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BiSH「オーケストラ」歌詞の意味考察 オーケストラのように響き合う感情


目次
イントロダクション
「オーケストラ」の意味
「君」の不在
「僕」と「君」の関係
「語る声もオーケストラ」とは?
強調される「君」の不在
結論・まとめ

イントロダクション

 「オーケストラ」は、女性アイドルグループ、BiSHの楽曲。2016年10月5日リリースの3rdアルバム『KiLLER BiSH』に収録されています。

 作詞は松隈ケンタとJxSxK。作曲は松隈ケンタ。

 「楽器を持たないパンクバンド」を掲げて活動するBiSH。「オーケストラ」と名付けられたこの曲は、ストリングスも導入され、いかにもロックバンドがやりそうな、壮大な展開の楽曲となっています。

 「壮大」と言われても、何を言っているのかハッキリしませんよね。具体的には、アレンジもコード進行もメリハリがハッキリしていて、歌詞も人の繋がりという普遍的なテーマを扱っています。歌詞も音楽も、レンジが広いとも言えます。

 で、今日ここで扱いたいのは、この曲の歌詞についてです。前述のとおり、人との繋がりをテーマにした歌だと、個人的には考えています。

 BiSHのメンバーの歌唱も相まって、名曲のアウラが漂う1曲になっているので、その魅力の一端でも伝わるよう、この曲の歌詞の深さを考察し、ご紹介したいと思います。

「オーケストラ」の意味

 タイトルになっている「オーケストラ」という言葉。歌詞の中にも出てくるのですが、まずはこの言葉がどういった意味で使われているのか、検討しましょう。

 辞書などに載っている「オーケストラ」の文字通りの意味は、管弦楽あるいは管弦楽団のこと。もっと砕けた言い方をすれば、ストリングスとラッパと笛を備えた、大人数の演奏団体。

 しかし、BiSHの「オーケストラ」は、クラシック音楽を演奏する楽団のことを歌った曲ではありません。では、何を歌っているのか。結論から言ってしまうと、人と人の繋がりや、響き合う感情を歌っている、というのが僕の仮説です。

 前述のとおりオーケストラというのは、多くのメンバーがそれぞれ自分の楽器を担当し、ひとつの大きな作品を作り上げます。いわば、多くの人々が響き合うコミュニケーションであり、共同作業であるわけです。

 BiSHの「オーケストラ」は、この管弦楽団としてのオーケストラを、人間関係に照らし合わせ、響き合う感情を歌っているのではないか、と僕は考えています。

 では、この仮説に基づいて、実際の歌詞を読み解いていきます。

「君」の不在

 最初に、登場人物を確認しておきましょう。出てくるのは、語り手である「僕」と「君」。「僕」が「君」との過去を語っていくのが、歌詞の内容です。

 また、2人は過去には一緒にいましたが、現在は会えない状態にあるようです。

 2人はどのような関係であるのか、「僕」はどんな感情を抱いているのかが、少しずつ明らかになっていきます。まずイントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

見上げたあの夜空に
浮かぶ星達
ふと君の声が
あの頃輝いてたかな?
今になっては
ずっと分からないまま

 引用部1行目から3行目は、「僕」が夜空を見上げていたら、ふと君の声を思い出した、ということでしょう。

 3行目の「あの頃輝いてたかな?」の、「輝いていた」の主語は何だと解釈すべきでしょうか。2行目の「星達」を主語として、以前「僕」が見た夜空に星は輝いてたか考えている、とも取れます。

 また、「あの頃」と期間がある程度の長さを帯びているため、「僕」と「君」が一緒に過ごしたかつての日々が、輝いていたかどうかを思い返している、とも解釈できます。

 個人的には、後者の解釈の方がしっくりくると考えていますが、重要なのは細かい内容よりも、「僕」と「君」は今では会えない状態であることが明かされている点。

 イントロで「君」の不在が印象づけられ、この後の歌詞も「僕」が「君」を回想するかたちで進行します。

「僕」と「君」の関係

 Aメロに入ると、2人のエビソードが断片的に語られていきます。「僕」と「君」は、友達なのか、恋人同士なのか。結論から言えば、歌詞の中にはハッキリと示されていませんが、恋人同士であったことが示唆されます。

 しかし、具体的に恋人だったかというステータスの問題よりも、「僕」にとって「君」はどんな存在だったか、どのように感情が動いたか、という点の方が重要なように、僕には思われるのです。

 それでは、2人の関係性と「僕」の感情がどのように動いたのか、という点を意識しながら、歌詞を考察していきます。

 1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

あの時
君がついた嘘
問いただせずに
泣いたあの坂道
この先
君と会えないの
離れ離れに
身を任せてた

 引用部の前半4行では、「君」の嘘が「僕」を傷つけたエピソードが綴られています。後半4行は、前半の嘘の結果として、2人は会えない状態になってしまったことが記述されています。

 7行目から8行目の「離れ離れに 身を任せてた」とは、特に行動を起こすことなく、2人の関係が平行線のまま、時間が過ぎるのを表しているのでしょう。

 続いて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

いつもの後悔が風に消えてく
誰にもみせないその姿を
もうちょっとだけ
見てたかったんだ
時がそっと睨んでいる

 上記引用部をまとめると、「僕」が行動を起こさず、「君」と会えないままになったのを、後悔しているということ。Aメロの歌詞の続きと言えます。

 一見すると、行動を起こさず、「君」との関係が好転しないAメロの内容を、繰り返しているようにも思えますが、明らかな違いがあります。それは最後の1行「時がそっと睨んでいる」の部分。

 Aメロでは時間の経過を「身を任せてた」と表現していました。対してBメロでは、「時がそっと睨んでいる」となっています。この表現からは、時間が過ぎることで、焦りや後悔の念が大きくなっていることが伝わります。

 また、引用部2行目から4行目の「誰にもみせないその姿を 見てたかった」という表現からは、2人が親密な関係にあったことが分かります。

 「君」には「僕」にしか見せない一面があった、それだけ心を許し、親密な関係だったという意味でしょう。

「語る声もオーケストラ」とは?

 ここまでの歌詞では「僕」と「君」が会えない状況にあること、「僕」はそれを後悔していることが、語られてきました。

 サビに入ると、「僕」のより感情的な言葉が綴られます。1番のサビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

その手と手繋いで
笑いあった声
忘れはしないよ
こんなにも流してた涙も
語る声も オーケストラ

 上記引用部をまとめると、「僕」が「君」のことを思い出し、感傷的な気分になっているということでしょう。引用部5行目には、タイトルにもなっている「オーケストラ」という言葉が出てきました。

 先ほど「オーケストラ」は響き合う感情を表す、という仮説を立てました。引用部の4行目から5行目を、仮説に基づいて解釈すると、君を思って流した涙も語った声も、君との感情の共鳴だった、ということ。

 意味としても矛盾がありませんし、仮説の妥当性が認められるのではないかと思います。涙を流すほど感情が動くコミュニーケーションを、上記引用部では「オーケストラ」と表現しているのではないでしょうか。

 その後に続くサビの2連目は、「君」の不在を強調する内容となっています。以下に引用します。

やがて訪れたよね
さよならの声
忘れはしないよ
あんなにも近くにいたはずが
今では繋がりなんて
あの空だけ

 前述したとおり、上記引用部では「僕」が「君」と会えなくなったことを、感傷的に語っています。

 「空は繋がっている」という趣旨の表現は、歌詞にたびたび使われますが、上記引用部でも「君」との繋がりが空ぐらいしかない、つまりほとんど繋がりがない、という意味で使われています。

強調される「君」の不在

 2番に入っても、繰り返し「君」の不在が語られていきます。重なる表現も多いので、印象的な部分のみピックアップして、考察していきましょう。

 まず、2番のAメロ前半の歌詞を、以下に引用します。

夜空の
交換をしよう
馬鹿らしくなって
投げた午前3時

 「夜空の交換をしよう」とは、今は会えない「君」もどこかで夜空を見上げていることを想像し、「僕」も夜空を見上げている、ということ。

 そして「馬鹿らしくなって 投げた午前3時」とは、そんなことをしても「君」に会えるわけでなく、馬鹿らしくなって午前3時にやめた、ということです。

 想像力を使いながら読む必要がありますが、だいたいそんな意味ではないかと思います。

 次に、2番のBメロ1行目の歌詞を、以下に引用します。

いつものジョークが街に消えてく

 上記引用部は、「君」に会えない虚しさを表しているのでしょう。以前は「君」がジョークを聞いてくれたけど、今ではその相手がいないという意味です。

 Bメロの2行目以降は、1番のAメロとは逆に、誰にも見せない「僕」の姿を、「君」にもっと見せたかった、と記述されます。

 そして2番のサビでは、再びオーケストラ」という言葉が使われ、「君」の不在が強調されています。サビ1連目の歌詞を、以下に引用します。

この目と目合わせて
はっきりとしたい
もうできないかな
こんなにもどかしくて
辛いのが
音を立てる オーケストラ

 1番のサビでは、「君」と一緒にいた日々を、懐かしむ言葉が綴られていました。それに対して、上記2番のサビでは、より「君」の不在を悲しむ感情にフォーカスしています。

 引用部6行目の「オーケストラ」は、辛い気持ちを、壮大に響き合い、音を立てるオーケストラに例えています。

 これは「僕」が大きな悲しみを感じていること、そして「君」との繋がりがその要因であることを、表しているのでしょう。言い換えれば、2人が出会わなければ、このように大きく感情が動きことも、なかったということです。

 さらにサビの2連目では、「僕」の抱える辛さが、より強調されて綴られます。以下に引用します。

どこで何をしてるの?
分からないのは
僕のせいなんだね
永遠にこんな日がくるなんて
神様イタズラなら
呪いたいぐらい

 上記の前半3行は、「君」に会えなくなってしまった理由は、「僕」自身にあると思い返しているのでしょう。

 「君」が「どこで何をしてるの?」か知りたいけれど、もう会えないので聞くことができない。そして、その要因は「僕のせい」だと語っています。

 4行目の「永遠にこんな日がくる」とは、前半3行との繋がりを考えると、「君」に会えない日々が永遠に続くこと。言い換えれば、もう「君」とは会えない状態であることを意味します。

 5行目と6行目の「神様イタズラなら 呪いたいぐらい」という一節は、「僕」の悲しみの深さを表した表現です。

結論・まとめ

 以上、歌詞のなかで「オーケストラ」という言葉がどのような意味を持つのか、という点を意識しながら、歌詞を読み解いてきました。

 人との繋がりにおいて生まれる感情を、管弦楽団という意味でのオーケストラに例えて表している、というのが僕の結論。

 この曲では、特に「僕」が「君」との繋がりにおいて抱いた辛さや悲しみを、「君」と響きあうことで生まれた感情という意味で「オーケストラ」と表現しています。

 まとめると、人との別れで生じる喪失感を、「オーケストラ」という言葉に込めた曲。

 「僕」と「君」は恋愛関係にあったと想定できますが、単純に付き合った別れたという話ではなく、より深い意味での別れや悲しみについて、歌った曲だと思います。

 ミュージック・ビデオは、女子高生らしき2人が秘密の恋を育むストーリーと、BiSHのメンバーの歌唱シーンが切り替わりながら進みます。

 女子高生役の2人の表情も、BiSHのメンバーのエモーショナルな歌唱も素晴らしく、音だけで聴くよりも、楽曲の魅力を引き出してくれる映像です。

 最初にも書きましたけど、これぞ名曲!という空気が充満していて、僕は聴いてると涙が出てきます。ぜひ、ミュージック・ビデオも併せてご覧ください。

 




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米津玄師「Flamingo」歌詞の意味考察 フラミンゴは何を象徴するか?


目次
イントロダクション
「フラミンゴ」が意味するもの
1番Aメロ
1番Bメロ
1番サビ
2番Aメロ
2番Bメロ
2番サビ
Cメロ
結論・まとめ

イントロダクション

 「Flamingo」は、徳島県出身のシンガーソングライター、米津玄師の楽曲。両A面シングル『Flamingo / TEENAGE RIOT』として、2018年10月31日にリリース。作詞作曲は米津玄師。

 「難解」と言うと語弊があるかもしれませんが、歌詞にも音楽にも、ねじれた魅力があるのが米津玄師さんの楽曲の特徴。

 メジャー9枚目のシングルとしてリリースされた「Flamingo」も、実験性と大衆性が同居した、アヴァンギャルド・ポップとでも呼びたい質を備えています。

 歌詞も、一聴しただけでは、なかなか本質を掴めません。小説でも音楽でも映画でも、一筋縄ではいかないものが、個人的に大好き。

 なおかつ、作品に関してあれこれ考えるのも大好きなので、この曲の歌詞の意味を、考察してみたいと思います。

「フラミンゴ」が意味するもの

 まずは「Flamingo」というタイトル。歌詞にも「フラミンゴ」と出てきますが、まずはこの言葉がなにを意味するのか考えてみましょう。

 「フラミンゴ」とは鳥の一種で、鳥綱フラミンゴ目フラミンゴ科の総称。日本ではベニヅルとも呼ばれ、オレンジ色やピンク色をした姿が特徴です。また、水辺にいる時は、水に体温を奪われにくくするため、片足で立つという特徴もあります。

 以上をまとめると、フラミンゴは見た目は華やかだが、やや不安定な存在、ということになるでしょう。

 次に、歌詞の登場人物を確認します。まず、確実に出てくるのは「あなた」。そして、「あたし」という一人称代名詞を使う、語り手。ただ、「あたし」という言葉は、Cメロに1回出てくるだけです。語り手が、主に「あなた」のことを語っていくのが、歌詞の大まかな内容です。

 歌詞の中では「あなた」のことを、「フラミンゴ」だと表現しています。また、歌詞カードなどには記載されていませんが、実際には「フラフラフラフラミンゴ」と歌われています。

 繰り返される「フラフラ」は、不安定な状態を強調しているとも取れます。「あなた」は華やかだが、不安定な要素を持った存在として描かれている。ひとまず、そう仮定しましょう。

 登場人物は、語り手と「あなた」。「あなた」はフラミンゴに例えられ、華やかで不安定な存在。以上を念頭に置きながら、歌詞を読み解いていきます。

1番Aメロ

 この曲の歌詞は、なかなかに難解なので、順を追って確認していきたいと思います。まず1番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り
枯れた街 にべもなし 佗びしげに鼻垂らし へらへらり

 主語が示されていませんが、語り手が主語であると仮定して、読み進めます。

 上記引用部には、漢字が多く、古語を思わせる言葉が並びます。一聴すると掴みにくい歌詞ですが、言葉をひとつずつ確認すると、多くの情報が提示されていることが分かります。

 まず「宵闇に」という言葉から、時間は夜であることが判明。「爪弾き」は「嫌われる」「非難される」といった意味ですから、前の言葉と合わせると、夜に嫌われたような状態であるということ。

 「悲しみに雨曝し」からは、天気が雨であること、語り手が悲しみに暮れていることが分かります。

 「花曇り」とは「桜が咲くころの曇天」を意味しますから、季節が春であることも判明。

 引用部1行目で得られた情報をまとめると、時間は夜、天気は雨、季節は春。語り手の悲しみにくれた状態が、「爪弾き」「雨曝し」という言葉で表されています。

 続いて2行目。「枯れた街」は、寂れた街の様子を描写、あるいは感受性を無くすぐらい打ちひしがれた、語り手の状態を表しているのでしょう。

 「にべもなし」とは、「愛想がない」「そっけない」という意味。「枯れた街」の様子を、語り手はそっけないと表現しています。

 その後の「佗びしげに鼻垂らし へらへらり」からは、悲しみに暮れた語り手のボロボロな様子が伝わります。

 上記Aメロの歌詞では、場面設定が明らかにされ、語り手の状態が描写されています。

1番Bメロ

 続いて、1番のBメロの歌詞を、以下に引用します。

笑えないこのチンケな泥仕合 唐紅の髪飾り あらましき恋敵
触りたいベルベットのまなじりに 薄ら寒い笑みに

 Aメロとは変わって、現代の口語に近い言葉使いとなっています。

 前述したとおり、歌詞に出てくるのは語り手と「あなた」の2人。1行目の「泥仕合」とは、語り手と「あなた」の間に起こった、いざこざの事でしょう。

 「髪飾り」からは、「あなた」が女性であること、「恋敵」という言葉からは、「泥仕合」が男女関係のもつれである事が示唆されます。

 2行目の「ベルベット」とは、日本では「ビロード」とも呼ばれる、柔らかく上品な光沢を持つ布地のこと。「まなじり」とは、目じりのことです。

 ビロードのような目じりに触りたい、ということは、やはり語り手と「あなた」は、男女関係にあると想定できるでしょう。

1番サビ

 Aメロでは設定と語り手の状態が提示され、Bメロでは語り手と「あなた」の関係性が示唆されました。

 サビに入ると、より具体的に2人の関係が記述されます。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま
ふらふら笑ってもう帰らない
寂しさと嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

 1行目の「あなたフラミンゴ」とは、「あなた」はフラミンゴのような存在である、ということでしょう。フラミンゴが、華やかで不安定な存在を表す、と先ほど仮定しました。

 1行目の「鮮やかなフラミンゴ」、2行目の「ふらふら」という表現からは、この仮説の妥当性が確認できます。上記1〜2行目は、「あなた」が華やかで魅力的な女性であるが、ふらふらと自由で自分だけのものにする事はできない、ということを示しているのでしょう。

 では、2人が具体的にどのような関係にあるのか。3行目と4行目に、示唆的なかたちで記されます。

 3行目の「寂しさと嫉妬ばっか残して」は、語り手以外の男性の存在を感じさせる表現です。この一節のみだと、「あなた」と語り手は恋愛関係にあるが、「あなた」には浮気相手がいる、あるいは不倫関係にあると想定できます。

 しかし、4行目に続くのは「毎度あり」という言葉。商売を連想させるこの言い回しからは、「あなた」が遊女であり、語り手は客である、という関係性が示唆されます。

 もちろん示唆的に語られるだけで、確定した情報は提示されないのですが、語り手が雨に打たれながら、夜の街を彷徨うイメージから始まり、なんとも怪しく独創的な世界観が描かれています。

2番Aメロ

 語り手が客、「あなた」が遊女という関係を、ひとつの仮説として頭に置きながら、2番の歌詞を読み解いていきましょう。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

御目通り 有難し 闇雲に舞い上がり 上滑り
虚仮威し 口遊み 狼狽に軽はずみ 阿呆晒し

 1番と同じく、Aメロは古語を思わせる言葉が羅列されます。

 1行目の「御目通り」とは、目上の人に会うこと。「上滑り」とは、深みがなく軽々しいことを言います。引用部1行目をまとめると、「あなた」に会えたことが嬉しくて舞い上がり、軽い言葉しか交わすことができなかったということ。

 「虚仮威し」(こけおどし)から始まる2行目は、1行目の内容を強調し、繰り返し語っているのでしょう。

2番Bメロ

 続いて、2番のBメロを下記に引用します。

愛おしいその声だけ聴いていたい 半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶
下らないこのステージで光るのは あなただけでもいい

 引用部1行目の「愛おしいその声だけ聴いていたい」は、語り手の「あなた」に対する気持ちということでしょう。

 しかし、その後に続く言葉は、解釈に迷います。「半端に稼いだ泡銭」は、そのままでも意味は分かります。「昼鳶」は「こそどろ」や「スリ」を意味するので、「タカリ出す昼鳶」は「盗みを働き始めるこそどろ」程度の意味でしょう。

 意味としては上記のとおり。迷うのは、主語が誰か、という点です。主語を語り手とするなら、自分が稼いだお金を、こそどろに盗まれてしまう、という意味になります。

 あるいは特定の主語を想定しているのではなく、世間一般のことを言っている、とも取れます。この場合の意味は、適当に稼いだお金を、こそどろに盗まれるこの世界、といった感じでしょうか。

 主語は語り手か、世間一般か。いずれであったとしても、その後に続く2行目の言葉とは、スムーズに繋がるように思います。

 「下らないこのステージ」とは、世間一般のこと。そのように解釈すると、引用部2行目は、あぶく銭も奪われるような下らない世界で、価値があるのは「あなた」だけでいい、という意味になります。

 具体的には語られていませんが、「あなた」が遊女だと仮定すると、世間一般ではなく遊郭のシステムを指している、とも取れるでしょう。

 どちらの解釈を取るにしても、語り手が「あなた」を愛おしく思う気持ちが、上記引用部では語られています。

2番サビ

 1番のサビでは、「あなた」を鮮やかで不安定なフラミンゴに例えていました。2番のサビでも、共通してフラミンゴを用いているのですが、表現内容が1番とは異なります。2番のサビを、以下に引用します。

それはフラミンゴ 恐ろしやフラミンゴ はにかんだ
ふわふわ浮かんでもうさいなら
そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ
畜生め 吐いた唾も飲まないで

 1番では「鮮やかなフラミンゴ」と、その鮮やかさにフォーカスしていました。しかし、2番では「恐ろしやフラミンゴ」という言葉に代わっています。

 ここで「フラミンゴ」が何を意味するのか、思い出しましょう。先ほど、フラミンゴは色が鮮やかで片足で立つことから、「華やかで不安定な存在」を表していると仮定しました。

 上記2番のサビを、1番のサビと比較してみましょう。1番は、鮮やかさにフォーカスした表現。2番は、不安定さにフォーカスした表現ではないかと思います。

 言い換えると、1番は不安定な存在であると分かっていながら、鮮やかさに負けて「あなた」に夢中になってしまう心情。2番では、「あなた」は不安定な存在であるために、決して自分のものにはならず、入れ込むと傷つくという状況が、記述されているということ。

 どんなに語り手が「あなた」に想いを寄せても、「あなた」はふわふわと去ってしまう。そのような状況が、上記2番のサビでは語られています。

Cメロ

 2番のサビの後には、歌詞の内容としてクライマックスと言うべき、Cメロが挿入されます。以下に引用します。

氷雨に打たれて鼻垂らし あたしは右手にねこじゃらし
今日日この程度じゃ騙せない 間で彷徨う常しえに
地獄の閻魔に申し入り あの子を見受けておくんなまし
酔いどれ張り子の物語 やったれ死ぬまで猿芝居

 引用部1行目の「氷雨に打たれて鼻垂らし」は、1番のAメロの歌詞と同じく、精神的にボロボロになった語り手の様子を描いているのでしょう。

 その後の「あたしは右手にねこじゃらし」は、語り手が「あなた」の気を引こうと、策を考え、行動することを「ねこじゃらし」に例えています。

 2行目は「ねこじゃらし」のイメージから繋がり、ねこじゃらしのような子供騙しの策では、「あなた」を振り向かせることはできない、という内容。

 3行目の「あの子」は、「あなた」を指すのでしょう。3行目全体では、「あなた」と結ばれることのない語り手が、閻魔様に「あなた」のことを考慮してください、と頼んでいます。

 ここで「地獄の閻魔」様が出てきた理由は、現実では語り手と「あなた」が結ばれることはあり得ない。しかし、どうしようもないほど、語り手が「あなた」に夢中になっている状態を、表すためだと考えます。

 4行目の「張り子」とは、「はりぼて」とも言われる、中が空洞になった造形技法のこと。1行目の「ねこじゃらし」と同じく、語り手の無力な状態を表しています。引用部最後の「猿芝居」も、「ねこじゃらし」と「張り子」のイメージを、繰り返し強調。

 上記Cメロの歌詞をまとめると、語り手は「あなた」を思い続け、実際に行動もするが、どれもハリボテのような内容ばかりで、実を結ぶことはない。しかし、語り手はそれを一生続けようと思うぐらい、「あなた」に夢中である、という内容です。

結論・まとめ

 以上、タイトルにもなっている「フラミンゴ」(Flamingo)が何を意味するのか、という点を手がかりにしながら、歌詞を読み解いてきました。

 内容としては、語り手がフラミンゴのように鮮やかで不安定な存在の「あなた」に恋をするが、成就することはない状況を、語り手の視点から綴っています。

 しかし、この曲の歌詞において重要なのは、その内容よりも語りの手法。クラシカルな言葉を用いながら、前の言葉のイメージが、後ろの言葉へと、数珠のように連なっていきます。

 イメージの大群がサウンドと共に押し寄せ、圧倒されるのが、この曲の魅力だと思います。ミュージック・ビデオも秀逸。

 ぜひミュージック・ビデオを観ながら、音楽から溢れ出るイメージに、圧倒される体験をしてください。

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miwa「ミラクル」歌詞考察 ×××××に入る言葉と意味は?


目次
イントロダクション
設定確認
「私」と「あなた」の関係性
×××××部分に入る言葉
「ミラクル」の意味
結論・まとめ

イントロダクション

 「ミラクル」は、2013年4月24日にリリースされた、miwaの11枚目のシングル。2013年5月22日にリリースされた3rdアルバム『Delight』にも、収録されています。

 作詞はmiwa。作曲はmiwaとNaoki-T。

 タイトルの「ミラクル」とは、奇跡を意味する英語の「miracle」。

 漢字の「奇跡」ではなくて、カタカナの「ミラクル」。その表記が示唆するように、歌詞もメロディーも、軽やかな疾走感を持った楽曲です。

 「ミラクル」と言うからには、歌詞には奇跡的な出来事が扱われるはず。結論から言ってしまうと、キラキラした恋心を歌った曲です。

 結論だけを聞くと、なんだかあっけないと感じられるかもしれません。でも、実際には「ミラクル」と呼ぶにふさわしい、キラキラした感情が詰め込まれた歌詞になっています。

 また、歌詞には「×××××」と伏せられた部分があります。もちろん、ここには「F××k」のような汚い言葉が入るわけではなく、作者の意図によって伏せられています。

 では、なぜこの部分を伏せ字にしたのか。そもそも、ここに入る言葉はなにか。

 タイトルの「ミラクル」とも重なってきますので、上記の伏せ字の意味と、ミラクルが具体的になにを指すのか意識しながら、この曲の歌詞を読み解いてみたいと思います。

設定確認

 先ほど、この曲は「キラキラした恋心を歌った曲」だと書きました。それだけだと、あまりにも情報が少なすぎるので、まずは歌詞の設定を確認していきましょう。

 まず、登場人物は語り手である「私」と、「あなた」の2人。設定された季節は夏です。

 「私」が「あなた」に抱く恋愛感情が、夏らしいイメージを散りばめながら、疾走感を伴って描写されます。

 語りの時制は、過去形でも現在形でもなく、常に現在進行形と言いたくなるぐらい、「私」の溢れ出る感情が綴られていきます。
 

「私」と「あなた」の関係性

 歌詞の大枠が確認できたところで、実際の歌詞を確認していきましょう。まずはAメロの歌詞を、以下に引用します。

日射しが照りつける空の下 笑顔ひとつこぼれる
夏の恋に飛び込んで
ユラユラ揺れる心の波間に 流れ着いた あなたがいた
熱くなるこの気持ち
手のひらから伝わる熱 私だけじゃないよね

 上記引用部では「私」が「あなた」に恋する過程が語られています。注目すべきは、具体的なエピソードではなく、あくまで「私」の心情にフォーカスしているところ。

 1行目の「笑顔ひとつこぼれる」は、主語が書かれてはいませんが、「私」のことでしょう。歌い出しは、「私」の心がときめく瞬間から始まっています。

 2行目の「夏の恋」で、季節設定が夏であることを明らかにし、さらに「心の波間」と、夏の海を連想させる表現を用いています。

 5行目の「手のひらから伝わる熱」は、どういう意味でしょうか。「私」と「あなた」が手を繋いでいるとも取れますが、前後の文脈を考えると、おそらく違います。

 この表現は「私」のテンションが上がり、あるいは緊張のため、手のひらがじんわり熱くなっているということでしょう。その後に続く「私だけじゃないよね」は、「あなた」も私と同じように、恋のテンションが上がっていてほしい、ということ。

 上記の引用部からは、「私」の恋心が盛り上がっていること、「私」と「あなた」はまだ恋愛関係ではない、ということが分かります。

×××××部分に入る言葉

 Aメロに続くサビの歌詞を、以下に引用します。

キラキラあなたがまぶしくて いつから恋が始まったの
私 裸足のまま 駆け抜けてゆく
まばたきしたら過ぎる瞬間 忘れないでね
いちご味のかき氷 溶ける頃に切ない想い
あなたとなら ×××××

 上記引用部では、「私」の心情がより詳細に語られています。まず1行目では、「あなた」のことをいつから好きになったのかを回想。Aメロの内容を、振り返っているとも言えます。

 2行目の「裸足のまま」というのは、夏だから海で裸足になる事と、感情の赴くままに行動することを、かけているのでしょう。

 4行目は何を意味するのでしょうか。「私」は「あなた」と一緒に、かき氷を食べているのでしょう。いや、一緒にはいますが、食べているのは「私」だけかもしれません。

 「溶ける頃に切ない想い」というのは、「あなた」に気持ちを伝えようと思うものの言い出せず、時間が経過していく様子を、表しているのだと思います。

 つまり、かき氷を食べながら、想いを伝えるタイミングをうかがっているが、切り出すことができず、時間だけが過ぎている、ということです。

 そして5行目の「あなたとなら」に続く、「×××××」。この部分に入る言葉と、その意味を検討します。

 歌詞を注意して聞いてみると、当該部分は「I’ll work a miracle」と歌っているようです。「work a miracle」は「奇跡を起こす」という意味。

 「I’ll work a miracle」は、「私は奇跡を起こす」と、自分の意思を表明しているということです。

「ミラクル」の意味

 タイトルにもなっている「miracle」(ミラクル)という言葉が、ここで出てきました。では、曲の中で「ミラクル」とは、具体的に何を意味するのでしょうか。

 「×××××」部分に「I’ll work a miracle」を代入すると、先ほどの引用部5行目は「あなたとなら I’ll work a miracle」となります。

 意訳すると、「あなたと一緒なら奇跡を起こせる」ということでしょう。ここまでの歌詞の内容を考慮すると、2人の恋の成就を意味するのだと想定できます。

 「私」にとって「あなた」が大きな存在であり、心が抑えきれないほど高鳴っていることを表すため、「ミラクル」という言葉を使ったのではないでしょうか。

 2番のAメロの歌詞でも、「私」の胸の高鳴りが、引き続き綴られています。以下に引用します。

閉じこもっていた心 解き放てば見えてくる世界
こんなにもきらめいて モヤモヤしてたって始まらない
思い出にはまだ早いよ 迷わずに飛び出して
どこへだって行けるはずでしょ 太陽沈まないで

 引用部1行目と2行目では、恋をしたことで、心の持ちようまで変わったことが記述されています。

 3行目の「思い出にはまだ早い」とは、「あなた」との恋を諦めてしまうのは、まだ早いという意味でしょう。「思い出」という言葉で、「あなた」との出来事が過去になる事を表しています。

 4行目は「私」が自分自身を、奮い立たせている言葉でしょう。「太陽沈まないで」というのは、いろいろと解釈可能な表現です。

 文字通りの意味は、太陽が沈まないで、そのまま昼間であってほしいということ。ただ、太陽を夏の象徴として、夏が終わらないでほしいとも取れますし、「あなた」との関係が切れないでほしいとも解釈できます。

 いずれにしても上記引用部は、「私」の恋に対するテンションが、いきいきと閉じこめられています。

 さらに2番のサビでも、「私」の高鳴る感情が綴られていきます。以下に引用します。

今すぐあなたに会いたくて いつでも恋は少し苦しい
短い夏がほら 加速させるの
二度と戻れないこの瞬間 つかまえててね
夜空に打上げ花火 消える前にお願い早く
あなたとなら ×××××

 引用部1行目に「恋は少し苦しい」という一節が出てきました。想いが強くなればなるほど、失ったときのダメージも大きくなる。楽しいだけではない恋の本質が、端的に表現されています。

 叶わなかった時のショックも大きいが、成就した時の喜びも大きい。それほどまでに膨らんでしまった恋心を表すため、「ミラクル」という、いささか大げさとも取れる言葉を使ったのだと思います。

 上記引用部では、1番のかき氷に代わり、「打上げ花火」が出てきます。「かき氷」は時間の経過を表していましたが、上記の「打上げ花火」は、感情の高鳴りと刹那感を表しているのでしょう。

結論・まとめ

 以上、「ミラクル」の歌詞を、曲の中で「ミラクル」は何を意味するのか、という視点に基づいて読み解いてきました。

 この曲では、恋がもたらす感情の大きさを表すため、恋の成就を「ミラクル」という言葉に置き換えています。

 該当部分の歌詞が「×××××」と伏せ字になっているのは、言葉に出せないほどの感情を、強調するためではないかと思います。

 「私」の感情の高鳴りに、焦点が当てられたこの曲。そのため、恋が成就したかどうかは、最後まで明らかにされません。

 「かき氷」や「裸足」など、夏を連想させる単語を散りばめ、夏の開放感と暑さを、心の高鳴りと連動させているところも秀逸。

 歌詞にも出てくるとおり「キラキラ」とした感情が伝わる楽曲です。

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サカナクション「アイデンティティ」歌詞の意味考察 アイデンティティを探す物語


目次
イントロダクション
アイデンティティを探す「僕」
変化する「僕」の価値観
結論・まとめ

イントロダクション

 「アイデンティティ」は、2010年8月4日にリリースされた、サカナクション3枚目のシングル。2011年9月28日リリースの5thアルバム『DocumentaLy』にも収録されています。作詞作曲は山口一郎。

 タイトルの「アイデンティティ」(identity)とは、自己を確立する要素のこと。もう少し具体的に説明すると、自分が自分であることを決定し、自分と他者とを分ける要素、といったところでしょうか。もっと単純に「個性」と言い換えても、良いかもしれません。

 今も昔も「自分探し」と称して、インド旅行をしたり、難解な小説を読んだり、という人がいます。突き詰めていくと、それだけアイデンティティの正体をつかみ、「自分」を証明するのが、難しいということ。

 そんな「アイデンティティ」というタイトルを持ったこの曲。タイトルのとおり、歌詞は語り手である「僕」がアイデンティティを探し求め、自分なりの答えにたどりつく内容です。

 では「僕」はどのように悩み、どのような答えにたどりつくのか。歌詞を読み解いていきたいと思います。

アイデンティティを探す「僕」

 まず、イントロ部分の歌詞を、以下に引用します。

アイデンティティがない 生まれない らららら

 歌い出しから、いきなり「アイデンティティがない」と宣言されています。上記引用部から分かるのは、「僕」はこの時点ではアイデンティティが何だか分からず、自分を探している状態であること。

 その後に続くAメロでは、「僕」の価値観が、より鮮明に明らかになります。Aメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?
そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ

 上記の引用部から、「僕」は嗜好の寄せ集めがアイデンティティになる、と考えているのが分かります。つまり、どんな服を好むか、どんな本を好むか、といった価値観の集合体が、アイデンティティになるということ。引用部2行目の「物差し」とは、そのような価値観を指しているのでしょう。

 2行目の最後は「僕は凡人だ」という一節で閉じられています。これは何を意味するのでしょうか。

 おそらく、アイデンティティが嗜好の集合体と考えていたのは過去の「僕」で、現在はそう考えていないということ。さらに、現在の視点から過去の自分を振り返っている、ということも分かります。

 続くAメロ2連目の歌詞を、以下に引用します。

映し鏡 ショーウインドー 隣の人と自分を見比べるそう
それが真っ当と思い込んで生きてた

 上記の引用部からは、アイデンティティは他者との差異によって生まれる、と以前の「僕」が考えていたことが分かります。

 自分探しと称して、他人がやらないような事をしたり、観光地ではない国を旅行したり、珍しい本を読んだり、といった行為も、上記の思考に基づいた行為であると言えるでしょう。

 そして、サビでは以下のような展開を見せます。

どうして 今になって 今になって そう僕は考えたんだろう?
どうして まだ見えない 自分らしさってやつに 朝は来るのか?

 Aメロでは、個人の嗜好性と他者との差異にアイデンティティを求めていた、過去の自分を振り返っていた「僕」。

 しかし、上記のサビでは、そのような自分探しに疑問を呈しています。これは「僕」の価値観が、変わり始めたことを示しているのでしょう。

変化する「僕」の価値観

 2番に入ると、「僕」の変化がより鮮明に語られます。2番のAメロ1連目の歌詞を、以下に引用します。

風を待った女の子 濡れたシャツは今朝の雨のせいです
そう 過去の出来事 あか抜けてない僕の思い出だ

 「女の子」という他者が登場し、1番の歌詞からは一変してイマジナティヴな内容になっています。歌詞には確定的なことは書かれていませんが、あくまで一つの解釈として、順番に検討していきましょう。

 まず「風を待った女の子」。「女の子」は、「僕」にとっての過去の恋愛対象だと仮定しておきましょう。「風」は、人間にはコントロールできない、不確かなもの。

 「風を待った女の子」とは、「僕」と「女の子」の間の恋愛感情が、不確かで曖昧なものであることを、文学的に表したのではないかと思います。

 「濡れたシャツは今朝の雨のせいです」は、主語が書かれていませんが、「僕」とも「女の子」とも解釈できます。

 「濡れたシャツ」という表現は、涙を流したことを表しているのでしょう。それを「今朝の雨のせいです」と、言い訳のように説明することで、過去の若さが描かれています。

 涙を流したのが「僕」と「女の子」のどちらだとしても、この恋はうまくいかなかった事が、示唆されます。2行目に「あか抜けてない僕の思い出だ」とあるのも、当時の若さとうまくいかなかった恋を、振り返っているのだと考えます。

 Aメロ2連目にも、このエピソードを振り返る歌詞が続きます。以下に引用します。

取りこぼした十代の思い出とかを掘り起こして気づいた
これが純粋な自分らしさと気づいた

 上記引用部は、「僕」と「女の子」の関係について、語っているのでしょう。すなわち、2人の間の出来事を「十代の思い出」と表現し、そこで得た感情や価値観を「自分らしさと気づいた」ということ。

 以前は、好きな本や好きな服が、アイデンティティとなると考えていた「僕」。しかし、そのような要素はアイデンティティには関係なく、より根源的な要素の方が重要だと、気づいたということでしょう。

 そして、根源的な要素とは、自分の考え方や感受性のこと。過去を振り返ることで、「僕」はそのような考えにたどり着いたのです。

 2番のサビおよび歌詞のラストとなる部分では、価値観の変化が記述されます。以下に引用します。

どうして 時が経って 時が経って そう僕は気がついたんだろう?
どうして 見えなかった自分らしさってやつが 解りはじめた

どうしても叫びたくて 叫びたくて 僕は泣いているんだよ
どうしても気づきたくて 僕は泣いているんだよ

 引用部1行目と2行目では、「自分らしさ」に気づいた瞬間が記述されています。

 3行目と4行目では、「僕」は「叫びた」い感情を露わにし、「泣いている」と告白しています。では、「僕」が叫びたくて、泣いている理由はなんでしょうか。

 個人的には「自分らしさ」を発見した、歓喜によるものではないかと思います。これまで、好きな本や好きな服、他人と比べることでしか、自分を確認できなかった「僕」。

 しかし、過去の出来事を思い出しながら、自分の感情と思考こそがアイデンティティだと分かった。その喜びが、引用部の叫びであり、涙なのではないでしょうか。

結論・まとめ

 以上、ここまでの考察をまとめます。

 この曲はアイデンティティの発見がテーマであり、「僕」が過去の恋愛らしき出来事をきっかけに、うわべだけのファッションや経験ではなく、自分自身の感情と思考こそがアイデンティティだ、と気づくまでの流れが語られています。

 なんだか、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」みたいですね。

 「自分探し」というのは、いつの時代でも若者にとって、大きなテーマ。この曲はアイデンティティの探求と発見を、コンパクトに、なおかつエモーショナルに描いていて、本当に優れた楽曲であると思います。

 僕はサカナクションも、山口一郎さんも大好きなのですが、この曲も含めて、「心の友」感が溢れているところが最高に好きです。

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欅坂46「風に吹かれても」歌詞の意味考察 風が運ぶ時間とストーリー


目次
イントロダクション
語りの視点と曲のテーマ
「That’s the way」の意味
「僕」の心情
「風」が意味するもの
結論・まとめ

イントロダクション

 「風に吹かれても」は、2017年10月25日にリリースされた、欅坂46の5枚目のシングル。作詞は秋元康。

 「風に吹かれても」という曲名のとおり、歌詞の中で「風」が大きな意味を持っているこの曲。具体的に言うと、ストーリーを駆動する機能を、「風」が担っています。

 では、実際に「風」がどのような機能を持ち、歌詞が進行するのか。考察してみたいと思います。

語りの視点と曲のテーマ

 まずは語りの視点と、登場人物を確認しましょう。先に結論を言ってしまうと、この曲には「僕」と「君」が出てきます。

 しかし、一人称代名詞として使われるのは「僕」という単数形ではなく、「僕たち」という複数形。この曲では、語り手である「僕」の視点から、「僕」と「君」の関係について語られます。

 次に、語られる内容について。これも先に結論を言ってしまうと、「僕」と「君」が恋愛関係に発展するのか、しないのか、微妙な関係性が描かれています。

 歌詞をざっと見ると「友達」「恋愛の入り口」といった言葉が散りばめられ、「僕」の「君」に対する恋愛感情が、示唆されています。

 しかし、ストレートに「君」への思いを記述するのではなく、なんともじれったいと言うか、掴みどころの無い内容。

 では、実際に歌詞ではどのようなことが歌われているのか。先ほどの「風」がどのように機能しているのか、という視点を意識しながら、歌詞を読み解いていきましょう。

「That’s the way」の意味

 再生を開始すると、シティポップ風の軽快なイントロに続いて、「That’s the way」というフレーズが続きます。

 この「That’s the way」という言葉は、メインのメロディーが始まっても、随所で合いの手にように挿入されます。何度も繰り返し出てくるということは、曲の主要なメッセージであると考えるべきでしょう。

 「That’s the way」とは、英語で「そういうものさ」程度の意味。「way」は、道筋や方法を意味しますから、さらに意訳すると「世界はこういうふうにできているものだ」といった感じでしょうか。

 諦めとも、達観とも取れるこのフレーズ。前述のとおり、随所で挿入され、曲の主要なメッセージのひとつと言えます。

 では、何に対して「That’s the way」と言っているのか、続きの歌詞を確認していきましょう。

「僕」の心情

 1番のAメロとBメロでは、「僕」の心情が語られます。Aメロの歌詞を、以下に引用します。

枯葉がひらひら 空から舞い降りて
舗道に着地するまで 時間を持て余してた
思っていたより地球は ゆっくりと回っている
胸の奥に浮かぶ言葉を拾い集めよう

 引用部1行目では、「風」という言葉は用いられていないものの、枯葉を舞い落とす風の存在が感じられます。

 その後の2行目から4行目までは、枯葉がゆっくりと着地する様子を見ながら、時間もまたゆっくりと流れることを、「僕」が実感している内容。

 その後に続く、Bメロの歌詞を以下に引用します。

ずっと前から知り合いだったのに
どうして友達なんだろう?
お互いがそんな目で
意識するなんてできなかった

 3行目の「そんな目」とは、恋愛対象として相手を認識する、ということでしょう。Aメロでは、ゆっくりとした時間の流れを、噛みしめていた「僕」。上記のBメロでは、「君」と出会ったから多くの時間が流れているのに、関係には進展がないことを、明らかにしています。

 2行目の「どうして友達なんだろう?」という一節からは、「僕」が「君」を恋愛対象として見ていることも分かります。以上、AメロとBメロの歌詞では、「僕」の「君」に対する感情が確認できました。

「風」が意味するもの

 では、サビに入ると、どのような展開を見せるのか。1番のサビの歌詞を、以下に引用します。

風に吹かれても
何も始まらない
ただどこか運ばれるだけ
こんな関係も
時にはいいんじゃない?
愛だって 移りゆくものでしょ?
アレコレと考えても
なるようにしかならないし

 キーワードとなる「風」という単語が出てきました。上記1行目と2行目に「風に吹かれても 何も始まらない」とあるとおり、特に行動を起こさず、流されていくことを「風に吹かれる」と表現しています。

 「風」という単語のみにスポットを当てれば、Aメロの枯葉が着地する描写とも共通し、止めることのできない時間の流れを表しているということ。

 4行目の「こんな関係」とは、「僕」と「君」が友達関係のまま、特に進展がない状態を指しているのでしょう。

 2番に入ると、より具体的に「僕」の心情、および2人の関係性が綴られます。2番のAメロの歌詞を、以下に引用します。

あの枝で揺れている一枚の葉みたいに
未来の君の気持ちは予想がつかなかった
なぜ奇跡的なチャンスを見逃してしまうんだろう?
時が過ぎて振り返ったらため息ばかりさ

 引用部の1行目では、再び風の存在を思わせる「枝で揺れている」という表現が出てきました。

 サビでは風に吹かれることが、なすがままに流されることの象徴として用いられていました。上記引用部でも、「風」という単語を用いず、風を感じさせる表現が使われています。

 では、上記の引用部では、風がなにを表すものとして、機能しているでしょうか。2行目以降の内容を考慮すると、「予想がつかないこと」を表していると解釈できます。

 なぜなら、言うまでもなく風はコントロールできるものではありません。上記の引用部では、未来の感情を予測するのは不可能だということを、人間にはコントロール不可能な風に照らし合わせて、表現しています。

 歌詞の内容に当てはめると、葉がどのようなタイミングで揺れるのか予想できないように、未来の気持ちも予想できない、ということ。

 上記2行目以降をまとめると、「僕」は「君」を当初は友達と見ていた。しばらくすると「君」が「僕」を、恋愛対象として見始めた。しかし、当時は友達としてしか見られなかった。そして現在、今度は「僕」の方が「君」を、恋愛対象として見始めた、ということでしょう。

 Bメロでは、2人の現状がより詳細に記述されます。以下に引用します。

ふいにそういうアプローチをすると
やっぱり気まずくなるのかな
恋愛の入り口に
気づかない方が僕たちらしい

 上記引用部では「恋愛」という具体的なワードが使われ、2人が友達として出会い、恋愛関係には発展していない現状が確認されます。

 その後に続く2番のサビでは、再び「風」が登場。以下に引用します。

風が止んだって
ハッピーでいられるよ
そばにいるだけでいいんだ
そんな生き方も
悪くはないんじゃない?
愛しさがずっと続くだろう
ハグでもキスでもない
曖昧なままで so cool!

 1番のサビでは、止めることのできない時間の流れを「風」に例え、なんとなく流れていく「僕」と「君」の関係が綴られていました。

 対して上記2番のサビでは、「風が止んだ」というフレーズからスタート。「風に吹かれても」というフレーズから始まる1番とは、対照的です。

 では「風が止んだ」とは、なにを意味するでしょうか。時間が止まることはありませんから、これは「僕」と「君」の関係が発展せず、現状維持のまま進んでいくことを表しているのでしょう。

 1番と2番では「風」の機能が異なっています。1番では、何も進展がないまま流れていく時間を、「風に吹かれても」と表現。そして2番では、進展がない2人の関係性を「風が止んだ」と表現。前者は時間の流れ、後者は人間関係の進展を表しています。

 上記の引用部をまとめると、2人は恋愛関係には発展せず、曖昧な友人関係を続けていく、ということです。

結論・まとめ

 以上、「風」がどのような効果を持つのか、という視点に基づいて、歌詞を読み解いてきました。

 この曲は「僕」と「君」の移りゆく関係性を描写しており、時間の経過と、2人の関係性を示す言葉として、「風」が用いられています。

 この曲のテーマを端的に表したパートとして、2番のサビ後に入るCメロの歌詞を、以下に引用します。

成り行きに流されたらどこへ行くの?
あんなに眩しい太陽の日々よ
翳(かげ)り行く思い出が消えるまで
僕たちは空中を舞っていよう
人生は (人生は)
風まかせ (風まかせ)
さよならまで楽しまなきゃ

 この曲は「僕」と「君」の関係にフォーカスしておきながら、大きな出来事や変化は起こりません。

 もっとラブソング要素を強めるならば、「僕」が具体的なアクションを起こす、あるいは2人のストーリーを詳細に記述するべき。しかし、この曲では風に吹かれるばかりで、2人のドラマチックなエピソードが語られることはありません。

 その理由はなにか。それは、この曲のテーマが2人の関係を語ることではなく、人生のあり様を伝えることにあるからです。上記引用部の「人生は 風まかせ」という一節が、そのテーマを端的に表しています。

 まとめると、この曲は「僕」と「君」の関係性を歌ってはいますが、テーマは2人の関係を語ることではなく、止まることのない時間に流され、時には思い通りにいかない人生を描写すること。

 随所に差し込まれる「That’s the way」というフレーズも、このテーマを象徴したフレーズと言えるでしょう。

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