スピッツ「スターゲイザー」歌詞考察 星を見つめる行為は何を意味するか?


目次
イントロダクション
イマジナティヴな言葉の連なり
「あの光」が意味するもの
独創性を増す歌詞
語り手と「君」の関係性
結論・まとめ

イントロダクション

 「スターゲイザー」は、2004年1月21日にリリースされた、スピッツの通算28作目のシングル。作詞作曲は草野正宗。

 タイトルの「スターゲイザー」とは、英語で綴れば「stargazer」。直訳すれば「星を見つめる人」という意味ですが、一般的には「天文学者」あるいは「夢想家」を意味します。

 語源を調べたわけではありませんが、「stargazer」という単語が持つ「夢想家」という意味は、おそらく空を見上げるロマンチックな行為が、夢見がちな想像をする人へと転じていったのでしょう。

 「スターゲイザー」というタイトルのとおり歌詞は、星を探すことと、未来を思うことが、互いにオーバーラップする内容。

 日常のありふれた事柄と、ロマンチックな想像力が、分離することなくあらわれています。日常から永遠へと飛び立つような想像力が、スピッツの歌詞の魅力だと思っているんですが、この曲はまさにスピッツ的イマジネーションに溢れた楽曲と言えます。

 このページでは「スターゲイザー」の歌詞を考察しながら、そのイマジネーションの豊かさをお伝えできれば、と思っております。

イマジナティヴな言葉の連なり

 最初に結論から述べましょう。この曲の魅力であり、特異な点は、想像力をかき立てる言葉が、連続しているところ。

 日常にありふれた感情が、語り手の想像力によって、宇宙規模のイメージへと広がっていきます。

 登場人物は、語り手と「君」の2人のみ。しかしながら「君」は言葉としては出てくるのですが、具体的な人物描写はなく、登場人物は語り手だけとも言えます。

 では、語り手がどのようにイマジネーションをかき立てる言葉を綴っていくのか、順番に確認していきましょう。

 1番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

ひとりぼっちがせつない夜 星を探してる
明日 君がいなきゃ 困る 困る

 文字どおりに意味をとっていくのは、難しくありません。1行目は寂しい気持ちを、星を探す行為にこめ、2行目では「君」への想いを述べています。

 具体的には書かれていませんが、「君」がいないから語り手はひとりぼっちであり、せつない気持ちになっていると想像できます。

 その後に続く、Aメロ2連目の歌詞を引用します。

ゴミになりそうな夢ばかり 靴も汚れてる
明日 君がいなきゃ 困る 困る

 1行目の「ゴミになりそうな夢」とは、実現する可能性が低い夢という意味でしょう。そのあとの「靴も汚れてる」とは、どんな意味でしょうか。

 人生を、道に例えることがあります。上記の「靴も汚れてる」という表現も、実際に靴が汚れているという意味ではなく、人生において悪路を歩んでいる、言い換えれば、厳しい時期を過ごしている、程度の意味でしょう。

 1行目を意訳すると、かないそうもない夢ばかり追いかけてしまって、人生としてもなかなか厳しい道のりだ、ということ。

 そんな状態であるので、「君」に近くにいてほしい気持ちが、2行目の「君がいなきゃ 困る」に込められています。

 ここまでのAメロは、「星」「夢」「靴」などシンプルかつ抽象的でありながら、意味には広がりのある言葉を並べ、場面が想像しやすい表現となっています。

「あの光」が意味するもの

 さて、次にサビで出てくる「光」という言葉がなにを表象するのか検討します。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

遠く遠く果てしなく続く 道の上から
強い 思い あの光まで 届いてほしい

 2行目の「あの光」が、なにを指しているのか。Aメロ1連目の「星を探してる」という一節と、「スターゲイザー」というタイトルから想像するに、星が放つ光を指していると考えても良さそうです。

 しかし、単純にそうとも言い切れず、多様な解釈を許容するのが、スピッツの歌詞の魅力である特徴。この曲における「光」も、単純に星を意味するとも限らない、意味の広がりを持っています。

 冒頭で指摘したとおり「stargazer」には、星を見つめる人という意味から転じて、天文学者と夢想家という異なる意味を併せ持っています。

 タイトルが複数の意味を持つように、上記引用部の「あの光」も、二重の意味を持っているように思われます。

 例えば、星の光を意味するとして「あの光まで 届いてほしい」とは、なにを意味するのでしょうか。何万光年も離れた星まで届いてほしい、という文字どおりの意味だと、あまり意味が通りません。

 なぜなら、語り手の思いはそもそも物理的に存在するわけではなく、到達することはできないため。また、仮に存在したとして、遠くの星に到達しても、実質的なメリットがあるとは考えられません。

 つまり「あの光まで 届いてほしい」という一節には、文字どおりの意味だけでなく、それ以上の意味がこめられているということ。

 では、作者がこめた意味とはなにか、考えてみましょう。先述したとおり「stargazer」には「夢想家」の意味があります。

 この曲においても、夜空を眺めながらめぐらす語り手の思いは、夢想家の描く夢のように、実現可能性の低さをあらわしている、とも解釈できます。

 それでは、実現可能性の低い思いとはなにか。僕は「君」と「星」がイコールであるという仮説を立てます。つまり、語り手にとっての「君」は「星」と同じぐらい遠く、同時に輝きを放つ存在だという意味です。

 Aメロの「明日 君がいなきゃ 困る」という歌詞にも繋がってくるのですが、なんらかの理由で語り手は「君」に会うのが難しい状況なのだと想像できます。

 理由はなぜか。それはリスナーのイマジネーションに委ねられている、というのが僕の考えです。

 もしかしたら、「君」は星になってしまった存在なのかもしれないし、語り手の思いの強さを「星」という言葉に込めたのかもしれません。

独創性を増す歌詞

 2番に入ると、歌詞はより独創性を増していきます。1番よりも具体的な言葉が使われながら、そこから喚起される意味とイメージは、むしろ曖昧だという意味です。

 2番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

すべてを嫌う幼さを 隠し持ったまま
正しく飾られた世界で 世界で

 1行目の「すべてを嫌う幼さ」とは、世間の常識すべてに批判的な、若いころ特有の態度をあらわしているのでしょう。現代的な言葉で言えば、厨二病的な態度と言ってもいいかもしれません。

 2行目の「正しく飾られた世界」とは、1行目からの繋がりを考慮すると、嘘や欺瞞もありつつ成り立っている世界をあらわしているのだと思います。

 すべてを嫌う幼さを持った語り手は、少しの嘘でも忌み嫌いそうなものですが、世界は多くの要素が重なりあい、複雑に成り立っていることは理解しているのでしょう。

 つづいて、2番のサビの歌詞を以下に引用します。

一度きりの魔球を投げ込む 熱の向こうへと
泣いて 笑って 泥にまみれた ドラマの後で

 「魔球」は何を意味するのか。言うまでもなく、いきなり野球の話題になっているわけではありません。ここで出てきた「魔球」も、なにかを比喩的にあらわしていると考えられます。

 会話をキャッチボールに例えることがありますが、ここでの「魔球」も、言葉のやりとりを意味しているのではないでしょうか。

 想定されるのは語り手と「君」の会話。「魔球」と言うほどに、滅多に言わないとっておきの言葉を放ったということです。

 ではどんなタイミングで、その魔球のような言葉を放ったのか。2行目で説明されています。

 「泣いて 笑って 泥にまみれた ドラマの後で」ということは、語り手と「君」が多くの期間をともに過ごしたあとで、魔球のような言葉をかけたということでしょう。

 以上のように、2番に入るとそれぞれの言葉がより広い意味を持つ、具体性よりも独創性が強い歌詞が展開します。

語り手と「君」の関係性

 語り手が一貫して語っていると思われる「君」。では次に、語り手と「君」がどのような関係であるのか、検討してみましょう。

 1番に出てきた「君がいなきゃ 困る」という一節。また、先ほどの「泣いて 笑って 泥にまみれた ドラマの後で」という言葉を考慮すると、2人は恋人同士だったと考えるのが普通でしょうか。

 2番のサビのあとには、Bメロあるいは大サビと呼ぶべきメロディーが続きます。当該部分の歌詞を、以下に引用します。

明かされていく秘密 何か終わり また始まり
ありふれた言葉が からだ中を巡って 翼になる

 上記引用部も抽象的かつイマジナティヴで、いくつもの解釈が可能。ひとつの仮説として、語り手と「君」が恋人同士、あるいはそれに近い親しい間柄であるという前提のもと、読みといてみましょう。

 まずは1行目。「明かされていく秘密」とは、お互いをより深く知っていくこと。その後に続く「何か終わり また始まり」は、お互いに様々な感情が芽生え、関係性が変わっていく過程をあらわしていると考えます。

 つづいて2行目。「ありふれた言葉」とは、「君」から投げかけられた言葉。それが「翼になる」とは、「君」の言葉が勇気や希望になったということでしょう。

 上記引用部をまとめると、語り手は「君」とのコミュニケーションをとおして、多くの感情を受けとり、その一部は未来へ向かうモチベーションになったということです。

 また、先ほど「君」と「星」がイコールであるという仮説を立てました。「ひとりぼっち」「君がいなきゃ 困る」といった言葉が散りばめられ、逆説的に「君」に会えない状態であることが示唆されます。

 これは何を意味しているのか。単純にお互い忙しく会えないだけなのかもしれないし、もう別れてしまったのかもしれない。あるいは「君」はすでに星になってしまった、すなわち亡くなっているのかもしれません。

 歌詞には確定的な記述はされませんが、多くの可能性を許容するところが、この曲の共感性の高さにつながっているのでしょう。

結論・まとめ

 以上「スターゲイザー」の歌詞を、英語の「stargazer」が持つ意味の広がりを意識しながら、読みといてきました。

 直訳すれば「星を見つめる人」を意味するスターゲイザー。そこから転じて、天文学者や夢想家を意味するのは、冒頭で確認しました。

 この曲の歌詞も、星を見つめるロマンチックな行為が「君」を思うことに重ねられ、複数の意味を伴ないながら展開。

 ほとんど具体的に人間関係やストーリーは語られないにも関わらず、リスナーそれぞれの想像力を刺激し、イメージを喚起させる歌詞になっています。

 個人的には「魔球」という言葉の使い方が、もっとも好きです。会話をキャッチボールに例えていると仮定して、トリッキーな素直じゃない言葉を意味しているのか、あるいは魔球のように滅多にない言葉という意味なのか、イマジネーションが広がります。

 いぜれにしても、聴く人それぞれに異なった姿を見せるのが、この曲およびスピッツの魅力であると思っています。

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miwa「結 -ゆい-」歌詞の意味考察 「僕たち」の共犯関係


目次
イントロダクション
語りの枠組み
「僕」と「あなた」の関係性
なぜ「僕たち」を使ったか?
タイトルの意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「結 -ゆい-」は、2016年10月5日にリリースされた、miwaのメジャー通算21枚目のシングル。2017年リリースの5thアルバム『SPLASH☆WORLD』にも、収録されています。作詞作曲はmiwa。

 この曲はNHK『みんなのうた』に採用されていて、僕が初めて耳にしたのも、この番組でした。他のことをしながら、テレビ画面を見ずに聴いていて、「声もメロディーも、やたらmiwaに似てるなぁ」と思っていたら、miwa本人の曲だったという…。

 初めて聴いたときから、いい曲だなと思っていました。その理由は、いかにもNHKらしく教育的なのに、奥にはプロテスト・ソングに通ずる、メッセージが含まれているから。

 「教育的」なんて書くと、小難しい感じがしますけど、リスナーに人生を説いた曲だということです。別にNHKのことも、miwaさんのことも、ディスってるわけじゃありませんよ。

 「結 -ゆい-」というタイトルのとおり、曲のテーマを端的に言うと、仲間との絆。しかし、ただポジティヴな言葉を重ねるだけでなく、世界の厳しさを説くところもあり、理想論と現実感のバランスが絶妙な楽曲です。

 その厳しさを説く部分に、前述のプロテスト・ソングの香りが漂うんですよね。ただ「仲間との絆を胸に頑張ろう!」と連呼するだけではなくて、孤独や大人とのコミュニーケーションといった、現代的な悩みも楽曲に落とし込まれています。

 基本的には若者に向けられた曲なのですが、大人との対立を煽るわけでも、世間の常識にツバを吐くわけでもなく、おだやかに励ますような歌詞です。少し年上の先輩が、後輩を励ますような感じ、とでも言うんでしょうか。

 また語りの内容も、具体的なストーリーを語るのではなく、抽象的にメッセージが記述されていきます。語り手は出てくるのですが、代名詞は「私」や「僕」ではなく、つねに複数形の「僕たち」。

 この代名詞が複数形になっていることに注目し、歌詞の意味を考察してみたいと思います。

語りの枠組み

 最初に語りの枠組みを確認しましょう。語り手が誰で、ほかに登場人物は出てくるのか。

 前述したとおり、歌詞に出てくる一人称代名詞は「僕たち」のみ。しかし、語り手が複数いるわけではなく、あくまで語っているのは「僕」ひとりだと想定されます。では、なぜわざわざ複数形の「僕たち」を使ったのか、その理由を考えてみます。

 まずは、ほかの登場人物を確認しましょう。「僕たち」のほかに使われている代名詞を確認すると、「あなた」が登場。語り手である「僕」が、「あなた」に向かって語りかけている構造だとわかります。

「僕」と「あなた」の関係性

 次に、語り手である「僕」と、励まされる「あなた」がどんな関係であるのか検討します。

 歌詞は、具体的な人物描写やストーリーが乏しく、どちらかというと、やや抽象的なもの。そんななかで、歌い出しとなる1番のAメロに、唯一とも言える「あなた」のスペックをあらわす情報があります。

 1番Aメロの歌詞を、以下に引用します。

「大人のために生きてるわけじゃない」と
うつむいた瞳には映らないけれど
見上げればこんなに青空は広いのに

 1行目の「大人のために生きてるわけじゃない」という一節。わざわざカギカッコで区別しているのは、語り手の発言ではなく、「あなた」の発言を引用しているという意味でしょう。

 「大人のために生きてるわけじゃない」ということは、発言者の「あなた」は大人ではない、つまり10代の若者を想定していることが分かります。

 また発言内容と、2行目に続く「うつむいた瞳」という描写からは、大人との対立も示唆されます。3行目には、語り手の「僕」が「あなた」を慰めたいという感情が、述べられているのでしょう。

 上記引用部で得られた情報をまとめると、「あなた」は若者であり、少なからず大人と緊張関係にある。そして語り手である「僕」は、そんな「あなた」を慰めている、という状況です。

 では「あなた」と「僕」は、どんな関係性にあるのか。「あなた」と同じ立場に立っていることから、「僕」と同様に大人ではなく若者であると想定できますが、上記引用部からは確定的な情報は得られません。

 しかしサビに入ると、より2人の関係を浮かびあがらせる言葉が並びます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

信じること
あなたの中に 眠ってる力に気づいて
あきらめないで
無駄なことなんて なにひとつないって思い出して
僕たちはなにより強い絆で結ばれている

 4行目までは「あなた」を励ます言葉が続いています。そして5行目には、先ほど指摘した「僕たち」という代名詞が登場。

 では、この「僕たち」は誰を指しているのでしょうか。普通に考えれば「語り手」である「僕」と「あなた」を指しているのでしょう。

 さらに、その後に続く「なにより強い絆で結ばれている」という一節。「僕たち」と一括りにできる点と、強い絆で結ばれているという点から、2人は対等な立場であることが窺えます。

 つまり、「僕」は「あなた」と同世代の友人であると考えるのが自然でしょう。

なぜ「僕たち」を使ったか?

 では、なぜわざわざ「僕たち」と複数形を用いたのか、考えてみます。

 前述のとおり「僕」と「あなた」が、対等であると示す効果もあるでしょう。しかし、複数形の「僕たち」を使わなくとも、2人が対等であると示すことは可能です。

 この曲で「僕たち」を用いたのは、「僕」と「あなた」をイコールで結び、価値観の共有を強調するため。さらには、歌詞のなかの「あなた」のみならず、リスナーをも巻き込む機能を持っている、というのが僕の立てた仮説です。

 「僕たち」という表現に、「僕」と「あなた」が含まれるのは、先ほど考察したとおり。しかし、この言葉の範囲はそれだけにとどまりません。

 複数形であるために、「僕」と「あなた」以外にも、同じ価値観を持つ、多くの人をとりこむことが可能。例えば、この曲を聴いているリスナーさえも、当事者として曲の世界にひきこむことが可能となります。

 これは、もしも複数形の「僕たち」を使わずに、単数形の「僕」が「あなた」に問いかける構造であったならば、不可能だったこと。

 「僕」が「あなた」へダイレクトに問いかける方が、メッセージ性は際立つ歌詞になっていたかもしれません。しかし、あくまでメッセージが前景化し、リスナーを楽曲の世界に参加させることはできないでしょう。

 「僕」と「あなた」以外の人をも含むことができるのが「僕たち」という複数形。つまり、この曲のメッセージに共感する人なら、誰でも「僕たち」の一部になれるということです。

 言い換えれば、曲の語り手は「あなた」に語りかけるのと並んで、リスナーにも語りかける構造が成り立っています。

 「僕たち」という言葉には、リスナーと共犯関係を結び、楽曲の世界にひきこむ効果があるということです。もちろん複数形を用いずとも、曲のなかの「あなた」に自分を照らし合わせて、共感する人もいるでしょう。

 この曲では、わざわざそのような変換作業をしなくとも、おのずから聴き手を曲のなかに引き込み、ますます共感性が高まっているということです。

タイトルの意味

 では、「僕たち」がリスナーをも巻き込む言葉だと確認したうえで、この曲がなにを訴えているのか、検討してみましょう。

 「結 -ゆい-」というタイトルにも集約されていますが、人と人との繋がりをテーマにした曲であるのは明らかです。

 歌詞には「結」という言葉そのものは出てきませんが、その代わりに「絆」という言葉が何回か出てきます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

遠ざかる雲
手を伸ばしても 届かないものもあるんだから
いちばん手に
入れたいものって 簡単じゃないでもあきらめない
僕たちはなにより強い絆で結ばれている

 4行目までは、手が届きそうにない夢でも諦めずに追いかけよう、というメッセージが、やや抽象的なかたちで記述されています。

 しかし、最後の5行目は一変して「僕たち」の絆についての記述。一見すると、前後の繋がりが無いように思われますが、逆にいくつもの解釈が可能なところでもあります。

 1番のサビでは、「僕」が「あなた」を励ます言葉が並んでいました。つまり、発言者と対象者がハッキリしていたということ。

 対して上記2番のサビでは、主語が曖昧なままになっています。特に4行目の「簡単じゃないでもあきらめない」。

 その前までは、1番と同じく「僕」が「あなた」にかけた言葉だと解釈できますが、4行目の「でもあきらめない」は、「僕」自身の決意のように響きます。

 もし「あなた」に対してかける言葉なら、「あきらめないで」とした方が自然でしょう。しかし「あきらめない」と言いきることで、主語と目的語が曖昧になっています。

 発言者と対象者が、一体となっているとも言えるでしょう。「結」というタイトルからも示唆させるように、人間同士の繋がり、とくに仲間がいるから頑張れる、という感情を描写しているということです。

 そのため、あえて「僕」と「あなた」の境界を曖昧にし、絆が前景化するようにしたのではないかと思います。

結論・まとめ

 ここまでの考察をまとめましょう。「結 -ゆい-」というタイトルを持つこの曲は、その曲名が示唆するとおり、仲間との繋がりがテーマとなっています。

 そのため、語り手が用いるのは単数形ではなく、複数形の「僕たち」。「僕」と「あなた」の境界をあえて曖昧にし、さらにはリスナーをも楽曲の世界に巻きこみ、人との繋がりの大切さを訴えていきます。

 メッセージをただ記述するだけでなく、語りの構造がメッセージの一部となっているのが、この曲の特異な点と言えるでしょう。

 直接的ではないけど、若者の立場から大人との対立を描いた曲でもあります。THE BLUE HEARTSや尾崎豊をカバーしたこともあるmiwa。

 あまり表には出さないけれど、思った以上に物申したいことがある人なのかなと想像します。

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けやき坂46「誰よりも高く跳べ!」歌詞の意味考察 誰よりも高くどこへ跳ぶ?


目次
イントロダクション
語りの構造
語り手はどこへ跳ぶ?
語り手VS大人
結論・まとめ

イントロダクション

 「誰よりも高く跳べ!」は女性アイドルグループ、けやき坂46の楽曲。作詞は秋元康。

 2018年6月20日リリースの1stアルバム『走り出す瞬間』、2016年11月30日リリースの欅坂46の3rdシングル『二人セゾン』Type-Bなどに収録されています。

 「誰よりも高く跳べ!」という命令形のタイトル。タイトルのとおりと言うべきなのか、疾走感の溢れる楽曲です。

 じゃあ、具体的にどこに向かって跳ぶ曲なのか? 結論から言うと、具体的にどこに跳ぶかという意味ではなく、自分を変えること、限界を超えることを歌った曲です。

 言い換えれば、物理的にジャンプすることを歌うのではなく、あくまで跳躍はシンボリックな意味で、自分を変えよう!というメッセージを伝える曲。

 具体的なストーリーや人物描写よりも、メッセージ性を重視した抽象的な歌詞とも言えます。前述したとおり、メロディーとリズムからは疾走感が溢れていますが、それと比例して歌詞にも推進力が溢れています。

 今回は、この曲における跳躍が意味することに注目しながら、歌詞を読み解いてみたいと思います。

語りの構造

 最初に語りの構造を確認しましょう。「構造」なんて書くと難しそうですけど、語り手がだれとか、登場人物の人数だとか、そういう基本的な情報です。

 まず、この曲には「私」や「僕」といった一人称の代名詞が出てきません。語り手が誰なのかハッキリしないのですが、とにかく語り手によって、聴き手をアジテートする言葉が発せられていきます。

 語り手に対する人物描写も、ほとんどなされません。しかし、Aメロの歌詞に「大人たちに教えられて来たのは妥協さ」と出てくるので、語り手自身は大人ではなく、10代ぐらいの若者ということでしょう。

 登場人物と呼べるのは、この語り手のみ。語り手が、ひたすら心情を記述していきます。

 次に時制の確認。これは、過去をふり返って語っているのか、あるいは現在の出来事を語っているのか、という視点のこと。

 例えばラブソングならば、昔を思い出して語っていたり、現在の相手に対する心情を歌っていたりと、様々な視点の曲があります。

 では、この曲はどうでしょうか。すべてが現在進行形とも言うべき勢いで、言葉がはじき出されていきます。

 まとめると、登場人物は語り手のみ。時制は現在形で、ひたすら語り手の心情がスピード感をともなって、記述されます。

語り手はどこへ跳ぶ?

 では、実際の歌詞を検討していきましょう。まず、歌い出しのサビの歌詞を、以下に引用します。

誰よりも高く跳べ!
助走をつけて大地を蹴れ!
すべてを断ち切り
あの柵を越えろ!
自由の翼を
すぐに手に入れるんだ
気持ちからTake off
One Two ThreeでTake off
ここじゃない
ここじゃない
ここじゃない
どこかへ

 「高く跳べ!」「大地を蹴れ!」「柵を越えろ!」と、命令形の言葉が続きます。先述したとおり、いずれも具体的にどこに跳べとは言っていません。

 5行目から「自由の翼を すぐに手に入れるんだ」という一節が、この曲のメッセージを端的にあらわしているのでしょう。

 なぜなら、命令形の連続のあとに、それらをまとめるように「自由の翼」以降の言葉が続くため。言い換えれば、具体的な指示をなさない命令形を、説明するために綴られた言葉ということです。

 さらに、引用部後半の「ここじゃない どこかへ」は、命令形の曖昧性と、自分を変えよう!というメッセージ性を、くりかえし強調しています。

 7行目の「Take off」は、離陸する、出発する等の意味を持ちます。接地しているものが、そこを離れるイメージです。

 この表現も、とにかく現状を打破すべき、というメッセージを補強していると言えるでしょう。

 タイトルにもなっており、歌い出しの歌詞でもある「誰よりも高く跳べ!」。では、どこへ向かって跳ぶのかといえば、具体的な方向を示すわけではなく、今すぐ行動を起こすことを、シンボリックにあらわしているのです。

語り手VS大人

 前述したとおり、語り手は若者だと想定されます。なぜなら、歌詞に大人に反抗する一節が出てくるため。

 当該部分が出てくる、1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

自分で勝手に限界を決めていたよ
世界とは常識の内側にあるって…
無理してみても何もいいことない
大人たちに教えられて来たのは妥協さ

 4行目の内容から、語り手は「大人たち」ではない存在であると想定されます。あるいは語り手も、現在は大人の年齢に達しているのかもしれませんが、いずれにしても大人に反抗する存在であることは確かです。

 では「大人」とは、なにを象徴しているのか。引用部2行目の「常識」をあらわしていると考えられます。

 1行目に「自分で勝手に限界を決めていた」とありますが、この理由は「無理してみても何もいいことない」と、大人に教えられてきたから。

 大人とは常識を代表しており、この曲は常識および限界を超えて、自分を変えろと訴えています。そして、それを象徴しているのが「誰よりも高く跳べ!」という言葉。

 上記引用部と同じように、語り手と大人の対立をあらわす表現が、もうひとつ出てきます。2番のサビ後に挿入される、Cメロの歌詞を以下に引用します。

金網の外
眺めてるだけじゃ
何にも変わらない
どこ向いても立ち入り禁止だらけさ
レジスタンス
守られた
未来なんて
生きられない

 5行目の「レジスタンス」。言うまでもなく、抵抗や反抗を意味する言葉です。

 上記引用部にはそれ以外にも、「金網」と「立ち入り禁止」というルールを連想させる言葉が使われています。先ほどの引用部でいえば「限界」「常識」「大人たち」に対応する、自分を縛りつける力ということでしょう。

 引用した部分のほかにも「困難や障害」「錆びたルール」「重い鎖」といった言葉が散りばめられ、この曲が自分を変えること、特に常識や固定観念など、自分を縛りつけるルールを脱しよう、と訴えていることがわかります。

結論・まとめ

 「誰よりも高く跳べ!」という言葉は、実際にジャンプすることではなく、自分を変えることを、シンボリックにあらわしていると最初に書きました。

 では、具体的に「自分を変えること」とは何か? 歌詞には、ルールや常識を意味する言葉が散りばめられているため、自分の固定観念を捨て、あらたな挑戦をすることだと考えられます。

 まとめると、常識や固定観念にとらわれず自分を変えろ!というメッセージを「誰よりも高く跳べ!」という一節で、シンボリックに描きだした曲。

 けやき坂46の曲ですけど、「レジスタンス」なんて言葉も使われていて、漢字の方の欅坂46を彷彿とさせる曲だとも思います。

 この曲、調性も長調だか短調だか判断しにくいのですが、メッセージ・ソングとしても、背中を押される応援ソングだったり、ちょっと暗い曲だったりと、聴き手によって印象の変わる曲なのではないかと思います。

 個人的には、古き良きロックが扱うテーマが、うまくアイドルのフォーマットに落とし込まれていて、聴いていてなかなかテンションが上がります!

 最後に音楽面のこともひとつだけ書かせてもらうと、「すべてを断ち切り」の部分の譜割りがいいですね。

 「すべ」「てを」「たち」「きり」って、歯切れよく2文字ずつ歌っていくところが、他の部分の流れるようなメロディーの中で、際立っています。

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乃木坂46「帰り道は遠回りしたくなる」歌詞の意味考察 好きだった「帰り道」から、新しい「知らない道」へ


目次
イントロダクション
タイトルの意味
「この場所」はどこか?
「帰り道」は何を意味する?
歌詞のなかでの時間経過
「帰り道」と「知らない道」
結論・まとめ
ミュージックビデオについて

イントロダクション

 「帰り道は遠回りしたくなる」は、女性アイドルグループ、乃木坂46の楽曲。2018年11月14日に、22作目のシングルとしてリリース。作詞は秋元康。

 2018年いっぱいでの卒業を発表している西野七瀬さんが参加する、最後のシングルとなります。(卒業コンサートは2019年に開催)

 そのため歌詞も、西野さんの卒業を連想させる内容。ただ、直接的に卒業や別れを語るのではなく、あくまで卒業ソングとしても解釈できる構造になっています。

 秋元康らしく、解釈がいくつも可能な歌詞とも言えるでしょう。

 このページでは、「帰り道は遠回りしたくなる」の歌詞を考察し、どのあたりが卒業を連想させるのか、明らかにしたいと思います。

タイトルの意味

 最初に「帰り道は遠回りしたくなる」という印象的なタイトルについて検討しましょう。

 まず気になるのは、タイトルが文章であること。いや、2000年代以降は、文章化したタイトルの作品が増えているので、もはや何も感じない人の方が、多いかもしれません。

 いくつか例をあげると、書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』、ライトノベル『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などなど。

 文章化したタイトルの長所は、端的に言ってしまえば、内容を想像しやすいところでしょう。では「帰り道は遠回りしたくなる」というタイトルは、どんな印象を与えるのか。

 まず「帰り道」は、どこかに行ったあとで、自分の家に帰る道ということ。なにかの終わりを感じさせます。その後に続く「遠回りしたくなる」には、まだ家には帰りたくない、という気持ちがあらわれています。

 つまり、出かけた場所が楽しかったので、この余韻を少しでも味わいたい、という心情なのでしょう。文字どおりの意味では「今日は楽しい1日だったので、帰るのが名残惜しく、だから遠回りしたくなる」となります。

 では、このタイトルを西野さんの状況にあてはめるとどうでしょうか。乃木坂46という場所から、離れるのが名残惜しい、ということになるでしょう。

 いずれにしても、終わりと始まりを思わせるタイトルであり、西野さんにあてはめると、乃木坂46への愛着を感じさせるタイトルです。

「この場所」はどこか?

 では、タイトルの意味を念頭におきながら、実際の歌詞を検討していきましょう。イントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

好きだった… この場所…

 「この場所」とは、どこを意味するのか。結論から言うと、具体的には記述されません。

 しかし、その前に「好きだった」とあるとおり、語り手の「僕」にとって居心地がいい場所であるには確かです。

 続いて、1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

やめられない漫画を途中で閉じて
顔を上げて気づくように
居心地いい日向もいつの間にか
影になって黄昏(たそがれ)る

 上記の引用部をまとめると、なにかに夢中になっていたら、いつの間にか多くの時間が過ぎていた、ということでしょう。

 3行目〜4行目では、「日向」が「黄昏」になることで、時間の経過をあらわしています。昼間をあらわす「日向」から、夕暮れを意味する「黄昏」への移行は、なにかの終わりを示唆しているとも言えます。

 その後に続く、Bメロの歌詞を、以下に引用します。

君と会って
過ぎる時間忘れるくらい夢中で話した
僕の夢は
ここではないどこかへ

 1行目の「君」が誰で、「僕」とどんな関係にあるのか。ここでも、具体的な情報は提示されません。

 前半2行は、Aメロの内容とも共通しており、「君」との会話は時間を忘れるくらい夢中になるものだった、という内容。しかし後半2行では、一変して「僕」の夢についての記述となっています。

 ここまでの歌詞の内容は、いずれも抽象的。断片的なイメージは伝わってきますが、具体的な状況や人物描写が、ほとんどありません。

 「帰り道は遠回りしたくなる」というタイトルですが、具体的にどこへ出かけ、どこから帰ってくるのか。そのような情報が、歌詞では語られません。

 では、詳細が語られない理由はなぜか。具体的なエピソードを語るのではなく、抽象的にメッセージを伝えるため、というのが僕の仮説です。

 この曲では「帰り道」や「この場所」といった言葉が、それぞれ表面上の意味だけでなく、より広がりのあるシンボリックな意味をともなっています。

 イントロ部分の「この場所」を例にとれば、自分が慣れ親しんだ居心地のいい場所を指しており、リスナーによって様々な意味に響きます。

 西野さんの状況にあてはめると、言うまでもなく乃木坂46が、居心地のいい「この場所」だということです。

「帰り道」は何を意味する?

 その後に続く歌詞も、文字どおりの意味をとるのは簡単ですが、いくつもの解釈が可能なかたちで記述されていきます。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

帰り道は 帰り道は
遠回りをしたくなるよ
どこを行けば どこに着くか?
過去の道なら迷うことがないから
弱虫(弱虫…)
新しい世界へ
今 行きたい 行きたい 行きたい
行きたい強くなりたい

 こちらの引用部の「帰り道」とは、なにを意味するのでしょうか。文字どおりの意味は、どこかに出かけ帰る途中の道。

 しかし引用部の「帰り道」には、それだけにはとどまらない意味が込められています。帰る途中の道とは、往路で一度は通った道だということ。

 引用部4行目の「過去の道なら迷うことがないから」という一節から、ここでの「帰り道」とは、帰路の意味だけでなく、過去に歩んできた道全般を指していることが分かります。

 つまり、もっとくだけた意訳をすると、帰路の意味だけでなく、すでに経験したできごと全般を指しているということです。

 そして、6行目の「新しい世界へ」には、新たな世界へ向かう意思がこめられています。帰り道に遠回りをしたくなる理由は、「この場所」を離れるのが名残惜しいばかりでなく、新しい道へ進む不安も、含まれているのでしょう。

 西野さんに置き換えると、乃木坂という馴れ親しんだ道を離れ、ソロ活動という新たな道へ進む、不安と決意を歌った曲と言えます。

 サビ後のブリッジ部分には、イントロ部分にあったメロディーと歌詞が、再び挿入されます。以下に引用します。

Oh!Oh!Oh! 好きだった… この場所…
Oh!Oh!Oh! 一歩目… 踏み出そう!

 上記の引用部には、1番の歌詞が伝えるメッセージが、凝縮されていると言えるでしょう。すなわち、馴れ親しんだ場所を離れ、知らない道、新しい道へと進むということです。

歌詞のなかでの時間経過

 2番に入っても、1番と同じく抽象的なかたちで、新しい道へ向かう心情が、綴られていきます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

街灯りが寂しくふと感じるのは
見慣れた景色と違うから
いつもの高架線が見えなくなって
どこにいるかわからない

 1番のAメロでは、「日向」から「黄昏」へと、時間の経過が描かれていました。上記2番では、1行目の「街灯り」から想定するに、さらに時間が進み、夜になっています。

 そして後半2行では、暗くなって景色が変わったために「どこにいるかわからない」、と記述されています。これは何を意味するのでしょうか。

 時間の経過は、別れが近づいていること。どこにいるかわからなくなったのは、新しい道へ進むことへの不安をあらわしている、というのが僕の考え。

 見慣れたはずの帰り道も、夜になって高架線が見えないことで、まったく違って見える。言い換えると、同じ場所にいても、環境が変わると全く違って見える、ということです。

 その後に続くBメロでは、語り手である「僕」の心情が綴られます。以下に引用します。

人は誰も
変わることに慣れていなくて昨日と同じように
今日も明日(あす)も
ここにいたくなるんだ

 説明する必要がないぐらい、単刀直入な内容です。注目すべきは時間の経過に比例して、語られる心情も変化しているところ。

 1番では「日向」と「黄昏」と共に、「君」との時間の大切さと、「僕の夢」がこの場所ではないどこかにあると、語られました。

 それに対して2番では、時間が夜まで進み、「僕」のより強い決意が書かれています。歌詞のなかでの時間の経過は、並行して「僕」の心情の変化もあらわしているのでしょう。

「帰り道」と「知らない道」

 2番のサビでも、「僕」の心情が記述されます。「弱虫」というワードと共に、不安な気持ちも含まれていた1番に対して、2番ではより強い決意が綴られます。

 2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

知らない道 知らない道
あと何回 歩けるだろう
夢の方へ 愛の方へ
風は道を選んだりはしないよ
このまま(このまま…)
ONE WAYの標識
でも 行くんだ 行くんだ 行くんだ 行くんだ
戻れなくても…

 上記の引用部も、表面上の意味をとるのは、それほど難しくありません。しかし、ここまでの歌詞と同じく、深読みを許容する表現が並んでいます。

 キーとなるのは「ONE WAYの標識」。「ONE WAY」とは、一方通行の意味。すなわち、その方向へ進んでしまったら、二度と引き返せないということ。歌詞でも「行くんだ 戻れなくても…」と綴られています。

 西野さんの状況に置き換えると、乃木坂に帰るのではなく、卒業してソロへと転向すること。そして、二度と乃木坂には戻らないことを意味します。

 上記引用部で、もうひとつ重要なのは、1行目の「知らない道」という表現です。1番の歌詞では、同じ位置に「帰り道は」が入っていました。

 入れ替わりで使用されているのも示唆的ですが、この曲では「帰り道」に対立する概念として「知らない道」という言葉が使われています。

 一貫して具体的なストーリーではなく、抽象的にメッセージを綴っていくこの曲。「帰り道」と「知らない道」も、文字どおり以上の意味をともなっています。

 先ほども触れたとおり「帰り道」は、帰る途中の道。すでに知っていること、慣れ親しんだ場所の象徴として、「帰り道」という言葉が使われているのでしょう。

 「知らない道」は、その逆の概念。つまり、まだ知らないこと、新しい場所を象徴した言葉なのだと考えられます。

 そして、語り手である「僕」は、知らない道へ進むことを選んだのです。

結論・まとめ

 考察してきたことを、まとめましょう。

 「帰り道は遠回りしたくなる」は、具体的なストーリーではなく、メッセージが前景化した歌詞を持っています。

 登場人物は、語り手である「僕」と「君」。「僕」が、慣れ親しんだ場所である「帰り道」から離れ、新しい世界を象徴する「知らない道」へ、踏み出すまでの心境が語られています。

 また、この曲をラストに乃木坂46を卒業する、西野七瀬さんを連想させる内容にもなっています。

 歌詞における「僕」が西野さん。「帰り道」が乃木坂46で、「君」が乃木坂のメンバー、「知らない道」が卒業にあたります。

 好きだった場所が名残惜しく、新しい世界への不安もあり、遠回りをしながらも、最後には「知らない道」へと踏みだしていく。それが歌詞の内容です。

 ここからは、自分の感情も含めて、書いていきたいと思います。若干の文の乱れは、ご容赦ください。西野さんのことも、以降は「なぁちゃん」と記載させていただきます。

 「帰り道は遠回りしたくなる」というタイトルが発表されたとき、学校あたりを舞台にした架空のストーリーを語り、なんとなく卒業も感じさせる曲なのではないかと想像していました。

 でも実際の曲は、想定を超えて卒業ソングでしたね。歌詞は思ったより抽象的だし、後半はもうなぁちゃんの卒業のことを歌っているとしか思えない内容です。

 なぁちゃんのおっとりしているけど、ときに芯の強さを見せる性格に、「帰り道は遠回りしたくなる」という言い回しはぴったりだと思います。

 本論では触れませんでしたが、「弱虫」という言葉が使われていながら、やがて新しい世界へ踏みだしていくところも、彼女の成長をあらわしているようで泣けます。

ミュージックビデオについて

 さて、結論のあとになりますが、ミュージック・ビデオについても、触れておきます。

 動画を観ていただければ、特に説明の必要もないぐらい、わかりやすい内容です。主役は、センターを務めるなぁちゃん。

 メガネをかけたなぁちゃんが、発車しそうなバスに向かって、走るシーンから始まります。描かれるのは、ふたつの並行世界。

 一方はバスに間に合い、そのまま学生を続ける世界。もう一方は、メガネを落としてしまいバスに間に合わず、たまたま道を歩いていたスカウトに出会い、アイドルになる世界。

 歌詞にも「帰り道」「知らない道」と何度も道が出てきますけど、人生には無数に道があるんだよ、という内容になっています。

 もちろん、なぁちゃん以外の乃木坂メンバーも出てくるのですが、歌詞の内容とも相まって、なんだか泣けてきます。

 僕は秋元真夏さん推しなのですけど、やっぱり推しでなくともメンバーの卒業は寂しい。本当に寂しいです。

 思い入れがある方はもちろん、そうでなくとも間口の広い歌詞であり、楽曲であると思います。ぜひ聴いてみてください!

 




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けやき坂46「ひらがなけやき」歌詞の意味考察 ダブル・ミーニングを持つ歌詞


目次
イントロダクション
「私」の新しい生活
2層の意味を持つ歌詞
2番での展開
「ひらがな」の意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「ひらがなけやき」は女性アイドルグループ、けやき坂46の楽曲。作詞は秋元康。

 2018年6月20日リリースの1stアルバム『走り出す瞬間』、2016年8月10日リリースの欅坂46の2ndシングル『世界には愛しかない』通常盤に収録されています。

 欅坂46の下部組織として設立された、けやき坂46。読み方は、正式に発表されているわけではありませんが、通常は「ひらがなけやき」。

 つまり、この曲はグループ名をタイトルにしているということです。前述のとおり、元々は欅坂46の下部組織としてスタートしたけやき坂46。

 グループ名を冠したこの曲は、そんなけやき坂46の状況とコンセプトをあらわした、メタ的な歌詞を持っています。

 具体的には、転校生が街に馴染んでいく過程と、けやき坂のメンバーがアイドル・グループとして馴染んでいく過程が、ダブル・ミーニングで語られます。

 本論ではこの曲の歌詞を考察し、けやき坂46の魅力を、少しでもお伝えできればと考えています。

「私」の新しい生活

 この曲の語り手は「私」。前述したとおり、この曲は「私」が、転校生として街に馴染んでいく過程を語っていきます。

 1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

きっと まだ誰も知らない
風の中を歩く私を…

 この時点では、まだ「私」が何者であるのか、どのような状況に置かれているのか、詳細は提示されません。「誰も知らない」という一節から、新しい環境であるということのみが示唆されます。

 より詳しい情報が、続くBメロで明らかになります。以下に引用します。

通学路に新しい制服
転校して来たの
秋が始まる頃…

 上記の引用部から、「私」が転校生であるという情報が明かされました。「制服」を着ているので、高校生あるいは中学生を想定しているのでしょう。

2層の意味を持つ歌詞

 ここまでは最低限の事実のみが記述され、「私」の心情は表れていません。しかしサビに入ると、少しずつ感情が綴られていきます。

 1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

一本の欅から
色づいてくように
この街に少しずつ
馴染んで行けたらいい
舞い落ちる枯葉たち
季節を着替えて
昨日とは違う表情の
青空が生まれる

 引用部の前半4行は、この街に馴染んでいきたい「私」の感情。後半4行では、これからの変化を予感、あるいは期待する言葉が続きます。

 引用部をまとめると、転校生が新しい生活に慣れていけたらいいな、これから新しい生活が始まるんだな、という感情が綴られた内容。

 文字どおりの意味はそのとおりなのですが、前述したとおりこの曲の歌詞は、けやき坂46の状況を語る二面性を持っています。

 まず、引用部1行目で象徴的につかわれる「欅」の文字。言うまでもなく、欅坂46の下部組織である、けやき坂46としての活動を示唆しています。

 さらに、6行目の「着替えて」という表現。Bメロには「新しい制服」という言葉が出てきましたが、「制服」は所属や職業をあらわすシンボルとして機能します。

 そして、その後に続くサビに出てくる「季節を着替えて」という表現。通常は、季節に対して、着替えるという言葉は使いません。

 「着替えて」という表現は、季節の移り変わりを意味するのと同時に、けやき坂のメンバーたちが普通の少女から、アイドルへと変化することをも意味すると解釈できます。

2番での展開

 2番に入ると、引き続き二層性をともなって歌詞が進行。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

少し みんなとは離れて
不安そうに歩く私に…

 上記の引用部は、転校生が周囲になじめない様子と、けやき坂のメンバーがアイドル活動にまだ慣れない様子が、ダブル・ミーニングになっています。

 その後に続くBメロの歌詞を、以下に引用します。

声を掛けてくれたクラスメイト
隣に並んだら
古い親友みたい

 上記Bメロは、Aメロとはコントラストをなし、一変して環境への対応が記述されます。しかも、3行目に「古い親友みたい」とあり、この環境が自分のいるべき場であると読み取れます。

 そして、サビには以下の言葉が続きます。2番のサビの歌詞を、以下に引用します。

街角の欅って
いつだってやさしい
通(かよ)ってたあの道も
同(おんな)じ風景で…
来年の若葉には
何を想うだろう
思い出がいくつも重なって
木漏れ日が生まれる

 1番では、変化をあらわすシンボルとして「欅」が用いられていました。それに対して上記2番では、同じく「欅」が出てきますが、担っている機能は異なります。

 3〜4行目に「通(かよ)ってたあの道も 同(おんな)じ風景で…」とあるように、ここでは転校してきた新しい街にある欅と、以前住んでいた街にある欅を比べ、その共通点を確認しています。

 つまり、1番では変化をあらわし、2番では変わらない部分をあらわしているということです。

 さらに5行目以降では、未来を想像する言葉が続きます。まとめると、1番では「欅」が変化をあらわすシンボルとして機能し、変わりゆく「私」の状況を記述。2番では「欅」が変わらない部分の象徴として機能し、未来の状況を想像する内容となっています。

 では、この差異はなにを意味するのか。環境は変わり続けるけど、自分の中には変わらない部分、変えてはいけない部分があることを、あらわしているのではないかと思います。

 また1番と2番では、時間が経過しています。1番は転校したばかりの時期。対して2番は、しばらく時間が経ち、新しい環境に慣れ始めた時期。そして時間の経過と共に、「私」の心情も変化しています。

 歌詞の中では、転校生が新しい環境に馴染んでいく過程が描かれています。ではこれを、けやき坂のメンバーにあてはめると、どのように読みとれるでしょう。

 アイドル活動に慣れつつも、「欅」の木が変わらないように、自分の目標や素直な気持ちを失ってはならない、というのが僕の仮説です。

「ひらがな」の意味

 上記の仮説につながる言葉が、2番のサビ後のCメロには綴られます。以下に引用します。

これからよろしく
ひらがなのように
素直な自分で
ありのまま…

 クールな印象の欅坂46に対して、よりカジュアルで親しみやすい印象のけやき坂46。彼女たちのコンセプトが、上記の引用部に凝縮されていると言っていいでしょう。すなわち、ひらがなのように素直なままでいるということ。

 『サイレントマジョリティー』でデビュー以来、コンセプチュアルな楽曲とイメージを作り上げてきた欅坂46。その下部組織としてスタートしたけやき坂46は、よりありのままのキャラクターを前面に打ち出すことで、差別化をはかっているということです。

 上記の引用部には、姉妹グループでありながら質の違いを生み出す、という運営方針と、「けやき坂46」のコンセプトが、端的にあらわれています。

結論・まとめ

 以上、「ひらがなけやき」の歌詞を、ダブル・ミーニングを意識しながら読みといてきました。

 転校生とアイドル活動。異なる新生活をダブル・ミーニングで描くこの曲は、一貫して新しい環境への不安と期待が綴られています。

 そして、曲のクライマックスと言うべきCメロで綴られるのが「ひらがなのように 素直な自分で」という、もっとも重要なメッセージ。

 転校生にとっては新生活への心がまえであり、けやき坂のメンバーにとってはグループのコンセプト。最後まで二面性を保ったまま、きれいに着地する歌詞です。

 僕は基本的にはスタダDDなんですけど、「ひらがな推し」を観ているうちに結構ハマってしまい、けやき坂のアンセム的なこの曲の歌詞を考察してみました。

 みんな素直で、本当に良いグループ。基本的には箱推しですけど、現時点では柿崎さん、渡邉さん、松田さんを特に応援してます。

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