分の考え方や感受性のこと。過去を振り返ることで、「僕」はそのような考えにたどり着いたのです。

 2番のサビおよび歌詞のラストとなる部分では、価値観の変化が記述されます。以下に引用します。

どうして 時が経って 時が経って そう僕は気がついたんだろう?
どうして 見えなかった自分らしさってやつが 解りはじめた

どうしても叫びたくて 叫びたくて 僕は泣いているんだよ
どうしても気づきたくて 僕は泣いているんだよ

 引用部1行目と2行目では、「自分らしさ」に気づいた瞬間が記述されています。

 3行目と4行目では、「僕」は「叫びた」い感情を露わにし、「泣いている」と告白しています。では、「僕」が叫びたくて、泣いている理由はなんでしょうか。

 個人的には「自分らしさ」を発見した、歓喜によるものではないかと思います。これまで、好きな本や好きな服、他人と比べることでしか、自分を確認できなかった「僕」。

 しかし、過去の出来事を思い出しながら、自分の感情と思考こそがアイデンティティだと分かった。その喜びが、引用部の叫びであり、涙なのではないでしょうか。

結論・まとめ

 以上、ここまでの考察をまとめます。

 この曲はアイデンティティの発見がテーマであり、「僕」が過去の恋愛らしき出来事をきっかけに、うわべだけのファッションや経験ではなく、自分自身の感情と思考こそがアイデンティティだ、と気づくまでの流れが語られています。

 なんだか、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」みたいですね。

 「自分探し」というのは、いつの時代でも若者にとって、大きなテーマ。この曲はアイデンティティの探求と発見を、コンパクトに、なおかつエモーショナルに描いていて、本当に優れた楽曲であると思います。

 僕はサカナクションも、山口一郎さんも大好きなのですが、この曲も含めて、「心の友」感が溢れているところが最高に好きです。

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欅坂46「風に吹かれても」歌詞の意味考察 風が運ぶ時間とストーリー


目次
イントロダクション
語りの視点と曲のテーマ
「That’s the way」の意味
「僕」の心情
「風」が意味するもの
結論・まとめ

イントロダクション

 「風に吹かれても」は、2017年10月25日にリリースされた、欅坂46の5枚目のシングル。作詞は秋元康。

 「風に吹かれても」という曲名のとおり、歌詞の中で「風」が大きな意味を持っているこの曲。具体的に言うと、ストーリーを駆動する機能を、「風」が担っています。

 では、実際に「風」がどのような機能を持ち、歌詞が進行するのか。考察してみたいと思います。

語りの視点と曲のテーマ

 まずは語りの視点と、登場人物を確認しましょう。先に結論を言ってしまうと、この曲には「僕」と「君」が出てきます。

 しかし、一人称代名詞として使われるのは「僕」という単数形ではなく、「僕たち」という複数形。この曲では、語り手である「僕」の視点から、「僕」と「君」の関係について語られます。

 次に、語られる内容について。これも先に結論を言ってしまうと、「僕」と「君」が恋愛関係に発展するのか、しないのか、微妙な関係性が描かれています。

 歌詞をざっと見ると「友達」「恋愛の入り口」といった言葉が散りばめられ、「僕」の「君」に対する恋愛感情が、示唆されています。

 しかし、ストレートに「君」への思いを記述するのではなく、なんともじれったいと言うか、掴みどころの無い内容。

 では、実際に歌詞ではどのようなことが歌われているのか。先ほどの「風」がどのように機能しているのか、という視点を意識しながら、歌詞を読み解いていきましょう。

「That’s the way」の意味

 再生を開始すると、シティポップ風の軽快なイントロに続いて、「That’s the way」というフレーズが続きます。

 この「That’s the way」という言葉は、メインのメロディーが始まっても、随所で合いの手にように挿入されます。何度も繰り返し出てくるということは、曲の主要なメッセージであると考えるべきでしょう。

 「That’s the way」とは、英語で「そういうものさ」程度の意味。「way」は、道筋や方法を意味しますから、さらに意訳すると「世界はこういうふうにできているものだ」といった感じでしょうか。

 諦めとも、達観とも取れるこのフレーズ。前述のとおり、随所で挿入され、曲の主要なメッセージのひとつと言えます。

 では、何に対して「That’s the way」と言っているのか、続きの歌詞を確認していきましょう。

「僕」の心情

 1番のAメロとBメロでは、「僕」の心情が語られます。Aメロの歌詞を、以下に引用します。

枯葉がひらひら 空から舞い降りて
舗道に着地するまで 時間を持て余してた
思っていたより地球は ゆっくりと回っている
胸の奥に浮かぶ言葉を拾い集めよう

 引用部1行目では、「風」という言葉は用いられていないものの、枯葉を舞い落とす風の存在が感じられます。

 その後の2行目から4行目までは、枯葉がゆっくりと着地する様子を見ながら、時間もまたゆっくりと流れることを、「僕」が実感している内容。

 その後に続く、Bメロの歌詞を以下に引用します。

ずっと前から知り合いだったのに
どうして友達なんだろう?
お互いがそんな目で
意識するなんてできなかった

 3行目の「そんな目」とは、恋愛対象として相手を認識する、ということでしょう。Aメロでは、ゆっくりとした時間の流れを、噛みしめていた「僕」。上記のBメロでは、「君」と出会ったから多くの時間が流れているのに、関係には進展がないことを、明らかにしています。

 2行目の「どうして友達なんだろう?」という一節からは、「僕」が「君」を恋愛対象として見ていることも分かります。以上、AメロとBメロの歌詞では、「僕」の「君」に対する感情が確認できました。

「風」が意味するもの

 では、サビに入ると、どのような展開を見せるのか。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

風に吹かれても
何も始まらない
ただどこか運ばれるだけ
こんな関係も
時にはいいんじゃない?
愛だって 移りゆくものでしょ?
アレコレと考えても
なるようにしかならないし

 キーワードとなる「風」という単語が出てきました。上記1行目と2行目に「風に吹かれても 何も始まらない」とあるとおり、特に行動を起こさず、流されていくことを「風に吹かれる」と表現しています。

 「風」という単語のみにスポットを当てれば、Aメロの枯葉が着地する描写とも共通し、止めることのできない時間の流れを表しているということ。

 4行目の「こんな関係」とは、「僕」と「君」が友達関係のまま、特に進展がない状態を指しているのでしょう。

 2番に入ると、より具体的に「僕」の心情、および2人の関係性が綴られます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

あの枝で揺れている一枚の葉みたいに
未来の君の気持ちは予想がつかなかった
なぜ奇跡的なチャンスを見逃してしまうんだろう?
時が過ぎて振り返ったらため息ばかりさ

 引用部の1行目では、再び風の存在を思わせる「枝で揺れている」という表現が出てきました。

 サビでは風に吹かれることが、なすがままに流されることの象徴として用いられていました。上記引用部でも、「風」という単語を用いず、風を感じさせる表現が使われています。

 では、上記の引用部では、風がなにを表すものとして、機能しているでしょうか。2行目以降の内容を考慮すると、「予想がつかないこと」を表していると解釈できます。

 なぜなら、言うまでもなく風はコントロールできるものではありません。上記の引用部では、未来の感情を予測するのは不可能だということを、人間にはコントロール不可能な風に照らし合わせて、表現しています。

 歌詞の内容に当てはめると、葉がどのようなタイミングで揺れるのか予想できないように、未来の気持ちも予想できない、ということ。

 上記2行目以降をまとめると、「僕」は「君」を当初は友達と見ていた。しばらくすると「君」が「僕」を、恋愛対象として見始めた。しかし、当時は友達としてしか見られなかった。そして現在、今度は「僕」の方が「君」を、恋愛対象として見始めた、ということでしょう。

 Bメロでは、2人の現状がより詳細に記述されます。以下に引用します。

ふいにそういうアプローチをすると
やっぱり気まずくなるのかな
恋愛の入り口に
気づかない方が僕たちらしい

 上記引用部では「恋愛」という具体的なワードが使われ、2人が友達として出会い、恋愛関係には発展していない現状が確認されます。

 その後に続く2番のサビでは、再び「風」が登場。以下に引用します。

風が止んだって
ハッピーでいられるよ
そばにいるだけでいいんだ
そんな生き方も
悪くはないんじゃない?
愛しさがずっと続くだろう
ハグでもキスでもない
曖昧なままで so cool!

 1番のサビでは、止めることのできない時間の流れを「風」に例え、なんとなく流れていく「僕」と「君」の関係が綴られていました。

 対して上記2番のサビでは、「風が止んだ」というフレーズからスタート。「風に吹かれても」というフレーズから始まる1番とは、対照的です。

 では「風が止んだ」とは、なにを意味するでしょうか。時間が止まることはありませんから、これは「僕」と「君」の関係が発展せず、現状維持のまま進んでいくことを表しているのでしょう。

 1番と2番では「風」の機能が異なっています。1番では、何も進展がないまま流れていく時間を、「風に吹かれても」と表現。そして2番では、進展がない2人の関係性を「風が止んだ」と表現。前者は時間の流れ、後者は人間関係の進展を表しています。

 上記の引用部をまとめると、2人は恋愛関係には発展せず、曖昧な友人関係を続けていく、ということです。

結論・まとめ

 以上、「風」がどのような効果を持つのか、という視点に基づいて、歌詞を読み解いてきました。

 この曲は「僕」と「君」の移りゆく関係性を描写しており、時間の経過と、2人の関係性を示す言葉として、「風」が用いられています。

 この曲のテーマを端的に表したパートとして、2番のサビ後に入るCメロの歌詞を、以下に引用します。

成り行きに流されたらどこへ行くの?
あんなに眩しい太陽の日々よ
翳(かげ)り行く思い出が消えるまで
僕たちは空中を舞っていよう
人生は (人生は)
風まかせ (風まかせ)
さよならまで楽しまなきゃ

 この曲は「僕」と「君」の関係にフォーカスしておきながら、大きな出来事や変化は起こりません。

 もっとラブソング要素を強めるならば、「僕」が具体的なアクションを起こす、あるいは2人のストーリーを詳細に記述するべき。しかし、この曲では風に吹かれるばかりで、2人のドラマチックなエピソードが語られることはありません。

 その理由はなにか。それは、この曲のテーマが2人の関係を語ることではなく、人生のあり様を伝えることにあるからです。上記引用部の「人生は 風まかせ」という一節が、そのテーマを端的に表しています。

 まとめると、この曲は「僕」と「君」の関係性を歌ってはいますが、テーマは2人の関係を語ることではなく、止まることのない時間に流され、時には思い通りにいかない人生を描写すること。

 随所に差し込まれる「That’s the way」というフレーズも、このテーマを象徴したフレーズと言えるでしょう。

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欅坂46「アンビバレント」歌詞の意味考察 何に対してアンビバレントな感情を持つか?


目次
イントロダクション
歌詞の設定
何に対してアンビバレントなのか?
「私」の心情
夏の季節感
結論・まとめ

イントロダクション

 「アンビバレント」は、2018年8月15日にリリースされた、欅坂46の7枚目のシングル。作詞は秋元康。

 タイトルの「アンビバレント」は、「相反する感情を持つ」という意味の英語の形容詞「ambivalent」。タイトルのとおり、相反する複雑な感情が歌われている曲です。

 デビュー・シングル「サイレントマジョリティー」では、マイノリティ対マジョリティ、社会vs自分という対立軸を用いて、ロック的とも言えるメッセージを発した欅坂46。

 「サイレントマジョリティー」に限らず、欅坂の楽曲には、社会との違和や孤独を描いたものが多くあります。特に、現代社会における孤独や違和感、コミュニケーション不全を扱っており、その点では時代の映し鏡としてのポップ・ミュージックらしさを、多分に含んでいると言っていいでしょう。

 「アンビバレント」も例外ではなく、現代的な要素を散りばめながら、人間関係における孤独と違和感を歌っています。では、この曲では何がテーマになっているのかと言えば、前述のとおり、相反する感情。

 先に結論を言ってしまうと、「孤独なまま生きていたい」「だけど一人じゃ生きられない」という感情が、描かれていきます。

 では、具体的にどのように感情が描かれていくのか、歌詞の意味を考察してみたいと思います。

歌詞の設定

 まずは、語りの視点や時間設定など、歌詞の枠組みを確認しましょう。

 歌詞をざっと見渡すと、語り手は「私」。出てくる人称代名詞は「私」のみで、語り手である「私」の感情が、歌詞の内容となっています。

 「私」が感情を綴っていくということで、メッセージが前景化した抽象的な歌詞を想定していると、意外にも具体的な季節設定がなされていることに気がつきます。

 設定されている季節は夏。歌詞の中では「ラブソングばかり流れるシーズン」とも、表現されています。

 前述のとおり、この曲は「1人で生きたいが実際には1人では生きていけない」ということを歌っています。これだけを切り取ると、人はどう生きていくべきか、というシリアスな問いを扱った曲だと思われます。

 しかし、そういう要素も含んではいるのですが、「ラブソング」や「ハッシュタグ」のようなカジュアルな単語を散りばめ、日常的な人間関係のことも、同時に扱っています。

 語り手は「私」。季節は夏。テーマは、人間関係における、アンビバレントな感情について。

 以上の基本設定が確認できたところで、実際に歌詞を読み解いていきましょう。

何に対してアンビバレントなのか?

 再生を開始すると、イントロ部分で「Ambivalent about」というフレーズが、呪文のように繰り返されます。

 直訳すれば、「(about以下に対して)アンビバレントな感情を持っている」という意味。しかし、主語と目的語が省かれているため、具体的に何を指しているのかは、ハッキリしません。

 主語は語り手の「私」だとして、何に対してアンビバレントだと言っているのか。僕が考える3つの仮説を、最初にご紹介します。

 まず、一つ目の仮説は、歌詞の終盤に出てくる「この夏」。この曲では、夏が恋を推奨する季節として描かれています。

 「私」は1人でいたいと思いつつ、孤独にはなりたくない、というアンビバレントな感情を持っている。そして、誰かと一緒にいること、言い換えれば「恋」を推奨する夏という季節に対しても、アンビバレントな感情を持っているということです。

 二つ目は、サビの歌詞に出てくる「Blah Blah」。「Blah」とは、英語の間投詞で「バカバカしい」、名詞で「ばかばかしいこと」といった意味を持つ言葉。

 二つ目の仮説となった理由は「Ambivalent about」と同じく、英語で表記になっている点。夏を浮かれたバカバカしい季節だとしながらも、自分自身もなにかを期待し、完全に嫌いなわけではない、曖昧な感情をあらわしている、という解釈です。

 そして最後の三つ目は、具体的に指し示す言葉はなく、自分をとりまく環境全体に対しての感情、という解釈。二つ目の仮説とも被りますが、ある一定の人間関係を求めてくる社会に対して、受け入れたくないけど、そういうわけにもいかない、という感情を持っているという解釈です。

 以上、3点の仮説を挙げました。では、実際にどのような解釈が妥当か意識しながら、歌詞の意味を考察していきましょう。

「私」の心情

 この曲はイントロの後、サビから始まります。最初のサビの歌詞を、以下に引用します。

好きだと言うなら否定しない
嫌いと言われたって構わない
誰かの感情 気にしてもしょうがない
他人に何を 思われても
何を言われても聞く耳持たない
干渉なんかされたくない 興味がない
Blah Blah(Hey!)
Blah Blah(Hey!)
孤独なまま生きていきたい
Blah Blah(Hey!)
Blah Blah(Hey!)
だけど一人じゃ生きられない

 上記引用部では、語り手である「私」の心情が、マシンガンのように吐き出されています。その内容は、「私」の持つ心情と価値観。歌い出しから、まず「私」がどういった人であるのか、明らかになっていきます。

 引用部から察するに、「私」は他人の目を気にせず、自分の価値観に基づいて生きたいタイプのようです。そのため、引用部9行目では「孤独なまま生きていきたい」とも言っています。

 しかし、引用部最後の行に「だけど一人じゃ生きられない」と記述され、実際問題として人は一人では生きられないことも理解しています。

 自分は1人で生きていきたいけど、実際は完全に1人で生きることはできない。自分の感情と、社会システムの間で、板ばさみとなった状態が、表現されています。

 サビの後に続く、Aメロの歌詞を、以下に引用します。

ラブソングばかり流れるシーズン
マジ恋人いない聞くなリーズン
誰かは誰かを必要多分
世の中ロマンスで回ってる

 1行目に「シーズン」と出てきますが、上記の引用部内では、具体的な季節の記述はありません。しかし、先述したとおり、歌詞の後半で季節設定が夏であることが、明らかになります。

 引用部1行目の「ラブソングばかり流れる」というのは、メディアが作り出す、恋愛を推奨する空気を言っているのでしょう。そして、2行目の「マジ恋人いない聞くなリーズン」からは、語り手の「私」がそうした空気に苛立っている様子が伝わります。

 3行目と4行目からは、そうした空気に苛立ちを感じつつも、恋愛感情はプリミティヴな感情のひとつであり、世界は感情をもとに回っている事実を、「私」が理解していることが分かります。

 続いてBメロの歌詞を、以下に引用します。

ねえ 何をしたいの? どこに行きたいの?
私だったら何もしたくない

 引用部1行目は、具体的な誰かからの問いかけというより、一般的にありふれた質問例ということでしょう。Aメロの内容を補強するように、「私」がそのような質問にウンザリしている様子が、上記2行で表されています。

 その後に続く、Cメロの歌詞を引用します。

誰かと一緒にいたって
ストレスだけ溜まってく
だけど一人じゃずっといられない Ambivalent

 上記の引用部では、さらに「私」の価値観が明らかにされます。Aメロでは、ラブソングばかり流れる浮ついた季節に、嫌悪感を表していた「私」。上記Cメロでは、そもそも誰かと一緒にいること自体がストレスになる、と告白しています。

 サビに至ると、「私」の心情がさらに詳細に語られます。サビの歌詞を、以下に引用します。

あっちを立てる気もないし
こっちを立てる気だってまるでない
人間関係 面倒で及び腰
話を聞けば巻き込まれる
いいことなんか あるわけないじゃない
それでも誰かがいなけりゃダメなんだ
I know(Hey!)
I know(Hey!)
ちゃんとしていなくちゃ愛せない
I know(Hey!)
I know(Hey!)
ちゃんとしすぎてても愛せない

 上記に引用したサビでは、一貫して1対1の人間関係について歌われています。

 まず、1行目と2行目。1行目の「あっちを立てる気もないし」は、「私」には相手を立てる気がないこと、そして2行目の「こっちを立てる気だってまるでない」は、相手も「私」を立てる気がないことを表しています。

 引用部9行目と12行目でも、同じように人間関係が扱われています。9行目の「ちゃんとしていなくちゃ愛せない」と、12行目の「ちゃんとしすぎてても愛せない」は、共に相手があることを前提にした言葉。

 相手に合わせて、ちゃんとしなくてはいけないし、ちゃんとしすぎてもいけない。一方通行ではなく、そのため「私」にとっては面倒に感じられる人間関係を表した表現です。

 1番の歌詞をまとめると、Aメロからサビまで、「私」の人間関係をわずらしいと思う価値観が、一貫して描かれています。

 しかし同時に、「一人じゃずっといられない」「それでも誰かがいなけりゃダメなんだ」という言葉も見られ、人は1人では生きられないことを理解しています。

夏の季節感

 2番に入ると、歌詞には具体的な描写が増加。1番では「ラブソングばかり流れるシーズン」と記述されていましたが、2番では季節設定が「夏」だと、ハッキリと明かされます。

 2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

夏だから猫も杓子も猛ダッシュ
ハッシュタグつけた恋なんてごめん
太陽味方につけたような
よくいるタイプの単細胞

 一言目に「夏」と出てきて、季節設定が判明します。1行目の「夏だから猫も杓子も猛ダッシュ」という表現は、前後の文脈を考えると、夏は誰もが恋に熱心だということでしょう。

 「夏だから」という言い回しから、恋に熱心になる理由が夏にある、ということも分かります。つまり、この曲では「夏」が、恋に熱心にある季節として描かれているということ。

 2行目の「ハッシュタグつけた恋」という表現は、何を意味するでしょうか。その意味を探るため、まずは「ハッシュタグ」がどのような意味と機能を持つか、考えてみましょう。

 ハッシュタグは、ある言葉をキーワードとして目立たせるため、そしてSNS上で検索をしやすくするため、付けるタグのこと。特にInstagram(インスタグラム)では、画像とタグ付けされた言葉のみの投稿が散見されます。

 「ハッシュタグつけた恋」ということは、ぶつ切りにされたキーワードのみで構成されるような、うわべだけの恋。あるいは、他人に見せつけるためだけの恋、というような意味でしょう。

 「私」は、「ハッシュタグつけた恋なんてごめん」だと言っています。これは「私」は、他人に自慢することが目的化した人間関係は、本質的ではないし煩わしい、と考えているということでしょう。

 引用部3行目と4行目は、恋愛対象の候補者の描写だと解釈できます。「太陽味方につけたような よくいるタイプの単細胞」という表現から示唆させる人物像は、夏の季節感にあった開放的な性格で、なおかつハッシュタグ付きの恋をする軽薄さを、含んでいるのではないかと思います。

 また「よくいるタイプ」という言葉が使われているところから、社会の雰囲気に合わせられる人物を、代表しているとも言えるでしょう。

 続くBメロでは、上記の候補者と「私」の会話と思われる内容が記述されます。以下に引用します。

さあ 何を始める? どんな会話する?
やりたいことは別にないけれど

 こちらの引用部からは、「私」と相手との温度差が分かります。前述したとおり、相手はラブソングが流れる社会の雰囲気に、適応できる人物。

 そのため上記引用部は、恋愛に対するテンションの違いだけではなく、両者の価値観の違い、「私」が世間の空気に馴染めないことさえ、示唆していると言えます。

 さらにCメロでは、以下の歌詞が続きます。

ずっと自分だけの世界に
引きこもっていたいのに…
青空の下で まだ無理をしなきゃいけないか

 こちらの引用部では「私」の心情が吐露されています。ラブソングが流れ、恋愛を推奨する夏。そんな社会の空気に合わせて、「私」も誰かと一緒にいようとするものの、その試みが負担になっています。

 以上のように、2番の歌詞では「夏」が恋愛を推奨する季節として描かれ、「私」がそのような空気感に馴染めない様子が、綴られていきます。

結論・まとめ

 この曲では、一貫して「私」のアンビバレントな感情が描かれています。

 2番のサビ後に挿入される歌詞が、「私」の感情を端的に表しています。以下に引用します。

願望は二律背反
押し付けの理性なんて信じない

 1行目の「願望は二律背反」というのは、「孤独なまま生きていたい」、でも実際には人は「一人じゃ生きられない」という、理想と現実に挟まれた状態を表しているのでしょう。

 2行目の「押し付けの理性なんて信じない」は、世間が提示する価値観を理解しながら、うまく順応できないことを言っているのだと解釈できます。

 歌詞の内容で言えば、誰かが誰かを必要とし、社会がそれを推奨するのは理解できるけど、「私」はその価値観にうまく馴染めないということ。

 さらに、最終盤の歌詞には、「私」の状況を確認するような言葉が並びます。以下に引用します。

一人になりたい
なりたくない
一人になりたい
なりたくない
Oh! Yeah!
だけど孤独に
なりたくない
どうすればいいんだ

この夏

 上記引用部は、ここまで確認してきた内容を、補強すると言っていいでしょう。さらにこの後には、イントロの「Ambivalent about」というフレーズが再び登場し、曲は幕を閉じます。

 では、最後にこの曲は、何に対してアンビバレントなのか検討し、論を閉じたいと思います。先ほど3つの仮説を提示しました。

 一つ目は、上記の引用部に出てくる「この夏」。二つ目は「Blah」。そして三つ目は、状況全体を指している、という解釈。

 「Ambivalent about」というフレーズの後に、あえて目的語が省略されていることを考えると、三つ目の「状況全体を指している」と解釈するのが、最も適当かなと思います。

 ただ、歌詞の中には確定できる要素はありませんし、「この夏」や「Blah」と解釈しても、意味が広がり違った一面が見えてきますよね。

 個人的には、内在的に特定できない部分は、自由に解釈して楽しんで良い、と考えています。その曖昧性が、歌の魅力の一部でもあると思いますし。

 いずれにしても、この曲がタイトルのとおり、アンビバレントな感情を描き出していることは確かでしょう。

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