スピッツ「楓」歌詞の意味考察 新しい世界で再会する2人


目次
イントロダクション
「君」は過去の人?
強調される過去
「タマシイ」はなにを意味するか?
2人は新しい世界へと旅立つ?
結論・まとめ

イントロダクション

 「楓」は、日本のロックバンド、スピッツの楽曲。作詞作曲は草野正宗。1998年7月7日に、両A面シングル『楓/スピカ』としてリリース。

 1998年3月25日リリースの8thアルバム『フェイクファー』、2006年リリースのシングル集『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』などにも収録されています。

 スピッツを語るときに、毎回のように書いてしまうのですが、彼らの魅力はその二面性にあると思うんですよね。日常性と普遍性。大衆性と実験性。そうした、一般的には相反すると思われる要素を、歌詞においても、音楽においても共存しているのが、彼らの魅力です。

 「楓」という曲も、一聴すると「僕」が「君」のことを語る、微笑ましいラブソングのように響きます。でも、聴き込んでいくうちに、言葉の意味が広がっていき、次々と自分の中で解釈とイメージが生まれるんです。

 本論では、「楓」の歌詞の意味を読み解きながら、少しでもこの楽曲の魅力をお伝えすることを目指します。

「君」は過去の人?

 この曲に出てくるのは、語り手である「僕」と「君」の2人。前述したとおり、「僕」が「君」について語る内容が、歌詞になっています。

 では、「僕」と「君」はどのような関係にあり、何が語られているのか。2人の関係性はひとまず置いておき、歌詞をざっと確認してみると、過去のことを語っていることが分かります。

 2人がどのような関係性であったにせよ、今は会うことができない状態であるようです。1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

忘れはしないよ 時が流れても
いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと

 歌詞は「忘れはしないよ」という一節から始まります。わざわざ「忘れはしない」と誓っているのは、裏を返せば「君」を忘れてしまう可能性があるということ。

 つまり、冒頭からいきなり「君」はもう会えない存在だと示唆されます。2行目以降に記述されるのは、何を忘れないのか、という内容。

 3行目と4行目では、「君」の笑顔のおかげで「僕」の心が和んだ、という趣旨のことが歌われます。このように親密な関係性の2人。恋人同士だった、と仮定していいでしょう。

 Aメロでは、2人が恋人同士と思われる親密な関係にあったが、今は会うことができない、との情報が提示されています。

 その後に続くBメロの歌詞を、以下に引用します。

かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ?
一人きりじゃ叶えられない
夢もあったけれど

 1行目の「のぞいた穴」が、具体的になにを指すのか明らかにされていませんが、望遠鏡やドアスコープなど、穴を覗きこむのは目的があってのこと。

 望遠鏡だったら遠くの目標物、ドアスコープだったら扉の向こうがわの様子、というように目的がハッキリしています。しかし、どこにフォーカスするかは人それぞれ。

 上記の引用部では、4行目に「夢」という未来を連想させる言葉が出てきます。そのため、穴をのぞくことが、未来になにを望むか、なにを重要視するか、といった2人の価値観を象徴しているのでしょう。

 先述したとおり、ここまでの歌詞では、一貫して過去の記述がなされています。そのうえで気になるのは、「君」と「僕」の関係が、現在はどういう状態なのかという点。

 Aメロの「忘れはしないよ」という歌詞から、会えない状態であることは分かります。さらに、永遠に会うことが叶わないことすら、サビの歌詞では示唆されます。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 「さよなら」という言葉で始まることからも分かるとおり、引用部では「君」にもう会えないことが、明らかにされています。

 1行目の「君の声を 抱いて歩いていく」とは、これからは君との思い出を支えに生きていく、程度の意味でしょう。

 2行目の「僕のままで どこまで届くだろう」という一節が、個人的にもっとも気になる部分です。なぜなら、この一節は「君」の不在をより際立たせる、もっと具体的に言ってしまうと「君」が亡くなっていることすら匂わせるため。

 「僕のままで」とは、どういう意味でしょうか。「今の僕であるまま」と解釈して、「僕が生きている間」という意味であると考えます。つまり、2行目全体では「僕が生きている間にどこまで行けるだろう」あるいは「僕はあとどれぐらい生きられるだろう」という意味になります。

 1行目の内容と合わせると、「君」は永遠に会えない存在、すなわちすでに亡くなっていることが示唆されるのです。もちろん、歌詞の中にはそこまでハッキリと書かれていませんし、あくまでひとつの解釈。

 恋人同士だった「僕」と「君」が別れ、「僕」が今の価値観のまま、どこまで行けるだろう、と歌っているとも取れます。しかし、恋人同士の別れを歌っているにしても、深い別れの悲しみが伝わる表現です。

 「届く」というシンプルかつ、人を主語にすることの少ない動詞を用いることで、このような意味の多層性がもたらされているのではないでしょうか。

強調される過去

 歌詞は2番に入っても、引き続き「君」の不在を強調していきます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

探していたのさ 君と会う日まで
今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには 水玉の雲が
散らかっていた あの日まで

 引用部1行目で、「僕」が「君」と会うまで探していたもの。それが2行目の「懐かしい言葉」です。

 言い換えると、「僕」は「君」と出会うまで探していた言葉がある。そして、その言葉を「君」と出会うことで見つけた。しかし、その言葉も「君」がいなくなった今となっては懐かしい、ということ。

 「懐かしい言葉」が具体的になにを指すのか明らかにされませんが、「僕」が持つ考え方を「言葉」というワードに込め、「君」と出会うことで生じた価値観の変化を、あらわしたのでしょう。

 なぜなら、人が発する言葉には、その人の価値観が色濃く反映されるからです。「言葉」とは具体的なワードを指すのではなく、「君」との会話すべて、そしてそれによって起こった価値観の変化を、代表しているということです。

 3行目以降の歌詞は、どういう意味でしょうか。引用部の最後に「あの日まで」とあることから、こちらも過去を振り返っている内容だと推測できます。

 1行目の「君と会う日まで」と、4行目の「あの日まで」は、おそらく同じこと。いずれも「君」と一緒に過ごした日々を、思い返しているのでしょう。

 では、それを踏まえたうえで「ガラスの向こうには 水玉の雲が 散らかっていた」とはどういうことか、考えてみましょう。

 身近にあるガラスといえば、窓ガラスが連想されます。深読みせず、もっともベーシックに解釈するならば、家か車の窓ガラス越しに外を見ている、ということでしょう。

 「水玉の雲」という表現も、具体的な意味はハッキリしません。しかし、雲が水玉のようにキレイに見えるということは、当時の思い出が美しいこと、また過去としてパッケージされていることを、意味するのではないかと想像します。

「タマシイ」はなにを意味するか?

 2番のBメロには、以下の歌詞が続きます。

風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに

 上記の引用部で引っかかるのは、2行目の「タマシイ」。この単語がなにを意味するのか。なぜ、カタカナで表記したのか。

 魂と言うと、命を意味しそうなものですが、前後の文脈を考えると、上記引用部では「価値観」や「考え方」ぐらいの意味で、使われているのではないか推測します。

 「風が吹いて飛ばされそうな」のは、それだけ価値観が不安定であるということ。3行目の「他人と同じような幸せ」というのは、世間一般に認められた常識的な幸せという意味です。

 つまり、引用部をまとめると、「僕」は風が吹けば変わるぐらい軽い感覚で、常識的な幸せを信じていたということ。最後が「信じていたのに」となってるのは、しかしそれは自分が求める幸せではなかった、ということです。

 このように、幸せに対する不安定な価値観をあらわすため、「タマシイ」とカタカナで綴ったのではないでしょうか。同時に、命の儚さを強調するため、とも考えられます。

 そしてサビでは、なぜそのように感じるようになったのか、その理由とも思える歌詞が続きます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

これから 傷ついたり 誰か 傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 1行目の内容から、「僕」が人間関係において傷つき、同時に誰かを傷つけながら、多くのことを学んだのではないか、と推測できます。

 その誰かとは、言うまでもなく「君」。つまり「僕」は「君」と出会い、傷つき傷つけるなかで、多くのことを学び、価値観を変えていったということです。

 引用部2行目は、1番のサビと共通。1番と同じく、意味の広がりをともなって響く一節です。

 すなわち、「僕」が今のままでどこまで変わらずに行けるか、あるいは「僕」はあとどれだけ生きられるだろうか、というように複数の解釈を許容します。

2人は新しい世界へと旅立つ?

 ここまでの歌詞を考察しながら、この曲は「君」の不在、とくに亡くなっていることを示唆すると主張してきました。

 2番のサビ後に挿入されるCメロでは、上記の主張を補強するともとれる、イマジナティヴな言葉が綴られます。以下に引用します。

瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聞こえる?

 1行目の「瞬きするほど長い季節」という一節から、早速イマジネーションをかきたてる表現です。

 なぜなら「瞬き」は一瞬であるはずなのに、それを「長い季節」だと言っているから。文字どおりに解釈すると、矛盾しています。

 ここも、実にいくつもの解釈が可能。人生は一瞬で過ぎ去ってしまう、という意味にもとれますし、死後の世界を「時間の概念がなくなった季節」とあらわしているようにも思えます。

 また、その後に続く「呼び合う名前がこだまし始める」という言葉も示唆的。「僕」と「君」が名前を呼び合っている、つまり本論の主張に合わせるのならば、2人が死後の世界で再会したことを意味するのではないかと思います。

 繰り返しになりますが、これはあくまで僕がたてた仮説のひとつ。しかし、いくつもの解釈を可能にする、イマジナティヴな歌詞であることは確かでしょう。

結論・まとめ

 考察してきた内容と、僕の主張をまとめましょう。

 この曲は「僕」が過去を振り返るかたちで、「君」のことを語っています。他者とのコミュニケーションの難しさと愛おしさ、別れによる深い悲しみが記述され、とくに「君」との永遠の別れを感じさせる内容。

 シンプルな言葉を使うことによって、いくつもの解釈が可能になり、リスナーそれぞれの想像力をかきたてる歌詞になっています。

 タイトルの「楓」(カエデ)とは、モミジとも呼ばれます。モミジはご存知のとおり、秋になると紅葉し、冬になると葉を落とし、春になると新しい葉をつける落葉樹。

 1年のなかで季節によって姿を変えるカエデは、輪廻転生をあらわしているのではないか、とも思います。

 最初に買いたとおり、僕が思うスピッツの魅力のひとつは、二面性を持っているところ。

 「楓」も日常的な言葉を使いながら、さらっと人間の深いところまで達し、日常性と普遍性を併せ持っています。

 まさにスピッツらしさを多分に含んだ楽曲です。

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スピッツ「空も飛べるはず」歌詞の意味考察 曖昧性から生まれる具体性


目次
イントロダクション
歌詞の多層性
イマジナティヴな言葉
「空も飛べる」ことは何を表象するか?
2番での展開
結局、歌詞は何を訴えているのか?

イントロダクション

 「空も飛べるはず」は、1994年4月25日にリリースされた、スピッツ8枚目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 1994年9月21日リリースの5thアルバム『空の飛び方』、2006年リリースのシングル集『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』にも収録されています。

 スピッツの魅力は何か。もちろん、答えは人それぞれですが、僕が考えるスピッツの魅力は、聴きやすくポップなのに、奥が深いところです。

 それは音楽においても、歌詞においても言えて、例えばコード進行をとっても、使われるコードはそれほど珍しくないのに、組み合わせの妙によって起伏の大きい展開を作り出すなど、本当に巧み。

 歌詞についても、シンプルな言葉を使いながら、深い世界観を構築していきます。こういうところを、スピッツの魔法とでも呼びたくなるんですよね。

 今回取り上げたい「空も飛べるはず」も、まさにそうしたスピッツらしさが充満した歌詞を持っています。奇をてらった言葉は使っていないのに、掴めそうで掴めない、言葉のイメージが次々と広がる歌詞。

 このページでは、「空も飛べるはず」の歌詞を考察し、少しでもその魅力をお伝えできればと考えています。

歌詞の多層性

 最初に結論を示してから議論を進めるのが好きなので、先に僕の考えを提示しておきましょう。僕がこの曲の歌詞で優れていると思う点は、その多層性です。

 登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。サビの「君と出会った奇跡が この胸にあふれてる」という一節に象徴されるように、「僕」が「君」への想いを語るラブソングのようにも聞こえます。

 でも、歌詞に綴られる言葉を追っていくと、解釈がいくつも可能で、イマジネーションを掻き立てるんですよね。言葉使いは具体的なのに、そこから浮かび上がるエピソードは断片的で、人によって様々な風景が見えるのではないかと思います。

 なので、本論では「空も飛べるはず」が持つ言葉の多層性と、イマジナティヴな世界観を、歌詞を読み解きながら、ご紹介したいと思っています。

イマジナティヴな言葉

 小見出しに「イマジナティヴな言葉」と、かっこつけて横文字を使いましたが、言い換えれば想像力をかき立てる言葉ということ。

 この曲の歌詞には、リスナーの想像力を刺激する言葉が並びます。そのため、聴いているうちに次々とイメージが広がり、楽曲の世界観に引き込まれていくんです。

 最初に1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた

 歌い出しから、早速いくつもの解釈を許容する、広がりのある表現が続きます。では、順番に読み解いていきましょう。

 まず「幼い微熱」とは、何を意味するのか。「微熱を下げられないまま」という表現だったら、熱があるのかな、ぐらいにしか思いませんが、ここでキーとなるのは「幼い」という形容詞。

 「幼い」には、「年が若い」「未熟だ」といった意味がありますが、文字通りに「未熟な微熱」と解釈しても、いまいちピンと来ません。

 その後に続く歌詞の内容を考慮すると、「若気の至りでわき上がった情熱」ぐらいの意味ではないかと思います。

 「神様の影を恐れて」は、「僕」がキャラクターに合わない行動をしているため、不安を抱えているということ。その行動とは、2行目の「隠したナイフ」、つまりナイフを隠し持っているという事でしょう。

 「おどけた歌でなぐさめた」の主語は「君」で、思い切った行動をとって不安な「僕」を、歌で慰めているということ。

 上記引用部を説明的に書き直すと、「若気の至りでわき上がった情熱に任せて、ナイフを隠し持ってきたけど、性に合わず不安な気持ちの僕を、君はおどけた歌でなぐさめた」ぐらいの意味でしょうか。もちろん、これが正解!と言いたいわけではなく、あくまで僕個人の解釈です。

 引用部では、ナイフを持ってきた具体的な理由や、そもそも場面設定はどこなのか、といった情報は提示されません。あるいは「ナイフ」も、思い切った行動を象徴する記号として機能しているのかもしれません。

 いずれにしても、具体的なエピソードではなく、断片的なイメージが繋がり、人によってそれぞれのシーンが浮かぶ表現だと言えるでしょう。

 その後に続く、Bメロの歌詞を、以下に引用します。

色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて

 こちらにも状況を説明するような、具体的な記述はありません。Aメロからの繋がりもハッキリしませんが、Aメロの内容の理由だと解釈することは可能でしょう。すなわち「僕」が思い切った行動をとった理由は「輝くすべを求め」るため、ということ。

 その前の「色褪せながら ひび割れながら」という一節も、主語が「僕」だとすると、ちょっと不思議な表現です。なぜなら、「色褪せる」「ひび割れる」という言葉は、主に物に使うべきであり、人に対して用いられることは無いためです。

 意味としては、色褪せることは時間が過ぎ去ること、ひび割れるのは心が傷ついたり悩んだりすることを、表しているのでしょう。

 しかし、通常は人に使わない言葉を用いることにより、自分が自分でないかのように時間が過ぎ、過去に置き去りにされる感覚を、表しているのではないかと思います。

 ここまでのAメロからBメロにかけて、シンプルな言葉を用いながら、どこか違和感を含み、イメージが広がる言葉が並んでいます。

「空も飛べる」ことは何を表象するか?

 では、サビに入ると、歌詞はどのように展開するのか。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい

 サビに入っても、やはり意味に広がりがある、イマジナティヴな言葉が続きます。

 上記引用部の表面上の意味は、君と出会えて良かった、これからもずっとそばにいてほしい、というラブソング的な内容と言えるでしょう。しかし、Aメロ・Bメロと同じく、解釈に幅のある言葉で綴られています。

 1行目はそのままの意味でいいとして、2行目の「空も飛べるはず」とは何を意味するのでしょうか。文字どおりに空を飛ぶという意味ではない、ということはすぐに分かります。

 1行目の「君と出会った奇跡」から繋がることを考えると、おそらく「君」と出会えた喜びを表しているのでしょう。

 実にスピッツらしくポエティックな表現…と言ってしまうとそれまでですが、曲のタイトルにもなっているとおり、この「空も飛べるはず」という一節に、この曲の奥の深さが凝縮されている、と僕は考えています。

 非常にうれしい気持ちを表す「天にも昇る心地」という表現があります。「空も飛べるはず」という言い回しは、この表現を日常的な言葉で言い換えたとも言えるでしょう。

 ただ嬉しい気持ちだけでなく、空を飛ぶイメージから、未来への跳躍や、苦しい過去からの解放をも感じさせる一節です。

 日常的な言葉を使うことで、意味の射程が広がり、結果として多くの人にリアリティーを伴って響く。曖昧性の中から、具体性がにじみ出る、スピッツの魔法とも言うべき表現方法だと思います。

 3行目に続く「夢を濡らした涙が 海原へ流れたら」という言い回しも、「空も飛べるはず」と同じく、奥行きのある意味をはらむ表現。

 悲しみで夜に涙を流すことを「枕を濡らす」と言います。言うまでもなく、上記の「夢を濡らした」は、「枕を濡らす」を連想させます。

 その後に続く「海原へ流れたら」は、涙が海へと流れていく、ダイナミックな例え。「空も飛べるはず」という表現と共通する、イマジネーションをかき立てる言葉使いと言えるでしょう。

 まとめると、サビの歌詞もAメロ・Bメロと同じく、シンプルな言葉を使いながら、聴き手によってそれぞれの風景が浮かぶような表現で綴られている、ということ。

 「空も飛べるはず」という言葉は、人それぞれに空も飛べるような感情と、しれに伴う「君」との風景を喚起させる効果を持っています。

2番での展開

 2番に入っても、1番と同様にシンプルながら、想像力をかき立てる言葉が綴られていきます。

 ひとつずつ確認していきましょう。まず、2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

切り札にしてた見えすいた嘘は 満月の夜にやぶいた

 上記引用部でも、詳細までは分からない、断片的なイメージのような言葉が並びます。「満月の夜」とありますから、時間設定は夜と考えて良さそうです。

 「切り札にしてた見えすいた嘘」とは、「僕」が何らかの状況変化を起こすために考えていた嘘、ぐらいの意味でしょうか。その嘘を「満月の夜にやぶいた」ということは、温めていた嘘を使うことはなかった、ということ。

 「やぶいた」とあるので、使うのを諦めた、使う必要が無くなった、という意味ではなく、嘘をつくという方法はやめよう、という心境の変化が想定できます。

 その後に続くBメロの歌詞を、以下に引用します。

はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて

 夜のイメージが続いていると仮定すると、「君」の髪のにおいによって「僕」は目を覚ました、という状況のようです。

 ただ「はかなく揺れる」という言い方が、また色々なイメージを喚起します。「揺れる」の主語が「髪」だとすると、「僕」は寝ているけど「君」は起きているとも取れますし、「におい」を主語にして、においが漂っていることを表しているとも解釈可能。

 また、頭についている「はかなく」という副詞も、どう解釈するかによって、意味に違いが生じます。「はかない」は、淡く消えやすいという意味ですから、髪のにおいについて言ったとも取れますし、そもそも一連の状況を儚いと思う「僕」の心情の表出とも取れます。

 いずれにしても、2番のAメロとBメロでは、夜であることが提示され、「はかなく」という言葉に象徴される、夜に合う感傷的な想いが、綴られているのではないかと思います。

 続いて2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい

 3行目以外は、1番の歌詞と共通。その3行目には「ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも」と、綴られています。

 「ゴミできらめく世界」とは何を意味するのか。嘘やペテンがはびこる、世界や人間の汚い部分をひっくるめて「ゴミできらめく世界」と表現しているのではないかと、僕は考えています。

 「きらめく」と書いたのは、そうした汚いものが世界に溢れている事と、埃が光の中で輝くように、ゴミのような部分も光を当てれば輝いて見える事を、表しているのではないかと思います。

 その後に「ずっとそばで笑っていてほしい」と続くので、「君」と一緒にいることで、ゴミのような世界もきらめいて見え、耐えることができる、という「僕」の感情を表しているのではないかとも思います。

 以上、2番の歌詞も1番と同じく、曖昧性を残しながら、非常にイマジネーションをかき立てる言葉が並んでいると、言えるのではないでしょうか。

結局、歌詞は何を訴えているのか?

 さて、ここまで歌詞を順番に考察してきました。最後に、結局この曲は何を訴えているのか、僕なりの考えを提示いたします。

 まず、この曲の語り手であり、主人公であると言っていい「僕」は、どのような人物でしょうか。「幼い微熱」「隠したナイフ」「見えすいた嘘」といった言葉が散りばめられ、かなり繊細な人物なのではないかと想定できます。

 そして、2番のサビに出てくる「ゴミできらめく世界」という言葉からは、「僕」がまわりの環境に馴染めない、あるいは世間に溢れる汚い感情や方法に馴染めない人物である、とも想像できるでしょう。

 世界に対してネガティヴな感情も持ち、しかし感情表現も得意ではなさそうな「僕」にとって、空を飛べるほど光を与えてくれる存在が「君」。

 この曲の歌詞を端的に説明するなら、そういう事ではないかと思います。わかりやすく具体的なエピソードが記述されるわけではありませんが、他者への深い愛情を歌ったラブソングとも言えるでしょう。

 もちろん、これは僕の個人的な考え。これが正解!と主張したいわけではありません。

 先述したように、曖昧な部分を残しながら、イマジネーションをかき立てる言葉を並べ、一人一人のリスナーにリアリティを伴って響くのが、この曲の魅力。

 ぜひ想像力を全開にして、楽曲の世界に浸ってください。

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BiSH「プロミスザスター」歌詞考察 「プロミスザスター」が意味するものとは?


目次
イントロダクション
登場人物とテーマ
「僕」の感情
「未来」と「君」を待つ意味
「プロミスザスター」の意味
2番での展開
結論・まとめ

イントロダクション

 「プロミスザスター」は、2017年3月22日にリリースされた、BiSHの3枚目のシングル。2017年11月リリースの4thアルバム『THE GUERRiLLA BiSH』にも収録されています。

 作詞は松隈ケンタとJxSxK。作曲は松隈ケンタ。

 「楽器を持たないパンクバンド」を肩書きとして活動しているBiSH。なにがパンクで、なにがアイドルかを定義するのが目的ではないので深い入りはしませんが、「プロミスザスター」の歌詞も、いわゆるアイドル歌謡からは離れた、エモーショナルなもの。

 具体的には、リスナーを言葉で応援するのではなく、自らの無様な姿を晒して、共感を得るような歌詞なんです。言葉で語るのではなくて、傷ついた姿を晒すことで、態度で語ると言い換えてもいいでしょう。

 直接的にリスナーを応援するわけではないのですが、「悩んでるのは君だけじゃないよ」と、同じ立場に立って語りかけてくるような、共感性を持った歌詞です。

 では、どのような内容が歌われ、リスナーの共感を得ているのか。この曲の歌詞を、読み解いてみたいと思います。

登場人物とテーマ

 最初に、歌詞に出てくる登場人物を確認しましょう。歌詞を見渡すと、出てくるのは語り手である「僕」と「君」。「僕」が語る内容が、歌詞になっています。

 それでは、歌詞のテーマは何か。「僕」と「君」が出てきますが、両者の具体的なストーリーを語った、いわゆるラブソングではないことが分かります。

 この曲でフォーカスされるのは、人間関係やストーリーではなく、「僕」の感情。特に、悩みや痛みといった感情が、綴られていきます。

 では、具体的にどのような感情が綴られていくのか。歌詞を順番に検討していきましょう。

「僕」の感情

 まずは1番の歌詞から、「僕」の感情を確認していきます。Aメロの歌詞を、以下に引用します。

どのくらい歩いてきたんだろう
怯えて過ごす毎日だった
勘違い我儘一太刀
僕らを引き裂いてた

 上記引用部からは、「僕」が何かしらの不安を抱えていることが分かります。

 1行目の「どのくらい歩いてきたんだろう」からは、不安を抱え始めてから、時間が経っていること。2行目の「怯えて過ごす毎日」からは、不安な気持ちが深く、しかも持続していることも判明。

 3行目から4行目の「勘違い我儘一太刀 僕らを引き裂いてた」からは、怯えて毎日を過ごす原因となったのが、「勘違い」と「我儘」であることが明らかにされます。

 「僕ら」と複数形になっているのは、「僕」と「君」を引き裂いた、と解釈できます。ハッキリとは記述されませんが、「僕」が心に傷や不安を持っていることは、伝わる歌い出しと言えるでしょう。

 続いてBメロの歌詞を、以下に引用します。

散々眺めた夢の続きが
そうさ
傷跡に塩を塗り込んでく

 上記引用部からは、「僕」の傷の原因が、夢が叶わなかった事にあると示唆されます。

 「散々眺めた夢の続き」が、「傷跡に塩を塗り込んでく」というのは、夢を思い出すことが「僕」にとっては苦行だということ。つまり、実現することのなかった夢を思い出すのは、辛いということです。

 「夢の続き」とあるので、ある時点までは追いかけていましたが、その途中で諦めてしまった、とも考えられます。

 Bメロでも、具体的に「夢」が何を意味するのかは記述されませんが、「僕」の傷を持った感情が伝わります。

「未来」と「君」を待つ意味

 「僕」の傷ついた感情が記述されたAメロとBメロ。そして、サビでは以下の言葉が続きます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

だから僕は待って待って
未来を待って立って
ずっと生きてるって感じてたかったから
だから君を待って待って
未来は待って待って
きっと巡り合った僕らは奇跡なんだ
どれだけ話せばわかってくれる?
don’t you think every time
あの空を染めてけ
プロミスザスター

 上記引用部は、「だから」という理由を表す接続詞から始まります。つまり、AメロとBメロで語られた内容を理由として、サビの歌詞に繋がっていくという事です。

 そして、サビの歌詞は「僕」が「未来」と「君」を待つという内容。Bメロまでの歌詞の内容も振り返りながら、サビの歌詞を確認していきましょう。

 まずAメロとBメロでは、「僕」が心に傷を持っていることが示唆されました。サビでは、その傷を理由として、「未来」と「君」を待つと綴られています。

 以上を踏まえて、引用部1〜2行目の「だから僕は待って待って 未来を待って立って」を解釈すると、傷が癒えるのを待っているように思えます。

 3行目には「ずっと生きてるって感じてたかったから」と、待っていた理由を示す言葉が続きます。引用部5行目までをまとめると、心に傷を持った「僕」は、生きてることを感じるために、「未来」と「君」を待った、ということ。

 そして6行目には「きっと巡り合った僕らは奇跡なんだ」と続きます。この一節は、傷の理由が「僕」と「君」の関係性にあることを示唆します。

 「僕」は「君」は以前は一緒に時間を過ごす関係であり、「僕」は今も一緒にいたい、出会ったことを奇跡だと思っている。しかし、今はすれ違った状態にあるということ。思い返すと、Aメロには「僕らを引き裂いてた」という一節が出てきました。

 7行目の「どれだけ話せばわかってくれる?」は、「僕」が再び「君」と一緒にいることを願い、「君」に対してかけた言葉なのでしょう。

 ここまでのサビの歌詞をまとめると、「僕」が「君」と「未来」を待つのは、再び「君」と一緒にいられる時間を望んでいる、ということです。

「プロミスザスター」の意味

 では、引用部ラストに出てくる、タイトルにもなっている「プロミスザスター」は、どういう意味でしょうか。英語の「promise the star」だと仮定すると、「promise」は約束するという意味。

 ただ「promise」の後には、文法的には約束する相手が入るべき。「promise」の後に「you」が省略されていると考えて、「君に星をあげると約束した」、あるいは星を人の見立てて、「星に約束をした」という意味でしょうか。しかし、後者の場合は、約束の内容が欠けてしまいます。

 また、英語の熟語で「promise the moon」というと、実現の可能性がない約束をすることを意味します。歌詞の中で提示された情報だけでは、確定的な答えを出すことはできませんが、実現可能性の低い、夢のような約束を「プロミスザスター」という言葉に込めた可能性もあるでしょう。

 個人的には、「プロミスザスター」とカタカナで表記されているので、そこまで英語の文法にこだわる必要はなく、「僕」の「君」を待ち続ける強い意志を、「星に約束しよう」程度の意味で使ったのではないかと思います。

2番での展開

 1番の歌詞では、「僕」が心に傷を抱えていること、その理由が「君」との関係にあること、「僕」は「君」との再会を望んでいることが、記述されてきました。

 2番に入っても、基本的には1番の内容を補強するかたちで、歌詞は進行します。1番の内容と重複する部分も多いので、重要と思われる部分のみピックアップし、考察していきます。

 まずは、2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

どれくらい立ち止まっただろう
怯えて過ごす毎日だった
迷っては戻る過去たちが
僕らを追い越してく

 1番では「どのくらい歩いてきたんだろう」となっていたのが、上記2番では「どれくらい立ち止まっただろう」に代わっています。

 内容としては1番と同じく、時間の経過を表しているのでしょう。ただ、1番のサビで「未来を待って」と記述された後の言葉なので、1番からさらに時間が経った後の言葉とも考えられます。

 上記引用部3〜4行目の「迷っては戻る過去たちが 僕らを追い越してく」は、「僕」は過去のことを振り返るけれど、以前のようには戻っていない、「君」との関係を語っているのだと思います。

 続いて、2番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

散々眺めた夢の続きが
そうさ
茜さす日々を照らしてく

 3行目以外は、1番のBメロと共通。1番では「夢の続き」が「傷跡に塩を塗り込んでく」と、夢が苦しい思い出として扱われていました。

 しかし上記2番では、日々を照らすものとして描かれています。この違いが意味するのは「僕」の心境の変化。1番では思い出すのが辛かった「夢」が、時間が経ち、良い思い出として、消化できるようになったということではないでしょうか。

 つまり、1番と2番で「僕」と「君」と関係性には変化がないものの、「僕」の心境には変化があり、前向きになれている、ということです。

結論・まとめ

 以上、BiSHの「プロミスザスター」の歌詞を考察してきました。最初にも書いたとおり、この曲の魅力は、無様な姿を晒しているところだと、僕は考えています。

 ロマンチックなラブソングでも、リスナーを応援する内容でもなく、ただ「僕」の剥き出しの感情を記述していく。しかも、その感情は痛みを伴ったものです。

 このように、本来はあまり人に見せたくない心の傷をテーマにし、ありのままに語るところが、BiSHのエモさの源泉のひとつだと思っています。

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スピッツ「ロビンソン」歌詞の意味考察 永遠の別れと再会の物語


目次
イントロダクション
歌詞が持つ二重性
「ロビンソン」の意味
「新しい季節」とはいつか?
「宇宙の風」の意味
生まれ変わる2人
結論・まとめ

イントロダクション

 「ロビンソン」は、1995年4月5日にリリースされた、スピッツの11枚目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 1995年9月20日リリースの6thアルバム『ハチミツ』、2017年リリースのコンプリート・シングル集『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』などにも収録されています。

 スピッツの魅力とはなにか? この問いに、僕なら「ポップさと実験性が共存しているところ」と答えます。

 もうちょっと砕けた表現で説明すると、一聴して耳なじみがいいのに、じっくり聴いていくと、ねじれた部分が聴こえてくる、という感じでしょうか。

 初めて聴いたときから「あ、いい曲だな」と思うのに、聴き込めば聴き込むほどに、その奥に潜む違和感に気づき、その違和感が楽曲の魅力になっていくんですよね。

 音楽面でも歌詞の面でも、優れたポップスでありながら、同時に深い実験性を備えていること。僕が感じるスピッツの魅力は、その二面性にあります。

 160万枚を超えるセールスを記録し、彼らの代表曲と言っていい「ロビンソン」も、まさにそうした二面性、二重性を持った楽曲です。

 このページでは、特に「ロビンソン」の歌詞に注目し、意味を考察します。そして、結果的にこの曲の魅力をお伝えすることができれば、と考えています。

歌詞が持つ二重性

 最初に、歌詞の設定と、語りの構造を確認しておきましょう。

 まず登場人物は、語り手である「僕」と「君」の2人。「僕」が語る内容が、歌詞となっています。

 では、この曲のテーマは何か。「僕」が「君」との関係を語る、穏やかなラブソングとも思えるのですが、同時に生と死を感じさせる曲でもあります。

 表層では、日常的でかわいらしいラブソングとして機能し、深層では人の生と死、出会いと別れを扱っている。先に結論を言ってしまうと、その二重性こそがこの曲の魅力であり、特異な点である、というのが僕の考えです。

 では、上記の前提に基づいて、この曲の歌詞を読み解いていきます。

「ロビンソン」の意味

 実際の歌詞に入る前に、まずタイトルとなっている「ロビンソン」の意味を検討します。

 「ロビンソン」と曲名に掲げられているものの、歌詞の中にこの言葉は一切出てきません。では、この言葉はなにを意味するのでしょうか。

 伝記的な事実を記載すると、この曲の作詞作曲者である草野正宗さんが、タイを旅行したときに印象に残った「ロビンソン百貨店」から命名されたとのこと。

 ここでは、そうした予備情報なしに「ロビンソン」という言葉がタイトルとなることで、どのような意味を帯びるか、という視点で考察を進めます。

 そもそも「ロビンソン」とは、なにを意味するのか。英語の「Robinson」とするなら、基本的には名前です。しかも、苗字と名前のどちらにもなり得る名称です。

 名前の例をひとつ挙げれば、イギリスの著述家ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の主人公。苗字の例には、MLB初の黒人野球選手ジャッキー・ロビンソンが挙げられます。

 ちなみに、草野さんがタイで目にした「ロビンソン百貨店」の名称も、創業者のフィリップ・ロビンソンに由来します。

 ここで重要なのは、苗字にも名前にも用いられる、言い換えれば意味に広がりがある点。また、例えば「マイケル」や「ジョンソン」よりも、少なくとも日本人にとっては、名前らしく響かない点です。

 人の名前とも、場所の名前とも、はたまた「シャングリラ」のように架空の場所のようにも響くことが、この曲の二重性を引き立てることになっている、というのが僕が立てた仮説です。

 もちろん、歌詞の中で確定的に語られているわけではありませんので、あくまで仮説のひとつ。

 では、「ロビンソン」というタイトルが、曲にどのような意味を付加しているのかも意識しながら、歌詞を読み解いていきます。

「新しい季節」とはいつか?

 まずは、1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

新しい季節は なぜかせつない日々で
河原の道を自転車で 走る君を追いかけた
思い出のレコードと 大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに

 前述のとおり、この曲の語り手は「僕」。上記引用部も、全て主語は「僕」だと考えられます。情報はキッチリと記述されており、文字通りの意味を取るのは、それほど難しくありません。

 キーとなるのは、1行目の「新しい季節」という一節。この言葉は、なにを意味するのでしょうか。

 単純に季節が巡り、例えば夏から秋になった、とも考えられます。その後に続く「なぜかせつない日々」という言葉も、暑さがやわらいだ事がなんとなく切ない、と解釈すれば整合性も取れそうです。

 しかし、僕がこの曲で特異だと思うのは、その二重性。もちろん、単純に季節が巡ったと考える事もできるのですが、生活や心境に変化があったことを、季節に例える事があります。

 例えば「君」が亡くなってしまった。そうした深い別れを「新しい季節」と表現しているようにも、僕には思えるのです。

 「走る君を追いかけた」という一節も、表層では恋人同士が走っていく微笑ましいワンシーン。しかし、深層ではあの世で再び出会うことを、表しているようにも思えます。

 では、「君」は亡くなっている、ということを仮説のひとつとして、歌詞の続きを考察します。

「宇宙の風」の意味

 Bメロ以降にも、多層性を持った言葉が散りばめられています。1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で つくり上げたよ

 引用部2行目の「魔法」とは、なにを意味するのでしょうか。

 引用部1行目を説明的に言い換えると、「あるシチュエーションになった時に思わず口に出る(言葉)」といった感じでしょう。「思わず口にするような」から続くことを考えると、「魔法」は言葉であるように思われます。

 ただ、ここでも歌詞の中では確定的なことは記述されておらず、何かしらの行動であることしか分かりません。

 では、その「魔法」で何を作り上げたのか。歌詞はサビへと続きます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 引用部1行目で、「魔法」で作り上げたのは「二人だけの国」であると明らかになります。

 「二人だけの国」というのも、多様な解釈が可能な表現。恋人同士の親密な空気をあらわしているとも取れますし、僕の仮説に合わせるなら、あの世をロマンチックに言い換えた言葉とも取れます。

 さらに気になるのは、引用部2行目。「空に浮かぶ」「宇宙の風に乗る」という表現も、やはりここではない世界を示唆しています。

 特に「宇宙の風」という表現。「宇宙」は、永遠や真理を表すこともあります。そのため「宇宙の風に乗る」という言い回しは、人が亡くなって、生まれ変わること。

 曲の登場人物に当てはめると、「君」が亡くなり、会えなくなってしまった2人が、再び出会うことを表しているように、僕には思われるのです。

生まれ変わる2人

 2番に入っても、歌詞は多層性を帯びたまま進みます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 上記の引用部も、文字通りに意味をとっていくなら、それほど難しいことは書かれていません。しかし前述のとおり、様々な可能性を喚起させる歌詞でもあります。

 まず引用部1行目から2行目の「猫」の表現は、何を意味するのでしょうか。順番に考察していきます。

 1行目の「片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も」は、飼い主に捨てられた猫が、それでもなんとか頑張って生きようとする様子を描いているのでしょう。

 その後に続く「どこか似ている」の主語が「僕」だとすると、「僕」は捨てられた猫と似た状態にあるということ。では、それはどんな状態を意味するのか。「僕」も、何かしら辛い状態であると考えれらます。

 そのような辛さを抱えた精神状態であるために、捨てられた猫に親近感を覚え、「抱き上げて 無理やりに頬」を寄せたのでしょう。

 続いて、引用部の3行目の「いつもの交差点で 見上げた丸い窓は」。「いつもの」とあるので、何度も通った交差点であり、何度も見上げたことのある「丸い窓」であると想定できます。

 では、「丸い窓」とは誰の部屋の窓であるのか。歌詞の中の登場人物から考えれば、「君」の部屋の窓だと考えるのが自然でしょう。

 さらに、その窓が「うす汚れてる」と続きます。これは、この部屋に住んでいた人、つまり「君」が、もうこの部屋には住んでいないことを、表しているのではないでしょうか。

 僕の仮説を当てはめるなら、やはり「君」は亡くなっていて、「僕」はもう二度と会うことができない、と解釈できます。

 その後に続く、2番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ

 引用部1行目の「待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳」とは、2人が夢の中で再会したこと、あるいは「僕」がやがて向こうの世界に行き「君」と再会できたことを、表すのではないかと思います。もう二度と会えないはずの2人なので、「君」が驚いているわけです。

 さらに、その後に続く「生まれ変わるよ」という言葉。これは、文字通りに2人が生まれ変わることを示しているのでしょう。つまり、「君」が亡くなり、現実世界では会えない2人が、生まれ変わって再会するということです。

 そして、2番のサビには、以下の歌詞が続きます。

誰も触われない 二人だけの国 終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る

 「終わらない歌ばらまいて」という一節を除いて、1番のサビと共通しています。では「終わらない歌」とは、なにを意味するのでしょうか。

 1番のサビで「宇宙の風」は、あの世や生まれ変わりを表す、と考察しました。歌というのは、当たり前ですが、歌うのに時間がかかります。

 その時間を必要とする「歌」が「終わらない」ということは、時間が存在しない世界。つまり、あの世を意味する、というのが僕の考えです。

 まとめると、2番のサビ全体で、「僕」と「君」が生まれ変わり、再び出会うことを歌っているということです。

結論・まとめ

 スピッツの魅力は、楽曲が持つ二面性にある。そして、「ロビンソン」という楽曲の歌詞にも、その二面性が多分に含まれている、という視点に基づき、歌詞を考察してきました。

 ここまでの考察をまとめると、「ロビンソン」は表層では日常的なラブソングでありながら、深層では深い意味での出会いと別れを歌っている楽曲だということ。

 言い換えれば、単純に付き合った別れたというストーリーではなく、より普遍的な愛情や別れについて歌った曲とも言えます。

 また、先ほど検討した「ロビンソン」という、やや奇妙なタイトルも、最後まで聴くとこの曲に合っているのでは、という気がします。

 その理由は「ロビンソン」という言葉が持つ多様性と異国性。先述したとおり「ロビンソン」は、苗字にも名前にも用いられる言葉。また、草野さんがタイで見かけた百貨店の名称でもあります。

 日本では「ロビンソン」と言っても、店や場所の名前とは普通思いません。しかし、逆に人の名前とも、場所の名前とも取れる「ロビンソン」という言葉の響きが、「ここではないどこか」を表す言葉として、機能するのではないかと思います。

 シンプルだけど、多くの可能性を示唆する、この曲の歌詞にぴったりのタイトルです。

 ここまで書いてきたことは、あくまで僕の個人的な解釈。多くの解釈を許容し、多くの人々の心に響くのが、この曲の魅力だと思いますので、皆さんもぜひ自由にこの曲を感じてみてください。

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BiSH「オーケストラ」歌詞の意味考察 オーケストラのように響き合う感情


目次
イントロダクション
「オーケストラ」の意味
「君」の不在
「僕」と「君」の関係
「語る声もオーケストラ」とは?
強調される「君」の不在
結論・まとめ

イントロダクション

 「オーケストラ」は、女性アイドルグループ、BiSHの楽曲。2016年10月5日リリースの3rdアルバム『KiLLER BiSH』に収録されています。

 作詞は松隈ケンタとJxSxK。作曲は松隈ケンタ。

 「楽器を持たないパンクバンド」を掲げて活動するBiSH。「オーケストラ」と名付けられたこの曲は、ストリングスも導入され、いかにもロックバンドがやりそうな、壮大な展開の楽曲となっています。

 「壮大」と言われても、何を言っているのかハッキリしませんよね。具体的には、アレンジもコード進行もメリハリがハッキリしていて、歌詞も人の繋がりという普遍的なテーマを扱っています。歌詞も音楽も、レンジが広いとも言えます。

 で、今日ここで扱いたいのは、この曲の歌詞についてです。前述のとおり、人との繋がりをテーマにした歌だと、個人的には考えています。

 BiSHのメンバーの歌唱も相まって、名曲のアウラが漂う1曲になっているので、その魅力の一端でも伝わるよう、この曲の歌詞の深さを考察し、ご紹介したいと思います。

「オーケストラ」の意味

 タイトルになっている「オーケストラ」という言葉。歌詞の中にも出てくるのですが、まずはこの言葉がどういった意味で使われているのか、検討しましょう。

 辞書などに載っている「オーケストラ」の文字通りの意味は、管弦楽あるいは管弦楽団のこと。もっと砕けた言い方をすれば、ストリングスとラッパと笛を備えた、大人数の演奏団体。

 しかし、BiSHの「オーケストラ」は、クラシック音楽を演奏する楽団のことを歌った曲ではありません。では、何を歌っているのか。結論から言ってしまうと、人と人の繋がりや、響き合う感情を歌っている、というのが僕の仮説です。

 前述のとおりオーケストラというのは、多くのメンバーがそれぞれ自分の楽器を担当し、ひとつの大きな作品を作り上げます。いわば、多くの人々が響き合うコミュニケーションであり、共同作業であるわけです。

 BiSHの「オーケストラ」は、この管弦楽団としてのオーケストラを、人間関係に照らし合わせ、響き合う感情を歌っているのではないか、と僕は考えています。

 では、この仮説に基づいて、実際の歌詞を読み解いていきます。

「君」の不在

 最初に、登場人物を確認しておきましょう。出てくるのは、語り手である「僕」と「君」。「僕」が「君」との過去を語っていくのが、歌詞の内容です。

 また、2人は過去には一緒にいましたが、現在は会えない状態にあるようです。

 2人はどのような関係であるのか、「僕」はどんな感情を抱いているのかが、少しずつ明らかになっていきます。まずイントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

見上げたあの夜空に
浮かぶ星達
ふと君の声が
あの頃輝いてたかな?
今になっては
ずっと分からないまま

 引用部1行目から3行目は、「僕」が夜空を見上げていたら、ふと君の声を思い出した、ということでしょう。

 3行目の「あの頃輝いてたかな?」の、「輝いていた」の主語は何だと解釈すべきでしょうか。2行目の「星達」を主語として、以前「僕」が見た夜空に星は輝いてたか考えている、とも取れます。

 また、「あの頃」と期間がある程度の長さを帯びているため、「僕」と「君」が一緒に過ごしたかつての日々が、輝いていたかどうかを思い返している、とも解釈できます。

 個人的には、後者の解釈の方がしっくりくると考えていますが、重要なのは細かい内容よりも、「僕」と「君」は今では会えない状態であることが明かされている点。

 イントロで「君」の不在が印象づけられ、この後の歌詞も「僕」が「君」を回想するかたちで進行します。

「僕」と「君」の関係

 Aメロに入ると、2人のエビソードが断片的に語られていきます。「僕」と「君」は、友達なのか、恋人同士なのか。結論から言えば、歌詞の中にはハッキリと示されていませんが、恋人同士であったことが示唆されます。

 しかし、具体的に恋人だったかというステータスの問題よりも、「僕」にとって「君」はどんな存在だったか、どのように感情が動いたか、という点の方が重要なように、僕には思われるのです。

 それでは、2人の関係性と「僕」の感情がどのように動いたのか、という点を意識しながら、歌詞を考察していきます。

 1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

あの時
君がついた嘘
問いただせずに
泣いたあの坂道
この先
君と会えないの
離れ離れに
身を任せてた

 引用部の前半4行では、「君」の嘘が「僕」を傷つけたエピソードが綴られています。後半4行は、前半の嘘の結果として、2人は会えない状態になってしまったことが記述されています。

 7行目から8行目の「離れ離れに 身を任せてた」とは、特に行動を起こすことなく、2人の関係が平行線のまま、時間が過ぎるのを表しているのでしょう。

 続いて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

いつもの後悔が風に消えてく
誰にもみせないその姿を
もうちょっとだけ
見てたかったんだ
時がそっと睨んでいる

 上記引用部をまとめると、「僕」が行動を起こさず、「君」と会えないままになったのを、後悔しているということ。Aメロの歌詞の続きと言えます。

 一見すると、行動を起こさず、「君」との関係が好転しないAメロの内容を、繰り返しているようにも思えますが、明らかな違いがあります。それは最後の1行「時がそっと睨んでいる」の部分。

 Aメロでは時間の経過を「身を任せてた」と表現していました。対してBメロでは、「時がそっと睨んでいる」となっています。この表現からは、時間が過ぎることで、焦りや後悔の念が大きくなっていることが伝わります。

 また、引用部2行目から4行目の「誰にもみせないその姿を 見てたかった」という表現からは、2人が親密な関係にあったことが分かります。

 「君」には「僕」にしか見せない一面があった、それだけ心を許し、親密な関係だったという意味でしょう。

「語る声もオーケストラ」とは?

 ここまでの歌詞では「僕」と「君」が会えない状況にあること、「僕」はそれを後悔していることが、語られてきました。

 サビに入ると、「僕」のより感情的な言葉が綴られます。1番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

その手と手繋いで
笑いあった声
忘れはしないよ
こんなにも流してた涙も
語る声も オーケストラ

 上記引用部をまとめると、「僕」が「君」のことを思い出し、感傷的な気分になっているということでしょう。引用部5行目には、タイトルにもなっている「オーケストラ」という言葉が出てきました。

 先ほど「オーケストラ」は響き合う感情を表す、という仮説を立てました。引用部の4行目から5行目を、仮説に基づいて解釈すると、君を思って流した涙も語った声も、君との感情の共鳴だった、ということ。

 意味としても矛盾がありませんし、仮説の妥当性が認められるのではないかと思います。涙を流すほど感情が動くコミュニーケーションを、上記引用部では「オーケストラ」と表現しているのではないでしょうか。

 その後に続くサビの2連目は、「君」の不在を強調する内容となっています。以下に引用します。

やがて訪れたよね
さよならの声
忘れはしないよ
あんなにも近くにいたはずが
今では繋がりなんて
あの空だけ

 前述したとおり、上記引用部では「僕」が「君」と会えなくなったことを、感傷的に語っています。

 「空は繋がっている」という趣旨の表現は、歌詞にたびたび使われますが、上記引用部でも「君」との繋がりが空ぐらいしかない、つまりほとんど繋がりがない、という意味で使われています。

強調される「君」の不在

 2番に入っても、繰り返し「君」の不在が語られていきます。重なる表現も多いので、印象的な部分のみピックアップして、考察していきましょう。

 まず、2番のAメロ前半の歌詞を、以下に引用します。

夜空の
交換をしよう
馬鹿らしくなって
投げた午前3時

 「夜空の交換をしよう」とは、今は会えない「君」もどこかで夜空を見上げていることを想像し、「僕」も夜空を見上げている、ということ。

 そして「馬鹿らしくなって 投げた午前3時」とは、そんなことをしても「君」に会えるわけでなく、馬鹿らしくなって午前3時にやめた、ということです。

 想像力を使いながら読む必要がありますが、だいたいそんな意味ではないかと思います。

 次に、2番のBメロ1行目の歌詞を、以下に引用します。

いつものジョークが街に消えてく

 上記引用部は、「君」に会えない虚しさを表しているのでしょう。以前は「君」がジョークを聞いてくれたけど、今ではその相手がいないという意味です。

 Bメロの2行目以降は、1番のAメロとは逆に、誰にも見せない「僕」の姿を、「君」にもっと見せたかった、と記述されます。

 そして2番のサビでは、再びオーケストラ」という言葉が使われ、「君」の不在が強調されています。サビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

この目と目合わせて
はっきりとしたい
もうできないかな
こんなにもどかしくて
辛いのが
音を立てる オーケストラ

 1番のサビでは、「君」と一緒にいた日々を、懐かしむ言葉が綴られていました。それに対して、上記2番のサビでは、より「君」の不在を悲しむ感情にフォーカスしています。

 引用部6行目の「オーケストラ」は、辛い気持ちを、壮大に響き合い、音を立てるオーケストラに例えています。

 これは「僕」が大きな悲しみを感じていること、そして「君」との繋がりがその要因であることを、表しているのでしょう。言い換えれば、2人が出会わなければ、このように大きく感情が動きことも、なかったということです。

 さらにサビの2連目では、「僕」の抱える辛さが、より強調されて綴られます。以下に引用します。

どこで何をしてるの?
分からないのは
僕のせいなんだね
永遠にこんな日がくるなんて
神様イタズラなら
呪いたいぐらい

 上記の前半3行は、「君」に会えなくなってしまった理由は、「僕」自身にあると思い返しているのでしょう。

 「君」が「どこで何をしてるの?」か知りたいけれど、もう会えないので聞くことができない。そして、その要因は「僕のせい」だと語っています。

 4行目の「永遠にこんな日がくる」とは、前半3行との繋がりを考えると、「君」に会えない日々が永遠に続くこと。言い換えれば、もう「君」とは会えない状態であることを意味します。

 5行目と6行目の「神様イタズラなら 呪いたいぐらい」という一節は、「僕」の悲しみの深さを表した表現です。

結論・まとめ

 以上、歌詞のなかで「オーケストラ」という言葉がどのような意味を持つのか、という点を意識しながら、歌詞を読み解いてきました。

 人との繋がりにおいて生まれる感情を、管弦楽団という意味でのオーケストラに例えて表している、というのが僕の結論。

 この曲では、特に「僕」が「君」との繋がりにおいて抱いた辛さや悲しみを、「君」と響きあうことで生まれた感情という意味で「オーケストラ」と表現しています。

 まとめると、人との別れで生じる喪失感を、「オーケストラ」という言葉に込めた曲。

 「僕」と「君」は恋愛関係にあったと想定できますが、単純に付き合った別れたという話ではなく、より深い意味での別れや悲しみについて、歌った曲だと思います。

 ミュージック・ビデオは、女子高生らしき2人が秘密の恋を育むストーリーと、BiSHのメンバーの歌唱シーンが切り替わりながら進みます。

 女子高生役の2人の表情も、BiSHのメンバーのエモーショナルな歌唱も素晴らしく、音だけで聴くよりも、楽曲の魅力を引き出してくれる映像です。

 最初にも書きましたけど、これぞ名曲!という空気が充満していて、僕は聴いてると涙が出てきます。ぜひ、ミュージック・ビデオも併せてご覧ください。

 




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